ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
今回のお話はかなり独自解釈が入っています。
光の森の首都『ヴェルンド』の地底湖たるウルズの泉に続く秘密の回廊をルファス一行は歩いていた。
地下へ続く道と言えば普通ならばプルートのそれのように薄暗く、じめじめしているのが常であろうが、壁や床などが発光しているお蔭でそういった息苦しさは全くない。
周囲を満たす濃厚なマナの気配はルファスのような高次元でマナと結びついた存在にとっては快適とさえいえる空気を提供してくれている。
それもそのはずだ。
この道は大地を掘削して形成したものではなく、無数に絡み合った根と枝の間の隙間なのだから。
光の森の名前の通り、高密度のマナを宿した木々は発光しており灯りいらずである。
だがしかし、こうやって地下に進めば進むほどこの木々の根元で眠るアレに近づいていると思ってしまい、微かにルファスは緊張を覚えた。
彼は決して起きる事はないと断言していたが、それでも自分の足元にあんなものがいると思うと身体が強張ってしまう。
そんな彼女にプルートへと続く回廊で気分を悪くしていた事を思い出したプランが労わる様に声をかけた。
基本的にルファスがこういった閉鎖空間を好まない事を彼は知っているのだ。
ルファスの過去から考えるに閉鎖恐怖症を患っていても何もおかしくはない。
「気分はどう?」
「何ともない……ただこの奥にアレが眠っていると思うと、な」
トントンと爪先で硬い根っこを突けばプランは微かに考え込むような仕草を見せた。
龍を見せたのは失敗だったかもしれないと思いつつ彼は微笑む。
「大丈夫さ。絶対に起きる事はないから」
「うん」
そこは疑っていない。
ルファスの発達した危機察知能力も特に反応していない。
ただ、気になってしまっているだけだ。
誰だって足元に全長1万キロを超える怪物がいたら例え動かないと判っていても恐怖するのはおかしくはない。
「御使いの事も教えたのだな。
既に知っている通り、我らの故郷は全てがかの存在によって支えられている」
声を上げたのは先導するロードスだ。
ウルズの泉に続く道には強い結界が何枚も張られており、それを解除できるのは彼だけなのだ。
小さなエルフ王は捕捉する様に木龍についての説明を続ける。
「この世には5つの御使いが存在している。月、火、木、土、日の5属性だ」
何ならロードスは全ての御使いが何処にいるかも知っている。
もちろん「月」の存在も含めてだ。
7000年を生きる彼はこの世の真実を当然知っていて、それでも我が子らが存続できるのならばそれで良しと妥協した男なのだ。
それもまた一つの生き方だとアリストテレスは思っている。
何よりもエルフという種を考えた末の行動ならば文句はなかった。
誰もがリスクを受け入れて行動できるわけではないのだから。
「今、水と金がいないと思ったな?
その通り。かの存在は古き神話の中で語られるのみで、実際は……行方不明なのだ」
何万年かそれ以上。
水と金というアロヴィナス神と同じ属性の龍はいたとされる……。
人類という種が産まれる前の神話の時代においては確かに居たとされたが、全ての記録が消されている故に不明だとロードスは言った。
「おっと」
「陛下っ!?」
こつんと出っ張りに引っかかったロードスが体勢を崩すがメグレズはルファスさえも驚く速度で彼の腕を掴んで引き戻す。
「すまんな。息子よ」
「いえ……」
彼は隣にメグレズを控えさせながら、ルファスの半分程度の歩幅でトコトコ足早に歩いている。
時折段差に躓いて体勢を崩しているがその度にメグレズが必死の形相で支えていた。
「ウルズの泉については何処まで教えた?」
「エルフたちの秘中の秘。
多くの力を宿した源泉であることを」
プランの返答にロードスは軽く頷く。
間違ってはいないが、かなりの部分が検閲されていた。
「大まかな点はその通りだ。かの泉は多くの“力”を宿しているのだ」
