ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
その日リュケイオンは微かに緊張が走っていた。
しかしそれは外敵が来る、戦争に巻き込まれるなどの負の要素によって生じたものではなく、もっと単純な理由によるものである。
何てことはない。外部から賓客を招くというだけの話である。
しかし訪れる種は人間種ではなく、エルフとドワーフというミズガルズにおいては余り見かけることのない種であった。
ドワーフは自分たちの首都であり国でもある地底都市プルートから滅多に出る事はなく、エルフたちもまた女神の領域にほど近い光の森に引きこもりがちな存在である。
そんな物珍しい者たちが同時にリュケイオンに訪れるということもあり、住民たちの気分は少しばかり高揚していた。
普段よりも活気づいている街を背に、ルファスは不機嫌な顔をし、自室で腕を組んでいた。
今の彼女の恰好はいつもの動きやすいズボンやシャツではなく、客がくるということもありお洒落なドレスである。
年相応の白いフリフリが至る所にあしらわれ、白を基調としながら所々に赤いリボンなどがついたドレスだ。
「………………」
仏頂面でルファスは一言も発しない。
内心で抱く屈辱に焼かれながら少女の顔には影が差している。
何てことはない、彼女はドレスを着たくなかったのだ。
客が来るからなんだというんだ、私は己を貫き通すと強い決意を抱いていた彼女であったが、母の頼みには勝てず渋々袖を通したのである。
鏡に映るのはおめかしをした自分の姿。
化粧や口紅などをアウラが施した結果、今のルファスは何処にでもいるお洒落な少女であった。
ぴくぴくと翼がストレスを表す様に震え続ける。
眦を釣り上げ、ルファスは鏡の中の自分を睨みつけた。
弱い子供の姿。
ジスモアがもしも普通の父親だったら、こうだったかもしれない自分の恰好。
何もかも自分のいる世界とも、目指す地ともかけ離れた姿だ。
「似合っているわ……次は髪を結わえましょう」
そんな彼女の背にアウラが立ち、優しく微笑みかける。
彼女もまた、いつも着ている質素な白い衣服ではなく、上品な青いドレスに身を包んでいた。
いつも質素な衣服の母の姿しか見た事がなかったルファスであるが、こうして正装に身を包んだアウラを見ると複雑な気持ちになった。
母という贔屓目を除いても今のアウラの姿は美しいとしか言いようがない。
綺麗な純白の翼に、ソレを引き立たせる淡い水色のドレス、キラキラと輝く金糸の髪に、真っ赤な瞳。
立ち振る舞い一つとっても教養を感じさせるアウラは、正に大貴族の妻として相応のものがあった。
自分が産まれなければ母はずっとこの姿のままいられたのだろうとルファスは思ってしまった。
「……」
無言でルファスは後頭部を母に差し出す。
手慣れた様子で髪をアウラは編み上げ始めた。
「今日は忙しくなりそうね……疲れたなら我慢しては駄目よ?」
何処か弾むような調子の声でアウラはルファスへと語り掛ける。
遠い昔、まだジスモアとの関係が悪化してなかった頃。
彼の伴侶として多くの貴族や他種族たちとの会見の場に参加したこともある彼女は、今の状況と過去の思い出を重ね合わせているのかもしれない。
「エルフとドワーフ……お母さんはどれくらい知ってるの?」
ルファスの問いに母が考えるそぶりを見せた。
天翼族とこの二種族の関係は正直言ってしまえば、あまり良くはない。
傲慢に翼が生えていると言っても過言ではない天翼族と、マナを好み魔法を愛用するエルフ、そして気難しい職人の様なドワーフ。
正に水と油といっても過言ではない。
事実、かつてのジスモアはこの種たちとの交渉に非常に難儀していたこともあった。
特に天翼族は一方的にエルフという種を敵視している傾向がある。
