ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
恭しく跪こうとするプランを前に子供はひらひらと手を振った。
「気楽にして構わん。お忍びで来たのだからそう身構えられても息苦しいだけだ」
童───ロードスは木製の小さな椅子を引っ張るとその上にぴょんっと飛び乗り、足をぷらぷら揺らしながら言う。
本当に子供の様な動作だが彼の実年齢は噂によれば7000歳にも及ぶという。
ミョルニルの吸血鬼ロイに次ぐ年齢の持ち主なのが彼だ。
「自己紹介……は面倒だな。キミたち、そういうの得意だったはずだったと記憶しているが?」
トントンと杖の表面を指で叩きながらロードスは頭を傾げた。
どうやればそこまで長く伸ばせるのか疑問に思う程に長い髪の毛が揺れていた。
「ほら、やってみるんだ」とロードスは急かした。
そしてエルフの王にそう言われてしまえばプランは断る事などできはしない。
「……では」
プランは頷きルファスに目線を向けた。
ベッドの上にペタンと座った少女は未だに警戒の混ざった瞳をロードスに向けている。
彼女はチラ、チラとプランを見つつ翼をささくれ立たせいつでも浮力を発生させられるように身構えている。
どうにも彼女は不機嫌らしい。
いきなり会話に乱入され、部屋に潜り込まれればこうなるのも無理はないかもしれない。
元来の性質として排他的な所のあるルファスにとって、自室を侵されるというのはかなり嫌な事なのだ。
「…………」
真っ赤な瞳は細く研ぎ澄まされており全力の注視をロードスに注いでいる。
エルフの王、プランを治すための鍵を握る存在を測る様に。
「此方の方はエルフの王、ロードス陛下となる」
「如何にも。余がロードスである」
合いの手を入れたロードスが「偉いんだぞ」と胸を張るがやはりどう見ても子供が背伸びしているようにしか見えない。
草臥れた老人の様な声音と子供の如き仕草がどうにもチグハグであった。
「エルフたちは数多くの氏族に別れてはいるのだけど、ロードス陛下は特定の氏族から輩出されたわけではないんだ」
「そして陛下が戴冠なされた時のエルフたちはその数を最も減らし、絶滅を危惧されるような事態だった」
「さて、ここで問題としようか。
ロードス陛下は7000年前から生きてらっしゃる。当時、何があったか判るかい?」
7000年前という単語にルファスは頭を回す。
腕を組みうーんっと唸ると彼女の頭脳は直ぐに一つの光景を引っ張り出してきた。
脳裏に焼き付いた事が一つあるではないか、と。
あれはたしか、プルートの地下でガザドに秘密の坑道を案内された時だった。
「……ぁ」
──自分たちが今いるのはプルートよりも更に地下500メートルといったところなんだ。
──ここらへんの地層からは色々な土器や武器の類が発掘されることで有名でね。
──年代的に言えば……大体7000年前ってところだな。
──“エンペラーバーサクスコーピオン” 推定されるレベルは900。
──蠍の魔物は多くいるけど、こいつがそれらの頂点と呼ばれている存在になるね。
一つ思い出せば後は芋づる式だった。
国一つ分の死の瞬間を焼き付けたような亡骸の数々。
数千の年月が経とうと未だに崩れ落ちない威容。
奇しくもあの時見上げた蠍と今の自分は同じレベル900であった。
数年前は恐れた領域に居ると思うと不思議な感慨があった。
「“エンペラーバーサクスコーピオン”が暴れ回った時代?」
「正解! そう、当時のミズガルズはあの蠍の影響で深刻な被害を受けていたんだ」
毒の皇帝とも称される巨大蠍はミズガルズが繁栄しすぎると現れるという。
7000年前の詳細はさすがのアリストテレスであっても知らないが、きっとマルクトに比する都市が世界各地に作られる程に文明が発達していたのだろう。
