ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
不気味な鳥の骸面が並ぶ。
【バルドル】を完全に着込んだプランとルファスはウルズの泉の前に佇んでいた。
パタパタと黒い翼を震わせながら少女は身体の各部を念入りにチェックしている。
これから行う行為に失敗は許されないのだ。
自分ならば大丈夫、等と言う傲慢など彼女には存在しない。
一通りの確認を済ませた後、ルファスはプランに向けて頷いた。
傍らにはロードス王とメグレズが並んでおり、アリストテレスの言葉を待っていた。
「まず“カテーテル治療”という概念が医学には存在します」
プランは平坦な声で判りやすい表現を用いて切り出した。
(……血管に小さな管を通す治療方法だったか)
その単語をルファスは見た事がある。
クラウン帝国で読み漁った医学書に乗っていた筈だ。
何らかの要因で縮小/閉塞してしまった血管にカテーテルという名前の細長い管を通して、こじ開ける治療方法だ。
蠍の麻痺毒を用いて感覚を喪失させた後にソレを行い、成功させた記述も記載されていた。
確かあの本の著者も“アリストテレス”といったか。
魔法と天法には滅法強いが、そういった生々しい医学に関しては疎いメグレズは頭を傾げている。
ロードスはさすがというべきか知っているらしく続きを視線で促していた。
「閉塞してしまった血管を再度使用可能にするための技術ですね」
「この場合の“血管”は元々ウルズの泉がマナを補充していた時に用いられていた通り道の事を言います」
数歩進んで、プランは指先を水面に差し込む。
徐々にではあるがやはり力の密度は落ち続けていた。
今はまだ高品質なポーション製作の原材料として用いれるだろうが、あと少し……ひと月もすればそれも叶わなくなるだろうと彼は予測した。
早急な対応が必要だ。
故に彼は淡々とやるべきことをやる。
プランという男は目的がなければ生きていけないが、逆を言えば役目さえあれば恐ろしい速度でソレを処理する事ができた。
「ルファスと自分で泉に対して周囲のマナを引き入れます」
計画の第一段階である応急処置。
とりあえず力を失い続けるウルズの泉にマナを供給し劣化を食い止める策。
しかしこれは次の段階を実行するための時間稼ぎと分析の為でもあった。
「これによって湖には外部より多量のマナが供給されることでしょう。
しかし大事なのはマナが何処を通ってくるか、なのです」
計画の第二段階。
それはマナの通り道──俗に“地脈”や“龍脈”と呼ばれる回廊の割り出し。
先のルファスの才能の発露時に見せたマナ蒐集能力の規模を考えれば、莫大な量の力が引き寄せられるとプランは計算している。
と、なると濁流の様なソレがどのような経路をたどってこの泉に流れ込んでくるか、それを割り出せる筈だ。
その通り道こそ、今までウルズの泉がマナを補充する際に用いていた“地脈”のようなものなのだから。
「血が流れなくなった血管は閉じてしまい、その機能を失うとされています」
この場合の血はマナの事を言う。
誰もがプランの言葉を黙って聞いていた。
アリストテレスは説明が足りない事も多々あるが、必要だと判断すればこのようにしっかりと講釈を行う事も出来るのだ。
元より解説や説明という行為が好きなプランなのもあり、彼はいつになく饒舌だった。
「それは地脈にも同じことが言えるでしょう。なので、自分たちがこじ開けた後は補修します」
どうやって?