ほぼ同じ寿命を持ち、天法を得意とする自分たちに対して魔法を得意とするエルフ。
翼という身体的特徴と、尖った耳という特徴。
他の種など気にも留めない天翼族にとってエルフというのは唯一自分たちの座を脅かしかねない簒奪者候補なのだ。
まぁ、吸血鬼よりはマシではあるかとアウラは考えを巡らせる。
天翼族にとってエルフに輪をかけて濃い魔の力を帯びた吸血鬼はもはや人類種としてさえ認識できない敵というのがヴァナヘイムにおける常識であった。
しかしこれでもマシになった方である。少なくとも交渉できる程に関係は回復したのだから。
ジスモアがいなければ天翼族は己たち以外の全種族を敵、もしくは劣等種として見下し続けていたかもしれない。
アウラは微笑みながらルファスの頭を撫でた。
「悪い方たちではないわ」
あとはルファスが自分で見て、決めなさいと母は言う。
天翼族としての先入観も何もなく、自然な眼で他種族をルファスに見てもらいたいという思いがそこにはあった。
後は黙々と娘の髪を編み上げる時間が続く。
しかしそれは決して不快なものではなく、気が付けばルファスは瞳を閉じて眠気に身を委ねかけてしまう程にリラックスしていた。
そんな親子の様子を少しだけ開いた扉の隙間よりカルキノスは覗いていた。
彼もまたいつもとは違う。
少しばかり飾りのついたスーツに身を包み、髪を結いあげたキメた姿である。
黙っていればやり手の男、貴族専用の豪華な宿の支配人にも思える出で立ちであったが……。
「OH……fantastic……beauty……」
胸を右手で押さえ、彼は悶えていた。
プランより母子の様子を見てきてほしいと頼まれた彼であったが、親子の尊いやり取りを見てしまい声をかけるタイミングを見失っていたのだ。
仕方ないので二人の様子を見守っていた彼の目の前で起こったイベントに彼は悶えていた。
桁違いの耐久を持つ魔物である彼が、堅牢極まりない外殻を貫通された衝撃に身悶えしている。
取り繕わないルファスの姿と、そんな娘の髪を結わえる母の語らいは、カルキノスをして未知の扉を開きかけてしまう程に眩しいやり取りであった。
「…………」
眠りに落ちかけるルファスの髪をセットし終えたアウラはカルキノスに目線を向けた。
どうやら最初から彼女は気が付いていたようだった。
その上で、アウラはカルキノスに優しく微笑みかけた。
瞬間、彼は膝を屈して目と胸を押さえた。
彼を襲ったのは生涯最大の衝撃と、歓喜であった。
カルキノスはとてつもない連打を受けたかの様に息も絶え絶えに呟いた。
「ぐっ……eyeがぁぁぁ……iのeyeが愛にdefeat……!」
ドレスで身を飾り付けた彼女の姿はカルキノスの頭の許容範囲をどうやら超えてしまったらしい。
想像を絶する美しさ。とてつもない美人。
あの母子はミーが絶対に守らなくてはと彼に改めて決意させてしまうほどの眩しさだった。
そんな彼の後ろに腕を組んで立っているのはプランとピオス司祭であった。
彼らもまたいつもより数段豪奢な衣服に身を包んでいる。
トン、トンとプランがカルキノスの肩を叩くが彼は反応しない。
「……困ったものです」
「気持ちは分かるけどね」
うずくまったまま動かないカルキノスを見て二人は顔を見合わせて肩を竦めた。
客人をもてなす料理についての確認をしにきた彼らがカルキノスと会話できるようになるのにはもう少しだけ時間がかかりそうだった。
「この度は遠路はるばるご足労頂き……」
リュケイオンの入り口、質素ではあるが確かな機能を備えた城門の前でプランは訪れた客人に対しお決まりの文句を口にしていた。
長々と装飾に塗れた言葉を彼は一回も噛むことなく、流麗に発し続ける。
貴族としての教育を受けた彼にとってコレは呼吸の様なものであった。
