ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
案外出来るものなんだなーと思ったり。
「oh……これはこれは」
その日、カルキノスは眼前に積まれた“リンゴ”を前に思わず息を漏らしていた。
5個もの“リンゴ”が彼の前にはあった。
少しだけ金属質な色彩の銅色リンゴである。
魔物としての彼はこれらが途方もない
一つ貪るだけで大幅なレベルアップが可能になるであろう禁断の果実が5つも目の前に並べられた彼が思わず天を仰いだのは仕方ない事であった。
「受け取ってもらえるかな?」
「いやぁ……HAHAHA」
にこにこと微笑みながらプランが告げてくれば、カルキノスは苦笑してしまった。
確かに自分はプランの事を友であり、命の恩人だと思ってはいるし、今まで彼の信頼と信用を裏切らない様に努力はしてきたが、それでもコレは少しばかり無警戒なのではと思ったのだ。
「いえ勿論ミーに断る理由などnothingなのですが……いいのですか?」
どう言いつくろうとミーは魔物ですよ? と彼は改めて宣言する。
人に限りなく似せて、人の社会に溶け込めるように努力を続けてはいるが、それでも自分は魔物で、いつ気が変わるか判らないのだぞ、と。
今更の話であるがプランは【モンスター・テイマー】のクラスなどもってはいない。
当然カルキノスには何の枷もない。
彼は自由な魔物である。
カルキノスがプランに協力しているのは単に彼がそうしたいからであって、厳密に言えばこの両者の間に上下関係などないのだ。
つまり、極端な話をするならばカルキノスはいつだってプランを裏切ることが出来る。
“果実”を貰うだけ貰って、レベルを上げたら即殺害に至るなんてことも可能なのだ、あくまで理屈の上の話にはなるが。
「これから裏切る予定があると?」
何でもない事の様にプランは言った。
いつも今日の食事の献立は何、と聞いている時の様な調子で。
カルキノスは両手を上げて「降参」のポーズを取り、脱力しながら苦笑した。
「まさか! ミーがbetrayalする時は事前に書面にして配りますとも」
「知ってる。これからも宜しく頼むよ、カルキノス」
「……そういう所ですよ」
無条件の信頼を見せてくるプランに魔物でも屈指の防御能力を持つ蟹男は自分でもよく判らない衝撃を受けてしまい、誤魔化す様に曖昧に笑った。
【モンスター・テイマー】による支配や従属ではなく、対等の関係として人と魔物が敬意を以て協力しあうというミズガルズでも滅多に観られない光景がここにはある。
気を取り直してカルキノスは“リンゴ”に目を向ける。
銅色の光沢は人にはあまり美味には見えないだろうが、実のところコレはとても甘くて美味しいのだ。
「さて、ではとりあえず一つ頂きましょう。何かcautionすべき事とかあります?」
「一気に何個も食べるのはお勧めしない。
少しずつ摂取したマナを身体に馴染ませる時間が必要だ。
それと、皮も一緒に食べるように。ソレも含めての“リンゴ”なんだ」
判りました、と答えてからカルキノスは果実に噛り付く。
味は……とてつもなく美味しい。シャキシャキした果肉はとても瑞々しく、汁はとても甘い。
そしてたった一回齧っただけだというのに途方もない活力が身体の中に流れ込んでくるのを彼は感じた。
「ぐっ……」
思わず歯を噛み締める。
劇的すぎる変化によって眩暈さえ起きた。
自分のレベルが飛び上がっていくのをカルキノスは観測した。
200だったレベルが一気に220に跳ね上がる、たった一口でだ。
本来ならば何体もの同レベルの存在を食い荒らさなくてはいけない域に彼は踏み込んだ。
ミシ、ミシと身体の節々が軋む。劇的なレベルアップによる体細胞の変異/変化/進化は鈍痛となって彼を襲う。
顔を顰めて彼は“リンゴ”を見つめた。
これは……本当にこの世に存在していいものなのかとさえ思った。
5個すべてを完全に取り込んだ時、自分はどうなってしまうのか。
少なくともプランのレベルは完全に通り越すことになるだろう。
魔物として人の姿になる前、獲物を丸ごと飲み込んでいた事を彼は思い出す。
魔物は死んだ時、保持しているマナの9割は世界に還してしまう。
ならばその前に亡骸を丸のみにすれば、相手の保有するマナを丸ごと取り込む事ができるのだ。