あえて“マナ”とは呼ばずにロードスは「力」という単語を使う。
その意味に当然ルファスは気が付く。
「魔力と天力は違う存在であるとミズガルズでは認知されておる。
だが、マナと魔力の違いを具体的に上げられる者は多くは無い」
さて、とロードスは横目でプランを見た。
数千年歳の子供にとってはアリストテレスも子供のようなものなのか、何処か授業を行う教師の様な顔で彼は問いを投げかけた。
「然らばアリストテレスよ。マナと魔力の違いを述べて見せよ」
「純度ですね。
マナは魔力から属性という不要な部分を取り除いて更に精製したものであり、マナには天力も微量宿っているのです」
淡々と考えるまでもない様にアリストテレスはこの世界の根底のルールを明かしていく。
口こそ挟まないがメグレズが長い耳を更に長くして聞き耳を立てていた。
ルファスも同じく翼を畳んだ上で動かない様に固定し、彼の言葉の一言一句を暗記していた。
今、彼はとんでもないことを言っていると誰もが悟っていたのだ。
「マナを取り込めばレベルが上がります。
では、魔法で生成した水を飲めばレベルが上がるかと言えばそうではありません」
例えばユーダリル防衛戦で使用された【ダイダルウェイブ】だ。
アレは魔法で作り出した水である故に多くの魔力が宿っている。
だがしかし、あれを湖の様に貯めて飲んだところでレベルは上がらないだろう。
不純物としての「属性」が邪魔をするからだ。
そして、何より存在するものを補強する天力が宿っていないから。
仮に「水」属性の人間が魔法の水を飲んでレベルが上昇してもソレは一時的なものにしかならない。
「そうだ。レベルを上げる事が可能なポーションなど存在しない」
少なくとも人類では無理だ。
フェニックスの様に極限まで属性を極めて、肉体さえも魔法で作られた存在ならば火を取り込んでパワーアップも出来るだろうが、人類には肉体という余分な要素がある。
人の持つ属性というものは魂に紐づけられている以上、肉体は邪魔になってしまうのだ。
「マナは魂と肉体の双方に宿ります。
レベルが上がる際に強くなるのは肉体だけではありません。
そしてマナに宿る天力はレベルアップした存在を固定する作用をもっています」
天力はそこにあるものを補強する存在だ。
さながら編み物が解れない様に固定する糸の様に。
「その通り。よくぞ解き明かした」
ミズガルズのステータスにはMND(精神力)やLUK(幸運)という明らかに肉体強度とは無縁の値があるのがその証拠だ。
この場合の精神力というのは頭脳の頑強さと魂の強度を表しており、幸運というのもどれだけ世界から祝福を受けているかの数値になる。
もっといえばSPなどは魂が保持している魔力の貯蓄量である。
だからゴーレムは基本的に精神力が低いのだ。
優れた頭脳はあるかもしれないが魂はもってないのだから。
ゴーレムのSPが基本的に0なのは魔力を蓄える魂が宿っていないからなのだ。
「どれだけ優れたポーションであろうと、それを呷る者の体の作りや意思に左右されるのは明白である」
「……」
ロードスの言葉にルファスはプランを一瞬だけ見た。
プルートで見た時の彼は正に生きる屍だった。
あのままであったら、きっと彼女が至高のポーションや術を作った所で助けられなかっただろう。
自分だけが助けたいという意思を押し付けても彼は救えないと知れたのは本当に僥倖であった。
大前提としてポーションに宿る天力/天法は“元々存在するモノを補強する力”だ。
つまり生命力を増幅し、欠損や病気、呪などに打ち勝たせるための力である。
死んだ者を復活させられないのと同じく、無から生命力を産み出す事は出来ないのである。
あくまでもポーションや天法は1を10にも100にもする力であり、0に堕ちたモノを1に戻す力ではない。
病は気からという言葉があるがミズガルズにおいてこの言葉は正鵠を射ている。
どれだけ素晴らしい薬品や天法を使おうと、肝心の対象が生きる気力を持っていなければ意味がないのだ。
では、ウルズの泉は?
かの秘境に宿る“力”とは?
