ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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気がつけば前作のステラリスの第一話投稿から一年以上が経過していたという事実に震えています。


ルファス 状態異常 “混乱”

 

 

こひゅっという肺が損傷を受けた者が出す呼吸音がルファスの口から漏れ出ていた。

弱弱しく彼女は呼吸を繰り返し、足りない酸素を欲する様に口をパクパクと開閉させている。

今までにない不調を前に彼女は翻弄され、成すすべもなかった。

 

 

翼が震える。

手足が痺れ、歯は噛み合わない。

視界は回り続け、喉の中がひりついている。

 

 

腹の奥から苦くて酸っぱい液体がこみあげてくるのを必死にルファスは抑え込んだ。

身体の中の全てがひっくり返されるような奇妙な感覚を彼女は味わっていた。

ヴァナヘイムにいた時でさえこれほどの不調は経験した事がないものだ。

 

 

 

今の体温は44度6分。

既に人類種の出してよい温度を超えるものであった。

瞼は乾き切って眼球に張り付き、瞬きするたび眼が擦れて彼女に痛みを与えていた。

 

 

 

 

12歳を間近に控えたルファスが熱を出した。

そこまではプランの想定通りであったのだが、此度の“変異”による体調不良は関わる全ての者の予想を上回るものであったのだ。

明らかに今までとは違う彼女の様子を感じ取ったアウラは既に丸二日、殆ど休むことなく娘に寄り添い続けていた。

 

 

カルキノス等らも助力を惜しまないでいるが、それでもやはり娘に最も献身したのは彼女であった。

 

 

アウラはかつてヴァナヘイムで肺炎を患った自分を娘が懸命に診てくれたように、自身も目の下に深い隈を作りながらもルファスを懸命に看病している。

気づけば既に時間は夜半となっており、月はリュケイオンの真上に上りかかっていた。

肌を刺すような冷気が周囲を満たし始める中であってもルファスの身体は発火しそうなほどに熱い。

 

 

 

「熱が……」

 

 

前回の倍の頻度で彼女は娘の熱を測っており、今日で8回目となる検温の結果に顔を苦しそうに歪めた。

結果はやはり44度7分。

前回の検温時と全く変わっておらず、ルファスは依然として呻き続けている。

 

 

己の無力を呪う様に拳を握りしめながら、彼女は今やるべきことを黙々と行った。

まずは汗にまみれた娘の衣服を全て脱がす。

頭から水たまりに突っ込んだようにそれはずぶ濡れで、絞れるほどに汗を吸っていた。

 

 

外気に晒されたルファスの肌は恐ろしい程に真っ赤である。

手足、胴体、頭に至るまで、あらゆる所が赤く染まっており、四肢に至っては脈動する血管が浮き出ていた。

明らかに異常な姿、娘の身体の中で恐ろしい変化が起こっていることを否応なくアウラに実感させる有様であった。

 

 

 

それを足元に置いてある洗濯籠に突っ込んだ後、タオルを水に浸してソレでルファスの身体を手早く拭いていく。

意識が混濁している少女は急に身体に冷たいモノを押し当てられたせいなのか手足を力なく動かしてアウラを遠ざけようともがいた。

しかし殆ど脱力している彼女では碌な抵抗もできるはずもなくあっという間にアウラの作業は終わった。

 

 

 

次にアウラは娘を抱き上げると、ルファスが今寝ているベッドの隣にもう一つ用意しておいたベッドに彼女を寝かせた。

ルファスの余りの発汗量にプランはベッドを追加で用意しており、片方が汚れたら用意した綺麗な方に彼女を移すというやり方を始めたのだ。

 

 

ノックの後に扉が開く。

入ってきたのはプランやカルキノスではなく、プランが作ったゴーレムだ。

均整の取れた四肢を持つソレは恐ろしい程に人間の様な滑らかな歩き方で部屋に歩を進めると、中身の詰まった洗濯籠と、汚れに汚れたベッドのシーツや毛布などを軽々と持ち上げる。

 

 

 

「……」

 

 

 

ペコリ、とアウラに一礼してからゴーレムは部屋を出ていく。

律義に扉を閉めていったのをアウラは見送った。

【アルケミスト】のクラスとは本当に便利なものだと彼女は思いつつ、ルファスに意識を戻す。

 

