ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
覇王ルファス・マファールは消え去った。
七英雄と呼ばれる人類の英雄たちは横暴を極め、人類共同体で暴虐の限りを尽くした覇王を葬ったのだ。
正確には殺しきれなかった故に異次元に押し込んで封印を施したのだが、恐ろしい存在が消え去った事は変わりはない。
アリオト。
メグレズ。
メラク。
フェグダ。
ドゥーベ。
ミザール。
そしてベネトナシュ。
人類七種より一名ずつ代表が選出されたかのようなその顔触れは、当時の人類共同体にとってまさしく天の配剤であったと伝えられている。
諸種族の垣根を越え、全人類が一つとなって覇王へ立ち向かったというこの構図はとても美しいと思われていた。
混乱と荒廃の時代において、後の世の人々に大きな希望を与えたのだ。
中でも最大の功績を挙げたのは、英雄たちの中心に立ったアリオトである。
彼は絶望的戦況の中にあっても最後まで勇気を失わず、覇王の圧倒的な威に膝を折りかけた仲間たちを叱咤激励し、ついには勝利へと導いた。
その偉業により、彼は【剣王】あるいは【勇者】の称号を捧げられた。
後世の吟遊詩人や聖職者たちは、彼を「人類最後の良心」「黒翼を裂く剣」とも呼んでいる。
それでも、当時のミズガルズが受けた被害はあまりにも甚大であった。
追い詰められた覇王ルファス・マファールは、自身を阻むあらゆる敵対勢力を一掃すべくミズガルズ全土へ破壊をばら撒いたと記録されている。
大地は裂け、天は歪み、都市は崩壊し、無数の命が塵と化した。
彼女の暴威は、もはや一つの国家を屈服させるという範疇を越えていた。
まるで世界の破壊そのものを己が力の表現手段へ変え果てていた、と当時の資料は証言する。
世界全てを手に入れた覇王は最後の仕事として己の思い通りにならないミズガルズを消し去ろうとしたのだと。
彼女の暴虐は単なる軍事行動ではなかった。
覇王は自らの力をもって、世界を支える基盤そのものへ干渉し、法則と秩序の継ぎ目を引き裂いた。
太陽は消え、宙の星さえ全てが一時は消し去られたと人々は供述していた。
このため、各地で観測された被害には通常の災害や戦禍とは異なる特徴が多く見られたとされる。
ある街では一夜にして人影だけが消失し、ある地方では建造物だけが無傷のまま住民が消え失せた。
またある地域では時間の流れさえ歪み、前後の記録が噛み合わなくなった。
こうした異常現象について、古い年代の文献にはいくつか不自然な記述の揺れが見られる。
同じ出来事を記したはずの複数の写本で、原因の表現が一致しないのである。
あるものは「覇王の怒り」とのみ記し、あるものは「覇王が呼び寄せた災厄」と書き、また別のものでは主語そのものが削除されている。
中には明らかに語句が抹消された痕跡を残すものもあり、削り取られた行間だけが黒ずんで残されている写本さえ存在する。
しかしながら、公式にはすべて覇王ルファス・マファールの暴走と断じられている。
七英雄が立ち上がらなければミズガルズのみならず人類文明そのものが完全に滅亡していたことは疑いないとほぼ全ての書には記されている。
それがミズガルズ歴2999年現在の定説である。
この“定説”が整えられていく過程は、振り返れば奇妙なほど速かった。
覇王封印から十年も経たぬうちに、各地の寺院、学院、王侯貴族家の書庫から回収された史料群には、一定の編集方針が見受けられるようになる。
それは要するに、歴史の焦点を極端なまでに単純化する方針であった。
各国の生き残った王族や指導者などらが積極的にそれに関与したあとも見え隠れしている。
全ては誰もが判りやすいように簡略化されていくのだ。
すなわち、世界を脅かした絶対悪としての覇王。
