ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
来週の更新はお休みいたします。
妖精姫ポルクスは眼前に置かれた水晶に映る光景を信じられなかった。
彼女はミズガルズにおいては「光」───即ち正義の代表として君臨していた者だった。
そんな彼女の対に座するのが悪の魔神王というのが今までの世界の常識である。
しかし実際は全て嘘だ。
魔神王と妖精姫は結託しており共にアロヴィナスの脚本を回し続ける舞台装置でしかない。
そも、誰であってもオルムを滅ぼす事など出来はしない。
彼の正体は女神アロヴィナスの御使いである龍であり、この世で最も完璧な生命体だ。
如何にレベル1000といえど人では決して勝てず、そもそも倒されることを想定などされていない。
だが例外をポルクスは知っている。
アルフヘイムにいきなり乗り込んできて兄と自分をテイムしたルファスだ。
彼女の意味不明なレベルと能力の数々を目の当たりにした彼女は唯一覇王だけが魔神王に勝てると思っていた。
だが、それも過去の話。
ポルクスはもう一つの例外を見せつけられてしまう。
主が覇を競い合っていることまでは知っていた、しかしこれほどまでとは。
アリストテレス兵器群。
人類が作り上げた明らかなイレギュラー。
ルファス・マファールを天然の規格外とするならば、彼らは計算して作り出された異物だ。
余りに速すぎる再現体の動作と数多くの勇者を知るポルクスからしても規格外の破壊力を行使するセト級。
そして意味の判らない挙動を繰り返すエル級。
これらは余りに呆気なく連携して魔神王──月龍を葬って見せた。
龍が、ミズガルズの調停者が。
女神アロヴィナスに仕える御使い、この世界で最も完璧な存在が敗北した。
ほんのちっぽけな槍の一突きで龍は内側からはじけ飛んだ風船の様に吹き飛んで弾けた。
オルムの瞳をみれば彼も現状が信じられないのかただ目を見開いている。
そしてソレはポルクスも同じ事だった。
「うそ……」
バラバラを通り越し粉々になったオルムをポルクスは凝視していた。
オルムが死ぬなど考えたこともない彼女は今の現実をどう処理すればよいか判らず動けない。
死ぬ。
あのオルムが。
何万年も共にあり続けた対の存在が。
それを直視するだけで彼女を構築する天力が軋んだ。
死。
この概念にポルクスはとても疎い。
アルゴナウタイという死をひっくり返し魂を現世に呼び戻す術を使える彼女は本当の意味でのソレの重さを知らない。
更に付け加えると彼女には寿命という概念もないのだ。
これは一種の自己防衛でもあった。
送り出して犠牲にしてきた勇者の死を全てまともに受け止めていたらとっくの昔に壊れていたのだから。
死んでもアルゴナウタイで蘇生できるから大丈夫。
彼らには第二の生があるから、大丈夫。
私が永遠に保存してあげるから大丈夫。
愛してるわ、我が息子たち。
貴方達を死に追いやったのは私だけど。
決して口には出さないだろうが、そういう風に物事を捉える性質を彼女がもってしまったのは致し方ないかもしれない。
しかしオルムの死は違う。
彼は月龍そのものでポルクスよりも上位の存在であり、そもそも管轄が違う上に厳密には生物ではない。
あれを管理できるのは女神だけ。
仮に死んだとしてもその魂をポルクスが受け取る事は出来ない。
いや、そもそもかなり上質な魔神族と言える龍に魂はあるのだろうか?
