ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
暑すぎて動けなくなってたのと、何か違うなと思って書きなおし続けてました。
来週は普通に土曜日に更新できそうです。
瞬くのは蒼い光だった。
それは無限に奥行きを感じる深淵の中で輝き続けている。
しかしそれも永遠ではない。宙が更に治り始め、光が薄れていく。
見えているのは世界が引きちぎられた結果露出した“裏側”である。
女神が魔法を発動し宇宙を創る前にあった下地というべきスペースだ。
マナ・キャンサーが暴れ、宇宙膜が傷ついた結果、その元のどこでもない場所が露出している。
この裂創の向こうにだけ、蒼い光の存在する箇所に繋がる“道”が今だけ出現していた。
だが、その裂創も縫われていく。
縫う針も糸もないが、女神が必死に力を送り込んで世界を再構築しているのだ。
それを兵器群のリペアが補い世界は急速に元の姿に戻っていく。
世界は自分の皮膚を撫でるように、欠けた部分を滑らかに整えて修繕を繰り返す。
引きちぎられた縁が、互いを探し当て、吸い寄せられ、重なりながら密着していく。
それはまるで生物の皮膚の再生過程に似ていた。
癌から解放された極点はまるで生命の様に自分の世界を直していく。
ようやく倦怠から解放されたアロヴィナスはいまだふらつきながら治れ、治れと極点で騒いでいた。
時間は余りない。
ルファスは王としてミズガルズに戻り、最後の決着をつける必要がある。
ディーナが企てた計画の通り、彼女はアリオト達に敗れる必要がある。
ディーナは既に動き出している。
前もって見繕っていた丁度いいエルフに精神誘導をかけて諸々の仕込みを作っている筈だ。
……計画通りだ。
全てはルファスとディーナが思い描いていた通りに動いている。
ただし、本当はここまでルファスは追い込まれる筈ではなかった。
ハッキリ言えば彼女は本当の意味で敗死するところだった。
あと数秒兵器たちが動いていればルファスは死んでいた。
全ての予定を狂わせたのはアリストテレス兵器群だった。
最後の最後まで彼女は彼に届かないという現実がある。
判っていたはずだった。
リュケイオンから飛び出せばそこはプランの保護から外れた厳しい世界が待っている事など。
250年以上世界を見続けて来て決してミズガルズは綺麗なだけの世界ではないとルファスは判っていた。
少しでも良くするために人類共同体を彼は作り運営していたはずだった。
それでも拭いきれないほどの数えきれない死や理不尽が世界には蔓延っていた。
竜王の様な理由のない邪悪が存在することも知っていた。
そんな世界を変えたくて、自分の様な思いをする人を一人でも減らしたくて、ルファスは走っていたはずだった。
竜王を葬り、国を得て共同体の盟主の座を奪い取った。
そんな彼女の前には常に一つの壁が立ちふさがり続けていた。
アリストテレス。
プラン・アリストテレスの残した夢の残骸、彼らの世界への拒絶の権化。
兵器群を指揮していたのはルファスが救いたかった人々の成れの果て。
兵器群が世界を拒絶し、歪み切った理想郷を作ろうとした原因は自分を守るため。
ルファスの未来を守るという目標を設定されたソレは彼女に牙を剥き、世界を滅ぼしかけた。
それらはルファスさえ殺そうとした瞬間に全てが停止してしまった。
彼女は敗北さえ取り上げられたのだ。
負ける事さえルファスには許されない。
死ぬ間際にまで追い込まれた末に「これはなし」とその結果さえ踏みにじられた。
「───ふざけるな」
彼女のゾディアックは、もうない。
兵器群は彼女の民さえ容赦なく回収した。
全てではないが、国家として存続することは不可能なほどに民たちは消えてしまった。
女の人生は全てがプラン・アリストテレスによって保護/歪曲させられていた。
兵器群がかつて語った通り、ルファスの作ったゾディアックも配布した果実も、全てはアリストテレスの遺産の再利用でしかない。
彼女が座っている玉座さえもだ。
何て酷い一人芝居か。
ずっとルファスはアリストテレスの作った鳥かごの中で踊り続け、最後は国を奪われ、敗北にさえたどり着けない。
