ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
覇王と兵器群の戦いは幾度にも渡って繰り広げられた。
特にルファス配下の十二星天は奮戦し、当初思われていたほど圧倒的な戦力差でゾディアックが摺りつぶされて終わりでもない。
開戦より2か月。
ミズガルズの形はあまりの強大な力の衝突により幾度も変わり続けていた。
ゾディアックと兵器群の戦いは、幾度も空と大地を震わせながら繰り返された。
ミズガルズの各地に戦火が広がり、山は抉れ、海は裂け、空は燃えた。
しかし両者とも民衆への被害を考慮し、戦場はいつも人気のない荒野や居住地からは遠く離れた場所で行われていたのが唯一の救いだろう。
ルファス配下の十二星天は、その一戦ごとに命を削るような奮戦を見せた。
獅子の咆哮は兵器群の突撃部隊を粉砕し、蠍の毒は装甲を貫き、彼らの連携は幾百の無人機群を切り裂いた。
それはもはや人知を超えた武勇譚の連続であり、勇者の世紀を繰り返すかのような光景だった。
「兄さん!」
「任せろ」
純白のコートを翻し神話の船を駆る船長は見事なまでに戦線を支配している。
力押しが通じない相手なのは百も承知。
故に彼は今まで積み重ねてきた経験を用いてあらゆる方法で兵器たちを抑え込んでいく。
無数の英霊たちが一つの意思の下、完全に統制され兵器たちとせめぎ合う。
アルゴナウタイが飛び交う。
唯一アリストテレス兵器群に対抗可能な物量を生成可能なポルクスは存在を削る勢いで寝る間も惜しみ英霊を呼び出し続ける。
カストールが采配を振るい、戦場の流れをコントロールし兵器群の昆虫や無機質なゴーレム軍団と渡り合う。
当然ポルクスこそが自分たちに匹敵する物量を生み出しえると理解している兵器たちはユグドラシル級による捕食を行おうとする。
既に幾度か己の子らがアレに食われおぞましい赤子に加工されたのを見てしまったポルクスはその顔を蒼白に染めた。
だが。
「させないよ!」
触手を伸ばしてくるユグドラシル級を迎撃するのはアリエスの【メサルティム】だ。
こいつらがアルゴナウタイを捕食すればその分だけ厄介な赤ん坊の化け物が生まれることもあり、アリエスは徹底的にそれを阻止している。
相手の防御能力を無視し問答無用で焼き払う神殺しの炎を放ちながらアリエスの顔には油断の一欠けらも躊躇もない。
アリエスが空中で幾度も【メサルティム】を凝縮/爆発させ、空を飛び回る。
次いで【アルナスル】で運ばれたタウルスがその剛腕でユグドラシル級を軋ませ、後退させる。
空に黒い“孔”が開いていく。
大規模な【エクスゲート】が行使され、エクスゲート弾道ゴーレムとクレイモア級が急速にこの戦場に接近。
だが、次の瞬間それらはひしゃげて潰れた。
外圧ではなくエクスゲートを構築する天力と魔力のバランスが乱れた結果として崩壊したのだ。
「させません」
「ははハハハハ!! 見たかアリストテレス!!」
魔力と魔法を極めし魔王アイゴケロス。
それと対を成す天力と天法の申し子たるパルテノス。
彼と彼女が戦域全てを薄い魔力と天力で覆いつくし【エクスゲート】が開こうとすればそれに干渉し不発させているのだ。
これによりアリストテレス兵器群は弾道ゴーレムやクレイモア級といった一撃必殺を齎す兵器を無力化されていた。
もしもこの二名がいなければ開戦と同時にブラキウムを搭載された弾道ゴーレムが戦場を満遍なく爆撃しそれで終わっていただろう。
乙女は険しい瞳で空を見つめ【ザヴィヤヴァ】で複数の上位天法を幾度も重ねていく。
日属性天法──【フォトンウェポン】
攻撃力を上昇。
ただでさえ凶悪なタウルスの腕力がこれにより跳ね上がる。
日属性天法――【レイ・ブロック】
対物理防御力を上昇。
アウラの護衛の為にカルキノスはこの場にはいないが、それでも十二の星とゾディアックの面々は彼に匹敵する強靭さを得る。
日属性天法――【レイ・バリア】
味方の対魔法防御力を上昇。
