ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
仕事環境が激変した為、更新が遅れてしまい申し訳ありません。
「……ん-」
その日、透き通った水で満たされたフラスコを前にルファスは頭を捻っていた。
16歳の誕生日を直前に控えた彼女はその時が来るまで外出することを控え、屋敷の一室でポーションの基礎を勉強しているのだ。
机の上には何冊もの分厚い専門書が積み上げられており、その中身を全て彼女は暗記していた。
何度も読み返す手間が惜しかった。
ならば一文字一句残さず全て覚えてから、気になる個所はプランに意見を求めればよい。
普通ならば夢物語でしかない行為であったが、ルファスにはソレが可能なのだ。
「……」
基礎的なポーションの作成方法を1から10まで段取りよく実行してとりあえず製作したソレを手に取り眺めた。
もう何か月も前に通り過ぎた地点に彼女はまた戻ってきている。
真っ赤な瞳の中には不満がありありと浮かんでいたが、決して失敗というわけではない。
ただ彼女の求める基準からすると効果が低すぎるというだけだ。
ルファスが実行していたのは最も簡単なポーション製作の手順であった。
良くも悪くもフェニックスだのノーガードだの、アリストテレスだのといった埒外の存在とばかり接していたルファスにとっては余りに基礎的な行為であった。
しかしだからこそ基礎中の基礎をもう一度しっかりと見直した上でとある概念を実感してほしいんだと彼女は教わっていた。
既に通り過ぎた筈の轍を彼女は振り返る。
それもただ眺めるのではなく、じっくりと観察する様に。
リュケイオン近郊に生える薬草4種類を3・3・2・2の割合ですり潰して全ての成分が均等になる様に混ぜ合わせる。
次に清水で煮込みつつ出てきた成分を抽出し【錬成】をかけつつ清水に溶かし込む。
そうすれば飲めばHPが300ほど回復する最下級ポーションの完成だ。
ユーダリルに行けば一つあたり10エル程で売っているこれは、ミズガルズでは子供が転んだ時などに用いられる事が多かった。
ちなみにプランと出会った時にルファスが飲まされたポーションはこれよりも2つほどランクの高いものであり一つにつき300エル程の高級品だったりする。
悪くはない出来であった。
少なくとも店で売っている品よりは高品質だ。
もちろん捨てるつもりなどない。
作製したポーションは全てリュケイオンの皆に配るつもりであった。
最近は例のボード遊びのせいで子供たちが生傷を増やしているらしいからルファス印の傷薬の需要は大いにあることだろう。
「41個目」
フラスコを置く。
その隣には同じようにポーションで満たされた容器が40個ほどずらっと並べてあった。
「1」や「2」とラベルを張られているソレに倣いルファスは「41」のラベルを作ったポーションに張る。
ルファスの瞳が輝く。
瞬時に最適化されたソレはポーションの本質ともいえる部分を可視化させることが出来た。
つまり、液体に馴染まされた天力/天法である。
薬草に宿っていた天力が水にしみ出しているのだ。
彼女の瞳の中において天力は薄く青い光として表現されていた。
ミズガルズの処理の上では全てが同じ効能のポーションであるが、その中に込められている天力の量や均等性は微妙に違う。
極端な例を言うと「1」のポーションを飲めばHPが200回復するだろう。
しかし「41」のポーションを飲めば回復量は350程になる筈だ。
全く同じ素材、全く同じ手順を踏んで作ったというのに効能が違うのだ。
実はミズガルズには隠しステータスとして“熟練度”というものが存在している。
言わば同じスキルやアイテムの作製を繰り返していくと徐々にソレの効果が上がっていくというものだ。
殆どの人類はソレを自分のレベルが上がったからと思い違いをしているが、実体はレベルと熟練度は似て非なるモノなのだ。
かつてプランが語ったレベルだけ上げても意味がない、という言葉の真意の一つがコレだった。
果実で手っ取り早くレベルを跳ね上げさせてもスキルへの理解と熟練度が低ければそれは真価を発揮しないのだから。
そして同時にこれはベネトナシュの戦法がワンパターンになってしまった理由でもあった。
「確かに大事な要素だ」
成程と頷きながら納得する。
完全に作製方法をモノにした時点で見向きもしなかった下級ポーションだが、こういう隠し要素があったとは思いもよらなかったと。
(……ん?)
