ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
「同じ苦しみを味わえ」
────エロスの息子たちを殺した人物の最後の言葉。
エロスの裏話は考えていたのですが、本筋を優先して泣く泣くカット。
裏で彼は子供たちを全部殺されました。
いつかそっちも書きたいが、まずは本編優先でいきます。
眼前の堂々とした男を前にルファスは奇妙な感覚と感慨を抱いていた。
共同体の支配者としてミズガルズをほぼ統一したと言っても過言ではないゾディアックの王である彼女は人類を代表し一つの会合に望もうとしている。
大海の支配者エロス。
神話よりその名を響かせるミズガルズの強者。
ミズガルズの7割を占める海洋の底に在る超巨大な国家の支配者だ。
規模だけ見れば単純に面積だけ見ても人類共同体の倍以上はある途方もない大国、それがスキーズブラズニルだ。
スキーズブラズニル。竜王との騒動の後、エロスは再び王として再起していた。
かつて彼が支配したアトランティスの後継国であるがその規模は想像を絶するものがある。
百八の領地と三百の都市、一億の人口より成る海の統一国家、それが今の彼の支配領土だ。
エロスは理知的な瞳でじっとルファスを見定めてる様に見つめていた。
彼のレベルはもちろん1000。
ルファスを前に臆さない最低限の力はもちろん保持している。
しかしそんなレベルとは違う重み、古来より王として君臨してきた凄みをエロスは放っていた。
それこそ王になってまだ2年程度しか経ていないルファスとは別次元のソレを。
“想像していたのと違うな”
ルファスの感想はそれに尽きた。
スキーズブラズニルから共同体に会合の打診があった瞬間よりルファスは王としてもちろん彼について調べていた。
その結果でてきたのは正しく暴君としか言いようがない所行の数々だった。
かつての彼はソレを誇りに思っていたのだから隠し立てなどするはずもなし。
むしろ己の栄光としてソレを嬉々としてミズガルズにばら撒いていたのだ。
あらゆる女を手籠めにし数々の理不尽を民に強いてきた男。
自分の快楽だけを求め、一切の弱者を気にも留めない理不尽の権化。
はっきり言って彼について語られる伝承や記録はどれも碌でも無いことしか書かれていない。
創世期より女神より遣わされたまではいいが、自分の欲望を優先し母たるアロヴィナス神の意向を無視したとまで断じられているのだ。
エロスがもしもそういう理由で地上に出てきたのであればルファスは深海の征服さえも考慮に入れていたほどだ。
アリストテレス兵器群の最後の仕事として海洋の征伐を依頼していた可能性さえあった。
しかし……目の前の男はそんな怪物とはとても思えないほどに落ち着いており、理知的だ。
他人の悪意に敏感なルファスをして敵意や自分に好色を向けているわけではないと断言できるほどに。
噂とはあてにならないものだと思いつつルファスは口を開く。
「深海の賢王エロス。神話に名だたる神の子と相まみえることが叶うとは光栄だ」
「貴公もまたミズガルズにおいて並ぶものなき統一者。必要以上に畏まる必要はない」
大海と大地を統べる我らは対等であるとエロスが続ければいよいよルファスの疑念は深まっていく。
もしやこの男は影武者か? と思うほどに。
如何に噂はしょせん噂といえど余りに情報と違う。
しかしエロスの立ち振る舞いは自然体であった。
マナを可視できるルファスが見てもその身に秘めた力は莫大としか言いようがなく十二星天に匹敵凌駕するほどだ。
故に彼が偽物とはとても思えない。
そんなルファスの内心を見抜いたかのようにエロスはふっと小さく笑う。
再起を誓ったあの日から今のルファスの様な者は何人も見てきたし理由も良くわかるから。
何せ自分からしても呆れるほどに変貌したと思うのだ。
「貴公の懸念は最もだ。しかし私こそスキーズブラズニルの王、エロスである」
「此度は地上の統一を果たした栄光ある貴公らと同盟締結の話を行いにきた」
いっそ滑稽にも聞こえる名を彼は堂々と宣言する。
かつてのようにトリトンとはもう名乗らない。
覇王として君臨するルファスをして微かに感銘を覚えるほどに今の彼は確かな芯の通った王者であった。
ひとまずの挨拶は終わりだなと判断したルファスは数歩後ろで待機し続けていた臣下に目配せをした。