 

母親として彼女はルファスを観察した。

心配や、不安といった感情はとりあえず脇に置く。

貴族として受けた教育を彼女は記憶から引っ張り出した。

 

 

統治者として予期せぬ出来事に対応するために必要な教え……必要な事……つまりは冷静さと客観性の保持を彼女は用いた。

去年までの彼女と何が違うのかをアウラは考えながら探りつつ動く。

とりあえず娘が脱水症状に陥らない様に必要な水分を与えるべきと彼女は判断した。

 

 

「汗をかいた分、飲まないとダメよ」

 

 

「あ……あむ……ん……」

 

 

よく冷えた水差しをルファスの口元に持っていくと無心で少女はソレに食いついた。

手足が動かない中、唯一十分な力を保持している顎で水差しに食いつき、喉の奥に水分を流し込む。

白濁した意識の中であっても彼女の生命への欲求は全く衰える事はなかった。

 

 

 

必死に己の命を繋ごうと足掻くルファスに少しだけアウラは安堵を覚える。

全く娘は諦めていない。絶対に治って見せるという強い意思は衰えを見せない。

 

 

それと同時に娘の手足が震えているのを彼女は見逃さない。

血管が痛々しい程に浮き出て脈を打っているのを見て、アウラは娘の手足が麻痺しているのかもしれないと考えた。

疑似的な四肢の麻痺の疑いあり、と以前にも書いた書類にルファスの容態を記入する。

 

 

 

「ルファス、私がわかる?」

 

 

 

水を飲み終えた少女に呼びかける。

薄目を開けたルファスの瞳は充血しきっており、瞼は腫れていた。

唇を何度か動かして何かを喋ろうとしているらしいが、声は出ない。

 

 

 

「ぉ~……ぁぁアァァ──~──……」

 

 

「…………ありがとう、無理はしないで」

 

 

 

何とか喋ろうと足掻くが掠れた息だけが噴き出るだけの娘の頭をアウラは撫でた。

「意識は辛うじて存在している」と彼女はレポートに綴る。

これで意識喪失まで始まってしまったらいよいよ危険な領域の話になってくる故に、彼女は少しだけ安堵した。

 

 

 

「…………」

 

 

アウラは娘の容態を観察し続ける。

自分にできる事はほんの微かな変化も見逃さず、その全てをプランに報告することだと彼女は知っていた。

そして間違っても必死に戦う娘の前で取り乱したり、不安に駆られた姿を見せないことだと。

 

 

 

母親の不安は間違いなく娘に伝播する。

ルファス程の強い心の持ち主であれば諦める等という事はありえないが、それでも親の見せる不安を感じ取って何も思わない訳はないのだ。

弱気、諦観、絶望は今のルファスにとって死へと繋がる病の一歩であった。

 

 

 

ルファスは口を何度もパクパクと開閉し続ける。

まるで酸欠のように。

確かに呼吸の度に耳障りな音がするが、それでも小さな違和をアウラは感じた。

 

 

「ルファス……お水が欲しいの?」

 

 

母の問いにルファスは首を横に振った。

充血しきった瞳で母を彼女は視た。

娘の様子にアウラは直感した。

 

 

彼女は今、何かを自分に訴えかけようとしているのだと。

故に答えを割り出すべく、彼女は質問を続けた。

 

 

「息が苦しい?」

 

 

 

違う、と更に首を振る。

確かに息苦しさはあるが、それとは別種の苦しさがあると。

今の自分には()()が足りないと理解しながらも、それの具体的な名前を出せないルファスは必死に母に懇願した。

 

 

身体の中で何度も爆発が起こり続けているような衝撃に悶えながらルファスは母に意思を送り続けた。

アウラもまた娘の訴えに表面上では冷静を装いながら、心臓を激しく脈打たせつつルファスを探る。

 

 

 

「欲しいモノがあるの……?」

 

 

 

頷く。

強く、しっかりと。

 

 

 

「それは……食事?」

 

 

違う、と頭が横に振られる。

 

 

 

