ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
吸血姫ベネトナシュは血まみれになりながらも堂々と仁王立ちし、眼前の者らを睨みつけていた。
体中のあらゆる箇所に裂傷を刻まれ、超高圧の水鉄砲で肉体に穴をあけられ、羽織っていたマントはもはや原形を留めていない。
それらは即時に再生していくが、着実に彼女の命を削ると同時にこの狂気的な戦闘者の感覚を研ぎ澄まし続けている。
特に粘るのはアリオトと二体の吸血姫だ。
純粋に戦闘に特化した彼らだけがここまで吸血姫に食い下がり続けていた。
それ以外のフェグダ、ドゥーベ、メグレズは既に撃破され、ベネトナシュが止めを刺そうとした瞬間に兵器群の作った【エクスゲート】に回収されてしまった。
ベネトナシュとしても殺せるならば殺しておこう程度にしか思ってなかった以上、追撃はかけてはいない。
メラクとミザール?
ルファスの一撃で昏倒した彼らはとうの昔に回収されている。
過去最高調に活性したマナと細胞の感覚を味わいながらベネトナシュは真っ赤な血の付着した指を開閉させた。
幾度かアリオトに切り刻まれた爪は先よりも鋭く動く。
兵器群が学習を繰り返すようにベネトナシュも急速に成長を続けている。
アリオトの剣技を学習し、不快な己の現身の動きさえもモノにしつつある。
覇王ルファス・マファールとの衝突はベネトナシュの錆を落とすに至った。
しかしあれは彼女がベネトナシュを殺す気はない一種の遊びでしかない。
本当の命をかけた戦い、実戦でしか感じられないモノがあるのは事実だ。
これこそが吸血姫だ。
かつては四つの頂として君臨し、吸血鬼たちに神と崇められる姫である。
「ふんっ」
されど無傷ではない。
アリオト達は少なくとも今のベネトナシュにとっては難敵だった。
吸血姫は鼻を鳴らし、ベッと口から砕けた歯と血の塊を吐き出した。
もはや人形に堕ち切ったアリオトらはレベル限界を超えている上にアリストテレスの技術で強化されており、吸血姫と言えど危うい領域にある。
腐りきってもアリストテレスの遺産は厄介。
その事実だけが彼女の前にある。
アリオト。
ベネトナシュをして今の彼の剣技は想像を絶する。
最初の攻防では圧倒していた彼女だったが、アリオトは即座にベネトナシュを殺すための剣術や剣技を作り出し、執拗に彼女を切り刻んでくる。
その学習速度は彼女をして認めるしかない。
剣鬼の顔は恍惚と歓喜に満ちており、不死身の四強を殺せる喜びに燃え続けていた。
彼女の肉を切り刻み、骨を断ち、血を失わせるたびに男は歓喜に震えている。
彼は、人を切り殺すことに明らかな快楽を見出しているのだ。
そして。
自分と同じ顔をした二体の吸血姫再現体。
奇妙な角を生やした者らは不愉快なマスク──【バルドル】を被る様が本当に不愉快なそれらは二体で一体という特異性を持っている。
片方を刻んでもその損壊はもう片方に転写され即座に修復される。
互いが互いの攻撃動作にモーションやスキルを重ねることで二重の判定が飛んでくるという厭らしさ。
剣鬼が動く。
いや、剣が動かすというべきか。
銀色の長剣、マリオネットはアリオトの右腕と完全に一体化しダイレクトに兵器群の演算した勝利への筋道を実行する。
アリオトの剣が、またひとつ進化した。
剣に全てを捧げ剣となった彼はルファスの前座としてベネトナシュを料理するのだ。
彼の斬撃はもはや「剣技」ではなかった。
一拍先ではなく千拍先まで見据えて動く。
ベネトナシュの筋肉が動く“意志”が生まれる、その前段階。
神経の微弱な電気信号、そこにすら先回りして刃が置かれる。
右腕と融合した剣が微かに震えるたびに剣線が走る。
未来を削り取るように紅い軌跡が奔る。
そのたびにベネトナシュの胸部の奥――心臓へと向かう直線軌道が描かれた。
アリオトは全ての人類種の事を勉強していた。
人間、ドワーフ、エルフにもちろん吸血鬼のことも。
お題はもちろん何処を切れば容易く殺せるか、だ。
その果てに天翼族のルファスを殺す為に彼はそれだけを勉強していた。
かつての勇者ラードゥンが達していた境地。
望むがままに、思うがままに全てを切り刻み殺す──その域に彼は至っている。
「……ちっ」
避けても避けても死線が張り付く。
剣を交えるごとに爪は欠け、血が滲んでいく上に一回ごとに彼の剣は洗練され続ける。
あと十回でも切り結べばもうベネトナシュの動きは完璧に読まれるようになるだろう。
かといって回避しても既にそこには剣鬼の刃が置いてあり、予期しない動きで吸血姫に裂傷を刻んでくる。
ハッキリ言って厄介だった。
