ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
「よくぞ参られたアリストテレスよ。其方の活躍は余の耳にも届いているぞ」
巨大な切株の上にぽつんと拵えられた質素な玉座に腰かけたエルフ王は来訪者たちに抑揚のない声で歓迎を述べていた。
ここは光の森の中心部【ヴェルンド】と呼ばれる首都だ。
広大な森の中でも最も巨大な樹木をくりぬいて作られたロードスの王宮は、マルクトの様な豪華な装飾も何もなく彼の物質的な執着心の薄さを反映したものだ。
顔を布で覆い隠した護衛のエルフが十人ほどいるだけの空間は10万のエルフを統べる者の居城にして殺風景にも見える。
理由としてはもしも何かあった場合、隠遁に特化しているロードスにとっては多すぎる護衛や障害物はかえって邪魔なのだ。
よく見れば末端には同じく顔を隠したメグレズも並んでいるが、プランはともかくルファスは気が付いていない様だった。
淡々と彼は眼下で跪いているプランとルファスに昨夜決めた段取りに沿って言葉を発する。
プランより漂う濃厚すぎるマナの気配を彼は見なかった事にした。
余りに露骨すぎるマーキングにロードスは少しは場を考えて欲しかったものだと胸中で零す。
「以前より告げていた通りだ。
其方はウルズの泉が力を失いつつある原因を突き止めコレを解決せよ」
「アリストテレスとその教え子たるルファス・マファールにウルズの泉への入場を許可する」
臣下たちの前で堂々と宣言する。
エルフの秘術の源ともいえる泉に他種族が足を踏み入れる事など滅多にないことであるが異論は上がらない。
翡翠色の瞳には何の熱もない。
無機質な眼光でプランを見てから僅かな間だけルファスに移す。
相変わらずとてつもない執着心が見えてしまいロードスはもう彼女の内面を見るのは止めることにした。
しかし恒星は輝きを放つ。
見たくなくてもその閃光は瞼を焼くのだ。
「そして───メグレズ」
「此方に」
名前を呼ばれた若きエルフは足早にプランたちの横まで進むと跪く。
「この者達に同伴し我が国を案内する任を与える。何かあれば余に報ずる様に」
共に不死鳥を討伐した仲であるお前ならばアリストテレス卿も気心が知れてやりやすいだろうと続ければメグレズの顔には隠し切れない喜びが宿った。
彼ほどの若さでエルフ王から直々に勅命を与えられるなど本当に珍しい事であり、とてつもない名誉なのだ。
「寛大なる采配、ありがとうございます陛下」
「励むがいい。して───ルファス・マファールよ」
トンッと杖を指で叩く。
ルファスが小さく「はい」と反応すればロードスは重々しく述べた。
「我が国には其方の同胞も数多く身を寄せておる。一目会ってくると良かろう」
亜人の集落で世話になった混翼の部隊をみてから燻ぶっていたルファスの懸念を見事にロードスは言い当てていた。
彼らは居心地がいいとは言っていたが、実際はどうなってるのか気にならなかったと言えば嘘になる。
始めてロードスの表情が変わる。
微かに、ほんの微かではあるが彼は確かに口角を上げて微笑んだ。
殆ど感情を表に出さないだけでロードスとて心あるエルフである故に、迎え入れた当初の混翼たちの酷い有様を見て何も思わなかったわけではないのだ。
全く抑揚なく笑う。
何も知らない者が聞いたらただ単純に「は」を連呼しているだけのような笑い方だ。
「は、は、は、は。楽しんでくると良い。彼らにとって其方は希望なのだからな」
「……ありがとうございます」
ロードスの言葉にルファスは自分がどんな顔をしたか判らなかった。
とりあえず感謝しておいたが正直ピンとこない。
「自分が希望? 冗談だろう?」と思ったがロードスの発する気配に冗談の色はなかった。
「知らぬは本人ばかりか」
ルファスは知らぬことであるが、誰よりも黒い翼を携えた少女の話は混翼たちの間では有名な話となっている。
何せプランと彼女は気が付けばミズガルズ中の国家を渡り歩いていたのだから。
当然、そこにも天翼族はいたわけで……後はあっという間に拡散したのだ。
ルファスという少女がヴァナヘイムから過去大勢いた者達の様に打ち捨てられながらもアリストテレスに拾われる。
その後は立派に成長を遂げ、今や勇者と轡を並べて戦うまでに至ったのだと。
ルファスのサクセスストーリーは多くの混翼たちの中で大人気の話であり、下手をするとその内物語として本にまとめられるかもしれないとのことだ。
ちなみにユーダリルで働いている混翼たちがいずれ出版してやると今は文字を習っているらしい。
つまるところ本が製作されるのは時間の問題である。
軽くロードスがそれを説明してやるとルファスは目線を上の空にし「そんなばかな……」と呟くのだった。
王の前だというのにふわつき倒れそうになるが何とかプランの面子もある故に耐えた。
(本……? 私が主題で………??)