彼の前にいるのは長身で細身のエルフの男と、それとは相反する様に毛むくじゃらで小柄な男性である。
言うまでもなく二人はエルフとドワーフである。
ミズガルズにおける七つの人類種の内の二種。
地底の民と、森の民、その二つが人間の街に姿を現したのだ。
今回が初めてというわけではないが、それでも数年ぶりのイベントであり、街の者達にとっては物珍しい来客というのも事実であった。
「おぅ、久しぶりだなアリストテレスの倅よ。いや、今は当主になったんだな」
短いながらも筋肉質で太く、黒い腕を上げてドワーフが最初に答える。
立派な髭には幾つものアクセサリーなどがぶら下がっており、それらは彼が動くたびにジャラジャラ音を立てていた。
彼こそドワーフ王モリアの代行者、ガザドである。
「前回ここを訪れたのは5年前、君が当主の座を受け継いだ時になるか。
時の流れとは早いものだ」
線の細いエルフの男が言う。
彼はプランよりも更に頭二つ分ほど高身長で、翡翠色の瞳が特徴的なエルフであった。
エルフ王ロードスの代理人アラニアという男だ。
両種族の王の代理人がリュケイオンを訪れる。
ソレが何を意味するか判らない程にプランは愚かではなく、彼の傍に控えていたアウラもまた微笑みの下で緊張を抱いた。
というよりアウラはアラニアと出会ったことさえあった。
彼が覚えているかどうかは不明だが、アウラはしっかりと記憶していた。
ジスモアがエルフ族と交渉した折、交渉相手としてロードス王が寄越したのがアラニアであった。
あの時の会談は……表面上は穏やかであったが言葉一つをとっても皮肉と、ぱっと見では判らない嫌味の応酬だったことを彼女は思い出した。
結果として契約こそ結べたが、エルフと天翼族の間にある深い溝を改めて再確認することになったあの時の話を彼女は忘れる事はないだろう。
一瞬だけ翡翠の瞳がアウラを見たが、直ぐにアラニアはプランに視線を戻す。
「では、私の屋敷に案内いたします。どうぞ」
「おう! よろしく頼むぜ」
「うむ」
プランの言葉にガザドが景気よく答えれば、アラニアは一声だけ発して頷くのみであった。
人間種の後を天翼族、エルフ族、ドワーフ族が続くという世にも珍しい光景が出来上がり、リュケイオンの人々は呆気に取られるように一行を見つめていた。
「ところで【バルドル】の調子はどうでい?」
ガザドがプランの横に並び笑いかける。
彼は【バルドル】やプランの使うリボルバーの設計/製作にも携わった事のある男であり、己の作品の現状が気になったのだろう。
ドワーフ特有の職人気質か、己の作品への愛情というべきか、彼は他の何よりも先に【バルドル】について聞いた。
「問題はありません、いつも助けてもらっています」
「当たり前だ! あれは俺たちの傑作なんだからな……それはそうと」
ドワーフが獰猛に笑った。
彼は王の代理を任せられる程に高い能力を持ったドワーフであり、そして狂信的な改造マニアでもあった。
武器や道具を一度作って「はい完成」で終わる事を良しとしない人物なのだ。
改良/改善/進化/発展をこよなく愛する故に【バルドル】は彼にとって成長期の我が子の様なものである。
アリストテレスのマナへの理解と支配の技術、そしてドワーフの拘りを注ぎ込んだかの鎧にしてゴーレムは
無限の発展性を持つ最強の道具であり、武器であり、兵器なのだ。
「そろそろ……改良案が浮かんだんじゃねーのか?」
「私は丁度よく
ガザドの言葉にアラニアが淡々と続く。
会話をしながらも、視線はプランから片時も離れない。
エルフとドワーフは感情の籠らない声で、プランに聞かせるように一言一句を強調する様に発声していた。
「貴殿も知っていたか……そうそう
「あぁ。何でもかのアルゴナウタイが探し求めたともされる品だとか」