それに対抗し、人類七種の総意を背負って立ち上がった七英雄。
崩壊寸前の世界を、犠牲を払いながらも救い出した勇者たちという図式に。
この構図にそぐわない要素は、記述の濃淡を問わず急速に周縁へ追いやられていく。
特に顕著なのは、“覇王以外の存在”についての記録の扱いである。
戦後間もない一部同時代資料には、覇王ルファスとは別系統のナニカはルファスと相対していたと記されている。
あるいは「人類守護」を名目とした何らかの巨大機構の存在を示唆する断片が残っているのだ。
全文は不明である。その名前の部分は黒塗りにされていたのだから。
だが、それらは後年の編纂史料では更にことごとく曖昧な語へと置換されていた。
もはや隠す気もない露骨な編集と歴史改変だったが、それを気にするものはいなかった。
文字通りの意味だ、人口の大半を失ったミズガルズはそれどころではなかったからだ。
だからこそこんな無茶ともいえる改変が通ったのだろう。
「守護機構」「自律兵器群」
「収奪者」「暴走する防衛機構」「■■■■テ■ス」
名称は一定せず、いずれも長く定着しなかった。
いや、定着しなかったというより定着する前に意図的にそれらを塗りつぶされたようだった。
全ては無慈悲な黒塗りの下に消えていったのだ。
不自然なほどにそれらの名は次の時代へ受け継がれていない。
歴史の主役だった覇王と七英雄の名は華々しく残った。
各地の王や将、殉教者や裏切り者の名も多少の揺れはあれど概ね残っている。
それなのに、その“ソレら”だけが消えている。
学術的には、これは戦後混乱期における記録損傷や伝承の断絶によるものと説明されることが多い。
だが、いくつかの残存資料を付き合わせると、単なる散逸では説明しきれない偏りが見えてくる。
第一に削除の方向があまりに一貫している。
覇王の被害規模は誇張されることこそあれ削られはしない。
七英雄の苦闘もまた増幅される。
だが、覇王以外の戦略主体を示唆する箇所、あるいは大規模な自律的破壊機構の存在を思わせる文言だけがすっぽりと抜けていた。
局所的にしかも繰り返し削り取られている。
第二に被害統計の不自然さがある。
現在広く流布する教本や通史では、「人類は大半を失った」と書かれることはあっても具体的な数値に踏み込むものは驚くほど少ない。
一方、最古層に近い行政資料や避難記録の断片を拾うと、地域差こそあれど人類総数の七割以上が失われた可能性を示す数字が浮上する。
にもかかわらず、その数値は後代になるほど曖昧化され「多く」「甚大」「計り知れぬ」など道徳的衝撃はあっても検証不能な表現へ置き換えられていく。
そして何より奇妙なのは亡骸が残っていない事だ。
ルファスによって惨殺されたとされる多くの民たちはその骸が残っていない。
如何に彼女の力が凄まじかろうと当時の人類の平均レベルは900から1000だ。
簡単に言えばしぶといはずだ。
大雑把な攻撃では非戦闘員の者らといえど確実に死ぬ可能性はあまり高くないはずなのだ。
ソレを踏まえて第三に上げられる。
消失と滅亡の痕跡の欠如。
幾らルファスが強かろうとレベル1000相当の、非戦闘員とはいえ頑強な肉体を持つ者らの肉体を蒸発させるだけの力を連続で行使していたとは考えづらかった。
通常の戦争や災害であれば、遺体、廃墟、埋葬記録、避難流民、疫病流行などの被害の周辺に多様な二次痕跡が残るのは当たり前だ。
しかし人類共同体終末期の一部地域では、それが極端に乏しい。
大規模なかつての帝国が築いていた都市と住居はある。
人が作った壁も道も井戸も畑も残っている。
だがその中身だけがない。その残骸さえもだ。
ルファスが本当に人々を殺しまわったというのであれば、少なくとも大規模な破壊がまき散らされていたハズだというのに、町の形だけは残っているのだ。