最初に浮かんだ感想が「うそでしょ」であった。
かんがえる。
この6年間の軌跡を思い出す。
バカな小娘がひたすら八つ当たり/我儘/駄々を捏ねていた覚えしかない。
つまり殆どが恥と失敗の記憶だ。
それを記録して発刊し後世に残す?
何だそれは、拷問か?
今までの痴態と狂乱っぷりをミズガルズ全土にばら撒かれるなど断じて、絶対に、何が有ろうとごめん被る。
プランも同じ気持ちであるはずだと振り向けば───彼は微笑んでいた。
しかも仮面の様な笑顔ではなく、本当に人間らしく。
“良いんじゃないかな?”と彼の唇は小さく動いて言った。
彼は本気だった。
もしもそんな計画があったのならばプランは嬉々としてルファスの活躍を編集し始めるだろう。
味方はいない。
その事実を前に少女の目の前が真っ黒になりかける。
「そんなっ……」
信頼している人に裏切られ、少女は絶望と失意の底に沈みかけた。
嘘、嘘、嘘と頭を振る様さえもルファス程の美しい少女がやれば絵になる。
ふむ、とロードスは淡々と続けた。
彼としては単純な事実の通達でしかないが、ルファスにとっては絶望でしかない事柄を彼は告げる。
「近々其方の下に取材が来るかもしれんな」
本来ならば断固として拒絶したいところであるし、普通ならば答えるつもりもない。
だがしかし……混翼たちの気持ちも少しは判ってしまう。
自分の何倍も同じ苦しみを味わっていた彼らが少しでも楽しんでくれるならば……だがしかしと堂々巡りを繰り返し……ルファスは考える事を一度やめた。
「……」
いまはいいや。
すべてはプランを治してからにしよう。
そうそう、カルキノスにとりあえず口封じをしておかなきゃ。
おかあさんにも言っておこう。
こきゅう たのしい。
正しく「無」の顔となったルファスを見てロードスとプランは「何が問題なのだ?」と頭を傾げ、謁見は終わるのだった。
エルフの首都『ヴェルンド』は途方もなく巨大な大樹のこれまた信じられないくらい太い枝とエルフの建物がまるで共存するように組み合わされた幻想的な都市であった。
この都市は所々にドーム状の建築物が存在しており、それらはよく見れば枝分かれした大樹の強靭な根と根の間を巧みに利用して作られたモノだと判る。
森を愛するエルフとロードスはこの都市を設計するにあたって木々の伐採は最低限に抑えたのだ。
結果『ヴェルンド』は生きた森に抱かれるような形の都となった。
森と共に生きるというエルフの意思が形になったのがこの首都である。
もちろん光の森の性質として木々が発光することもあり、この都市は夜でも眠る事はない。
そして足場もしっかり舗装しており、街の至る所に張り巡らされた河川は美しい都市の光景を鏡のように映し出しつつも嫋やかに揺れている。
周囲を満たすのは昼夜関係なくそこにあり続ける暖かなマナの光。
何処か陽光にも似たソレは見ているだけで心が落ち着く事だろう。
1万人のエルフが住まう都市はマルクトに比べれば小規模ではあるが、華やかさでは勝っているかもしれない。
そんな幻想的な都市の中を黒翼の少女は歩きながら大きく息を吐いた。
この都市の居心地は素晴らしく良いが、それでもなお拭いきれない疲労が彼女にはのしかかっていた。
「ようやく本題にかかれる……」
戦闘も何もしていないというのにレベル900で無尽蔵の体力を持つルファスは疲れ果てた顔で呟いていた。
ウルズの泉に向かう前に同胞の様子を見ていくと良いというロードスの言葉に従った結果、彼女は文字通り祭り上げられてしまった。
