ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
シュウウウウという真っ赤な煙がルファスの胸部、マナ・キャンサーの貫手が深々と刺さった箇所から立ち上る。
心臓が一回鼓動するたびにルファスの血液はその中に宿った血清や免疫ごとマナ・キャンサーの中に送り込まれていく。
反射的に腕を引き抜こうとする癌であったが、覇王はそれを許さない。
言葉こそ話さないがその行動には明確な焦燥という感情が見て取れる。
ルファスという害から離れようとしているのは明らかだ。
この世の何よりも強固な拘束具の如く癌の腕を捉えて決して外れない。
もがくような仕草を見せ、全身から血煙を吹き出し始める女神にルファスは断言する。
「根比べだ。余は我慢強さには自信があってな」
血を吐き、骨が砕けていきながらもルファスは不敵に笑いかける。
直接接触したせいでマナ・キャンサー本体を構築する高濃度の癌化した細胞/マナは絶えずルファスに注ぎ込まれ続けている。
最大出力で生命力を想起しルファスの身体は主の願いに全力で答え続け、癌と戦い続ける。
その上で血という最も高濃度にルファスのマナと意思を宿した物質がマナ・キャンサーに流れこみ、この怪物を内側から攻撃し始めていた。
この作戦の元となったのはかつて光の森でプランを吸血し、彼に打ち込まれていたルファスの因子によって中から攻撃を受けてしまったベネトナシュの姿である。
まさかこのような形であの時の再現をすることになるとはルファスも思いもよらなかった。
「付き合ってもらうぞ」
瞬間。
マナ・キャンサーの肩が震えた。
掴まれた腕を引き抜こうと、女神を模した肉体が反射的に蠢く。
だがルファスの指は、骨も筋も砕けかけているくせに、一切緩まない。
肋骨がひしゃげ、心臓を抉る掌底はなお深く食い込んだまま――それでも、彼女は離さない。
逃がさない。
それがこの覇王の選んだ戦い方だった。
マナ・キャンサーの内部に、異物が流れ込んでいく。
赤い。あまりにも赤い。
それは血液という名を借りた、覇王ルファス・マファールそのものだ。
マナと“力”と意思とが高濃度で溶かし込まれた暴力的な赤。
癌化マナの網目に入り込み、細胞接合部に侵入し、情報を書き換え始める。
マナ・キャンサーの瞳孔がわずかに収縮した。
拒絶反応が起きる。
癌化したマナが泡立ち、侵入経路を逆流させようと殺到する。
だが、その度に赤い閃光が迸った。
ルファスの血清が、内部で牙を剥く。
本来ならルファスの身体だけを守るために鍛え上げられた免疫/マナが、
いまは侵入先たるマナ・キャンサーの細胞構造を「敵対象」と認識し、分子単位で噛み砕く。
癌の網が破れる。
細胞膜が破砕し、核情報がひきちぎられ、一定範囲の“癌性”が正常マナへと引き戻される。
そして次の瞬間、その正常化された領域ごと【ヴィンデミ・アトリックス】の理が働き、跡形もなく蒸発した。
じわ、じわ、と。
マナ・キャンサーの腕から、ささやかな「欠損」が広がっていく。
神の癌は明確にそれを理解し、暴れた。
空になったはずの宇宙が震える。
女神の姿をした装置が、子供じみた拒絶反応のように身を捩る。
しかし、ルファスは笑っていた。
「暴れるな。血をこぼすだろう」
肩関節が悲鳴をあげる角度で、ルファスは腕を締め上げる。
貫手はなお胸郭の奥、心臓のすぐ傍に居座ったままだ。
肺胞が潰れ、骨片が散り、彼女自身の内臓にも黒いシミが咲き始める。
視界の端で、世界がわずかに暗く滲んだ。
明確な死の足音をルファスは聞いた。
──感染は進んでいる。
だがそれでいい、と覇王は判断する。
彼女の体内では、癌細胞を解析し尽くした免疫系が、今まさに完成形へ進化しているところだった。
適合し、学習し、強化され、それは“マナ・キャンサー専用”の除去機構となる。
血清は調合済み。
あとは、充分な量を「患者」に打ち込むだけだ。
マナ・キャンサーの全身から、蒼白い光が噴き出した。
【DAMAGE RETURN PROCESS : REBUILD】
【MULTI-LAYER COUNTER:RE-EXECUTE】
先に使用した、理不尽の極みたるダメージ計算が再構築されていく。
あの、M ≈ 10^(10^(37×1.56))と表現するしかなかった狂気の「結果」だ。
