ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
誰かに渡される筈だった作りの良い懐中時計。
本来ならば受け取りに現れる人物はその日現れなかった。
日常の終わりは唐突だった。
永遠とはいかなくても数十年は続くと誰もが無根拠に信じていた日々が断絶する時が来た。
ルファスが未来を夢見て深い眠りについた夜、雲一つない月の美しい夜にソレはやってきた。
ソレはこの世の全てを嘲っていた。
ミズガルズが、いや、女神の世界の全てが自分の為に存在すると信じて疑わない怪物は哄笑と共に現れた。
ハハハハハ!! モブのみなさーん!! ごきげんよう!!
悪い悪い竜が。
世界の破滅を願う悪意の塊が少女の幸福を壊しにやってきた。
えーっとですね!
きょうはきみたち居てもいなくてもなにも変わんないわき役の人びとにおねがいがあってきました!
ここにぃ“悪い子”がいるっておしえてもらったの! だからさ、ぼくにちょうだい!!
1じかんだけまつから、ゆっくりかんがえてね!
悪意──“竜王”ラードゥンは相手の都合など全く考えずに己の主張と要求だけを垂れ流す。
彼にとって人間など虫かそれ以下の存在であり、虫の都合など考える必要はないのだ。
だから彼は会話しない。
彼は交渉しない。
彼は慈悲をかけない。
1時間の猶予も温情などではなく、苦悩する下等生物を見て楽しむだけの鑑賞時間だ。
言葉は通じるが相互理解は不可能な純粋な黒い怪物。
それが竜王ラードゥンなのだ。
パタンと書類を閉じる。
全ての引継ぎは完了。
皮肉な事にルファスによって負わされた傷のせいで己の死後を纏めていた故に急ぐ必要はなかった。
プラン・アリストテレスは動揺していなかった。
元より何時かこうなる日があるかもしれないとさえ思っていたのだから。
ミョルニルの戦いで此方の存在を認識された以上はこうなる事も十二分に考えられた。
“兵器”はまだ未完成。
制御に難がある事を考えるに使うべきではないだろう。
竜王に向けて使えないのであればプルートの奥底にアレは封印しておくべきだ。
いつか誰かが完成させた暁には魔神王相手にでも用いてやるといい。
で、あれば……やるしかない。
既にカルキノスに頼んで三十代以上の領民へと蒐集命令を出している。
気は進まないが、こうなってしまったらやるしかないのだ。
「…………」
立ち上がる。
片手に持つのは【エリクサー】の瓶。
ルファスの用意した薬品はこれが10本目。
これを用いてあとちょっとした工夫をすれば身体は万全に戻るだろう。
ルファスの願いはここに果たされることになる。
彼女がその結果を見る事はもう叶わないだろうが。
自分の番が来た。
ラードゥンの襲撃に対してプランが思った事はそれだけであった。
自分は今まで多くの命を奪ってきた、自分より弱いモノを食い物に生きてきた。
今度は自分が奪われる側になった。
それだけの話だ。
命の奪い合いを是とする世界で生きている以上、死ぬ順番待ちの列に並ぶのは当然なのだから。
様子を見る為に歩を進めてルファスの部屋に向かう。
この日にやってきたのは本当に都合がいい。
ルファスを巻き込まなくて────。
プランは立ち止まった。
ルファスを狙っている?
ミョルニルで彼の計画を大幅に乱した自分ではなく、あちらからすれば因縁など何もないルファスを。
気が付く。気が付いてしまう。
ぴったりと竜王の襲撃がルファスの誕生日目前、彼女が無防備になるタイミングに偶然重なるなどありえるのだろうか?
しかもラードゥンの宣言は明らかにルファスの存在を認知して放たれていた。
ルファスだけを竜王は認知している。
アリストテレスこと自分は完全に認識していない。
何ならここに自分がいることにさえ気が付いていない。
であれば、誰かがラードゥンにルファスの存在を密告したと考えられる。
そう考えなければ辻褄が合わない。
幾らルファスが強かろうと今の彼女がラードゥンを脅かす事は出来ないのだから。
ならば誰が?