「話を戻すぞ。ウルズの泉の持つ“力”というのは高純度のマナを更に濃縮したものだ」
ではこの場合の「力」とは何であるか。
それに対してもロードスは説明をアリストテレスに任せる様だった。
翡翠色の瞳で目配せを送ればプラン・アリストテレスはこれについてもスラスラと答えだす。
「女神の所持する最も根源的な力のことですね。
マナや天力/魔力という概念も元をたどれば全てが女神に行き着きます」
「それは……!」
メグレズだけがプランの言葉に驚愕と、それをも上回る好奇心を抱く。
ギラギラ輝く瞳はルファスさえ後ずさるほどの熱意が込められている。
ロードス王の手前である故に無作法は出来ないがもしも王がいなければ彼は五体投地してアリストテレスの知識を求めていただろう。
(昔教えてもらった事だ……)
【エクスゲート】という超高難度の技術を教えてもらった時の彼の言葉をルファスはもちろん覚えている。
この世界の全てが女神の魔法であり、全てがアロヴィナス神を楽しませる為の舞台劇であると。
「この世で最も純粋な力を宿す水。
それがウルズの泉であり、至高のポーションを産み出し得る原材料なのだ」
女神の力が宿る水。
それならば確かに最高峰の薬品を作る原材料として申し分ないだろう。
「最もその力も失われつつあるのだが……」
「師と私で取り戻して見せます。必ず」
困ったものだとロードスはため息を吐くが、ルファスは凛とした声で断言した。
余りに強い圧が籠っていた故にエルフの王が足を止め、ルファスを見た。
翡翠色の瞳は彼女の内心を読み取れた。
ルファス・マファールが誰にどのような感情を抱いているかをイメージとして彼は見てしまう。
ほんの一晩だったはずだ。
一日どころか半日にも満たない時間だったはずだ。
だというのにエルフ王が見たルファスの感情は明らかに巨大になっていた。
それでいて何もかもを焼き尽くす様に輝いている。
ロードス王から見ても想像を絶するとしか言いようがない強さだった。
元より情愛の強い性格なのだろう。
献身的と言ってもいい。
そんな彼女の全てがたった一人の男に向けられているのだ。
「あっ」
「陛下アァァっ!?」
本能的に危機を悟り、無意識で後ずさろうとした彼はまた小さなコブに足を取られて体勢を崩す。
またもやメグレズが声にならない悲鳴を上げてロードスの腕を掴むのだった。
「これは……」
眼前に広がる光景にそんな言葉を呟いたのは一体だれであったか。
ヴェルンドの地下2キロというプルートともいい勝負が出来る大地の奥底に拡がっていたのは地下とは思えない程に眩い光に満ちた広大な空間と、それよりも更に輝く膨大な水であった。
ウルズの水の表面は恐ろしい程に透き通っているが、見る角度を変えればキラキラと光を放っていて想像を絶する程に美しい。
これは泉というよりも湖と言った方が正しい表現かもしれない。
少なくともこれらを普通に飲用水にしてもエルフたちを問題なく養えるだけの量はある。
しかしいま問題なのは量ではなく質なのだ。
「あの根こそ龍から伸びし最初の一枝。余を産み落とせし母体でもある」
ロードスが先導する様に数歩だけ進み、杖の先で湖の果てに見える途方もなく太い木の根を示した。
湖に突き刺さる様に埋没し、その先端を更に大地の奥底へと潜らせているソレを。
あの根はプルートに存在した“ビル”よりも何倍も太く、時折脈を打っているようにさえ見えた。
あれこそ何万年もの太古よりこの地に根差し、木龍より這い伸びた巨木の一本だ。
ヴェルンドどころか光の森の木々の全ての樹木はあれから枝分かれした可能性さえ語れる程に古く強い神木である。
限りなく木龍に近いソレを見たルファスは余りの生命力の強さに心胆を冷やしてしまう。
マルクトが人類の叡智によって築かれた偉業であるのならば、これは大自然の驚異だ。
いま自分はミズガルズの神秘の極致に触れているのだと理解し、思わず翼を震わせてしまう。
それは隣のメグレズも同じらしい。
彼ほどの若さでウルズの泉への入場を認められたエルフは存在しないらしく、絶景を前にただ茫然とした顔を見せている。
余りに壮大なモノを見ると人は思考を止めるというのは正しいのだ。
これで泉が力を失いつつある?
何かの間違いではないか?