という当然の疑問に対して彼は懐から小さな箱を取り出して開いて見せる。
ロードスが「そんなのもあったな」と頷き、メグレズはまさかの新しい伝説の品の登場に眼を輝かせた。
(本当に助けてもらってばかりだな)
ルファスもまた己の幸運を噛み締めていた。
気が付けば彼にはいつも助けてもらっている。
あの時の出会いは彼女の人生にとって大きなターニングポイントの一つだ。
ふんぞり返って偉そうな事を言う事しか出来なかった愚者をアリエスは今日まで献身的に支えてくれている。
彼もまたルファスにとってかけがえのない仲間だ。
入っていたのはアリエスの──虹色羊の羊毛であった。
これ以上ない程にマナに馴染むアルケミストにとっては垂涎の逸品だ。
ゴクリと喉を鳴らしたのはメグレズだったが、ロードスに肘で突かれて彼は直ぐに体裁を取り繕う。
「ソレを見るのも久しぶりになるな。確かに虹色羊の毛であれば問題はない」
杖を撫でながらロードスはしみじみとした様子で言った。
7000年間も生きている彼は、幾度か虹色羊を見た事があるらしかった。
かのカストールでさえ見つけられなかったとされるかの羊であるが、ロードスが発見できた理由は言葉にすれば単純なものだった。
「かの存在の現物をご覧になられたことが?」
「求めれば求める程に彼奴らは逃げるのだ。
巨大なアルゴー船を配下と共に乗り回す者に近づく訳もなし」
気配と敵意の隠蔽。
そして何より羊への執着を抱かない事。
それが虹色羊を見つける為の大前提だとロードスは小さな胸を張って言う。
戦闘能力よりもとにかく生存と隠遁に特化した王であるからこそ同じく逃げる事だけを考えて生きている羊の内心が判るのだろう。
ロードスはルファスに対して念のため言っておくことにした。
虹色羊の話題が出た瞬間から少しばかり彼女の視線に探るような意図が混ざり始めた事に彼は気が付いている。
「心配は無用だ。子供に無心するほど落ちぶれてはおらん」
「いえ……」
心を読まれた様な感覚に陥ったルファスが眼を白黒させて返す。
アリエスの価値がどれほどのモノかこの数年で幾度も目にしたルファスである。
己の仲間の安全に対する懸念を抱いてしまうのは当然であった。
「其方の元に居た方が虹色羊はその真価を発揮できるだろう。わざわざ効率を落とす必要などない」
無理やりアリエスからはぎ取った毛と、彼が望んで差し出してきた毛。
どちらが強い効果を発揮するかは考えるまでもない。
ただの素材に対してそんなセンチな事をと思うかもしれないが、マナというのは強く感情に反応する故にこれは当たり前である。
「続けよ、アリストテレス」
居心地が悪そうに翼をゆっくり動かすルファスをしり目にロードスはプランを促す。
まだ計画は半分程度しか聞いていない。
応急処置をして、構造を把握し、補強する。
その更に先、根本的に世界の構造が変わってしまった問題をどう解決するのかロードスには判らなかった。
マナを引き寄せるにせよ、何処から、どうやって?
ルファスと【バルドル】の力を以てすれば一時しのぎにはなるかもしれないが、まさか彼女を永遠にここに置いておくわけにもいかないだろう。
「マナを供給するための道を新たに作り出すつもりです。
用いるのはこの地の底に眠る木龍の身体、アレならば導管として問題ないでしょう」
何てこともないように彼は爆弾を落とす。
彼の踏み出す大きな一歩にアリストテレス卿たちが微かにざわめく。
目的こそ違えど、あの祭壇を用いる気だな、と。
※ 本来ならば4匹全部使うつもりなんだがな。
※ しかし理想を追い求めすぎて実行できなければ意味はありませんからねぇ。
※ 試運転って考えればいいんじゃないかしら? いきなり最大出力は不安も多いもの。
「ッ……本気?」
余りに淡々と言うプランに最も反応したのはルファスであった。
アレを使う? あの化け物を? 何を考えてるのだと叫びたくなるのを必死にこらえる。
なまじ最上位の魔物としての側面もある故にルファスには龍の強さがどれほどの域にあるか悟ってしまっていた。
桁違い。
いや、次元が違う。
自分が100人いても決して勝てないだろう。
怯えるように翼が縮む。
これからの計画に必須な筈の部位だというのに、竦んでしまっていた。
ウルズの泉を復活させる際にマナをかき集める必要がある……もしもその行為がアレを刺激してしまったら、と彼女は考えてしまっていた。
仮に怒った龍が自分を殺しにくるならばいい。
それで彼が助かるのならばルファスは己の命を捧げてもいいと思ってさえいる。
だが、あの巨躯の怪物にそんな器用な識別はできないだろう。