ルファスの性質を知った上で、ここに彼女がいると判っていて、それでいて排除を願う存在。
────そんなもの一人しかいない。
プランは苦笑した。
きっともう、彼は狂っているのだろうから。
自分でも何をしているのか判っていない筈だ。
でなければ竜王と手を組むなどという愚かな考えは絶対に出てこない。
あれは間違っても約束を守る質ではない。
むしろ最後の最期に全てを台無しにすることだろう。
怒りはない。
むしろ彼は被害者で、そしてこんな状態になっていてもまだ自分の友なのだ。
とはいえここに自分がいる事を伝えなかったのは致命的なミスになるだろう。
ラードゥンは間違えた。
宣誓などせずに一息に有無を言わさずリュケイオンを破壊すべきだった。
考え事をしつつ歩みを再開させればあっという間に部屋の前につく。
扉を開ければアウラが娘に寄り添っていた。
彼女はプランを認めると普段と何一つ変わらない顔で言う。
「プラン様……救援を呼びましょう。貴方様のお力ならば可能な筈です」
これもいつも通りの平坦な声であった。
決して内心の恐怖と動揺を表に出すまいと決めた彼女はそれを徹底している。
母である自分がそんな様を晒したら直ぐに娘が気が付き目を覚ますと彼女は確信していた。
目覚めたルファスはきっと、変異も中途半端な状態でラードゥンと戦おうとすることも手に取る様に判る。
今の自分の振る舞いに娘の命が掛かっていると理解したアウラは直ぐ近くに竜王がいる恐怖を抑え込んでいる。
羽根一つ動かさず、じっとプランを見て彼女は嘆願した。
「クラウン帝国に助けを求めては如何でしょうか」
「どれだけの軍勢をかき集めようと竜王には敵いません。無駄な犠牲が増えるだけです」
はっきりと断言する。
ラードゥンこそミズガルズ最強の存在だと。
比喩抜きで彼だけ別次元の領域におり、たとえこの場に全人類のあらゆる戦力をかき集めた所で一蹴されるだけだ。
ベネトナシュを呼んだところで叶わないだろう。
こうして近くまで“本体”が来てくれたお蔭で判った。
彼は最低でも“壁”を2枚は越えている。
感じるマナの濃度が桁違いなのだ。
龍さえ相手にならないという推察は正しかった。
下手に吸血姫をぶつけてもその刺激で3枚目を破られる可能性がある。
そしてもう一つ、決定的にプランが諦めざるを得ない理由があった。
それは……女神の存在だ。
彼女はいまこの瞬間も見ているかもしれない。
これも天秤が差し向けられ、ベネトナシュを援助していた時点で敵視されているのは判っていたが。
最低でも結果がどうなるかの確認はすることだろう。
何なら2年まえのジスモアの狂乱から話は終わっていなかった。
本来の彼ならばしないこともアレが手を加えたとなれば話は別だ。
どうあってもアレは世界の異物を排除したくてたまらないらしい。
いや、狙っているのは共倒れだなとアリストテレスは答えをはじき出す。
自分か竜王、どっちが残っても女神にとっては面倒な展開になるのだから。
どちらにせよ。
終わりだ。
プランは淡々と結論を下す。
仮に竜王を何とか出来ても、次にアレがルファスに干渉する可能性がある事を考えるに潮時だ。
ルファスには自由に生きて欲しい。
母や仲間たちと共に、平和に、穏やかに。
彼女には女神やら世界のアレそれには関わってほしくはない。
その為に自分の存在が邪魔になるのならば是非もない。
何てことはない取捨選択であった。
自分とルファス、どっちが生き残るべきかという。
そしてこんなもの考える必要もない。
