ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
使用にあたっては
小沼高希様の『特殊タグ練習 - 主にMathJax』を参考にさせていただいております。
この場をお借りして、心よりお礼申し上げます。
掻きむしる様に繭は己の顔に指を這わせて爪を立てる。
ガリガリとそれを動かせば、表皮が剥がれ落ちだした。
パキ、パキ……。
氷の割れるような音が繭から広がっていく。
マナ・キャンサーの胎動はもはや隠せず、その奥底からは新たな怪物の輪郭が覗き始めていた。
そんな化け物をベネトナシュは鼻で笑い、醜悪な存在どもを指さす。
「常々、貴様らの造形は悪趣味だと思っていたが……ここまで腐りきっているとはな」
繭は吸血姫に取り合わず背を向けて空に向けて歩き出す。
カツン、カツンと虚空に足をかけてそのまま上っていく。
アレにはこれから大切な仕事がある。
存在する全ての世界を消し去り、女神/極点もろとも滅ぼすというささやかなお仕事が。
無機質な声が返る。
≪ベネトナシュ陛下、御用ですか?≫
≪ミョルニルは此度の騒動には不干渉と宣言していたはず≫
一対の吸血姫再現体が【バルドル】の仮面を脱ぎ捨てる。
現れた顔は、オリジナルと寸分違わぬ美貌。
ただし、頭部からはヤギの角が生えていた。
アイゴケロスの因子を混ぜ込まれた証。
魔王の象徴を背負わされた「似姿」だった。
「これは個人的な話だ。……貴様らを滅ぼしに来た」
宣告は冷ややかで、処刑の鐘声のようだった。
双子は何も答えない。
彼女の説得など、無意味だと分かっているからだ。
それでも兵器群は、機械仕掛けの慈悲めいて、無駄な諭しを口にした。
誰だって幼子が絶対に不可能な難題に挑もうとしているのを見たら止めたくなるだろう?
≪不可能です。貴女では決してこの端末を破壊することは出来ません≫
≪時間の無駄です。事が終わるまでミョルニルに戻り待機していてください≫
まぁ、事が終わればミズガルズもろとも宇宙は消滅するが。
そんなことはいちいち説明するつもりはない。
明らかな挑発ともとれる兵器群の言葉にベネトナシュは無表情だった。
我慢しているのではない。何も感じていないだけだ。
道端の虫が鳴き声を上げていても人が何も感じないように彼女はこれらの言葉に価値を見出していない。
「…………」
ただ、憐れむだけ。
プラン・アリストテレスを知るがゆえに、この下らぬ遺産の行く末を見て、哀れみさえ覚えていた。
怪物ではあった。
世界に何の興味も抱いていない男だった。
アレが抱く絶望や諦観は彼女もよくわかっている。
しかし、それでも。
ここまでを願ってはいなかった。
間違ってもミズガルズ、いや、全宇宙の滅却などは。
怒りも侮蔑も超えた、ただ一つの感情。
必ず滅ぼすという覚悟。
それだけがベネトナシュの中にあった。
ニヤリと、双子の背後でアリオトが口角を吊り上げる。
右腕と一体化した【マリオネット】を掲げ、その剣先をルファスとベネトナシュに突き付けた。
剣を使うのではなく剣に使われる。
その滑稽さに彼は気づいていない。
もはや彼はマリオネットでしかない。
「ベネトナシュ。まさかあんたがそっちに付くとはな」
更にその笑みが、顔に掘られた亀裂が深くなっていく。
もはや彼は欲望を隠し立てもしない。
「……あんたも斬ってみたかったんだ。今日は最高の一日になりそうだ」
醜悪ともいえる欲望の発露にベネトナシュは大きくため息を吐いた。
本当にこいつらは今自分たちがどうなっているか判っているのだろうか?
無様としか言えなかった。
自分の肉体を削られ、魂を掻き乱され、兵器群に「役者」として舞台に立たされているのに、それに気づきもせず歓喜している。
滑稽で、醜悪で、そして――憐れむ価値もない。
しかしどんな形であれその強さだけは本物だとベネトナシュは認めている。
彼女はルファスほどにマナに鋭敏ではないし、彼女の様に操ることは出来ない。
しかしある程度は察せられるし、感知は出来る。
例えば体内のマナを経由して強固に操られている事くらいは。
いや、そもそも操られているというよりは自分から望んでこうなったのか?