プランは足を止めた。
隣を見れば、アウラの顔は少なくとも表面上は何も変わらない。
さすがは大貴族の令嬢といったところか、内心を欠片も表には出してはいない。
それでも何かを確認するかのように微笑みながら彼女はプランを見つめ……男は逡巡し……これは無理だと悟った。
彼は観念する様に両手を大きく掲げて息を吐く。
「降参です。……その話、一体どこで?」
「そりゃぁ言えねえな。国家機密ってやつだ」
「同じく」
エルフとドワーフがプランに微笑みかけた。
ガザドは一回りも二回りも年上で、アラニアに至ってはプランの年齢に10をかけてもなお足りない程の経験の持ち主である。
伊達に王の代行を任命されたわけではないという凄味を二人は放っており、プランはため息を吐くしかなかった。
それでもコレだけは言っておかなくてはならなかった。
あの羊はルファスの成長の為に必要なのだから。
これ以上あの子から何かを奪う事は、絶対によくない結果を齎す。
「羊毛はともかく、羊そのものを差し上げる訳にはいきません」
芯の籠ったプランの宣言に二人は一瞬だけ面食らったようだった。
ガザドはともかく、冷静沈着という言葉が相応しい佇まいのアラニアでさえ僅かに顔に驚愕を浮かべていた。
「そうかい。いや、別に欲しいってわけじゃないんだが……うーん、そうか、あの倅が……」
「あるべき物があるべき所有者の手に渡ったのだろう、我々は手出しはしない」
二人は顔を見合わせた後、プランを見て、次いで彼の隣に控えるアウラを見た。
ガザドはどうやら……
アラニアはあえて何も言わない。無機質だった男の変化を彼は興味深いモノでも見るように眺めるだけだ。
エルフとドワーフは久しぶりに出会った人間の男に対して同じ感想を抱いた。
“変わったな”と。
彼らの知るプラン・アリストテレスという男はどのような事でもそつなくこなすが、情熱や熱意……もっと言えば“欲”という概念が欠如した男であった。
ソレは彼
今回の話もそうだ。今までの彼であったならば平然と虹色羊を手放す所だが……彼は明確な拒否を見せた。
二人はプランの隣に立っている天翼族を見た。
アラニアは彼女を知っている。アウラ・エノクに関する
なぜ彼女がここにいるかは判らないが、大体の考察は出来た。
プランは定期的にヴァナヘイムに訪れている。
交渉相手はジスモア・エノクだろう。
ジスモアと……何らかの取引をした結果、彼女はここにいるとアラニアは瞬時に理論をくみ上げる。
アラニアの思考を遮るようにあえて大声を上げてガザドが笑う。
彼はアウラとプランを何度も見比べてからエルフに言った。
「ハハハッ! いやぁ倅もどうやら遂に女を知る事になるとはな!
こりゃぁ、アラニア殿、貴殿の所のあの話もお流れになるかもしれねえんじゃ?」
「契約は絶対です。それはあり得ませんよ。
それに彼女と自分は貴方の想像するような関係ではありません」
ガザドの勘違いに気が付いたプランは微笑みながら訂正を述べた。
自分とアウラが
いつもより強い圧の籠った声にさすがのガザドも拙いと思ったのか、口を閉じ、髭を撫でた。
彼は今までの何処か粗野な口調をがらりと変化させ、恭しくプランに一礼しながら言う。
ドワーフという種族と髭面の外見からは想像できないほどに洗練された動作だった。
「……失礼した。俺とした事が少しばかり舞い上がっていたようだ。
無礼を許されよ、アリストテレス卿」
「いえ、解って頂けたのならばいいのです。アウラ殿も、どうか……」
プランの視線を向けられたアウラは完璧な微笑みを浮かべて頷いた。
彼女は多くを語らない。
ただ白く美しい翼を以て佇み、存在感を放つのがアウラ・エノクに今まで求められた役割だ。
彼女はその場にいるだけで場に“華”を齎す事が出来る。
