ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
「冷酷さや残忍さは後から必要に応じて身に付けたものであり
元々は穏やかな方だったのでしょう」
───リーブラ 原作61話より抜粋。
ルファスが寝込んだ。
やはりというべきか、11歳の誕生日を意識する頃合いになってから彼女は高熱を出したのだ。
その報を受けたプランに焦りはなかった。
むしろ「やっぱりな」という気持ちの方が強かった。
心の何処か、今まで積み重ねてきた知識や経験達が「自分の仮説は正しい」と囁くのを彼は聞いた。
ルファスはだいたい一年周期で大規模な体の成長……いや、
ヴァナヘイムに居た頃にここまで酷い事にならなかったのは、単純に
幸か不幸か、もしもヴァナヘイムで今の様に高熱を出してしまったりしたら、彼女の命は変異に耐え切れずに終わってしまっていたかもしれない。
プランは高速で23枚の書類を捌いてから立ち上がる。
窓の外は雨が降っており、雨粒が屋根を叩く音がした。
時間は正午を回っている。しかし分厚い雨雲が空を覆っているせいか、周囲は薄暗かった。
今日の戸締りは早めにやった方がいいなと思いながら歩き出す。
目的地は自室だ。少しだけ彼は休憩を取ろうと思った。
ルファスの方は今の所は経過観察を行うだけでよいだろう。
結局のところ、アレは病気や怪我の類ではなくルファスの「成長」なのだから。
感染病などではなく、なおかつ夫人の健康状態も万全という事から少女の看護は母であるアウラがやっている。
母親に看護されると聞いた時のルファスの顔はとても嬉しそうだったのをプランは回想した。
まるで普通の親子の様に熱が出た時に見守って貰えるというのは、彼女にとって初めての経験で、実は心の何処かで羨望を抱いていた事なのかもしれない。
親子の時間に無粋な干渉はするべきではない。
「めぇっ……」
執務室の扉を開けてすぐの所にアリエスがいた。
白と青のストライプ模様のシャツを着せられた彼はトボトボと項垂れた様で同じところを行ったり来たりしている。
瞳は潤んでおり、主である少女の容態に気が気じゃないと見えた。
プランが近寄っても彼は逃げたりせず、むしろ涙を零しながら見上げてきた。
パクパクと口を必死に動かし、懇願するような鳴き声を上げる。
前足でプランの脛あたりを掻きながら彼は言った。
「めぇ~っ! めっ、めっ! メぇぇぇ~~……」
何と言っているかプランには判らなかったが、そこに込められた感情が何かは判った。
彼はルファスを心配しているのだ。
アリエスにとっては初めてとなる事だけに、不安を抱くのも無理はない。
虹色羊の半生をプランは知る事は出来ないが、多くの喪失を経験したであろうことは想像に容易い。
故にルファスもまたいなくなってしまうのではないかという不安をアリエスは感じているのだろう。
プランは膝をつきアリエスの顔を真正面から覗き込みながら強く言い聞かせた。
潤んだ羊の瞳に自分の顔が映っていた。
「大丈夫だよ。彼女は強い子だ。彼女を信じてあげてほしい」
「………ッ」
こくこくとアリエスが頷き、猫がそうするようにプランの足に己の顔を押し付ける。
垂れた鼻水をべっとりとズボンにつけられた彼は苦笑しながらアリエスを抱き上げた。
アリエスはとても軽く、そして暖かかった。
「メ?」
突然の行動にアリエスは顔を傾げた。
細い足で男の顔を軽く叩く。
プランは【観察眼】でアリエスの全体をざっと見まわす。
体調は至って良好。
毛並みも上々。
虹色羊の毛の伸びる速度が速いのか、それともマナが豊富なリュケイオンの土地が影響しているのかは不明だが、アリエスの毛は既に産毛とはいえない程に長くなっていた。
ちなみに最後のステータス欄に出てきた【食べ頃】や【旬】という情報をプランは無視した。
家畜などを【観察眼】で見るとこういう情報が出てくるのだから仕方ない。
剃られた毛が再び生え始めており、身体は微かに発光し始めている。
丁度良い頃合いだとプランは思い至った。
今の時間はアウラがルファスと食事を行っているであろう時間帯だ。
検温の結果や夫人に任せていたルファスの体調のレポートなどを受け取る時間まではまだ余裕がある。
だいたい……1時間といった所か。
その間にルファスに約束していたアリエスの毛色を隠すアイテムの調整を行いたいと彼は考えたのだ。
「少しだけ付き合ってほしいんだけど、いいかな?