どちらにせよ関係ない。
ベネトナシュは指を開閉し鳴らした。
こいつら全員……特にあの不愉快な自分の模造品は完全に粉砕してやる。
彼女はそう決めた。
その刹那、メグレズが杖を構え、流水を蛇のごとき形状に変えて身に巻き付け、鋭く切り込んできた。
彼の声は冷ややかで、事実だけを突きつける。
「おかしいことを言うね。彼らをここまで強大化させたのは、他ならぬ貴女じゃないか」
その指摘は、兵器群の資料を読み漁った信者だからこそ言えるものだった。
簡単に言えば、ベネトナシュは何もしてこなかった。
「貴女は何もしなかった。何もだ」
「色々な声を聴きながら、全てをくだらないと切り捨てたんだろう?」
人類共同体の盟主としての立場を持ちながら、現場の嘆きに耳を傾けなかった。
世界各地で「助けてほしい」「どうにかしてくれ」と繰り返された請願を、ことごとく無視した。
数え切れぬ人々が虐げられ、飢え、滅びへと追いやられていく声を、聞こえぬふりで通り過ぎた。
「だから彼女は自分でやる事にした。それだけの話だよ」
「で、いまさら何かな? “元”人類の守護者の君が」
ただの無視ではない。
時には嘆願に縋った者を嘲り追い払ったことさえあった。
結果、兵器群はその空白を突いた。
見捨てられた人類の怨嗟、絶望、そして裏切られたという憎悪。
それらが兵器群の糧となり、彼らを増長させる下地となった。
メリディアナがその土壌を耕し、兵器群は育った。
すべては、守護者であるはずのベネトナシュがその役割を放棄したがゆえだ。
兵器群が吸血姫再現体を作り上げたのも。
これほどの軍勢を編成し、いま正に女神の世界を終わらせる一手を打とうとしているのも。
人類共同体が真っ二つになるほどの戦争が起きているのも。
元をたどれば全てベネトナシュにその責がある。
これらの淡々とした列挙は、感情の余地を与えない残酷な真実だった。
メグレズの言葉は残酷な真実だった。
その一つ一つは確かに正しい。
ベネトナシュが無視した声があった。
切り捨てた祈りがあった。
その結果として、アリストテレス兵器群の土壌は肥え太り、いまやこの世界を覆うほどの強大さを得た。
だが淡々と羅列される責めを聞きながらも、ベネトナシュの表情は変わらなかった。
ただ深紅の瞳は冷たく澄み切り、ひと欠片の後悔も映してはいない。
「だからどうした」
それは嘲りではなく、誇りそのものの声だった。
彼女は産まれたときから強者だった。
血からして他者とは隔絶しており、幼少より弱者の感情や恐怖を理解することはなかった。
人の嘆きがどう響くのかを知らない。
そもそも「共感」という感覚を与えられなかった。
親族相手にさえその死を除けば何も感じられなかったのだから。
だから、彼女は聞かなかった。
だから、彼女は助けなかった。
だから、兵器群は肥えた。
すべては事実。
だが、それを恥じる理由などどこにもない。
何処までも彼女は傲慢で気高い。
しかしある程度の容認はあった。
責任感ともいうか。
彼女はかつてある女にこう言った。
“復讐をしたいのならば自分でやれ”と。
そしてその女は見事にそれを果たした。
ベネトナシュからすれば自分の復讐に他人の力を借りるなど意味が判らない事だ。
そして……問題はその後だ。
彼女は意外な事に自分が人類共同体の仕事を放棄し兵器群の跋扈を招いたことを理解していた。
だから今まで何もしてこなかった。
これはケジメのようなもの。
自分が投げた仕事を別の者がやっている。
で、あれば文句などつけようもない。
自分は何もしないのに、仕事を代わったモノに文句をつける。
そこに恥を感じる感性はさすがのベネトナシュも持ち合わせていた。
故に彼女は我慢していた。
自分のふざけた複製を作られようと、明らかな嘲りを向けられようと、それは自分の言葉と行動が招いた結果だと忍耐していた。
だが、その者が頼まれてもいないことをやり始めたら話は変わってくる。
少なくとも人類の守護者の役割に人類を守るために今ある世界を滅ぼせ等という条文はない。
大義名分。
つまるところベネトナシュはアリストテレス兵器群を叩きのめすためのソレを求め、今それは成就していた。
ミョルニルの民はアリストテレス兵器群の語る計画を認めはしない。