兵器群の放つ多種多様な破壊魔法をこれで抑え込む。
これがなければ戦況は更にひどいことになっていただろう。
その他多種多様な天法が延々と行使され続ける。
日属性天法──【オートリザレクション】
HPが0になった時に一度だけ自動で蘇生する黄泉がえりの術。
この更に上たる神話の術こそパルテノスは極められていないが、ここまでならば出来る。
特に彼女はこれを重複し使い続けることに意識を割いていた。
一瞬でも油断すれば兵器群は彼らを殺傷しえるのだから。
日属性天法――【エレメントリフレクター】
指定した属性のダメージを一定時間半減。
7度重ね掛けすることにより全ての属性に対する半減を全軍に付与。
ならばと兵器群は物理戦闘能力に特化したギガ級を導入する。
70メートルの怪物は機敏に動き回り、まるで格闘家の様な動作を見せた。
日属性天法――【オーラフェザー】
味方に光の翼を与えて飛行可能とする。
十二星天はこれを用いて空を飛び交うのだ。
赤子がきゃきゃと叫びながら同速度で彼らを追い回した。
あの狂気を帯びたスコルピウスでさえ関わりたくないと思う異形たちだった。
日属性天法――【レイ・フォース】
味方が敵に与える魔法ダメージを上昇させる。
アイゴケロスの術はこの天法により一撃で軍団を薙ぎ払う域へと至った。
しかし黄金色の蜘蛛やアリは一発では死なない程に頑強だった。
チッと魔王は舌打ちをする。
……兵器群は死なない。
彼らに兵站や士気という概念はない。
失われた兵力は即座に補填され、十二星が活躍を見せれば見せるほどにその性能は更に上がっていく。
たとえ戦術を指揮する個体の中枢を焼かれても、数瞬後には同型がどこからともなく出現し、破壊された個体の記録を引き継いで動き出す。
十二星天の連携は確かに凄まじかったが、それは砂嵐の中で火を灯すようなもの――必死に輝かせても、吹き荒れる暴風がその輝きをすぐに飲み込んでいった。
瞬間的に予兆なく現れるエル級。
蒼白い水晶──アロヴィタイトで構築したソレは明らかに他とは一線を画す存在感がある。
「…………」
戦場の後方で、ルファスは静かに情勢を見極めていた。
戦果と損害のバランスは限界に近づいている。
星天たちは確かに無数の兵器を破壊していたが、それでも敵の総数は減らない。
むしろ、破壊すればするほど残酷なまでに学習が進み次に現れる兵器はより手強くなっていた。
星天が参加する戦いでは常に優勢で数多くの勝利をルファスは得ていた。
しかし、数が違いすぎた。
十二星天は連携を重視した結果、2から3名で一つの戦場に向かうことが殆どだ。
どうあっても一度に戦える戦場は3つから4つ。
しかし兵器群は同時に数十の軍団で侵攻してくる。
それ以外の個所ではルファスに付き従うレベル1000の精鋭たちが奮戦をしてくれているが、やはり負けは続く。
特にエル級。
あれが出てきた戦場ではもはや勝利など不可能だった。
ギガ級と連携をされてしまえばもはや一方的に狩り殺されたこともあるくらいである。
セト級と再現体は少なくとも表向きでは確認されず。
しかしその痕跡は見えている。
少なくとも二つの戦場でルファスの軍は生存者0という大敗北を喫したことがある。
だがルファスは動かない。
彼女の意識は常に戦場に注意を払いつつ、空の向こう側に向けられている。
日を経るごとに全天から感じる圧は強くなりつづけている。
嫌な予感が止まらない。
彼女の本能は日を経るごとに警報を大きくしている。
その日はもう間近。
ルファスはそれだけに備えている。
あれはもう間もなく落ちてくる。
戦線はじわじわと押し込まれていった。
数ヶ月の間に幾つもの地域が陥落し、防衛拠点がひとつ、またひとつと奪われていく。
決定的ではない、しかし積み重なる敗北。
だが、着実に土台を削られていく重圧はどの星天の心にも深く沈殿していった。
そして。
攻勢開始。
巨大な蟻と蜘蛛。
四角い金属の箱。
ギガ級に、アリオトを叩きのめしたソード・ゴーレムたち。