そのままいけば当時の名前は違うが今でいう魔神族との戦争にも打ち勝ち、宇宙にだって手が届いたのかもしれない。
しかし世界はそれを許さない。
余りに過度に発展した文明が現れれば世界は必ずその驕りを正そうとする。
まるで独り立ちしようとする子供の足を折るかの様に。
何時だってそうだ。
あの女は自分の足で歩く者が好きだと言いつつ、その独立を決して許そうとはしない。
…………。
見事数年前の記憶を瞬く間に掘り返して正解を当てて見せたルファスにプランが何時もの焼き菓子を渡そうとすると、前もって見越していたかの様にルファスは手を差し出した。
もはや彼女の中でこれは恒例の「いつもの事」となっており、むしろこうしない方が落ち着かないまであるのだ。
「貰う」
何かを言う前に報酬を要求してきたルファスにプランは微笑みながら何時もの焼き菓子を渡す。
一口で彼女はソレを口に放り込むとシャリシャリと味わいだした。
ロードスはその様を翡翠色の瞳を鈍く輝かせながら見つめている。
すると彼は小動物の様な身軽さで椅子から飛び降りる。
少年王は髪の毛をズルズルと引きずりながらプランに歩み寄ると小さな掌を差し出す。
「余も貰おうか」
本当にこの子供は王なのか? とルファスが視線に疑惑を混ぜ始めるがロードスはそんな事は気にも留めていない様子だ。
ルファスと同じ焼き菓子を貰うとシゲシゲ眺め、ぱくりとかぶりつく。
シャクシャクシャクシャクと高速で咀嚼する様はげっ歯類を思わせた。
「蠍の毒によってエルフも当然大打撃を受けた。
どうやら“人類”をターゲットにしていたらしい毒は7種の人類全てに平等に感染してたみたい」
「酷い有様であった。我が子らも一時はその数を200まで減らしたものだ」
菓子を食べた後は茶が飲みたくなったのだろう。
彼は何処からか取り出した茶葉とポッドを用いて魔法でお湯を生成し、茶を淹れながら過去を懐かしむ様に述べた。
「200っ……」
200人。
種としてはほぼ絶滅したような数字を出されてルファスはどれほどの惨事が起きたかを想像してしまい翼で身を包む。
あの蠍と彼女は同じレベル900。
つまり理屈の上では自分も同じことが出来るということだ。
自分のもっている力の巨大さとそこに付与する責任を彼女は感じてしまった。
「このままではエルフは絶滅するという所に陛下が
「降臨……? 誕生ではなく?」
プランのささいな言い回しにも当然ルファスは気が付く。
そもそもの前提としてエルフの数は200まで減っているというのがある。
話を聞く限り惑星規模の大災厄の後で全種族は疲弊しており、子供の出産率さえ下がっていただろう。
エルフや天翼族、吸血鬼という長寿の種族は大前提として子供が生まれにくいというのがある。
強力な魔物が早々に数を増やせない様にこれらの種は生殖能力があまり高くないのだ。
でなければ今頃ミズガルズはこの三種であふれかえっていただろう。
「余に父と母は存在せん。
あえて言うならばこの森と、それらを司る天の意思というものであろうか」
ズズズと茶を味わいながらロードスは当然のように言う。
ルファスをしていつの間に淹れたんだという早業である。
「飲むか?」
ずいっと湯のみを突き出されてルファスは戸惑いながらプランを見てから湯呑に視線を戻す。
本心としては気を許せない奴の淹れた何が入ってるか判らない茶など飲みたくはないが、プランの面子を考えると飲むべきだろう。
「貰います……」
渋々と言った様子でルファスは茶を受け取る。
味は普通に美味しかった。
「女神さまによる天の助力というべきかな。
エルフの滅亡は目に見えていたからアロヴィナス神はそれを救う御子として陛下を創造なされたのだろう」
プランは語りながら目線を足元に、大地に、更にその下に向ける。
