ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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人類の“からにこもる”!

 

 

覇道十二星天は正しく英雄だった。

ルファスが選び鍛えた彼らは本当によく頑張ったといえる。

数えきれないほどの攻防の果てにアロヴィタイトで構築されていたエル級を窮地に追い込むという大戦果を上げていたのだ。

 

 

レベル1000を超える存在を相手にする前提の怪物をたかがレベル1000で破壊するのは正しく偉業だった。

 

 

半壊、いや、大破まで追い込まれたソレの内部構造はむき出しになっており、骨格に値するアロヴィタイトは不規則に発光を繰り返していた。

まるで心臓の鼓動の様に不規則に脈打つソレはまだ力強く、完全な破壊/機能停止まではまだ余力があるのが伺える。

 

 

 

「はぁ……ハァ…………!!」

 

 

 

アリエスが苦悶の声を上げて何とかここまで追い込んだエル級を見上げていた。

蒼いアロヴィタイトの恐竜は十二星天の完璧ともいえる連携でその質量の6割近くを破壊され、辛うじて立っている状態だ。

しかし厄介なのはそれでも倒れない事と、少しでも時間を与えたらここからでもこの怪物は自己再生する点だ。

 

 

 

───冗談じゃない。いい加減に倒れろ。

 

 

 

十二星天の想いは一つだった。

恐らくはあのレオンでさえそう思ったことだろう。

 

 

 

周囲を旋回する無数のアルゴナウタイたちはエル級以外の兵器群を相手取っており、中にはこの戦いで死んで直ぐに英霊化したものもいる。

無尽蔵にして無限の物量はじわじわと兵器群との拮抗の天秤を優勢に傾けている。

 

 

 

(何とかなった)

 

 

 

アリエスは油断はせずとも直感的にそう悟り十二星天の大切な同志たちに意識を向けてその状態を確認する。

とりあえず十二星天は全員生存しているのを確認し小さく息を漏らす。

 

 

ただし無傷ではない。

中には重傷を負っている者もいる。

 

 

最も深い傷を負っているのは、レオンだった。

エル級に何度も突っ込んではその度に痛烈な反撃を受けた彼は既にパルテノスの天法で何度か蘇生を繰り返していた。

何とかは死なないと治らないというが、彼は死んでもプライドを手放す気はないらしい。

 

 

 

巨大な躯体は地に伏し、胸が上下するたびに血と熱が混じった息が漏れる。

肋骨は何本も折れ、内臓も無事ではない。

それでも彼は牙を剥き続ける。

 

 

俺が負けを認めない限り俺は負けていない。

つまり俺はまだ負けていない。

そんな理屈で彼は動いている。

 

 

 

とうに砕けた四肢で震えながらも巨体を立ち上がらせ、血ぶくに塗れた涎を零して獅子王は唸る。

 

 

 

「雑魚どもがァァ…………」

 

 

 

声にならない声。

憎悪と気に入らない現実に対する憤怒が彼を満たす。

 

 

 

 

 

 

 

リーブラが飛行ユニットを用いてアリエスの隣に降り立つ。

アンティークな銃を装備した彼女は虹色羊に状況を報告する。

正式なマスターであるルファスがいない故にリペアによる修理は出来ないが、それでも友軍のアルケミストによってある程度は直してもらえたのだ。

 

 

スキルによって一瞬でパパっと治すのではなく、文字通り手作業で彼女は壊れたパーツを入れ替えたのである。

ゾディアックにはそういった腕のいい職人もいたのだろう。

かつてのミザールと同じく、兵器群の下請けに成り下がったプルートから逃れてきたドワーフなどが。

 

 

 

「稼働率68%。戦闘行動に問題ありません。戦線に復帰します」

 

 

 

「無理はしないでね。ゴーレムはパルテノスの天法でも治せないんだから」

 

 

 