ミズガルズの強い魔物が巨大なのはここに理由があった。
口が大きければ大きい程、より多くのマナを相手の亡骸もろとも吸収できるからだ。
故に魔物は進化の過程で巨大化を繰り返してきたのだ。
なのにこの“リンゴ”は誰でも……それこそ魔物であろうと人類であろうと、何なら亜人であろうと分け隔てなく強引なレベルアップを可能にしてしまう。
明らかに世界のパワーバランスを乱す一品であった。
カルキノスだってその位は判る。
だからこそ彼は純粋な疑問を口にしていた。
普段から思っていたが、あえて言わなかった事を丁度いい機会だと判断して友に尋ねたのだ。
「friend……貴方はなぜ、自分にコレを使わないのですか?」
こんな逸品を無尽蔵に作り出せるのならば、自分に使えば歴代の勇者などに並ぶ1000の頂きに立てるのでは、とカルキノスは聞く。
カルキノスの言葉にそんなことか、とプランは微笑んだ。
「今が丁度いいからさ。
これ以上レベルを上げると……正直自分の手に余る世界に顔を突っ込まないといけなくなるからね」
“器じゃないのさ、自分は”と変わらずに彼は微笑んで言う。
しかしカルキノスには彼の笑顔の微妙な、本当に微かな変化に気が付くことが出来た。
少しばかりそこにあったのは“諦観”や“無関心”といった感情であった。
産まれてきてから今まで、何一つ期待していない男の顔だ。
全てを観察する瞳と、そこに至るまでの積み重ねは彼の人生から様々なモノを奪い取ったのかもしれない。
友のそんな一面にちょっとだけカルキノスは寂しさを覚えながらも、すぐに晴れやかな笑顔に切り替えた。
元より湿っぽい話は好きでない彼である。
湿気がないと生きていけない蟹であるが、それはそれ、これはこれなのだ。
「貴方は……いえ、ミーは何も言いませんとも!
friendは我が友! そこに何の変化もありませんからね」
「ありがとう。さて、次に増産する予定のゴーレムだけど……」
淡々とプランは次の予定を進めていく。
有事の際、彼が指揮することになるリュケイオンの防衛部隊であるゴーレムの増産についての説明を始めるのだった。
新型の戦闘用ゴーレムであるクラブ・ゴーレムの説明にカルキノスが大興奮したのはいうまでもない。
トン、トン、トンと包丁が規則正しく肉や野菜を刻む音がする。
まな板に刃が当たるたびに小奇麗な音が部屋に響き、よい感じに熱せられた鍋からは空腹を刺激する香りが漂っていた。
ルファスとアウラの母子は屋敷の厨房にいた。
二人は並んで立っており、母は娘に己の調理する過程を丁寧に見せている。
母が野菜を切る様を見届けてからルファスもまた同じように野菜を刻んでいく。
レベル60の身ではうっかりまな板ごと両断しそうになるが、母の手前そんな失敗は出来ないと奮起したルファスはかつてない程の集中力を発揮して料理を学習していた。
つまるところルファスとアウラは親子で料理を作っていた。
本日の夕飯のメニューは前菜を始めとしたフルコースの予定である。
普通の家庭では何も珍しくない光景だが、彼女たちにとってはかけがえのない奇跡の様な光景だった。
少なくともヴァナヘイムに居た時には想像もできない絵だ。
最初は切るというよりは押しつぶしてしまっていた野菜も、数回の修正を行った結果、美しい切断面を晒す様に刻む事ができるようになっている。
「指に気を付けて……力も入れすぎない様に……そう、その調子よ」
「うん」
母が褒めてくれる。それだけでルファスには満足だった。
今までの9年間の人生では手に入らなかった、普通の家族としての時間を彼女は心から楽しんでいる。
時折笑顔を見せながら娘に母が語り掛ければ、娘もまた微笑んでソレに答える、ごく一般的な親子の姿だ。
リュケイオンに保護されて一年、暮らしが安定してきたアウラは前々から恩人の助けになりたいと願っていたのは誰もが知る話である。
“子隠し”騒動などにより暫く先延ばしにされていたその件だが、つい最近からアウラは少しずつ屋敷の仕事を手伝うようになりだしていた。
アリストテレスの屋敷にも従者はいるにはいるが、あくまでも本業の傍らに小銭稼ぎの為の副業を行っている者達で、本業としているものは誰もいない。