消えるべきだ。
自分も竜王も。
彼女の未来には必要ない。
既に人類共同体の骨組みは完成している。
うまく回れば300年くらいは世界が平和になることだろう。
懸念要素である魔神族に対する計画も順調だ。
平和な300年。
それがプランのルファスに渡せる最後の贈り物だ。
「ご安心ください。皆さんの安全は自分たちが何とかしましょう」
「……!」
息を呑むアウラは恐らく察したのだろう。
プランが言う“皆”の中に自分自身を含んでいない事を。
ルファスを見る。彼女はただ安らかに眠っていた。
娘は微笑んでいる。
きっと明日は素晴らしい一日になると信じて。
明日の朝、起きたら誰が居なくなるかも知らずに。
一瞬だけアウラは娘を起こしたい衝動に駆られる。
余りに惨い。
この世には死ぬ事より辛い苦しみがあり、それを娘が味わうかもしれないと思うと……。
「では自分は用意がありますので」
プランは微笑みながら一礼した。
これから竜王と戦うとは思えない程に気楽で、枯れ果てた様子で。
彼はもう二度とルファスの前には戻れないと知りつつ「仕方ない」と何時もの様に諦めている。
そしてアウラは───動いた。
母として……そして女として、娘が永遠の傷を負うかもしれないのは見過ごせない。
「プラン様。どうか」
深く頭を下げて懇願する。
まるで命乞いの様に彼女は哀願の声を上げた。
「最後に娘に声をかけては頂けないでしょうか」
「……必要ありません。リスクしかありませんから」
この状態でルファスを起こすかもしれない行為など以ての外だ。
聡明な彼女にしては珍しい無意味な言葉にプランは微かに動揺していた。
ルファスと最後の会話をする。
そんな無駄な行為を提案され微かに胸中がざわめく理由を彼は知らない。
ただ何時もの様に諦める理由を並べ立てて誤魔化そうとするだけだ。
アリストテレスである自分には全く意味が判らない。
今更自分が何と声をかけようともう何の意味もない筈だ。
何を言ってもルファスの人生と自分の人生はここで別れる。
そんな事は無駄───。
「ルファスは貴方を愛しています」
絶対の確信を込めてアウラは断言した。
ずっと娘を間近で見ていたからこそ判る。
ルファスが彼に淡い気持ちを抱いていることが。
最初は満足に得られなかった父性を求める代替から始まったのかもしれない。
少女が仲良さげな父子を時折羨望の眼差しで見つめていたのも彼女は知っている。
本人でさえ満足に言語化出来ないソレを彼女ははっきりと形に出来る。
女として先を行くアウラには判った。
娘は彼を愛しているのだと。
親愛や友愛ではなく本当の意味で純粋に。
「娘は貴方を心から慕っているのです……どうか」
「勿体ないお言葉です。たとえそうであったとしても、自分にはどうする事も出来ません」
答える事も拒絶することも。
何もプランには出来ない。
そんな資格は自分にはないからだ。
アウラの言葉にプランは枯れ枝の様に微笑む。
期待しなければ失望もしない、燃え尽きた灰の様な考え方で。
貴族としてのしがらみ。
アリストテレスの使命。
産まれる前から兄たちの命を奪った業。
女神の世界への嫌悪。
種族の違い。
それら全てが彼に絡みつきルファスの想いに応えるという選択肢を奪っていた。
自分にはそんな権利はないと。
そして客観的に自分を見れてしまう男はコレがとてつもなく気持ち悪い事に見えてしまっていた。
己の半分もいかない年齢の少女とその母。
親族でも何でもないのに疑似家族ごっこを7年も行い、娘に思いを寄せられる?