壊れたら終わり。

ゴーレムとはそういうものだ。

頭かどこかにある記憶を保存する場所さえ無事ならば何とかなるだろうが、それでも基本は壊れる=死だ。

 

 

 

「畏まりました」

 

 

無言でリーブラは頷き、そのあと一瞬だけ視線を何処か別の個所に向ける。

理屈ではなかった。

そこにいる彼女のもう一人の敬愛するマスターに向けて視線を返しただけだ。

 

 

その視線が一人のドワーフをアリストテレスと女神の糸から完全に解き放ち行動を起こさせていた事を知るものは誰もいない。

解放されたとあるドワーフは走り出していたが、兵器群は追いはしない。

眼中になく、興味もないからだ。

 

 

 

 

その視線の意味に気づいていたアリエスだったが、彼はそこには何も言わない。

変わり果てたミザールではあるがリーブラにとっては変わらず大切な人なのだろう。

 

 

 

戦線の後方では、カストールが血に濡れたコートを揺らし指揮を続けていた。

激痛に悶えていた妹を庇いながらも指揮を止めず、英霊と兵器群の激突を調整し続けてようやく勝利が見える場所まで趨勢を運んだのは彼だ。

代償として無理に無理を重ねたせいで視界は何度も暗転しているが、それでも彼は歯を食いしばる。

 

 

 

しかしそんな彼でも妹──ポルクスに比べれば遥かにマシだろう。

光の妖精姫は幾度も血反吐を吐き、大地を掻きむしり、発狂するほどの苦痛に襲われても気を失う事さえ許されていなかった。

仮に気絶してもその瞬間に激痛で意識が直ぐに呼び戻されるのだ。

 

 

そのまま発狂して壊れてしまえばいいと兵器群は考えていた。

余りの苦痛で自我を捨て、存在することをやめてただの天力として霧散してくれればいいと。

 

 

仮にそうなればエル級に率いられた軍団はアルゴナウタイの援護を失った十二星天を蹂躙し、そのままパルテノスを殺害することだろう。

 

 

そうなってしまうとルファスは聖域の乙女の持つマナ消去の術を使えなくなり、マナ・キャンサーに対する数少ない有効スキルを失ったルファスもまた死んでいたはずだ。

 

 

 

しかしアリストテレスに誤算があったとすれば思っていたよりも彼女には根気があったということだろうか。

ポルクスは脂汗にまみれ、身体を折り曲げながらも英霊を呼び出すことをやめない。。

マナ・キャンサーから送り込まれた“痛み”は、未だ神経を焼き続けているというのに。

 

 

 

 

「……っ……まだよ……!」

 

 

喘息の様な惨めな息を漏らし、美しい蜂蜜色の髪を脂汗でぐちゃぐちゃに乱しながら、彼女は絞り出すように吠えて更に数千のアルゴナウタイを召喚する。

 

 

 

どれだけ痛くても死んではいない。

私が送り出した人たちはこれ以上の苦痛を味わって死んだ。

そんな私がたかだか痛み程度で根を上げるなど許されないのだとポルクスは天力を振り絞っていた。

 

 

 

過保護な兄や英霊に守られて生きていたお姫様。世間知らずのお人形。

女神のお気に入り。不愉快きわまりない詐欺師。

話のタネに事欠かないであろう魔神王との雑談は楽しかったか?

 

 

たまには自分の手足を動かしたらどうだ?

 

 

 

それがアリストテレスのポルクスへの評価であった。

直接出会ったこともない者に色眼鏡をかけて扱き下ろせば認知は歪むのも当然か。

兵器群はポルクスに痛みを与えれば即座にスキルも解除し戦意を喪失すると考えていたようだが、現実はこれだった。

 

 

 

ポルクスという女は誰もが考えている以上に芯は頑強で折れなかったのだ。

 

 

 

 

そして。

 

 

 

時間がかかりすぎているとアリストテレスは判断した。

マナ・キャンサーがルファスを葬る方がこのままでは早くなりそうだ。

十二星天の健闘は兵器群の計画を2%ほど遅延させるという効果をもたらしている。

 