数値という名の呪い。
演算そのものが攻撃。
だが今は、状況が違う。
ルファスの血が、マナ・キャンサーの回路に入り込んでいる。
マナ・キャンサーの癌が、ルファスの体内に触れている。
互いの境界線は、もはや曖昧だった。
【LINK STATUS】
血液経路:接続
癌化マナ経路:接続
免疫応答経路:侵入済
中枢演算経路:汚染確認
OWNER FLAG……CONFLICT
【PROCESS PATH】
処理経路A:ルファス心臓部
処理経路B:マナ・キャンサー中枢核
処理経路C:共有血清/癌性マナ混合領域
警告:処理経路の分離に失敗
【DAMAGE ROUTE】
出力先:ルファス・マファール
出力先:マナ・キャンサー
共有判定:成立
返却対象:両方
返却対象:なし
返却対象:未定義
全ては共有されている。
「やってみろ」
ルファスが嗤う。
次の瞬間、演算が走った。
RESULT OUTPUT……START
不可測の多重カウンターがルファスの「心臓」に叩き込まれる。
同時に、それとまったく同じ「結果」が、マナ・キャンサー自身の中枢にも流れ込んだ。
システムは迷わない。
なぜなら、「ここからここまでがルファス」「ここからここまではマナ・キャンサー」という明確な線引きが、もう存在しないからだ。
接続は単一。
演算経路は共有。
ならば「返すべき先」も一つに混ざる。
ルファスの心臓が、一度、止まった。
マナ・キャンサーの中枢も、一度、止まった。
沈黙。
宇宙の律が、一拍だけ空白になる。
重力が途切れ、光が進むのを忘れ、時間が落とした拍を探して迷子になる。
ERROR:SELF-HIT DETECTED
ERROR:DAMAGE OWNER = BOTH
ERROR:DAMAGE OWNER = NONE
ERROR:RETURN TARGET……UNDEFINED
対象A:ルファス・マファール
対象B:マナ・キャンサー
対象A/B:接続
対象A/B:混線
対象A/B:同一経路上に存在
CALCULATION CONFUSED
CALCULATION CONFUSED
CALCULATION CONFUSED
RESULT:RETURN TO ATTACKER
ATTACKER:Luphas Mafahl
ATTACKER:Mana Cancer
ATTACKER:Luphas Mafahl / Mana Cancer
ATTACKER:ERROR
SELF-DAMAGE ROUTE OPENED
COUNTER TARGET COLLAPSED
OUTPUT:BOTH
マナ・キャンサーの女神の顔に、初めて明瞭な「ノイズ」が走った。
白い肌に亀裂が入る。
黄金を帯びた髪先が、灰となって崩れ落ちる。
内部から溢れ出した蒼白光が、逆流して自分自身を焼いていた。
癌と免疫の戦いは物質的な細胞同士の殺し合いと同時にマナという概念がぶつかりあうようなものだ。
そんな終末戦争を内側で起こされればこうもなる。
だがルファスの損傷も桁外れだった。
全身の細胞が「死亡」という判定を受け続ける。
魂の情報ごと消失するような鋭い断絶。
肉体の一部が崩れ彼女の象徴たる黒い翼が一瞬だけ消えかける。
視界の端で、色が失せ、音が遠のく。
人ならばとっくに跡形もない。
先に死の足音を聞いたが、これはもうその先に通り過ぎている。
彼女は今、大口を開けた死の顎の中にいる。
彼女は死ぬ。
これは紛れもない事実であり世界が出した判定だ。
だが。
「嫌だ」
ルファスは断固としてそれを跳ねのけた。
死ぬつもりはない。
己にはやることがあるのだから。
「死ぬなど、認めぬ」
だから彼女は、「力」を使いソドムの戦いで観測した能力を己で再現した。
空間の支配、法則の書き換えを。
その力を用いてルファスは自分の設定を継ぎ足した。
ERROR:SELF-HIT DETECTED
ERROR:DAMAGE OWNER = BOTH
ERROR:DAMAGE OWNER = NONE
RETURN TARGET……UNDEFINED
対象A:ルファス・マファール
対象B:マナ・キャンサー
対象A/B:接続
対象A/B:混線
CALCULATION CONFUSED