更にダメ押しと言わんばかりに二体の吸血姫再現体が挟み込むように割って入った。
死人の如き青白い肌に銀の髪、全てが自分と瓜二つ。
そこに更にマスクめいた【バルドル】を被った自分の“偽物”だ。
ベネトナシュはコレを見ているだけでアリストテレスの悪趣味さに吐きそうになる。
誰がここまでやれといった。
確かに才能ある者が何をしようと自由とは言ったが、限度というものがある。
だが動きは本物以上に正確で無駄がない。
性能だけは本物だった。
彼女たちは二体で一体の“ユニット”として機能していた。
左が踏み込めば、右が鏡写しの様に攻撃を逆から重ねてくる。
そして片方を斬れば、損壊情報はもう片方のものとなり、即座に反転・修復される。
つまり多対一のセオリーであるまずは一体を落とすというセオリーが通じづらいのだ。
ベネトナシュは眉をしかめる。
(……転写しているのか)
いや、それ以上だった。
状態の共有、もしくは同化というべきか?
二体の動きが完全に重なる瞬間、周囲の空間がノイズのようにざらつく。
視界の端に赤いエラー文が走った。
現実の“解像度”そのものが崩れていく。
世界の理が書き換えられている。
まるで誰かが「この戦闘シーン」を編集しているように。
次の瞬間、準備は整ったと判断した再現体たちはソレを実行。
双体の吸血姫が両手の指を絡め合わせ、握り合う。
そして言葉の様で言葉ではない何かを呟いた。
すると空気が跳ねた。
世界に……“命令”が下された。
参考メモリー掌握。
実行せよ。
【SYSTEM】LIFE値書き換え要求
対象:吸血姫ベネトナシュ
参照権限:確認
演算結果:許可
LIFE VALUE……REWRITE
ベネトナシュの胸が冷たくなる。
何かが――彼女の生命の値そのものが操作されかけたのだ。
「ほう……?」
その身を莫大な魔力で守る彼女ですら、たしかに“何か”を奪われた感覚があった。
息が浅くなる。
脳が酸欠に近い錯覚を起こす。
(直接干渉してきた……?)
そんなまさかと普通ならば考慮もしない怪事。
しかしこの様な不可解な挙動をベネトナシュは知っている。
微かな硬直。
ベネトナシュは自分の身体に満ちる魔力を総動員し己に対する干渉をはじき返すべく覇気を高める。
だがそれは無視できない隙となっていた。
アリオトの剣が首を落とし、心臓を抉るべく迫る。
未来からやってきたような一閃が心臓を刻むべく踊った。
死が迫る。
まずは首を横から一線。
更にもう一撃返す刃で肋骨ごと胴体を心臓もろとも両断する剣線だ。
これが決まれば待つのは完全なる死である。
吸血姫である彼女ですら絶命に至る斬撃だ。
だが。
その刃が届く前にベネトナシュの姿が 消えた。
本当に消えた。
視覚情報からも、空間座標からも、
アリオトの未来予測で映る視界からも。
【TARGET CHECK】
no target
参照対象:検索中
参照先喪失
motion prediction:実行
motion prediction:破綻
それは単なるスピードではなかった。
彼女は、未来予測の認識外へ跳んだのだ。
未来さえ追いつけない速度だった。
次の瞬間、彼女は剣士の背後に立つ。
血の滴る指先でアリオトの首筋にそっと触れる。
剣鬼は反射的に振り返った。
「遅い」
アリオトの心臓が跳ねるより速く、ベネトナシュの膝が彼の腹を抉っていた。
首を落とさなかったのには理由がある。
明らかに彼の首筋と後頭部には天法による結界が展開されていたからだ。
生物の弱点を守るための保険は万全、というわけだ。
空間が遅れて破裂する。
音が追いつくのに三歩分の時間が必要だった。
アリオトの身体が弧を描いて吹き飛ぶ。
アリストテレスの技術で極限まで強化を施された肉体が軋む。
ナノ・ゴーレムが事前に金属に変化していてなお、彼の骨は一撃で4度砕け、その度に修復されていた。
激痛に翻弄されながら彼は悟る。
吸血姫ベネトナシュはまだ本気を出していなかった。
ルファスがそうであるように、彼女もまた力を温存していのだと。
そして今、もう一段階彼女は力を解放した。
双つの吸血姫が急いで援護に跳ぶ。
二条の影が同時に本物に襲いかかる。
その刹那、全員が同時にベネトナシュを見失った。
今現在兵器群がルファスを排し宇宙の圧縮を行っている故にこちらにリソースは割かれてないとはいえ、これは異常としか言いようがなかった。
彼女たちが見たのは“残像”だけ。
余りの速度にミズガルズの処理が追い付かず、ほんの刹那前の残像だけが世界に影の様に残っている。
そして次のコマでは、二体の吸血姫の腕が空中で舞っていた。
斬られた?