 

 

 

だが、この程度の惑星上の戦闘にもはや意味はない。

たかだかレベル1000かその上程度のスケールの戦果など体勢に影響はない。

ただし、このままでは邪魔なのも事実だ。

 

 

 

 

 

吸血姫の無意味な暴走も。

魔王の矜持も。

十二星天のしぶとさも、全て無意味だ。

 

 

 

空気が変わった。

 

 

 

それは爆発の前触れでも、殺気でもない。

もっと根源的なこの戦場そのものが「不要」と判断された瞬間の、冷たい切り替えだった。

 

 

 

“もういい”

 

 

 

 

言葉にすればそれが近い。

 

 

十二星天の連携は確かにエル級を追い詰めていた。

その事実だけは揺るがない。

だが同時に兵器群は理解していた。

 

 

これ以上、付き合う意味がない。

蒼い巨体の内部で、不規則に脈打っていたアロヴィタイトが一斉に沈黙する。

次の瞬間、それは逆に――整然と、揃って輝き始めた。

 

 

再生……いや、これは限定的な修復ではない。

あえていうならば“補給”もしくは“供給”だった。

 

 

マナ・キャンサーが収奪した女神の宇宙。

そこから引き剥がされた膨大なエネルギーが、距離も時間も無視して流れ込む。

 

 

 

世界の裏側から押し寄せるような“力”によってエル級の欠損部が瞬時に埋め戻されていく。

 

 

 

砕かれていた骨格。

焼き切られていた装甲。

削ぎ落とされていた質量。

それらが“あるべき姿に”戻っていく。

 

 

 

理不尽?

勿論その通り。

アロヴィタイトとはそういうものだ。

 

 

 

再生は一瞬で終わった。

あまりにも早すぎて、誰一人、息を整える暇すらなかった。

 

 

そしてエル級は――腕を掲げた。

 

 

 

その動作に力感はない。

重さも、怒りも、誇示もない。

ただ、命令を実行するための最短の挙動である。

 

 

 

同時に座標が跳ねた。

蒼い巨体が地表から消え、次の瞬間にははるか上空に存在している。

 

 

 

 

無造作にエル級の掲げた腕の先に、光が生まれた。

最初は点だった。

星の瞬きほどの小さな輝きだ。

 

 

 

だがそれは、呼吸一つ分も経たないうちに膨張を始める。

 

 

恒星一つ分。

いや、違う。

それは「恒星に匹敵する」などという比喩で済むものではない。

 

 

複数だ。

正真正銘、複数の恒星が無理矢理ひとつに押し込められていくような異様な密度。

蒼白い光が、腕の周囲に層を成して重なり、渦を巻き、際限なく肥大化していく。

 

 

 

光なのに、眩しくない。

目を焼くのではなく、視界そのものを埋め尽くしていく。

 

 

 

空が白くなる。

いや空が見る見る内に塗りつぶされていく程に巨大なエネルギーの塊だ。

 

 

 

十二星天は誰一人として声を出さなかった。

叫びも、罵倒も、指示もない。

ただ、それぞれが本能で悟っていた。

 

 

 

終わらせに来たのだと。

これは攻撃というよりは隕石が降ってきて全てが死に絶えるといった類の災害に近い。

災害に対して幾ら祈ろうと何の意味もない。

 

 

 

星を終わらせるための動作は続く。

既にミズガルズ人類の収容は完了。

殆どの者───共同体の総人口、その7割以上はミズガルズを捨て去った。

 

 

 

本当に残念だが残りの3割はここで故郷と共に消えてもらう。

それが兵器群の出した最適解だった。

何せこの後、ルファスを葬った後に彼らには本命の仕事がある。

 

 

 