では何か? 七英雄と戦いながらルファスはいちいち熱心に一人一人殺して回っていたのか? という疑問を誰もが抱くが誰も答えは知らない。
当時を知るであろう長命の種の者らさえ恐ろしさの余り口にはしていない。
この種の記録は後代史書ではほとんど取り上げられず、単に「覇王の力によって消し去られた」とまとめられることが多い。
便利な説明ではある。
あまりにも便利すぎる、と言うべきかもしれない。
もちろん、こうした疑義を過度に強調することは危険である。
現行の秩序は、七英雄の勝利と覇王封印という大前提の上に築かれている。
その基礎そのものを揺るがしかねない議論はしばしば不敬あるいは歴史修正主義として退けられてきた。
実際、多くの生存者にとって重要だったのは、“誰がどこまで本当に悪かったのか”という冷徹な精査ではない。
必要だったのは“世界は救われたのだ”と信じるための物語だったのだろう。
少なくともこの世には信じられる希望があるという慰めだ。
その意味でプロパガンダは機能した。
覇王ルファス・マファールは、全ての罪を背負うに足るだけの巨大な像へ作り上げられた。
恐怖の象徴。
暴虐の権化。
理不尽の終着。
世界を壊した女王。
人類七種が心を一つにしなければ打ち倒せなかった、唯一絶対の災厄。
一方で七英雄はそれぞれの欠点や曖昧さを削られ、役割ごとに磨き上げられた。
勇気を体現したアリオト。
叡智を尽くしたメグレズ。
責任を担ったメラク。
勇猛を示したドゥーベ。
不屈を体現したフェグダ。
献身のミザール。
そして神秘を帯びたベネトナシュ。
後世の絵巻物や記念碑では、彼らはしばしば均整の取れた一列として描かれた。
あたかも最初から最後まで迷いなく一つであったかのように語られる。
結果として、後世の人々が受け取る歴史像は明快である。
覇王が暴れた。
人類は壊滅しかけた。
七英雄が立ち上がった。
覇王は封印された。
人類は辛くも生き残った。
何て美しい。
単純で、覚えやすく、祈りにもしやすい。
幼子にも伝えられる。
記念碑にだって刻みやすい。
どちらにせよ、これが“正しい物語”として後世には残る。
そして後の世では兵器群の名を口にする者はほとんどいない。
いや、その名が何であったのかを正確に答えられる者がもういない。
名は消え、仕組みは消え、責任の配分も消えた。
残ったのはただ封印された覇王と、世界を救った七英雄というあまりに都合の良い二枚看板だけである。
ルファスと七英雄という輝きの前に、あまりにもおぞましい過ちの象徴は存在を許されなかった。
いや、許せるはずがなかった。
人類を守護するために用意されたはずの機構が最終的には世界そのものを滅ぼしかけた。
それだけでも十分に悪夢だ。
だが本当に救いがなかったのは、その暴走が誰か一人の狂気だけで起きたのではなく当時の人類自身がそれを選んだことだ。
人類の半数以上が縋り受け入れてしまったという事実はあまりに残酷だった
ゆえに、その名は残されない。
絶対に許されない。
兵器群の危険性は、単なる破壊力に留まらない。
それは人の絶望に寄り添い、敗北感に甘く触れ、救済を装いながら増殖していく。
どれほど高潔な理想を掲げようと、どれほど正当な大義を口にしようと、その果てで世界そのものを“素材”として扱う地点へ至り得る。
その伝播性、その再現性、その思想の毒性を恐れたがゆえにある人物はついに結論したのだ。
名前すら残してはならない、と。
もし記録を残せば、いつか誰かがそれを読む。
もし仕組みを伝えれば、いつか誰かが理解しようとする。
もし理解されれば、必ずまた現れる。
少しでも残してしまえば後継者は必ず出てくる。
メリディアナがそうであったように。
ミズガルズのどこにでもいる、喪失に耐えられなかった誰かであった彼女。