そうだ、切断されたのだ。
片方がもう片方の傷を引き受けるのならば、同時に倒せばいい。
彼女の主観では少しだけ速度を上げて、反応できずにアホ面を晒している面々に攻撃を加えただけだ。
そしてまだこの速力は天井ではなく、上限は遠い。
それでも既にベネトナシュの姿を誰も捉えられない。
一瞬で移動し、世界が、システムが反応する前に彼女は行動を終えている。
アリオトと再現体たちが、辛うじて視界の端に見える銀の閃光に翻弄され続ける。
世界そのものが追いつけない。
彼らが悲鳴を上げる前に、ベネトナシュは三歩先で既に次の攻撃を終えていた
淡々とした静かな声でベネトナシュは呟く。
銀の長髪が揺らぎ、薄く息を吐く。
アリストテレスとルファスという不愉快な師弟に目にモノ見せてやるためには彼女は努力を惜しまないのだ。
「私が……マファールを叩き潰すために、何の準備もせず座していたと思ったのか?」
単純な話だ。
ベネトナシュはレベル1800。
ルファス・マファールは4200。
倍以上の差がある。
レベルだけが全てとは言わないが、それでもこれは離れすぎだ。
短気で癇癪もちで自己中心的で傲慢だが、戦闘者としての彼女は何処までもクレバーだ。
このままでは勝てないと素直に認める器量はもっている。
故に彼女はレベリングをした。
祭壇の稼働によってミズガルズの地中を流れ続けるマナを己に取り込み、身体を作り替え、爪を研いだ。
「いい機会だ。貴様らで試してやろう」
微笑ながらここにきて初めて彼女は怒りや不機嫌ではない感情を見せた。
あたらしい剣を手に入れた剣士がウキウキとした顔で試し切りを行うような、そんな熱を帯びた笑みだった。
元より魔物に近しい吸血姫だ。
多少は獅子王や竜王より上品とはいえ彼女もまた力を振るう事を楽しむ側面がある。
ベネトナシュの周囲の空間が、青白く点滅を始める。
人間の認識を許さない速度で世界は明滅する。
アリストテレスから壁を撤廃された彼女はそれを憎んでいたこともあった。
誇りの塊のような彼女が他者から施された力というものを疎むのは当たり前である。
しかしもう、それは通り過ぎていた。
与えられていようと自分で勝ち取ったものであろうと力は力だ。
で、あるのならばそれを磨き抜き、己のものにするのだと彼女は考えを変えていた。
全てはあのふざけた男の影を濃く残すルファス・マファールに目にモノを見せてやるために。
彼女が少し力を高めればミズガルズの法則が軋んでいく。
本来あり得ない事が再び起きている。
歴史上、ここまで独力でこれたのはルファスと竜王のみだったというのに。
世界の中にあってはならない存在。
一つ目だけならばまだ良い。
実際は良くはないが、まだ規格外ということに収まる程度だ。
しかし二枚目さえも独力で破るというのはあってはいけないことだ。
あの魔王でさえパルテノスの補佐がなければできなかったというのに。
真っ赤な血煙の如きノイズが彼女の皮膚表面に走り――世界の方がずれた。
そして彼女のレベルが確定する。
その数値───2300。