どちらにせよつまり永遠の離別だ。
ミズガルズでは誰もが味わう事になる絶望の一滴。
だがポルクスはコレを知らない。
どうにしかしなければ、と考えてしまい彼女は腕を強く握りしめその感情を追い払った。
遂にその時が来たのだ、今まで自分と魔神王が行ってきた詐欺のツケを払う時が。
騙され続けた人類は遂に勇者という人柱に頼らず魔神王の命に手を届かせた。
ならば喜ぶべきだろう。
しかし彼女は笑えなかった。
だから彼女は次に起きた展開にどんな顔をすればいいか判らなかった。
ソラが軋む。
膨大極まりない天力──純粋な“力”が無尽蔵に流れ込んでくる。
それらは崩壊した月龍の身体に纏わりついて再構築を開始し始めた。
小さな世界の中において龍は辛うじて女神が認識できる存在だ。
そもそも上等な魔神族と言える龍はアロヴィナスが編み上げた魔法の様なもの。
厳密には生きているというよりは発動していると言った方が近い。
だから彼女は魔法を編みなおした。
発動しなおしたというべきか。
龍という魔法はミズガルズの根底に組み込まれたシステムの様なモノであり、これくらいならば辛うじてアロヴィナスにも出来た。
ミズガルズがある限り龍は滅びない。
世界からのバックアップがあるということは、その逆もしかり。
龍とミズガルズは裏と表の関係でありどちらかがある限りはもう片方もそれを軸に治すことが出来る。
駄目ですよ。
この展開は無しです。
宙の向こう、極点で蒼い女神が断言する。
本来ならば自分が選んだ美しい勇者が成すべきことを横取りされたせいかその顔は不機嫌である。
醜い悪者を倒すのは美しい正義の筈なのにこんな気味の悪いモノがまだ動いていたなんて。
折角最高の脚本を用意したというのに、役割もないモブが主役気取りなんて許されません
皆が望むのは正しく美しい者が勝利することなのです。
そしてあれらは間違ってもそれではありません。
だって誰も望んでないでしょう?
メインキャラクター以外がいきなりしゃしゃり出てきて活躍するなんて。
モブはモブらしく身の程を弁えていればいいものを。
本当はあの“竜王”だって勇者が倒す筈だったのです。
だというのにあの覇王ときたら……。
はぁとため息を吐く。
ほんの数百年前に異物と竜王を己の手腕で排斥したまではよかった。
最後の最期にちょっとした問題も起きたが、最後は流して消したのだ。
しかしちょっと目を離したらコレだ。
今度はルファス・マファールとアリストテレス兵器群などというバグが台頭し始めている。
己はこんなにも頑張ってミズガルズを管理しているのにどうしてと思うのも無理はなかった。
折角起動した蠍も何故かルファスに奪われてしまいいつも通りの文明のリセットは出来ないという有様だ。
いい感じに加減が出来て、ちょうどよく全生命体の半分から8割ほどを殺してくれるあの蠍は本当に便利だったのに。
女神にとって命が増え過ぎたら掃除するのは当たり前だ。
その中から知略に優れた人物が現れて文明を進化などさせられたらたまったものじゃない。
ミズガルズは永遠に夢と希望に溢れた空想/ファンタジーの庭園でなければ。
女神アロヴィナスにとって世界とは舞台だ。
そこにある生活はそういうストーリーであり、戦争や不幸、魔神族の跋扈などはイベントだ。
そして女神が愛するのは美しいモノだけ。
女神は己に救いを求める人を余り見ない。
彼女が今まで見て来たそういった人種は殆どが醜悪だったから。
だから単純に救済を求める声を彼女は聞くつもりはない。
だって醜いから。
祈るばかりで与えられるのが当然だと思っている存在を彼女は軽蔑する。
魔神族に魔物をはじめとした苦難はあえて与えた試練、それを乗り越えた先に希望があるのを何故判らない?
死んだ者は死んだ者。
ちゃんとその魂はヴァルハラでリサイクルしてあげているのに。
どうして判ってくれないのだか。
オルム。
貴方を勝たせましょう。
全てはいつも通り。
歴代の勇者を葬った時と同じく、当たり前の結末に当たり前の様に到達させましょう。
彼女の言葉に理屈などない。
アロヴィナスがそう宣言すればそれは事実となる。
彼女がオルムが勝つと言えば世界はねじ曲がり、運命は撓み、あらゆる道理や因果は無視される。
ミズガルズの中の法則が一つ変わったのをアリストテレス兵器群は観測し、覇王は直感で理解した。
いまこの瞬間、世界の中でナニカが切り替わったのだと。
ただ一柱、ヴァナヘイムの頂上で眠り続ける龍だけが眼を開いた。
彼に許された行為はそれだけだが、兄弟がこれから何をするのか、どう戦うのか興味があったのだ。
ここまで女神が直接的に世界に力を流し込んだせいか龍たちの微睡は浅くなっている。
女神は語り続ける。
返答など期待していないし聞く気もない。
彼女のソレは会話ではなく延々と己の道理を他者に強いるだけのものだ。
オルム。
貴方の役目はまだ終わっていません。
身体が治っていく。
吹き飛んだ筈の全身が文字通り時間を回帰させながら復元する。
想像を絶する程の力、これこそ彼女が唯一絶対の神たる証。
誰であろうと女神アロヴィナスに逆らう事など出来はしない。
誰であろうとこの絶望に満ちた世界を否定する事は許されない。
どれほど彼女の思考が短絡的で浅慮だったとしてもこの一点のみで彼女は数億を超える年月の間、絶対神として君臨してきた。
次に相応しい勇者が現れて貴方を倒すまで休むことは許しません。
その為に私は貴方を作ったのです。
復元を終えた月龍の身体が一回りも二回りも巨大になる。
漲る力は他の龍と比較してもなお隔絶した域に至った。
しかし身体の各所からは何かが軋むような音が響き続けてもいる。
かつてのノーガードと同じだ。
龍という魔法が崩れ純粋なエネルギーとして暴発する寸前まで女神はオルムに力を注ぎ続けている。
仮に壊れてもその時はまた再発動させればいい位にしか彼女は考えていない。
しかしこれを短慮や愚鈍と罵倒するのは間違っている。
女神アロヴィナスは発生したその瞬間から無敵の存在である故に、単純に力を振るえば全てが解決するのだ。
誰かを利用するやら、何かを用いるやら、そんな思考はただの遠回りである。
オォォォオオオオオオオオオオオ!!!!