アリエスがルファスともっといろんな所にいけるようになるアイテムの実験をしたいんだ」
自分と、何よりルファスの為であるというのならばアリエスに断る理由などなかった。
ルファスは熱に浮かされた頭で「これは夢なのかもしれない」と朧に思っていた。
今の彼女の体温は40度8分。鍛えた成人男性でさえ活動が不可能になるほどの高熱であった。
そんな中、彼女は己のベッドのすぐ近くに座っている母をじっと見つめていた。
視線が合うと母はにっこりと微笑んでくれる。
励ますように頭を撫でてくれる。
水の天法でよく冷やされたタオルを新しく額の上に置いてくれた。
答えるようにルファスは検温器を母に渡した。
やはり体温はとてつもなく高い。
体中の血液が全てマグマに変わってしまったようだ。
は、は、は、と熱い息を吐く少女の口元に水差しが添えられる。
ルファスは夢中になって程よく冷えた清水を飲んだ。
熱すぎた身体が少しだけ冷やされてとても気持ちがよい。
本当に夢のようだと彼女は思った。
ヴァナヘイムにいた頃、仲睦まじい親子を彼女は遠目に眺めていた事があった。
手をつなぎ合い、病気になった子を案ずる母の姿だった。
ルファスのささやかな夢だったのだ。
病気になった自分を母に看病してもらうという、誰でも経験したことのある状況に彼女は憧れていたのだ。
自他共に弱さを許さないルファスの貴重な“甘え”であった。
さらさらとアウラがペンを走らせ紙に何かを記載していく。
それはプランに頼まれたルファスの体調に関するレポートだった。
体温、容態、声の感じ、呼吸音、その他もろもろの内容がびっしりと書き込まれていく。
誰よりも、ともすればルファス本人よりも娘の事を知っている彼女の母親として感じた違和感さえも併せて記される。
プランの【観察眼】は様々な情報を見抜く事が出来るが、母親が娘に向ける観察力には勝てないというのが彼の考えであった。
「お母さん……」
息も絶え絶えの状態でルファスは母に声をかけた。
一時であっても自分から視線を外されたのが嫌だったから。
「どうしたの?」
微笑んで母が答える。
ルファスは先の言葉に詰まった。
元より反射的に呼んだだけであり、どう話そうかと考える余裕など今の彼女にはないから。
少しだけ悩んだ結果、彼女は母に問う事にした。
普段ならば絶対に聞けないであろう事……
どうしてあそこまで迫害されてその現状を受け入れていたのか。
どうして逃げなかったのか。
自分という足手まといがいたのは判るが、それでも白い翼をもつ母ならば何とでもなったのではないかという疑問。
そして……そもそも何故あんな男と結婚したのかという疑問だった。
迫害を受けていたのを黙認していた男だ。
碌な食事もとらせてくれず、時々出されたちょっとだけ肉が浮かんだスープには洗剤が混ぜられていた。
穴だらけの小屋はヴァナヘイムの夜風を全く防いでくれず、夜の山という極寒はとてつもない地獄だった。
もしもアウラが身を挺して一晩中抱きしめてくれていなかったら、ルファスの手か足の指の何本かは凍傷でもげていただろう。
地獄だった。絶望の底だった。
子としてどころか、生き物とさえ認識されていなかった。
ジスモアという単語を思い浮かべるだけでルファスの額に青筋が浮かび、ただでさえ危険な体温が更に上がりそうになった。
そんな彼女を母は優しく撫でて宥めすかした。
「……どうして、あんな奴と、結婚したの?」
「…………」
ルファスの顔をアウラは見た。
意外だと彼女は思った。
ジスモアに関する話はルファスの前では禁句であり、一度でも名前を出せば一日中不機嫌になる程に娘は父を毛嫌いし、憎んでいたのを彼女は知っている。
そんな彼女が、熱に浮かされている状態とはいえ自分から父の事を聞いてくるなど……。
「そうね……」
アウラは悩んだ。
どう話そうと、何を話そうとルファスはジスモアを許す事はないと知っている。
