ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
子羊時代だと思う今日この頃。
「めぇ~~~……」
虹色羊が柔らかなベッドの上に寝かされている。仰向けで腹を晒した状態であった。
四本の脚がピンっと空に向けて伸ばされ、カシカシと虚空を搔いていた。
そんな彼を見下ろすのはプランとカルキノスの成人男性二名であった。
ランタンの光で煌々と照らし出された両名の顔には深い影が差し、目だけが輝いている。
「では頼むよ」
「yes……ミーにお任せアレ。可憐なsheepくん……。
ユーをartに仕立てや……仕立てあげや……芸術品にしてあげましょう」
何度か言葉を噛んだ後、最終的には発音しやすい言葉に妥協したカルキノスが銀色に光る鋏とカミソリを取り出す。
よく磨き抜かれたソレらは家畜の毛刈りに使われる道具である。
クククとカルキノスが低く鋏を見て笑った。
元が蟹の魔物である彼はやはり鋏を見ると血が騒ぐのか、何処かいつもと違う笑みを浮かべている。
そんなカルキノスの顔を見てしまった羊は目じりに涙を浮かべ、部屋の片隅で自分を見守っているルファスに視線を映した。
「めぇ~~! メェェェ!!」
縋るような視線にさすがのルファスも罪悪感を覚えたのか、影の差した顔をしている。
彼女は己の無力を嘆くかの様に力なく左右に首を振り言った。
「すまぬ。これは必要なことなのだ」
神は死んだと羊は悟った。
いや元より女神のことなど欠片も信仰はしていないが、それでも何処かで己の救いを信じていた羊は己の運命を受け入れたのか脱力し、むしろ一周回って希望に輝いた瞳で男二人を見た。
「めっ゛」
───美味しく食べて下さい。ぼくのこと、無駄にしないでね。と瞳で告げる。
今から死刑執行される罪人の様な、絶望しすぎた結果のポジティブ精神であった。
大げさだなとプランは思いながら、カルキノスに目線で合図を送った。
ヒュン、ヒュン、と手の中で鋏を華麗に扱いこなすカルキノスが攻撃的な笑顔を浮かべ、カミソリが瞬いた。
ひゅっと羊が息を呑み、思わず彼は「ダ、メェェェェ」と叫ぶがそれは何の意味もない抵抗であった。
30分後、そこには見るも無残な裸体を晒すことになった虹色羊がいた。
これらの行為は何のことはない、ただの毛刈りである。
幾ら虹色羊の毛が美しいからといって、今までの生活でこびり付いた泥や汚れ、虫などがついたままでは屋敷では生活できない。
なので一回全てリセットしようとしていただけである。
このあと虹色羊を襲うのは少なくとも本羊にとっては地獄としか言いようのない拷問のフルコースである。
まずは嫌がる羊を湯あみ所に無理やり連れ込み、ぬるま湯によって責め立てる。
次に羊には到底理解できない薬液を用いて全身をくまなく擦られるだろう。
ぬるま湯の地獄を乗り込えて弱弱しくなった羊を次に襲うのは、干したての柔らかい布である。
全身をごしごしと擦られ、羊毛という防御壁を失った地肌をダイレクトに攻撃されるのだ。
更には念入りに魔法で作られた熱風で全身を炙られるという狂気的な行為もついてくる。
全ての水分を飛ばされ、何もかもを奪われ蹂躙された羊に与えられた見返りは野草や花などという人では到底食べられない草花でしかない。
無力極まりない羊は唯一の抵抗として絶対に草花を食べるものかと決意していた。
こんなおいしそうなモノを出されても、僕は絶対にルファス様以外には媚びたりしないぞ、と彼は決意したのだ。
「メエェェェ………ラメェェェ………」
「ひ、ど……すぎる……人の心がっ……っ……ない、所行だ、な……っっ」
しくしくと涙を流しながら虹色羊はルファスの足元から離れようとしない。
プランとカルキノスが近寄ろうとすれば、直ぐにルファスの影に隠れて涙を浮かべた顔で睨みつけるだけである。
男たちの余りにひどすぎる所行に主たる彼女でさえ口元を手で覆って微かに震えることしか出来ないのだ。
「自分たちが上げても食べないな、これは……」
「う~ん? どうしてこんなにcautionなのでしょうね?