この大地の奥底で眠りに就く龍から生えた大樹たち、それの生み出した妖精こそがロードスの正体だと内心で続けた。
つまるところロードスは光の妖精姫ポルクス/その兄であるカストールの親戚だ。
木龍直々の化身ではないが、限りなく近い存在といえよう。
で、あるならばレベル700という領域であるのも納得の話だ。
「そんなところだ。
後は色々あって余と我が子らは力を合わせてエルフを復興したというわけだな」
今のエルフの総数はざっと10万人で、氏族の数は7つ。
これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだが、彼は200人からそこまで立て直したのだ。
7000年の成果と見れば少なく見えるかもしれないが、エルフは何もなければ天翼族と同じ程に生きる事を忘れてはいけない。
「色々……いいんだ、それは」
ルファスは呆れたような顔をした。
7000年分の歴史を一言で片づける所はさすがというべきかもしれない。
「さて、余の身の上はこの程度でいいだろう」
湯のみをテーブルの上に置いてからロードスは透き通りすぎる程に透明感ある翡翠色の瞳を二人に向けた。
エルフの王である彼がわざわざお忍びでここまで来たのだ。
当然、無駄話を……まぁ、多少は楽しむだろうが、それだけではない。
「明日の昼、其方たちは余の居城に招かれる事となる。
謁見の際の段取りと我々の現状についての確認を行うために此度は訪れた」
「お心遣い、誠に感謝いたします陛下」
深々とお辞儀するプランにつられてルファスも頭を下げる。
決して「ただ遊びに来たんじゃないんだ」と見直したわけではない。
知ってたとも……最初から、もちろん。
「ところで、ルファス・マファール」
プラン、ルファス、ロードスによる非公式の会合は月が傾き始めるころにようやく終わりの兆しを見せつつある。
そんな頃合いにふとロードスはルファスに話を振った。
今まで必要な時以外は置物の様に黙っていたルファスは疲労の色を少しだけ見せた顔つきでロードスを見た。
ルファスがこうなってしまう程に三者の会談は思っていたよりも長引いたのだ。
延々と二人の間で政治的な駆け引きや社交辞令が飛び交うのを見聞きしていた少女は自分には出来る事は無いと判断し気配を消した上で二人の会話を全て暗記していた。
手元にちょうどいいメモはなかったが、それでもルファスは書記の役割を担っていた。
もしも後日書類の作成を求められたら一言一句完全に書き写せる自信が彼女にはあった。
無駄な事かもしれないが何もせずぼーっとしてるよりはマシだ。
それにプランとエルフの王の会話はとてつもない情報のやり取りがあった。
……元の用事であった段取りを決めるのは直ぐに終わった。
最初からプランはエルフ達の抱える問題───ウルズの泉に起きた異変の調査と解決を目的にしていたのだから。
その件を中心に謁見の会話を続け、最後は儀礼的な動作を行って終わりであると。
その後も二人の会話は続く。
亜人たちのこと。
人類共同体のこと。
経済のこと。
ミョルニルのことやらクラウン帝国の事。
原初の魔物であるフェニックスの死を改めて知らされた時、ロードスの顔には少しだけ影が差したのをルファスは見ていた。
7000年も生きていればまだあそこまでボケていなかった頃の不死鳥と交友があったのかもしれない。
そして問題が一つ起きる。
「ウルズの泉が宿す力を失いつつある」
この話を聞いたルファスが普段ならば考えられない無様を晒してしまった。
ロードスという部外者がいるにもかかわらず、絶望に満ちた瞳でルファスは思い切り絶句の顔を見せてしまった。
ようやく見えた希望が手元から消え去りかけているという衝撃は彼女の心を強く揺らしヒビを入れたのかもしれない。