彼らはこの後の仕事として極点と女神を削除しなくてはならない。

全宇宙の全文明がそれが属していた時間軸や可能性事消え去るが仕方ない、全ては人類を守るための犠牲だ。

ミズガルズ人類以外は彼らは考慮しない。

 

 

 

特にもう一つの地球という世界は必ず滅ぼさなくてはならない。

 

 

 

アリエスの喉が無意識に鳴る。

彼は元は弱者である故に誰よりも危機察知に優れている。

そのせいで判ってしまった。

 

 

 

タウルスの拳が音を立てて軋む。

アレを砕けるかどうかと自問自答し奥歯を噛みしめた。

あれは複数のエネルギーをパイ生地の様に幾層にも分けて圧縮している。

 

 

一つか二つ砕けて幕引きできたとしても、次のエネルギーに焼かれて終わりとなるだろう。

つまり彼にはどうしようもない。

 

 

それが彼の今の限界だった。

 

 

サジタリウスの指が、弓弦からわずかに離れたまま固まる。

プラン・アリストテレスの蒼い瞳とその冷たい目線を彼はエル級の背後に幻視した。

震える指で彼は葉巻を取り出し火をつけて咥えた。

 

 

 

ミズガルズの最期に味わう煙は味がしなかった。

 

 

 

アクアリウスは歯を食いしばる。

クソっと吐き捨てる。

道具としての自分に誇りを持つ彼女は余りに理不尽な暴力を振るうエル級に徹底した拒絶の視線を向ける。

 

 

 

それだけの力があるのに、それだけの技術があるのにこんな事しか出来ないのかこいつらは、と憤った。

 

 

 

スコルピウスは唇を噛んだ。

怨嗟のうめきを上げる事だけが今の彼女に出来る唯一だった。

 

 

 

パルテノスは祈りの言葉を飲み込んだ。

エル級から発せられる純粋なる神の気配は聖域の乙女をたじろがせるに値するものだった。

あの光に彼女はこう言われた気がした。この裏切者め、と。

 

 

それでもと乙女はエル級とそれを構築する純粋な女神の力を見つめた。

私は後悔していない。

世界の苦しみを見て見ぬふりをして、女神の人形として生きていく方がずっと嫌だったから。

 

 

 

 

光は、まだ膨張している。

 

 

 

蒼白い神聖さを帯びたそれ。

慈悲でも、裁きでもなく、ただの圧倒的な暴力が堕ちてくればどうなるかは……誰の目にも明らかだった。

 

 

 

「…………あぁ」

 

 

 

終りか。

 

 

決定的な言葉を誰かが絞り出すように呟いた。

そして───エル級は動きを止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人類最大の帝国であったクラウン帝国の首都マルクト。

あれだけ活気に満ちていた帝都は今やもぬけの殻と化していた。

100万を超えた人々で賑わっていた帝都の大通りには今やだれも歩いていない。

 

 

 

人の声がない。

足音がない。

風に乗って運ばれるはずの生活の匂いすら、ここには残っていない。

 

 

百万人を超える人々が行き交っていた帝都の大通りは、完璧なまでに整然と伸びている。

石畳は砕けてもいない。血も落ちていない。

争いの痕跡も、逃げ惑った形跡も、何ひとつない。

 

 

ただ、誰もいない。

 

 

広場に設えられた噴水は止まったまま、水面は澱み、空を映していた。

その水面を揺らすはずだった子どもたちの笑い声はなく、腰掛けるはずだった老人たちの影もない。

遊具は整然と並び、ベンチは磨かれたまま、まるで「次の来訪者」を待ち続けているかのようだ。

 

 

公園の木々は青々と葉を茂らせている。

剪定は行き届き、枯れ枝も少ない。

それが却って不気味だった。

自然だけが取り残され、人間という存在だけが、切り取られたように消えている。

 

 

 

興行施設の大扉は開いたままだ。

舞台装置も、幕も、照明も揃っている。

だが客席は空で、空気だけが重く溜まっている。

拍手も歓声も、期待に満ちたざわめきも、すべてがここには「存在しなかったもの」のようだ。

 