ミーのカミソリ捌きは正にProfessional! な出来栄えのハズなのですが」
自慢げに語るカルキノスであるが、彼の言葉に偽りは一切ない。
深剃りはともかく剃り残しも一切なし。それでいて肌荒れも全くない。
彼は言動はともかく実力は本物である故に、完璧な仕上がりというのは本当だ。
料理人に美容師。
仮にカルキノスがプランに出会わなければ少なくともこの二つの職で安定した生活を送れる位に多才なのだ。
何はともあれ食事を取らないというのは問題だとプランは頭を捻る。
警戒心の強い野生の魔物……虹色羊を果たして魔物に分類してよいかは疑問だが、ともかく野生の生物の扱いにあまり彼は詳しくはない。
本来ならば【モンスターテイマー】が捕獲した魔物はそういった躾などは必要ないのだから、これは当然の悩みと言えた。
「ほーら、美味しい野菜だよ? 出ておいでー?」
高音の作った猫撫で声で屈みながら羊に近寄る。
手にした青野菜とニンジンを見せびらかしながら羊の口元に近づけるが……。
「ぺっ!」
「…………」
虹色羊の唯一の抵抗手段である唾とばしを顔面に受けたプランは懐から取り出したハンカチで顔を拭ってから腕を組んで頷いた。
ディノレックスたちでさえ出来なかった事を虹色羊は成し遂げたのだ。
「自分ではダメみたいだ……」
「そ、う、だな……っっ……ぷっ……顔に……よくやった、我が、羊よ……」
プランと羊のやり取りを見ていたルファスは腕を組み、下唇をぎゅっと噛み締めながら感想を口にした。
漏れ出そうになる感情を抑える彼女の身体はプルプルと小刻みに震えており、翼はバサバサと上下の運動を繰り返し続けていた。
彼女が楽しそうで何よりだと満足しながらプランは野菜をルファスに手渡す。
「自分やカルキノスじゃ食べてくれないだろうからね。食べさせてあげてくれないか?」
餌やりはお世話の第一歩だぞ、と続ければ彼女はしばらく手に持ったニンジンを見つめだす。
とてつもない気迫ある顔だった。戦争を目前に控えた戦士の様である。
大きく深呼吸してからルファスは膝をつき、目線を羊に合わせてからニンジンを差し出した。
じっと虹色羊とルファスが見つめ合う。
ちらちらと羊はプランたちを見やる。
食べている間にまた捕まえられて、酷いことをされないか心配なのかもしれない。
そんな羊にルファスは言い聞かせるように喋りかけた。
「大丈夫だ。もう酷い事は起きない。
……共に強くなると約束しただろう? しっかり食べて頑丈な体を作るのはその第一歩だぞ」
少女の真っ赤な瞳を暫し覗き込んでから羊は意を決したのかニンジンに噛り付いた。
ポリ、ポリ、という音と共に咀嚼する。
一昔前のルファスと同じように今まで碌なモノを食べた事のなかった羊は、ニンジンの仄かな甘味に涙を零しながら喜びの声を上げた。
「メェエェ………」
「まだまだあるぞ、まずは腹を満たしてから……あー……」
次の予定を言い聞かせようとして、自分はまだ何も知らされてない事をルファスは自覚した。
どうすればよいかとプランを見る。
男は一瞬だけ考えてから言った。
「まずは普通の羊に見えるように服を用意するよ。それを着せたら散歩に連れて行ってあげるといい」
リュケイオンの街をゆっくりと見て回っておいでと言えばルファスは頷いた。
「だ、そうだ」
メェッっと羊が頷く。
やはりというべきか、この虹色羊は自分たちの言葉を完全に理解しているな、とプランは改めて確認した。
外見こそ輝く羊だが、内面的な思考能力はもしかしたら人類種と同等のものがあるかもしれない。
人と同等の知性があり、悲しみに涙を流す心がある。
ならばそれはもう、隣人と呼んでも差し支えはないだろう。
だとすれば、そんな“隣人”には相応しい名前が必要だ。
いつまでも羊くんや、虹色羊と呼び続けるのもそろそろ飽きてきた頃だ。
ルファスもそろそろ考えがまとまった頃かもしれないと当たりをつけてからプランは彼女に聞いた。
「ところで、その子の名前は決まったかい?」
