ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
少し遅くなりましたが、今年も宜しくお願いします。
「ふふっ…………」
もう間もなく昼にさしかかる時間帯。
リュケイオン近郊に茂る森の中にルファスはいた。
新しくなった身体を試す為に彼女はリュケイオンから少し離れた地に移動し、思う存分に手に入れた力を堪能しているのだ。
拳を振るう。大樹が中ほどからはじけ飛んだ。
軽く走る。あっという間に空気の壁にぶつかり、周囲の景色が凄まじい速度で背後に飛んで行った。
勢いをつけてあえて翼を使わず、脚力だけで跳ねる───あっという間に木々の身長を飛び越え、リュケイオンが遠くに見える位置にまで身体は舞った。
正に縦横無尽。
12歳の子供ではありえない力をルファスは思う存分に使い、遊んでいた。
普通の10代の子供ならば人形やボールで遊んだりするが、彼女は己の力をソレの代わりにしている。
「ははっ……ハハハハっ!!」
ルファスは笑った。
強者として振舞うのが何よりも楽しい。
鳥を始めとした草食動物が逃げていく。
自分という強者に恐れをなして、逃げている。
それどころかクマなどの一般人では恐れる凶悪なモノらでさえ今の自分からは必死に距離を取るべく走っていた。
少女は嗜虐的な笑みを浮かべ、それらを空から見下して笑っていた。
悪戯するように意識して【威圧】をかけてやれば、それらは腰を抜かし、無茶苦茶に転がりながらも必死の様相で自分から逃げようとしている。
無様だな、と少女は心の底から弱者を見下していた。
黒い翼を広げ、滞空しながら眼下に蠢く弱者を見下ろす様は……非常に心地よく、自分にとって適切と言える在り方だと彼女は思った。
強い。私は強い。まだ強くなる。
もっと強くなる。もっともっと強くなってやる。
プランを超え、魔神族を超え、四強を超え、いずれは女神とやらも超えてやると少女は野心を滾らせる。
レベルが齎す力により彼女は自己肯定を得ていたのだ。
力ほど純粋で美しく、平等な法はない。
気取った理屈など彼女はもたない。
力こそが全てを司る真理だと彼女は信じ切っていた。
力に縋っているといってもいい。
活力が漲る。
今なら何でもできるのではないかと思う程の身体能力が身体に宿っていた。
遂にここまで来た、とルファスは充足を抱いていた。
無事に12歳を迎えた彼女のレベルはまたしても急激な上昇を見せていたのだ。
真っ黒な翼は更に美しく、そして怪しく輝きを放ち、新生を遂げた彼女の意のままに動く。
彼女のレベルは130。
もう人類種において彼女に太刀打ちできるものは殆どいないと言っていいだろう。
少し軽く走るだけで音の壁を越える脚力、拳を突き出せば大岩を軽々と砕く膂力をルファスは得ていた。
一度地面に降り立つ。
ルファスを恐れ、誰もいなくなった森の一角に彼女は足を付けた。
周囲を見渡せば本当に動物一匹いない。いつもは煩い程に鳴いていた虫たちの声さえも今はない。
「ふぅ……」
一通り己の身体を試し終えた後、ルファスは息を吐く。
頭に手をやり、毛先を眼前にもってきた。
リュケイオンを訪れてから何回か整えた事はあったが、母が好きだと言ってくれた為に基本的には伸ばしている金髪はルファスの密かな自慢である。
そんな金糸の先端が微かに朱を帯びていた。
まるで炎の様な色のソレは見れば少しだけ輝いている。
もちろんルファス本人にとっては何の実感もない。
レベル130に至ってから一つだけ変わった事がコレである。
