ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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ちょっとしたダイジェスト&未来予告風なお話です。
もうそろそろ種明かししてもいいかなと思ったので上げます。




幕間 一般人(モブ)の回顧録

 

 

───ある肉屋(モブ)の回顧録。

 

 

 

「あの領主様が?」

 

 

 

領主がヴァナヘイムから帰ってきたのはいいが、今にも息絶えそうな母子を連れて来たと聞かされてダンは思わず肉を裁断する手を止めていた。

それほどまでにプラン・アリストテレスの行動は彼にとっては意外な事だった。

 

 

 

「間違いないわ! ピオス司祭がそりゃもう、物凄い剣幕で怒鳴り散らしてたの!!」

 

 

 

恰幅のいい農家の女性───イーラはいつもの様にハキハキとダンに向かって返す。

この二人は夫婦ではないが、幼馴染である。

リュケイオンの当主が先代アリストテレス卿、タスク・アリストテレスだった時代に産まれ、気づけば50年近くもこうして雑談する仲であった。

 

 

どちらも先祖代々の肉屋と農家という第一産業を請け負っている。

イーラは少しばかり畜産もかじっているか。

 

 

形を整えた肉の重さを測りながらもダンは女の言葉に耳を傾けていた。

無言で黙々とするよりも、こうした方が実は作業の効率がよくなる。

 

 

普通の女性らしくイーラは噂話が好きだ。

常に女性同士で密接に連携を取り合い、情報を交換し合っている。

彼女の話はどれもが新鮮で、生涯リュケイオンから出る事はないダンの人生に外界からの風を感じさせてくれる。

 

 

 

たかが井戸端会議と侮るなかれ、ただでさえ辺境のリュケイオンでは隠し事は凄く難しい事なのだ。

たとえば虫の息の天翼族を屋敷に連れ込み、ピオス司祭に治療を依頼するなどと言う大事など絶対に隠せない。

 

 

 

「……司祭がそこまで怒るなんてな、よっぽどひでぇ状況だったんだな」

 

 

 

分厚い肉切り包丁についた油や骨欠片を取り除きつつダンはその母子とやらに思いを馳せる。

ヴァナヘイムにいって連れて来たという事は天翼族か? と。

 

 

ちなみに移動時間についてはもう慣れたモノである故に誰も突っ込みはしない。

数千キロ離れたヴァナヘイムとの往復は普通では一か月はかかるのだが、自分たちの領主は普通ではないのだから。

 

 

 

 

「大丈夫だってさ。ギリギリだったらしいけど助かったみたい」

 

 

 

イーラはからからと笑っている。

遠目に見た天翼族の姿は正しく骨と皮で、最初はソレが人だと思わなかったほどだと続ければダンは渋い顔を浮かべた。

 

 

 

ミズガルズでは餓死というのも珍しくはない。

街などのコミュニティからはじき出された罪人などが街道から少し外れた場所で死んでいるなどよくある事なのだ。

だがしかし、ご立派で気高いと噂の天翼族がそうなっているというのはよく判らなかった。

 

 

 

「そりゃよかった。

 しかし天翼族ってのはよ……。

 でっけぇ山の上に城を建てて好き勝手やってると思ってたんだがな」

 

 

 

ダンの感想はミズガルズにおける多くの者が天翼族に抱く一般的なイメージだ。

雲より高い山のてっぺんに住み、巨大な城の中で毎日毎日贅沢三昧といったところだ。

 

 

 

 

「あぁ……それがさ」

 

 

 

ダンの言葉にイーラは一瞬だけ顔を顰める。

知識としては知っていたが、まさか実際は想像を超えていたとは思わなかったのだ。

イーラが言葉を選びながら恐らく娘の翼のせいだろうと言えば、男の顔はこれまでにない程に苦渋に歪んだ。

 

 

 

肉屋のダン。

彼には息子が二人いた。しかし今は一人である。

彼もまたかつて“子隠し”に子を奪われたことのある男であり、そんな彼からすれば幼い子供を迫害するなど決して許せないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

想像していたよりもずっと酷い。

プラン・アリストテレスが連れて来た母子の子供の方───ルファスを見たダンの胸中は苦みに溢れていた。

腐った肉を間違って食べてしまった時の様に苦くて、臭い何かが胸の中につっかえて取れない。

 

 

 