「……貴方から貰った本に書いてあった星座から名前を取ろうと思っている」
彼女は二人で星を見た夜を思い出す。
少女はあの時にやってしまった己の子供の様な立ち振る舞いを思い出してしまい、顔を僅かに赤く染めながら言う。
まるで親子の様に星や星座の名前をプランに質問し続けた例の夜は彼女にとっては恥ずかしい思い出なのだ。
ありえないしあってはいけないのだ。
あんな事は。
自分に父親などいない。
自分には母しか肉親はいない。
目の前の男はいつか殺すべき敵、何度か己の心に言い聞かせてからルファスはプランの言葉に答えた。
「“アリエス”と名付けようと思っている。牡羊座の名称の一つだ」
「いい名前だと思う。“アリエス”……うん、しっくり来る」
プランが微笑めば、ルファスは「またそれか」といいそうになるのを堪えた。
この男は基本ルファスのやることを否定しない。
注意することはあれど、頭ごなしに否定することだけはない。
今まで己という存在そのものを否定され続けて生きてきたルファスにとって、そんなプランの態度はちょっとだけ嬉しいものであった。
本当にちょっとだけだ。ほんの少しだ。
ルファスはしゃがみ込み、羊の顔を見つめながら言い聞かせる。
殆どの毛を刈り落されたというのに、地肌だけの状態でも虹色羊は薄く発光しており、近くで見てもキレイと思えるものだった。
クリクリとした目の中に映った己の顔を見ながらルファスは言った。
「今からお前の名前はアリエスだ。十二の星座の一角、牡羊座を意味する名称だな」
「……メェ?」
名前を与えられた羊……アリエスは頭をひねる動作をした。
個体名をつけられた事までは理解できたようだが、星座という概念を彼は知らないらしい。
まぁいい、長い付き合いになるのは確かなのだから、おいおいそういうことを知っていけばいいと彼女は割り切った。
「出来るだけ早くアリエスには正体を隠すための魔法のアイテムを与えるつもりだ。
それまではリュケイオンの外に連れ出すのはやめておくんだ。
恐竜の一件で判ったと思うけど、虹色羊は本当に色々な存在から狙われるからね」
近い内に虹色羊の正確な価値についても授業を行う予定だよと続けるプランにルファスは頷く。
母とプランがとてつもなく気を張っていることを彼女は感づいていた。
彼女はプランが嫌いで仕方ないが、さすがに己が無理を押し通したという自覚もあるため、アリエス関連の話題ではプランのいう事を出来るだけ守るつもりだった。
従者の女性が部屋に入ってくる。彼女はアリエスの為に用意された服をプランに渡して退出する。
ピンクと白のストライプ模様が特徴的なシャツだった。
ソレを受け取ったルファスは試行錯誤しながらアリエスに着せてやる。
次に首輪を装着し、リードの長さを調整したルファスはプランに「行ってくる」と告げると弾むような足取りで部屋を後にする。
プランは途中から腕を組み、じっと気配を消していたカルキノスに目線を向けた。
彼は「もういい?」と目だけでプランに口を開いていいか聞いてきたので、頷いてやる。
「……いい流れが来てますね。
ミーの見た所、レディのハートもDefrostの兆しが見えてきたような……。
いや、やっぱりまだまだの様な……」
「一気に進められる話題じゃないからね。まだまだ先は長いさ……ところで」
「YES。判っておりますとも。
今後はよりいっそうレディをWatch overしてほしいと言いたいのでしょう?」
勿論、心得ていますともとカルキノスが笑った。
彼は自分を守る事は得意だが、美しい女性を守るのはもっと得意な蟹だ。
ルファスを追って退出するカルキノスを横目にプランはディノレックスの素材を売り払って手に入るだろう収益や
研究用に解体した恐竜の研究データを纏める為に真新しい紙とペンを取り出した。
慰霊祭に、ディノレックスの残党が残っていないかの確認、付近の街の商人たちとの交渉……領主はやる事がいっぱいあるのだ。
アリエスを連れてルファスはリュケイオンの街中を散歩していた。