 

 

ホールの廊下には、落とし物ひとつない。

慌てて逃げた様子もない。

ただ、使われるはずだった場所が、使われなかったまま放置されている。

 

 

 

住宅街に足を踏み入れると、よりいっそう寒気が背を這った。

何万と並ぶ民家。

窓は割れていない。扉も壊されていない。

 

 

 

洗濯物が干されたままの家もある。

食卓に並べられた皿が、そのままの家もある。

火を落とし忘れた暖炉はなく、焦げ跡もない。

 

 

「途中」で止まった痕跡だけが、整然と残されている。

 

 

まるで、世界から人だけが選択的に削除されたかのようだった。

 

 

巨大な建造物群も同様だ。

行政庁舎、研究施設、軍事関連の建物。

かつて帝国の中枢だったそれらは、沈黙の塊となってそびえ立っている。

 

 

塔の上には旗が掲げられたままだ。

王冠を象った紋章が、風に揺れている。

それが、なおさら滑稽に見えた。

 

 

 

クラウン帝国。

「王冠」を意味する名を持ち、世界の頂に君臨した国。

すべてを覆い、すべてを統べるはずだった帝国。

 

 

この空白には明白な理由があった。

クラウン帝国は、奪われたのだ。

 

 

もとよりこの帝国は、当時のアリストテレス卿が築き上げた「資産」の一部だった。

かの一族は人類のために技術を与え、制度を整え、帝国を発展させた。

 

 

だが、役目は終わった。 

アリストテレス曰く、「役目を終えたパーツは消え去るべき」だ。

後片付けはしっかりと行わなくてはならない。

 

 

 

だから兵器群はもういらなくなった帝国を片付けたのだ。

アリストテレス兵器群は、クラウン帝国に貸し与えていたすべてを回収した。

 

 

利子付きで。

容赦なく。

一瞬で何もかもを回収した

 

 

 

人では決して持ちえない無機質な冷ややかさがそこにはある。

 

 

 

人々は抵抗しなかった。

逃げ惑う暇すらなかった。

いや、全ては自分で選んだのかもしれない。

 

 

 

世界の真実───この世界は女神だけが楽しむ舞台であると知らされた者たちは舞台から降りることを選んだ。

 

 

 

兵器群が放った【ケバルライ】

そして【一致団結】

 

 

肉体は溶かされ、精神は分解され、存在そのものが薄められていく。

 

 

それは殺戮ではない。

虐殺でもない。皆が望んでやったことでさえあった。

そう、近しい言葉を探すのであれば解脱だった。

 

 

不幸と絶望に満ちた世界からの脱却、ある意味では希望だ。

 

 

これはいわばミズガルズという世界への見切り。

つまらくなった遊戯から退去するように、人々は“外”へと消えていった。

 

 

苦痛はない。

恐怖もない。

しかしささやかな歓喜はあった。

 

 

もう二度と自分たちは女神に弄ばれなくて済むという安堵も。

 

 

兵器群にとって、それは「処理」だった。

不要になったデータを消去するのと同じ行為。

 

 

千年以上続いた帝国も、

百万の人生も、すべてが一瞬で終わった。

 

 

 

 

しかし全てではない。

帝国は確かに終わった。

だが──玉座にはまだ一人の人間が残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

玉座の間は完全なる静寂に満ちていた。

 

 

広大な空間だ。

本来ならば、貴族の列が並び、軍靴の音が反響し、謁見を待つ者たちの息遣いが満ちているはずの場所。

だが今は、玉座の前に敷かれた赤絨毯さえ空虚を強調するための装置のように横たわっている。

 

 

その玉座に、男は座っていた。

クラウン帝国皇帝ボレアリス。

 

 

二メートルを優に超える巨躯。

鎧を着ていなくとも分かる、戦うために鍛え上げられた肉体。

帝国最強のグラップラー。あのルファスでさえ称賛した武王。

 