そう思ってしまう程にウルズの泉は力を発していた。
プランだけが微笑んだまま視線をあちらこちらに巡らせていた。
まるで吟味する様に。
恐ろしい程に無機質なアリストテレスとしての顔にルファスは僅かばかり唇をつぐんだ。
寒気がする瞳はどうにも慣れない。
「ここは最も古く強い根が通っている回廊でもある。
この下に何が居るかはもはや語るまでもないだろう?」
杖で方々を指さし、この巨大な開けた空間を形成している根を一つずつ示していく。
そして最後に彼はプランに杖先を向けた。
「さてアリストテレスよ。
其方の第一印象を聞きたい。あるがままに述べよ」
「マナの補給が足りていない、と感じました」
蒼く輝く【観察眼】で泉の水質を大まかに確認し終えた彼は淡々と王の言葉に対して己の出した仮説を返していく。
ロードスは無言で続きを促した。
彼の意見を聞く為にこの場に招き入れたのだから当然である。
「如何にウルズの泉が高密度の力を保持しているとはいえ、それが永遠に続くとは思えないのです」
「この世の全ては基本的に時間経過と共に減衰していきます。
熱量にせよ、場にとどまるマナにせよエントロピーからはまず逃げられません」
簡単な話だ。
全てのモノは高い方から低い方へと流れていく。
例えば高密度の魔力の塊を作っても、それは時間と共に周囲の空間、つまり温度の低い方へと流出してしまう。
大前提としてこの世界の全ては女神が作ったものだ。
大地に海に、空気に宇宙でさえも。
それら全てに女神の力が込められているのは当然だ。
そしてウルズの泉はそれらと比較しても高密度の女神の欠片を宿している。
温度で例えるならば高温の存在だ。
つまり、時間と共に周囲の低温の個所へと熱量が流れていってしまうのは当たり前である。
「では天力が足りていないのか? 今まではこんな事はなかったのだがな」
アリストテレスの言葉にロードスもまたエルフ随一の術者としての意見を投げかける。
エントロピーによる減衰……ソレを防ぐ役割を持つのが天力なのだ。
先の会話の中でも出たレベルアップをした状態を維持し続ける力を持っているのが天力である。
「それもありますが、やはりウルズの泉は何処からかマナを補給していたのでしょう。
それが途絶えてしまったせいで徐々に保持していた力が周囲に拡散を始めているのだと思われます」
この二つに心当たりは? と聞かれたロードスは顎を指でさすり「うーむ」と頭を傾げる。
子供が判らない問題書を前に悩むような仕草であるが、実態はこの先のミズガルズを左右する内容である。
「補給か……。
何処からと言われれば断言は出来ないが、ミズガルズ自体の運行からというのが余の見解だ」
ロードスが掌を空に翳し【イリュージョン】と呼ばれる魔法を発動させる。
かつてベネトナシュが金髪の少女の姿を被っていたように、これは術者のイメージを世界に投影する魔法だ。
変装や偽装などに良く使われる術であるが、ロードスはこれを己の中にある言葉にしづらい分野を表現するために使ったのだ。
ルファスたちの前に現れたの青い星──ミズガルズである。
ミズガルズはゆっくりと自転しながら眩く輝いていた。
更にロードスがひと手間を加えると惑星にうっすらと光の布が纏わりつき、やがてそれは惑星全体を循環する帯の様になった。
口にしなくても判る。
この光は惑星を流転するマナを可視化したものであると。
海水が雲となり雨水へとかわり、地上に降り注ぐようにマナもまた姿を変えミズガルズの中で運行しているのだ。
時には生物に宿り魔物へと作り替える。
時には武具に込められ、多くの命を吸って強くなる。
時にはポーションになり、誰かの命へと受け渡される。
ミズガルズにおいてマナは絶えず姿形や属性を変えつつも回っているのだ。
そして特に雨水というのは重要な要素である。
海には神の子と謡われるエロス/トリトンが支配する海洋国家アトランティスが存在しており、一説によれば彼が地上と海中におけるマナの比率を調整しているらしい。
惑星を巡っていた光が集まっていく。
少しずつ光の森に雨として降り注ぎ、木龍の断片と言う至上の媒介の中で濃縮され、やがてはウルズの泉へと落下していく。
雨だけではない、それこそ森で死した魔物や埋葬されたエルフたち、あらゆるマナを宿した存在の亡骸が森に還り、それもまた地底へと沈んでいく。
とある世界において化石燃料と呼ばれる文明を支える要素は何億年も前の微生物の死骸がルーツとされる。
それと同じくこの泉はミズガルズに還った命をも蓄えたのかもしれない。
何万年どころではなく、それこそ億の年月を経てこの地底湖が生成されたというのがロードスの考察であった。