言葉はいらない。彼女と彼の間にそんなものはいらない。
「ご案内いたします!」
此度の会合においてルファスの護衛として選ばれたのはアリエスだった。
意外かもしれないが十二星天の中でも彼はこういった場においての作法などに詳しかった。
十二星天で最も勤勉で多くの知識や技術をどん欲に吸収する彼はもちろんルファスを有利にするためならば何だって覚える。
今の自分がゾディアックというルファスの群れにおいて重要な位置にいると自覚している彼はもちろんその役割を果たすために多くの技能を身に着けていた。
その結果彼が出した答えはとりあえず一番大事なのは愛想である。
完璧なマナーでなくとも少なくとも愛想があれば多少はお目こぼしされるのだ。
エロスの隣に佇む護衛と思わしき青髪の青年が小さく会釈をしルファスの護衛であるアリエスがにっこりと笑い返しペコっと頭を下げる。
何の因果かエロスに従うこととなった彼の名はハイドラス。
かつては竜王に恐怖し従っていた彼はラードゥンの没落後、復活した竜王には従わずエロスに仕えていた。
会合の席に移動し二人の王は席に座る。
ルファスは背にアリエスともう一人の護衛、無機質なメイド服を着た少女──リーブラを控えさせる。
つい最近完成したばかりのリーブラをミザールより託されていたのだ。
「改めて其方を歓迎する。深海よりよく来られた」
「共同体の代表として改めて名乗ろう。
余がルファス・マファール。人類共同体の最高指導者である」
口火を切ったのはルファスだ。
歓待する側に回った経験はあまりない彼女だが特に問題はない。
255年も時間があり、目的のためには王になる必要もあるとわかっていた時点でそういう事は全て予習していた。
決して下手には出ない。
されど敬意を忘れず鷹揚に。
相手がどんな話題を振ってこようと冷や汗一滴でも流したら負けだ。
だからルファスは余裕に満ちた笑みを張り付ける。
もはや癒着して取れなくなりつつある強くて恐ろしい覇王の顔を彼女はかぶり続けた。
対してエロスは小さく頷いてから述べる。
王としてルファスの先達である彼は心からの賛辞を注ぐ。
「私が知る限りここまで地上が安定した時代は過去に例がない」
「幾度か惜しいところまで行った事はあったが、その度に何かしらの要因で破滅が訪れていたものだ」
それが何であるか今の彼はよく知っている。
全ては己の母、アロヴィナス神が行っていることを。
自分の手を離れて文明が進化を加速させ始めたとき、いつも彼女はその文明を滅ぼしてしまう。
バーサークエンペラースコーピオンにオルム。
時には隕石を落としてまで彼女は人類の独り立ちを許さない。
────私は貴方達を愛しているんです。
────私の思いをわかってください。私だってこんなことは本当はしたくないんです。
────だけど仕方ないでしょう? このままいけば貴方たちは不幸になってしまう。だからその前に……。
ポルクスやカストール。
それどころか月龍オルムよりも古いミズガルズの最初の存在であるエロスはまさしく歴史の生き字引だ。
そんな彼をして今の地上の様子は異常の一言であった。
彼は海の全てを知っている。
創世記より君臨していたのだから当然だ。
逆に言えば海から陸に上がったこともなかった。
そんな彼がどうしてゾディアック/共同体の勃興を知ったか。
そして此度の問題になりつつあることだ。
幾つかの小さな雑談の後にエロスは本題を切り出した。
「深海においてマナの濃度がここ数年で劇的にかわった。
その影響を受けて強制的に変異を始めている者が出始めている」
「初めは竜王の仕業かと考えた。あの悪意の権化がまた碌でも無いことを企んでいるのかと」
ラードゥン。
その名前と行いはエロスにとって決して忘れられない。
あれのせいで彼は全てを失い、そして己の罪を突き付けられることになったのだから。
竜王の名前が出てルファスの纏う気配が変わる。
彼女は結局一度も本物と出会えていない。
覚えているのは下劣極まりない悪意の塊の嘲りだけだ。
己から半身を奪った純粋悪の名前を聞くだけで彼女は抑えきれない憤怒と憎悪が滲んでしまう。
もちろん表面上、表情になどは決して出すことはない。
しかし胸の奥底で濁り粘性を帯びた感情がぐるぐると回ることだけは止められなかった。