ルファスの金糸の毛は、微かにであるが変色しつつあった。
炎の様な朱色が彼女の頭を彩りつつあった。
まぁ、これはこれで悪くはないとルファスは納得する。
白髪であったら断固とした対策を練るかもしれないが……個人的にはこの色は好きであった。
好きなモノについて誤魔化すのは自分らしくはないと彼女は考える故に、この変化は好意的に受け入れていた。
それはともかくあと少しだ、と彼女は気を持ち直して考える。
この地に連れてこられてから延々と言い続けていたプランへの殺害宣言。
もう間もなく……今までの法則から考えるに来年か、遅くとも再来年には彼のレベルを超える事実を前にルファスは興奮を抑えきれなかった。
始めて出会った時にはあれほど遠く見えたレベル221はもう間近である。
一度は遠く羨望と共に眺めた相手に強さで追いつく……そして追い越す……本当にこれがあいつなのか? とさえ思う程に呆気なく追い越していく。
己の強さに酔う、と言う魔物の様な陶酔の一端を彼女は抱き始めていた。
(見ていろ……あと一年か、二年で私はお前を超える。
私を拾った事、後悔させてやる……)
いや、三年は待つべきかと彼女は冷静に考え直した。
プランの能力にはまだ判らない事が多い。
不確定の要素を考慮し、彼の倍から3倍のレベルは用意したいと安全マージンを冷静に思案していた。
彼女は考える。
鬱陶しいプランの居なくなった後の世界を。
今までしつこく何度も絡んできた男のいない世界をルファスは思い描いた。
朝、いつもされていた「おはよう」がない日常。
昼、彼から多くを学んでいた勉学がない日常。
夜、母と食べる食卓にあいつとカルキノスがいない日々。
それらはとても素晴らしいものである筈だ。
自分をいつも縛り付けていた束縛者がいなくなった、自由の日々の筈だ。
だというのに……ルファスの心は少しだけざわめいた。
紅い眼を細め、弱い心の声をルファスは黙殺しようとして……。
「ルファス。そろそろお昼だから戻っておいで」
「ふぐっぅ───!!?」
唐突にかけられたプランの声に全身が跳ね上がる。
飛び出しそうになった間抜けな声を間一髪で飲み込んだのはさすがルファスと言えた。
その代わり、黒い翼は根元から先っぽまで震えあがり、今もぴくぴくと痙攣を繰り返している。
顔を顰めながら振り返ればそこにはいつの間にかプランが佇んでおり、平時と変わらない微笑みを浮かべていた。
そんな彼に少女は不機嫌を隠そうともせずに話しかける。
腕を組み胸を張って堂々と、王が臣下を見下ろす様にルファスは言った。
「なんだ?」
「あとちょっとでお昼ご飯が出来るって伝えに来たんだ。
今回もエノク夫人が作ってくれてね、すごく美味しそうなスープがあったよ」
そうか、とだけ簡潔に返す。
母が料理を作ってくれたというのならば戻ろうと考えた。
アリエスのご飯の時間もそろそろであり、一度自分がやると宣言した以上、ルファスは虹色羊の世話を決して投げ出すことはない。
(……無防備な背中だ)
背を向けて歩き出すプランをルファスは見つめながら思う。
戯れるようにルファスはこの男の殺害計画を立ててみることにした。
仮に今、ここで襲い掛かって殺したとしたら、どうなるか、と。
周囲は森であり、ここまで人が来る事は滅多にない。
死体の発見は非常に遅れるか、もしくは魔物か肉食獣に食われてしまえば誰も亡骸を見つける事はできないだろう。
何食わぬ顔で自分はリュケイオンに戻り、プランとは出会っていないと言ってしまえば見つかる事はまずないはずだ。
(どうやって殺す……?)