……誰も? 誰も気づかなかったのか?
とルファスはふと思い至った。
市場に溢れる程というには過剰表現かもしれないが、それでも多々流されているポーションだ。
ポーションを作れる【アルケミスト】なんてミズガルズには溢れかえっている筈だ。
その中の誰一人として熟練度というステータスの存在に気が付かなかった?
同じ動作を繰り返せばソレは洗練されていく。そんな事、当たり前の筈なのに。
何人かは知っていたかもしれない。
しかし己の売り物の効能を高める秘訣をあえて口にしなかったと考えるのは判る。
だが事はポーションだけではない、ミズガルズ全体の話となると不気味でしかない。
屋敷の書斎で【クラス】や【スキル】の勉強をしたときにも熟練度等と言う単語は一言も出てこなかった。
あのクラウン帝国が揃えていた書物を少しだけかじったが、その時もだ。
いや、そもそも自分さえ気が付いていなかった。
プランに指摘されてそういった概念があると教えてもらった事により知ったに過ぎない。
少し考えれば判りそうだというのに、まるで検閲されているように思考がそこに届かなかった。
ゾクリと、生暖かい気持ち悪さをルファスは覚えた。
自分の思考が気づかない内に侵されているかもしれないという懸念は恐怖しかない。
と、すればそんな事が出来るのは一体だれか。
ルファスだけじゃない。
この世界に生きる全ての存在の思考に霞を被せる程に巨大な力を持っているのは誰か。
“この世界そのものがアロヴィナス神の作った巨大な魔法だ”
“比喩でも何でもなくミズガルズは女神の舞台なんだ”
【エクスゲート】を習う際に教わった世界の真理が頭をよぎる。
もしもこの世は全てが舞台で、ただ一人客席に座す女神を楽しませる茶番だとしたら……。
知った事か。お前の事など知った事か。
胸中に湧いたつまらない疑念をルファスはもみ消した。
女神など、彼女にはどうでもいい存在だ。
アリストテレスが怒り狂う理由も判る。
女神のやり方はルファスから見ても滅茶苦茶でしかない。
あんなにいい奴のナナコをこんな狂った世界に巻き込んだのは許されない。
だが、彼女にとってはそんな宙の果てに居るお偉い神様よりも隣にいる大切な人を治すことの方が今は大事だ。
ソレが終ったらナナコと合流して改めて三人でラードゥンを倒す術を模索すればよい。
「基本を大事にしよう……一つずつ、着実に積み重ねていかなくては」
パンっと己の頬を軽く叩いてルファスは気を入れ替えた。
レベル800という高次元の力は彼女を楽な道へと誘惑しようとしていたのだ。
仮に彼女がミズガルズ中を飛び回り、パパパっと高品質な素材や原材料を大量に入手して力技で【錬成】を掛ければなるほど、そこそこの出来のポーションが出来上がる事だろう。
もしかしたらそのポーションの出来はミズガルズでも屈指のモノになるかもしれない。
当たり前だ、素晴らしい素材を使ったのだから素晴らしいモノになるのは当然である。
だがしかし、それはきっとルファスの目指す領域には決して至れない。
そんなズルをしてもルファス自体の腕が上がっていないのだから。
彼女はプランを治す為に全く新しいポーションを作る事を目指している。
あらゆる呪と肉体的/霊的な損傷を完全に、完璧に元通りに復元させることを可能とする神の如き薬を作って見せると決意している。
それも最長で3年という余りに短い時間で。
誰もが「不可能だ」と断言する所行だが、彼女は決して妥協する気はない。
プランを何としても助けるのだと決めた。
そこに異論や例外は挟み込む余地などない。
彼が死ぬなど絶対に受け入れられないのだ。
ルファス・マファールはやると決めたら断固として実行する女であり、それがどれだけ大変であろうと決して諦める事はない。
が、しかし……焦っていたのも事実だ。
基礎をすっ飛ばしてより良いモノを作ろうと上ばかり見ていた己の慢心をルファスは自覚し、ため息を吐いた。