龍が悶えながら吠えた。
それだけで次元が軋む。
星々は恐れおののき、全ての魔物は宙を見上げて祈っていた。
どうかあの化け物共がこっちに気付きません様にと。
セト級と再現体はたじろぎもせず蒼い瞳でじっとそれを見つめていた。
流れ込み続ける膨大な力のラインを辿り、その奥でふんぞり返っている女を。
過去何度も人類を害し続け、夥しい数の命を奪った人類の敵を。
役目を果たしなさい。
大丈夫、壊れても何度だって直してあげますから。
もしも、それでもダメだったら。
完全にオルムが壊れて使い物にならなくなったら。
その場合も大丈夫。
アロヴィナスには考えがあった。
偉大で強くて賢くて何でも出来て誰も見ていない女神さまは新しい脚本を考えだしている。
もしも貴方が消えても大丈夫。
ちゃんと後継者は考えています。
だから安心してくださいね。
そろそろ同じ人物をずっと世界の悪役に据えておくのも正直アロヴィナスからしても飽きが来ていた。
龍は中々に使い勝手のいい手駒だったが……もっといいものに彼女は目を付けている。
新しい世界の敵。
新しい脚本。
新しい舞台。
その主役こそ覇王ルファス・マファール。
何か知らないがいきなり出てきたとんでもないバグ。
黒い翼は見ているだけでかつてを思い出してイライラするが、それを入れても彼女の存在は魅力的だった。
アレを何とか無力化して記憶/精神を弄り、己のコマに落とし込めばきっとさらに面白くなるに違いない。
その為に送りこんだ己の端末は今の所いい仕事をしておりその日も近い。
と、なればオルムは本当の意味でお払い箱だ。
オルム。
貴方に役目を与えましょう。
アレを壊しなさい。
人類の希望は私が選んだ正しき勇者のみ。
紛い物など認めません。
その命令を合図にオルムは巨大な口を開けていた。
喉の奥から込み上げるのは先の数十倍にもなる膨大なエネルギーの濁流。
余波だけで惑星系が震えるそれは正しく指向性を持つ超新星。
あんなものが放たれれば掠めただけでミズガルズは粉々だろう。
覇王の翼が微かに震え身体に活力をみなぎらせる。
彼女はいつでも【エクスゲート】を展開しあの場に乱入できるように準備を開始していた。
迫る龍の猛威を前にアリストテレス兵器群が動く。
この展開こそ彼らが望んでいたものである故に何の問題もなく対策を披露。
セト級が己の眼前に重力操作を応用し【エクスゲート】を都合十個ほど展開。
重力によって時空間を歪めた上で内蔵されたクロノスとカイロスを同時に発動させることで“全く同じ座標”が同時に展開される。
【エクスゲート】は入り口と出口を同時に生成する技術であるが、ここで彼は一工夫を加えた。
「回廊の入り口」と「出口」は見た目こそ一対だが、その本質は異なる。
十重の回廊が一つの点に折りたたまれ、法則の上では“十”だが、視覚上は“一”だ。
それはミズガルズの物理演算リソースを一瞬で飽和させる、想定外の陥穽利用だった。
本来、同じ場所に同じ術式を複数展開することなど想定されていないのだ。
故に世界は、その矛盾を処理しきれず軋んだ。
まるで旧世代ゲーム機のバグ技、メモリの二重書き換え。
本来一度しか走らない処理が“同時多発”で走る――この世の根幹を解く手順が、同一個所に十重で発動したのだ。
発動した術の数は十。
しかし回廊の入り口と出口は一つずつ。
回廊の発動座標を完全に重ね合わせた結果がこれだった。
ミズガルズの処理が狂う。
全く同じ座標に【エクスゲート】を重複させることなど考慮されておらず、法則が処理をこの世界においては放棄した。
世界を構築する要素を解く術を同じ個所に同時に発動するなど誰が考えられる?