冷たい思考の中でルファスは無情な殺害計画を立案し始めていた。
一昔前ではどう足掻いても太刀打ちできないレベル差であったが、着実にソレを縮めた結果、今やプランの殺害は現実的に可能な話になりつつあった。
そうすると一度は弱まっていた憎悪は彼女が力を付けると再び燃え上がり始めた。
復讐という目標が夢物語ではなくなり始めている今、ルファスの心には黒い欲望が戻りつつある。
プラン・アリストテレスに復讐してやると、彼女は決意を新たにしたのだ。
同時に抱くのは……とてつもない程に傲慢な自己肯定である。
今まで否定され続けてきた反動か、彼女は己をどこまでも特別視しはじめていた。
私は特別、私は特別な存在なんだ。
現に、多くの者が四苦八苦して必死にレベルを上げている中、自分だけは一年に一度眠るだけで大きく上昇できるのだから。
こんな存在、過去に誰もいるはずがない。
未来においてさえ自分ほどの特異な固体が誕生するのはありえない。
ルファス・マファールこそがいずれ“四強”を超え、女神を超え、全てを手に入れる存在なのかもしれない、と。
母に迷惑をかけてしまう事だけは彼女にとって気がかりな事であったが、それ以外は特にどうでもいいとしか思っていない。
プランの献身と研究、カルキノスの気遣い、ピオスの治療、彼女はそれら全てに込められた心遣いを受け止めようとさえしなかった。
多くの天翼族がもつ業である傲慢を、彼女も形こそ変えているが発揮し始めていた。
そしてソレに今の彼女は気が付けない。
後に彼女の心に永遠の疵と痛みを残し続けてしまう失敗であった。
(後ろから切りかかるか?)
紅い眼でプランを見つめながら彼女は幾つもの状況を想定し、今の自分でプランを殺せるかどうかを考えていく。
だが……やはり不確定要素が多いとすぐに彼女は判断した。
結局、先ほど考えていた事と同じ結果にたどり着いてしまう。
傲慢という霧がかかっていてもルファスは聡明な頭の持ち主であり、相手の全貌が判り切っていないというのに下手に手を出す愚を犯すことはなかった。
当初の予定通り15歳まで待つという結果に落ち着いた。
もう少し先だ、あと3年だなと彼女は再確認し密かに決心する。
それまでは恨みを蓄え、憎悪を研ぎ澄まし、確実に殺せるように精進あるのみだ。
15歳という年齢は天翼族にとって特別な意味をもっている。
何故なら、天翼族において15歳という年齢は一応は成長期の停止年齢でもあるからだ。
天翼族は15歳まで肉体は人間種の様に成長し続けるという。
身長は急激に伸び、男は筋肉質に、女は胸などが丸みを帯びて、大人と子供の中間のような姿になるだろう。
そこから先はゆっくりと1500年かけて老いていくのが天翼族の成長パターンである。
言わば全盛期の始まりと言える年齢なのだ。
更に言うならばルファスは天翼族ではあるが、特異中の特異個体である故に寿命さえも天翼族の常識に当てはまらない可能性は十分にある。
誰も証明はできないが彼女には老いによる死は存在しないかもしれない。
誰もがうらやむ永遠の命と、急激なレベルアップを繰り返す怪物……それがルファスであった。
「…………」
無言でプランの少し後ろを歩きながらルファスは考える。
彼女はレベルアップの仕組みについては理解しており、つい先日12歳を迎える際に苦しんだ夜の事も
母が付きっ切りで看病してくれた事
いや、あともう一つ、二つ覚えている事があった。
途中に抱いたとてつもない憤怒と、その直後に味わった甘くて、熱くて、自分の欠落を埋めてくれる美味しいナニカ……。
少女は瞼を閉じて暫し記憶を漁りながら考えた。
即ち、アレは何だったのだろうか、と。
何処かで食べた様な気もするが……どうしても思い出せなかった。