 

 

かつては、竜すら地に伏せたことのある腕。

だが今、その巨体は玉座に沈み込むように静止していた。

 

 

「……静かだな」

 

 

 

低く、掠れた声。

それは誰かに向けたものではない。

ただ、現実を確かめるための独り言だった。

 

 

視線の先には開け放たれた大窓があった。

そこから見えるのは、蒼く染まった空。

雲の流れさえ歪み、世界がどこか遠くへ引き延ばされているような不吉な色だ。

 

 

 

あの空の下に、百万の民がいた。

笑い、怒り、働き、愛し、悩みながら生きていた。

 

 

 

居たのだ。

 

 

 

「………………」

 

 

 

拳を握れば、簡単に玉座を砕ける力がある。

だが、その拳は震えもしなかった。

怒りすら今は湧かない。

 

 

ボレアリスは名君だった。

少なくとも、そうあろうと努めてきた。

 

 

 

帝国を広げたわけではない。

だが、帝国を腐らせなかった。

民の声を聞き、兵を無駄死にさせず、クラウンという「王冠」を重さとして理解していた。

 

 

 

竜王との戦いにおいても彼は一度は人類を裏切ろうとしたが、それでも理性的な判断を下すことも出来た。

常に最善を考え、帝国の発展と維持の為に身を粉にしてきたのだ。

 

 

 

それでも――足りなかった。

最善程度ではあの二つの怪物を抑えることなど、とても。

あの日、マルクト近郊で兵器群の観艦式を行った時点でもう彼には何もできなかったのだ。

 

 

 

 

アリストテレス兵器群。

人類を導く人類を覆いつくす(ネット)

今やその網は回収された。

 

 

 

その中に全人類という成果を収めながら。

 

 

 

対してルファス・マファール。

太陽の如き黄金の覇王、力で世界をねじ伏せる存在。

 

 

その二つの巨大な流れの間で彼はただの皇帝だった。

選択肢など何もなかった。

たかが人の皇帝などでは神話の怪物の狭間では無力だった。

 

 

 

兵器群に抗えば帝国は壊れる。

兵器群に従えば帝国は消える。

そして覇王にとって帝国はただの守護対象でしかない。

 

 

 

彼には選択肢は最初からなかったのかもしれない。

 

 

 

「飾りにもなれぬ皇帝、か……」

 

 

 

兵器群とメリディアナはとうの昔に彼を軽んじていた。

あの観艦式での態度を見れば誰だってわかるというものだ。

それを知りながら皇帝は何も出来なかった。

 

 

たった一人の魔女に彼は負けたのだ。

 

 

自嘲が喉の奥で潰れた。

その時、玉座の脇で控えていた男が一歩前に出た。

 

 

 

 

 

 

「陛下」

 

 

 

一人の騎士。

名をアルフェッカという。

 

 

かつてフェグダとドゥーベが務めていた砦にいた騎士だ。

彼の背筋は真っ直ぐだった。

この帝都が空になる直前まで彼は街を走り回っていた。

 

 

つまり、目の前で次々と消えていく人々を見ていた。

彼自身も誘惑を受けたが、それを何とか跳ねのけていた。

そしてそれは彼だけではない。

 

 

クラウン帝国は全人口の99%以上を失ったが、1%は消えていない。

断固たる意思でアリストテレスの言葉を跳ねのけミズガルズを捨てなかった人々がいる。

 

 

「私は今や皇帝ではない……全てはもう終わったのだ。アルフェッカ」

 

 

「いいえ。――終わりではありません」

 

 

即答だった。

迷いはない。

それが、ボレアリスには少し眩しかった。

 

 

 

「帝国は終わりました。ですが、人類は終わっていません」

 

 

彼は拳を胸に当て、言葉を続ける。

 

 

「兵器群の誘いを拒んだ人々もいます。

 消えなかった集落も、隠れて生き延びた者たちも、確かに存在しています」

 