こんなこと誰が見ても吐き気がするだろう。
とんでもない話だ。
彼女の未来に責任を持つと宣っておきながら何をやっているのだ自分は。
ルファスにはもっと相応しい人が現れる。間違いなく。
自分では彼女を幸せには出来ない。
それはアウラやアリエス、カルキノスと言った同じ時間を生きる仲間たちの役目だ。
自分がやるべきことはそんな未来の日々を作る事であると既に彼は決めていた。
そして何よりプランはルファスの瞳が怖かった。
絶対の信頼を向けてくるあの眼が眩しくて仕方ない。
アリストテレスとして血塗られた行いを今も実行している事を知られたらあの輝きが曇ってしまうかもしれないと思い……微かな恐怖を感じていた。
このまま終わらせるのが一番良い。
きっと。
誰にとっても。
ルファスが直面しどうすれば倒せるか判らなかった彼の失意と諦観。
レベル900のルファスでさえ完全には消しきれなかったソレを前にアウラは臆さなかった。
「プラン様は間違っています」
冷たい怒りの籠った声だった。
まるで粗相をした息子を問い詰めるような口調だった。
深い悲しみと怒りの宿った瞳は正しくルファスの母と呼べるほどに瓜二つ。
「どうしてその様な風にしか考えられないのですか」
始めて見せた彼女の鋭い口調にプランは息を呑む。
アウラは始めてプランに対して怒っていた。
強情で、娘の気持ちを軽んじている上に今までの全てを卑下するプランに本気で怒っていた。
「娘も私も貴方様に助けられました……無駄な事であったとお考えですか?」
「そんなことは……」
当時のルファスは無力でアウラに至っては死にかけの病人だ。
普通に考えれば助けた所で何のメリットもない。
ルファスに至っては延々と殺意と憎悪をぶつけてくる始末でプランの得する事など何もなかった。
「プラン様たちとお会い出来て私達は救われたのです……これも無駄だと?」
「……いえ。一度たりとも思った事はありません」
ぎゅっと拳を握りしめ、目じりに涙さえ浮かべてアウラはプランの行き過ぎた謙遜を弾劾する。
プランは心から困惑し、しどろもどろに答えにもなっていない答えを返す。
どれだけ頭を捻ろうと誤魔化すための考えが浮かんでこない。
自分はただ義務を果たしただけだ。
楽しい7年だった。
どうして彼女はこんなに怒っている?
かけがえのない日々だった。
あんなものただの家族ごっこでしかない
皆とあえてよかった。
考えが纏まらない。
こんなこと、本当に始めてだった。
必死に訴えてくるアウラのルファスそっくりな瞳を見ていると、何故かプランは誤魔化せなくなってしまう。
平時であればスラスラ出てくる筈の言葉が詰まってしまうのだ。
アリストテレスは竜王ではなくたった一人の母親に圧されていた。
時間だけは刻一刻と進んでいる。
猶予まで残り30分。
一瞬でも超えたらリュケイオンに竜王の軍勢が流れ込んでくるかもしれない。
「…………」
プランは躊躇いを隠せない動作でゆっくりとルファスの近くまで歩く。
覗き込めば安心しきった寝顔があった。
何があっても皆がすぐ傍にいるという絶対の信頼がそこにはある。
「…………」
言葉が出てこない。
声をかけて欲しいと言われたが、何と言えばいいか判らない。
対面して話すのはコレが最後になるのは間違いないが……だからどうしたという。
今すぐにでも踵を返して屋敷の外まで歩いて行きたい。
カルキノスが呼んだ領民たちがこちらに向かってきている筈だ。
プランは頭を振った。
やはり駄目だ。
こんなことをしている場合ではない。
アウラには悪いが、強引にでも退室しようと思い───。
「……ぅ?」
ゆっくりと。
微睡ながらルファスが瞼を開けた。
完全な覚醒ではなく寝ぼけた状態ではあるが、それでも彼女は起きた。
母とプランが何やら言い合っているのを彼女は無意識に聞き分けたのかもしれない。