「奴とは私も浅からぬ因縁があった……。いや、恥を覚悟で言うが私は奴に敗北したのだ」
もしもここにアイゴケロスがいればエロスは気づいたかもしれない。
あの時、己の命が奪われかけた時に乱入してきた彼は意図はせずとも命の恩人なのだ。
ルファスの気配が微かに変わったことを察しつつエロスは続けていく。
彼もまた復活した当時のアイゴケロスと同じ疑問を抱いていた。
「しかし聞けば奴は既に打倒されているらしい」
賢王の語る“竜王”というのはあの巨大なだけの悪意の残骸ではない。
正真正銘、本物の純粋悪たる勇者ラードゥンのことだ。
「……正直驚いたよ。まさか地上の者にアレを打倒できるとは」
即ち“どうして世界は滅んでいないのか”だ。
あの勇者を名乗る悪辣な怪物を倒せるものなどこの世にいたのかという驚きだ。
もちろん地上の異変を察知した後に情報収集した結果、当時の勇者が倒したとされていることまでは知っている。
だがしかしそれは表向きの話だなと彼は既に解き明かしていた。
いま世界を二分する大勢力の一つ、アリストテレス兵器群。
それと同じ名前を関する小さな地方領土の領主……当時の帝国が散布した書面に乗っていた名前。
アリストテレス卿と呼ばれた者がすべてのカギを握っているだろうという所まで彼は指をかけている。
図らずも彼の眼前に座るルファスはそのすべての答えを知っているが彼女は決して喋らないだろう。
少しばかり場の空気が軋んだのを察知しエロスは話題を変える。
何故かはわからないがこれ以上竜王の話をするのは良くないと察したのだ。
「話を戻そうか、深海の件だ。
まず大前提としてマナは重力の影響を大いに受ける点は知っているだろうか?」
「知っている。
ヘルヘイムにあれほどのマナが満ちたのは大地に宿ったマナが重力に引かれて沈下し続けた結果だ」
地底世界ヘルヘイム。
アイゴケロスの故郷にしてアリストテレスの実験場の一つ。
あの地にマナが満ちた理由は単純明快だ。
重力に囚われ星の中心部に向かってマナが落下し続けたからだ。
ご丁寧にもその実験結果はアリストテレスの屋敷にありルファスはそれを読んだことがある。
そして深海もまた似た環境である。
水にもマナは宿る上に、それらはどんどん水圧によって圧縮もされる。
そこに重力が加わればその深淵の奥には途方もないマナ溜まりが生まれるだろうことは想像にたやすい。
「元より私は海流を操作し大海におけるマナの流動を制御する身だ」
エロスが唯一行ったアロヴィナス神からの言いつけ。
龍の試作品として彼もまた世界のマナを管理する権限を持っていた。
当初は自分の楽園を維持するために最低限しか行っていなかったが再出発した彼は積極的にその力を駆使し深海の土地開発を行ったのだ。
「新興せし我が国土を繁栄させるために多少の無茶を通した自覚もある。
何せこの星の7割を作り替えるようなものだ」
彼のやったことはかつてのアリストテレス卿がリュケイオン近郊で行ったことを大規模化させたものだ。
マナの流れを操作し、その性質を変化させる。
これを行うことで土地に強い生命力が宿り土壌は活性化し休息期間さえ置かずに農作さえ可能となる。
深海のそれは多少の勝手は違うが原理は同じだ。
結果、アトランティス改めスキーズブラズニルは僅か200年程度でミズガルズの海を統一しきった。
もとよりこの世で最も優れた素養を持ちしエロスが無駄な欲望を捨て去り真摯に動けばこの程度はできて当然の話でもある。
エロスは己の民のために星を作り替えた。
そんなことをすればかつてのウルズの泉のように何処かに不具合が出てもおかしくはない。
しかしそれを差し引いても今の状況は異常極まりなかった。
「昨今は余りにマナが多すぎる。
地上はもちろん、深海のさらに奥底……地殻を莫大なマナが流れている。過剰すぎる」
「…………」
エロスの語る現象に身に覚えがあるルファスは黙って話を聞き続ける。
原因は十中八九かの“祭壇”だろう。
あれを用いてルファスは無尽蔵に果実を作り続けている。
レベリングされ続ける人類を殺すために魔神族も強化される。
つまり魔神族に宿るマナも増える。
そしてそんな魔神族をアリストテレス兵器群は時には殺害し、時には生成し加工を続ける。
この世界にマナが飽和するほどにばら撒いたのは彼女だ。
そして兵器群はその全てを余すところなく利用しつくしている。