カルキノスと一緒にリュケイオンを見学している彼女だったが、その瞳は濁り切っていた。

背中に生えている翼と同じか、それ以上に真っ黒な眼だった。

まだ10にもならないだろう少女がそんな瞳をしている……天翼族が彼女たちにした事を想像するだけでダンは胸の中が煮えくり返りそうになり、顔に出さない様に全霊を尽くしたほどだ。

 

 

 

ルファス……ルファス・マファールと呼ばれた少女はミズガルズの負の側面を凝縮したような存在である。

9歳の少女は産まれてから今日に至るまで丁寧に丁寧に絶望と否定を織り込まれ、憎悪と憤怒を軸に人格を何とか維持しているのだ。

いや、もしかしたら彼女はもうすでに何度か壊れてしまったのかもしれない。

 

 

 

彼女は終始一言も口を開く事なく、憎悪に満ちた眼で全てを睨んでいた。

カルキノスがどれほど友好的に話しかけようと時には無視し、時にはわざとらしくため息を吐いて少しでも彼を傷つけようとする有様だ。

贈り物をもらうたびに喜ぶどころか唇の端から血を垂れ流した彼女は物乞いの様に他者にモノを恵まれる現状にどうしようもないほどに怒り狂っていた。

 

 

 

 

「大丈夫だぜアンちゃん。皆ちゃんと判ってる」

 

 

 

「Thank you! そういって貰えて嬉しいですよ!」

 

 

 

ダンはルファスを屋敷に送り届けた後、再びやってきたカルキノスに笑いながら気にするなと言う。

どうやらこの気配りの出来る男はルファスの態度についての説明と謝罪をするために先にお世話になった人たちのもとを歩き回っているようだった。

ルファスにはどうしようもない事情があるとはいえ、それでも先の態度は皆の心証を悪くするのではと危惧した故のフォローだった。

 

 

 

本気でカルキノスはリュケイオンの一員として彼女を迎え入れるつもりなのだ。

あの絶望に満ちた女の子に幸せになってもらいたいと彼は彼なりに考え、プランとは違った行動を起こしている。

もちろんダンはそんな彼の気持ちを十分に理解していた。

 

 

 

当然ダンだけじゃない。

遠巻きに少女を見ていた者達は全員が判っている。

 

 

 

「ひでぇもんだ。一体何をされたらああなっちまうんだか」

 

 

 

本当は理由など判っている。

だがそれでも愚痴の様に零してしまったのを誰が責められようか。

 

 

 

「不愉快な話ですよ。本当に」

 

 

 

常の口調さえも忘れてダンに同意を示すカルキノスの声には恐ろしい程の冷たさがあった。

平時はあまりにも人間味が溢れすぎて忘れてしまいそうになるが、彼も立派な高位の魔物であると思い出させてくれる程の圧であった。

ダンでさえ一瞬だけ眉がひくついてしまったが、瞬時にカルキノスはいつも通りの快活で人懐こい笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

「これからよろしくお願いします。

 何か気になる事や困った事があったら何でもミーに言ってくださいね」

 

 

 

 

「勿論だ」

 

 

 

心ない大人たちの所業でルファスがああなったというのならば、その責任は同じ大人である自分たちにもあるとダンとカルキノスは思っている。

ならばこのミズガルズにそれだけじゃない、素晴らしいモノも存在するのだと彼女に身をもって示して行こうと二人は決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“子隠し”が完全に消滅したという報はリュケイオンを歓喜させた。

それどころか隣のユーダリルまでその知らせはあっという間に届き、各所にまばらに存在する村々も安堵のため息を吐いた事だろう。

もうふと目を離した隙に我が子を永遠に奪われることはなくなったのだから。

 

 

何の予兆もなく子を奪われる。

それの何と無慈悲な事か。

 

 

思えば“子隠し”の発生は3か4代ほど前のアリストテレス卿の時代からであった。

つまり、100年近くもあの怪物は気ままに童たちを食い漁っていたのだ。

リュケイオンやユーダリル等を苦しませていた怪異の完全撃破は間違いなく偉業と称えられてもおかしくない。

 

 

 

さすがはプラン・アリストテレスと言った所か。

撃破して終わりではなく、更には慰霊祭という形でユーダリルから物資を購入して面子を立てるという器用さだ。

大量の食料品やユーダリル・ビールを満載した馬車群がもう少ししたらリュケイオンに殺到する事だろう。

 

 

何せ、ユーダリルの商人たちも“子隠し”に子を奪われた者は数多く存在するのだから。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