そして生理的嫌悪を感じさせる巨大な赤子の群れ。
多種多様な軍団が地平まで埋め尽くし蠢く。
突如として兵器群は前線全域で一斉攻勢を開始した。
空には数千の光条が奔り、地には黒い奔流が溢れる。
星天たちは散開し、それぞれが複数の兵器を相手に立ち塞がったが、敵の進軍速度は衰えない。
「クソがぁぁっ!!」
憎悪と憤怒に満ちた絶叫を上げるのはレオンだ。
彼は怒りのままにエル級に挑みかかり、軽く払われた腕が直撃し山岳に叩きつけられていた。
彼だけは他の者らと違い連携など考えもしていない。
パルテノスの天法による加護こそ受けてはいるが、戦術的な行動も何もせず、ただムカつく奴を片っ端から粉砕していただけだ。
独断専行としかいいようがない行動ではあるが彼の性質を思えばこれが最適解という側面もあった。
しかしそれは彼が単体で相手を倒せるという前提のみで成り立つ行動である。
ハッキリ希望などもたないように断言しよう。
無理だ。
レオンではアロヴィタイトで作られたエル級を倒すことは愚か、傷をつけることさえほぼ不可能だ。
100メートルを超えた獅子を弾き飛ばしてもエル級はびくともしない。
そよ風にでもあたったように平然としている。
大人が子供に弾き飛ばされたように明らかに力負けしていた。
彼は全てにおいて高水準な能力をもっており、単純なスペックだけを見れば十二星天でも屈指の存在だ。
しかしそれだけだ。つまり自分を上回る存在が出てくればなすすべもないという脆さがある。
蒼い装甲はレオン程度ではどうあっても傷をつけることは不可能という現実がある。
無表情/無機質な蒼い恐竜はかつての四強に何の興味もないかの如く闊歩し、彼を無視していた。
彼が狙うのはパルテノスとアイゴケロスだ。
この二人を葬れば十二星天は崩壊する。
そう兵器群は判断し、実際それは正しい。
アリエスが組み立てた兵器群に対抗する戦術を実行する屋台骨がこの二人なのだから。
こんな有象無象の相手をするよりもエル級の目的は他の厄介な連携を見せる十二星天を撃破することである。
単体で暴れまわるだけのレオンなど優先度は最低でしかない。
どうして俺が負けている?
どうして俺がこんな有象無象の様な扱いを受けている?
どうして俺はこんなにも……弱い?
屈辱に震える彼に更に追い打ちがかかった。
「よう」
道端で出会った友人にするような軽い挨拶。
黒髪の青年は白い鎧に身を包み、軽薄な笑みをレオンに向けていた。
彼は獅子王の前だというのに全く何も臆していない。
勇者アリオト。
アリストテレスに全てを委ね、その全てを別種へと置換した元人間。
反射的にレオンは腕を振り下ろす。
このふざけた不快な存在を殺す。
それだけを彼は考えている。
「ルファスが中々出てこないからな」
「まずは一匹。あいつのお気に入りを殺すことにしたんだ」
悪ぃな。
一方的に告げてアリオトはショーを開始する。
蒼い瞳は煌々と輝き、口調は何処までも気楽。
アリオトは本物の獅子王を見上げ「何だ変わんねえじゃねえか」と思っていた。
レオンの巨躯が雷鳴のような咆哮を上げ、大地を割る踏撃を放つ。
だが、その振動が空に響くより早く、紫の鬣の一部が舞い落ちていた。
アリオトは一歩も動かない。
ただ剣を握り、わずかに手首を返す。
その動きはまるで絹糸を撫でるかのように柔らかく、しかし空間を切り裂く線が走り、巨獣の装甲が紙片のように剥がれ落ちる。
剣が振られた瞬間は誰の目にも映らない。
あるのは気づけば切れているという現実だけ。
それは戦闘というより舞踏だった。
刃先が描く曲線は、残光が形を保ったまま消えるまでのわずかな間、まるで夜空に花弁が散る様を思わせる。
レオンが前脚を振り下ろせば、その肘関節の線がすでに裂けている。
尾を薙ぎ払えば、根元が静かに断たれている。
咆哮と共に躍りかかれば、その胸郭が左右に割れ、紫電の血が光の雨となって地を濡らす。
一息では殺さない。
正に解体。
パルテノスが幾重にも天法を重ね掛けしたおかげで死んでいないだけだ。