意見を求められた時のみ口を開くが、余り自己主張をしないのが彼女のやり方であった。
そうこうしている内に一行は屋敷の目の前に到着する。
遊戯の様な情報の小突き合いはこれにて終了である。
ここから先は、更に踏み入った話が始まる。
幾つかの社交辞令を挟んでから始まった会議、口火を切ったのはガザドであった。
彼は専用に用意された背の高い椅子に腰かけながらも、小柄な体とは相反するような大きく、芯のある声で第一声を上げた。
「“四強”の一角がもしかしたら近々落ちるかもしれねえ」
発せられた言葉の重さに、アウラは息を呑む。
天翼族の貴族として当然“四強”の存在を学んだことのある彼女は、それが何を意味するか理解してしまった。
つまり、ミズガルズにおけるパワーバランスが大きく狂うことになると。
「それは“吸血姫”でしょうか?」
淡々とプランは口にする。
四つの頂きの中で“吸血姫”だけは明確に実力が一段劣る事を彼は知っていた。
他の“魔神王”“獅子王”“竜王”はレベル1000なのに対し、彼女だけはレベル600から700の間というのが複数の情報筋が齎した情報だ。
と、すれば一番倒される可能性が高いのは彼女だと彼は判断したのだ。
苦々しい顔でガザドは肯定した。
彼は腕を組みながら吐き捨てるように言葉を続ける。
「あのじゃじゃ馬、よりにもよって“竜王”の縄張りにちょっかい出しやがった」
「あぁ……それは」
プランも顔をしかめた。
ガザドの感じた苛立ちを彼は手に取る様に把握することが出来た。
“竜王”は“四強”の中で最も活動的で、人類にとっての脅威と言える存在なのだ。
他の三体は正直言ってしまえばあまり積極的に動く事はない。
獅子王は己の縄張りから外に出ず、魔神王にいたっては何百年も居城から外に出た記録さえない。
吸血姫は戦闘狂の様にあちらこちらに攻撃を仕掛けて回っているが、彼女にとって人類種など雑魚なので見向きもされない。
しかし竜王だけは別だ。
人類にとって最も悪意を持った“四強”である。
明確に弱い者いじめを楽しみ、嬲る事に快楽を抱いている最も魔物らしい魔物であった。
最低でも1000年以上前からその存在を確認されており、滅ぼした国の数は全ての魔物の中でも頂点だ。
そして“魔神王”に次ぐ知名度を誇る怪物である。
少なくとも“獅子王”や“吸血姫”はこちらから喧嘩を売らない限りは無害であるが、この竜だけは向こうからやってくるのだから。
そんな怪物の情報を少しでも集めようと人類が考えるのは当然だった。
傲慢な10の頭はそれぞれが違う属性を持っており、自我もある。
当然、全ての首に独自のHPがあり、一つ、二つが戦闘不能になっても戦闘は可能だ。
つまり、この怪物を完全に葬り去るには全ての頭を破壊しなくてはならないのだが……竜王には再生能力があり少しすれば直ぐに頭が生えてしまう。
幸いなのはこの化け物の縄張りはリュケイオンから大陸二つ分ほど離れた場所、ミズガルズ最北の大陸であり、接点は少ないという事だった。
今までは、の話であるが。
そんな怪物の縄張りに“吸血姫”ベネトナシュは手を出した。
荒らすだけ荒らし、多くの眷属を殺した。
最強種として傲慢な矜持を持つ“竜王”は必ず報復するだろうとこの場にいる誰もが思った。
下僕の命を奪われた事に対する怒りではない。
己の面子に泥を塗られたことへの報復だろう、と。
プランが顔を顰める中、アラニアが淡々と話を始めた。
「その“竜王”なのだが……我々が独自に入手した話によると、妙らしい」
アラニアは一瞬だけ考えるそぶりを見せた。
これから述べる内容をどう表現すればいいか、彼には珍しく困惑していた。
「発端は300年前だ。当時召喚された勇者と竜王が戦った時に遡る」