プランが慰霊祭を行うという判断を下したのを知ったダンは安楽椅子に座り物思いに耽っていた。

隣人たちが“おたきあげ”の為に我が子の遺品を用意しているのを彼は知っている。

 

 

 

 

 

与えた手作りの人形。

強い男になってほしいという父の願いを込められた木剣。

毎日毎日飽きずに着られていたお気に入りのドレス。

可愛らしいリボンで装飾された小さな靴。

いつも座っていた椅子。

初めて我が子が欲しいとねだった帽子。

 

 

 

どれもこれも思い出のつまった一品であり、それを焼却することで未練を断ち切る事ができるだろう。

ダンは大きく椅子の背もたれに身を預けると、何をもっていこうかと思案するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしがなにをしたっていうんだ……」

 

 

 

 

「なにもわるいこと、してないのに……ひどいことばっかり……」

 

 

 

 

間違ってビールを飲んでしまった少女の口から零れるのは産まれてからずっと抱き続けていた悲嘆だった。

本来ならばまずしないであろう愚痴を零すという行為であったが、ルファスのソレは正しく底なしの嘆きとしか言えない。

10になったばかりの少女は憎悪と悲しみをごちゃ混ぜにした怨嗟を空に向かって吐き捨てていた。

 

 

 

余りに悲痛な声に誰もが声を失っている。

先まで酒を飲んで談笑していた大人たちが凍り付いた様に微動だにせず少女を見ていた。

 

 

 

そしてプランは腕の中のルファスをじっと見つめている。

蒼い瞳はかつては昆虫の様に無機質だったが、ダンや彼の周りの人々には今の彼は昆虫には見えなかった。

あの人はあんな目をしていたか、と男は思った。

 

 

 

「ルファスは何も悪くないよ。あの地が異常なんだ。何度だって言う。

 君は悪くないし、傷つけられていい筈がない。

 もう二度とあそこには近寄っちゃダメだ」

 

 

 

 

「ぜったいに ふくひゅうしてやる! 

 あいつら、ぜったいに ゆるせない! よくも おかあさんを!」

 

 

 

プランの声も今のルファスには届いていない。

彼女の中にあるのは憎悪だけだった。

少女は幼いながらもはっきりとした復讐心を口にした。

 

 

 

ミズガルズでは家族を奪われ復讐に人生を捧げる者も少なくはないが……見ていて心地の良いモノではない。

 

 

 

 

「……ほしい。わたし……“しろいつばさ”がほしい……。

 それがあれば、おかあさんも わたしも、みんなに、うけいれて……もらえ……」

 

 

 

 

“白い翼”さえあればこんな目に合わなくて済んだ。

少女の嘆きを聞きながらダンはビールを一気に呷る。

何時もの様に苦い。美味しくない。

 

 

大好物のビールがまるで泥水のようだった。

 

 

 

「自分たちではダメかな? 

 自分も、リュケイオンの皆も、君たちを受け入れてるじゃないか」

 

 

 

プランは一瞬だけ視線をダンを始めとする自分の民たちに向けた。

もちろんリュケイオンではそんな差別など存在しないと誰もが胸を張って言える。

仮にそんなことを言う奴がいたら思いっきりぶん殴ってやっただろう。

 

 

 

 

 

「うそだ……くろいつばさのわたしを……みんな、ほんとうは……」

 

 

 

「皆ルファスの事が好きだよ。もちろん自分もだ。

 大丈夫、ここには君を傷つけるモノは何もないよ」

 

 

 

嘘だうそだ、みんなうそつきだと少女は頭を振って全てを拒絶する。

ヴァナヘイムしか世界を知らない彼女はこの世は自分を苦しめる者で満ちていると信じ切っていた。

 

 

彼女は人の善意を信じられない───だってそんなもの、受けた事がないのだから。

彼女は全てを憎んでいる───それは彼女が今まで与えられてきた悪意をそっくりやり返しているだけだ。

 

 

 

雪解けはまだ遠く、その兆しさえも見えない。

 

 

 

どちらにせよ長い戦いになる。

本人は気が付いていないだろうが、一瞬だけプランは壮絶に顔を歪めていた。

そこにあったのは見間違い様の無い不快感と怒りだった。

 

 

 

 

あぁ、そんな顔も出来るんだなあの人はと思いつつジョッキを傾ける。

やはりというべきか、マズイ。

 