アウラは必死に頭を回した。

娘が自分に何を伝えようとしているのか、考え続けた。

水でも食事でもなく、今娘が必要としているものを全力で考える。

 

 

思考が冷え切る。

娘を思う母としての情熱とは別に、恐ろしい程の速度で知識と経験が掘り起こされ、その上に母としての直感が稼働する。

 

 

 

元よりアウラ・エノクは聡明な女性である。

元々は大貴族の妻として、そして天翼族の中でも高位の令嬢として多くの知識を修めた事もある女性だ。

そんな彼女がリュケイオンに訪れてから1年ごとに“変異”を繰り返すルファスについて何も調べない筈がなかった。

 

 

プラン・アリストテレスのレポートを彼女もまた読んでおり、ピオス等に話を聞いていたのは当然と言える。

 

 

それらを踏まえた上で段階を経て情報が頭の中で整理されていく。

 

 

 

まず眼前のルファスの状態は厳密には「病気」ではない。

言ってしまえば“変異”によって生じる成長痛のようなものである。

 

 

 

娘は1年ごとに大幅にレベルを上げていく。

これはヴァナヘイムでは見られなかった現象である。

リュケイオンにあってヴァナヘイムになかった物、そしてレベルアップに必要とされるモノ……それは“マナ”である。

 

 

 

レベルアップとは必要量のマナを身体が取り込む事によって一つ上の生物へと位階を上昇させることを言う。

 

 

 

「マナ……」

 

 

 

答えに近しい所まで迫っていることを確信しつつアウラは己に言い聞かせるように単語を呟いた。

更にもう一つプランの仮説であるヴァナヘイムにおいて変異が発生しなかったのは場を満たすマナが足りなかったからという推察を思い出した。

 

 

アウラの眼は娘を凝視したまま固定され、何度も「マナ」と呟いた。

自分の知識と直感などあくまでも付け焼刃だと自覚しつつもアウラは娘に聞いた。

 

 

「“マナ”……“マナ”が欲しいの?」

 

 

 

ルファスの瞳が見開かれた。

今まで不足を感じながらも、明確な形に出来なかった概念を的確に表現され、少女は強く頷いた。

 

 

マナが、マナが欲しい。

マナが足りないと何度も目線で少女は母に乞う。

 

 

扉が開く。

入ってきたのはプラン、ピオス、カルキノスの三名であった。

プランとピオスはともかく、カルキノスでさえ硬い表情を浮かべていた。

 

 

 

「エノク夫人、看護を交代しましょう。

 貴女は少し休んで下さい……。

 貴女が倒れてしまったら、ルファスは自分を責めてしまうでしょう」

 

 

 

先頭に立つプランが微笑みながら言う。

彼はそのまま足早にルファスに近づくとアウラが記録を取っていた書類を手に取り、目を通し始めた。

そして例年通りならば既に発熱が収まった頃合いだというのに、何も変わらない現状に瞑目し考えを巡らせていく。

 

 

「まずは高すぎる体温を下げましょう」

 

 

ピオスは氷の詰まった袋を布でくるんでからルファスの両脇に押しあてた。

対症療法にすぎない行為であったが、それでも少しだけ高熱にうなされていた彼女の顔に安らぎが浮かぶ。

 

 

「水分も大事ですが、塩や砂糖も大事ですよ。

 えぇ、というわけでミーはjuiceを作りました」

 

 

 

カルキノスが水差しをアウラに示した。

中に入っているのは清水をベースに適量の塩と砂糖、そして僅かな柑橘の果汁を混ぜた経口補水液である。

水よりも遥かに効率よく水分等を補充できる液体を彼はプランの協力のもとに作成したのだ。

 

 

「ゆっくりと、焦らないで」

 

 

アウラは感謝を述べてからソレを受け取り、ルファスに近づける。

カルキノスが作ったモノときいて少しばかり怪訝な眼をしていたルファスであったが、一口つけると文字通り眼の色が変わった。

今まで飲んでいた水よりも遥かに高い効率で水分を補充できると直感で悟った彼女は水差しに歯を立てて噛り付いた。

 

 