 

「……知っている」

 

 

 

ボレアリスは目を閉じた。

大きく息を吸って、吐く。

ほんの一瞬で人類の半数以上が消えたという事実は重い。

 

 

 

「だからこそだ、

 守れた命があったからこそ、守れなかった百万を考えてしまう」

 

 

「思えば私たちはアリストテレスに頼りすぎたのかもしれんな。

 たった一つの機構に全てを委ねるというのはこういう事だ」

 

 

 

数代前のアルカス帝と同じことを彼は言えなかった。

余計な事をするなアリストテレス、と。

全ては人類が共同で背負うべき願いだった。

 

 

だがそれはとても大変なことだ。

誰もが責任を持ち、未来を考え、少しでも明日を良くしようと考えて動くのは……はっきり言えば面倒なことだ。

そして人類の大半はその面倒なことをしたくないと願ってしまった。

 

 

だが人々が全て悪いわけではない。

ミズガルズの者たちは多かれ少なかれ学習していたのだ。

女神アロヴィナスが齎す“明日の幸福のための絶望”というルールを。

 

 

 

 

 

この世界ではどんなに努力し成果を上げても神の意志で踏みにじられる。

どれだけ良いものを作り上げようと、女神の気分一つで全ては台無しになる。

兵器群が明確な形にせずとも人々はそれを察しており、学習した無気力を発症していたのだ。

 

 

ミズガルズ各地にある古代の文明の遺跡。

それらは全て先人たちの努力の証であり、踏みにじられた墓標であった。

明日の為に自分たちの手でより良い世界を作ろうとするたびにアロヴィナスは人類の敵を作り上げ、蠍の毒で文明を埋葬し、時には大規模な自然災害を誘発させて文明をリセットし続けてきた。

 

 

 

人々の無意識にはこういう思いが根ざしていた。

“どうせ無駄だ”と。

この世界は一部の主役の為にある。

 

 

モブなんて努力しても無駄。

存在する価値はなく、アロヴィナスが愛するのは輝かしいメインのキャストだけだと人々は判っていたのかもしれない。

 

 

 

だからそういう面倒なことは誰か凄い存在──ルファス・マファールや兵器群がそういうことをやってくれないかな、と思ってしまったのだ。

その人類の陥穽をメリディアナはこれ以上ない程に利用しつくした。

 

 

 

強大な力を持ち、無限の物資に人知を超えた叡智。

未来を見渡すほどの演算能力に文句ひとつなく人々を守り導く機構。

魔女の語る兵器群はあまりに都合が良すぎた。

 

 

 

ルファス・マファールが全て正しかったとは言わない。

しかし彼女の語った「甘えるな」という言説はこの未来が見えてしまったからなのだろうか。

 

 

 

アルフェッカは、一瞬だけ唇を噛んだ。

彼は知っている。

彼はほんの短い期間だが、メリディアナと行動を共にしていたこともあった。

 

 

その時に感じたあの薄ら寒さ。

あれを見逃してはいけなかった。

 

 

あの老婆の瞳。

笑みの奥にあった底抜けの虚無はミズガルズでは珍しくはない。

しかし虚無を抱いたままここまでやる者は普通は存在しないが、あの老婆はやり遂げた。

 

 

 

「……私も、後悔しています」

 

 

アルフェッカの声が、少しだけ震えた。

あそこであの者を切り捨てていれば、まだ違う未来があったかもしれない。

 

 

 

「止められたかもしれない。

 気づいていたはずなのに、何もできなかった」

 

 

「それは違う」

 

 

ボレアリスは、ゆっくりと騎士を見た。

兵器群が本格稼働する前から帝国に忠誠を尽くし、竜王との戦争においても戦い続けた忠臣を。

 

 

 

「お前は剣を持ち人類の為に戦った。

 それ以上を求めるのは酷というものだ」

 

 

 