もしも加護がなければ彼は既に5回は死んでいただろう。
アリオトの剣技は殺戮を目的としながらも、あまりに整然としていた。
無駄な一手がない。
斬るために振るのではなく、そこに刃があるから結果として斬れる、そんな必然。
レオンの全長150メートルの肉体は、剣の軌跡によって正確に、段階的に削ぎ落とされていく。
肩、脚、顎、鬣。
それぞれの部位が順に機能を失い、巨獣は気づけば、自らの四肢を満足に動かすことすらできなくなっていた。
それでもアリオトは止めを急がない。
こんな切り刻み甲斐のある存在は中々いない。
切断線はまるで彫刻家が大理石を削るように緻密で、見る者には「これは戦闘ではなく創作なのではないか」と錯覚させるほどの精度を持つ。
あえて手を止めて天法がレオンを治癒していくのを見守る。
充血し狂い切った瞳がアリオトを見ているが、男はつまらなさそうにソレを見返すだけだ。
あの模擬戦で再現された獅子王と何も変わらない、本当に全く、何も。
アリオトの声には侮蔑の意図はない。
彼はあるがままの感想を率直に口にした。
「お前」
幾度も繰り返し刻みつけられたその言葉は獅子王を狂わせる。
ルファス。オルム。エル級。
もはや彼は唯一最強の王ではなく有象無象に転落した存在でしかないという事実。
「弱いな」
脳裏を過ぎる罵倒。
“負け犬の王”という彼を蝕む呪詛。
「死ねッッ!!!!!」
レオンが治癒された身体で一歩踏む。
大地が崩落の吐息を漏らし、周囲の丘陵が土砂の波となって押し返された。
踏撃。
それだけで、並の地形が丸ごとひしゃげる。
一撃で国を吹き飛ばしえる大規模な破壊。
獅子王がもつ純粋な暴力の発露。
対して、白い鎧の青年は、風に紛れる一本の影に過ぎない。
アリオトは剣を下げ、無防備な構えで歩む。
白銀色の『マリオネット』が、微かに鳴いた。
音というより、空気の目に見えない琴線が震え、戦場の輪郭だけを繊細に際立たせる。
兵器群との接続が、彼の背骨から静かに延びる。
とあるハブを経由し、よりダイレクトに、より深く、より美しく。
アリオトの意識は無限ともいえるアリストテレス兵器群の思考と直結され、彼はその意思を代理するための器となる。
意志ではなく仕様。
激情ではなく規格。
「剣士」という概念が不要になるほどに最適化され、自動化された一本の剣こそが今の彼である。
一拍。
彼はまだ動かない。
二拍目。
レオンの前足が閃く。
爪は山脈の稜線を模した曲率を描き、空気摩擦で白い舌を垂らす。
獅子王は本気でアリオトを殺そうとしていた。
ルファスの仲間だったとかそんなことはどうでもいい。
彼はかつて宣言したルファスの近しい者を殺すという言葉を守るために動く。
観測可能な速度。
回避容易。
命中は不確定。
結果は最初から決まっていた。
たった一度、手首が返る。
剣が振るわれたという事実はない。
あったのは、刃先の位置情報が最適解に入れ替わったという結果だけだ。
もはや剣を振るう事さえ必要なくなりつつある。
彼が切ると決めればマナはその情報を受け取り切断される。
空間に髪の毛より細い、乾いた裂け目が一本走る。
爪は無傷に見えた。
次の瞬間、節理のように静かに分かれて砂を零すように崩れた。
「…………」
音が遅れてやってくる。
耳ではなく、皮膚で聞く音。
硬質毛皮の一本一本が束ごと断たれ、表皮がミリ単位で分離される微粒の連続音。
まるで氷原が春に解けるときの、ただし一秒の中に圧縮された解氷。
レオンの前脚が空を掻く。
そこにあったはずの5本の爪は存在していない。
「切られた」という認識が脳に届くより早く、神経束が切断されている。
アリオトは前に出ない。後ろにも引かない。
次いで指が落ちる。
レオンの右前足は全ての指を綺麗に寸刻みにされていた。
血さえ零れない。
余りに凄まじい剣速は摩擦によって切断面を焼きつぶしていた。
常識を超えた速度と剣圧のせいか、マリオネットの刃がプラズマ化しているせいだ。