がり、がり、と水差しに歯型を残しながらも必死に補水液を彼女は嚥下していく。

喉が何度も大きく動き、その度に彼女の身体に失った水分が戻る。

 

 

1リットルは入るであろう水差しの7割以上を一気に飲み干してから、ようやくルファスは口を開けた。

 

 

「は……はぁぁ……はっ、は、ハッっ……」

 

 

 

大口を開けて彼女は熱い息を吐く。

その度に真っ白な吐息が出現した。

翼が悶えるように震え、ばらばらと羽が抜け落ちていく。

 

 

抜け落ちた羽の下にあるのは真新しい羽である。

より黒く、美しく、光沢のある羽は主の変異の完了を待ちわびているのだ。

 

 

 

アウラは一瞬だけ眼を瞑り、直ぐに開いた。

娘と同じ強い意思が宿った瞳がそこにはあった。

 

 

「プラン様、よろしいでしょうか」

 

 

「……何かお気づきになられましたか」

 

 

アウラの平時と違う声音に多くを察したプランが硬い声で返す。

ルファスの母は娘に視線を移してから口を開いた。

 

 

 

「娘は“マナ”を求めているかもしれません」

 

 

 

「…………………なるほど」

 

 

 

長い沈黙の後にプランは絞り出すように答える。

アウラの主張を彼は一笑に伏すようなことはしなかった。

ただ、彼女の考えを基に多くを考えたのだ。

 

 

「もしかしたら……娘はレベルアップしたくても出来ない状態なのかもしれません」

 

 

「“マナ(燃料)”が足りず、つまりは空焚きの様な状態になっていると……」

 

 

 

探究者の顔を浮かべて思考を纏めていく。

アウラの言葉は理屈抜きの説得力があった。

元よりプランには足りないこういった発見を期待していたのだから、これは最高の結果といえた。

 

 

【観察眼】でルファスを見る。

数回繰り返し、倍率を変えて改めて見ればなるほど、幾つかの数値が上昇と下降を繰り返し続けている。

特に体力などが顕著だ。

1上がったかと思えばまた1下がるを何度も繰り返していた。

 

 

 

 

ミズガルズにおいてのレベルアップとは、一定量のマナを体内に取り込んだ結果に起きる位階の向上のことである。

つまり基本としてはマナを必要量貯めてから初めてレベルアップという処理が行われ、レベルの上昇という結果にたどり着く事になる。

しかしルファスはもしかしたらそれが逆転しているのかもしれないとプランは瞬時に仮説を組み立てた。

 

 

 

ルファスの場合は最初にレベルの向上という結果が発生し、そうしてから何らかの手段で彼女の身体はマナを取り込み、

レベルアップという処理が行われるのかもしれない、と。

この説だとどうしてヴァナヘイムにおいて“変異”が発生しなかったかについての説明が難しくなるなとプランは考えた。

 

 

「そうなると……」

 

 

いや、捕捉として変異の種火として一定量のマナの摂取が必要になる、という理屈をくっつければ一応の説として成り立つかもしれないと彼は思考をまとめた。

どちらにせよ今大事なのは苦しんでいるルファスをどう救うかであり、アウラの言葉は状況を好転させる一手になりうるかもしれない。

プランは腰にぶら下げていた革袋に手を入れ、念のためいつも持ち歩いている“リンゴ”を取り出した。

 

 

光沢ある銅色のソレはマナの物質的凝縮体であり、もしもルファスがマナを欲するというのならばこれに勝る特効薬はないだろう。

 

 

 

「─────ッッッ!!」

 

 

 

プランが果実を取り出した瞬間、ルファスが猛烈に反応した。

彼女は腫れあがった眼を限界まで見開き、思うように動かない手足をばたつかせた。

何度も何度も翼が羽ばたき、羽が部屋中に撒き散らされる。

 

 

 

 

 

「っ! なんて力……!!」

 

 

ベッドを軋ませて暴れ狂う彼女をピオスが取り押さえようとするが……勝てない。

変異の途中とはいえ、既に3桁の大台にレベルが入りかけている彼女の腕力はピオスを上回っていた。

初老の域に差し掛かっているとはいえ、成人男性を十代前半の少女が弾き飛ばす光景は異様であった。

 

 