 

 

全く美味しくない。

今にも吐いてしまいそうだったが、エノク夫人もいる手前そんな事は出来ない。

 

 

 

 

ルファスの母……エノク夫人とプランの会話が終えたのを見計らい、ダンは立ち上がる。

すると示し合わせたように彼の周囲で幾人も同時に動き出した。

密かにリュケイオンで結成されつつあるルファスを見守る会の者達だった。

 

 

 

“子隠し”は消えたが、失った我が子は帰ってこない。

代替行為なのかもしれないが、それでも彼らはルファスの様な小さな子が悲しんでいるのが非常に嫌だった。

 

 

 

無言で視線を向ける。

いつも魚を渡しては無下にあしらわれている青年は判っていると言わんばかりに頷き返す。

そうして彼らは領主に己たちの決意を伝える為に歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから5年後。あの夜のほとぼりも冷め始めた頃。

ダンの目の前には深々と頭を下げているルファスと、右腕をゴーレムで代替するプランが居た。

少女の止まっていた時間はようやく動き出していた。

 

 

憎悪も怒りもまだ完全に消え去ってはいない。

しかし、それよりも大切なモノを彼女は見出した。

 

 

 

「母を助けてくれて、ありがとうございます」

 

 

 

良く通る声ではっきりと少女は心から礼を述べていた。

一目見て判るほどに今のルファスは以前とはまるで別人のようだった。

全方位に向けていた敵意が綺麗さっぱり消え失せている。

 

 

 

 

いつも険が刻まれていた顔も穏和なものへと変わっていた。

きっとこれが本来の彼女の顔だったのだろう。

あぁ、いい顔になったなとダンは少しばかり筋肉痛の残る腕をさすりながら思った。

 

 

 

あの時は無我夢中で気にも留めていなかったが、さすがに50代も近い男の身でかけずりまわるのは少しばかり身体に堪えたものだ。

だがそれも、ルファスのこんなにも穏やかな顔を見れたのならば安いモノだ。

 

 

 

「いやぁ! 本当に良かったぜ!!」

 

 

 

何も考えずに心から出た言葉だった。

ハハハハと大きく笑えばルファスもまたクスクスと微笑んだ。

母とそっくりな気品ある笑い方にリュケイオンの若者たちがじっと視線を向けてしまう。

 

 

5年という時間は幼い少女を大きく成長させるに十分な時間であった。

簡単に言うとルファスは現時点でも物凄い美少女であり(本人は自覚していないが)色々と人気者なのだ。

 

 

 

ひそひそとルファスには聞こえない様に気を付けつつ密談を行い始める。

壁の向こうからひょっこりと団子の様に顔だけを重ねて現し、ルファスをじっと見ていた。

 

 

 

 

───今の見たか?

 

 

───見た!

 

 

───可愛いわね……。

 

 

───トウトイ……。

 

 

───ミーもそう思います。

 

 

───メメ?

 

 

 

んん? と不審な気配を感じたルファスが頭を傾げるが、ダンはそんな彼女の疑惑を吹き飛ばす様に努めて大きな声で言った。

今まで暗い顔ばっかりしていた少女がようやく己の人生を歩み始めたのだ、そういった不埒な思惑は後にしろ。

 

 

 

「あ~~、まだ腹の調子が良くないんだっけか……。

 じゃあ、肉は別の機会にしたほうがいいな。

 血の増えるレバーとかを渡そうと思ってたんだが……」

 

 

 

“腹の調子”という単語を聞いてルファスの顔に一瞬だけ影が差す。

ダンはプランを見たが、彼は柔らかく微笑んでいるだけだった。

 

 

 

 

(同じ顔なのにこうも変わるなんてな……)

 

 

 

ルファスもそうだが、最も顕著なのはやはりプランだった。

 

 

 

父親を失った時でさえ微笑んでいた男をダンは知っている。

表向きの理由は魔神族に襲撃されたと言っていたが、実際は違うであろう先代の死。

誰もが勘づいていたが、誰も口には出来なかった。

 

 

もしもそんなことをしたら、当時の無機質なプランはどう“対処”したことか。

それを考えるだけでも恐ろしかったのだ。

基本的に友好的で温厚とはいえ彼もまた貴族であり、戯れは許すが侮りや詮索は間違いなく一線を超える行為になる。

 

 

 