ここで誤魔化すのは簡単だが、娘が一歩を踏み出したのに、真摯に向き合わないのも違うと彼女は思った。
アウラとて心を持つ人間だ。
ジスモアの行いに思う所がないわけではない。
ただ、ルファスは彼の悪意に満ちた狂信的な白翼主義者の側面しか知らないというのも事実だ。
父親としては論外であり、気狂いと断定されても仕方ないジスモアだが、それは彼の全てではない。
彼は彼なりに天翼族と、ひいては人類の未来に対する明確なビジョンを持っていた。
彼はエノク家の当主として優れた貴族である。それだけは間違いがない。
潔癖症ともいえる翼へのこだわりさえ除けば、彼の天翼族を担ってやるという心は誰よりも強い。
プラン・アリストテレスを始めとした外界の有益である存在との交渉や、排他的で引きこもりがちだった天翼族に革新を齎したのも彼である。
今でこそ当たり前となっている天翼族の空路による貿易を行い始めたのもジスモアなのだ。
陸路よりも早く、安全で、なおかつ隠密性の高いソレは瞬く間にミズガルズ全土を結びつけるインフラへと成長した。
その結果、天翼族の知名度、名誉、保有資産は跳ね上がり、天翼族そのものが一種の貴族種族として認識されるまでになった。
アウラは思い出す。
変わる前の彼が誇らしげに語った夢を。
金と種族と技術を翼によって結び合わせ、全ての人類種を天翼族の下に一つにしてみせるとジスモアは言っていた。
───魔物に魔神族、恐竜まで俺たちを脅かしている。だからこそ俺たち人類は一つにならなくちゃいけないんだ!
───俺たちの翼が世界を一つにする! 我ら天翼族が全ての人類を纏めて導くんだ! 俺はな、人々が何にも脅かされない世界を見たいんだ。
無邪気な笑顔だった。
とてつもなく困難な夢を前にし、決して諦めずにジスモアは突き進んでいた。
ルファスは否定するだろうが、間違いなく彼はルファスの父と言える精神性を持っていた。
「あの人の“夢”に惹かれたの……とても可愛らしい顔で、夢中であの人は……」
「……ゆめ?」
そうよ、と答えてアウラは娘の髪を撫でた。
己と同じ髪色。同じ色の瞳。
そして内心の激情と意思の強さは夫を思い出させた。
「世界を一つにしたいって……全ての人が安心して生きていける世界を作るという夢よ」
「……わたしたちは、全然、安心なんか………!」
ルファスが吐き捨てる。
己たちが受けた仕打ちを思い返し、何をふざけた事をと彼女は憎悪に満ちた顔を浮かべた。
「そうね…………あの人が変わってしまったのも事実よ」
何を言おうと言い訳にしかならないと判断したアウラは呟いた。
自分はどうなっても構わなかった。何なら故郷で死んでも悔いはなかった。
しかし娘だけは、ルファスが苦しませられたことだけは彼女の心に暗い影を落とす。
ルファスが産まれた日を思い出す。
ルファスが産まれるまでの日々を想起する。
懐妊が判明した日の彼は今でも覚えている。
飛び上がる程に……いや、文字通り飛び回って彼は喜んでいた。
ヴァナヘイム中を飛び回り、自分は父親になるんだと叫び回っていた。
涙を流しながら自分の両手を握りしめ「ありがとう」と伝えられた。
そしてジスモアは夫としてあらゆる努力をしていた。
外部からわざわざ医者を用意し、アドバイスを受け、それを忠実に守っていた。
やがて産まれ来る子を迎える為に多くの改築を家に行った。
新しい家族を迎えるために必要な知識を得るために多くの本を読み漁っていた。
貴族として忙しいのにも関わらず毎日自分の下を訪れ、お腹に耳を当てていた。
赤子が腹を蹴った際、はにかみながら彼は言った。
──俺の可愛い子。俺と君の子。この子の為にも、もっともっと頑張らなくちゃな。
お腹が大きくなるにつれて、自分よりも彼の方が何故かあたふたしていた事をアウラはよく覚えている。
そして迎えた出産の日。直感で“今日だ”と悟り、夫に告げれば