レベル1000。
確かに龍であるのならば、伝承、神話に名を残す龍ならばミズガルズの最高峰たるレベル1000でもおかしくはないし、そうであるべきだ。
だがしかし、それでも表現が足りないとルファスは思っていた。
かつてレベル1000の存在──不死鳥と彼女は戦った。
あの時にも思ったが、レベル1000でありながら、明らかにその枠をはみ出ている力というものがこの世にはある。
そんなルファスをして触れてはならないと思ってしまう域に軽々とプランは足を踏み入れようとしている。
とんでもないリスクだ。
もしも起きて身じろぎでもされたらその瞬間にこの森は……いや、ミズガルズは抉られてしまうだろう。
彼がそれを考えていない筈もないが、何を考えているかは……彼との繋がりからもよく読み取れない。
人としてのプランの思考ならば良く聞こえるのに、アリストテレスとしての彼の思考はルファスを拒んでいた。
(聞いてみよう。黙って考えてたって、私じゃ答えには至れない)
まだレベル900でしかない少女は、天上の怪物の微睡を邪魔しようとしている師に対して微かに不安を口にすることにした。
「師よ……それは、大丈夫なのでしょうか?」
ゆっくりと挙手し発言する。
全員の視線がルファスに向けられる。
当然、ロードスとメグレズも同じ疑問を抱いていた故に口は挟まれなかった。
「龍を刺激しても大丈夫……でしょうか」
うっかり素の調子で聞いてしまいそうになるほどにルファスの内心は緊張に満ちていた。
プランは勿論そういった質問が来る事も予期していたらしく、微笑みながら答える
「リスクはあるよ。こればかりはどれだけ手を尽くそうと天運の問題だからね」
龍は基本的に女神とその代行者が起動の為のスキルを発動させなければ動き出す事はない。
だがしかし、動かなくとも世界を破壊できるのが龍なのだ。
「鬱陶しいな」と眼を開けて鼻息を一吹き。
それだけで光の森は吹き飛んでしまうことだろう。
更には余波でミズガルズの2、3割がなくなる事も考えられる。
そんな事になったら女神は悲鳴を上げるかもしれないが。
己のお気に入りの皿が割れたくらいの衝撃は受けるだろう。
「なので出来るだけ龍にかかる負荷を抑える為に複数の細い回廊を作り出し、その上で協力者を募ろうと思っています」
助けてくれと言ったところで動かないのは判っている。
だがしかし、木龍に対して最も詳しい存在なのは彼女たち兄妹だけだ。
「光の妖精姫、ポルクスとその兄であるカストール。彼らに協力を要請するつもりです」
「ほぉ。懐かしい名前が出て来たな……確かにあの者達ならば龍の機微に詳しいだろう」
ミズガルズの伝説や神話にて度々その名が出てくる二人は言わば“正義側”の重鎮だ。
多くの勇者を助け、勇者が不在の時代においては時には人々の祈りに応えて魔物を退治してくれる事もあるという。
あの二人は女神の主催する舞台劇においてなくてはならない“正しい人たち”を導く役割を与えられた存在だ。
導きはすれど、助ける事はしないのだが。
そしてポルクスの持つ不愉快極まりないスキル……。
犠牲者をトロフィーか駒の様に扱うアレを思い出すだけでアリストテレスの胸中は苦みに満ちるのだった。
「えぇ。ポルクスはその性質上勇者以外には顔を見せないでしょうから、兄であるカストールを通しての会話になるかもしれませんね」
“嬉しいことに”という言葉をアリストテレスはうっかり付け加えそうになり「おっと」と気を付ける。
プランの声が微かに低くなる。
気が付いたのはロードスとルファスだけ。
彼らは端的に言ってポルクスが嫌いなのだ。
用事がなければ顔も見たくないというのが本音である。
「名高きディオスクロイと木龍にどのような関係が?」
疑問を呈したのはメグレズであった。
彼の言葉はルファスも気になっていた事である。
確かに神話よりその名を連ねる兄妹ならば龍についても詳しいのだろうが、わざわざ協力を仰ぐほどか? という疑問だ。
「簡単な話だ。奴ら……正確に言えばポルクスの方は木龍の化身なのだ」
「木龍が何か動きを見せれば間違いなく最初に反応するのは彼女だ」
親子と言っても差し支えないと締めればメグレズは数秒間固まった後、何度も頷きだす。
そういう事か、と得心さえ彼は得ていた。
驚きよりも納得が強い。
確かにただの妖精というにはポルクスの持つ力は大きすぎる。
光の化身としてあの魔神王と対を成すと言われる程なのだから。
更にはロードス王さえも可愛く見える程の長寿も龍の分身体というならば納得だ。
同時に新しい疑問が浮かぶ。
(何故、アリストテレス卿はそんなことを知っているんだ?)