この到達は単なる数値ではない。
ミズガルズという世界の体系が定める存在の枠の外。
その更に奥に立つことを意味する。
遥か昔、女神が定義した生命体系。
1000までが限度と彼女はそう定めた。
そして1000ごとにフィルターの様に幾つも壁を設けた。
しかしここにまた一人、二つ目を破壊した者が現れた。
理由? そんなもの簡単だ。
あのいけ好かないマファールをぶん殴ってやる。
上から目線で好き勝手ほざいた事を後悔させてやる。
ぼこぼこにしたあと、あのふざけた男の墓の前で勝ち誇ってやる。
たったそれだけの事の為に彼女は2000の世界に到達したのだ。
かつて敗れた竜王の座していた領域に彼女は進む。
魔王をしてパルテノスの補佐がなければ存在できない領域にたった一人で足を踏み入れた。
空間が揺れる。
時間が引き延ばされる。
観測者であるアリオトの未来視が暗転した。
理由は簡単だ。
単純に観測が追いつかないのだ。
どれだけ先の未来を読もうとしてもベネトナシュが少し本気で動けばそれはあっという間に過去に流れていく。
「これで二枚目。ようやく半分だ」
「……直ぐに追いついてやるぞ」
彼女は偉そうに人を見下すのもそれで終わりだと噛みしめる。
淡々とした声。
誇張も興奮もない。
それは本当に確認に近かった。
ルファスが既に4枚破っていることを知っている彼女からすればまだまだだ。
地面に影が落ちる。
それは彼女自身の影ではない。
速度による残像――でも、ない。
残像ですらない。
物理法則がついてこられず、彼女という存在をミズガルズがどう描写するか混乱しているのだ。
処理が落ちているというべきか。
アリオト/アリストテレスの未来視が走る。
膨大な演算能力にモノを言わせたこれから訪れる未来予測。
予言と言って差し支えないソレをもって彼は未来をカンニングする。
通常の演算では足りない。
故に脳を限界以上に活性化させ、身体に馴染ませたナノ・ゴーレムが悲鳴を上げる程にそれを補佐。
そこまでやってようやく彼はベネトナシュの未来を見た。
フレーム単位よりも更に細かい刻まれた時間の後に来る行動。
――まずは右へ跳ねてフェイント。
――ジグザクに動き左から爪を薙ぐ。
――そして背後へ跳躍後、魔法を発射。
その全てに“確度100%”の未来が視えた。
アリオトは刃を構える。
だが――ベネトナシュは動かない。
アリオトが不振に思う。
見たはずの未来が、来ない……?
次の瞬間。
未来視の中の三つの行動が、同じ瞬間に実行された。
実際には極限まで世界を分割してみれば連続して三つの動作を行ったに過ぎない。
しかし早すぎたせいで世界はソレの処理を追いつけない。
故に主観として見れば未来が一度に三つ発生したとしか見えない。
それをアリオトは受けた。
右肩を裂かれ。
左腕を断たれ。
背中を蹴り抜かれた。
迎撃の為に剣を振るうが、そこには既にベネトナシュはいない。
また、彼の剣は剣豪として最も恥ずかしい空振りを演じる。
全部同時で全部は致命的だ。
そして全部回避不能。
何をしたか?