続けて吸血姫が暗黒色の回廊に向けて【銀の矢放つ乙女】を放り込む。
本物のベネトナシュの十八番で、純粋に破壊力のある魔法としても有名なコレだったが本来ならば龍のブレスを迎撃するには心もとない。
視覚上では一つの入り口───法則の上では十のソレに魔法が放り込まれた。
その事実が重要だった。
つまり一つの魔法が同じ座標に十個存在することになるのだ。
その瞬間に「一つ」の矢が、法則上「十」に分割される。
空間のレイヤーを多重展開し、十本の矢が“まったく同じ場所”に存在し、出口で融合する。
迎え撃つように龍の口から破壊光が発射される。
先とは比べ物にならないソレはさすがは神の代行者の必罰であり、重ね合わされた【銀の矢放つ乙女】さえも飲みこむ。
拮抗は一瞬、龍の吐息は問答無用で低次元の魔法を押し返した。
周辺の温度が上昇していく。
あと数秒もあればあの光の濁流は吸血姫とセト級を飲み込むだろう。
想像を絶する威力のソレはきっと歪曲空間でも防げない。
───何の問題もない。
吸血姫再現体の瞳が蒼く輝く。
もとより今のは準備運動、確認と言っていい。
理屈上は出来る事が本当に出来るかどうかのチェックだ。
アリストテレス兵器群に宿る意思が次の手を放つ。
世界が歪んだ際の数式の変動は既に確認済み。
で、あれば遠慮はいらない。
【ターゲティング】
オルム――月龍。
その巨体を、角、腕、鱗、眼球……1000カ所に同時指定。
任意の存在に集中し対象を取るスキルだ。
本来ならば遠距離攻撃を専門とするクラスの者が命中率を上げるために使う能力である。
再現体はこれを用いてオルムの身体の各所にマーキングを施した。
角。左右の腕。眼球。
そればかりか全身にびっしりと生えた鱗の一枚一枚……。
余りに巨大な龍の身体は複数の部位ごとに分けて対象に取る事が出来た。
簡単に言えばオルムは単体でありながら複数の判定を持つ魔物の集団のようなものだ。
暫定として月龍の肉体の1000カ所の対象を取る。
【アステラ】
次に発動するのは全体化の術だ。
個人にかける天法や魔法を集団相手にも使える様にするためのスキルである。
再現体は再現を行う。
かつて存在した偉大なる創造主にして至高のアリストテレス卿の御業を。
ミョルニルの戦いにおいて竜王を翻弄しその命を悉く奪い取った技術を。
もう一本、先と同じく再現体は重複展開された【エクスゲート】に【銀の矢放つ乙女】を投げ込んだ。
同じようにレイヤーの多重重複処理が行われるが……その処理にスキルが割り込まれる。
一つの魔法がまず十ほど重ね合わされる。
同じ場所が十カ所あるという矛盾はこれで力技ではあるが解消された。
その次に挿入された数式は【アステラ】による全体化だ。
ただでさえ存在しない筈の魔法が1000カ所に拡散する?