「私は私だ。弱者の呻きがどうあろうと、私の在り方は変わらん」
「そして今、ここでお前たちを滅ぼす。それがすべてだ」
その声音に濁りはなかった。
強さに生まれ、強さで立ち、強さのまま孤独に歩んできた者だけが持つ揺るがぬ有様。
相対するのは二体の再現体と、もはやアリストテレスに取り込まれてしまった者達。
どいつもこいつも苛つく蒼い瞳をしている。
……遠慮なくぶちのめせるとベネトナシュは犬歯を剥きだした。
「マファール。こいつらは私の獲物だ」
「……」
問答無用で歩を進める小さな背中をルファスは見送るしかなかった。
彼女がまだ幼少の頃より君臨し続けていた“最強”の背はかつて彼女が見上げたソレ。
ハッキリ言って戦力差はどうしようもないものがある。
如何に彼女のレベルが1800だろうと、それはアリオト達も同じ。
彼らもまたレベル限界を超えた上にアリストテレスの技術で強化され、更には操演されている。
プラン一人にさえ翻弄されていた彼女がその何倍も質/量ともに上回るアリストテレスとやり合う。
この状況だけを見れば無謀としか言いようがない。
絶対者としてのプライド。
先を往く者としての矜持。
それだけが、彼女を形作る。
ルファスは目線をミズガルズの上空に鎮座し不気味な仕草を見せる繭に向ける。
何を差し置いてもアレを倒さなくてはいけない。
ピクリと翼の間で天力と魔力が循環を開始。
【エクスゲート】を展開する予兆にアリオト達は一斉に動き出した。
彼らに与えられた命令はマナ・キャンサーが事を成すまで……この世界を滅ぼすまでルファスに邪魔をさせないことだ。
脳髄に打ち込まれていた至上命令に従い人形たちは動く。
アリオトが右腕の剣で切りかかる。
メグレズが水を操りルファスに差し向ける。
ミザールがたった今制作したブラキウム弾頭を発射する。
フェグダが矢を撃ち込み、ドゥーベは拳圧を放つ。
そして双子の吸血姫再現体は同時に【銀の矢放つ乙女】を放り込む。
あわよくばベネトナシュとルファスの両名を殺傷せんとする過剰な火力の飽和攻撃。
だが。
彼らは誤解していた。
測り間違えていたといっていい。
かつて世界最強の四つの頂に君臨していた少女の力を彼らは本当の意味で知らない。
腐敗と停滞から抜け出した本来のベネトナシュを彼らは知らなかったのだ。
矢と弾丸と術式と剣圧。
あらゆる死の奔流が同時に収束し、二人の女を押し潰そうとしたその瞬間――。
一閃。
空間を裂く鋭音とともに、すべての攻撃が空を切った。
攻撃の中心にいたはずのルファスの姿はすでに消えている。
残るのは黒いマントを翻す小柄な影――吸血姫ベネトナシュ。
「……ッ、速い!」
アリオトが舌打ちを漏らすよりも早く、彼女は一歩踏み込んでいた。
握りしめられた本家本元の『収奪者の爪』は獲物を求めて輝く。
右腕の剣が薙ぎ払う軌道を、ほとんど視認不可能な最小の動きでかわす。
返す刃で剣身を弾き飛ばし、巨腕の動きを鈍らせる。
「これが最強の剣士だと? 笑わせる」
ビリビリと反動で痺れる感覚を味わいながら冷徹に吐き捨てた。
次の瞬間、奔流のごとき水蛇が襲いかかる。
だがベネトナシュの動きは滝を切り裂く剣客のそれ。
掌底で水の中に魔力を叩き込んだ後に爆破。
そうすることで奔流を自らの周囲で霧散させた。
「水遊びに来たのか?」
吸血鬼という種族は流水が弱点と言われるが、ベネトナシュにその弱みはない。
彼女はベネトナシュという種族である故にその程度は既に克服している。
轟音。
ミザールが投げ放った即興のブラキウム弾頭が爆ぜる。
しかしそこに立つのは炎に包まれた彼女自身。
黒煙を裂いて踏み出す姿は、焼けることを拒む鋼のごとく。
「どけ」
その一言とともに舞うマント。
次の瞬間、フェグダの矢は空を裂き、全て逆方向に散らされた。
ドゥーベの拳圧すら、指先に魔力を収束させ、風の流れを割って逸らす。
そして最後。
双子の吸血姫が圧縮された【銀の矢放つ乙女】を撃ち込んだ。
光の奔流が大地を裂く瞬間、ベネトナシュは消え――次には二人の喉元に爪を突き立てていた。
そのまま振りぬけば、首の中ほどまで爪が食い込んでいくが、再生に押し返される。
ベネトナシュは粘らずに直ぐに指を引き抜き跳躍して距離をとる。