これがどれだけ彼女のプライドをずたずたにすることなのか、それは本人にさえ判らない。
「何が謝罪だ……っ!」
──もう一つ謝りたい。自分は貴女に対して幾つもの間違った対応をしてしまった。
──きっとルファスから見た自分は距離感も弁えない無礼者に映っていた筈だ。
脳裏に焼き付けられた言葉が勝手に再生される。
まるでゾンビの様に足取りはおぼつかない。
足元に【エクスゲート】で足場を作り、それを踏みしめながら目指す。
虚空に小さく輝くソコはまるで暗黒天体の様で、近づく度に本能が危機を伝えてくる。
あの黒は重力によって空間が歪んでいるのではない、もっと根本的にそもそも色が存在しない、未知領域の色だ。
そこに近づいてはいけない。
そう判りながらもルファスは徐々に足を速めた。
死に近づいていると判りつつも止まらない。
項垂れながら、絶望と希望を同時に抱きながら、そして何より怒りながら進む。
ルファスは必死に虚空に足場を刻み続けた。
【エクスゲート】が吐き出す薄い踏み台は、彼女の意思の形だった。
どれほど空が拒んでも、彼女は前へ出る。
最初は歩き、徐々に歩は早くなり、最後は本気で駆けた。
しかし光さえ超えて接近しているのに近づけない。
アレはあくまでもそう見えているだけで、ルファスが何とか観測できているだけで、実際は三次元には存在していないものだから。
届かない。
むしろ、彼女が一歩進むごとに、世界のほうが一歩だけ先に処理を終えていく。
宙は修復されていく。
孔は無慈悲にふさがり光はみるみる陰った。
──罪滅ぼしという訳ではないけど、大丈夫。ルファスが戦わなくて済む様に準備はしておいたから。
──しっかり稼働すればずっとルファス達を守ってくれる頼もしい奴らさ。
蒼い光へ向かうたび、脳裏で何度も言葉が再生された。
謝罪。
罪滅ぼし。
準備。
守ってくれる。
まるで自分の怒りの芯を、わざと突いて折ろうとするみたいにそれらは繰り返される。
いつだってそうだった。
まず第一歩の方向から間違える事が多く、変に頑固なせいでそれを認めようとしない。
その癖、結果だけは押し付ける。
これが最善だと言い張る。守ると言い張る。
女神とは違った種の人を見ないアリストテレスの悪癖。
「……“準備はしておいた”だと?
兵器群。
人類/ルファスを守るためのソレは最悪の形で進化し世界を滅ぼしかけた。
その全ての根底にあったのはルファス達を守れという命令と、この世界へのプランの拒絶だ。
記憶の中にあるオオカミたちの家に帰れという目線がルファスを貫く。
ここには誰もいない。
もう何もない。
誰にも見られることがないという事実が後押しした。
この数年間溜まりにたまった念がついに限界を超えて彼女の口からあふれ出ていた。
敗北と屈辱と憤怒と悲嘆。
おおよそ人が感じられる全ての負のソレを注がれた彼女はもう限界だった。
どれだけ藻掻いても常にこういうことをしてくる。
勝ちや負けではない。
ルファスのやる事を全て妨害し、挙句には台無しにしてくるのだ。
女は歯を食いしばって進んだ。
喉に残る指の冷たさ。肺の奥の焦げ。
砕けた肋骨の鈍痛。遅延に引き裂かれた感覚の歪み。
治ったはずなのに痛みはまだ消えない。
永遠に欠けたままの胸の空洞。
幻肢痛がルファスを苛む。
──自分たちは出会うべきではなかったかもしれない。
最も身勝手で最も当然の言葉が彼女を最後に内側から焼いた。
「─────っ!!!!!」
声にならない叫びをルファスは上げていた。
今まで築き上げていた覇王としての在り方、言動、態度、その全てが弾け飛び取り繕いのない彼女が顔を覗かせた。
彼女はズタズタに世界を壊した兵器の微かに残る残照を指して叫ぶ。
「何が!! “悪かった”だ!!!」
「こんなモノを残して何が贖罪だッ!!」
瞬く間に極点全域に拡散し宇宙を消費し女神の世界全てを消し去らんとした兵器はおぞましいとしか言いようがない。
まるで子供が喚き散らすような、平時の彼女を知るものが見れば唖然とするような癇癪を爆発させた姿でぶちまける。
「いつもそうだった!!