ミズガルズでは定期的に異世界から勇者を招いているのはある程度の知識層なら周知の事実であった。
全く恥ずかしい話であるが、この世界は自分たちではどうにもならない災害、魔神王などに対して異世界から助っ人を呼び出し、助けを定期的に乞うているのだ。
そして呼び出された勇者は、女神アロヴィナスの加護の下、多くの栄光ある偉業を達成する、というのが習わしだった。
そんな勇者……恐らく女神の加護と助力によりレベル1000に達した存在と竜王が衝突した。
結果は語るまでもないだろう。現在も竜王が健在なのを見るに勇者は負けた。
しかし、アラニアの様子を見るにどうやらそれだけで終わる話ではないようだった。
「結果として勇者は敗死。
しかし竜王も決して無視できない重傷を負わされた。
10ある内の首の殆どを落とされたと聞く」
だが、とアラニアは続けた。
「竜王の頭は知っての通り再生能力を持つ。
しかし……傷を治した奴の頭は
「……つまりあれだ、一本増えたってことか? そりゃまた……」
ガザドの問いにアラニアは頷く。
彼にも原理などはよく判らなかった。
勇者の極めて強い天力と、竜王の持つ再生能力が妙な合致を起こしたのかもしれないと彼は個人的に推察していた。
もしくは無策で挑んだとは思えない勇者が用意していたであろう竜殺しの武器が何らかの作用を齎したか、と。
「そこから奴の動きは変わった。今まで見せていた粗野さは鳴りを潜めて……。
信じがたい事だが、竜を頂点とした一種の……。
魔物による文明を築き始めたようだ」
まるでベネトナシュの率いる夜の国ミョルニルの様になとアラニアが言えばプランは顎に手をやって考え込む。
竜王の頭の増加と行動の変化に因果は間違いなく在る筈だと彼は直感した。
「魔神族とはどのように?」
人類以外に明確な文明を持つ存在の事をプランは口に出す。
竜王の行動はともすれば魔神族にとってさえ脅威ではないかと考えた結果だった。
魔物と魔神族は別に同盟関係ではない。
双方人類の敵ではあるが、敵の敵は、また敵であるのだ。
「今の所目立った衝突は見えないな。魔神王も例の如く沈黙している」
「潰しあってくれりゃ万々歳なんだがな……そう上手くはいかねぇわけか」
全く、厄介な奴が増えたもんだとガザドは吐き捨てた。
大陸二つを挟んでいるとはいえ、相手は星を更地にできる怪物だ。
数千、数万の距離などあってないようなもので、竜王がいつやる気を出すか判ったものではない。
アラニアは指を組み重々しく己の所感を口にした。
「これは私の感想だが……“竜王”の力は明らかに増している。
元よりレベル1000で、上限の筈であったのだが……それでも間違いなく奴は強くなっている」
具体的に何が、とは判らないがと述べて言葉を締める。
「と、いうわけでだ。状況が状況なんでな……アリストテレス卿、貴殿には“果実”の増産を依頼したい。
今、ミズガルズ全土できな臭い動きがあちらこちらから起き始めている……人類を生き残らせるにはあの“果実”が必要だ」
「勿論報酬は約束する。まずはこれを受け取って欲しい。卿の望んでいた物の片割れだ」
アラニアが四角い金属の箱を懐より取り出す。
一見すればポーチにも見えるソレは、子供の頭ほどの大きさであり、小さい。
幾つかの魔法と天法を操作して鍵を開ければ、中に入っていたのは瓶に収められた一見すればただの無色透明な水だ。
それをアラニアは慎重に取り出し、プランの前に翳した。
「“ネクタール”の原液だ。使用法は……語るまでもないだろう」
『神器・海の女王』という伝説の存在がいる。
魔物や人類ではなく、彼女はアイテム……つまり自我を持つ道具だ。
そんな存在が産みだす“ネクタール”というアイテムは、レベルアップ以外で飲用したもののステータスを向上させる効能があった。