……先代アリストテレス、タスク卿は苛烈な人物であった。

まず大前提として先代は己の民たちには決して理不尽を強いたり圧政を行う様な男ではなかったのは間違いない。

しかしそれは裏を返せば身内以外には容赦のないということだった。

 

 

 

人の口を完全に封じるというのはかなり難しい事だ。

親世代が噂していたのを彼は知っている。

 

 

 

ゲイル火山の近くに設立された拠点に多くの犯罪者を集めて何かの実験を行っているやら。

魔神族を液体になるまで弄んで文字通り全てを解明したとか、先代には黒い噂が絶えなかったものだ。

ダンたちにとっての救いはその程度の話しか聞かずに済んだことであり、噂が全て事実であるという事を一生知らなくてもよい事だろう。

 

 

 

歴代のアリストテレス卿にとって魔神族を始めとした女神の■■は無限に湧き出る物資である。

その加工方法や利用法を追求するのは当然の事でしかない。

簡単に言ってしまえば彼らは魔神族を知性ある生命として運用してはいないのだ。

 

 

 

 

そんな男の最高傑作が人になりつつあるのをダンは悟った。

少なくとも目の前でルファスを見守る男の顔はゴーレム染みてはいない。

何処にでもいる優しい男の顔だった。

 

 

 

「マファールちゃん、お母さんと領主様が治ったらまた来てくれ。

 とっておきの肉とハーブを用意しておくからな」

 

 

 

 

 

「うん。楽しみにしてるね」

 

 

 

15歳という年齢相応の無邪気な笑顔でルファスは答える。

きっとこれから今まで手に入らなかった分も幸せになれる、可愛らしい笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしこの世界はミズガルズ。

女神の法は絶対であり無情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パタンと肉切包丁などを研いでからしまう。

長年お世話になった一品に感謝と愛情を込めて手入れをした。

美味しい肉の調理法などを記載したレシピはしっかりと用意してある。

 

 

周囲には色々な部屋飾りが散乱している。

本当ならばこれを明日にはプランの屋敷に運び込むはずだった。

 

 

“誕生日おめでとう!”

 

 

“祝、リュケイオン7周年記念”

 

 

“ルファスちゃんおめでとう”

 

 

 

 

どれもこれも彼や彼の仲間たちがルファスの誕生日を祝うために作った飾りだった。

そろそろ誕生日プレゼントのネタに困っていたプランを見かねて彼らはルファスの誕生日パーティーをしたらどうかと領主に相談し、受諾されていたのだった。

 

 

 

夜。本来ならば皆が寝静まった時間ではあるが、リュケイオンは喧騒に包まれていた。

何でも近場にとてつもなく強大な魔物が現れたとのことだ。

実際、戦闘系の【クラス】など取っていないダンであっても肌が泡立つ様な根源的な恐怖を感じてしまう程にその存在は強大だった。

 

 

 

ダンには息子がいる。

兄の方は“子隠し”に持っていかれてしまったが弟は健在だ。

もうそろそろ20になるかどうかの我が子で、ここしばらくはユーダリルで肉屋を営みつつ修行をしている息子だ。

 

 

 

肉屋はきっと彼が立派に継いでいってくれることだろう。

で、あるならばダンが、いやダン達がやることは決まり切っていた。

 

 

 

「んじゃ、行くか」

 

 

 

「いってらっしゃい、あなた」

 

 

 

数十年連れ添った妻はいつもと同じように送り出してくれる。

ダンは最後に一度だけ優しく抱きしめてから家の扉を開けた。

 

 

 

そこには見知った顔が勢ぞろいしていた。

よくルファスに魚を渡していた漁師の男に幼馴染のイーラを始めとしたリュケイオンにおける30代より上の面々だ。

残念ながら今夜のお楽しみは大人専用で、三十代以下は参加できない事となっている。

 

 

 

滅多に領主としての権力を振るわないプラン・アリストテレス卿からの呼び出しがかかっていた。

理由など全員が判っている。彼が何をするかも。

 

 

 

合計34人。平均レベルは8。非戦闘員といって差し支えない。

自警団というには何ともレベル的にも経験的にもみすぼらしいメンバーだが、誰の顔にも覚悟だけはあった。

それでも所詮はただのモブ。彼らは決して自分が主役にはなれないと知っている。

 

 

 