休暇中だったらしい混翼の一人に見つかったのが運のツキで、あれよあれよと何十人もの混翼の天翼族たちに取り囲まれ、歓声を受けてしまったのだ。
彼女はプランに助けを求めたが、彼は微笑みながらいつの間にか距離を取って自分に手を振っていた。
「あー!」と指さして卑怯者を糾弾しようとしたが、どうやら彼も自分が彼らにとって人気者であることを忘れていたらしい。
ルファスに対する程ではないが何人もの天翼族たちが殺到し人波に飲み込まれて姿が見えなくなってしまう。
孤立無援。
根底ではまだ人嫌いの気がぬぐい切れていないルファスにとっては心地わるい空間である。
罵倒よりは遥かにマシというか、純粋に嬉しいが……何度も言うがルファスはこういうのには慣れてないのだ。
持ち上げられすぎると逃げたくなるが、混翼たちの感情を思う手前それも出来ないという難題だ。
──貴女がルファス・マファールさんですね!
──かのアリストテレス卿の一番弟子になったとか!!
──貴女の活躍は私達の希望です!!
ここまではいい。
むず痒くてたまらないが、想定の範囲内だ。
しかし…………。
──あ、あの……アリストテレス卿とはその……
とんでもない爆弾を落としてきた奴がいた。
悪いとは思っているのだろうし、実際問題としても不躾で不敬としか言いようがない質問だ。
しかし同時に数多くの者が気になってもいた話題である。
思わずルファスがその発言者を二度見したのを誰が責められる?
聞いてきたのは少なくとも外見上ではルファスより少し上くらいの少女であった。
背に生えた翼の色は赤黒く、宿すマナの量は普通よりは少し上くらいだ。
ヴァナヘイムにおいて散々に虐待されたせいか、身体中にまだ癒えきってない火傷痕や切り傷の痕がついている。
何より───彼女の左腕は肘から先が存在していなかった。
プランのそれと同じ丸みを帯びた切断面があるだけだ。
何があったかなど聞けるはずもない。
そんな痛々しい風体の彼女は尻すぼみ気味にではあるがはっきりと聞いてきた。
何処かナナコに似た瞳──恋話に興味ある少女の──の瞳で。
レベル相応に耳の良い少女はそれをはっきりと聞き取ってしまい「は?」と思わず発してしまった。
彼女とて16歳。
そういった話に対して完全に無知ではないし、ナナコによってはっきりと己の中の好意を自覚させられもした。
今の彼女は堂々と言える。
「私はプランが好きだ」と。
こんなこと何も恥ずかしい事じゃない。
好きな人に好意を示すなど誰もがやってることだ。
だがしかし、何処まで……と言われれば話は別だ。
頭も良いルファスはこの少女が何を問いたいか本当の意味で判ってしまったのだ。
ほんの数瞬だけ固まってしまうが、直ぐにルファスの頭はフル回転を始めた。
(さて……)
どう答えてやろうか? と考える。
大前提としてルファスに怒りはない。
ただの野次馬が下世話な好奇心で聞いてきたのならば一喝してやったかもしれないが、この少女の身体中に残る治りかけの疵を見るとそんな気持ちにはなれなかった。
きっと年頃の少女がするようなそういった話もしたことがないのだろう。
だからといって正直に全部答えてやるつもりもない。
「彼の穏やかな最期を看取るまでだ」が答えではあるが、それを知っていいのはリュケイオンの仲間たちだけである。
幾ら混翼の同胞としてもその一線だけは超えさせる気はなかった。
答えが出る。
頭の中にいつの間にか出てきたナナコが「きゃー」と叫んでいたが無視した。
コレはほんのちょっとした好奇心だった。悪戯心といっていい。