数秒間の硬直の後、自分がどれほど大きな失態を犯してしまったか悟ったルファスは謝罪しながら元の無表情に戻り……そんな彼女の様をロードスはずっと覚えていた。
プランとの王としての会合を終えた彼は次はロードス個人として興味を持った存在であるルファスを探る事にしたのだ。
好奇心が彼の中にはある。
いわば彼は大人になったメグレズの様な存在であった。
「何用でしょうか?」
微かに胸が跳ねたのを隠しつつルファスは敬語で受け応える。
エメラルドの様な瞳を少女のルビーの如き眼が見返す。
プランの蒼も合わせると三種の宝石のようだ。
翡翠色の瞳には7000年分の経験が詰まっている。
プランとは違った種類の知性ある瞳で、見つめられるだけで心まで見透かされてしまうような錯覚に陥る。
ルファスは出来ればこの眼を覗くのは嫌だったが、王に話しかけられた以上はそんな不敬は出来ない。
数秒後、幼児のようなエルフはルファスから目線を離した。
「ふむ」
頷く。
確信を得た動作だった。
どうしたものかと思案する。
ロードスには特技があった。
固有のスキルと言ってもいい。
彼はある程度ではあるが、人々の関係性と誰が誰にどんな感情を抱いているかイメージとして読み取れるのだ。
7000年間もの間エルフの立て直しをしてきたのだ。
相性のよい男女を交配させた方が種族が発展するのは当たり前である。
エルフの復興を使命として産まれた彼は言わば産まれながらのブリーダーであった。
10万人にも及ぶエルフ達、その先祖の殆どは彼が采配して番わせたもので、彼はその全てを覚えている。
故にエルフたちは彼にとって我が子である。
結果、そんな彼であってもルファスの内心を見て本当に久しぶりに驚き悩んだ。
ルファス・マファールの秘めた感情は余りに大きい、大きすぎる。
7000年の時の中でもここまでの執着/感情は見た事がないほどに。
膨張する恒星の如き規模だ。
人が他者にここまで大きな感情を抱けるのかと一種の感動さえ覚える程である。
しかもまだ発展途上ときたもので、これでもまだ前段階かもしれない。
全体図さえまだ見えない。
この想いがどんな結末に至るのかロードスでさえ見当もつかなかった。
絶滅寸前だったエルフを復活させた救世主は他のエルフよりも遥かに多くの知識と経験を蓄えており、この少女がプランに向けている感情を正確に把握していた。
この幼い少女は恋をしているな? それもとびっきりに大きな。
今まで見た事ない程に巨大な感情をロードスは識った。
知ってしまった。
この手の感情は使い方を誤れば破滅へと一直線の道を形成することをロードスは知っている。
しかしそれでも彼は口を開く。
迷える若者がいるのならば助けてやるのは老人として当たり前だ。
見て見ぬフリはしない方がいいだろうという勘と恩を売っておくかという打算もそこにはある。
「キミの願いは彼を治す事かな?」
「確かにずいぶんと酷い様だ。
毒と呪が交互に影響しあっている……この状態でよく生きているものだ」
ロードスの容赦ない分析にルファスの顔に険が出来る。
彼女が苛立ったのは勿論自分自身に対してだ。
彼の状態を改めて言葉にするとどれほど愚かな事を自分がしたか判るというものだった。
アリストテレスの歴史の何倍もの経験を持つエルフ王は一目でプランの状態を見抜いていた。
そもそも彼はクラウン帝国から帰還したメグレズより話を聞いていたのだ。
アリストテレスの弟子であるルファス・マファールが自分たちの力と知識を望んでいる事を。
そしてその少女は今や(当時は)レベル800であり、間違いなくこの先のミズガルズを左右する運命の存在である、と。
このお忍びの会談の目的は確かに先に言った通り明日の段取りではあるが、同時に彼はルファス・マファールを見に来たのだ。