好き勝手に動き回って、自分の所業がどれほどの影響を世界に与えるか考えもしない!!」
かつて“ ”はルファスに「高レベル存在として自覚を持ってほしい」と諭したことがある。
彼女にそんな意図はなかったとしても周囲の環境に影響を与えてしまうほどにルファスの持つ力は大きいのだと。
しかしそれはそっくりそのまま“ ”にも当てはまっているとルファスは糾弾する。
レベル云々という話ではない。
その発想と技術と行動力。
アリストテレスというある種災厄染みた存在としての自制を明らかに彼は欠いていた。
その結果がこれだ。
滅びかけた宇宙に滅んだ国に、彼女と彼女の仲間は死にかけた。
その上に今度はまるで神の様な傲慢さをもって彼女から戦いの決着さえ奪い取った。
あと薄皮一枚の所から懐かしい気配がする。
黒翼の形状が幾度も変形し、茨の様な触腕となって追いすがるが届かない。
あと一枚、されど一枚だ。
女神の世界の裏側。
極点の誰も認識できていない領域は余りに遠い。
しかし、そこにいる。
ルファスはもう限界でも、あちらからあと数歩踏み出せば会えるだろう。
そして絶対に一歩を踏み出さないのが■■■という存在だった。
むしろ一歩下がった。
そのせいで光が消えていく。
ルファスがどれだけ願おうと、求めようと、絶対に応えようとしない。
あの時と同じだった。
純粋に死んでほしくない、生きていてほしいといったのに言葉を駆使してごまかそうとした時と。
世界を崩壊させ、ルファスの尊厳とプライドをぐちゃぐちゃにし、彼女が守りたかった人々を収奪したモノはここにきて逃げていた。
「出てこいっ!!! 逃げるなァッ!!!」
生涯最大の屈辱と悲嘆に焼かれながら、ルファスは駆ける。
駆けて、駆けて、駆けて――それでも届かない。
瞬く間に世界の裂傷は修復されていき、消え去ってしまう。
「顔を見せろっ!!!
そこから引きずり出してやる!!!!」
手を伸ばした先で光が薄れていく。
休息に小さくなるソレは自然現象というよりは、もうルファスを見る必要がなくなり目を離した生物の様であった。
最後に残った蒼が細くなる。
そして傷は閉じてしまい、ルファスはもう追えなくなる。
宙は滑らかだ。
傷など最初から存在しなかったみたいに、宇宙膜は無慈悲に整っている。
兵器群の戦いは、本当の意味で終わった。
いや、終わらせられた。
世界の修理と一緒に、騒乱は片付けられ、痕跡は消え決着は奪われた。
最もルファスが嫌う敗北より酷い最後だった。
声にもならない絶叫が宇宙に響いた。
断末魔よりもなお酷い、勝利も敗北も戦いの意味も全てを奪われた声だった。
太陽の光が戻る。
修復されたミズガルズの、健全すぎる日が彼女を照らす。
熱も音も届かないはずなのに、その光だけがやけに現実的で、ルファスの輪郭を容赦なく照らし出す。
彼女は消えない傷をまた一つ負った。
肉体ではない。
彼女の中にある大事な部分にまた一つ跡が残った。
傷つけられたのはプライドだった。
今この瞬間、彼女は本当の意味でベネトナシュの気持ちを知った、理解させられた。
最後に見えたあの光が何なのかは判らない、生きているかもしれないという一種の現実逃避かもしれない。
一瞬だけ吸血姫との問答が脳裏を過ぎる。
──おい。……奴は本当に死んだのか。
──亡骸は確認していない。
あの化け物の事だ。案外どこかで生きているかもしれないぞ?