怒りはしないが、よりにもよって女心の奥底に波紋を投げかけてきた少女へのちょっとした意趣返しだ。
大きく翼を開く。
何よりも純粋な黒がルファスの背で堂々と存在を主張し、周囲の混翼たちが刮目した。
自分たちとルファスとでは決定的なナニカが違うと誰もが本能で理解する程に力強く美しい翼だった。
ルファスは己に問うてきた幼気な少女に向けて踏み出す。
その顔には蠱惑的な笑みさえ浮かんでいた。
自分では上手くやれているか自信はなかったが、傍から見たら百戦錬磨としか言いようのない魅了を発する顔だった。
真っ赤な瞳を細めて見つめてやればそれだけで少女はビクッと震えて動けなくなってしまう。
外見こそ同じくらいであるが、その実何倍もの年齢差があるというのに絶対的な上下関係が一瞬で構築されてしまった。
「さて……」
軽やかな足取りで近寄ってから翼で大きく包囲して逃げ場を無くす。
ピィィィと甲高い悲鳴の様な声を少女は上げたがルファスは薄く微笑むだけだ。
ルビーの様に輝く眼から少女は視線を外せない。
肩に手をやる。
この娘は震えているようだった。
恐怖とは違う別種の何か激しい感情によって。
バサバサと赤黒い翼が狂ったように暴れるが、更に黒い翼に触れた瞬間に脱力して垂れ下がってしまった。
まるで服従するようだった。
「どうだと思う?」
きれいな紅い瞳は見ているだけで吸い込まれてしまいそうな程に美しかった。
音を立てて少女の中の何かが焼けていく。
最高位の魔物でもあるルファスはかつてラードゥンが惑星中の魔物にやったような、一種の思考誘導の様な事が出来るのかもしれない。
「ぁぁ……」
ぐるぐると目を回し──少女はふっと脱力し崩れ落ちてしまった。
膝からガクンと堕ちそうになる娘をルファスは片手で支えてやると悪戯が成功した子供の様に笑いかけた。
いつかこの娘にもよき出会いがあればきっとわかる筈だという確信を込めて先の質問に答えてやった。
「秘密だ」
“答えは自分で探す様に”
ブンブンと頭を上下に振って少女が肯定するのを見てから周囲に視線を移せば、混翼の者達は驚愕と憧憬と、その他多くの感情がごちゃ混ぜになった瞳でルファスを見つめている。
少し羽目を外しすぎてしまった事をルファスは自覚し、広げていた翼を縮めてから咳ばらいをする。
「そろそろ師の手伝いがあるので失礼する。
ロードス陛下より師は大切な任を託されているんだ」
そう告げてから彼女はプランの腕を引っ掴んで群衆から逃げ出したのだ。
「逃げたのは許さないからな」
むすっとした瞳を少女は男に向ける。
先に他者を魅了するために輝いていたとは思えない程に人間味のある眼である。
私がああいう人ごみが嫌いな事は知ってる癖にと言えばプランは小さく頭を下げた。
「すまない。でも、元気な皆とルファスの邪魔をするのは良くないと思ったんだ」
しみじみとプランは語る。
発端は確かに自分であったが、もはや計画の規模と未来性は彼であっても止められない程に進み続けている。
クラウン帝国にプルート、ユーダリルに光の森、その他様々な国家に混翼たちは拡散し続けており、その成果はどんどん上がり始めていた。
既にヴァナヘイムが何と抗議しようと混翼たちの立ち位置が脅かされる事はないだろう。
亜人たちのように法を守らないのであれば別だが、彼らはよく働き、よく学び、誰もが自らの居場所を確立させようと必死である。
プランの人間種としての寿命では彼らがこの先どうなるかを見届ける事はできないが、それでも確かに彼らは一歩を踏み出したのだ。
ルファスは両腕を頭の後ろで組む。