結果がこれだ。彼をして慎重にならざるを得ない規格外を見つけてしまった。
何のために? という疑問はプランを一目見て氷解した。
おぞましい呪詛と見た事のない毒が延々と彼を内側から蝕み続けている。
何もしなければ遠からず死ぬだろう。
───執着の対象を失ったルファスは恐らく均衡を崩すだろうとロードスは予想する。
アリストテレスとは違った意味で危険であると彼は判断した。
ルファスという少女は彼という安全弁があるから安定しているだけで、もしもこの均衡が崩れたら一気に魔物へと転がり落ちる危険性があることを彼は悟った。
そうなればミズガルズには竜王さえ超えるかもしれない脅威がまた一つ産まれてしまう。
「プランを助けたい。その為に貴方たちの力を貸してください」
やはり見抜かれていたかと沈黙するプランを横目にルファスは己の目的を一つ残さず吐き出し、乞うように頭を深く下げた。
プルートの一件で自分だけの力では不可能だと感じた彼女は躊躇わず他者に頭を下げる事が出来た。
何よりも大切な人を救いたいのにプライドなど何の意味もないのだから。
杖を弄りながらロードスは先ほどまでの無感情な声からは想像できない程に厳粛な声を発した。
数千年を生きてきた王としての裁可を彼はこの未来ある若者に下していく。
アリストテレスと交わしている契約も含めて考えるにこの娘とは長い付き合いになるかもしれない。
杖の先端で騎士を叙任するかのようにルファスの頭を軽く叩く。
「良かろう。アリストテレスの存在は我々にとっても有益である上に契約の件もある。
我々は彼が生きている間、その力と知識を惜しむことはない」
その言葉に少女の眼が喜びに満ちたが、勿論彼はエルフの王である故に己の種族の事を最優先すると釘もさす。
「だが物事には順番というものがあるのも判るな? 若き天翼族よ」
まずはウルズの泉に関する問題を片付けてからだとロードスは続ければルファスは何度も何度も頭を縦に振って応える。
するとロードスは本当に微かに微笑んだ後に踵を返した。
「余は眠い。帰る」と一言だけ告げればカツカツ杖を鳴らしながら来た時と同じようにあっという間にエルフ王は消えてしまった。
7000歳のエルフはまるで嵐の様に訪れ、ほんの数時間で今まで牛歩でしか進んでいなかったルファスの願いを大きく前進させて帰っていった。
プランだけが沈黙し自分を置いてトントン拍子で進んでいった話に困惑している。
腹部を摩る。
内臓は無茶苦茶で体中にガンが転移しているが……それでもほんの微かな希望が灯り出し……彼はソレを見ようとは思えなかった。
プラン・アリストテレスは大人だ。
目の前に唐突に希望が落ちてきてもそれに飛びつく程に若くはない。
彼は己の命さえ関心を持てない程に枯れ果てているのだ。
ルファスの願い/想いを知っていてもなお、彼は30年以上続けてきた生き方から中々に脱却できないでいる。
助かりたいかどうかと問われれば「できれば」助かりたい程度にしか思えない。
……過分すぎる期待はやめておくべきだ。
女神の世界ではこんなことよくある事だ。
期待するだけさせられて落とされる可能性だって十二分にある。
確か“明日の希望の為に絶望が必要なのです”だったか。
アリストテレスはそんな光景を千年間見てきた。
次にプランはルファスを見る。
彼女は小刻みに痙攣していた。
噴火直前の火山を思わせる激情を少女は放っている。
完全に気配が消え去ったのを確認してからルファスはぶるぶる震え出す。
クラウン帝国でメグレズと話をした時はもっと時間がかかると思っていた難題があっという間に片付いた実感が時間が経つにつれ彼女の中を満たし始めているのだ。
「ハハハハハハハはははははっッ!!」
無邪気に笑う。