ふと、足音を彼女の感覚は捉えた。
これは……母だと直ぐに把握する。
窓の外を見れば日は頂点にまで上っており、時間は昼だろう。
「ルファス……昼食が出来たわ」
「メーメ~?」
ノックの後、ゆっくりと扉を開けてアウラが顔を覗かせる。
次いでひょこっとアリエスがその足元から顔だけを出してルファスの様子を伺った。
虹色羊はポーションの入った容器を認めればトトトトと軽い足音を立てながらルファスの足元に寄り、後頭部を差し出す。
チラチラと鋏の入った棚を見ながらアリエスは鳴いた。
「メメッ!」
“刈っていいよ!”と羊毛を差し出そうとしてくる己の大切な仲間にルファスは苦笑する。
出会った時と比べて物凄く図太くなったとしか言いようがない。
いや、きっとこっちの方がアリエスの素なのかもしれない。
ルファスはアリエスを抱き上げてやるとその頭を撫でながら言う。
「お前は切り札だからな。もう少し私の技量が高まったら有難く使わせてもらう」
今の自分ではアリエスの羊毛を使いこなせないとルファスは判断していた。
最高級の素材を素人が弄るなど許される事ではない。
「メェ……ぇ」
微かにアリエスは落胆の色を浮かべた。
彼にとって己の毛は明確にルファスの役に立てる数少ない要素なのだ。
そんな彼に対して主は薄く微笑みながら顔を覗き込む。
琥珀色の瞳に浮かぶ自分の顔は何処か母そっくりだった。
常に浮かべていた険が消えれば残るのは穏やかな少女だけだ。
「アリエス。お前は十分に私を助けてくれているよ」
「お前は私に助けられたと思っているかもしれないが、実際は逆なんだ」
出会いを思い返す。
当時の自分が何と言ったかを思い出し顔を顰めた。
思えば随分と心ない言葉を吐いたものだと少女は思った。
「自分で思っているよりずっとお前は私を支えてくれているんだ」
「……いつもありがとう。これからもよろしく頼む」
ルファスの言葉に「うーん?」とアリエスは頭を暫し傾げていた。
確かに毎日大好きな主や仲間たちの為に何が出来るか考えているが、それでもそんなに自分は役に立っているのかどうかわからなかったのだ。
これはルファスからすると思わず笑ってしまいそうになる事だった。
この小さな仲間/友達はどうやら己の偉大さに全く気付いていないらしい。
「ハハハハハ……まぁ、いつか判る日が来るさ────む?」
ふらっと立ち眩みを感じたルファスは身を小さく揺らした。
あぁ、時間切れだなと彼女は冷静に判断して己の内側に意識を向けて見る。
渦巻くマナが身体の細胞一つ一つを作り替えていくのを彼女は観た。
次は900だなと少女は己の身体に起きている“変異”を把握し分析していく。
800から900までレベルを上昇させるのに必要なマナの量はレベル1から800までに必要とされるマナの数倍は必要だが問題はない。
この日の為に果実は十分に摂取している。
また何時かの様に高熱にうなされる事はないだろう。
「大丈夫?」
「うん。だけど、始まったみたい」
アウラが娘の頬と額に手を当てて熱を測り出す。
6度目となれば手慣れたものだった。
心拍数。
脈。
顔色。
瞳孔。
その他、様々な身体状態のチェックを始めればルファスはされるがままに身を委ねた。
「アリエス……プラン様にお伝えしてくれないかしら?」
「メメメメ!!」
耳をピーンと立たせて返事をするとアリエスは全速力で部屋から飛び出していった。
人の言葉を話せないという難点はあるが、あの様子ならば身振り手振りでしっかり伝えてくれるだろう。
いつ来ても大丈夫な様に懐に忍ばせていたメモを取り出し、簡易なレポートの作成を開始する。
体温、顔色、脈などを手早く書き込んでいく母を前にしたルファスの内心に不安は全くない。
きっと今年も問題なく変異は完了し、更に強くなることだろう。
ただ一つ懸念があるとしたら……。
(昼食、食べ損ねたな)