自分に仕えるくらいならばリュケイオンで仕事をして、街を少しでも発展させて欲しいというのがプランの考えなのだ。
そしてカルキノスが身体にマナを馴染ませる為に料理人を休んだ日、アウラは厨房を任されたわけだ。
前々から何回かカルキノスと共同で料理を作っていた事はあるが、その時はあくまでも彼の助手のような役割であり、今回の様に一人で最初から最後までというのは殆どなかったことである。
ルファスはそんな母が心配で見にきたまではいいが、気づけば母と並んで厨房に立っていたというのが話の流れであった。
「お肉はこうやって……」
手際よくアウラが食材を調理していく。
今の彼女は長い金髪を後頭部でひとまとめにし、料理の邪魔にならない様に結わえた姿である。
いつも着ている純白の質素なドレスやローブの上に青いエプロンを着込んだ彼女は何処にでもいる主婦の様であった。
元々彼女は料理が得意で、好きな女性であった。
貴族としては珍しい、自分で料理を作る事の多い人物だったのだ。
ルファスには決して言えないが、ジスモアも昔はそんな彼女の食事に舌鼓をうち、穏やかな時間を過ごす一助でもあった。
輝かしい過去を思い返しながら、暖かい今をアウラは心から堪能し、喜びを全身で表現しながら娘と他愛もない雑談を楽しむ。
ときおり二人の翼がパタパタと意図せずに同じタイミングで動き、両者の親子としての繋がりを感じさせた。
もしもカルキノスがここにいたら彼は……砂になっていたかもしれない。
一日に摂取できるloveの限度を超えましたとか叫びながらマナに還る彼の姿は誰もが容易く想像できる。
母と娘が楽しみながら料理を進めていく中、ルファスの足元に近寄ったのはアリエスであった。
料理に熱中しすぎた結果、アリエスの食事をルファスは忘れてしまっていたのだ。
それに気づいた彼女は「あ」と小さく漏らした。
「メェェ……」
グルルルとお腹を鳴らしたアリエスがルファスを見上げた。
アウラとルファスの二人を見比べた結果、一瞬だけ悩んだがルファスの腿あたりに前足を乗せて後ろ脚だけで彼は立ち上がった。
人懐っこいアリエスは定期的に誰かに無条件で甘えたくなる時があるのだ。
「もちろんお前の事も忘れてはいないぞ……本当だ」
ルファスは包丁を始めとした調理器具を安全な所に置いてから膝を曲げてアリエスと向き合い言う。
アリエスの耳の裏をルファスはかくように撫でてやった。
羊の目が細められ、口元からか弱く「めぇぇ」と声が漏れ出た。
(よしっ……アリエス、お前が誰のモノなのかをしっかり教え込んでやろう……)
くくくと少女は胸中で黒い笑みを浮かべていた。
未来の覇王は自分のモノに手を出す不届き者を決して許さないのだ。
アリエスは私のモノだと少女は三回胸の中で繰り返した。
餌やり、散歩、フンの世話、ブラッシングにマッサージ、更には洗浄まで全て彼女はこなしている。
最初にアウラに宣言した「ちゃんと世話する」という言葉に嘘偽りはない。
「知っているぞ……よくココを撫でられていたからな」
「……みぇぇ………ぇぇ……」
少女の細い指が鼻の先をカリカリと掻いた。
ぴく、ぴくとアリエスの鼻が震える。
うっとりした瞳でアリエスはルファスを見やり、それを見た彼女は内心「勝った」と優越感を抱く。
もちろんアリエスに対してではない、プランに対してだ。
最近彼が自分の臣下であり、従者であるアリエスを勝手に愛でている事を少女は知っていた。
まるでペットの飼育に断固反対していた父が、いざ犬を飼ってみたら溺愛してしまうようにプランはアリエスを可愛がっている。
ルファスの見ていないところで勝手におやつさえ与えているという溺れっぷりだ。
どうりで最近アリエスが丸くなってきたわけだと少女は憤慨する。
幾らなんでもおやつにトウモロコシを一本丸ごと与えるのはやりすぎだ。
今度母に頼んで遠回しに注意してやるつもりだった。
「メェェぇぇ………」
遂にルファスの齎す心地よさに敗北したアリエスはゴロンと転がり、腹を晒す。
よしっ、と思ったルファスの笑顔が深くなった。
盗み取った技術が確かなモノだと彼女は満足した。
悔しいがプランの手腕は本物であり、彼の魔手にアリエスが心地よさそうな顔をしていたのも事実。