「生態系のようにマナは循環し、この泉へと収束したというのが余の考えだ」
「しかし、もう一つの方はどうしても考えが纏まらん」
光の森だけではなくミズガルズの全てがウルズの泉を作り上げたとするのならば、なぜ今更になってこうなったのかロードスには判らない。
もう少しだけ熟考すれば仮説を立てられるかもしれないがエルフの時間感覚でそれを行えば10年はかかるだろう。
アリストテレスは大きく頷く。
実に素晴らしい仮説であった。
限りなく真理に近い。
基本的に自分で物事を考えたり、何かを発見したりするという能力に欠けているミズガルズの人類でここまで具体的に論をまとめているのはさすがのエルフ王といえた。
しかし幾つかロードスの仮説には欠けている要素があり、それを彼らは補強してやることにした。
「【イリュージョン】に少し手を加えてもよろしいでしょうか」
まるで教師が教え子のテストに手直しするようにアリストテレスは言う。
背筋を伸ばし、明らかに雰囲気を変えたプラン・アリストテレスが許可を願えばロードスは頷く。
ルファスがこれから語られるであろうアリストテレスの知識に集中するために身構え、メグレズは息を呑んだ。
「まず、マナについて」
【バルドル】が小さく稼働すれば指先に魔力が集まる。
その力で幻影に新しい要素を書き加えていく。
青い惑星が小さくなる。縮尺が変わったのだ。
ミズガルズの様な星が幾つも浮かび上がり、アリストテレスは天体図を作り上げていく。
ミズガルズに月、火星、水星、木星に土星、もちろん金星と太陽もある。
それらは自転しながら公転軌道を描き、無限の空の中を回っていた。
太陽系は2億5000万年という途方もない年月をかけて銀河系を回る。
その銀河さえも何千億と存在し、それらが集まっているのが銀河団、超銀河団、グレートアトラクターなどだ。
「……」
偉大なる星々の様相にルファスは眼を奪われていた。
瞬きさえせずにプランの模写するこの世で最も正確な銀河絵図を見続けていた。
アリストテレスの知識への欲求さえも今の彼女からは抜け落ち、この世で最も美しい光景を見る事しか考えられていない。
「先の陛下の考察ですが、一つだけ補足いたします」
指先が動く。
天体図に巨大な光の濁流が書き足される。
銀河さえも砂粒程度にしか見えない膨大な光の河。
まるで無数の星々を絨毯の如く敷いた様なまさしく天の川としか言いようのないそれ。
ミズガルズとミズガルズを抱く銀河はそんな川の中を漂っていた。
しかしてソレの正体は星の集合体ではない。
「あっ……」
気が付いたメグレズが口元に手を当てて絶句する。
彼はいま、この世界の真実を知ったのだ。
誰よりも凄い魔法使いになりたいと願う男は、その果てに何が座しているかを悟り、己の夢がどれほど遠い所にあるかを理解してしまった。
マナだ。
この宇宙を循環する超大規模なマナの流れ。
それが光の正体だった。
どっぷりとマナの天の川に漬かったミズガルズは自転しながらそれを巻き取っていた。
月もミズガルズの周囲を公転しミズガルズがマナを吸収する為に大きな役目を果たしている。
まるで糸を巻くように月は己の主星に女神の欠片を降り注がせているのだ。
この世界からマナが消え去らない理由が明かされた瞬間だった。
答えは宇宙から無限に降り注いでいたから、だ。
最初から答えは出ていたのだ。
何ならルファスはプランから教わっていた。
前に彼は言ったではないか「この世界は女神の魔法だ」と。
で、あるのならば宇宙規模でマナの循環が行われていても何もおかしくはなく、むしろ当然といえる。
「なるほど。視野の問題だったか」
ミズガルズ全土に満ちるマナ。
それらが何処から来ていたかを観た彼は得心が言ったとばかりに腕を組んだ。
さすがの彼も驚いているのか長い耳がピコピコ上下に動いている。
「人形たちが活動しておらぬ間もマナが尽きぬわけだ」
今は魔神族と呼ばれている人形たちの残骸を魔法の燃料として再利用している所までは知っていたが
根本的にミズガルズを維持していたマナが何処から来ていたかまでは判らなかったのだ。
そしてルファスは……硬直していた。
余りにスケールの大きな話に彼女はプランを凝視してからもう一度天体図へと視線を戻す。
話の筋は通っている。そしてプランが言う事は全て正しいのだろう。
しかしルファスは思ったのだ。
アリストテレスの行動原理は女神の打倒。
その為にこれらの情報は必須なのは想像に容易い。
(……アリストテレスたちはコレを知って、何をしようとしているんだ?)