彼女の背後では空の向こうに軌道を逸らされた二本の矢が大爆発を引き起こしていた。
自分の扱う技だ。
弱点など判り切っている。
まず第一に【銀の矢放つ乙女】は一度放てば途中で軌道を変えることは出来ない。
文字通りの直進する矢なのだ。
故に純粋な腕力で横合いから叩いて軌道を逸らす事も可能だった。
プランに魔法を空き瓶で跳ね返されて以来、ベネトナシュは自分もアレと同じことが出来るかと考え続け、成就させたのだ。
蒼い瞳の群れが揺らぐ。
誰一人、今の動きを追えていない。
いや、ルファスだけは追っていた。
しかしそれも直ぐに適応される。
あっという間に彼らに宿る意思は最適化され、ベネトナシュの動きを情報として落とし込んでいく。
加勢しようと剣を構えるルファスを背に吸血姫は冷たく断じた。
「さっさと行け。邪魔だ」
「それとも巻き込まれて死にたいか?」
背中を見せたまま吐き捨てる声。
その声音は命令でも懇願でもなく、ただ当然の結論として紡がれた。
ルファスは一瞬だけ彼女の背中を見つめた。
幼少の頃から最強であり続けた存在。
かつて見上げたその背が、再び前を行き、道を切り拓いていた。
彼女はただ速いだけではない。
全てを受け流し、全てを読み切り、必ず反撃を返す。
技量を極限まで磨き上げた果てに到達した完全な吸血姫だ。
ルファスは翼を広げる。
目指すは蒼光に覆われた天蓋。
その中心に脈動するマナ・キャンサー。
大気と宇宙の中間地点に浮かんだソレは宙を見上げていた。
次に「どうしてここにルファスがいる?」とでも言いたげに首を傾げ、不気味なのっぺらぼうが確かに存在する視線でルファスを見抜いた。
アリストテレスの作り出した究極兵器はプラン・アリストテレスの弟子を観察している。
ルファスの考えは一つ。
アレを葬る。
覇王はミズガルズを背負う者としてそれを成さなくてはいけない。
ガリガリガリガリガリ……。
白い指が変わらずに自らの顔を掻き毟る。
いや、顔と呼ぶにはまだ早い。
そこにあったのは、つるりとしたのっぺらぼうの繭の表面にすぎなかった。
目も鼻も口もなく、ただ人の頭部に似た輪郭だけを曖昧になぞった、白く膨れた殻。
その無表情の表皮へ、細く長い指先が躊躇なく食い込み、紙を裂くよりも軽い手つきでべりべりと剥いでいく。
剥がれ落ちる。ぺりぺりと。
欠けていくソレ、白い表皮は肉ではなかった。
皮膚でもない。
乾いた紙片のようでありながら、破れた断面ではぬめった蒼い光を帯び、内側で脈打つ何かと細い糸で繋がっている。
死んだ殻なのか、生きた膜なのか、それさえ判別できない。
ガリ、ガリ、ガリ――。
耳障りな音が、空気のない宙に反響する。
本来ならあり得ないことだった。
真空に音は伝わらない。
だが、今ここで鳴っているそれは鼓膜で聞く音ではなかった。
理性の裏側、存在の奥を直接引っ掻かれるような不快な振動が、音の様な振動として全身へ這い上がってくる。
最初は一筋の線だった。
のっぺらぼうの中央へ走った、ごく細い亀裂。
けれどそれは次第に蜘蛛の巣のように広がり、頬にあたる部分へ、額にあたる部分へ、顎にあたる部分へと複雑に枝分かれしていく。
ひび割れは無秩序に見えて、どこか“人の顔”を再現しているようでもあった。
ここに眼窩があり、ここに鼻梁があり、ここに唇の割れ目が来るべきだと。
内側の何かが無理やり思い出しているような、不気味な正確さ。
裂け目の奥で、蒼い光が瞬いた。
ひとつ。
そして、ふたつ。
いや、違う。
ひとつの眼窩の奥にひとつの目があるのではない。
ひとつの目玉の中に複数の瞳孔がいた。
蒼い虹彩の中心で、黒い点が一つに定まらない。
小さな瞳孔が幾つも、寄生虫のように蠢いている。
重なり合い、離れ合い、互いの輪郭を食い合いながら、瞬きに合わせてぬるりと配置を変える。
人を模しているはずの蒼い瞳は、だから一見すれば美しい。
深い湖のような青。
冬の早朝の空のような淡い透明感。
けれど、その奥でうごめく複数の“視線”が、見る者の本能へ直に異常を告げてくる。
見られている。
ひとりにではない。
無数にだ。
瞳孔の一つ一つが別の意志を持っているかのように、ルファスの輪郭をなぞり、骨格を測る。
皮膚の下の鼓動を探り、魂の重さを値踏みする。