男はその場に立って一撃を通した。
猛威が自壊する通り道を、刃がただ準備しただけ。
彼は一本の剣である。
抜き身の剣に掌を思い切り叩きつけたら切断される。
そんな当たり前が起きただけだ。
「テメェ……どいつもこいつもっ!!」
天法によって傷が逆戻りするように癒えていく。
しかしレオンの心には小さくない波紋を投げかけていた。
彼の腕は権威の象徴。
今までこの一撃で数えきれないほどの雑魚を消し潰してきた。
しかしそれが叶わないという事実はレオンのプライドを丁寧に削っていく。
怒りで巨獣は鬣を逆巻かせる。
鋼の刷毛が夜空を塗り潰し、無数のマナを散らす。
勇者は軽く剣を振る。
レオンからすればいきなり男の右腕が消えたと錯覚する速度で。
余りに鋭く素早い剣線が迸る。
彼の表皮と毛はそれ自体が鎧であり刃。
だが、鬣は波頭だけを残して根元が消えていた。
アリオトの剣先は鬣に触れていない。
触れたのは鬣と皮膚をつなぐ“必要最低限の線”のみ。
「面」を切らず極限の「線」を断つ。
彼は何処まで行っても剣士だ。
毛根の束は機能の集合である。
接続部を切れば、全体は自ずと崩れる。
一本、二本、ではない。
束単位。列単位。層単位。
鬣は整髪された後のように滑らかに消えて紫電の雨だけが残った。
誇りの象徴を切り分けられ、レオンは狂った。
白目を剥き吠える。
「グオォォオォオオォォオォォォォォオオ!!!!」
レオンは牙を剥いた。
その牙は鉱山で掘り出されるような金属光沢を帯び、噛み合うたびに火花が散る。
殺す、殺す、その肉を丸のみにして無様な悲鳴を口内で上げさせてやるとレオンは食い掛った。
アリオトの胴を、頭ごと噛み砕く軌道。
現実に間に合っている。
物理法則に従えば、回避は成立しない。
だから、彼は回避しない。
人間という生き物の構造を何よりも理解しているアリストテレスがどうすればよいかを導いてくれる。
身体は考えるよりも先に動きだした。
右肩、肘、手首——三つの関節が微角で連動する。
大動作はない。
角度の最適解だけが移動する。
肘から下だけが動き、マリオネットは操られる。
歯列が咬合する直前、牙の表面に薄い霧のような線が二本走った。
霧は線で、線は刃で、刃は条件だった。
一つずつ没収するように獅子王の誇りを刻んでいく。
爪と腕。
鬣。
そして次は、彼の牙。
犬を去勢するように丁寧かつ執拗にアリオトはレオンを判らせてやる。
このまだ自分が最強だと勘違いしている負け犬に今の自分の立場を。
カチリ、と空虚な音。
次いで、片側の牙列が根元から静かに床に落ちる。
巨獣の頭蓋が遅れて理解し、怒りが痛みに変わる。
「一応勧告してやる。
降伏しろ。そうすれば……まぁ、今この場で死ぬことはなくなるぜ」
死ぬのは嫌だろう? とアリオトはマリオネットを見ながら蒼い瞳を輝かせる。
アリストテレスは何処までも彼を高みに上らせてくれる。
ルファスは竜王を葬った、であれば、自分はコレをさっさと排除しなくては。
レオンの返事は言葉ではなく行動と殺意だった。
彼は尻尾を鞭の様にしならせ、アリオトに叩きつける。
大地に亀裂が走る一撃、彼はこれをするだけで谷を作れる。
今度は尾かとアリオトはつぶやく。
まぁいい、一個ずつ見せびらかしてやろう。
遠くからは他の星天たちが自分を見ているが、ちょうどよい。
質量が、音速の線香花火になって走る。
風圧が森を倒す。
アリオトは半足分、前へ出た。
踏み込みに見えるが違う。
圧力の逃し道を地面に与えただけ。
彼は軽く頭を下げて容易くレオンの薙ぎ払いを回避した。
飛び回る必要も駆け巡りもしない。
彼は淡々とその場で最適解の動きだけをする。
次いで尾が通過した空間に、円弧の切り取り線が浮かぶ。
尾は、通り過ぎた先で、弧に沿って分離した。
やはりというべきか出血はない。
「殺す!! 殺すっ!!! ぶっ殺してやるっっッ!!!」
レオンの闘志に衰えはない。
むしろここまでくると清々しいなとアリオトは思った。