カルキノスの作ってくれた凄く美味しい料理を食べられないかもしれない。
それだけが彼女にあった後悔だった。
もうあれから1年経ったのか。
ベッドに寝かされたルファスは天井を見つめながらそんなことを考えていた。
去年にあった事は余り思い出したくはなかったが、それでも彼女の根幹を形成した重要な出来事であった。
狂った実父。
死の淵をさ迷った母。
魔物に堕ちかけた自分。
そして……。
手が震える。
一年経った今でも彼女はプランの腹部に刃を押し込んだ感触を覚えている。
何の関係もない人に身勝手な憎悪をありったけ送り付けた事も。
忘れるわけがなかった。
きっと一生忘れられない。
過去を余り振り返らないルファスであったが、そんな彼女が唯一過去に戻りたいと思う事である。
あの場にもしも戻れたら自分を殴り殺してでも止めるだろう。
(…………)
ベッドに寄り添って何時もの様にレポートを作成している母の横顔を見る。
視線に気づけば彼女は柔らかい微笑みを返してくれた。
「……何か気になる事はある?」
「ちょっと寒いかな」
もう一枚ルファスに毛布が掛けられる。
ふわふわでもこもこのソレに包まれてとても心地良い。
「プランは?」
「お仕事が一段落したら来られるわ」
「判った」
母の言葉に自分でも驚くほどに大きなため息が漏れた。
だがしかしソレは自分に構ってくれない事への不満ではない。
むしろ逆で彼の体調を気に掛けている為に出たモノだった。
「……ちゃんと休んでるんだろうな?」
ぎゅっと毛布を掴んで零す。
彼女は心配でたまらなかった。
昔は程よく休んでいたというのに竜王の脅威が巨大になるにつれ、彼はあまり休まなくなった。
記憶越しに崩落したミョルニルを見たルファスである。
彼の仕事がどれほど大事なのかは判っているつもりだ。
だがそれでも、自分が倒れてしまっては元も子もない。
ルファスは覚えている。
一度彼が過労で倒れてしまった時を。
頭が真っ白になり、全身から熱が失せていく感覚は彼女のトラウマの一つだ。
「気になる……?」
「うん。まーた無理な事をしてないといいけど」
母の言葉に唇を尖らせて返す。
一年に一度訪れるこの日だけはルファスもプランを見張る事は出来ない。
仕事、仕事……領主や人類勢力の重鎮としては当然だろうが、無理はしていないだろうか。
前に倒れた時など動けなくなったというのに「ならば」等と言いつつゴーレムを遠隔操作して作業を続行しようとしたものだ。
何が「ならば」だ何がと叫びそうになった彼女を誰が責められようか。
「大丈夫よ。カルキノス様や司祭様がちゃんと見てくれているわ」
「……それもそうだけど」
うーんと唸りながらルファスは小さく身体を揺すった。
もちろんカルキノスとピオスを信頼していないわけがない。
むしろ彼らほど頼りになる大人をルファスは知らない。
だが。
「どうにも目を離すと落ち着かない……」
素直に母に現状を伝える。
プルートで思いをぶちまけて以来、どうにも彼女は彼への執着がますます深くなっていた。
自覚はしている。しかし止められるかどうかは別の話だった。
勇者よりその感情の名前は教えてもらったが、それがどういうモノなのかはまだ知らないのだ。
女神さまでさえ判らないかもしれない。
何故ならばそれは感情の極致なのだから。
「…………」
アウラは娘の様子をじっと見つめていた。
プルートより帰ってきてからルファスの様子が変わった事に当然彼女は気が付いている
1年前の夜を境に劇的に関係が変化した娘とプランであるが、また一つ変わったと。
アウラとて女だ。
かつてはジスモアと恋愛を経験し、営みをした上でルファスを産んだ。
故に彼女は簡単に娘の内面を把握することが出来た。
“■”もしくは“■”がルファスの中で芽生えつつある。
今はまだ“好き”でしかないが、いずれは必ずそこにたどり着くだろう。
娘はまた一つ大きくなりつつある。