感覚が麻痺を起こしそうになるが、プランは人間種だ。
エルフに比べてその寿命は短く、積める経験や磨ける技能にも限りがある。
だというのにアリストテレス卿の知識の量、磨き上げられた技術や語る理論は数千年を生きたエルフの様に膨大だ。
エルフ達の中でもロードスの側近としてこうやって従っている自分さえも知らない秘密を当然の様に語る彼にメグレズは微かな寒気を覚えてしまう。
人なのに人じゃない。まるでナニカが人の皮を被っているようだと……。
そんなメグレズの疑惑と畏怖をしり目にプランは更に今後の予定を語り続ける。
「交渉は自分が行います。
ポルクスにはまず出会えないでしょうが、兄であるカストールも噂を聞くに善良なる性質の持ち主と推察します」
にっこりとプランは笑った。
限りなく人に近い真似をしたゴーレムの様に。
満面の形だけを整えた魅力的な笑顔だ。
少なくともメグレズはその笑顔を見て少しだけホッとした様に肩を落とす。
彼はそこまでプランと親しくない故に、当然それが仮面だと気が付く事はない。
(彼が何者であっても、少なくとも僕たちの味方なのは間違いない)
不死鳥との戦いで命を救われた事もあり、メグレズはとりあえず今はアリストテレスについて詮索することを止める事にした。
正常性バイアスの一種であるがソレを誰も咎める事は出来ないだろう。
──その笑顔は好きじゃない。
ルファスは顔を顰めそうになるのを堪える。
こういうアリストテレスとしての顔/振る舞いをするプランを彼女は嫌いなのだ。
違う、こんな作り物の笑顔は貴方の顔じゃないと内心で煮えたぎる感覚を抱くが抑えた。
ロードスもそれが彼の本当の笑みではないと気が付いているが、今は何も言うことはない。
ただ、傍にいるルファスの内心で燃え盛る感情が僅かに揺れたのを察し、無意識に半歩下がっていた。
「少なくとも邪険にはされないかと」
「“吸血姫”よりはマシであろうな。……良かろう、かの者との交渉は其方に一任する」
ロードスの許可にプランは微笑みつつ深々と頭を下げて了承の意を示した。
とりあえず目覚めてしまうかもしれない龍への対処はディオスクロイの協力を得るという事でいったんは保留とし、最後の問題が残っている。
「最後の問題だ。そもそもどうやって膨大なマナを半永久的に引き込むのだ?」
「プルートの協力を得ます。ドワーフ達の力を借りる予定です」
プランにしては珍しく言葉を彼は濁らせていた。
ここまで明快に解決策を提示していたというのに。
しかし“プルート”という単語が出た瞬間にロードスは悟っていた。
アリストテレスともそれなりの付き合いがある上に、プランと契約を結んでいる彼は当然あの地に何があるか知っている。
女神を引きずり落さんと憎悪に満ちた者達の巨大なマナ蒐集/加工装置があることをだ。
手はじめに人類の全てをレベル1000の高みに至らせるための種火製造装置であり、同時に全てをアリストテレスに接続しその一部へと作り替える機能があることも。
(まさかここであの“祭壇”か)
苦虫をかみつぶしたような感覚でロードスは思考を回す。
もしもあれが動いたら、その後の世界は彼にも手が付けられなくなる。
いや、下手をしたらアリストテレスが全てを握る可能性も十二分にある。
プランはそんなことは望まないが、アリストテレスは違うのだから。
ここで種明かしをしよう。
あの祭壇はマナを蒐集/加工/配布する装置であるが、その後に訪れる混乱とした未来を抑制するための機能をプランは付け足していた。
即ちかの祭壇で生成されたマナにもう一工夫を加えることにより、思想の根底にアリストテレスへの忠誠を書き足す能力だ。
あの祭壇で作られる“
それを取り込むという事はアリストテレスの所持するアイテムになるということなのだ。
吐き気がするほどに嫌悪している女神と同じことを彼はやっていた。
誰も彼もを自分の人形に貶める三流脚本家のように。
プラン・アリストテレスはミズガルズが嫌いだ。
そこに生きる命はそこまで嫌いではないが、余り信じてもいない。
人の可能性と言えば聞こえはいいが、それを信じるという事は破滅の未来が訪れても受け入れるということなのだ。
プランは命が嫌いなわけではないが信じてもいない。