彼女が気になったのは女神を倒すと言っても具体的にはどんな手段を取るつもりなのかだ。
ここまで世界の裏側を知り尽くした者達が何をするかルファスには想像も出来なかった。
考える。
プランの持つ能力とアリストテレスの技術と知識。
それらを総動員したら何が可能かを。
ミョルニルの件を見るに彼らは目的の為なら何だってするし、何であろうと平然と犠牲にする性がある。
ミズガルズの全生命を己の為に使い潰す事さえ厭わないかもしれない。
竜王はただ殺すだけだが、アリストテレスは文字通り骨の髄までも利用し尽くす事だろう。
竜王と同等か、それ以上にアリストテレスは危険な存在という事実を彼女は認めるしかない。
そう、認めざるを得ない。
プランが自分の事をロクデナシと称していたのは紛れもない事実だと。
…………。
背筋がチリチリする。
翼が警戒する様に広がりそうになるのをルファスは抑え込んだ。
彼女はプランに怯えそうになってしまい己を律した。
彼女は彼から決して逃げない。
そして逃げる事も許さない。
ここまで溺れさせた責任を必ず取ってもらう。
私はルファス・マファールだ。
化け物が何だというんだ。
どれだけ汚れていようと、最後は私の傍にいればいい。
アリストテレスは更に話を続ける。
ここまでは世界にマナが満ちた理由。
では、事実上無限のマナをくみ取れる筈のミズガルズにおいてどうして泉への補給が途絶えてしまったのか、だ。
「アロヴィナス神の計算かどうかは想像の余地がありますが
このようにミズガルズは今まで上手くやっていました」
まるで生命が原始的な泡と熱から生まれたように、気づけばミズガルズにおけるマナの恵みは宇宙規模で完成し、滞りなく運営されていた。
今までは。
「あくまでも自分の仮説となりますが。
要因はミョルニルの戦いにあると思われます」
【イリュージョン】の映像が切り替わる。
あの日の様相が映し出される。
吸血姫と竜王の衝突は張本人たちでさえ認知していない余波を撒き散らしたのだ。
超巨大な衝撃がミズガルズを貫く。
竜王の放った【極・発勁】はあの日、ミズガルズの形を歪ませ、自転を狂わせた。
地軸も歪み、住んでいる者達は気が付かなかったとしても世界は変わってしまった。
このせいで惑星を巡る大気の流れが変動し、不死鳥の群れは本来の軌道から大きく外れてマルクト近郊に降臨したのである。
更に竜王は吸血姫との戦いにおいて月にさえ膨大な打撃の嵐を叩き込んだ。
結果、月の軌道は歪みに歪み、ミズガルズが受けるマナの量やその角度も変わった。
人類が生存するだけならば問題ないだろう。
しかし見えない所に負荷や歪みは確実に蓄積されている。
元々奇跡的なバランスで成り立っていた世界の運行はもはや不可逆的に壊れてしまった、というのが事実だ。
数えきれない程の要因が重なりウルズの泉は成り立っていた。
しかしその中のどれか、あるいは根底の部分はもう戻せない。
つまり。
「泉は、もう戻せないのか……」
ロードスの表情こそ変わらないが声にははっきりとわかるほどの失望があった。
彼は両手で杖を握りしめ、倒れない様に身体を必死に固定しているが足元はふらついていた。
7000年間、それこそ己が産まれた時から共にあった存在を失うというのは筆舌に尽くしがたいものがあるのは当たり前だ。
「陛下……」
「…………」
エルフ王の胸中を悟ったメグレズが手を貸せばロードスは上の空といった顔でソレを掴み、暫し呆然としている。
そして───ルファスは膝から崩れ落ち、ぺたんと尻もちをついていた。
如何に彼女とて今の説明を聞いてもなおウルズの泉を救えるとは思えなかった。
惑星どころか宇宙規模の話に対して少女の持つ力の何とちっぽけなことか。
頭を総動員する。
この数年で学んだ全てをひっくり返して打開策を探す。
見つかる訳がない。
たかが6年間で蓄えた知識が何になる?