自分が食べたモノの正体が彼女は気になったのだ。
勝手にオークの肉を盛ってくるプランである、また変なモノを食べさせたのではないかと。
探るような少しばかり硬い声で彼女は声を上げた。
「少し……いいか」
「なんだい?」
ぶっきらぼうに声をかけても返ってくるのは柔らかい返答であった。
歩きながらであるが、彼は頭を横にして目線をルファスに送った。
顔にあるのはいつもの微笑みである。
基本的にルファスが声をかければ決してプランは無視などはしない。
どんな些細な疑問にも答えてくれる上に、ルファスの意見を頭ごなしに否定することもない。
大人として他者の話に耳を傾けるのは当たり前の話ではあるのだが、ルファスにとってソレはちょっとだけ好ましい事であった。
「先日、私が寝込んだ夜の事だ。……少し情報を整理したい。あの夜、私に何があったんだ?」
記憶が定かじゃなくて気持ち悪いと少女は男に訴えた。
だから、何があったのか教えて欲しいとルファスは言う。
プランは少しだけ彼女から視線を外した。
まさか“君は怒りに任せて自分の顔を変形させたんだよ”等と言うつもりはない。
自分の身体について知っておいた方がいいのも確かである故に、彼は幾つかの情報を検閲した上で彼女に開示した。
「そうだね……あえていうなら“マナ不足”でルファスは苦しんでいたんだ。
息苦しかった感覚は覚えているかい?」
プランの口から出てきた単語にルファスは頭を傾げながらも彼からの問いには素直に頷く。
今回の一件においては本当に命の危機さえも感じた故に、ルファスは真摯に耳を傾けていた。
「普通なら生物はマナを一定量取り込んでからレベルアップが始まる。
だけどルファスの場合は、身体が先にレベルアップする為に自分で自分を作り替え始めてからマナを取り込み始めるかもしれないんだ」
逆になってるんだね、とプランは簡潔にまとめた。
つまりルファスの肉体は主である君の強い意思に答えるべく、強制的なレベルアップを己に課してるのかもしれないと彼は言った。
(……そういう考えもあるのかもしれないな)
つらつらと自分の口から出てくる言葉を聞きながらプランはふと閃いた。
“
彼女が明確に強大な力を求めだしたのは自分と出会い、自分を殺すという目標を掲げてからなのを顧みるに、これは有力な説なのかもしれないと彼は納得した。
つまりルファスの肉体は自分を殺すべく進化し続けているということになる。
だがそんな仮説を立てながらも彼の心は揺れなかった。
そうか、まぁ……それで彼女が長い年月を生き抜くだけの力を得られるのならば構わないか、と思うだけである。
ただ殺すのは構わないが、その前に諸々の引継ぎだけは終わらせておいて欲しいなと思うだけの人間性はあった。
金銭的な財産をエノク夫人とルファスに残しておくために色々な書類を用意しておかないといけないのだから。
「そうか……」
プランの仮説交じりの説明を受けたルファスは噛み締めるように呟いていた。
自分の肉体は誰よりも願いに応えてくれているという現実を彼女は喜びを抱いていた。
己の肉体だけは自分を裏切らないでいてくれたという仮説を彼女は信じることにしたのだ。
いつの間にかルファスの顔には微笑みがあった。
労わる様に己の胸を彼女は撫でた。
望み通り力を与え続けてくれる自分の肉体を彼女は初めて愛おしいと思った。
黒い翼がキラキラとマナの光を帯びて輝く様を見ながらプランは口を開く。
「安心してほしい。
もう原因は判ったから、来年からはちゃんと対策を取る事にするよ。
あんなに苦しむ事はもうなくなる筈さ」
「判った。だけど…………」
“いいのか? これ以上私が強くなったら、もう貴方を超えてしまうぞ?”