「おっと!」

 

 

 

吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる直前にカルキノスが割って入り、ピオスを受け止めた。

さすがはリュケイオンで最も高レベルの彼である、人間一人を受け止めても微動だにしなかった。

 

 

「感謝します……それにしても、何て力でしょう……」

 

 

 

カルキノスに礼を述べてからピオスは渋い顔をしてルファスを見た。

翼が大きく展開され、羽ばたく度に夥しい数の羽が抜け落ちていく。

メキ、メキ、と音を立てて新しい羽が補充され、更にマナが消費されれば彼女の顔は苦痛に歪んだ。

 

 

「……よ゛こせっ……それ゛を゛、はや゛くっ……!!」

 

 

ぐちゃぐちゃに枯れ果てた濁声で彼女はリンゴを求める。

しかし彼はソレをカルキノスに目配せしてから渡してしまった。

カルキノスは無言で一回だけ頷いてからリンゴを手に部屋から出て行ってしまう。

 

 

真っ赤な瞳の中に憎悪が満ちた。

彼女の胸中では呪詛の様に同じ言葉が連続する。

果実がプランの所有物であるという事実さえ忘れ果てる程に、彼女は“リンゴ”に執着を抱いていた。

 

 

(私のものだ、私のものだ、私のものだ

 アレは私のものだ────かえせ、かえせ、かえせ、かえせ!!)

 

 

殺意さえ放ちながらルファスはプランを睨みつける。

怒りのままに手足に力を入れれば、麻痺していたソレは辛うじて動く。

そのまま立ち上がろうとするが上手く足が動かず、仕方なくルファスはベッドから這い出ようとして、プランに抱き留められ、ベッドに戻される。

 

 

その事実に無性に苛立ちを覚えた彼女は普段ならば抑えられる怒りを、何の節制もなく発散し始めた。

 

 

「あ゛あ゛ぁ゛ぁぁ゛───!!」

 

 

「落ち着いて。直ぐに……」

 

 

鬱陶しい偽善者が言葉を終わらせる前にルファスの手は動いた。

プランを殴る。力が上手く入らないが、何とか拳を作り、思い切り顔面を殴りつける。

彼は避けたり守ったりするなどの行為を一切行わず、ルファスの暴力を受け止めた。

 

 

 

ミシ、という音がした。彼の骨にヒビが入る感触をルファスは楽しんだ。

生暖かい血が滴る。アウラが娘を止めようと動くが、プランはソレを片手で制した。

一度、二度、三度と繰り返してからルファスは男の顔を見た。

 

 

 

酷い姿であった。

鼻が折れ、血が垂れている。

頬の一部もへこみ、青い痣が浮かび上がっている。

 

 

「ルファス」

 

 

偽善者が声を上げる。ルファスはプランを殴った。

ドン、という鈍い音がした。

右の頬の骨にヒビが入る。

 

 

しかし蒼い瞳だけはルファスに向けられたまま逸らされない。

自分をずっと見つめてくる瞳がルファスは気に入らなかった。

 

 

 

「落ち着いて」

 

 

 

殴る。彼の右の奥歯が割れた。

額において内部出血が起こり、腫れあがった。

それでも彼は顔色一つ変えていない。

 

 

痛みを感じていないかの様にルファスをじっと見つめている。

ムカついた。ムカついた。腹が立った。

自分はこんなにも苦しいのに、平然としている男が憎かった。

 

 

湯だった頭の中で、殺意と憎悪だけが膨らんでいく。

普段ならばしないであろう、理性と自制心が止める行為を彼女は躊躇わず実行した。

 

 

「自分は敵じゃない」

 

 

 

うるさい。

お前なんて嫌いだ。

死んでしまえ。

殺してやる。

 

 

 

殴る。

今度は左を狙った。

右と同じようにプランの左の頬の形が少しだけ変わった。

 

 

「ルファス」

 

 

プランは変わらず少女の名前を呼ぶ。

不快極まりなかった。

いつかとはいわず、今この場で殺してやると彼女は殺意を煮込みながら決めた。

 

 

 

「し゛ね゛!! し゛んでし゛まえ゛!!!」

 

 