「遠回りなのは此処までにしよう。
どんな手を使ったかは見当もつかないが、原因は貴公だな?」
「その通りだ」
ルファスは隠し立てしなかった。
もとより己の所業がミズガルズに多大な影響を与えることは承知の上だった。
かつてのウルズの泉がそうだったように、思わぬ所で思いもしなかったことが起きるなど知っている。
エロスは王として、何より大海の管理者としてルファスに告げていく。
「此度は何も咎めに来たわけではない。
しかし己の行為の大きさを理解しているか知りたかっただけだ」
「今は問題になっていないが、マナの濃度が高まった深海において望まぬ魔物化をした者も出始めている」
眼球が飛び出るほどに巨大化し、知能は部分的に退化。
攻撃性が増強され血肉を求めるようになる。
さながら出来の悪いゾンビのようになってしまうそれは魔物化というよりは一種の疫病だ。
しかし醜悪という言葉を決してエロスは使わない。
望まぬ変異をしてしまったものを彼は見下さないし絶対に救護を諦めない。
民たちに必ず救って見せると約束したのだ、王としてその期待を裏切るわけにはいかない。
「余りに行き過ぎたマナは魔物化の他に出産率の低下も齎している」
簡単な話だ。
魔物は子供を作りづらい。
遺伝子が別物にマナによって作り替えられているのだ、当たり前だ。
一代で変異するほどのマナ濃度。
遺伝子に異常をきたすという意味でもはやこれは一種の被ばくといえた。
「私が望むのは彼らを治療するための技術協力だ。
聞けば共同体を支えるアリストテレス兵器群は高度なマナへの知見を有すると聞く」
「貴公ならば彼らを動かせると思ってこの話をしている」
スキーズブラズニルにおいても研究はもちろん行われている。
しかしどれだけ頭を捻ろうとマナによって変異してしまった者を元に戻す方法が判らなかった。
時間さえかければいずれは完成するかもしれないが、それでは今苦しんでいる者を救うには遅すぎる。
アトランティスの頃からそうではあったが基本的にエロスの国はエロスの手腕と力によって成り立っている。
つまり彼の限界が国の限界なのだ。
ゾディアックも似たような面があるがそれを補うための十二星天であり(表面上は)アリストテレス兵器群だ。
「どうか我が民を助けてほしい。
貴公らへの見返りにスキーズブラズニルは共同体への支援を惜しまない」
エロスが。
あの天地開闢以来自分こそが至高だと欠片も信じて疑わずに生きていた男が。
たった一人の女性に頭を下げて助力を懇願していた。
かつての彼を知るものがいれば目を疑う光景であった。
もしくは外見だけはそっくりな偽物だと断言するかもしれない。
しかしそれも仕方ないことだろう、あまりに違いすぎる。
「────」
ルファスは沈黙する。
立派な王の姿であると感嘆すると同時に王としての己はどう答えるべきか考える。
はっきりいって破格の申し出であった。
何せエロスの国は人類共同体の数倍どころか十倍近い国力がある。
それが丸ごと共同体に加入しルファスの影響下に入れば勢力図が大きく動く。
地上と大海、その全てが一つになり文字通りミズガルズは統合される。
ただしスキーズブラズニルが共同体の一部になったと判断されれば兵器群は2年間だけとはいえミズガルズ全土に展開される権利を得ることになるが。
……負い目がある。
自分が果実をばらまく際に稼働させた祭壇の副作用で苦しむ者が大勢いるのは知らぬ存ぜぬは通せない失態だ。
ルファス個人としては一も二もなく助けたいと思う。
しかし問題は──エロスの依頼を果たすには兵器群の助力が必要という点だ。
ルファスの受け継いだ【フィロ・ソフィア】ならば理屈上では彼らを治療することができる。
だがあの術はルファスしか使えない上に、そもそも深海に住まう者らにどう作用するかもわからない。
地上の生物と魔物を研究して作られた術である故に海底の存在はいわば専門外だ。
効果があると思って使ってみたところさらに酷いことになるかもしれない可能性だってある。
仮に最高の効果を発揮するとしてもこの術はルファスしか使えないというのもネックだ。
まさか地上で最も忙しい女性であるルファスが深海に出向いて一人一人治療をするわけにもいかないのだから。
必要なのは安定した治療技術を確立させた上にそれを何万という患者に行き渡らせることができる組織力だ。