彼は普段大貴族として発揮している優れた指揮能力をいかんなく発揮し、全く慌てることなく全ての準備を整えてくれた。
その日の為にヴァナヘイムの一角で待機させていた医者や経験豊富な産婆を直ぐに呼び寄せ、何の心配もなく彼女はルファスを産むことが出来た。
そして産まれた赤子のルファスを……背に生えた黒い翼のひな型を見てジスモアは言ったのだ。
“何の心配もしなくていい。俺が天翼族を変えて見せる”と。
力強い宣言をアウラは信じた。信じて、信じて、信じ続けて……死ぬ寸前までいった。
天翼族にとって黒い翼は穢れの象徴である。
原初の天翼族ウラヌスが守り管理していたマナの実を盗み取り、食した罪の証。
女神を裏切った罪人の烙印のようなものだ。
ジスモアは戦った。己の妻と娘を天翼族に受け入れさせる為に。
しかし彼の夢を叶えるためには莫大な金と、天翼族の団結が必要不可欠なのも事実。
人類を一つにしたいと願う男が己の種族一つ纏められないのでは話にならない。
そしてヴァナヘイムにおいて貴族とはエノク家だけではない故に、当然敵対する家にとってルファスの翼の色は格好の攻撃材料となった。
きっと彼は何処かで「皆もいずれ判ってくれるだろう」という楽観的な考えをもっていたのだろう。
天翼族の黒い翼に対する狂気的な嫌悪感と排他性の強さを彼は見誤ったのだ。
現実は彼の想像をはるかに上回った。
ヴァナヘイムにおけるあらゆる一族、組織、人員がジスモアの敵に回った。
ありもしない醜聞を着せられ、己が開拓した筈の空路貿易という手柄を奪われそうになった。
天翼族の名家同士で内定していた筈の子らの婚約まで取り消された。
冗談じゃない、最も美しい白翼のメラク様と婚約などありえない、と。
エノクの恥さらし。
おぞましい咎人の血筋。
存在してはいけない不義の子。
メラク様と比べるのもおこがましい。
ジスモアは選択を強いられた。
夢か、愛かの二択を。
そして彼は夢を選んだ。
それだけの話だった。
彼が天翼族の白翼主義に屈し、変わった日。
ルファスと一緒にあのボロ小屋に押し込まれる前日。
「すまない」と告げられた日をアウラは決して忘れないだろう。
元々は表面上だけの筈だった。
面従腹背という言葉がある通り、表向きだけでも天翼族の主義に賛同し、己の夢の為に耐える為の演技のはずだった。
いつしかソレが張り付いてしまい、本人でも判らない内に仮面が本物になってしまったのがジスモアという男であった。
何てことはない。
ジスモアの真実など貴族社会ではありふれた話だ。
彼は己の
アウラは知っている。
既に夫の傍には新しい女性が寄り添っている事を。
いずれ自分は本当の意味で彼に切り捨てられる事を。
アウラは
夫の行動は自分の夢と立場を守る為には仕方ない事だったのだと納得している。
彼女は
ルファスが受けた仕打ちを除けば彼女は夫を許していた。
以前プランに「ヴァナヘイムから逃げればよかったのか」と問うたことがあったが、本心はルファスさえ助かれば彼女はあの地に骨を埋める気であった。
お墓位は作ってくれるだろうという夫への信頼がそこにはあった。
天翼族の差別意識だってそうだ。
狂気と称するしかない排他性だが……何故か彼女はコレに対しても悪感情を抱けなかった。
何といえばいいのだろうか。彼女はむしろ同族に対して憐憫さえ抱いていた。
まるで人形の様だ、と。
根拠はないが、自分を差別する者たちを彼女はそう見ていた。
遥か高みにいる
ただ動いているだけの人形に憎悪など抱けるはずもなかった。
「なにそれ……」
母の話を聞いたルファスは呆然と呟いていた。
己の夢の為に母を捨てた? ふざけるなと叫び出しそうになった彼女だったが……思い出してしまった。
自分が“子隠し”に誘われた時、母の事をなんて思ってしまったか。
───弱い女だと彼女は思ってしまった。