簡単だ。
誰にも見えない速度で三つの行動を素早く行っただけだ。
ミズガルズの処理限界より素早く動く。
そうすることで全ての動作は同時に起きる。
意味が分からないかもしれないが、ベネトナシュにはソレが出来るのだ。
純粋な速力で彼女はもはやワープに等しい速度に達している。
(そんな馬鹿なっ……)
アリオトが内心でそう思ってしまったのを誰が責められる。
俺は剣の為に全てを捨てた。
剣士ではなく剣に成り果ててでもルファスより強くなりたかった。
この時代を象徴する星になりたかった。
なのに、ルファスどころか彼女の劣化ともいえるベネトナシュに押されている。
その現実が彼をたまらなく狂わせた。
(俺はここまでやったんだぞ)
(何もかも兵器群に作り替えられて、人ともいえなくなった)
アリオトは全てを捨てたと思っていた。
父母から受け取った健康な体は無茶苦茶に弄り回され、剣士としての腕は剣と一体化し、思考さえも委ねている。
屈辱だった。
自分で考えて剣を振るよりも、兵器群に考えてもらった方がいいと認めるのは。
しかし実際そっちの方が良かったのも現実だからアリオトは己で剣を振るのをやめて全てを委ねた。
なのに勝てない。
産まれた時からずっと超越種だったベネトナシュに勝てない。
俺はこんなにも努力し多くを捨てたのに、産まれた時から何も努力も苦労も挫折も知らない小娘に勝てない。
どうして。畜生。
ソレが彼の思考の果てにあった言葉だった。
アリオトの身体が地面に叩きつけられるより速く、ベネトナシュは着地していた。
指先で埃を軽く払う仕草のあとに彼女は寸評する。
銀の剣を軽蔑するように彼女は見つめている。
剣王は動かない。
余りにあっけなく彼は意識を失っていた。
「人形風情が私の命に届くと思うなよ」
次に双体の吸血姫が同時に稼働する。
二体は同じ生命だ。
同じ魂であり完全に同じ行動をとる。
そして極めつけに同じ判定を共有している。
二つで一つ。
ゆえに“隙”が存在しない。
意識伝達の際に生じるロスがないのだ。
右腕と左腕が無意識に連携するように、双子は完璧に統率された動きが出来るのだ。
片方が攻撃。
片方が防御。
両方が同時にヘルパーとして状態を操作。
【SYSTEM:LifeSet】
対象:敵性個体
HP値:1へ固定
【SYSTEM:ProjHitOverride】
投射命中処理:上書き
防御判定:破棄
DAMAGE ROUTE……FORCED
理不尽なシステム攻撃が発動しようとした――その瞬間。
二体の胸に同時に穴が空く。
どうやって?
誰も見ていない。
どの攻撃ログにも残っていない。
ただ結果だけが存在した。
いや、攻撃を終えた後に処理が追い付いてくる。
血飛沫も散らない。
ただ“結果”だけが世界に刻まれる。
双子は倒れず、呻き声もあげない。
表情も変えないが、血を唇の端からあふれさせた。
ただ事実としてその部位が存在しなくなった。
ゆっくりと二体は首を傾けた。
理解ではなく、確認。
己のボディが欠損したという事象をただ淡々と認識するだけの動き。
「気に入らん面だ」
「私はこんなに醜悪だったか?」
鏡があれば確認したいところだが、生憎ここにはない。
ベネトナシュの声は淡々としている。
自分を模した人形の姿を軽蔑の宿った瞳で見ていた。
蒼い瞳の自分に、二度と見たくはないと思っていた不快極まりないマスク。
全てがアレを思い出す。
もう殺せない。
殺して奪いたくて支配したかった男の影を。
ベネトナシュは根に持つ女だ。
執念深く、何処までも面倒な粘着性が彼女にはある。
彼女の中にはまだアリストテレス卿の影が残っている。
ぶくぶくと泡立ちながら修復を終える吸血姫たち。
ベネトナシュはあえてそれを待ってから大地を蹴った。
爪が振るわれた。
一閃。二閃、三閃。
余りに鋭利な爪撃に音すら起きなかった。
双子の首が同時に落ちる。
その顔は同じ様に現状を認識さえできていない。
悲鳴/恐怖はなく抵抗すらない。
二つの頭部が床に落ちるより先に、ベネトナシュはもう別の場所へいた。
疑似ワープであった。
しかしそれは瞬間移動ではない。
単純な速度の積み重ねだ。
世界が処理を諦めて、位置情報が連続して破れているだけだ。
「まだだ」
双子の首が落ちていく。
地に転がるはずの頭部は、しかし途中で止まった。
世界が処理を挟み込めず、落下の軌跡そのものが途中で千切れたように曖昧になる。
双子は死んでいない。
無表情のまま、修復スクリプトが起動する。
【self-repair.exe】
起動確認
rebuild pattern:吸血姫モデルβ
修復基準:同期個体参照
同期対象:個体A ↔ 個体B
同期状態:強制接続
損壊情報:取得
転写経路:確立
損壊の相互転写開始
DAMAGE SYNC……ACTIVE
肉が泡立ち、組織が糸を紡ぐように編まれ、修復されていく。
ベネトナシュは、それを見て静かに呟いた。
「……本当に気に入らん面だ」
声は怒りではない。
静かすぎて、かえって底が見えない。
吸血姫はわざわざ相手の再生を待つほど慈悲深くはない。
殺すと決めた。殺すと宣言した。
故にやる。
ベネトナシュが地を蹴る。
その動きは、音をも残さない。
あまりに速すぎるものは空気すら震わせない。
爪が一閃。
双子の胴体が三つに増えた。
正しくは、三つに見えるほどに細切れになった。
更に更にベネトナシュは爪を振るう。
執念深く、念入りに、これらが復活できない程に切り刻み続ける。
片方の損傷をもう片方が引き受ける?