正確には“ネクタール”の原液を基に様々なアイテムなどを合成して作り出すのが能力上昇の為のドリンクだ。
プランがこれを欲したのはこれを元に作ってみたいアイテムがあったからである。
その計画を成就させるにはもう一つ必要なものがあり、既にそれの“発掘”をドワーフには依頼していた。
視線を向けられたガザドは深い笑みを浮かべて答えた。
職人にしてアルケミストでもある彼は、プランが何を作ろうとしているか薄々と察しており、その笑みは期待と狂気に満ちていた。
それでも彼は自分よりもプランの方が狂っているというだろう。
まさか
「おぅ、問題ないぜ。近々プルートに来てくれ。
とんでもねぇデカさでな、是非実物を見てもらいてぇ……。
あと、
ガハハハと豪快に笑うガザドにアラニアが頷けば、部屋の扉が開く。
カルキノスを筆頭に従者たちが各種族に合わせた料理の数々を運び込んできた。
エルフには葡萄酒。
ドワーフにはユーダリル・ビール。
プランとアウラにはよく冷えたカクテルを。
三者はグラスを手に取り、天に翳してからカツンと突き合わせた。
「ミズガルズと人類に。そして女神アロヴィナスに」
代表してプランが宣言し、乾杯が行われた。
十一の首が蠢く。
十の首は黒。そして一の首は美しいまでの白であった。
周囲に無数の竜を控えさせた怪物の名は“竜王”ラードゥンである。
彼は眼前に開いた巨大な“孔”を見つめていた。
以前アリエスをリュケイオン近郊に飛ばした空間の孔ではなく、物理的に大地に開いた巨大な大穴である。
巨大な隕石でも衝突したのかと思う程にポッカリと口を開けたソレはクレーターと称するべきなのかもしれない。
直系5キロはあるクレーターである。
勿論竜王が空けたものではない。
宙から隕石が降ってきた訳でもない。
あちら側から開通されたモノなのだ。
これの向こう側は地獄と呼ばれる世界である。
耳を澄ませば多くの怪物の唸り声の様なモノが地の底から聞こえてくる。
22の瞳は黒々としたソレを見つめていた。
十の首は無機質に、一の白い首ははしゃぐように。
彼もまた怪物の中の怪物、地獄を堪能こそすれ、畏怖など欠片もするわけがない。
彼が畏怖し、跪き、奉るのは後にも先にも女神アロヴィナスだけなのだから。
チロチロと舌を出しながら白蛇が囁いた。
無邪気な子供の様な声で、心の底から感嘆する様に。
『すごいね。こわいね。こまったね』
くすくすと笑う。子供が新しい玩具を見つけたように。
竜王の目は深淵の底に座す魔王に向けられていた。
『たのしいこと。いっぱいだなぁ! すっごく ワクワクする!!』
竜王は喜悦に満ちた声を上げた。
ミズガルズに起きている激動の一端を担う怪物は天へと向けて祈りを捧げる。
女神様、女神様、ありがとうございます。僕は、ラードゥンは貴女様の忠実な僕ですと熱心に祈った。
余りに純粋な信仰心がそこにはあった。
今まで存在した女神へのどんな祈りよりも深く、強い。
ともすれば聖域の乙女よりも竜王の願いは純粋無垢で、揺るぎないものであった。
竜王の配下たる竜が主の眼前に着地した。
濁った緑色の鱗に身を包んだその竜のレベルは500にも到達する怪物であるが、竜王に比べればあまりに矮小であった。
しかし先行して地獄……ヘルヘイムと呼ばれる地に潜入し、生還した実力者の竜である。
彼のたくましいかぎ爪に握りこまれていたのは古ぼけた棺桶だった。
恭しく頭を下げラードゥンに棺桶を差し出す。
それは1万年もの太古に封印された怪物を収めた箱である。
吸血鬼の『真祖』とも称される大いなる魔が眠る棺だ。
かつて光の妖精姫ポルクスに挑んだ末、敗北し36にも切り刻まれて封印された者の名を『ブラッド』と言った。