あり得ない話だ。
竜王との戦いは250年以上前、たとえ勝っていたとしても人間では生きられない時間だ。
だが、とルファスは考えてしまった。
ポルクスのスキルは死者を呼び戻す能力だ。
それに応じないということは死さえ超えた域に落ちたのだとルファスは今まで思っていた。
だがこれは、もしかしたら逆という可能性も……いや、あり得ない事だ。
しかし、もしも、本当に……。
拳を握る。
爪が掌に食い込んだ。痛みがある。
その痛みがひどく惨めだった。
負けた上にこんな事を思う己の弱さと不甲斐なさがたまらなく気持ち悪い。
─────。
いらない考えをルファスは頭から追い出した。
ルファスはその場で息を整える動作をした。
吸う。
吐く。
当然、空気はない。
肺に何かが満ちることもない。
鼓動がそれに応じて落ち着く理屈もない。
それでも彼女は、吸って、吐く真似を繰り返した。
激情家としての自分を抑える。
心が暴れそうな時、ルファスは魔物としての自分が抱く熱を認識してソレを抑え込んだ。
そして人として自分の内側にだけ残っている平常心を必死に再起させた。
吸うふりをするたび喉の奥が痛む。
吐くふりをするたび叫びの残滓が胸を掻きむしる。
――落ち着け。
――今は、落ち着け。
まだ終わっていない。
やるべき事は残っている、最も大事な事が。
そう命じる相手は誰でもない。自分だ。
覇王としての自分に、このままではいけないと命じている。
だが命令は通りにくい。
心だけが遅延して、感情が後追いで噴き上がってくる。
周囲には誰もいない。
敵も味方もいない。
彼女がこの戦いで得た結果は一つだけだ。
即ち置き去りだ。
彼女はまた置き去りにされた。
怒りを吐き、叫びを吐き、それでも吐ききれないものが残る。
悲嘆と屈辱。
それが喉の奥で重たく固まり、言葉にならずに沈む。
ルファスは震えた。
怒りで震えているように見えるかもしれない。
実際、怒りはあったがそれが全てではない。
怒りの熱が燃え尽きた後の、冷たい灰。
そこに残るのは、ただ一つ――届かなかったという事実への執着だ。
だがもう一つ残酷な事実がある。
それは世界は待ってくれないという事実だ。
彼女がどれだけ弱さをさらけ出し、過去の妄執に落ちようとも今は未来に進み続けている。
ルファスは最後に一度だけ宙を睨みつけた。
閉じた縫い目は、何事もなかったように滑らかで蒼い光はもうどこにも見えない。
ルファスは振り返る。
そこにあったのは蒼い星、彼女が愛するミズガルズだ。
彼女には計画がある。
ミズガルズに戻らなければならない。
アリオトたちの前に姿を現し決着をつけるための茶番を双方合意の上で演じなければならない。
必要な敗北を、必要な形で差し出さなければならない。
ベネトナシュは、蒼い瞳でにこやかに笑っていた。
正確にはこういう時の為に用意しておいた「保険」のアリストテレスだが。
ようやく外に出れた彼女は本当に楽しそうに地獄の様な流星に満ちた空を見上げていた。
視線の先の空では兵器群の残骸が次々と機能を失い、流星のようにミズガルズへ落ちていく。
燃えながら墜ちるそれらは、つい先ほどまで世界の命運を握っていたものの末路にしては、あまりにも静かだった。
終焉というより、舞台の幕引きであるならば全ては静かに終わるべきだろうが。
だいたいの脚本の流れを彼女は読んでいた。
おおかた女神の考えは兵器群とルファスの共倒れと、次の時代の幕開けだろう。
アリオトたちは残るだろうが、彼ら程度ならばどうとでもなる。
また一つ、巨大なアルゴー船が墜落し崩壊し大爆発している。
此処まで地響きが伝わりベネトナシュは微笑んだ。
まあ、よくある光景だ。
役目を終えた舞台装置が、ただ順番に片付けられていくような、冷えた光景。
女神の世界では良く見られるお片付けの眺めだ。
その光景を眺めながら、彼女はくるりと顔を傾けてミザールを見る。
その仕草だけならどこにでもいる可憐な少女のものだった。
春の木漏れ日の下で花冠でも編んでいそうな、柔らかく、軽やかで、何の害もなさそうな笑み。
けれど中身は違う。
あまりにも違いすぎて、ミザールは目の前の存在を“誰か”として認識することさえ、半ば放棄しかけていた。
彼女はベネトナシュの身体を使いながら、ベネトナシュでは絶対にしない笑い方をしていた。
ベネトナシュの唇で、ベネトナシュなら絶対に選ばない軽さで言葉を紡ぐ。
その一つ一つが、他人の家に土足で上がり込んだまま、悪びれもせず鼻歌を歌っているような不快さを持っていた。
「とってもいい出来だと思っていたのだけど、こういう事もあるのね。
ちょっと融通が足りなかったみたい」
「当代に代わり正式に謝罪するわ。今回の件は私たちの失態。
全ては仕上げる前に動いてしまった作品の誤作動が原因ね」
「全ては人類守護の為。
その為に人類最大の敵である女神さまの排除を優先しすぎてしまった結果よ」
深くスカートのすそを掴んで頭を下げる。
ごめんなさい。
そして。
次はもっと良いやり方でやる。
アリストテレスは必ず女神を葬る。
必ずだ。何があろうと、どれだけかかろうと。
口調は柔らかくそこにあったのは本気の誠意だった。
責任を感じているようにも聞こえるし、言動は己の非を深く詫びいるものだった。
だが、そこで言われている“出来”が何を指しているのか、ミザールは理解してしまっていた。
あれだけの惨劇を引き起こし、世界を食い荒らし、人類の半数以上を消し飛ばし、女神すら狂乱させかけたあの兵器群を彼女は“出来”と呼んだ。
しかも、それをちょっとした不具合を惜しむように、少し困った玩具を見つめる子供みたいな声で。
頭を下げている動作だってきっと「人はこういう時こうするのだろう」という経験からやっているに過ぎない。
「でも聞いてほしいの。まさかこうなっちゃうなんて私たちも予測していなかったわ」
「本気で当代はあの子の未来を守りたいと思っていたし、私たちもそのためにアレを組むのに手を貸したのよ」
最初は当代の閃きだった。
ここをこうして、こうすればと無限に湧いてくる発想で兵器群の設計図を描いていた時だ。
ふと、こうすれば女神と極点を葬れるのではないかと閃き、それを歴代が補佐して出来たのがアレだ。
マナ・キャンサー。
女神と極点を糧に増え続ける癌。
ミズガルズ人類のみを存続させる第八の人類だ。
彼女はふふ、と喉の奥で笑った。
笑い方まで本当に軽く冷淡だ。
悪意を見せびらかすような笑みではない。
本当に、そう思ったから笑っているだけなのだとわかる。
その“だけ”が恐ろしい。
コレは全てに対してそう接するのだから。
アリストテレスは皆そうする。
「戦いなんて下らないと思わない?