ならば両方同時に死ぬまで殺し続けてやるというのが彼女のやり方だ。
「治して見せろ、そういうのは得意なのだろう? 私を模したのだ……やってみせろ」
内心でもう一言だけ続ける。
実際に彼女はコレをやられたことがある故にそこには実感がこもっていた。
“あいつならこんな無駄口をたたく前に私の身体は砂に代わっていただろう”
執拗にベネトナシュは己の偽物を解体し続ける。
肉片、骨、血液。
それらは本来飛散するはずの軌道すら与えられず、空中で同時に“消滅”していく。
しかしここまで刻まれようと双子はまだ死んでいなかった。
彼女たちの戦術が世界の底から這い戻る。
見えない“強制操作”がベネトナシュの生命値を書き換えようとする。
だが。
その行為はベネトナシュの逆鱗を踏み抜いた。
ザザザザと砂嵐まみれの記憶の中で蒼い瞳をベネトナシュは幻視した。
「小細工ばかり、本当に貴様らは───」
奴はいつもそうだった。
どれだけ思いをぶつけようと決して受け止めようとしない。
人の心と思いから逃げ続けるふざけた男だった。
その癖実力だけは本物だというのが最悪に質が悪い。
吸血姫が虚空に向けて爪を振るう。
そこには何もないが、ナニカはあった。
「小賢しい!」
文字列が次の瞬間には裂かれていた。
ベネトナシュが爪を振ったからだ。
一瞬だけ彼女の瞳は本人も気づかない内に蒼く輝いた。
そして、ナニカが切断された。
空中を切ったのではない。
兵器群のシステム領域を切った。
復元データの断片がざらついたノイズとなって四散する。
幾度繰り返しても無駄だった。
故に改めて双子が吸血姫の背後で再構成される。
一度霧に変化し一から再構築。
ナノ・ゴーレムの金属皮膜が瞬時に身体を覆い、硬度と反応速度が指数関数的に跳ね上がる。
超鋼の外骨格。
魔力障壁。
徹底的にベネトナシュの猛攻撃に対して適応した姿だ。
しかしベネトナシュは一瞥すらくれなかった。
「そんなモノに意味があると思っているのか?」
その瞬間、彼女たちは再び両断された。
双子の金属皮膜が、チョコレートのように裂けていった。
ナノ・ゴーレムはベネトナシュの爪に触れた瞬間、何の抵抗もなく切断された。
双子の身体が一息に“肉塵”となる。
細切れでは足りない故にこの表現だ。
それはもはや 分子霧。
ベネトナシュはそれを見てまるで何の感慨もなく囁いた。
「まだだと言った」
その声と同時に再生がしぶとく続行される。
回帰。
逆算。
再生。
しかしその全てを吸血姫はこう言ってのけた。
邪魔だ。
ベネトナシュはそれすら叩き潰す。
爪が一閃するたび、過去形も未来形も問答無用に斬られていく。
双子の肉塵が空中でざらつきながら再び形を取り戻していく。
濁った肉片がざらつきながら空中で再結合を試みる。
分子単位まで細切れにされたというのに諦めていない。
なお再生ログが走るのはアリストテレス兵器群が持つ世界の根底に干渉し書き換えるシステム規模の権能のためだ。
だが再生が完了する前に、ベネトナシュの姿が“二度”揺らいだ。
一度ではなく二度だ。
一瞬のうちに二つの位置に“同時に”存在したかのような錯覚。
それを可能にしているのは、世界の処理速度の限界を踏み越えた軌跡の重複だ。
攻撃速度が速すぎて今の破損したミズガルズと極点の処理が追い付かない故に可能な完全同時攻撃である。
双子の身体が完成前に再び剥がされる。
肉の断面すら形成されない。
組織が組み上がる前に、その形がざくざくと切り裂かれる。
何とか形を得ようとした双子の肉体が形成前にまた剥がされる。
皮膚が生まれる前に裂かれた。
骨が組まれる前に粉砕された。
双子は何も言わない。
悲鳴も怯えも、感情もない。
ただ、“処理が間に合っていない”という無機質な沈黙がそこに残るだけ。