プランの目の前だというのに彼女は腹を抱えて何一つ取り繕うことなく笑いを零す。
翼が無茶苦茶に振り回され、発生した浮力で文字通り彼女は浮足経つ。
膝を抱え、無重力状態の様にルファスは空中で何回も何回も回り続ける。
一しきり笑った後、彼女はプランの顔を見て心からの言葉を零した。
唇を戦慄かせて吐き出された言葉には普段の彼女が決して見せる事のない少女としてのルファスの熱がこもっていた。
真っ赤な瞳の縁には涙さえ滲む。
苦痛でも悲しみでも、ましてや慙愧でもない。
女が流すソレは産まれて初めての喜びの涙だった。
人は嬉しすぎてもコレが出るのだと女は知ったのだ。
「本当に良かった……」
大きな一歩を踏み出せた安堵かふわふわとした頭で数歩進んでからルファスはベッドの淵に崩れる様に腰を下ろす。
今まで張り詰めていた精神の何処かが決定的に緩んだのかもしれない。
脱力しつつルファスはプランを横目で見やる。
力なく微笑んでいる様はどういう言葉を掛ければいいか思い悩んでいるようである。
彼との繋がりからは微かに感情が流れ込んでくる。
男は変わらず枯れ果てている。
助かる為の現実的な可能性が出てきてもなお、プランは猜疑的だ。
下手な期待は必要ないという大人の考え方だ。
命が助かるかもしれない事に純粋な喜びさえ満足に抱けないのがプランという男なのだ。
かつてのベネトナシュと同じかそれ以上に生きていながら死んでいる。
だがしかし彼女はルファスだ。
大きく息を吸って感情を整理した後に力強く立ち上がる。
胸中でごちゃごちゃ思った所で伝わらないのだ。
「ウルズの問題を解決してからではあるが……やっとここまで来れた」
あと3年と少し。
しかし実際は1年程度で新薬を作る為の下準備が整いつつある。
これは素晴らしい進捗だった。
ここからが難所かもしれないが、何としてもルファスは果たすと決めている。
その為ならなりふり構うつもりもない。
「ルファスが頑張ったからさ。自分だけなら早々に見切りをつけていた」
彼は力なく笑う。
表面上では喜んでいるフリをしているが、それでも何処かで自分が助かるかもしれない事を信じていない様子だった。
だから彼女は念を押す事にした。
何度だって言ってやるつもりだった。
生きていて欲しいと。
「私だけでは無理だ。だから……約束通り私を助けて」
助けを乞う。
自分で出来ないのであれば誰かの手を借りる。
直ぐに諦めて投げてしまうプランには出来ない行為だ。
「治ったら皆で竜王をやっつけよう。そしてナナコを家に帰してあげるんだ」
勇者の名前を出されてアリストテレスの顔に微かな感情が刹那の間だけ浮かぶ。
もしもあの優しく善良な子供を帰せるというのであれば是非もない。
今の所は奈々子は無事だ。
彼女は竜王の軍団とはまともに戦わずひたすらゲリラ戦法を行い続けているのだ。
少しでもマズイと思ったら全力で逃げろという教えを彼女は完璧に守っていた。
「…………そうだね」
女は男の義手を握りしめる。
咄嗟に離れようとする彼の手を強く握り込んで離さない。
そして男が下がろうとすればすでに背後には黒い壁があった。
二回りほど大きくなった翼がぐるっと男を取り囲んでいた。
黒翼にマナが循環し、改めてこの人が誰のモノであるかを周囲に知らしめる為にマーキングを開始。
そうしてから女は満足気に笑った後、大きな欠伸をした。
時間はもう深夜だ。
ロングスリーパーの多い天翼族には辛い時間帯である。
興奮が収まり出せば眠気が顔を出すのは当然だった。
「安心したら少し……眠くなってきた…………」
明日から忙しくなるとルファスは床に入る。
数分後には深い眠りについたらしく穏やかな寝息を立て始めた。
残ったのは一定以上の実力者にはわかるほどに濃厚なマーキングをまぶしつけられた男だけ。
どうしてこうなったのだろうか?