誰もが力を制御し、皆で仲良く世界平和を目指す事など出来ないと知っている。
だから彼はかつて魔神族の制御システムに侵入した時の様な、いざとなったら自分か自分が選んだ存在が全てを握れるような仕込みを作ったのだ。
マナは魂と肉体に宿る。
そしてそんなマナをアリストテレスは誰よりも理解している。
あの魔王や不死鳥の身体を作り替えて動きを止められるほどに。
なればこそ、マナを用いてバッグドアを仕込むことも出来るのだ。
そして歴代アリストテレス達としてもこれは悪くない仕掛けであった。
元々は祭壇によってレベル1000に到達した全ての者と【一致団結】を行う計画であるが、強大な力を得た者らが正直に言う事を聞くとも思えない。
故に十分にマナが行き渡った後、スイッチ一つで全人類の自我を操作し【一致団結】の出力を上げる道具へと作り替えるというのは効率的と言えた。
アリストテレスは人類の未来を案じている。
人類を神さえ超えた高みに昇らせたいとも思っている。
しかし女神を滅ぼすためならば手段を選ぶつもりもなかった。
その結果全ての人類/生命/魔物がアリストテレスに統合される事となっても、それは必要な過程でしかないのだ。
そんな事、女神を零落させたあとに対処すればいいのだ。
全人類の権利と自我を奪う事も必要な犠牲。
戦略的に致し方ない些事だ。
「なるほど。判った」
ロードスは頷いていた。
眠そうな瞳は相変わらずで、多くは語らない。
彼は7000年の経験を積んだ王であり、この同意がもしかしたら竜王さえ超えるアリストテレスの時代の訪れを意味するかもしれないとも理解した上で受け入れたのだ。
簡単な取捨選択である。
竜王とアリストテレス、どっちがいいという質問に後者を選んだだけ。
彼はエルフが存続するために産み出された統率者だ。
どんな時代が来ようと、誰が世界の支配者になろうと、そこにエルフがいればそれでいいのだ。
竜王の齎す未来では我が子たちが滅ぼされるかもしれないのならば、ソレは受け入れられないだけの話だ。
「全て任せる」
エルフ以外はどうなろうと構わない。
世界を変える展望などない。
ただ現状の維持を望むだけ。
エルフ王ロードス。
彼もまた諦めた男なのである。
『うぅ~~ん? おもってたのとちょっと違うね』
不気味な石膏像の様な顔に何処か困惑を浮かべて100の頭を持つ怪物が囀っていた。
彼の身体からは常に膨大な熱量が発生し、周囲の海水を泡立たせている。
深海の齎す水圧など意にもしない“竜王”はトリトン率いるアトランティスとの戦争において幾つもの想定外が発生し、どうしたものかと悩んでいた。
「どうなされましたか?」
傍に控えるのはラードゥンのお気に入りであるハイドラスだ。
4000メートルを超える深海の中であるが彼もまた竜──それも深海での活動に特化した水竜である故に水圧など何の意味もなく主の傍に付き従っている。
どこぞの国の王子と言われても納得できるほどの美麗な顔と青い長髪を備えた美男子は主たる竜王の言葉に疑問を浮かべていた。
数秒の沈黙。
もしかしたら主の逆鱗を踏みぬいたかもしれないとハイドラスは海の底だというのに更に背中が凍り付くような感覚を味わう。
ラードゥンはそんな部下の恐怖など知った事ではないように何時もの調子で返した。
どうやら自分の中で言葉を纏めていただけらしい。
『うん。簡単すぎてつまんないの』
ブーと口を鳴らす動作は子供の様であるが、彼は100メートルを超える不気味な巨人だ。
身体中に張り付いた竜たちが視線をあちらこちらにさ迷わせながら不気味に輝いている光景は悪夢でしかない。
彼の手足になっている竜たち一体一体がレベル1000であり、彼がその気になれば全てがその壁を突破できる事実をハイドラスは知っている。
彼とて真なる竜でありそのレベルは1000に限りなく近い所まで至っている。
だがしかし“竜王”はそんな領域など遥か超越した所にいるのだ。
この世で最も強いのはラードゥンだとハイドラスは確信を抱いている。
故に彼はラードゥンに従いながらも誰よりも彼を恐怖していた。
この善悪の区別もない子供の様に振舞う王が気まぐれを起こしたらその時点で自分は終わりなのだから。