この街に連れてこられてもう間もなく半年ほどが経過しようとしているが、こうやって気ままに街を散策することは今までなかったなとルファスは思った。
もうそろそろ慰霊祭が近づいてきているのもあり、せわしなく多くの人が道を行き交っている。
“道”といえば聞こえはいいが、そこまでしっかりした作りのものではない。
大地を魔法で塗り固めて雑草や石ころを排除した程度の出来のものだ。
何人もの人や馬や、馬車、牛などが通った結果、色々な所にひび割れが発生しておりまるで干上がった川底のようになっている。
もう少し経てば恐らくまた魔法を使用しての舗装作業が始まるかもしれない。
ルファスはそんな道の端っこをアリエスと共に散歩していた。
空は至って快晴。雲一つない美しい青空だった。
照りつける太陽の熱を黒い翼が吸収してしまい、少しだけ暑かった。
やはりリュケイオンは活気のある街であった。
誰もが必死に生きているといってもいい。
悲劇の多いミズガルズの中であっても、大切なものを理不尽に奪われてもなお、前へと進もうとする意志がここにはあった。
祭りの準備が順調に進んでいく光景をルファスは眺める。
半年もここで生活していれば、余り屋敷の敷地の外に出なかろうと嫌でも人の顔は覚える。
元より彼女は人の顔を忘れない方でもある。
ヴァナヘイムで自分を虐めた者たちの顔は今でもはっきりと覚えている。
いずれ報いを与えてやるリストである。
いつか強くなったら、自分と母の苦痛を数百倍にして返してやるという思いは欠片も薄れていない。
それはそうとルファスは足を止めて何人かに気づかれないように視線を向ける。
幾人か気になる人達がいたのだ。
アリエスを拾った日、森に出かける前に見かけた者らだ。
脳裏をよぎったのは自分に向けられた訳でもないのに、何故か心を揺さぶられた言葉の数々。
あいつらはプランに感情をぶつけていた者達である。
己の子を奪われた悲しみのはけ口として彼を利用した“弱い”奴らであった。
ぎゅっと唇を強く結ぶ。
アリエスの手綱を握る力が強くなった。
主の怒りを感じたのかアリエスが微かに震え、ルファスを見上げた。
「…………」
10歳とはいえ、世間いっぱんの子供らとは全く違う人生を送ってきた彼女である。
この場で怒りを撒き散らすような事はしない。
いつもの通り無表情を貫く。彼女の真っ赤な瞳は燃え上がるように輝いた。
「?」
しかし、視線を向けていた者らが気づいた。
夫婦で、年齢は二十代の半ばといったところか。
なにか妙な圧を感じたのだろう。
もしかしたら無意識に天翼族の種族スキルである【威圧】を使ってしまったのかもしれない。
彼と彼女は周囲を見渡し、直ぐにルファスに気が付けば……笑顔を浮かべた。
作業をしていた手を止めて少女の下へと歩み寄る。
「君は領主様の所の……マファールちゃん、だったね?」
「うん」
簡潔にルファスは答える。低い声で、硬い口調であった。
自分でも疑問に思う程に強い警戒心と猜疑心が吹き上がっていた。
何もされていないというのに、彼女は無意識にこの者らを半ば“敵”として認識し始めていた。
そんなルファスの様子に夫婦は気づかない。
一緒の空間にいるだけで胸の奥がイライラする少女は、そんな自分の怒りをかき消すために必死に話題を探す。
結果として彼女の目に留まったのは夫婦が手に持つ彫りかけの人形であった。
「それは、何?」
ルファスが人形を指させば、夫婦はソレを愛おしむ様に一撫でしてから言った。
「これは慰霊祭に使うための人形で……
「……あの子?」
緊張しながらルファスは聞いた。
脳裏にあの夜にみた哀れな天翼族の顔がよぎった。
自分の中にあった怒りが急速に萎み、代わりに緊張が湧いてきたのを彼女は感じた。
そんな彼女の胸中を察しているのかどうかは判らないが、妻は微笑みながら言う。
「そうよ。人形をあの子に見立てて、飾りつけるの」
女は慰霊祭の内容をルファスに説明していく。
犠牲になった子らの名前を彫った人形を壇に飾り付け、祈りを捧げ、宴会を開いた後……全てを荼毘に伏すという内容だった。