COUNTER TARGET COLLAPSED
OUTPUT:BOTH
ただ、それだけを決める。
自分は死なない。
彼女は女神の法則には従わない。
何処でどうやって死ぬか彼女は選べる。
そしてそれはここではないのだ。
破壊された心臓は巻き戻される。
切断された魂の線は繋ぎ直される。
焼き切れた神経は再配線され、癌化の進行すら“正しい治療経過”として補正される。
外部の理不尽な数値攻撃を経験に書き換えた。
一度死んだ。
だが、その結果を彼女は拒否した。
数学では彼女は殺せないのだ。
そしてマナ・キャンサーもまた同じく死にかけていた。
内部に流入したルファス血清が、癌化マナのネットワークを点々と破壊していく。
天力を盗み、増殖し続けた鋼鉄のような構造体に柔らかい穴が空きはじめる。
補完構造が総動員され、破壊された箇所を埋めようともがく。
だが埋めたそばから、血清が再び侵食する。
【REPAIR】→【REJECTED】
【REPAIR】→【RE-INFECTED】
【SELF-COPY】→【CONFLICT:Luphus-Pattern】
【SELF-COPY】→【COPIED KILL-CODE】
【統合試行】→【変異】
【変異】→【自己免疫暴走】
ERROR:SELF = TARGET
ERROR:CANCER = SELF
【修復】→【感染】→【排除】→【自己破壊】
自分自身の中に、「自分を殺す設計図」が混入している。
それを排除しようとすればするほど、矛盾が増え、演算が歪む。
マナ・キャンサーは本能的に悟った。
このまま繋がっていれば、互いに削り合い、いずれ共倒れする。
だから、腕を引き抜こうとする。
抜けない。
ルファスが、笑っている。
意地悪く、子供の様に。
「ダメだ」
治療を怖がり逃げ出そうとする子供を捕まえる親の様な顔と声だった。
握力はとうに死んでいる。
骨は砕け、筋は裂けている。
それでもなお、彼女の指は、「余は離さない」と決めたがゆえに離れない。
“力”が、彼女を突き動かし握力という形で現実に固定されていた。
マナ・キャンサーの全身が痙攣する。
腕から肩へ、胸郭へ、頸椎へと、赤い線が走る。
綺麗だった女神の模造体に、深紅の毛細血管が入り込み、内側から焼き文字のように刻まれていく。
同時に、ルファスの身体にも黒い樹脈が伸びていく。
頬、首筋、胸、腕、翼――一瞬ごとに侵食され、次の瞬間には焼き払われ、また別の箇所から生え出す。
互いの体内で、静かに世界大戦が行われていた。
赤と黒。
治療と病。
“力”と癌。
どちらも、決定的に押し切れない。
再び、ダメージリターン機構が起動しかける。
だが今度は起動前に――。
【キャンセル】
ルファスとマナ・キャンサー、自動思考の双方が、ほぼ同時に「これは不味い」と判断して止めた。
発動すれば、今度こそ本当に二人まとめて壊れると理解している。
暴走寸前で停止した計算が、熱となって二人の中枢を焦がし、その余波が極点の女神を襲い狂乱を加速させた。
ルファスの口から血が溢れる。
マナ・キャンサーの唇の端からも、蒼白いマナがぽたりと零れ落ちる。
「何だ。其方にも在るではないか」
ルファスはかすかに口角を上げた。
「感情が見えたぞ」
痛みで視界が霞んでいる。
骨は軋み、内臓は悲鳴を上げ、細胞レベルでは今も侵蝕と修復がせめぎ合っている。
だが、それは同時に――届き始めているという証拠だった。
マナ・キャンサーの瞳孔が、わずかに揺らぐ。
相変わらず一言も喋らない。
だがその沈黙に、微細な敵意と、初めての「戸惑い」が混ざっていた。
どちらも決め手を欠く。
どちらも一歩も引かない。
密着したまま、赤と蒼が、互いを蝕み合い、作り替え合い、殺し合い、救い合う。
世界の終わりまで残り僅か。
決着は、まだつかない。
だがその綱引きは、確かに均衡を破りつつあった。
血と光が混じり合う中心で、
ルファスの背の翼が――動いた。
羽ばたきではない。
それは、変形だった。
漆黒の羽が音もなく反転し、次の瞬間には鋼のように硬質化する。
羽軸が捻れ、鱗のような外皮が重なり、一枚一枚の羽が鋭利な「返し棘」へと変じた。
翼が開いた瞬間、空間がざわめく。
光も熱もない真空に、咆哮のような圧が走る。
無数の棘が、根を持つ生物のように蠢き、マナ・キャンサーの身体を貫いた。