深海の水圧環境で生存できるのも条件に含まれるためこの件では混翼たちの助力は期待できない。
「この場で決めろとは言わない。貴公にも都合というものがあるだろうからな」
「色よい返事を期待している。連絡役にこのハイドラスを置いておこう」
ふっと最後にエロスはくたびれたように笑った。
噂に聞く覇王ルファス・マファールと会談し彼は奇妙な共感を抱いていた。
圧倒的という言葉さえ生ぬるい力の持ち主ではあるが……無理しているなと。
能力は申し分ない。
責任を背負おうという気概は十分。
だがしかし生まれ持った性質が致命的に合っていない。
きっとこの女性の本質は自由を愛するものなのだろう。
だというのに王というこの世で最もしがらみに満ちた役割についている。
今が微妙な時期だということをもちろんエロスは知っている。
聞けばアリストテレス兵器群と彼女はいま熾烈な権力闘争を繰り広げているそうだ。
そんな中、この話である。
王として頭を悩ませるであろうことは痛いほどにわかる。
だから王は噛みしめるように言うのだった。
「儘ならぬものだな」
王としての先達の言葉にルファスは何も答えなかった。
一か月後、熟考に熟考を重ねた末にルファスはエロスの提案を受け入れることとなる。
共同体の指導者である守護者から与えられた新しい指示を兵器群はいともたやすく解決。
もとよりこの世界で最も生物から魔物への変異のデータをもっているゆえに当たり前の話であった。
依頼達成を確認した後、スキーズブラズニルは正式に共同体に加盟することとなった。
同時に何を思ったかは定かではないが賢王エロスはルファス配下の十二星天に加わり、実質的に彼女の下に付くこととなる。
表舞台に出現してから次々と偉業を果たし続けるルファス・マファールの業績がまた一ページ増えたのだ。
そしてもう一つ。
歴史の裏で動きがあった。
霊峰ヴァナヘイム、天翼族の君臨する純白の城。
兵器群がミズガルズ中に空路を敷いた結果、天翼族の飛行能力を用いた空輸事業は落ち目になりつつある。
その結果としてかつては隆盛を誇ったヴァナヘイムも徐々にだが衰退の一途だった。
そして今日、限界点を超えたように天翼族は転げ落ちていくのかもしれない。
裏切者への懲罰は必ず行われる。
ましてや二度目だ。
以前はジスモアを差し出させたが今度はそうもいかない。
如何に伝統と歴史ある天翼族といえど決して許されないことはあるのだ。
いや、歴史があるからこそハッキリとさせないといけないことである。
「父上。此度の一件、どうあっても誤魔化しはできません」
「共同体は貴方の背任行為を決して許さないことでしょう」
王子メラクは父であり現国王であるイカロス王を前に固い声で問いかけていた。
どうして魔神族に繋がったのか、彼らと手を組むということがどういうことなのか本気で分かっているのかと。
イカロス王は玉座に腰かけたまま純白の翼を大きく広げる。
メラクのそれに比べれば劣るとはいえ真っ白で美しいそれは正しく純白派の主に相応しい。
彼は己を糾弾してくる息子に対して優しく微笑む。
「愛しき翼よ。判っておる。全て承知の上だ」
言い訳も弁明もない。
どう言葉を飾ろうと無駄なことくらい判っている。
彼もまた王であり、自分が何をしたか、その重さなど承知している。
この世は正しさだけでは回らないことを彼は知っている。
絶対的に正しく間違っていない自分が糾弾されるなど理不尽ではあるが、世界とはそういうものだ。
……優しい笑みだった。
この場を切り抜けるための演技でも何でもない、心から息子を愛する父の顔だった。
彼は生まれた時から今まで心の底から信じ疑ったことなど一度もない理想を愛する息子に語った。
「我が行いの全ては完全なる正義の下に行われていた。これもアロヴィナス神の意思だ」
「神が言っている。白き清浄なる世界を齎せと」
澄んだ瞳であった。
己の正義を絶対的に信じ曲げることなどありえない顔だ。
ヴァナヘイム王イカロス。
長き時を生きる天翼族においても老齢に差し掛かった偉大なる王だった。
同時にジスモアが思いやりのある存在に見えるほどの超々白翼主義者である。
故についた二つ名は“白害王”だった。
彼の混翼たちへのスタンスは一言で言えば「絶滅」である。