枷の外れた憎悪のままに彼女は叫んだ。

 

 

握りしめた指先から血が滲みだす。

己の握力に耐え切れず指が軋んだ。

プラン・アリストテレスの頭を粉砕すべく、全身全霊の拳を彼女は振るい……轟音が部屋に響いた。

 

 

ドォンという衝撃が屋敷を揺らし、リュケイオンの民家の窓を震わせる。

ルファスの拳は深々と突き刺さっていた……カルキノスに。

プランが立っていた場所にはカルキノスがおり、彼の代わりにルファスの渾身の一撃を受け止めていた。

 

 

24時間に一度だけ使える彼の魔物としてのスキルである【チェンジリング】が発動された結果であった。

効果は攻撃を受けている仲間と自分の位置を瞬時に入れ替えるという単純でありながらも、使いどころによれば戦況をひっくり返せるものだ。

 

 

 

「お待たせしましたレディ、こちら、appleとなります。

 お召の際は一つずつ、ゆっくりとお食べ下さい」

 

 

ルファスの一撃を顔に受けながらも彼は全く痛打を受けていない。

朗らかに笑いながら綺麗に16等分したリンゴを乗せた皿を持っている。

とてつもない衝撃があったというのに果実は皿から落ちるどころか、果汁の一滴も滴りはしていなかった。

 

 

レベル380でありながら、防御能力だけならばレベル1000の魔物にも匹敵するのがカルキノスという男である。

現状ミズガルズにおいて単純な殴り合いで彼を追い詰められる存在は殆どいないといっていい。

 

 

 

「ぁ………」

 

 

 

ルファスの瞳が果実に向けられる。

必死に指を伸ばし、ようやく一つだけ手に取った。

 

 

 

「ぁぁぁ……」

 

 

眦に涙さえ浮かべて少女は感動する。

足りなかったピースがようやく手に収まったとさえ思った。

 

 

それは彼女の古い血の記憶が為せる業なのかもしれない。

美味しそうな果汁に満ちたソレを認識した彼女は“懐かしい”と感じた。

彼女の遠い祖先の誰かが犯した禁忌の味は、ルファスの代にまでこびりついていたのかもしれない。

 

 

涎が止まらない。

指先が震える。

今までとは違う理由で血液が熱を帯びた。

 

 

そして一気に食べる事の危険性を知っているカルキノスによって16分割された内の一つが少女の口に放り込まれた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、今度ばかりはミーもどうかと思いますよ?」

 

 

 

傷を負った顔の治療を受けるプランを前にカルキノスはため息を吐いていた。

果実を半分ほど食べ終わり満足したルファスが安らかな眠りについたのを見計らい、プランの治療が開始されたのだ。

ピオス司祭の天法を座って受けている友に対してカルキノスは露骨に非難の眼を向けている。

 

 

 

「あのままだとルファスが見境なく暴れる危険性があったからね。

 自分に敵意を集中(タゲ取り)させておくべきだと思ったんだ」

 

 

 

「そこからして間違っているのです。そういうのはミーのjobですよ。

 人間の貴方ではミー程のdefense能力はないでしょう」

 

 

プランが微笑みながら答えるが、カルキノスの顔に不満は残ったままであった。

彼にしては珍しく、不機嫌な様子を隠そうともしていない。

見れば眼前のピオスはおろか、ルファスに寄り添っているアウラさえも彼と同じような顔をしていた。

 

 

 

「そもそも彼女に果実を見せるべきではありませんでしたね。

 黙って切り分けたのを持ってくれば良かったのです」

 

 

 

貴方にしては珍しい失敗ですよ、とピオスが言う。

飢えに飢えた人間の前で食料を考え無しに取り出したらどうなるかなんて判り切ったことでしょう、と。

そんな彼に続けて娘の額に浮かんでいた汗を拭きとりながらアウラも口を開いた。

 

 

「プラン様……どうかご自愛ください」

 

 

彼女の紅い瞳に湛えられた悲しみの色を見て取ってプランは完全に自分が失敗したことを悟った。

後だしで最善の行動をとらなかった自分を責めるというのは余り好きではないが、今度ばかりは反省すべきだと彼は思い知ったのだ。

 