とんでもない話である。
しかしミズガルズの運営法則は狂気を以てこれを処理した。
更なる重複処理を実行。
もはやヤケクソとしかいいようがない。
引き算を知らないのだ、この世界は。
故に十倍の魔法は更にそこに千を掛け合わされる。
これで本物のベネトナシュが放つソレの万倍を超える威力の矢が完成だ。
ここで世界の矛盾が真に牙を剥いた。
矛盾を矛盾のまま受け入れ、しかもその修正を諦めた世界はアロヴィナスの力を用いて強引に辻褄合わせを行う。
十重に重なった銀の矢は、単純な総和を遥かに超えた多層破壊魔法へと進化していた。
世界の地層そのものが多重で削り取られる。
時間の流れが一瞬、何十本も同時に生まれて、同時に消えていく。
空間そのものがヒリヒリと破れ、時折重くなりすぎた挙動のように周囲の光景が乱れる。
見ている者の脳が認識に追いつかない。
ミズガルズはこの矛盾を解消するために下手な修正を行う事を諦めるに至る。
つまりこの場に満ちるアロヴィナス神の力を用いて魔法を増やしたのだ。
そして十の【銀の矢放つ乙女】が出口で重ね合わされる。
【銀の矢放つ乙女】が千の座標に放たれる結果が生まれる。
しかもそれぞれが十重レイヤー重複の上で。
合計一万本の破壊矢が各一撃ごとに元の十倍の威力を保持したまま、生成された。
出口から現れたのは、神話世界のいかなる災厄よりも多い破壊矢の大洪水だった。
万本の矢の雨。
それは単なる多さではない。
一撃一撃が龍を殺せる威力を持ち、しかもその全てが同時多発で月龍オルムを貫くべく飛び出した。
矢が天を裂き、空間のフレームがバキバキと砕けていく。
存在のヒエラルキーが崩壊し、世界そのものが正規ではない挙動によって不安定化する。
猛烈な勢いでそれらは龍のブレスを貫く。
圧倒的な数と質の暴力の前に龍は目を血走らせ、女神はぽかんと口を開けた。
一本一本が龍を殺せる矢が万本、ルファスでさえ直面すれば危機感を覚えるだろう破壊の豪雨だ。
嘘、嘘、うそ……ありえないと虚空の果てでアロヴィナスは呆然と零した。
何だこれは、何なのだこれは、何でこうなる?
声すら震え、虚空に向かって呆然と呟く。
世界の支配者であるはずの女神すら、「何が起きているのか」を理解できなかった。
【ターゲティング】と【アステラ】が奇妙なシナジーを見せた結果がこれだった。
本来ならば拡散する筈の威力が乗算され続けている。
削るということを知らないアロヴィナスの性質がよく表れている。
それは「法則のミス」で発生した致命的なバグ現象――
見ている者全員が、現実の“限界”を目撃する。
矢が世界を貫くたび、その場に存在した筈のモノが何もかも消えていく。
空間に生じた消しゴムで消されたような穴、時々“何もない”が広がり、
龍のブレスはそのまま分断され、矢の嵐が肉体の千カ所を同時に、しかも“全威力で”貫いていく。
瞬間、龍の肉体はバグったポリゴンのように激しく揺れ、全身に傷が生まれ、膨大な魔力が一気に流出する。
耐えきれずに龍の身体が頭から粉々に吹き飛ぶ。
文字通り角の先から尻尾の先端まで木っ端みじんに。
しかし天力で再生される。
龍の身体に幾つも大穴が穿たれる。
必滅の威力の矢が直撃すればこうもなる。
しかし天力で治される。
一つの巨大な矢がオルムに突き刺さったまま数光年かなたにまで飛翔し大爆発を引きおこす。
超新星どころか銀河の総エネルギーにも匹敵する破壊力をまともに受けた龍は閃光に呑まれて死ぬ。
しかしアロヴィナスの意思によって彼は死ぬことを許されない。
ミズガルズがある限り、何より女神がそうあれと定義する限りオルムは死ぬことを許されない。
死ぬ。
蘇生。
死ぬ。
蘇生。
延々と彼は死に続け、その度に治され続ける。
もはや自分が生きているのか、死んでいるのかさえ判らない程に。
しかしこれだけの数を死のうと帳尻は全くあっていない。
魔神族が今まで殺した人類の総数に比べればオルムの死亡回数など端数だ。
それどころかソドムの犠牲になった数にも届いていない。
万本の矢を彼は全て受けきり、反撃に転じた。
アアアアアアアアアアアアア!!!