そう言おうとしたルファスは舌を動かしかけてから……やめた。
真っ赤な瞳の中に困惑を浮かばせながら彼女は無言で視線をプランから逸らして思う。
(私を何を言おうとしてるんだ。
敵に塩を送るような真似をするなど、こいつと同じバカみたいじゃないか)
自分を殺そうとしている相手の面倒を見続ける馬鹿な男。
あと数年の付き合いで終わる事は決まっている存在、そんな奴に何を言おうとしたんだかと彼女は自嘲した。
「さて、それじゃあ帰ろうか」
「………」
プランはルファスに手を差し伸べたが、彼女はソレを取る事はなく翼を広げて空へと飛び立った。
急速に小さくなっていく男の姿を見ながら彼女は少しだけ競争心を出す。
今の自分の飛行速度は間違いなく音を超える。
だからあいつよりも先にリュケイオンに戻ってやると彼女は意地悪く笑った。
なお、全速力でリュケイオンに帰還した彼女を何食わぬ顔でプランが出迎えたことにより、ルファスの機嫌が悪化したことは余談である。
こいつの移動方法はいったいどうなってるんだと思わずルファスは叫んでしまったのだった。
「めぇ~~♪ メメメメ・メぇ~~~♪」
ゴシゴシと泡に塗れた身体を擦られてアリエスは心地よさそうな声を上げていた。
大きなタライの中にすっぽりと身体を収めた彼は全身に程よい温度のお湯を浴びせられてから、動物用のシャンプーで身体を清められているのだ。
プランとカルキノスという大の男二人に身体を磨かれながらも、彼は脱力してされるがままになっていた。
「YES。いい感じにrelaxしてくれてますね」
アリエスの足を一本ずつ丁寧に洗いながらカルキノスが言う。
濡れてもいい為に上はシャツだけで、下には短いズボンを着込んだ今の彼の姿は朝焼けした肌の色と合わさって正に海の男といった様相であった。
「元々人懐っこい性格だったんだろうね。
……本当に今まで苦労していたんだろう」
友人と同じような恰好をしたプランが応える。
彼はアリエスが緊張しないように適度にマッサージを行いながら彼の腹や背中などにシャンプーを塗り込んでいた。
良い香りのハーブなどを混ぜ合わせて作られたシャンプーをアリエスは気に入ったらしく鼻歌さえも鳴らしていた。
「メッ!」
ピーンと足を延ばしてカルキノスに差し出す。左の前足であった。
“この足を洗って”という意思を感じさせる行動に彼はニカッと笑った。
「WOW! ミーにお任せアレ、perfectな出来栄えを約束しましょう」
嫌な顔一つせず彼は丁寧にアリエスの足を洗っていく。
その合間に専用の器具を使って羊の蹄を削蹄してやるのも忘れない。
恐ろしい程の手際の良さであった、プランがマッサージを絶やさないというのもあるが、アリエスにストレスは全くない。
うっとりとした瞳で羊が半ば眠りにおちかけているといえば、カルキノスの技量がいかに高いか判るというものだ。
同じように彼は右前足、左後ろ足とアリエスの削蹄を全て片付けてしまった。
時を同じくしてプランによる胴体などの洗浄も完了し、アリエスの身体を布で拭きとる。
温風を噴き出すマジックアイテムで全身を乾かした後、蹄用の油を塗ってやればアリエスのメンテナンスは完了だった。
全ての汚れを洗い落とされ、更には蹄の手入れも終わったアリエスは瞳を輝かせていた。
「めぇ~! メメメメッ♪」
喜びを表す様にその場で何度も飛び跳ねる。
“ぴょこ、ぴょこ”という擬音が似合いそうな程に愛らしい動作であった。
カルキノスとプランは顔を見合わせてから笑い合う。
元はルファスの心の安定の為に飼育を始めた羊であったが、気づけば沼の様にアリエスの愛らしさに嵌ってしまった大人たちがここにはいた。
「さて」
暫くアリエスを観察していたプランであったが、場の空気を仕切り直す様に一言だけ呟いてから膝をついてアリエスに向き合った。
「メ?」と羊が首を傾げる。羊の瞳に浮き上がる自分の顔を見ながら彼は言った。
「アリエス。頼みがあるんだ……君の毛を自分に譲ってはくれないだろうか?」