あと500年ほど眠ればかつてを超える力を以てミズガルズに帰還できるであろう偉大なる魔の眠る棺を……竜王の角が串刺しにした。
11本目の頭には王冠の様に雄々しい角が生えている。
それは彼の意思に応じて伸縮自在に操る事ができた。
重く、柔軟で、硬く、柔らかく、鋭く、そして性感帯の様に敏感なソレで獲物を串刺しにし、命が尽きていく瞬間を味わうのを竜王は好んでいた。
子供が御馳走を前にした時の様に弾んだ声をラードゥンはあげた。
『いっただきま~す♪』
棺桶が震える。夥しい量の血液が噴き出る。
しかし竜王はにこにこと笑いながらそんな事気にも留めずに口を開けて棺を丸のみにした。
『うーん、それなり』
前に食べた虹色羊の方がずっと美味しかったとラードゥンは率直な感想を口にした。
『ライフ・ストック』という彼の特殊技能を丸ごと竜は飲み込む。
ボリボリと容赦なく吸血鬼をそのため込んだ命ごとかみ砕きながらラードゥンは改めて“孔”を見やる。
その奥から漂う濃厚な魔の気配に彼はほくそ笑んだ。
まずは一つ、見ーつけたと無邪気に口ずさむ。
『うん まちがいないね。 きみは “悪い子”だね』
ラードゥンは己を世界の異物を排除する掃除者だと認識している。
偉大にして至高の、愛すべき母の予定にない敵を抹消する仕事人だと。
母は余りに強すぎてミズガルズのイレギュラーを一つずつ潰す事はできない、ならば自分がその役目を引き受けようと彼は己の存在意義を決定していた。
母の役に立ち続ければ、いつか自分が“龍”に任命されることも夢ではないと。
幸いにして獲物に不足はない。
深海の底では邪神が産声を上げ始めている。
地の底より魔王が野心と残忍な悪意を以て地上に這い上がろうとしている。
強さを望む吸血鬼の少女は己の領土を今なお荒らし続けて、その力は今も上がり続けている。
全て潰そう。
全て殺そう。
全て消し去って世界を綺麗にして、母に認めてもらうんだと彼は決意を新たにした。
あぁ、何もかもが楽しくてたまらないと竜王は天に向かって堪えきれずに叫んだ。
『
偉大なる女神様。
たった一人の女神様。
何にもない白い世界に独りぼっちの女神様。
隣にも誰もいない、誰よりも強くて惨めな女神様。
僕はあなたのしもべです、強く優しく、哀れな貴方様の無謬を慰める者ですと竜王は女神を称え続ける。
次に竜王は孔へと視線を戻し、その奥にいるであろう存在に笑いかけた。
『ごきげんよう。ヤギさん ぼくと あそぼうよ』
【愚かなり。我が前に立ちふさがるか】
無垢な少年に答えたのは罅割れた老人の声であった。
穴の奥、地獄からソレは響いてきた。
聞いているだけで脳の奥を突き刺されるような負の念の籠った声、精神を蝕む狂気の音色である。
しかし竜王はそんなもの欠片も気にしない。
彼の思考は女神への忠誠と信仰で満ちている故に、精神干渉など意味を持たない。
たとえ不定の狂気を撒き散らす邪神の前であっても竜王は鼻歌代わりに女神への讃美歌を歌い続けるだろう。
孔の奥より怪物たちが這い上がってくる。
どいつもこいつも生物学を無視したかのようなおぞましく醜悪な姿をした怪物たちだ。
最低でもレベル200オーバーという魔境の化け物共であった。
それを迎え撃つべく動き出すのは竜王が率いる竜族。
こちらもまた最低でもレベル200から300を超えている最強種たちである。
竜と悪魔が食い合う。
高度な魔法が鱗や甲羅を打ち砕き、憤怒に満ちた竜のブレスは悪魔たちを蒸発させる。
周囲数十キロが跡形もなく吹き飛ぶ規模で力が何度も行使され、その日、ミズガルズ全土を地震が襲った。
竜王と地獄の魔王、その長い戦いの初戦はこうして始まったのだ。
主人公が関与していないところで大物悪役同士が食い合う展開……いいですよね。
それはそうとベネトナシュも早く出したい所です。