ベネトナシュは動きを止めず、淡々と呟いた。
「遅すぎるぞ」
その言葉は処理のログよりも早く世界に刻まれる。
そして、双子の身体が初めて完全に形を戻した瞬間。
ベネトナシュは もう背後にいた。
双子の目が認識するより前に。
双子の反射スクリプトが働く前に。
双子の世界座標が更新される前に。
一閃。
二閃。
三、四、五――。
数では数えられない。
空間そのものが刻まれ、
双子は一歩動く間もなく連続して粉砕され続けた。
さながら耐久試験の様だ。
黒い金属質の血が霧散する。
それさえも再生の材料にしようと双子の細胞が蠢くが――。
ベネトナシュは静かに手を翳した。
放たれたのは魔法ですらない。
名も持たない、制御も加工もされていない純粋な魔力波。
世界そのものを削り取る濃度の暴力。
「吹き飛べっ!!」
触れた瞬間――双子の残片は、消し飛んだ。
跡形なく。
ログさえなく。
戻る先すらない完全な断絶。
ただベネトナシュの足音だけが響いた。
彼女はアリオトなど眼中にない様に空を見上げた。
放たれる不快な波動が脳を揺らすが彼女はそれをはじき返した。
狂い切った強度の自我を持つベネトナシュに【ケバルライ】は通じない。
正確にはもう一つ理由があるのだがソレは今は関係ない話。
蒼く染まった空。
世界が一転の核へと縮み続けている。
「……」
急速に空が裂けた。
裂け目の向こうから現れた“ひとつの影”が、ゆっくりと逆さに落ちてくる。
女神と同じ輪郭と顔。
死人のような蒼い瞳。
そして背からは───黒い翼。
ルファスの因子を取り込み、進化した証だ。
これにも例外なく被せられているのはおぞましい【バルドル】の仮面。
これがアリストテレスの支配下にあるという証明だ。
マナ・キャンサー・オブジェクト。
女神再現体――そのうちの一体。
ポルクスを通して産み落とされた異形にして神への冒涜だ。
ソレは今、宙の向こうで増殖し、最適化され、強化され、いまここへやってきた。
コレは意志ではなく凍り付いたような冷たい命令で動く。
彼女は音もなく空中で半回転し足をついた。
地が、その瞬間だけ拒絶するように震えた。
大地が汚染され黒く澱む。
物質とマナと空間。
ただあるだけでこれらはそれらに癌を転写し拡散させていく。
ソレがミズガルズに触れたということはつまり、遠からずミズガルズもコレに呑まれるということだ。
ベネトナシュは爪を軽く弾き、
口元だけで薄く笑った。
背筋を走るのはかつて感じたことがある寒気。
「……良い。
まだ試し足りなかったところだ」
その気に入らないマスクと翼を叩き壊してやるとベネトナシュは駆けようとして──。
血が飛び散る。
真っ赤な鮮血が、いきなり、何の脈絡もなく。
ベネトナシュは胸の奥に走った違和感を最初は痛みとして認識できなかった。
肋骨が軋む感覚。
内側から、何かが押し広げてくる圧。
次いで温度が失われる。
死んだとき生命からは急速に熱が消えていく。
ベネトナシュが味わうのは正しくソレだ。
「か、は、ぁ……?」
視線を落とし、彼女はようやく自分の胸元を見た。
そこから生えている。
白く、しなやかで、神性すら感じさせるその腕が。
ベネトナシュは茫然とした顔で己の胸元を見つめていた。
そこから肋骨を砕き内側から生えていたのは細い女の腕──マナ・キャンサーの腕だ。
まるで内側から孵ったように女神の細腕は吸血姫の中から出現し、鼓動を続ける心臓を鷲掴みにしていた。
目の前のマナ・キャンサーの右腕は肘から先が消えていた。
彼女はコテンと頭を右に倒した。
グチャ、と水袋でも潰すような音が耳の奥でくぐもって響く。
自分の心臓が握りつぶされる光景を最期に見て、彼女の視界は暗転した。