主役というのはルファスやプランの事を言うのだろう。

多くの困難を乗り越えて栄光と幸せな未来を手に取る事が約束された華々しい存在だ。

それに引き換え自分たちはどんなに頑張ってもレベル一つ満足に上げる事も出来ず、小さな街で一生を過ごして終えるだけのつまらない人間だ。

 

 

 

だが、彼らにも意地はあった。

自分の大切なモノを奪われてたまるかと抵抗するだけの権利は残っていた。

きっとプランが決断しなくとも自分の意思で動いていただろう。

 

 

 

 

いま、街の外にはとてつもなく強大な魔物が飛来している。

姿は誰も見ていないが、甘くて甲高い子供の様な声をした魔物だった。

彼は17歳を間近に迎え、深い眠りについたルファスの身柄を要求していた。

 

 

 

その時の言葉をダンは、いや、誰もが忘れないだろう。

 

 

 

ハハハハハ!! モブのみなさーん!! ごきげんよう!!

 

 

 

えーっとですね! 

きょうはきみたち居てもいなくてもなにも変わんないわき役の人びとにおねがいがあってきました!

 

 

 

ここにぃ“悪い子”がいるっておしえてもらったの! だからさ、ぼくにちょうだい!!

 

 

 

1じかんだけまつから、ゆっくりかんがえてね!

 

 

 

どうするかなど考えるまでもない。

ルファスの力を己の計画の脅威と判断した彼は間違いなく彼女を殺すだろう。

 

 

制限時間は1時間。

それ以上は待てないと彼は言っている。

時間を一秒でも過ぎたら街を吹き飛ばすと。

 

 

 

たったそれだけ。

きっと魔物はリュケイオンに住まう人々の事などどうでもいいのだろう。

わざわざ一時間も待つ理由も慈悲ではなく、右往左往して苦悩する人間を見て楽しんでいるだけだ。

 

 

 

それがどうしようもなく腹だたしくて、気づけば彼らはプランの命令に従っていた。

 

 

 

誰が合図するでもなく歩き出し、アリストテレスの屋敷の前に集う。

そこに佇んでいたのは【バルドル】で完全に武装したプランであり、彼は片手に淡く輝く全く新種のポーションの瓶を握りしめていた。

これが最後になる予定だった、彼の為だけに作られ、彼を治す為だけにあるポーションを。

 

 

彼女が自分たちの未来を手に入れる為に全てを賭けた作った薬である。

 

 

 

言葉はなかった。ただ「やってくれ」という意思だけがある。

 

 

 

プランは数秒間だけ沈黙していたが、右手の人差し指をダン達に向けて……。

 

 

 

【錬成】

 

 

 

人/マナ/世界/法則を理解しつくしたアリストテレス卿のソレが無慈悲に民たちを包み込んだ……。

 

 

 

これはルファス・マファール17歳の誕生日を間近に控えた出来事であり、ほんの少し先の未来の一幕である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の男が誰に知られる事もなくひっそりと終わりを迎えていた。

リュケイオンにある女神を讃える教会。

平時は多くの人々がお祈りに訪れ、時には子供を預けたりもする場所だ。

 

 

 

ピオス司祭。

リュケイオンに派遣された変わり者の老司祭。

変人ではあるが誰よりも女神を愛し、彼女の愛を説き、少しでも世界を良くしようと努力を続ける男。

 

 

 

ルファスが敬意を払い、街の者達にも愛されていた人格者の男だった。

 

 

 

そんな彼の胸に短剣が突き刺さっていた。

しっかりと己の両手で柄を握りしめ、突き刺したソレは深々と心臓を抉り彼の命を奪い取っている。

瞼は開いたまま、虚ろな瞳で彼は宙を見つめて息絶えていた。

 

 

流れる血が彼が良く教えを説くのに使っていた教典を濡らす。

開かれたページにはこう書いてあった。

 

 

 

我らは貴女様の子として誓う。

 

世を愛することを。世を美しくするために尽くを尽くすことを

 

 

最期の瞬間に彼が何を見たかは誰も知らない。

女神が彼の信仰に応えてくれたかさえも。

……彼が少女を救った事も。

 

 

 

 

自殺。

多くの命を救った男の最期は自死であった。

彼の選択の結果である。

 

 

 

自棄を起こしたでもなく狂ったわけでもない。

彼は己が出来る最も正しい事を実行したに過ぎない。

 

 

 

 

……普段より身に着けていた女神アロヴィナスを讃えるシンボルは血に塗れ、ひび割れていた。

 

 

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