【観察眼】の合わせ技で全身の筋肉のコリをほぐすマッサージをされたアリエスの姿など、もう野生の「や」の字も残っていない程に無惨なものだった。
しかしそれも過去の話。ルファスは何度か隠れて見ていたあの男のソレを完全にモノにしたのだ。
もちろん手腕の実践は母で試した。
ルファスの夢の一つである、母親の肩を揉むという誰でもやったことがある親子の触れ合いを彼女は合法的に行ったのだ。
背中の翼によって慢性的な肩こりに悩む母の身体をルファスはマッサージし、その技術をアリエスにも用いたのだった。
これでもう二度とアリエスがプランに靡く事はないと少女は確信し、満足そうに微笑んだ。
まぁ、多少は……どうしてもというのならばアリエスを貸してやらないこともないが、どちらにせよあの男とアリエスの関係は終わりだとルファスは確信を抱く。
「よしっ……いいぞ……私の方が上手い筈だ……アリエス、お前はあんなダメな男に騙されてはいけないぞ……」
少女の口は常日頃からプランに抱いていた不満を次々と吐き出し始めた。
偽善者で、いつも何があっても笑って誤魔化そうとしていて、強いのに全然強者として振舞わなくて
気づけばいつも何処かで自分を見ているストーカーで、意味不明な技の数々をもっているのに全く教えてくれなくて
何かあるとすぐに焼き菓子で機嫌を取ろうとしてくる上に、自分が何を言っても基本は否定しないのに、命に関わる事だけは強く言い聞かせてくる男。
話せば話す程ルファスのプランに対する愚痴は止まらない。
自分はもうレベル60で十分に強いのに相変わらず子ども扱いし、危険な事から遠ざけようとしてくるやら
毎年自分の機嫌を取るために誕生日プレゼントを渡してくるやら、まだまだ止まらない。
アリエスでさえ途中からは延々と続くルファスの言葉を子守歌がわりに船を漕ぎだしていたといえば如何に彼女がプランに不満を抱いているか判るというものだ。
最終的にルファスが「あんなやつ、大っ嫌い」と締めるまで要した時間は20分以上にも及ぶ。
そんな娘とアリエスの触れ合いをアウラは微笑みながら見つめつつも手を休める事はない。
しばらくぶりの本格的な料理であったが、何度かカルキノスと共同で作っていたこともあり、彼女の錆は落ち始めていた。
手際よく食材を捌き、鍋の火加減を調整し、使い終わった器具はてきぱきと洗って片づけていく。
全ては流れるような動作であった。
一瞬たりとも動きを止める事はない。
頭の中で次は何をするかという計画がしっかりと確立しており、手足はその計画を現実に落とし込む為の端末にすぎなかった。
ルファスの母というのも頷ける身のこなしで彼女は5人分ほどの量の料理を仕上げていく。
娘が羊に延々と愚痴を吐いている間にアウラは殆ど一人で料理を完成させていた。
「あ……」
我に返ったルファスがアウラを見てぽかんと口を開けた。
つい興が乗ってプランの悪口大会を始めていた彼女は己の失態を悟った。
せっかく母と一緒に共同で料理を作っていたというのに台無しにしてしまった彼女は目に見えて落ち込む。
背の翼が力なく項垂れ、少女は肩を落とした。
そんな娘にアウラは優しく、諭すような声で語り掛けた。
「もう少しで出来るわ……先に向こうでお皿の準備をしておいてほしいの」
「っ! 分かった……」
ぱっと顔を上げたルファスはアリエスを抱きかかえると文字通り少しだけ浮かんだ状態で厨房を後にした。
「…………」
アウラは娘を見送った後、人知れず天井に視線を移す。
そのまま少しだけ瞑目する。
親子で一緒に料理をする、というのは何もルファスだけが抱いていた夢ではない。
一つずつ、母と娘は本来手に入れる筈だった当たり前を取り戻していた。
普通の、何の変哲もない親子の日々を。
死ぬはずであった自分が、今は娘とこのように平穏な日々を謳歌できている事をアウラは深く感謝していた。
ヴァナヘイムに居た時に抱いていた諦めは今や過去の話である。
今がどれほどの奇跡の上に成り立っているか彼女は正確に理解しており、この日常と娘を守る為ならば全霊を尽くすと彼女は密かに決心していた。
「WOW! さすがエノク夫人! 腕を上げ……いや、取り戻したというべきですか」
食事の時間となり、身体を休めていたカルキノスが部屋から出てくると、彼は食卓に並べられた料理の数々を見て感嘆の声を上げていた。