悪意と否定に晒されていた人生から脱却し、多くの人がそうするように誰かを思うようになり始めている。
だが同時にこれは不安定さも齎す。
その感情はミズガルズどころか如何なる世界においても特一級の取り扱い危険指定を受けている。
どれほど多くの英雄や賢者、更には神や悪魔がソレで破滅したことか。
(…………どうしましょう)
アウラは考える。
いま娘は一つの転機を迎えつつあるが、どう説明しようかと。
何のことはない、親が子にする情操教育の話で彼女は悩んでいた。
自分の至らなさのせいでルファスの精神はチグハグな所がある。
普通のコミュニティならばそういった感情/情緒は少しずつ時間をかけて育てられていくが、彼女はたった6年しかそういった“普通”を経験していない。
そんな中で娘が彼に抱く思いは劇物になりかねない危うさがあることをアウラははっきりと認識している。
大前提としてアウラは娘がプランを助け出せると信じている。
母親としての贔屓目もあるが、それを抜きにしても娘ならばきっと出来ると。
諦めてしまった自分やジスモアとは娘は違うとアウラは知っている。
彼女は決して折れない。
どんな手を使ってでもプランを助け出すことだろう。
問題はその先だ。
プランの治療を完成させ、竜王の問題も解決したとする。
その先はどうなる? どうあっても天翼族と人間では同じ時間は生きられない。
どう長く考えても50年程度で別れが来る。
1500年の寿命を持つ天翼族からすれば50年は人間でいう数年程度の体感時間となる。
普通の人ならば諦めるだろう。
こればかりは仕方ないと。
しかしルファスは普通ではない。
ともすれば誰もが受け入れるしかないソレをひっくり返せる可能性さえ秘めている。
決して彼女は喪失を受け入れようとしないのが眼に見えた。
誰よりも情が深いが、それは恐ろしいまでの執着心と両立している。
誰かを思う事は悪い事ではない。
母としてのアウラは手放しで喜べる。
彼女が危惧しているのは強い力を持った娘がその力であらゆる気に入らない物事を捻じ曲げる事を普通だと思ってしまわないか、ということだった。
もしもそんな事になったら必ずその範囲は少しずつ広がっていく事だろう。
最初は大切な人を守ろうと思っていただけの願いが歪んでしまう危険性があった───彼女の父の様に。
「……自分でも判ってるよ」
苦笑と自嘲が混ざった声でアウラは現実に引き戻される。
見ればルファスは恥ずかしそうに笑っていた。
母が娘を理解しているように、彼女も母の内面を読み取っていた。
「彼に教わったんだ。私の正体は天翼族の先祖返りと突然変異を同時に引き起こした存在って」
「プランは物凄く遠回しに言ってたけど……私は魔物なんだ」
ぎゅっとアウラが唇を噛み締めるがルファスはそんな母の頬を優しく撫でた。
「別にそこは気にしてない。だけど……自分でも魔物の様な側面が私にはあると思う」
戦意を失ったオークを追い詰めて殺そうと考えたり、5年もの間ずっと無意味に殺意を燃やし続けた事もある。
戦いになって思う存分力を振るう時など血が沸きたつようだった。
どう言いつくろってもルファスという種族は魔物の一種であった。
「きっとこれからもそういう考え方に揺れる時はある……」
既にその片鱗は現れ始めているとルファスは考えていた。
アリエスをテイムした時にプランも【キャプチャー】したらどうかと考えてしまい、恐ろしい程の熱を帯びた時だ。
今だってソレを思うだけで心臓が熱くなる。
母と自分だけで完結していた世界に三人目、四人目が現れた結果として少女の心は彼女でも制御できない連鎖反応を繰り返し続けていた。
太陽の爆発が止まらない様にルファスであってもこれを止める事は出来ない。
大切な存在は絶えず手元において、ずっとずっっと守護したいと考えてしまう。
(駄目だ! そういう考えはよくないと知っているだろう!)