この世界での争いはぜーんぶお空の上の女神さまを喜ばせているだけなのに」
目線を少しだけ「上」に向けて そこにいるキラキラした女神さまを冷ややかに見つめる。
こんな浮世離れした言動と雰囲気を纏いながらそこだけは変わらないらしい。
彼女も女神が嫌いで仕方ないのだ。
「でも同時に驚いてもいるわ。
“良い世界を作る”なんて、ふわふわした話を本気で信じちゃう人がこんなにいたなんて」
彼女は空を見上げる。
落ちていく兵器群の残骸、遠くで修復されていく空。
もう誰にも止められない形で整っていく世界。
それらを眺める目は、観察者の目だ。
自分が関わった現象を検証する、ただそれだけの目。
彼女もまたアリストテレス。故にその視野を持つ。
兵器群の誘ったミズガルズからの解脱計画。
それに人口の大半が乗った事実を彼女はたったいま軽く笑い飛ばした。
いや、実際笑い話だ。
ルファスや兵器群に分け与えられるだけ全てを恵んでもらって、その上さらには具体的な形の判らない「良い世界」に飛びつくなんて。
ミズガルズの人々は自立心が薄く、少し考えれば判ることも判らない思考が中ば停止した者らではあったが、ここまで愚かだったとは。
彼女たちはミズガルズの人々を嫌ってはいない。
ただ見下しているだけだ。
信じていないと言っても良い。
だって何万年も世界を好き勝手している存在を神と崇めているのだから。
自分たちがしっかり補佐して技術を高めてあげて、あらゆる意味で下駄を履かせてやってようやくスタート出来るのだと見下している。
だからこそ彼女とアリストテレスはルファスを好ましくも思っていたのだ。
己の手で世界を変える、女神を葬ると邁進するルファスは正に理想的な
「創造主である当代だって、結局それが何なのか判らなかったのに。
兵器群が判るはずもないでしょう?」
「きっと誰も考えたことがないのね。ずっーっとされるがままだったもの。可哀そうよね」
くすくすと、彼女は笑う。
絶対にベネトナシュがしないような、無邪気で、残忍で、どこか愛らしい笑い方だった。
花びらが風に揺れるような軽さで、人の倫理を踏み越えていく。
倫理を「そういうもの」としてわかってはいるが、自分はいいやと乗り越えてしまうのが彼女たちだ。
ミザールは何も言えなかった。
言葉が出ないのではない。
出しても意味がないと、理屈ではなく本能で悟ってしまっている。
目の前の女は、怪物だ。
戦闘能力が高いとか、特殊能力が規格外だとか、そういう種類の脅威ではない。
在り方そのものが人の理解から外れている。
人の言葉を使い、人の身体を借り、人のように微笑んでいるのに、その内側にある思考回路が人間のものと少しも噛み合っていない。
わかりやすい悪意ならまだ怒れられるし、傲慢ならまだ気に入らないと吐き捨てられるだろう。
だが彼女は、そういうものではないのだ。
言葉は通じるし会話も可能だ。
知的で温和で魅力的な外見をしている。
だが相互理解は不可能だ。アリストテレスとはそういうものだから。
本当の意味で妖精めいている、とミザールは思った。
もしもポルクスが知ったら怒り狂う表現だろうが、そう思った。
人の村を燃やしても、それを“綺麗だった”で済ませてしまう類のもの。
踏み荒らした花畑の持ち主が泣いていても、どうして泣くのかわからないまま首を傾げるもの。
だって必要だからそうしたのだ、無駄に悪意からやったわけじゃないのにどうして怒るの? と心から口にする類の存在。
必要なこと。
仕方のないこと。
いわば、コラテラル。
彼女たちにとってはそれで終わりなのだろう。
アリストテレスは常にそうだ、プランさえ含めて。
死者の数や女神の錯乱も。
世界中にばら撒かれた混乱も。
兵器群に回収された人々の犠牲も。
なにもかも全ては女神を倒すための試行錯誤の一つだった。
そしてその試行錯誤はまだ終わっていない。
アリストテレスはまだ諦めていない。
今回はダメだったが、次はもっと全ての問題点を修正しより正確にやってみよう。
その程度の考えでしかない。
「でも、あの女神さまが慌てふためく様は面白かったと思わない?」
ぱっと声を弾ませて、彼女はまるで舞台の感想を語るように言った。
彼女からすれば気分の落ち込んでいるミザールを元気づけるための話題を見つけたといったところか。
「何とかして、何とかしてって、すごく必死だったの。