この人はまーたこんなことを言ってると思った。
どうしてこう、プランと言う人物は自分の功績を堂々と宣言しないのだろうと思うのだ。
「それはそうかもしれないけど発案者は貴方なんだぞ?」
器用に右翼を動かし、その先端で「貴方だぞ」と示してやる。
まるで手の様に彼女の翼は動くのだ。
月日が経つごとに翼の使い方がよくも悪くも雑になっていくルファスにプランは苦笑してしまう。
「もっと堂々としたらいいのに。恩着せがましくなれとは言わないが……」
「利益なら十分に貰ってるさ。皆が頑張ってくれるほどに自分は得をしているからね」
混翼たちが活躍するごとに計画の立役者という立ち位置のプラン・アリストテレスの影響力は増していくのだ。
これは純粋な金銭では決して手に入らない信頼/信用であり、黄金の山にも勝る程に素晴らしいものである。
そして後の時代において彼らはきっとルファスの力になってくれるだろう。
言葉には出さないが、混翼たちはプランが後のルファスの人生の為に用意した人脈なのだ。
大人になった彼女が助けを求めればきっと彼らは答えてくれる筈だとプランは思っているし、そう言い残すつもりでもあった。
「…………」
プランの内心をルファスは感受してしまい、口の中に苦みが広がるのを感じていた。
混翼たちは同族ではあるが同士ではないとルファスは思っている。
彼らには彼らの人生があり、自分には自分の生活と未来がある。
理不尽に苦しめられたり差別されているというのならば力を貸してやってもいいが、それ以外は基本的にルファスは彼らとも距離を置きたいと思っている。
嫌いではないし、悪い人たちでもない。
何なら同じ苦痛を共有さえしている同族だが……どうにもあの崇拝染みた目が苦手であった。
断言してしまうとルファスは混翼たちの王になどなるつもりはない。
少し前にアリストテレスに見せられた未来のイメージ映像では女王の様に振舞う自分がいたが、アレはアレで、私は私だ。
最初から最期までルファスはリュケイオンとその周辺の平穏を守るためだけに生きると決めているのだ。
……何はともあれ混翼たちは良い方向に変わった。
まだまだ課題は多いが、今のまま努力を続ければいずれもしかしたら、彼らだけで国さえ作れるかもしれない。
天翼族の寿命を考えるにこれは本当に夢物語では終わらない可能性がある。
と、なると問題は一つだ。
「天翼族──ヴァナヘイムはどうするんだろう」
白翼の者達の出方だ。
ルファスには面白い程に彼らの思考が読めた。
何せ10年近く虐げられ続けたのだ、嫌でもどういう思考回路をしているか判ってしまう。
「変わらないだろうね」
プランは一言でルファスの懸念を切って捨てた。
きっと良くなるとも、未来にはいつか判ってくれるとも絶対に言わない。
ルファスや混翼たちがどれほど苦しめられていたかを知っている故にそんな無責任は発言は絶対に出来なかった。
脳裏をよぎるのはクラウン帝国と言うミズガルズ最大の国家の首都で破壊工作を行っていた者達の顔。
メラクの取り巻き達である彼らはメラクに殴り飛ばされた理由を「バレたから」と思って謝罪していたが、最後まで結局自分が悪いことをしているという自覚はなかった。
亜人たちと同じ問題──自分の常識を疑わず、他者に寄り添えないという病気を彼らも患っていたのだ。
幾ら言葉を尽くそうと天翼族──ヴァナヘイムは変わらない。
純然たる事実としてソレだけがある。
仮にルファスが彼らを許して歩み寄っても、徹底した拒絶か、はたまた少女の持つ驚天動地の力を利用してやろうという悪意だけが返ってくるのは間違いない。