家畜としてではなく対等の存在として彼はアリエスに交渉を持ち掛けた。
今まで虹色羊が己の毛でどれほど苦労してきたかは彼には想像することしか出来ない。
もしかしたらこの話を持ち出した事でアリエスに“やっぱりこいつも自分の毛が目当てなんだ”と失望されてしまうかもしれない。
だが、昨今のミズガルズの情勢において【バルドル】の強化は不可欠だと彼は判断していた。
自分だけが死ぬ分には構わないが、領地となると話は違ってくる。
エルフとの契約通り相応しいモノにこの街が渡るまでリュケイオンを守るのは彼の役目なのだから。
「メェぇ……」
アリエスはプランの顔を凝視した後、視線を彼の頭の横……彼の背後に向けた。
そこにはルファスがいた。
彼女は柱の影から顔を覗かせてプランとアリエスのやり取りを見守っていた。
黒い翼が時折震えているのを見るに、彼女の内心は少しばかり複雑なのかもしれない。
しかし、以前にも語られた通りルファスは己がかなり無理難題を通してアリエスを飼育していることを自覚していた。
あの後プランに虹色羊の詳細な価値を教わった彼女である。
曰く、あらゆる絶滅危惧種よりも希少なミズガルズ一の稀少種。
曰く、毛先の一筋でさえ財宝の山よりも価値を持つ歩く宝石箱。
曰く、古き理想郷の残り香にして、女神の愛の残骸。
伝説を通り越して神話の中の存在と言ってもいい。
多くのミズガルズの者はまさか虹色羊が実在するなんて思ってさえいない。
何せかの伝説のアルゴナウタイの船長が探し求めてついぞ見つからなかったと伝わる存在なのだから。
自分がどれだけの爆弾を抱え込んでいるか、またどれだけ周囲が注意を凝らしているか理解している。
プランを憎んでいる彼女であるが、それはそれ、これはこれである。
己の意見を押し通すのに様々な負担を強いさせておいて、何も感じない訳はなかった。
だから彼女は頷いた。
これは正当な取引。アリエスは己の臣下にして所有物。
故に彼女の物であり、絶対に手放す気などない執着の対象だ。
だからこれは取引だ。
プランの屋敷に住まわせてもらっている家賃といっていい。
もしくは彼に強くしてもらっている事への報酬だ。
故にルファスはアリエスの許可を求めるような視線に頷いて口を微かに動かした。
“いいぞ”と。
答えるようにアリエスが強く頷く。
「メメメッ~~!!
きりっとした瞳でアリエスはプランを見つめ返して同意の気持ちを表現する様に何度も首を縦に振る。
「ありがとう。約束する、絶対に無駄にはしないと」
プランが微笑んで答えた。
ヴァナヘイムで浮かべていたモノとは違う心の底にある熱がにじみ出るような笑顔だった。
さて、お礼を上げないとなとプランは考え【サイコスルー】を発動させ、近くに置いてあった革袋の中からアリエスの大好物であるトウモロコシを取り出した。
アリエスの眼前に現れるのは茹でられたトウモロコシ。
黄金色の粒が美しく輝いている。
それを認めたアリエスの反応はすさまじかった。
「メメメメメッメメメメメ!! メ゛ェ゛メメメ゛メェェェ゛ーー!!」
眼の色を変え、アリエスは興奮しだす。
何度も飛び跳ねたかと思えば、己の臭いを擦りつけるように地面に頭を当ててそのままグリグリと押し付ける。
更には背中を床にこすり付けながら何度も何度も体を回転させ始めた。
果てには全身を捩じりながら仰向けに寝転がり、狂乱しながら四本の足で虚空を搔きだす。
さながら今の彼はトウモロコシをキメているようだ。
メ゛ェェ゛ェ゛!!と凄まじい喜びの声を上げるアリエスに、カルキノスは頬に汗をかきながら引きつった顔を浮かべつつ言った。
「……OH……そのトウモロコシ、まさか妙なdrugとか入ってないですよね?」
「まさか。凄く美味しいただのトウモロコシさ。
最近は余りやれてなかったからなぁ……」
ズン、ズンと自分の背後から響き渡る足音を認識しながら彼は答えた。
確認しなくても判る。
小さな体を精一杯大きく動かしながら、意識して威圧的な歩き方をしたルファスが自分に近寄ってくるのが。