これはけじめをつける儀式なのだと彼女は言った。
「“けじめ”……」
受け入れちゃうのか、と彼女は心の中で続けた。
子を理不尽に奪われ、もう二度と出会えないという現実を嘆いた結果があの理不尽な糾弾だったじゃないかと少女は思った。
そんな簡単に切り捨てられるのならば、なぜプランにあんな事を言ったのか彼女は判らなかった。
最初からそんな事が出来るのならばどうしてあんな無駄な事をしたのだと。
顔を無意識に顰めるルファスに男が言った。
彼は自虐するように笑いながら、膝をつきルファスに目線を合わせた。
「あの時は見苦しいモノを見せてしまったね。君が怒るのも無理はないと思う」
瞬間、ルファスは頭の中が真っ白になった。
何もかも知られていたと彼女は悟った。
簡単な話である。此方から見えていたのだから、向こうからも見えているというだけの話だ。
男の謝罪にルファスの口は勝手に動いた。
謝る相手が違うと彼女は叫びたかったが、出てきたのは憎悪とも呼べない子供の駄々のような言葉だった。
プランが頭を下げる光景を思い返すたびに彼女は理解できない苛立ちに襲われるのだ。
「貴方達は何もしなかったのに……!」
言ってはいけない言葉を発してしまったと彼女は察したが、男は彼女の言葉を肯定するように頷いた。
曖昧に、様々な感情を孕んだ笑みを浮かべて男女は言った。
ポケットをまさぐり、飴玉を取り出してルファスに渡す。
この飴玉が本当は誰のものになる筈だったか、彼女は察してしまった。
「お母さんを大切にするんだよ?」
「領主様によろしくね」
それだけを言うと踵を返し夫婦はいってしまう。
椅子に座り、黙々と人形を彫り始めた二人を見てルファスは何とも言えない気持ちになった。
足元にいたアリエスが顔を傾げていた。
彼は何も知らないのだ。
ルファスは唇を噛み締めながらその場を後にする。
やはり胸の中のもやもやは収まりそうになかった。
どうして皆、理不尽をそういうものだと受け止めているのか、彼女には判らなかった。
ただ一回、祭りを行った程度で収まりがつくわけないとルファスは思ってしまうのだ。
きっと、みんな、何処かで諦めてしまっているのかもしれないと彼女は考えた。
“子隠し”もそうだが、ミズガルズにはあらゆる理不尽と不条理と暴虐が闊歩している。
それらの齎す災禍をただ受け止めて、涙を流し、やがては無理やり自分を納得させて先に進む。
先に進むという言葉で美しく誤魔化しているだけで結局の所は
みんな、みんな、
自分の無力さを哀れみ、理不尽を跳ね返そうという向上心さえ持てないのだと。
私は違うと彼女は胸中で何度も繰り返した。
私は諦めない。
私は強くなる。
私は理不尽なんて受け入れない。
私は……。
本当にリュケイオンという街は意味不明だとルファスは散策しながら思い続けていた。
誰も彼もが自分の様な赤の他人であり、愛想も全くない子供に妙な世話を焼き続けてくる。
「マファールちゃん! ちょうどいいところに来た!」
まず最初に声をかけてきたのは肉屋の男であった。
串焼き肉などを売っている姿をルファスは何度か見かけていた。
中年で恰幅のいい体格をし、カルキノスの様に全身を程よく日焼けさせた男性だ。
彼はルファスがカルキノスとリュケイオンの街を見て回った時、肉との相性が良いハーブを渡した人物である。
肉屋の目利きというのもあり、あのハーブを使った料理は母にも好評であったことを彼女は覚えている。
そんな肉屋の男は今は見たこともない程に巨大な骨付きの肉を長槍の如き金属の串にさした上で、それを火で炙りながらぐるぐると回していた。
初めて見る種類の肉にかなり興味があるらしく、滅多な事では手に入らないソレを楽しそうに調理していた。
アレが何の肉なのかルファスは知っていた。
弱肉強食とはよく出来た言葉だなと彼女は思った。
自分たちを食べに来たディノレックスであるが、今ではリュケイオンの街の経済を潤わせる資材として活用されているのだから。
「近くに“恐竜”が出たらしくてな!