問題はミズガルズの全てなのだ。
世界の形が変わったからウルズの泉は消え去る事になった、それはどうしようもない天命だ。
治す事など誰にも出来ない。
それこそミズガルズを丸ごと分解し、新しく作り直しでもしない限りは。
そんなことが可能なのは女神だけであり、それでも繊細さという点において劣っている彼女では元と同じモノを作る事は出来ないだろう。
「そんな」
無意識に言葉が漏れる。
降ってわいた希望が急速に消え去っていく。
どうしようもない現実を前にそれでもと考えに考えて「無理」の二文字しか見つけられなかった少女は思考を止めていた。
いかに人類最強の力をもっていようと彼女はまだ16歳の女の子でしかない。
レベルだけ無駄に上がった役立たず。
プルートの時と同じく、彼女には何も出来やしない。
情報を出し終えたアリストテレスは───プランは一人ずつその顔を観ていた。
こんな時であっても彼の心は凪いでいる。
究極的な客観性と無感動さが彼の本質であり、決してぶれる事はない……。
「……………」
光を失いつつあるルファスの瞳をプランは見た。
残酷な現実を前に打ちのめされた少女の顔を彼は前にも幾度か見た事がある。
6年前。
ヴァナヘイムで出会った時。
あの時は己の命を必死に繋ごうとしつつも迫る死を前にありったけの憤怒と憎悪が籠っていた。
1年前。
父に母を殺されかけ、己の命さえ奪われそうになった時。
どうしてこの世は自分を苦しめるのだとルファスは泣いていた。
「………………………」
そして今。
どうやら彼女は自分を助ける為に使うはずだったウルズの水が手に入らなくなりそうで嘆いてくれているらしい。
膝を付き、掌から零れ墜ちた可能性の大きさに震えている。
プラン・アリストテレスは大人だ。
悪いという頭文字がつくが、それでも大人だ。
“私を助けて”
もう約束してしまっている。
ならば守る必要がある。
その為ならば吸血姫とやり合った事さえあった。
彼は約束は守る大人でもある。
出来る限りという前置きがつくが、今回は問題なく守るつもりだった。
本来の使い方とは違うがミズガルズを循環するマナを整えるための設備なら在る。
何せ光の森を訪れた理由の一つがソレだったのだから。
むしろプランとしては交渉がしやすくなったとさえ思っていた。
「さて、皆さん」
一際大きな声を発する。
そんなプランを誰もが見た。
まだ話は終わっていない。
泉が出来た理由と、それが衰退している原因を述べた。
ならば解決策も用意しておくのは当たり前だ。
ロードスにメグレズ。
そしてルファスもまたプランを見た。
プランはいつもと変わらない微笑みを浮かべていた。
まるで屋敷のドアの立て付けをカルキノスと共に直している時の様な、そんな気安い感じで彼は言った。
「泉を復活させる方法について自分から提案があります」
彼はプラン・アリストテレス。
ほんのちょっとだけもう少し生きるのも悪くないと思い始めた男である。
最後のプランの言葉に対しての各々の反応。
( º言º) ←ロードス
(ꐦ°᷄д°᷅) ←ルファス
٩( °ꇴ °)۶ ←メグレズ。