心から彼は全ての混翼を根絶するべきだと考えている。
先代からそうであったが、明らかに彼の代となって混翼への差別は激化した。
昔ならば多少のお目こぼしもあったが彼のヴァナヘイムでは混翼は存在そのものがこの世の邪悪として扱われる。
混翼たちが差別される理由の一つにそもそもヴァナヘイムで違法だからというのがある。
アリストテレスが全ての混翼を引き取り“リセット”した後に彼らは知った。
醜悪な汚物が世界中にばら撒いてしまった自分たちの失策を。
世界中で混翼たちが認められるのを見て彼らが抱いたのは憤りだった。
故に過ちは訂正しなくてはならない。
ミズガルズ中に拡散してしまったゴミを何としても駆除し、絶滅させなくてはと。
イカロス王が提案したソレは白翼の者たちの完全なる賛成の元で施行された。
第一条
天翼族とは白き翼を持つものを意味する。翼の美しさはその者の心を表す鏡である。
第二条
翼の劣るものに価値はなくヴァナヘイムは総力をもってこれを排する義務がある。
第三条
「人」とは天翼族のみを意味する。
極限まで煮詰まった優生学思想はこうなるというある意味希少なサンプルだ。
世界には優れた白翼さえあれば良い。
混翼は根絶する。いや、そもそも天翼族以外は全て滅ぶべし。
もしも彼らに惑星を焼き払うほどの戦略兵器を行使する権限があれば躊躇うことなく発射スイッチを連打するだろう。
バカみたいな話だが天翼族は本気だった。
法を超えた憲法の域でヴァナヘイムは混翼を嫌悪しきっている。
いま自分たちが苦しいのは全て劣った翼の者らが自分たちの足を引っ張っているからだと。
もしも共同体がなければ彼らは本当に混翼たちをガス室か何かで徹底的に駆除を始めていたハズだ。
「済まない息子よ。我はお前に美しい世界を渡せなかった」
「このようなおぞましき怪物が跋扈する世しか残せぬ父を許してくれ……」
項垂れる。
心から申し訳ないと息子に父が謝罪しているのだ。
魔神族に繋がったことでも混翼を迫害し虐殺したことでもない。
むしろその逆。
混翼を滅ぼせなかったことを悔いていた。
「忌々しい淫売の娘がお前を苦しめているのは知っている」
アウラ・エノクの産んだルファス・マファールを彼はジスモアの子として認めていない。
あの誠実で何より素晴らしい翼の持ち主からあんな汚物が生まれるわけがないと信じていた。
故に彼はアウラが不義理を働き、恥知らずにもジスモア相手に托卵を行ったのだと推察している。
彼は混翼を同じ天翼族どころか生物とさえ認めていない。
魔物よりも下、ゴキブリなどをはじめとした害虫よりももっと下の存在としてみている。
この世でだれよりも愛する我が子にそんな汚物の蔓延った世界を渡すのは最大の失敗だと思っている。
イカロスは顔を上げた。
奇妙なまでに輝いた瞳があった。
何処までも澄んでいて綺麗な目だった。
その目線はメラクの肩に向けられていた。
顔は、一度も見ていない。
「しかし希望はある。あの忌々しい悪魔を排除できるやもしれぬ方法が」
ヴァナヘイムから産まれてしまった悪魔───ルファス・マファールを彼は心から嫌悪している。
彼女の関係するもの、彼女が作ったもの、彼女に関わるあらゆる全てを根絶したいと思うほどに。
ゾディアックこと人類共同体は今やルファスの支配下におかれつつある。
つまり今のミズガルズ全てがイカロスにとっては過ちだ。
間違いは正す必要がある、本気で彼は天翼以外すべての滅亡を望んでいた。
かつてジスモアが閃いた所業。
竜王と手を組みヴァナヘイム以外の全てを滅ぼすという狂気に彼は心から賛同しているのだ。
さらに掘り下げるならば彼はジスモアを切り捨てこそしたが己の右腕として心から信頼してもいた。
小賢しいエルフの恫喝に屈し、あの時はジスモアを切り捨てることしかできなかった。
その時に彼は決意したのだ。何としてもあの高潔なる臣下の望みをかなえて見せるのだと。
しかし竜王も魔神族も誰もそれを果たせなかった。
だが。
まだ望みは絶たれていない。
「父上」
メラクの声は岩盤のように硬かった。
彼が抱くのは怒りでも嘆きでもなく困惑だった。
この人は何を言ってるのだという意味不明さ。
確かに天翼族はこうであるが、ヴァナヘイムだけではやっていけないのは考えなくともわかるだろう。
そもそもあのルファス・マファールを倒す?