「各国には注意を促してはいるよ。
天翼族の事を一通り纏めておいたマニュアルを配布したんだ」
天翼族とビジネスで付き合うのはいいが、彼らの翼に対する執念は恐ろしいモノがあるという事実をプランはミズガルズの全国家に浸透させようとしていた。
今までは軽く書物で触れられていた程度の白翼信仰であるが、彼らの暗部を見たモノはアリストテレスの計画によって数多く居る。
訓練を受けた兵士でさえ眉を顰めるか、嫌悪感を隠し切れない所行でありそれでいて人の口を閉ざす事は出来ない。
任務を終えた兵士たちは家族や仲間に己の所感を口々に話す事だろう。
結果として既にクラウン帝国においては天翼族の狂気は広がりつつある。
「あいつらは白色の為なら何でもする気狂いだ」と。
「はぁ……」
ルファスはため息を吐いた。
ヴァナヘイムの悪習が広がり嫌悪されるのは別に構わないし、むしろどんどん嫌われてしまえと思う。
それはそうと、産まれ故郷がこれから延々と世界に恥を晒し続けるのは……なんとも言えない感情を呼び寄せた。
「さて」
プランが話題を区切る様に一言だけ口に出すと、視線を前方に向けた。
彼の目線の先をルファスが辿っていくとそこにいたのはメグレズであった。
二人の視線に気が付いた彼は笑顔で手を振り出すと、小走りで近寄ってくる。
「お久しぶりです! クラウン帝国ではお世話になりました。
皆様がいなければ僕の命はなかったでしょう」
目を尊敬と好奇心でキラキラと輝かせながら彼は深々と頭を下げる。
余りに見事な直角のお辞儀にプランはともかくルファスは目を丸くした。
彼女の中ではメグレズと自分は対等な存在だ。
共に死線を潜り抜けたパーティであるからして、頭など下げる必要はない。
何なら彼がいたからプランは最高効率で動く事が出来たのだから、むしろ感謝したいのは彼女の方だった。
「そんなに畏まる事はないだろう……知らぬ仲でもないのに」
「えぇ。それに貴方がいなければ自分たちの命もありませんでした」
どうやらメグレズはフェニックス討伐において自分のなした事はとても小さいものだと思っているらしかった。
勇者とレベル800のルファス。そして秘術で皆を助け続けたアリストテレスに比べれば己の活躍は大したことがない、と。
しかしそれは大きな間違いであるとプランとルファス、そしてここにはいないがナナコも知っている。
「……はは、そう言って貰えると嬉しいです」
故に二人は仲間である彼にそんな事しなくていいと諭し、メグレズもまた、はにかみながら少しばかり舞い上がっていた自分を反省するように頷くのだった。
一呼吸おいてからメグレズはルファスを見た。真っすぐに。
一目でわかった。
彼女の力は不死鳥を討伐した時から更に増していると。
レベル800が900になっただけかもしれないが、この領域における100はとてつもなく重い。
かつて惑星中の文明を滅ぼしかけた蠍と同等の力を持っていると言えば今のルファスがどれほどに強いか判るだろう。
そんな彼女の瞳をメグレズは真っすぐに見つめてあの時に交わした言葉に返事をする。
機は熟した。
エルフの里にルファスとアリストテレスという嵐がやってきたのだ。
その中心に近い所に自分がいると思うと、メグレズはどうにも高揚を抱いてしまうのだ。
「今ならこう言える。“喜んで手を貸そう”ってね」
「───ありがとう」
義理堅いエルフにルファスは微笑むのだった。
光も通さぬ深海の更に奥深く。