ちなみに逃げても無駄である。
ラードゥンの血を受け入れてレベルアップを果たした時点で彼との繋がりが産まれてしまい、何処に居ようと竜王はその者の気配を辿る事ができるようになるのだ。
高レベルになればなるほどソレは彼の血と深く馴染んだという事であり、遠隔で自殺さえ可能となってしまう。
ハイドラスはもう逃げられない。
それはそうと竜王に従う事に対して不満があるわけでもないが。
根本的に魔物である彼からすれば誰よりも強い竜にかしずくのは当たり前なのだ。
『それにしてもさぁ、ほんとうにトリトンお兄ちゃんってうらまれてたんだね!』
恐ろしい勢いで崩れ落ちていくアトランティスの首都を見つめつつラードゥンは素直な感想を述べた。
何千年という歴史ある国の最期としかいいようのない地獄絵図だが、これは彼が直接手を下したわけではない。
彼が今回の戦争に投入した兵力───深海用に改良を施された【アイガイオン】の数は5隻。
そこに満載された兵員の数は最低でも数万規模で、更には劣化ハイドラスとも言える水竜の軍団を【アイガイオン】は絶えず孕み続けている。
延々とわき続けるレベル400から470の軍団は塗りつぶす様にトリトンが今まで築き上げていた栄華を粉砕していく。
それだけではない。
彼の招集に応じた男たち、トリトンに己の妻や娘を奪われた者達の活躍も目覚ましいものがある。
レベルこそ生産される竜には劣るもののその戦意は天井知らずだ。
それどころか魔物たちの頂点種族である竜さえもたじろぐ程の勢いで快進撃を続けている。
ほら、こうやって語っている間にもまた2つほど防御陣地が陥落した。
トリトンに従っていた兵士たちがバラバラに引き裂かれ、真っ赤な血漿となって海中に放り投げだされる。
もはや武器さえ使わず男たちは素手で暴れ回り目につく者を片っ端から殺しまわっている。
己の軍団の快進撃にラードゥンはたまらず拍手していた。
そうそう、こういうのでいいんだよ、こういうので、と彼は上機嫌になっていく。
ミョルニルではふざけた大番狂わせが起きた上にあの疫病騒動だ。
ミズガルズ全土を蹂躙する計画はどんどん後回しになっていたが、それもここまでだ。
海中だというのに魔法による炎で包まれていくアトランティスは彼の留飲を下げてくれる。
『いがいと早くおちたな~~♪』
アトランティス攻略においてあえて彼は参戦せず、己の軍勢だけで深海国家を攻めていた。
自分ばかり戦っていては、それでは折角ここまでの軍団を作った意味がないからだ。
何より怒り狂う復讐者たちの情け容赦ない虐殺ショーは竜王の好みでもある。
兄たちは自分に復讐させるのを楽しんでいたが、こういう風に焚きつけるのも楽しいものだ。
だがしかし、遂に我慢ならず海の王が動き出したようだ。
今まではラードゥンと同じく自分の軍団を動かすだけであったトリトンであったが、粉砕される己の国の有様に遂に忍耐の限界を迎えたらしい。
爆発的なマナの増幅をラードゥンとハイドラスは感じた。
ハイドラスは微かに緊張し、ラードゥンは無邪気な笑いを零した。
さすがは原初の種。
不死鳥さえも超える歴史を持つミズガルズ最古の魔法にして王というべきか、叩きつけられる圧は並ではない。
カツン、という彼が三又の鉾で大地を突いた音がここまで聞こえてくる。
たったそれだけの動作であれだけ狂奔していた竜王の軍団の動きが止まってしまった。
誰もが一点を見る。
そこにいたのは金髪の偉丈夫……トリトンだ。
彼はその瞳に怒りを滾らせながら醜い者達──妻や娘を奪った後、不要だと判断して国を追い出した男たちを見た。
どうして彼らが怒っているかトリトンは全く理解できない。
この世で至高の存在である俺様に女を差し出せたのだから喜ぶべきだと信じて疑っていない。
「下郎め。誰の許しを得て俺様の国に足を踏み入れた?」
『ごきげんよう! それはね、ぼくが良いっていったのさ!』
瞬間的に【エクスゲート】が展開されラードゥンはトリトンの前に姿を現す。
明らかにミョルニルで用いていた時よりも術の精度/練度は高まっている。
ケタケタ笑いながら竜王はトリトンを前にしても全く態度を変えない。
『はいはいはい~! ちゅぅも~~く!!