「……一本だけ。一本だけなら……大丈夫……アリエスも喜んでるし……」
言い訳を呟きながら全身で歓喜を示すアリエスにトウモロコシを与えようとするが、少女の鋭い制止の声が響いた。
「絶対にダメだ! またアリエスを肥えさせるつもりか!!」
両手を腰に当てて少女は仁王立ちする。
小さな胸を精一杯張って、その上でプランを威嚇するように翼を広げながら言う。
「……駄目かな?」
目の前の少女の顔色を伺いながらプランは問う。
「ダメだ!」
朱色の混ざった髪を逆立てて少女は強く断言する。
アリエスの保護者として、絶対に見過ごせないプランの行動を彼女は糾弾していた。
誰がどう見てもルファスの言い分が正しい故に、プランは「そうか……」と寂しげに呟くだけであった。
「メェぇぇぇ……グスッ」
アリエスもまた主たるルファスの言葉に逆らうことなどありえない故に全力でトウモロコシを諦める
それでも落胆を隠しきれない様子でプランに寄り添うのだ。
彼が腕を広げればその中にすっぽりと身を収め、プランの胸元に顔を埋めて涙ぐんだ瞳で彼を見つめた。
「すまない……」
「……グスッ……めめ、めぇ……」
一匹と一人が抱きしめ合う感動的な光景である。種族を超えた友情がここにはある。
よし、よしと男が羊を慰めるように頭を撫でてやれば、アリエスは涙をつぅっと零した。
鼻をぴすぴす鳴らしつつ羊はプランの顔を舐めて慰め返している。
「うっ……」
ルファスはバツが悪そうに顔を顰めた。
おかしい、絶対に自分が正しいはずなのに、何故か悪者になっているような気がすると彼女は思った。
カルキノスでさえ悲しそうな顔で彼女を見つめている、妙な所で空気を読むカニであった。
「……とりあえず、報酬は別の形にするよ。
毛を刈った後でマッサージを一時間、とかどうかな?」
ひとしきり抱き合った後、プランはアリエスの顔を覗き込んで新しい提案をする。
ルファスがアリエスをダイエットさせるためにかなりの労力を使っていたことを知っている彼からすれば、トウモロコシによる買収は軽率であったと自省する行為だった。
プランの提案を聞いたアリエスの瞳に輝きが戻った。
「メッ!」
羊は強く頷く。
トウモロコシとマッサージ、両方を天秤にかけてなお勝る程にプランの手腕は素晴らしいものがあるのだ。
【観察眼】により全身のあらゆる構造を把握できる彼のソレは、正にミズガルズ一と言っても過言ではないのだから。
メメメメメ、と後々行われる施術に期待を抱きつつアリエスはカルキノスに目線を向ける。
蟹は笑顔を浮かべながら頷き、用意しておいた台を示した。
「バカな……」
鼻歌を歌いながらプランから離れ、ハサミとカミソリを取り出したカルキノスの元に歩み寄るアリエスを眺めつつルファスは呆然と呟く。
明らかに自分が行ってやっているソレよりも楽しみにされている事に彼女はとてつもない衝撃を受けていた。
もうあの男の事など忘れさせてやった筈だというのに、アリエスは変わらずプランの手腕の虜のままだった、という事実は彼女を打ちのめした。
自分の臣下であり、所有物であり、部下である存在の心を奪われかけているという現実は彼女を非常に不機嫌にするものだ。
だが、ルファスは自分を成熟した大人だと自負している故に、怒りをぶちまけるような事はしない。
「……おい」
「ん?」
プランが顔を傾げて答えた。
「私にもアリエスにしている施術と同じことをやれ」
拳を握りしめ、屈辱に身を焼かれながら言う。
いいだろう、どうやら遠目から見ているだけでは盗み切れないものもあるのだろうと彼女は認めたのだ。
故に実際に己の身で受けてやる。
アリエスが夢中になるお手並みを是非見せてもらおうではないか。
ククッと少女は胸中で嘲る。
やってみるがいい。
その技術を盗み取ってやる。
私がお前の技量をモノにしたとき、その時こそ完全にお前はアリエスに捨てられるのだと少女は確信していた。
プランはカルキノスを見やった。
次にアリエスに視線を向ける。
「yes。レデイの身体のmaintenanceというわけですね!