ルファスは虚ろな瞳で回りを見渡した後にプランを見つけると柔らかく微笑んだ。
今の自分は完全に無防備な状態であるが、それを晒すことに何の抵抗もない。
彼女が心から全てを解放して委ねられる相手。
それがプランとアウラなのだ。
「どうしたの? なにか、けんか……してた?」
まだ眠気が濃いのか船を漕ぎながらルファスはプランに問う。
「まさか。ちょっと野暮用が出来てしまったからその事で話してたんだ」
「えぇ……ごめんなさい。うるさかったかしら」
ルファスは喧嘩じゃなくて良かったと思いながら何度も頷く。
次に野暮用と聞いて顔を僅かに顰めた。
まさか、明日は出れないとか言い出さないか不安になったのだ。
プランは何故か彼女の心が手に取る様に判り、得た情報を用いて直ぐにフォローするように言った。
「大丈夫。大した事はない話だったから直ぐに終わるさ」
「なら、いい」
パーティーには何の問題もないと知らされたルファスは一息つくと瞼を閉じた。
レベル1000という高みに昇りながら少女はうとうとしながらで語り始めた。
今の彼女は泥酔しているに等しく、何のためらいもなく胸中を曝け出していく。
「わたし、あたらしい夢ができたんだ」
かつての願いである「母と共にヴァナヘイムを抜け出す」が叶ったルファスは新しい夢を得ていた。
それはより大きな力を手に入れる事や、強い武器や魔法が欲しいと言ったものではなかった。
彼女が望むのは誰だって一度は抱くなんてことはないありきたりな願いだった。
「世界がへいわになったら旅がしたい」
「もっともっと、ミズガルズを知りたいの」
世界には色々なものがあると教えてくれた人にルファスは感謝を込めてそう言った。
かつては世界を憎悪し全てが自分の敵だと思っていた少女は今やミズガルズを愛し始めている。
残酷な事もいっぱいあるけど、それでも、大切な人たちにめぐり合わせてくれたのだから。
「エクスゲートは使わない……ちゃんと自分の足で……」
ミズガルズの主要国家を見て回ったルファスであるがどれも【エクスゲート】と言うズルを用いた行脚であった。
一瞬でリュケイオンと各国家を繋げるズルは確かに便利だが、風情というものが全くない。
だから彼女は密かに思っていた。
いつか、今度は【エクスゲート】なしでしっかりと世界を歩き回って色々な物を見てみたいと。
「……いけるかな?」
「絶対に叶う。ルファスがソレを望むのなら」
プランの言葉にふふっと少女は笑う。
いつもこの人は己の言葉を肯定してくれる。
駄目だと言われた事もあるが、その時は何故そうなのかしっかりと説明してくれる。
どんな時でも自分と向き合ってくれるのがと嬉しい。。
本人は「義務」の一言で押し通そうとしているが、そうはさせない。
いつか絶対、振り向かせてみせるとルファスは決意を固めていた。
……今日はとても気分が良かった。
頭はやっぱり殆ど回らないけど、それでも心地よい。
母が居て、プランが居て、彼の治療も完遂寸前という現実がある。
だからもう少しだけルファスは粘った。
朦朧とした意識の中での行動だから、明日起きれば全て忘れてしまうだろうが、それでも伝えたい気持ちがあった。
何せ望めば叶うと言ってくれたのだから。
困難なのは百も承知。
しかし願う権利は誰にだってある。
「あなたも一緒にきてほしい」
娘の言葉にアウラは無意識に目を逸らしていた。
これほどまでとは。
ここまでだったとは。
母をして娘の感情を測り間違えたとしか言いようがない。
もうとっくに手遅れだった。
ルファスにとってプランという存在は必須だったのに。
何もかも手遅れになったことを知らされないまま少女は夢を語る。
プラン達の作った幕で目を隠されて。
瞼を閉じているから暗闇しか見えないが、それでもルファスにはプランの困った顔が見えたような気がした。
リュケイオンの領主で人類共同体の重鎮であるプランには優雅に旅する時間などない。