プラン・アリストテレスは逃げ場を失いつつある現状に頭を捻るがアリストテレス達は誰も答えてはくれない。
(…………)
彼は誰よりも近くで見て知っている。
ルファスがどれだけ努力して自分を治そうとしているかを。
多くの書物を読み漁り、実験を繰り返し、多くの知識と力ある人たちに頭を下げて回っていることを。
彼女は全力だった。
全身全霊で自分を助けようとしていた。
それら全てを「無駄かもしれない」の一言で切って捨てるのは何かが違う……と思った。
父を射殺した時にも感じなかったナニカだ。
そうだ、彼女の献身の全てを無視するのは何か違う気がしたのも事実だった。
30年以上失敗を避けて生きてきた男は、そうではない生き方をようやく理解し始めるのだった。
「あぁ。判った」
深夜の森の中、ロードスは飛行する杖の上に腰かけつつブツブツ呟いていた。
すぐ隣に誰かがいるように彼は言葉を発している。
キーキーと答えるように鳴いているのは小さな蝙蝠だ。
「泉の問題が片付いたらそちらに優先的にポーションを流そう」
キーキーと蝙蝠が返す。
見かけからは判りづらいがこの蝙蝠もまた魔物であり、吸血鬼たちの使い魔であった。
ミョルニルの復興計画はドワーフやユーダリルだけではなくエルフも携わる一大計画である。
現在再建状態にあるミョルニル軍に高性能のポーションを卸す計画について彼は話していた。
蝙蝠を通しての話し相手───人類最高齢であるロイ───とも長い付き合いであるロードスは次に彼が放った言葉に微かに眉を顰めた。
「ベネトナシュ王が?」
頭を傾げる。
あの問題児と名高い吸血姫がまさか光の森にわざわざ足を運ぶ等と。
彼女がまだ見境ない暴走をしていた時に何度か襲われかけたこともあったが、その度にロードスは見事な高飛びを決めて逃げ回ったものだ。
終わらない追いかけっこ/かくれんぼにあのベネトナシュが根負けする程に彼の隠遁技能は極まっていた。
長生きの秘訣は逃げる時はさっさと逃げる事であるとロードスは知っている。
生きてるからこそ未来をどうにか出来るのだ。
そんな彼の直感がざわめくのだ。
頭の中でパズルの様に情報が組み合わさっていく。
聞けばベネトナシュはミョルニルの戦の後、アリストテレスに説得をされて人類共同体への参加を決めたらしい。
もちろんロードスはあの少女が大人しく説得を受ける様な性格をしているとは思っていない。
何かがあったのだろう。
恐らく何かが。
アリストテレスとベネトナシュ。
そしてルファス・マファール。
どうにも嫌な組み合わせに彼は「むーん」と喉を鳴らした。
しかもベネトナシュは単独で来るらしい。
明らかに彼女は判っている。
いま、光の森にアリストテレスが訪れているという事を。
ぎらつく程の殺意と執着をロードスは感知し、虚空に視線をさ迷わせる。
更に悪いことに唯一彼女を諫められるロイは来ないという。
ロードスとしては自分の国に爆弾が三つも投げ込まれるような心地である。
「判った。だが吸血姫の来訪はもう暫し待て……此方も泉を何とかしなければならないのでな」
ロイから了承の返事をもらいつつもロードスは大きく深いため息を吐くのだった。
あの吸血姫が我慢を出来るとは思えないのだ。
しかして最後に投下された爆弾にロードスは今度こそ目を見開いてしまった。
「……は? 何を言ってるのだ」
呆れ交じりに返すがロイは本気の様だった。
何千年も例のない事を何故今更としか思えない計画だった。
老いた吸血鬼はこう言ったのだ。
『我らミョルニルはアリストテレス卿を
ロードス
7000歳合法ショタ。
ルファスの秘めた可能性と感情を正確に理解してしまった、
これは自分の手に負えないかもしれないと思案中。
とりあえずこれで当初の予定通り人類国家の王たちは勢ぞろいしました。
ベネトナシュ
凸するために準備運動中。
奴には死さえ生ぬるい。
滅茶苦茶気合を入れているようだ。