正に深淵と評せる暗黒の中でソレは億劫そうに何十もある眼球を蠢かせて上層を見た。
鬱陶しいという感情がありありと見て取れる動作であり、実際彼は僅かに苛立ちを感じていた。
身体から生えそろった触手の数は100を優に超え、全身に何十と言う眼球を揃えた怪物こそ邪神トゥールーである。
海洋生物と人と、その他いくつかの魔物を雑多に融合させたような外見は何処かラードゥンにも似ていた。
余りに大きな雑音が延々と響いてくる。
多くの悲鳴、戦闘の音、そして子供の様な甲高い笑い声。
崩れ落ちるアトランティスの音を彼は全て感知してしまう。
沈んでくる。
屍が幾つも。
血が、マナが、崩れた都市の欠片が次々と堕ちてくる。
こんなものに当たった所で毛ほども痛くはないが、とにかく数が多くて鬱陶しい。
「■■■■」
魔物という括りさえ逸脱しかけた邪神が何かを呟く。
人の様な顔はないというのに明らかにそこには憤りが籠っている。
何もかもうるさくてたまらなかった。
そして何よりひりつく。
少し上で暴れているナニカは、彼をして生存本能を刺激されるほどに強大な存在であり、アレを殺さないと自分は安らかな平穏を得られないと悟るほどに悪意をばら撒いている。
遂に生誕し活動を開始した邪神ではあったが、彼に野心や破壊衝動といった悪性は一切存在しない。
そこにいるだけで重度の精神汚染を撒き散らし、女神の法さえ歪ませてしまうが、それでも自分から世界を無茶苦茶にしてやろうなどという思いは全くないのだ。
ただ眠っていたい。
ただ生きていたい。
保有する力に比べて余りにささやかな願い……彼は平穏を求めていた。
ボコリ、と深海の砂の一部が盛り上がる。
遂に地獄との道が開通したのだ。
あふれ出る瘴気はただの魔物や生物であったら発狂するレベルであったが、邪神はそれを受けて心地よいと感じた。
何十という眼球が一点に向けられる。
そこに嫌悪はなく、純粋な好奇心と微かな好意があった。
彼は悟ったのだ。
この奥にいる存在は己の同族であり、いま上層で蠢いている脅威を排除するのに大きな助力となることを。
【我が同胞よ。この世で唯一我と並びうる偉大なる者よ】
誰にも見せた事のない敬意ある声で地獄の魔王はこの世で最も己に近い存在を誇る邪神へと語り掛けた。
邪神はただ黙って聞いている。
【共にかの竜王を排し、この世を二分しようではないか】
トゥールーは支配になど興味はない。
そんな面倒な事をするくらいならばただ微睡んでいたい。
だがしかし……どうやら上にいる“アレ”は竜王という名前らしい……を共に倒すというのはとても魅力的だった。
誰だって楽をしたいものだ。
どんな仕事でも基本的には一人でやるより二人でやったほうがずっと早く終わる。
「■■■■■──!」
本来ならば誰も聞き取れない汚染に満ちた言語。
しかして魔王はそこに込められた意味をはっきりと理解しその顔に壮絶な笑みを浮かべた。
邪神と魔王という究極の魔が竜王という共通の敵を前に手を結んだのだ。
【我らの契りがここに成された。偉大なる魔の時代を共に築こう】
そして。
その次はアリストテレス、貴様らだとアイゴケロスは胸の中で黒い炎を滾らせた。
混翼たち。
数百年後、彼らは各々の国家で重要な地位を得るに至る。
同胞たる覇王がミズガルズを統一した際、彼らの働きのお蔭で混乱は最低限に収まったとされる。
十二星天の様に晴れやかな武功を上げる事はないが、国家を運営するにあたりこれほどまでに頼もしい存在はいないだろう。
魔王と邪神。
この世には想像を超えた怪物がいるということを彼らはまだ知らない。