そんなことは誰よりも近くで彼を見ていたルファスが一番知っている。
しかし竜王の脅威が去り、ナナコも帰した後。
プランが今よりちょっとだけ歳をとって、エルフたちが本格的にリュケイオンに進出を始めた頃ならば。
ほんの2年かそこらの時間があれば、ルファスはプランと共に世界をぐるっと回れるだろうと思っていた。
彼女は我儘を言っていた。
絶対に叶う事のない夢を語る。
「美味しいものをいっぱい食べたい」
ルファスは自他ともに認める健啖家だ。
新しい国にいくたびにとりあえずその国の名物料理を食べて寸評したりしている。
プルートではドワーフの主食であるソーセージなどの豪快な肉類。
クラウン帝国では上品なフレンチ。
光の森では新鮮な野菜と果物などなど。
色々なものを今まで彼女は食べてきた。
どれもとても美味しかった。
どの食事の記憶を見ても隣には彼が居た。
プランに恥をかかせないためにも必死になって食事のマナーだって覚えた。
そのおかげで今のルファスはやろうと思えば貴族たちの晩餐会にだって問題なく出席できるだけの気品が身についている。
「きれいなモノだって探しにいきたいな……」
ルファスは輝いているモノが好きだ。
宝石に星や何なら磨き抜かれた剣だって好きだ。
きっと世界には自分が知らないだけで他にもキラキラして綺麗なものがいっぱいあるはず。
一番好きな人と共に美しいモノを探したいと女が願うのはおかしいことだろうか?
そしてそんな未来はすぐ傍にあると彼女は信じていた。
「いつかでいい……から……」
女の願いに男は嘘をついた。
彼は何処までも汚い大人だから。
「判った。今は無理でもいつか時間を作ろう」
ルファスは薄っすらと瞼を開けてプランを見た。
男はいつもの様に微笑んでいた。
周囲は薄暗いというのにまるで太陽を見ているかのように、眩しそうに眼を細めている。
本当に綺麗で尊いものを見つめるかの様にプランはルファスを見つめていた。
へんなの。
わたしの顔なんて、そんなたいそうなものじゃないのに。
訳が分からない。
しかし何か奇妙な違和が湧き上がり───。
「ぁ……」
そっと頭の上に乗せられた掌の熱によってそれは霧散した。
まるで父親がそうするようにプランは少女の頭を撫でていた。
この7年間で初めての行為。
自分はそんな立場ではないとずっと自制していたというのに。
暖かい。
安心する。
嬉しい。
眠い。
きっと明日はいい日になる。
おきたら からかってやろう。
「もう少し寝ていなさい」
「うん。また、あしたね」
ルファスの言葉にプランは頷きこう答えた。
劇的な別れはなかった。
ミズガルズの何処にでもある、ちっぽけな不幸のように。
ある瞬間、唐突に全てが消えさるのだ。
「
笑顔で深い眠りに就くルファスを見てようやく彼は一つだけ理解した。
もう会う事はないと思うと微かに胸がざわめき、父を殺した時でさえ感じなかったナニカを彼は感じる事が出来た。
客観的にそれらを分析し答えを導く。
本当はもう何年も前に判っていたことにやっとプランは気が付けた。
“どうやら自分は彼女が大切らしい”
余りに遅い自覚と同時に様々な願いに彼は気が付いた。
健やかでいてほしい。
幸福に包まれて欲しい。
戦いとは無縁の生活を送ってほしい。
仲間をいっぱい作って笑顔でいてほしい。
己を信じて誰でもない自分の人生を生きて欲しい。
常にバラ色とはいかないかもしれないけど、それでもルファスなら恐れずに突き進み、きっとその先に未来を掴める。
だけどもうちょっとだけ色々と教えたかった。
プランはそう信じていた。
その為の明日は自分が用意しようとプランは決めた。
アウラはそんなプランを見て項垂れるのだった。
踵を返し部屋から出ていく。
一度もプランは振り返る事はなかった。
まるで彼女の想いから逃げる様に部屋を後にし扉が閉まる。
7年続いた二人の関係はこうやって終わったのだった。