こっちもworkが終わり次第に報告しますので、どうぞご遠慮なく」
「メメーメー!」
カルキノスが手を振れば、剃毛の為の台にちょこんと乗っかっていたアリエスもまた前足を振って「ばいばい」と表現する。
プランもまた笑いながら二人に軽く手を振ってからルファスに視線を戻す。
「じゃあ早速始めようか。行くのはルファスの部屋でいいかな?」
少女は男の言葉に一度頷いた後、挑戦的な自信に溢れる笑顔を浮かべた。
真っ赤な眼をギラギラと輝かせながらルファスはプランに言葉を叩きつけた。
「存分にやってみるがいい。最も、私が満足するなどありえないがな!」
お前の手腕になど私は屈しない、と少女は意気揚々と宣言するのだった。
「……………ん……ぅ」
全身のあらゆるコリを解された上に、強張っていた筋肉を解されたルファスはうつ伏せのまま眠りに落ちていた。
夢を見る事さえない深い眠りであった。
全身を痛めつける程の鍛錬を行って床についた時でさえ、これほどまでに濃厚な眠りを味わった事はないだろう。
1分43秒。
これはルファスがプランの前で意識を保っていられた時間である。
しかし決して彼女が弱いわけではないのだ。
むしろ絶対に寝落ちなどしないと決心し、瞼を限界まで見開いて勝負に挑んだ彼女を容易く陥落させたプランの手腕が異常なのだ。
人体を始めとした生物、魔物、恐竜の内部構造を知り尽くしている故に可能な事である。
もちろん魔神族の事も良く知っている。液体になるまで弄りまわした記録が彼にはあるからだ。
恐らく本人は自分が眠ってしまったことにさえ気が付いてないかもしれない。
正に“寝落ち”という表現が相応しい状態だ。
「…………」
眠ったまま動かないルファスにプランは毛布をかけてやり、次に部屋のカーテンを閉めた。
彼女の身体は……とてつもない疲労をため込んでいたというのが彼の感想である。
とても子供とは思えない程に身体の至る所に筋肉の張りが存在しており、幾つかの骨の関節に至ってはズレているという有様だ。
もしも何もしないまま放置していたら、何処かで手痛い反動が帰ってきたかもしれないほどに彼女の肉体は声なき悲鳴を上げていたのだ。
まだ12歳の子供が大人でも滅多にない程の疲れを宿していた事実にプランの心は僅かに陰った。
これからは定期的に何かと理由をつけて彼女の身体の施術もやるべきだろう。
部屋の外に出ればカルキノスとアウラが並んで佇んでいる。
どうやら二人はプランを待っていたようだった。
カルキノスの手には箱があり、その中にはアリエスの羊毛が綺麗に収められている。
プランは頷いてから微笑んだ。
「ルファスはあと3時間くらいは起きないと思います……かなり疲れていたようだ」
「では今夜のディナーは消化のいいものを作りましょう!
スープ類を中心にしたmenuはどうでしょう」
カルキノスが暖かく笑い二人に提案すれば、アウラは嬉しそうに肯定する。
彼女は一度だけルファスが寝ている部屋を見てからカルキノスに言った。
「私にも是非、お手伝いさせてください……」
「off course! 断る理由などありませんよ」
その場で何度もくるくる回りながら彼はアウラという絶世の美女と共同作業ができる喜びを表現する。
本当に楽しそうに笑うカルキノスにつられ、プランの微笑みは熱を帯びたものになった。
張り付けた処世術の仮面ではなく、人の心の温かみのある本当の微笑みに。
彼が考えるのは一つ。
即ち、ルファスの誕生日プレゼントに何を贈ろうか、ということだけだった。
ルファス 立派な天翼族として成長中。
アリエスの皆への認識
ルファス ご主人様。一緒に遊んだり散歩するのが好き。
プラン トウモロコシくれる人。シャツの件もあって懐いている。
アウラ ルファス様にそっくりの人。胸が大きい方。膝の上で眠ると安心する。
ピオス司祭 あまり交流はないけど、ちょっと苦手で怖い……。
カルキノス おい蟹、トウモロコシもってこいよ。