ズブリ、と鈍く湿った音。
蒼白い肉が裂け、黒く濁った液体が溢れ出す。
それは血でもマナでもない――剥がれ落ちた細胞の死骸だ。
マナ・キャンサーの女神を模した肉体が激しく痙攣する。
刺し込まれた棘が体内で枝分かれし、無数の方向へ伸びていく。
まるで、彼女の内部を探り、埋め尽くし、情報を奪うように。
ルファスの背で、翼の根が蠢いた。
返しの棘がしなり、まるで獣が咬みついたように、
マナ・キャンサーの肉を深く抉っていく。
「さながら悪魔の翼であろう?」
「幼少の時はよく言われたものだ」
とはいえ、思えば9歳までしか言われてなかったなと思い返しルファスは微笑む。
血を失い続けたせいでどうにも思考がぼんやりとしてしまい、覇王としての仮面が綻びだしているようだ。
「どちらにせよ……逃がさんよ。決してな」
ルファスの喉奥から洩れた低い声は、
もはや怒りでも威圧でもない。
それは、宣告に近い静けさだった。
ここでマナ・キャンサーが、初めて明確な“反応”を示した。
顔がひきつれ、全身が泡立つ。
自らの肉体の線が解ける。
彼女の背から、真新しい腕が生えた。
一本、また一本。
三本目、四本目、五本目――数える意味が失われるほどに。
関節が逆に曲がり、年頃の乙女の如く整えられた爪が突き立てられる。
新たに生まれた腕が、次々とルファスへ叩きつけられた。
それを迎撃するために翼は更に枝分かれしのたうった。
衝突。
振るわれるたびに星々の残骸が砕ける。
棘の翼と拳が何百、何千回と打ち合う。
圧力波が螺旋を描き、その衝撃だけでミズガルズは揺れ、十二星天たちは満身創痍になりながら宙を見上げ主の勝利を信じ続ける。
花弁のように二人を包み込むのは莫大な熱量と衝撃の乱舞だった。
ルファスは叫ばない。
ただ、押し返す。
返し棘が一本、また一本と引き千切られながらも、すぐさま再生し再び女神の肉体に突き刺さる。
彼女の翼は、もはやただの翼ではなかった。
意思を宿した二対の腕。
覇王の意思を継いで動く第三、第四の手だった。
状況は拮抗している。
血肉を失い続けるルファスと、身体を内側から崩され続けるマナ・キャンサー。
互いにゼロ距離で命を削り続けるという泥試合だ。
最初に折れたのは癌であった。
彼女の身体がポロポロと崩れ出す。
まるで微細な泡の集合体が霧散するようにその粒子は一つ一つが細胞である。
先に語った通りマナ・キャンサーの今の女神の如き姿はあくまでも集合体としてそういう形を取っているに過ぎない。
故に今の様な全体を汚染する侵害を受けた場合はこのように脱出することも出来た。
ルファスに攻撃された部位を切断し、無事な部分だけで自分を再構築する、いわば脱皮だ。
だがしかし。
空間の向こうから、光が閃いた。
蒼く黒い背景を切り裂くように。
先に投げ捨てられたはずの神剣リーヴスラシルが、ひとりでに浮かび上がった。
刀身に刻まれた意思が剣を動かす。
ルファスが命じたわけではない。
ただ剣がそうしたいから動いたのだ。
剣は世界が終わっても残ることが出来る。
しかし決してそれは世界の終わりを望んでいる訳ではない。
使い手のいない剣などただの置物である。
剣が、音もなく飛ぶ。
まるで最適解を理解して行動するように、一直線にマナ・キャンサーの背へ突き刺さり、切っ先は胸から飛び出る。
再びこぼれ出る青光りが血液の様に飛び散った。
「─────」
蒼く輝く不気味な眼球が動き剣を見つめる。
どうしてこれは動くのかわからないようだった。
突き刺さった剣に意識を向けたその一瞬。
ルファス相手によそ見をするという致命的な失敗。
その隙を見逃さずにルファスが動く。
大きく踏み込み“力”とスキルを宿した両腕で彼女は癌を───抱きしめた。
「」
理解が及ばない行為にマナ・キャンサーは瞬時に対応できない。
拳が来たのならば防げただろう。
魔法が叩きつけられればそれを吸収するつもりだった。
翼による排除であれば腕を増やして撃退できる。
だが。
抱擁。
ルファスはこの怪物を抱きしめていた。
マナ・キャンサーは微動だにせず硬直していた。
さながらかつての創造主の如く。
来週は私事がありますので更新はお休みとなります。
代わりに前から書いていた別の短編を気晴らしに上げるかもしれません。