なので彼はそろそろ終わらせることにした。
アリオトは視線すら動かさない。
眼はレオンを見ていない。
彼は座標を見る。
刃が通過すると決められた線が先にあり、そこに手首が追いつくだけ。
剣は指揮棒であり、演奏者は空間そのもの。
彼が振れば、空気が譜面通りに割れ、肉体はその譜面に従って壊れる。
その“線”をアリオトはレオンの首に指定した。
後は剣を振りぬくだけでこの獅子の首は落ちる。
アリオトの動きは優雅だ。
殺しのための無駄が一切ない。
アリストテレスと繋がり、彼らに多くを捧げた結果、その性質まで彼には移植されていた。
無駄なく殺す。
何処までも“ベスト”だけを追い求め続ける。
そこに妥協はなく、そんな発想はそもそも存在しない。
彼の剣は誰が見ても美しい。
だからこそ残酷である。
所詮剣など何処まで行っても殺傷の道具でしかないという事実がここにはあった。
狙うのはその首筋。
最も厚い毛皮と最も硬い表皮の層は、彼の誇りであり、生の象徴だった。
アリオトは剣を収めて小さく頭を下げる。
一礼に似た小さな動作。
これは完了宣言である。
食事の前に「いただきます」をするように、これから殺す存在の命への敬意だった。
最短/最速で剣が横薙ぐ。
空気が撓む。
毛皮の束が一斉に解かれ、頭部がズレていく。
レオンは怒りの形相のままその頭を大地に向けて墜落させていき……天法がその効力を発揮させた。
日属性天法──【オートリザレクション】
HPが0になった時、一度だけ全自動で復活を可能とする最高位の天法。
万が一のための保険が発動する。
とてつもない天力が彼のズレた首を繋ぎ合わせ、修復していく。
アリオトはソレを哀れみながら見つめつつ、止めを刺す為に剣を振るおうとして───重圧を覚えた。
凄まじい圧力が体を軋ませる。
何処が出どころかは考えるまでもない。
真っ赤な瞳が男を見ていた。
黒い翼をはためかせ、覇王が無表情で勇者という敵を認識している。
「やっと俺を見たな」
アリオトは笑っていた。
今までの何処か空虚なモノではなく、燃え上るような男の顔。
戦線の各地で火柱が上がる。
星天たちが欠けていく。
タウルスがその兜を砕かれ、膝をつく。
ミザールが両腕を模した巨大なゴーレムを己の脳に直結し巧みに操った結果だった。
彼は残忍な笑みでルファスを見た。
もはや今の自分は過去の己とは違う。
■■■■などとかいう時代遅れに全てをかけていた自分はもういない。
アレを調整したのは自分だ。
その結果がもう間もなく開帳されると思うと胸が躍る。
アクアリウスが歯を噛みしめ不味いなと零す。
彼女の眼前にいたのはアリストテレスが量産した水の鎧をまとい、この世の誰よりも巧みに流体を支配するメグレズだ。
彼は青い瞳を輝かせ、この世にも珍しいアイテムを収集せんとしていた。
まぁ……もうそろそろこの世界も終わりだがと彼は笑う。
あの日魅了されたアリストテレスの世界はもう間近だ。
スコルピウスはギガ級に追い詰められ、身体の各所に重度の火傷を刻まれうめき声をあげていた。
どうして、どうしてと叫ぶが答えは出ない。
パルテノスとアイゴケロスの両者は自分たちが軸であると理解している故に慎重に行動し、決して倒れまいと踏ん張っている。
アリエスはルファスを見上げた。
彼女は一瞬だけ最古の家臣に目を向け、次いでアリオトに視線をもどす。
勇者の背後から更に人影が現れる。数は二人。
両者とも小柄だった。
バルドルで顔を隠し、全身をすっぽりと黒いマントとローブで覆っている。
しかしこの気配と正体を彼女はよく知っている。
兵器群は間に合ったのだ。
吸血姫再現体は雑兵の様に量産され、戦場に投入される。
それだけの話だった。
そしてアリオトを始めとするかつての仲間たち。
それらを結びつけるプラン・アリストテレスの技術とその落とし子。
母を捨て、父と同じ道を行った結果がこれだ。
彼女の大切なモノは全てが反転し今や彼女に牙を向けていた。
だがそれでも。
レオンって可愛いですよね。