領主様が倒したソレを持ち帰ってきたんだが……まぁ、一本食ってみてくれ!」
男は鉈の様な包丁で肉の表面を荒々しく削り落とした後、ソレに少しばかりの塩と胡椒を振りかけて小さな串に刺す。
じゅわぁ、という濃厚な肉と胡椒の匂いを漂わせたソレをルファスに差し出した。
スン、スン、とアリエスが鼻を鳴らすが、彼は草食の生物なので直ぐに興味を無くしたようだった。
「お金なんて持ってないぞ?」
「そんなものいらないさ。
怖い思いをしたんだから、これくらいの得はあって当然だろう?」
怪訝な顔をする少女に男は豪快に笑いながら言う。
ある程度の状況をどうやら彼は知っているらしく、森で遊んでいたルファスがディノレックスに襲われたと思っているらしい。
虹色羊の件は完全に伏せられているため、この認識は当然のものであった。
ここで下手に反論してアリエスの件にまで話が及ぶのを嫌ったルファスはおとなしく肉を受け取った。
見た目よりもずっしりとした重量感のある肉を彼女はまじまじと見つめた。
たら、たら、と脂が溶けて零れ落ちており……とてつもなく美味しそうだ。
ヴァナヘイムに居た頃にはこんなモノを食べられる日が来るとは思いもよらなかった。
高価な肉や酒などを父が楽しんでいた事を遠目に眺めるだけで自分が食べられる訳もない日々だった。
小さな口を精一杯に開いてルファスは噛り付いた。
「……はむっ……んっっ! んんっ!?」
しかし彼女は少しばかり焼きたての串焼き肉というものを侮っていたのかもしれない。
美味しいのは美味しいが、彼女を出迎えたのは盛大に飛び散った熱々の油であった。
旨みを宿しながらもはじける程の熱量を盛ったソレが口内を蹂躙し、真っ赤な瞳が大きく見開かれた。
「ん゛ん゛んっ!! ん゛ん゛───~~──!!」
肩から背中へと向けて震えが伝わり、翼が何度も何度も虚空を仰いだ。
じわっと目じりに涙を浮かばせながらも彼女は決して肉を吐き出そうとはしなかった。
「おいおいおい! 一回吐き出して、水を飲んだほうが……」
慌ててコップに水を注ごうとする男をルファスは片手で制し、強い意思の籠った瞳で睨みつけた。
余計な事をするな、私は負けていないぞ、と目線だけで訴える。
私は負けていない。負けていない。こんな熱い肉に負けるわけがない。
絶対に、負けていない、断じてだ、と彼女は何度も自分に言い聞かせる。
悲鳴を上げる舌と口内の皮膚を精神力で黙らせつつルファスは肉片を飲み込んだ。
「ぷはっ……手ごわい奴だった……」
強敵との戦いを無事に終えたルファスは男からコップを受け取り、ひりつく舌を真水に漬けながら零した。
そんな彼女の可愛らしい……否、立派な……違う、勝利者としての堂々とした姿に男が手を叩いて喝采を浴びせる。
「すげえな! 何だかよくわかんねえが、とにかくマファールちゃんが勝ったってのは判るぜ」
「当然だ。全身に油を浴びせられた時に比べればこの程度、熱い内にも入らん」
小さな胸を張って宣言するルファスに男の顔が一瞬だけ曇ったが、彼はソレを少女に悟らせない様に瞬時に取り繕った。
リュケイオンという閉じたコミュニティで生活しているとはいえ、多くの民たちはルファスの黒い翼を見て、
あの温厚なピオス司祭が激昂した所を多くの民たちは目撃しており、噂というものはあっという間に広がるものなのだ。
周囲の人々は彼女に気取られない様にルファスを見た。
ヴァナヘイムでもよくあった行為であったが、そこに込められた感情は真逆だった。
ここで彼女の現状の特徴をまとめてみようか。
可愛らしい金髪の少女。
真っ赤でキラキラと輝く強い意思の宿った瞳。
特徴的であるが美しいともとれる黒い翼。
母親が大好きで、背伸びしたような口調で喋るいじらしさ。
必死に強くなろうと努力するひたむきさ。
人気にならないわけがなかった。
多くの子を弔う慰霊祭というどうしても気分が落ち込んでしまう催しを控えた中、人々は少女に安らぎを見出したのだ。
群衆は視線を向け合い一瞬で意思疎通を行う。これも一種の【一致団結】なのかもしれない。
彼らの思考を文章にすればこうなるだろう。
議論する大多数が男性なのは……まぁ、仕方ないだろう。
“誰が最初に声をかける?”
“あまり構いすぎてもへそが曲がっちゃうぜ?”
“俺が行こうか? 今日はとっておきの魚を持ってきたんだ”
“貴方3日前に話したばっかりでしょう!”
“頭……撫でたいな”
“やめておいた方がいいですよ。レディはMother以外に触られると噛みつく勢いでangerしますので!”