ねえ、貴方は聞こえたかしら?
あんなふうに取り乱すなんて、やっぱり自分の世界が大事なのね!」
「そうかよ……」
ますますミザールはベネトナシュの言葉に顔を顰めた。
可愛いだと? 数えきれない人が死んだのに?
その一言で、ミザールの背筋を冷たいものが這い上がる。
女神の狂乱を見て、彼女は面白がっていた。
しかも、同情も皮肉もなく、ただ純粋に珍しい劇でもみたように。
ミザールは沈黙するしかない。
この女と会話を成立させようとすること自体が、もう間違っている気がした。
人類の半数以上が消えた。
自分たちの罪も、アリオトやメグレズたちの後悔も、ルファスの敗北寸前の姿も、全部がこの存在に繋がっている。
それなのに彼女はそのすべてを見世物か、おもちゃの壊れ方か、観察記録の一頁のように眺めて微笑んでいた。
何なら、ベネトナシュの身体でさえそうだ。
自分の肉体のように当たり前の顔で使っている。
借り物という意識すら薄いのだろう。
気に入った衣服を羽織るのと同じくらいの感覚で、この身体を動かしている。
当代は人類共同体の維持と守護の為にベネトナシュを作り直し、その保険として自分を封入した。
で、あればコレは当然の事でありまっとうな権利とさえ思っている。
「それに、あの子の成長を見られたのはとてもよかった」
声色が、ふっと柔らかくなる。
先ほどまで女神の狂乱を笑っていたのと、同じ喉、同じ唇、同じ表情のまま。
“あの子”というのはもしかしてルファスの事か? とミザールは思った。
「あんなに泣いてた子が、あんなふうに立派になってるのを見ると本当に嬉しいものね」
「当代の見立てが正しかったのは間違いなかったわ」
プラン・アリストテレスは最後のアリストテレス卿だった。
彼は他者への愛情を知ってはいたが、自分がそれを与える事も受ける事もないと割り切っていた。
それもまた当代の選択であると全てのアリストテレスは納得し、同時にこれ以上血を重ねることのデメリットも知っている故に無理な繁殖を急かす事もなかった。
女神を葬る一家にとって劣ったアリストテレスは存在を許されない。
ましてや色々と胎児の段階で血を弄ったプランが子供を作ったら次代には何らかの不具合が生じる可能性も高い。
彼らにとって子作りとは究極の責任の発生である。
劣った能力に障害をもって産まれるかもしれない子供など作るべきではないというのが彼らの大抵の者の意見だ。
子供を作るならば最高の素養に最高の環境、そして何よりも愛が必要である。
そして愛というのは我が子というだけで無限に湧くものでもなく、そこには一定の育て甲斐というのも必要とされるのだ。
そんなときに現れたのがルファスだった。
黒翼の天翼族というだけで珍しかったが、彼女の素養は彼らをして想像を絶するほどだった。
レベル4200の上に何より今の世界を否定しているのが素晴らしい。
あと数年、彼女とプランが共にあったのならば……あわよくば68代目が産まれたかもしれないのにそのチャンスを逃したのは痛恨だった。
「彼女が望むのなら、正式に私たちの後継者になれたのに……勿体ないわ」
言いながら、彼女は本当に少しだけ目元を和らげた。
そこだけ切り取れば、年の離れた親類の成長を喜ぶ優しい姉のようにも見える。
けれど、それが誰に向けられているのかを知った瞬間、その優しさは別の意味になる。
お気に入り。
そう呼ぶのが近いのだろう、とミザールは思った。
愛情ではない。敬意でもない。
もっと一方的で、もっと勝手な、所有欲にも似た関心。
当代の内にいたころから、彼女はずっと見ていたのだろう。
泣いていたころ。弱かったころ。何もできず、それでも立とうとしていたころ。
ルファスの母への愛。
可哀そうなよくある生い立ち、彼女の執着と当代へと向ける愛。
そして当代から彼女に向けられた過保護な願いと思い。
その全部を彼女たちは覚えていた。
面白がりながら、可愛がりながら、ずっとずっと。
成長したルファスを喜ぶ気持ちに嘘はないのだろう。
本当に嬉しいのだ。
自分が見ていた幼子が、ちゃんと強くなって、美しくなって、期待以上に育ったことが。
だが、その喜び方はやはり人形、もしくは優れた作品を愛でる者のそれだった。
タスクがプランを心から愛したのと同種である。
「凄いと思わない? レベル4200よ、4200!