騎士としての仕事をアルフェッカは成し続けた。

故にボレアリスは王としての仕事をを投げだしはしない。

まだまだやるべきことは多いと彼は知っている。

 

 

皇帝は立ち上がった。

巨躯が玉座から離れ、静かに床に立つ。

 

 

帝国はここで終わった。

だが人は終わっていない。

ここから先の未来はきっと人類にとっての苦難の時代となるだろう。

 

 

しかし、滅んではいない。

蒼い空を、正面から見据える。

 

 

「王冠は堕ちた。だが……我々は生きている」

 

 

 

それは、弱音でも強がりでもない。

ただの事実だった。

 

 

「もう帝国はない。

 しかし……まだ生きている民がいるのであれば私がやる事は一つだ」

 

 

拳をゆっくりと握る。

竜さえ屠ると言われた剛腕が何とちっぽけなことか。

 

 

アルフェッカは、深く頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

ここからは現実的な話になる。

彼らが何をしようとしているか、だ。

実のところ人類共同体には、最後の手段が用意されていた。

 

 

 

それは英雄譚でも、奇跡でもない。

剣でも魔法でも、覇王の力でもない。

ただの避難計画だ。

 

 

もしも。

本当に、万が一。

人類という種そのものが滅亡の縁に追い込まれた場合。

 

 

 

文明を捨て、国境を捨て、誇りを一度すべて床に置き、生き残ることだけを最優先するための計画。

 

 

準大陸集約計画。

 

 

大陸と呼ぶには小さく、島と呼ぶには大きすぎるかの土地。

それでいて複数の安定地盤を束ねた巨大な生活圏。

外敵から隔離しやすく、資源循環を最小限で成立させられる、「生きるためだけ」に最適化された土地。

 

 

ヴァナヘイムやリュケイオン、ミョルニルにプルート、ユーダリルまである密集地帯。

そこにすべての生存者を集める。

 

 

貴族も平民も、兵も農民も、学者も奴隷もない。

王もいなければ、帝国もない。

あるのは、数と、命と、限られた空間だけだ。

 

 

 

文明は縮小される。

都市は消え、摩天楼は不要になる。

コンパクトに無駄なく人々は集められる。

 

 

 

そうすることで人は残る。

皮肉な話だった。

この冷徹で、実務的で、感情を排した避難計画を設計したのは他ならぬアリストテレス兵器群だったからだ。

 

 

 

彼らは人類を守るために作られた。

だからこそ、人類が「守れなくなった場合」の手順も最初から用意していた。

 

 

プラン・アリストテレスがプルートの地下に広大な資源生産施設を用意したのもコレを見越していた節がある。

最悪の場合、これがあれば人類は生き残れるように。

 

 

 

国家が崩れた時。

英雄が倒れ、覇王ですら敗れた時。

 

 

その時に最優先されるのは――種としての生存。

理想でも、正義でもない。

続かせるという一つの目的。

 

 

その為に必要なのは管理できるほどに全てを小さくするということだ。

 

 

 

情がないからこそ書ける救済の形だ。

今、人類はそれに縋るしかなかった。

クラウン帝国が消えた今、この計画が必要とされる時が来たのだ。

 

 

残るか。移動するか。

誇りを持ったまま死ぬか。

すべてを捨てて生きるか。

 

 

準大陸は楽園ではない。

幾らプルートがあろうともそこには資源の不足があり、制限があり、争いも起こるだろう。

 

 

それでも滅亡は避けられる。

魔神族は決して人類を滅ぼさない故にどれだけ死のうと0にはならない。

 

 

 

蒼く歪んだ空の下で、誰かが最後に灯を消さないための場所へとボレアリスたちは生存者を集め始める。

 

 

皮肉な話だ。

彼らが行くのは人類を追い詰めた存在が用意した人類最後の逃げ場なのだから。

 

 

 

 







どうして世界はこんなにも苦しみに満ちているのだろう?



────???、最初の疑問。
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