クルクルとその場で踊り始めながら夫人とルファスを称え始めた彼にアウラは笑顔で「ありがとうございます」と述べる。
するとこの伊達男は更にテンションが上がってしまったらしくアウラの手を取り、輝くような笑みで「麗しい女性」やら何やらの美辞麗句を矢継ぎ早に語り始め……。
「おい、離れろ!」
案の定ルファスを苛立たせてしまう。
眉を吊り上げた少女は強引に母とカルキノスの間に身体を割り込ませ、母を守るようにカルキノスへと向き合った。
威嚇する猫の様に金糸の髪を逆立てる少女にカルキノスは微笑みながら後退した。
数日かけて5つあるリンゴの内、2つを完食した今の彼のレベルは380である。
既にプランを大きく超えた彼は名実ともにリュケイオンで最高レベルの持ち主であったが、その立ち振る舞いは何一つ変わる事はなかった。
強かろうと弱かろうと、カルキノスという男は不動である。彼の心は身体と同じくらい頑強なのだ。
「失敬。ミーとした事が少しばかり礼を欠いていました。レディ、どうかお許しを」
「……本当に、いつか、絶対に」
その殻を割ってやると胸の中で言葉を続け……ルファスはふとした違和感を覚えた。
カルキノスのふざけた態度はいつものことだが、どうにも彼の……“ナニカ”が変わったとルファスは直感した。
態度でもなく、言動でも、意識でもない。
少なくとも彼の性格に変化はないが、彼の発する気配のような、あえていうならば“圧”のようなものが増したと彼女は思った。
威嚇するような動作をやめて改めてルファスはカルキノスを観察する。
具体的なナニカは判らないが、この違和を無視するべきではないと彼女は考えた。
目に力を込めてみる。むぐぐぐと全身を強張らせ、額に皺を寄せて男を見た。
結果、彼女の感覚はカルキノスに抱いていた違和を現実的な形で捉える事に成功した。
思わず彼女は言葉に出してその中身を確認してしまう。
「……保持するマナの量が、変わった? んー……?」
「HAHAHA!
確かに久しぶりのcool timeにより
ミーの全身は“ヌッフゥゥゥン”な状態となっていますからね。
溢れる紳士力をレディは感じ取ってしまったようで!」
ルファスは一瞬で物事の本質にまで迫りかけるが、カルキノスは気にも留めずに豪快に笑う。
彼は何もいうつもりはない。ましてやかの果実のことはあらゆる意味で秘されるべき内容だ。
確かにあまり頭がいい方ではないと自覚している彼であるが、ルファスに例の果実の事を教えたらどうなるか解る。
保管場所に忍び込んでプランに捕まるだけならば可愛いものだ。
もしも事をうまく運ばせて例の果実をルファスが入手し、一気に食い漁ったら……恐らくマナの過剰摂取で少女の健康は重大に損なわれるだろう。
ただでさえ一年に一回“変異”を引き起こす彼女にあんなものを与えたらどんな化学反応が起こるか判ったモノではないのだ。
「夫人も見てください! このミーの逞しいmuscleの数々……!」
己の肉体美を誇示するようにリラックスポーズをきめ出したカルキノスにルファスの顔が呆れと怒りを帯びた。
アウラは勿論いつも通り微笑むだけだ……まぁ、少なくとも悪くは思っていないのがカルキノスにとっての救いかもしれない。
彼女は前もって頭を下げた。恐らく娘がとても失礼な言葉を吐きだすと悟ったから。
「私の勘違いの様だな。お前はいつも通りのバカだった!」
「……ルファス、カルキノス様にそんなことを言っては」
「事実を言ってるだけっ!」
母に注意を受けたルファスの機嫌が更に悪くなる。
この蟹野郎、いつの間にか母にうまく取り入りやがってと内心で悪態を吐きつけた。
しかしルファスの歯ぎしりの音が部屋に響き渡ると同時に、入り口の扉が開かれ、プランとピオスの両名が入ってくる。
「皆様ごきげんよう。直ぐに私は消えますので、どうかお気になさらず」
ピオスが集まった面子を前にし、会釈をする。
彼とプランの手には何枚もの書類や、誰から貰ったかは定かではないが野菜や魚などの食材の数々があった。
途中で手の数が足りなくなったからなのか、プランの【サイコスルー】により周囲にいくつもの切り出された肉塊などが浮いていた。
眼を丸くして食材を見るアウラにプランは言った。
「これらは全部教会に寄贈されたものです。