“あの翼の生え際ってどうなってるんだろうな?”
“実はミーもまだ見てないんですよ”
人々は互いにけん制し合い、誰が次にルファスと接するかの順番をかけて熱いしのぎ合いを行っていた。
少女の気難しさを考えるに、残りは後一人か二人という共通認識のもと遂にピチピチ跳ねまわる魚を抱きしめた男が動き出そうとした瞬間、威勢のよい女性の声が響いた。
それは野菜農家の女性であった。彼女は多くの子供たちを引き連れていた。
教会でピオス司祭のお祈りに参加していた子供たちを遊びに連れていく途中なのだ。
「ルファスちゃんじゃないの! 可愛らしい羊ちゃんまで連れちゃって……」
彼女は恰幅のよい中年の女性だった。
農家という職業柄、全身を日焼している彼女はカラカラと笑いながらルファスに堂々とした足取りで近づいて行った。
思わぬ乱入者に魚の男は己の敗北を悟り、肩を落として回れ右をする。
そんな彼の肩をいつの間にか周囲に溶け込んでいた蟹が叩いていた。
「おねえちゃんだ! こんにちは!!」
「おねえちゃん、おねえちゃん! きょうも おいのりしてきたんだ!」
「きょうもかっこいい翼だー!」
「またお空につれてってー!」
「うおぉすげえ! ひつじだー!」
わらわら、ぎゃーぎゃー。きゃーきゃー。という擬音と共に子供たちが一斉にルファスに群がった。
少年、少女たちは皆がみんな、ルファスよりも大きい子はいなかった。
親たちが慰霊祭の準備やディノレックスの解体、研究、商談の為に隣の交易都市への出張などを行っている為、教会に預けられた子供たちである。
もう“子隠し”は存在しないと断言されているが、それでも家に一人で残すのは怖いという思いがまだ多くの人々に残っていた結果であった。
幼子に一斉に群がられた少女は一瞬だけ硬直する。
翼が緊張で震えた。
ヴァナヘイムで己の事を苦しめた者らと眼前の子らの姿が重なり、怒りが再燃するが……。
「ヤメェェエ……」
アリエスの鳴き声に我を取り戻す。
彼もまた子供たちに群がられ、様々な個所を触りまわされて困った顔を浮かべていた。
少しだけ落ち着いて周囲を見渡せば、いつのまにかカルキノスが民家の壁に寄りかかって此方を見つめていた。
ルファスの視線に気づいた彼は笑顔で軽く手を振った。
むっとした感情を少女は覚える。
あいつ……自分が何か問題を起こさないか気になって見に来たなと彼女は考えた。
むんっと彼女は不機嫌な顔をした。
まるで手のかかる子供の様な扱いをされているみたいで不快であった。
己は確かに身体こそは子供だが、内面は成熟した大人であると自負している彼女は余裕を持つことにした。
もうヴァナヘイムで一方的にいじめられていた弱い自分ではない。
プランとの訓練で培った技術と、20まで上がったレベルが彼女に余裕と自信を与えた。
仮に故郷の時の様に油をかけてこようとしたらその時は返り討ちにしてやればいいと彼女は考えた。
大きく翼と腕を広げ、彼女は子供たちのやかましい声をかき消す程に張り上げた。
自信に満ちた笑みを張り付け、傍らには最初の部下であるアリエスを従えた彼女は大きく宣言した。
「仕方ない! 少しだけ付き合ってやる!!
だからまずは一回落ち着け! いきなり抱き着くな!
空を飛ぶアレは結構疲れるから、今日は三人までとする!!」
少しだけ冷めた串焼き肉を丸ごと頬張り、堂々とした様子で叫ぶ。
子供たちが王に熱狂する様に叫ぶさまを見ながら彼女は順調だと内心でほくそ笑んだ。
いつかこんな少人数の子供たちだけじゃない、世界中の人間を前に支配の言を飛ばす巨大な存在になってやると少女は野心を滾らせていた。
「立派だねぇ……そんな女王さまにはコレを捧げるとしますか。お母さんにもよろしくね」
「…………判った」
とりあえず子供たちの相手をする前に一度屋敷に戻って、貰った野菜の詰め合わせを母に渡そうと彼女は決意した。
アリエスに擬人化予定は今の所ありません。
彼は子羊時代が一番かわいいのです(鋼の意思)