───いつもいつも父に虐められ、暴力を受け、それでいて何もできない弱い女。
───そしてそんな女は今は自分の人生を縛り付けようとしている。
───毎晩毎晩言うのだ。“プラン様に感謝しなさい”と。
───うんざりであった。
───私の人生は私だけのもの。
───誰にも干渉されたくない。
───支配されたくない。
あの時、ルファスもまた己の夢の為に母を捨てようとしていた。
血は争えない。どれだけ拒絶しようと彼女と父は何処かで似通った部分があった。
湯だった頭でありながら顔を青ざめさせた彼女は唇を震わせた。
余りの衝撃に手足の感覚が薄れてしまった。
自分がジスモアと同じことを考え、同じことをしようとしていた事実はどんな攻撃よりもルファスの心身に痛打を与えた。
アン・ブーリンが何処かでせせら笑っているように思えた。
“なーんだ、ちゃんと親子してるじゃん”と吐き捨てられた様な気さえした。
骨が軋むほどの力で拳を握りしめる。
奥歯が嫌な音を立てた。
湧き出るのは憎悪だった。己への憎悪だ。
己の中を流れる血を彼女は憎んだ。
逃げられない業を彼女は認識してしまった。
そんな彼女をアウラは抱きしめた。
ヴァナヘイムでいつも浮かべていたような微笑みを浮かべながら。
悲しみと諦めが入り交ざった、人形を掘っていた夫婦がしていたあの笑みだった。
白い翼がルファスを包み込んだ。
少女は母の肩を握りしめる。
言葉に出来ない感傷に身を炙られる彼女が身を震わせると……扉がノックされた。
「失礼します。もう落ち着いた頃合いかなと思いまして」
部屋に入ってきたのはプランと、彼に抱きかかえられていたアリエスだった。
微笑みを浮かべた彼は何処か誇らしげな、仕事をやりきった職人の様な感情を全身から放っていた。
抱かれているアリエスの色がコロコロと
赤。
青。
黄。
緑。
白。
黒。
カメレオンを始めとする擬態生物の様に虹色羊はその名の通り
ルファスはソレを見て眼を擦った。
どうやら自分は高熱で変な夢を見ているのだと彼女は己を納得させた。
「そろそろ交代しませんか? 朝早くから看病していて、夫人も疲れが溜まっている筈です」
「はい…………」
ぱちぱちとアウラも瞬きしながらアリエスを凝視する。
凝視して……変わり続ける色彩に目が痛くなったのか視線を外した。
とてつもなく濃くて、グロテスクな色彩変調であった。
ルファスを見て、目線で彼女は問いかけた。
遠巻きにしか羊を見ていなかった彼女は判らないのだ。
“元からあんな色だったの?”と母は娘に聞いた。
虹色羊という名前と由来を知っている故に、逆に彼女は混乱していた。
あぁ、虹色ってそういうものだったのかと納得しかけてさえいた。
ぶんぶんとルファスは頭を振った。
冗談じゃないと口パクで伝える。
もっと綺麗な、虹を薄めて溶かしたような儚くて美しい色であったと彼女は目線で訴える。
アウラは一瞬だけ悩み、やがて意を決して口を開いた。
流してもよいが、そうなると娘が高熱を出した状態でこの奇怪な羊と向き合わなくてはならなくなる。
「あの…………」
「やはり気になりますよね」
アリエスを指させばプランはにっこりと悪戯心に満ちたような笑みを浮かべた。
彼が一言「アリエス」と言えば、羊は小さく頷き、その色がまた変わる。
「メッ」
ぴたりと激しい色彩変更が停止し、一瞬で羊はその体色を純白へと変化させた。
そのまま色は変わらない。今のアリエスの姿は何処にでもいるただの羊そのものだ。
「以前から話していた魔法のアイテムの調整が終わったんです」
良かったね、とアリエスを覗き込めば羊は嬉しそうに「めぇっ」と鳴いた。
産まれてから今まで己の毛色に悩まされ続けていた羊はただの羊に戻れた喜びを全身で表していた。
その喜びを表現する様に再びアリエスは全身を
まるで有毒生物の持つ警告色のようであった。