自分で自分を叱りつける。
あの人の事は好きであるがそういう独占欲はよくないと。
しかし彼は決してそういった物ではないというのにこの誘惑は中々消えてくれない。
はぁとうんざりしたように少女はため息を吐く。
「……心って、難しいね」
喜怒哀楽の全てを味わい尽くした上でルファスは感想を述べた。
どうやっても振り回されてしまう。
これが16年の人生において幾つもの山と谷を乗り越えた彼女の結論だった。
「えぇ。本当に」
アウラもまたルファスに負けない程に波乱万丈な人生を送っている故に心から同意するのであった。
プランがルファスの部屋を訪れたのは少しばかり日が傾き始めた時間帯であった。
夕日が室内を黄色く照らす中、ルファスはまだ少しばかりの余裕があるのか母と雑談に華を咲かせているようだった。
しかし彼女はゆっくりと扉を開けて入室してきたプランに気が付いた瞬間、ジトっとした目線を向ける。
むすっと鼻息を漏らし、わざとらしく腕を組む。
誰がどう見ても「不機嫌だ」と判る様なアピールである。
「随分と遅かったな……」
ジィィィっという擬音が聞こえてしまいそうな程にルファスは不機嫌そうに言う。
そんな視線を受けたプランは微かに硬直した後、少女の機嫌をこれ以上損ねない為にそそくさと歩き出す。
足音一つ立てず、気配を極限まで薄めて歩いているというのにルファスの視線は彼から離される事はなかった。
試しに左右に逃げようとするが勿論そんなことではこの怒れる少女からは逃げられない。
アウラが差し出して来たレポートを受け取り、目を通す。
とりあえずの所は今回も安定している。
いや、過去一番に順調であった。
去年はともかくその前からルファスの変異は安定の兆しを見せつつある。
必要なマナが十分に補充された結果と、元となる彼女の肉体的強度の向上によってルファスにかかる負荷は減ってきているのかもしれない。
そして何より精神的な安定も大きな要因となるだろう。
闇雲に力を求めていた頃に比べれば今のルファスは確固たる己の意思を確立し安定している。
力以外にも価値あるものが多くあることを知れたのだから。
このままいけば今までは強制的に起きていた変異そのものを彼女は制御できるようになるかもしれない。
「とりあえず今年も問題はないようです。
油断は禁物ですが、不安に囚われるのもよくありません」
「ありがとうございます。ルファス……何かあったら直ぐに言うのよ?」
「うん」と母の言葉にルファスは素直に頷く。
試しに己の内側に意識を向けてみるが、少しずつ体温が下がり始めている以外は何もない。
意識すれば少しだけ寒気が走り、翼が震えた。
「……少し寒くなってきたかな」
ハァァと息を吐けば微かに白くなる。
手をこすり合わせて熱を作るが足りない。
室内の温度は何も変わっていないというのにどんどん身体が冷えていく。
芯の部分から凍り付くような感覚の不快感に顔を顰めればプランが動いた。
「新しい毛布を持って来ますね」
それだけ言うとプランが背を向ける。
あれだけ待たせておいて直ぐにいなくなろうとするとは何と酷い奴だとルファスは思った。
チラリと母を盗み見る。彼女は曖昧に笑ってから目線を逸らした。
子供の様な悪戯かもしれないが、今までそんなことさえ出来なかったのだから、この時ばかりは目を瞑ろうとしている。
止めないという事はやってもいいという事だなとルファスはズルイ子供として彼女の動きを解釈した。
【エスパー】のクラスは本当に便利であった。
プランが勧めていたのも判るほどに。
念力をうまく使えば自分から離れようとする存在に手が届くのだから。
「……!」
右腕。
プルートで新しく鋳造され、彼と魂/概念レベルで融合しているソレを引っ張る。
レベル800の彼女の念力は途方もなく強く、急な事にプランは目を白黒させながらルファスを見た。
まだ彼は本当の意味で判っていないのだ。
世の中には合理的ではなく一時の感情で動く人がいるということを。
特に女が執着を抱く相手にする事は、時に余人の理解を超えることも。
男の困惑にルファスは取り合わない。