理性を拒絶し、存在そのものを削り取るような冷たさだった。
繭は自らを破りながら、胎動を加速させる。
腕が生まれる。
肩が割れる。
首筋にあたる曲線が、白い殻のひび割れの下からぬるりと立ち上がる。
そのどれもが女性の形をしている。
細い。滑らかだ。美しい。
だが、美しさの線を一本一本なぞるたびに、その裏側から別のものが滲み出る。
そこにあるのは“生命の温度”ではない。
彫像の冷たさでもない。
もっと無機質で、もっと生々しい。
機械に肉を貼り付けたのとも違う。
崩れた祈りを無理やり女の形へ押し固めたような、神聖さと生理的嫌悪が同時に立ち上がってくる気配。
この世界に居てはならないルファスとは違った種類のバグ。
白い繭が肩から胸元へかけて一気に裂ける。
中から現れたのはまずは白いローブだった。
衣服、と呼んでいいのかさえわからない。
布のように見えるソレは白く神々しい装いの意匠を持っている。
だがその表面は微かに脈打ち、縫い目に見える部分では細い蒼い筋が血管のように走り、ひらりと揺れた裾の裏には一瞬だけ肉めいた襞が見えた。
神官の正装のようでもあり、棺を覆う布のようでもあり、孵化したばかりの蛾の濡れた翅のようでもある。
神聖だ。
なのに、見ているだけで胃の底がざわつく。
ルファスは瞳を細めた。
これらか何が出てこようと彼女はそれを滅ぼすだけだ。
その意志は少しも揺らがない。
だが揺らがないからこそ、自分の本能がここまで激しく拒絶を叫んでいる事実がかえって異常の大きさを物語っていた。
繭が割れる音が高まっていく。
ぱきり。
ぱきり。
ぱき、ぱき、ぱきり。
乾いた破砕音が、あり得ないはずの響きとして戦場に満ちる。
白い亀裂は光を帯びることなく、むしろ周囲の輝きを吸い込みながら広がっていった。
光を反射しないのではない。光を食っている。
白であるはずの殻が、割れれば割れるほど暗く見える。
そして、最後のひび割れが走る。
顔だった。ルファスもよく知る人物の顔だった。
神話の美をなぞったかのような女の顔。
整いすぎた額。通った鼻梁。柔らかく引かれた頬の線。
唇は薄すぎず厚すぎず、微笑みさえ浮かべれば慈愛の象徴になれそうな均整を持っている。
蒼い髪が裂けた繭の奥から流れ落ちる。
長く、しなやかで、水に溶いた宝石のような青。
ディーナ/アロヴィナスそのものとしか言いようがない姿。
だが、似ていることと同じであることは違う。
目が違う。
ひとつの蒼い瞳の中で、複数の瞳孔がまだ蠢いている。
表情が違う。
微笑めばたしかに女神の美だ。
けれど、その美しさは他者を包むものではなく、異物として押し付けられてくる。
拝みたくなる神聖さと、吐き気を催す不調和が、同じ顔の上で矛盾なく成立している。
女神再現体マナ・キャンサーの神体。
それが、いま完成した。
その瞬間、ルファスの肌が総毛立つ。
神威に圧されているのではない。
恐怖だけでもない。
マナに誰より愛され、それと深く調和する彼女だからこそ、この存在の全てが耐えがたく醜いのだ。
白いローブの裾が、音もなく揺れる。
その足元に、割れ落ちた繭の殻が散らばる。
殻の断面からは蒼い光がまだ滲み、その一枚一枚に眼球めいた湿りが残っていた。
女神再現体は、ゆっくりと顔を上げた。
複数の瞳孔が、一斉にルファスを見た。
見た、というより。
“焦点を合わせた”というべきだ。
その瞬間、ルファスは反射的にステータス確認へ意識を走らせていた。
感情より先だった。
嫌悪より先だった。
これは知るべき異物だと、覇王としての経験と本能が同時に判断したのだ。
存在を測れ。
定義を見ろ。
何者かを知れ。
そして。
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※ NO LONGER READABLE ※
[ class =????? / █████ ] [ soul = LOST ] [ body = REWRITING ] [ save = false ]
≪SYSTEM WARNING:DATA CORRUPT/CHARACTER ID DISSOLVING/DO NOT LOOK≫
彼女は深淵を覗き込んだ。