司祭一人では使いきれないと判断して、譲ってくれたんですね」
「私だけでは腐らせてしまいますからね。
女神も無駄に食料を腐らせては御嘆きになられるでしょう」
以前子供を預けた礼としてリュケイオンの住人は教会に大量の食材を寄贈したのである。
当然ピオス一人では食べきれないと判断し、その殆どがこうしてプランへと渡ったのだ。
「ありがとうございます……」
「ではミーはこれらを片付けておきますね。
足の早そうなmeatなどは早速明日にでも使っても構いませんか?」
「勿論。頼むよ、カルキノス」
アウラが頭を下げ、カルキノスは早速食材を吟味し始める。
普段は温厚で陽気な男であるが、こういった料理などに関しては何処までも真摯で本気である故に食材に向ける眼差しは真剣そのものだった。
「ルファス、ちょっといいかな?」
「……何だ?」
ちょい、ちょいとプランがルファスに手招きをする。
いつも通りであるが、少しだけ興奮と喜びが混ざった笑顔であった。
そんな彼に少女はぶっきらぼうに答える。
「贈り物があるんだ。……ほら」
プランは手に持っていた何枚かの紙をルファスに見せる。
そこに書かれていたのは決して上手とはいえないが、必死に書かれたであろうルファスの絵だった。
絵の中の彼女は剣を握りしめ、必死な表情を浮かべていた。
「なんだ、これは?」
怪訝な顔をして少女はプランを見やる。
紅い眼には困惑があった。
何だこの下手な絵は、と内心で彼女は思った。
「子供たちがルファスの絵を描いたのさ。
ほら、前に自分と訓練をした時に多くの人がルファスの活躍を見てたのを覚えてるかな?」
「…………確かに、いたな」
苦いモノを感じながら少女は瞼を閉じた。
思い出すと同時に、胸の中がむず痒くなった。
少女にとって、あの時の周囲の自分を見る反応は……理解不能なモノだった。
リュケイオンでは誰も彼女の悪口を囁かない。
むしろそれどころか口々に“可愛い”だの“偉い”だの、意味の分からない事ばかり言われる。
ルファスには彼らのことを全く理解できなかった。
ここに来た時から、ずっとルファスは彼らを理解できない。
意味が解らない。何で自分を気に掛けるのか、解らない。
はっきり言ってしまうと、彼女は母以外から送られる愛を信じられないのだ。
人間は生まれて数年で基本的な人生の価値観が形成されるという。
三つ子の魂は100までとはよく言ったものだ。
そんな大切な時期にあらゆる悪意と否定と拒絶をぶつけられ続けた彼女の心は、自分でも把握しきれない程に深い傷を負ってしまっている。
こんな黒い翼をもった自分が可愛い筈がない。
こんな汚れた翼をもった自分が母以外に愛されるわけがない。
自分は世界も含めた何もかもを憎んで生きている、そんな人物が好かれる訳がない。
だからきっと、リュケイオンのあいつらも自分を騙しているのだと彼女は自己完結した。
おだてるだけおだてて、騙して自分から何かを奪おうとしているのだと。
もしくは既にレベル60という強者になりつつある自分にゴマをすっているだけだと彼女は考えた。
「……ちっ」
無性に苛立ってしまい舌打ちをする。
本当はさっさと破いてしまいたかったが、母の手前もありそれは止めた。
「いらない。そんなもの、何の価値もない」
「じゃあ自分がもっておくよ」
だから一言だけ彼女は返した。
イライラしながら吐き捨てたが、プランは前もって予想していたのか簡単に頷いた。
そんな彼の態度にも腹が立ったがルファスは一度深呼吸をして落ち着いた。
(そうやって見下しているがいい……いつかその首落としてやる)
折角母と料理を作っていい気分だったのに最悪だ。
やはり自分はこの男が嫌いだと彼女は改めて再確認する。
この男を殺し、この男がいない日々をいつか手に入れて見せると密かに彼女は決意を新たにした。
それはそうと腹が減ってきたのも事実なので、ルファスは母の作った料理を味わってから夜の鍛錬を行うことに決めた。
( )゚Д゚( )←アリエス
「すごく嬉しそうに食べるから、ねだられるとつい……」
──容疑者P氏の自己弁護。
ダイエットの為、ルファスの散歩の時間は倍に増えた模様。
それはそうとヒロインとしてのルファスの最大の敵はもしかしたらカルキノスかもしれない……。