オリハルコンとフェニックスの炎で形成された義手を両手でつかむと微かに己のマナを送り込む。
すると埋め込まれた不死鳥の宝玉が僅かに輝いた後、じんわりとした熱を生み出していく。
腕に何本も入っている真っ赤な光の線が輝き僅かに炎を生成。
暖炉でくつろぐ様にルファスは手を翳して炎を利用し始めた。
世界最古の魔物の炎で彼女は暖を取っていた。
最高の贅沢を堪能しつつルファスは薄目でプランを見ている。
すっと指先で義手をなぞる。
金属質な指ざわりだったが、暖かい。
そのまま彼の生身の部位まで指を走らせて撫でた。
「ルファス?」
「毛布よりこっちのほうがいい」
ルファスは右腕を両手でがっちり握って離さない。
絶妙な握力の制御で全く痛くも何ともないが、どうやっても動かないのだ。
プランはアウラに助けを求めるような視線を送り……ただ微笑んでいる婦人の顔を見て自分は孤立無援だと悟ったらしい。
どうしたものかと悩むプランにルファスは更に追い打ちをかける。
このままだと例の動きで逃げられるかもしれないから。
心の内側にいまだにちょっとだけ残っていた恐怖を少女は吐き出す事にした。
「実は眠るのが少しだけ怖いんだ。去年が……ほら、
「……」
少女の言葉にアウラとプランの顔に苦渋が浮かぶ。
ジスモア・エノクの凶行がどれほど彼女の心に深い傷跡を残したことか。
「寝入るまででいいから、付き合ってほしい……」
完全に無防備になる瞬間は、最も信頼している人たちに囲まれていたかった。
どんな話でもいい。
いま取り組んでるポーションの事やアリエスの毛刈りの事でも、何なら天気や星の話だってかまわない。
レベル800にして世界を揺るがす力を持つルファスとアリストテレス卿が行う会話としてはつまらないが、それでも彼女にとっては何よりも欲しい事だった。
時には笑い、時にはプランの何処かズレた冗談に拗ねる。
ころころとルファスの表情は変わり、そんな娘を見てアウラは安堵していた。
うつら、うつらと瞼を重くし始めた娘の頭を撫でてやればルファスはもうちょっとだけ話したいと粘り出す。
だがしかし眠気には勝てず、やがてルファスはスースーと寝息を立て始めてしまった。
母とプランに囲まれてささやで何てこともない話をしながら少女は眠りに就くのだった。
ルファス・マファール、16歳を目前に控えた最も満ち足りた日である。
彼女の安寧とは裏腹に世界は大きく動いていた。
何処までも続く大洋の上空に何隻もの巨竜が飛行していた。
怪物が落とす影が海を真っ黒に染め、竜の放つ気配は海中の魔物たちを狂乱させながら逃げ惑わせた。
かつてミョルニルを襲った【アイガイオン】の群れという悪夢染みた光景がここにはある。
竜王の率いるミズガルズ第四帝国・アトランティス侵攻部隊は遂に完成したのだ。
そして【第四帝国】というのは人類、魔神族、アトランティスに続く第四の魔物達による帝国という意である。
このまま進めばこれは唯一の国家になるだろう。
竜から幾つもの小さな黒い点が投下される。
夏場のスコールを思わせる程に膨大な数のソレは水中戦に特化した亜人/魔物/海竜たちだ。
エロス改めトリトンに己の妻や娘を奪われた者達は嬉々とした顔で復讐の喜びに燃えていた。
彼らの平均レベルは何と450。
誰もが平均的な竜に匹敵する戦闘能力を保持している。
復讐を遂げるまでは死ねないと執念で蠍の毒を跳ねのけ、竜王の血と高い適性を勝ち取った彼らにはトリトンへの報復心しか見えていなかった。
数隻の【アイガイオン】が徐々に高度を下げていく。
ラードゥンにより特殊な改良を施されたこれらは海竜の因子を強く発露させており、水中でも活動が可能なように調整を受けていた。
そのレベルは【890】でありミョルニルを襲った個体よりも強い。
『ららら~~♪ めっがみさまぁ、あっりがとぉ~~♪
いきてるだけで、ぼくはしっあわせですーー♪』
巨竜の内部、拵えられた玉座に腰かけた“竜王”は仮面の様な顔だというのに判るほど邪悪な笑みを浮かべつつ即興の歌を口ずさんでいた。
彼はトリトンなど眼中にない。