あのね!! ぼくと“ともだち”にならないかな?』
「醜い奴め」
トリトンが竜王の異形極まりない姿に顔を顰める。
もちろんラードゥンの言葉など聞いてもいない。
嫌悪を隠そうともせず、それどころか文字通り彼は唾棄した。
露骨な嫌悪と拒絶を前にすればさすがの竜王もまた自分の勧誘が失敗したことを悟るしかない。
彼は心底判らないと言った様子で首を傾げつつ呟く。
『ありゃりゃ……ベネトちゃんもそうだったけど、一体なにがいけないんだろ……?』
友達0人。
なーにがいけなかったのか彼は本気で考えた。
竜王の101個ある頭は瞬時にフル回転し答えを導き出す。
彼はとても賢いのだ。だから直ぐに納得できる解を用意できた。
にやりと三桁にも及ぶ竜の顔が同時に口角を吊り上げ嘲る。
『あー……つまり、トリトンお兄ちゃんはバカなんだ!!』
『そういうことね!! バカなんだ! バーカバーカ!!』
自分より強い存在から要求されているというのに一向に意地を張る姿勢を彼は「バカ」の二言で解決した。
なるほど、バカなら仕方ないね! と彼は哄笑のボリュームを上げていく。
幾つもある口から次々と彼はトリトンの精神を逆なでする嘲笑を吐き出し続ける。
仮にも世界の頂点たる存在が吐くとは思えない程に稚拙で下劣な煽りに対し、トリトンの中で何かがブチっと音を立てて切れた。
額に青筋を浮かべ、整った顔を憤怒に歪めながら彼は腹の底から眼前の醜悪な存在へと怒号を吐きつけた。
「醜悪! 下劣!! 低俗な俗物が!!」
怒髪天を衝くという言葉の通り、彼の姿は余りの怒りによって変化を遂げ始めている。
美男子として整えられていたガワを脱ぎ去り、その身が本来のモノへ回帰していく。
口が裂け、鱗が生えそろい、口からはチロチロと舌が蠢く。
エロスことトリトンの本性……それは竜王の巨躯さえ超える超大な蛇である。
真なる龍よりは数段劣るが、彼もまた龍の域に身を連ねる原初の存在なのだ。
『あっは~~~~♪ いいよ! おいでよ!!』
吹き荒れる神聖なる気配にラードゥンは歓喜の声を上げた。
竜を超えた龍を目指す彼にとってトリトンの本性はとても羨ましく映るモノなのだ。
あぁ、なんて綺麗なんだろうか。
これをズタズタにするのは本当に楽しくてたまらないだろうなぁ、と竜の王は残忍な思考に脳髄を浸す。
そんなラードゥンの態度はトリトンの精神を更に逆撫でした。
この偉大なる世界の王たる自分の神体を前に跪くどころか、不躾に吟味されていると彼は悟り、その顔を更なる怒りで歪ませる。
「偉大なるミズガルズの王たる俺様の前で醜悪なトカゲがいつまででかい面をしているつもりだ。
身の程を弁えよ……劣悪種が!!」
『おいで。ぼくとあそぼうよ』
くい、くいとラードゥンが手招きすれば遂にトリトンの我慢は限界を超えた。
龍が下等なる竜を殺すべく吠える。
「殺すッッッ!!!」
アトランティスの王にして龍のプロトタイプであるトリトンと“竜王”の戦いが始まるのだった。
アリストテレスの計画。
一部開示。
第一段階
祭壇を用いて果実を量産し情報を収集しつつ全人類の平均レベルを底上げする。
全ての種族をレベル1000に到達させるまでコレは続行。
第二段階
十分に果実が行き渡った時点でマナの所有権を経由し人類すべての思考を掌握。
『一致団結』を最大限に利用可能な精神状態に調整。
第三段階
全人類を外付け装置とすることで出力を増幅させた『観察眼』を利用し
ミズガルズを運営するコードを分析し所有権を“鍵”を用いずにハック。
第四段階
【検閲】