レベル4200の埒外という言葉でさえ生ぬるい彼女を?
「すべては相応しき者に託している。お前は何も心配しなくともよいのだ」
イカロスは薄く笑い玉座から立ち上がった。
エノクが断絶したとき、彼はジスモアの屋敷の財産から一つの資料を見つけていた。
ルファス・マファールとその母アウラをプラン・アリストテレスに預けるといった内容の契約書を。
ルファス・マファールと敵対するアリストテレス兵器群にその内容───ルファスの母の居場所はリークしている。
あとはあの悪魔を産んだ淫売を人質にするなり何なりしてルファスを抹殺/排除すれば良い、それが彼の考えであった。
この際だ、人類滅亡は妥協するとしてもルファス母子だけは必ず地獄の苦しみを味合わせて消してやるとイカロスは決意している。
「あとは任せたぞ愛する我が白翼よ。純白の世界に君臨するお前を見れないことだけが残念だ」
イカロスはメラクの肩を軽く叩くとそのまま歩き去っていく。
玉座の傍らにある机には王を退くと書かれた契約書が置いてあった。
メラクは思う。
彼はいい父親ではあった。
少なくともメラクは暴力を振るわれたことや理不尽に否定されたことはない。
病気になった時は付きっ切りで看病してくれもした。
勉学で分からないところがあった時も笑顔で勉強を見てもくれた。
共に狩りに出かけたこともあったし、誕生日はいつだって盛大に祝ってもくれた。
イカロス王がメラクを愛していたのは間違いない。
────しかし彼は気が付いていた。
父が自分と会話するとき、いつも自分の顔ではなく翼を見ていたことを。
愛をささやくときも、温かい言葉を投げかけてくれた時も、いつだって父は翼しか見ていなかった事を。
グシャっと音を立てて書類が握りつぶされる。
魔女はイカロス王が渡してきたルファスの母についての情報と提案を考慮に値しないと破棄していた。
ルファスは確かにどうしようもなく厄介な敵だ。
しかし、しかしだ。
メリディアナはソレだけはできない。
魔神族の所業にあれほど憤りを抱き憎悪をばらまいた自分が彼らと同じようなことだけは出来ない。
娘の罪は母の罪とでも言って何の咎もない者を此方の都合で一方的に奪い取ることだけは。
それにだ。
そんなことをしたら本当の意味でルファスを縛る枷もなくなってしまうだろう。
いまの状況、アリストテレスが優勢に思われがちだが実際はかなり薄氷の上でバランスが取れているのだ。
彼女の力はここからでも全てをひっくり返せる。
まだアレが完成していない今ならばまだ間に合う。
何より祭壇の果実の支配権はルファスにある。
もしもルファスがあらゆるしがらみを投げ捨てて問答無用に走ったらその時点でおしまいだ。
極論、彼女が面倒だといってミズガルズごと破壊してしまえば全て水の泡なのだ。
全人類の思考を彼女はやろうと思えば一瞬で掌握できる事を忘れてはいけない。
ルファスにそうはさせないための枷がアウラだということを彼女は重々承知している。
愚策。考慮に値しない。
それが魔女と兵器群の出したイカロス王の提案に対する回答であった。
唯一の情けか、その内容を彼らはイカロスには告げなかった。
彼の体内を巡るマナが急速に活動を低下させつつあり、細胞さえも崩れ始めている兆候を見るに長くはないと彼らは知っている。
ならば最後くらいは都合のいい幻想に浸りながら眠るといい。
天翼族の悪癖を助長させた愚王の最後には穏やかにすぎる末路だろう。
それに、もう間もなく種族の違いだとか差別だとか、女神の法などといった概念は意味をなくす。
アリストテレスの大いなる計画が世界を覆いつくし全ては変わるのだから。
イカロス王。
数か月後に衰弱の末に没した。
その顔は最後まで穏やかだったという。
白き美しい未来だけを夢見た王であった。
「白害王」と呼ばれた彼が王になった時、私がヴァナヘイムを変えるという誓いを抱いた事を知るものはもう誰もいない。
折れてしまった場合のメラクの姿がイカロス王です。
彼は片翼になったメラクを見たら躊躇いなく息子と認識せずに殺しにかかってくるでしょう。