彼が見ているのはヘルヘイムからこみあげてくる魔王の殺意と、己の平穏を乱す存在へ苛立ちを放つ邪神のみだった。
これを解決すれば後は己の領土を荒らし始めている当代の勇者に対処し、1年前に感じた奇妙な波動の件とミョルニルで自分の邪魔をしてくれた存在について検証するだけだ。
あぁ、そうそう。最近では天翼族が面白い話を持ち掛けてきたんだっけか。
その後に待つのは大団円。
ミズガルズ全土に対して彼は総攻撃を画策している。
この星の歴史が終る規模の大戦争はもうすぐそこだ。
獅子王も魔神王も吸血姫だろうと皆殺しにしてやる腹積もりだった。
何なら纏めてかかってきてくれてもいい。
最後に勝利するのは自分だとラードゥンは心から信じている。
女神を称える理想郷の完成は目前だ。
後ちょっと。ほんのちょっとだけ邪魔な奴らを掃除すれば準備は整う。
栄光の未来を夢見てラードゥンの笑みはますます深くなっていく。
彼の隣に立つハイドラスはそんな主の姿に恭しく頭を垂れている。
主の悪意の矛先がどうかこちらに向かないで下さいと祈りながら。
“魔王”
“邪神”
“竜王”
理を超えた怪物たちがぶつかり合う日は近い。
そしてまたもう一人、機会を狙っている女がいた。
【吸血姫】ベネトナシュ。
彼女はミョルニル近郊の荒野に美しい銀髪をたなびかせて佇んでいた。
彼女の周辺は幾つものクレーターが点在しており、彼方に見える山は形が歪だった。
レベル1500の力を慣らすために身体を軽く動かした結果である。
彼女は貪欲だ。たとえ与えられたモノであっても使えるものは何でも使う現実的な一面がある。
しかしそれだけではない。
ベネトナシュは今まで見向きもしなかった【スキル】の数々をもう一度最初から見直していた。
例えば威力は十分だが一日に一回しか使えない【バスターインパクト】
こんなものに頼るくらいならば100回攻撃を叩き込んだ方が早いと彼女は思っていた。
しかしラードゥンに叩き込んだ時は本来は一発だけの判定が永遠に続き竜王の肉体を内側から砕いていた。
今の彼女では再現できないが、奴が出来たのだから必ず自分もモノにしてやるとベネトナシュは決意している。
【キルムーヴ・アタック】
こそこそと影から相手を殺傷するつまらない【アサシン】の技だと思っていた。
しかし相手が自分を認識していなければ圧倒的な破壊力を齎してくれることを彼女は思い知らされた。
彼女は知っている。
特等席で見ていたのだから。
自分が一回殺すだけで精いっぱいだった竜王を翻弄し秒間100回を超える速度で処理し続けた怪物を。
まだまだある。
数百を超えるスキルを一つずつ見直し、それらのシナジーを確かめている。
戦術を練るなど弱者がやる行為だが、アリストテレスと言う怪物から見れば自分は弱者だと彼女は認めていた。
逆恨みにして八つ当たり。
アリストテレスがああしなければミョルニルも何もかも消えていた事など全て知っている。
だが、だが……許す訳にはいかなかった。
まだ激戦の末に負けたのならばよかった。
圧倒的な力でねじ伏せられたとしても受け入れよう。
だが、あいつは、あの男は……ベネトナシュを見てさえいなかった。
脳裏の裏にちらつくのは恐ろしいまでに無感情な瞳。
凍り付いた蒼い眼が彼女を見て言っているのだ。
「お前との戦いに価値などない」と。
正しく強者の在り方であった。
憎々しいが認めざるを得ない。
プランと言う男は絶対的な強者だと。
弱い方が悪い。
彼女は常にその理屈を掲げていた。
それが跳ね返ってきた時に文句を言うのは今までの勝利全てに対する裏切りでしかない。
一度は負けた。しかし私は生きている。次は勝つ。
だから強くなるために努力するのは当然だった。
「待っていろ」
犬歯をむき出しにし、恐ろしいまでに熱のこもった声を吐き出す。
生涯で初めて執着を植え付けられた少女の瞳には家族の仇だけが映っていた。
───貴様には死さえも生ぬるい。
【吸血姫】はただ一人だけを見据え続け、その時の為に鍛錬を続けるのだった。
とりあえず来週も何とか更新できそうです。
しかし仕事が多忙になった為、安定するまでは隔週更新も視野に入れてます。