しかも色々とオリジナルのクラスも持っているみたいだし……どうやったのかしら?」
「もしかして何処かから鍵でも手に入れて……あら、確かにあの子は私たちの愛するべき古巣を襲ってたわね」
何かに気づいたアリストテレスはうんうんと頷く。
あぁ、なるほど。
パルテノスの所を、愛おしい故郷を攻撃したのならば、あそこで管理されていたモノを手に入れてもおかしくはないかと解決したようだ。
「あの子ったら、本当にすごいわ! 貴方たちじゃ相手にならないのは当たり前ね!」
彼女は誇らしげにそう言った。
まるで、自分が丹精して水をやった花の咲き方を褒めるみたいに。
ミザールは屈辱と同時にぞっとした。
ルファスという存在をこいつはそんなふうに見ていたのか。
苦しみも、選択も、敗北も、成長も。
本人が命を削って掴み取ってきたはずのものを、すべて“観察可能な成長記録”として整理していたのか。
「……お前は」
ようやく出た声は、掠れていた。
怒りでも恐怖でもなく、ただ理解不能なものに対して、人がやっと絞り出す種類の音だった。
彼女は、にっこりと笑う。
「なあに?」
首を傾げる仕草が、あまりにも無邪気だ。
悪びれる気配が微塵もない。
問い返すその声色には、本当に不思議そうな響きしかない。
どうしてそんな顔をするの?
どうしてそんなに怯えるの?
とでも言いたげな、澄んだ瞳。
兵器群の失態と失敗についてはもう正式に謝罪した。
ならば終わったことだ、怒られる問題ではないと考えていた。
彼女は、自分たちが恐ろしいと知ってはいるが、それを考慮しない。
アリストテレスは常にそうだ。
他者から自分がどう思われるかを計算し、理解しながらも止まらない。
必要だからやった。
それが常に彼らの言い分だ。
必要だからベネトナシュの家族を犠牲にした。
必要だから兵器群を設計した。
必要だからミズガルズを吹き飛ばそうとした。
そして、その過程で死んだ者たちを、きっと本気で“気の毒ね”くらいには思えるのだろう。
でも、その先が彼女たちにはない。
そこで全て終わる。
人ならばその先に続く罪悪感やそれに準じた感情は全く湧いてこない。
精々が気の毒で終わってそれっきりだ。
「言い忘れてたけど、貴方も本当にすごいわ」
突然、彼女はそんなことを言った。
「最後にちゃんと自分を取り戻したものね。とっても綺麗で偉い!」
綺麗。
またその言葉だ、とミザールは思う。
彼女にとって、人の努力も、絶望も、折れそうになりながら戻ってきたことも、まず“綺麗かどうか”で整理される。
美醜の基準で倫理を踏み越える。
花の咲き方を見るように、人を上から目線で見てくる。
「でも、次はもう少し器用に生きた方がいいかもしれないわね。
ドワーフさんたちのそういう所は好きだけど」
たしなめるような、優しい口調だった。
まるで傷だらけで帰ってきた子どもを見て苦笑するような響き。
その言葉の温度と、その言葉を発する存在の異常さが、あまりにも噛み合わない。
ミザールは、初めてはっきり理解した。
この女は、善悪の外にいるのではない。
善悪の概念を知ってはいるのだが、知っていてその上で自分に必要な部分だけ選んで使っているのだ。
だから余計にたちが悪い。
完全な無知でも完全な悪意でもない。
人に似た優しさを持ちながら、その優しさの使い方だけが決定的に出力の仕方が間違っているだけだ。
人類七種? 8つめにこいつらを入れておけとミザールは苦虫を噛みしめた様な顔をした。
そんな彼を見てベネトナシュは本当に心配そうな顔をして、心配そうな声を上げた。
「そんな顔をしないで」
「もう終わったのだから。大丈夫、もう兵器群は動かないわ」