 

 

「……軽率な行動でした」

 

 

やりようは幾らでもあったというのに、よりによって誰にとっても得にならない事をしてしまったと反省する。

今から考えればピオス司祭のいったようにルファスに果実を見せる必要はなかった。

思い返せば、あの時の自分はどうにも……焦っていたのかもしれないと彼は自己分析をした。

 

 

 

珍しく落ち込んだ様子を見せるプランにカルキノスはいつも通りの明るい笑顔を浮かべ、少しだけ落ち込んだ場の空気を仕切り直す様に声を張り上げる。

 

 

 

「all right! 何はともあれ、レディの状態も落ち着いたようで何よりです! 

 今のレディをfriendはどう見ます?」

 

 

ルファスの体調についての説明を求めるカルキノスの言葉は、この場にいる全員の代弁であった。

それを察したプランは腫れの引いた頬を撫でながら答える。

治療を一通り終えたピオスはルファスに向かって歩いていた。

 

 

 

「峠は越えたと思っているよ。

 今回の原因は恐らくマナの不足だと考えている。

 彼女の成長は体内にため込んだマナを消費して行なわれる筈なんだけど、変異の途中でマナ切れを起こしたのかもしれない」

 

 

 

その結果、無理やりレベルアップしようとする身体は空焚きのような状態に陥ってしまい、あんな事になったのだろうとプランは考察を纏めた。

リュケイオンは豊富なマナを湛えた大地だが、既にルファスの肉体はソレさえも足りない域に入り始めたのかもしれない、と続ければアウラは眼を伏せた。

 

 

一年に一回、娘が命の危機を迎える現状は彼女にとって好ましくはない。

確かに強さも大事だとは思うが、それ以上に苦しむルファスを彼女は見たくないのだ。

 

 

「……これは、いつまで続くのでしょうか」

 

 

 

「判りません……。

 もしかしたら今回が最後かもしれないし

 本当にレベル1000になるまで続くのかもしれないのです」

 

 

 

こればっかりは本当に判らないとプランは断じた。

そしておそらく、高レベルになればなるほどルファスに掛かる負荷が強くなることも告げる。

下手な誤魔化しはせず、あるがままの情報を受け取ったアウラは一瞬だけ悲しみを浮かべたが、直ぐに目に強い意思が宿り顔を上げた。

 

 

 

「分かりました」

 

 

あと何回これを繰り返す事になるかは判らないが、最後の最後まで娘の傍にいると強い決意を宿した声と顔であった。

 

 

 

「36度8分……熱は下がり切ったと見ていいでしょう。

 貴方の仰った通り、もう峠は越えたようですね」

 

 

 

ルファスから体温計を取り出し、眺めながらピオスが言う。

その言葉にプランも含めた大人たち全員は僅かに脱力した。

今回も無事に切り抜けられた、と。

 

そして次回に活かせる知見を得られたのはとても大きな収穫であった。

 

 

ルファスが13歳の誕生日を控えた頃には“リンゴ”を複数用意しておかなくては、と誰もが思った。

 

 

プランは立ち上がり、安らかな顔で眠っているルファスを見下ろす。

“リンゴ”を摂取した効果は絶大で、正に特効薬と言っていい効力を発揮していた。

あれだけ苦しんだのが嘘の様に彼女の容態は快方に向かっており、明日の朝には元気な姿を見られることだろう。

 

 

 

周囲に散乱していた羽を何枚か拾い上げ、少し見つめた後に懐にしまう。

出会った時、10歳の時、11歳、そして今回。

プランはルファスの羽を貴重なサンプルとして蒐集していた。

 

 

彼女の羽は1年ごとの変化を見比べるのにこれ以上ない程のサンプルなのだ。

すー、すー、と今まで碌に取れなかった睡眠を謳歌する彼女にプランはいつも通りの言葉をかけた。

 

 

 

「おやすみ」

 

 

 

ん、と聞こえていたのかどうかは知らないが、ルファスは小さな声を漏らして答えたのだった。

大人たちに見守られて、彼女はまた一つ強くなった。

 

 

 





来週(1日)と再来週(8日)は更新をお休みします。

2021年、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
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