光を超える速度でオルムは太陽系に帰還し膨大な質量を活かす最大の技───突進を行う。
全長1万キロを超える怪物が恐ろしい速度で迫り来る中、再現体は懐からとっておきの品を取り出した。
かつてのアリストテレス卿も愛用した神剣やら聖剣などといった名前だけは大仰なモノよりも遥かに優れた品、空き瓶を。
吸血姫はそれを全く力も入れずに振るった。
魔法など空き瓶の前では無力だ。
そして月龍は上等な魔法に近しい存在。
つまりこうなる。
“カツン”
龍のそれだけで数十キロはある角を空き瓶で軽く叩けば月龍は呆気なく撃ち返され太陽へと突っ込み沈む。
ドォンとミズガルズ数十個分のフレアを撒き散らしながら太陽に龍は沈み大口を開けて悶えた。
『アリストテレス……!!』
太陽の重力から這う這うの体で抜け出し、その名を忌々しく呼ぶ。
既に本人は人である故に死しているらしいが、その忌み子は今もこうして世を乱し続ける。
微かに覚える苛立ちと共に彼は吐き捨てた。
『その強さは判った。しかし、どうあっても諸君では私を倒せはしないっ!』
強さという点ではオルムは素直に兵器群に劣る事を認めざるを得ない。
こう何度も殺されたとあっては実力差は明確だ。
しかし最後に勝つのは己であると魔神王は確信していた。
『神がそう定めた。故にその足掻きは無駄だ』
理由は簡単だ。
女神がオルムが勝利すると決めたから。
そのせいで何度死のうとオルムは復活を繰り返し戦闘を続行するだろう。
それを阻止したければミズガルズを破壊し世界からのバックアップにエラーを差し込むしかない。
しかしそんな事は出来ないと龍は知っている。
だから負けない。だって死なないのだから。
しかし彼は知らなかった。
世の中には死に勝る苦痛があるということを。
そしてソレは精神的なものではなく、物理的な痛苦によってもたらされる事もあるということを。
状況を整理しよう。
アリストテレス兵器群の主要な仮想敵は当時のアリストテレス卿と対立していたラードゥンだ。
そしてラードゥンの厄介な所はその不死性と無尽蔵に女神の座から力を引っ張ってこれる点にあった。
……今のオルムの状態はかつての竜王に類似している。
女神の加護を無尽蔵に受けているという点においてだ。
だから。
“究極兵器”の試運転、その実験台に相応しいということだ。
竜王を標的にしながらその実、その先を攻撃対象にしたアリストテレスの真髄をオルムは垣間見る。
ほんの一欠けらのみの稼働を開始。
吸血姫再現体が中指を立てる。
本当に極小の【エクスゲート】が開かれ、蒼白く輝く光球がその先にちょんっと乗せられた。
少しばかり濁った色彩を放つソレにオルムもアロヴィナスも気づけず、警戒さえ抱かない。
余りに小さく何の変哲もないマナ塊に見えたからだ。
今まで放っていた大規模な魔法やアロヴィタイトの理不尽さに比べれば何と矮小か。
基本的にミズガルズにおいての強い存在というのは巨大であるという前提もこの誤認を後押しした。
実際、これの姿は最下級の魔法にも似ている。
ただ一人、ルファスだけが気づく。
もはや様子見などと言ってられる状況ではないと察した彼女は玉座から立ち上がった。
医学を修め、マナを理解し、プランから多くを教わり彼の病気を間近で診ていた彼女だからこそこれの本質に気が付いてしまった。
「──────」
その顔に表情はない。
しかし紛れもなく彼女は焦燥に焼かれていた。
アレは存在してはいけない。
アレは人類やミズガルズどころの問題じゃない。
もしもあの光球が自分の考えている通りの存在であったのならば、バグ等と言う次元の話では済まなくなる。
あの魔女は何もかも終わらせる気だ。
彼女は本気だ。
鼻歌でも交えられるほど気楽に光球を再現体はオルムに向けて【エクスゲート】経由で放り込んだ。
全く何のダメージにもならず警戒もしなかった月龍の身体にソレは吸い込まれていく。
ミズガルズではよくあるマナを取り込みレベルアップする時の光景そのものだ。
魔女が嗤う。
人類がほくそ笑む。
魔神族に煮え湯を飲まされた全ての人々が悪意も露わに歯を剥きだした。
皆の意思は一つだった。
【『「苦しめ」』】
死さえ超えて永遠に。
“月龍ミズガルズオルム”
状態異常
“stage1 癌”
“浸潤開始”
膨大な天力を糧に絶望が龍を蝕み始める。
そして濁った光は流れ込む“力”を逆流し女神の座へ登り始めた。
「アリストテレス……やはり貴方こそが」
───メグレズ、過去の資料を見ながら。