仮にこの色彩でアリエスが産まれていたら誰もアリエスを狙おうとせず、むしろ距離を置かれていただろう。
……それはそれでこの繊細な羊の心は傷つくかもしれない。
プランはアリエスをそっと降ろすと、彼の頭を撫でた。
「アリエスには【ステルス】の魔法を宿した布で作ったシャツを着せています」
【アルケミスト】のクラスを持つプランにとって魔法の道具作成とは特技の一つだ。
そして【ステルス】とは下級の魔法である。
効果はその名の通り己の姿を不可視にするというものだ。
これだけを聞けばとても強い魔法と思えるかもしれないが、悲しいかな、ミズガルズにおいて目に見えなくなる程度はそこまで優れたメリットとは言えない。
熱や足音や、魔力や天力、中には魂を見て感知してくる存在も多々いるのだから。
そして【ステルス】という魔法の本質は
ならばそこを少しだけ弄れば、己の色を好きな色へと変換することも可能なはずだというのが彼の考えであった。
いや、
極まった彼の【錬成】は世界の法則を少しだけ書き換えた。
そしてその結果が目の前のアリエスである。
魔法のシャツを着たアリエスは、己の意思で己の色を好きなように変更することが出来るようになったのだ。
七色に輝いているのは……単にアリエスの趣味である。
彼にとってあの色は“強い”と思う何かなのだろう。
もしくは……ついさっき聞いてしまった母子の話に何か思う所があったアリエスの、彼なりの励まし方なのかもしれない。
アリエスはテチテチとアウラの下に歩いていくとじっと彼女を見つめる。
もちろん全身を不気味に輝かせながらだ。
アウラの頬がたまらず釣りあがる。
余りに奇怪極まりないアリエスの様子に、彼女は口元を手で抑え震え出した。
ついさっきまで夫の過去に思いを馳せていた憂いのある女性はここになく、いるのはこみ上げる笑いを必死にこらえる可愛らしい夫人であった。
「っ……ぷ……っ……それは……だ、め……です……!」
「めぇぇ~~~?」
「────~~っっ!!」
追い打ちをかけるようにアリエスは首をぐるぐると風車の様に回す。
その状態でゆっくりとアウラに近づけば彼女は真っ赤に顔を染め上げ、抑えた口元から息を漏らしながらルファスへと抱き着いた。
娘の腹部に顔を埋めながらアウラは震える。よほど笑いのツボに入ったのか、唸るような声を出していた。
「だめっ……だめ、です……るふぁす、ちょっとだけ……こうさせて……!!」
「……うん」
ルファスは半ば現実逃避しながら天井を見上げた。
身体が重い。
少しだけ熱は下がったかもしれないが……さっきより疲れた。
まぁ何はともあれ、母が悲しい顔をしなくなったから良いかと彼女は割り切った。
さっきのような何もかもを諦めた笑顔ではなく、心の底から……少なくとも笑ってはくれている。
枕に後頭部を預けながらルファスは瞳を閉じる。
とりあえず体調が戻ったらアリエスに妙な事を吹き込んだプランの事を一発殴ってやると心に決めた。
「おやすみ」
最後に耳に届いた声に彼女は気だるげに腕を上げて答えた。
魔法のシャツ
改良されたステルスの魔法が込められている。
装備者の色を変化させられるだろう。
ただし、一部だけ色を変えるというのは不可能であり、色彩の変化は全身に及ぶ。
仮に今回の色彩変化を原作時間軸の人化アリエスで行えば、全身の皮膚がネオンサインの様に輝くルファスとは別種のバグったアリエスとなるだろう。
仮にルファスがこれを着用して、黒い翼を白くしようとしたら
結果、全身が文字通り光り輝くルファス・ライトになるかもしれない。
それだけ白に描写を割り振っても彼女の翼はせいぜい僅かにグレーに寄った黒にしからない程に濃厚な黒である。
ゲーミング・アリエス。
高額のPCを買う時、5000円くらい出すと追加できるオプションみたいな光り方をしている。
ジスモア
仮面が張り付いて剥がれなくなった人。