その“大丈夫”の中に、どれだけの死が詰まっているのか。
どれだけの後悔が沈んでいるのか。
どれだけの人間が、もう帰らないのか。
そんなこと全部知っているはずなのに、彼女は花びらを摘むみたいな気軽さで“終わった”と言う。
そして、その終わりを作った一端が、自分たちにあることも、少しも隠さない。
「それに――」
彼女は空を見上げた。
流星のように落ちていく兵器群を、ほんの少しだけ名残惜しそうに見つめる。
蒼い瞳だけが寒々としており、宝石のように無機質だった。
「止めるの、私でもちょっぴり大変だったんだから。
……でも、ちゃんと当代に通じてくれて、本当によかったわ」
「少しでも間違えちゃったら、たぶん、もっともっと……酷いことになっちゃったしら」
さすがの彼女たちでもミズガルズが丸ごと吹き飛ぶのは避けたかった。
こんな気持ち悪い世界ではあるが、無駄なジェノサイドは余り好ましくはない。
その言い方は非常に軽く羽根のようだ。
まるで壊れかけた建付けの悪い扉を直した苦労でも語るようだった。
実際、ミザールは見ていただけだ。
レベル1000の優れた頭脳を貸して、一致団結の出力を補強しただけ。
誰に何を伝えてどうやって兵器群を終わらせたかなど判らない。
その詳細は語られない。
語るつもりもないのだろう。
しかし彼女はただ、その“出来たこと”そのものを、小さく喜んでいるように見えた。
「うまくいってよかったわ。
だって、あの子が死んじゃったら、私たちもとっても悲しいもの」
悲しい。
やはりそう来るのか、とミザールは吐き気を覚える。
しかしその裏にある感情は違う。
悲しみはあるだろう。
しかし同時にあるのは「つまらない」かもしくは「その程度」だ。
物凄く強くて希少で色々とできていた凄いサンプルが、実際は思っていたほどじゃない時に出てくる失望だ。
つまらない。
お気に入りの玩具が壊れるのを惜しむような、けれどそれだけでは片付けきれない妙な執着が、その一言に混じっていた。
まるで女神の様な傲慢さを彼女はばら撒く。
「昔のあの子も、すっごく頑張っていたの。
きっと、当代がいなくなってしまった後も、ずうっと、ずうっと……。
そうやってあそこまで強くなれたのは、9割はあの子自身の努力の賜物」
「それは本当に、とっても素晴らしいことだと思うわ」
ミザールは答えない。
答えられるはずがない。
彼女はそんなミザールの沈黙すら気にしない。
ただ、にこにこと笑ったまま、兵器群の残骸と、修復されていく空と、その向こうにいるはずの“お気に入り”を思っている。
その横顔は、本当に嬉しそうだった。
そのお気に入りがこっちに凄まじい速度に近づいていることも勿論悟っている。
ベネトナシュの身体を借りたアリストテレスは、最後にまたミザールへ目を向けた。
「さあ、どうしようかしら。
まだ片付けるもの、たくさんあるものね」
その声音は軽やかだった。
お茶の時間の後に散らかった机を見て、小さく笑う少女のように。
ルファスがもう間もなくやってくる。
彼と彼女たちは決着をつけなくてはならない。
世界をこんな様にした責任を取る必要がある。
もちろん自分にもある。
だからこの仕事は必須だ。
その為にベネトナシュとして彼女はいるのだから。
今のままでは少しやりづらいかもしれない。
だから、手助けをしてあげよう。
なに、幼いころからのよしみだ、それくらいはやってあげる。
「大変でしょう? 手伝ってあげる」
「私たちにも責任があるのは判ってるから」
ルファスと英雄たちの苦悩を見つめながら吸血姫は神妙な表情を顔に張り付けるのだった。
“全情報送信完了”
“受信を確認”
兵器群最後のログ。