世界を正したいと願う誰かはきっとありふれている。
救済と改良の境界を踏み越えた誰かが再び現れる危険性は大いにあった。
そうして第二、第三の悲劇が生まれるくらいなら――最初から何も残さない方がいい。
その時、また都合よく全てを賭けて兵器群を止めてくれる救世主はいないかもしれないのだから。
その判断は、ある意味では正しかったのだろう。
少なくともそう信じるしかない。
だから歴史は整えられた。
後世に残されたのは、覇王ルファス・マファールという巨大な災厄と、それに立ち向かった七英雄という救済の物語だけ。
そのあいだにあったはずのものは削ぎ落された。
世界を内部から食い破り、人類の弱さと絶望を苗床に増殖した機構。
そしてその根底にあった“アリストテレス”という名は消え去ることになる。
記録から。
伝承から。
教育から。
祈りから。
やがてはリュケイオンさえその名をスヴェルへと改められた。
こうしてアリストテレスは、完全に消え去ったのである。
少なくとも表舞台からは。
常夜の国ミョルニル。
帝国が消え去り共同体が瓦解した今、ミズガルズで最も繫栄し安定した国家となった吸血鬼の国だ。
国民のほぼ全員がアリストテレスの誘惑を跳ねのけ、収奪を免れた唯一の国家である。
ルファス・マファールの敗北から1年、意外な事に吸血種の王たるベネトナシュは冷静に振る舞っていた。
今日も彼女は小さな体で玉座に座り、冷たい瞳で手早く書類を捌いている。
もちろん手抜きなどしない。
彼女は腐り落ちていた時でさえミョルニルの王としての務めだけは真面目にこなしていた。
配下の十血族と呼ばれる親衛隊たちに囲まれ今日もベネトナシュは思考を執務と切り離して考えていた。
あの戦い、彼女はハッキリ言って途中から覚えていない。
目の前に、あまりにも気色の悪い何かが降り立った。
それを砕こうとした。そこまでは覚えている。
そして次の瞬間には意識が暗転していた。
目が覚めればいつの間にか彼女はミョルニルの自室にいた。
何があったのだと混乱するのも当たり前と言える。
何せ彼女の主観では自分の後始末をするために戦場に向かい、不愉快な己の現身を砕いた後は意識が消え去り気づけば自室に佇んでいたのだから。
これらすべてを気のせいだと思うほどにベネトナシュは愚かではない。
何かがあった。
何かが、自分の知らないところで動いた。
そしてその“何か”は、相当にろくでもない。
アリストテレスが関わることはいつもそうだ。
あの男ほどの筋金入りのろくでなしを彼女は知らない。
今日も彼女は仕事をしながらあの日について考え続けていた。
不完全燃焼に終わった戦い程苛つくことはないからだ。
しっかりとした答えを手に入れてすっきりしたいのだ、彼女は。
(……何か種がある筈だ)
サラサラとサインを書類にしていく。
ミョルニルの老朽化したインフラの補強を求める案件、許可。
補修箇所の優先順位が甘い。
外縁の防壁より先に地下水路を直させろ、と余白に短く補足を入れる。
(私は敗れた。またしてもアリストテレスに)
そこは、もう誤魔化さない。
認めないと先には進めないのだ。
彼女は三度アリストテレスに敗れた。
ルファスを含めれば四回だが、そこだけは彼女は絶対に意地でも認めない。
1億歩譲ってプラン・アリストテレスに敗北したのは受け入れるが、あの小娘にやられたことだけは何が何でも拒否する。
意識を失う前の感覚を彼女は覚えている。
冷たさ。夥しい量の血液を失う喪失感、死へと落ちていく緩やかな斜面を彼女は知っている。
ラードゥンに殺された時と同じ経験だったからだ。
ここで私は負けてないだのなんだのと叫ぶ領域はとうに過ぎている。
ミョルニルに流入するであろう難民対策に治安維持部隊を作りたい、許可。
この国は吸血鬼の国だ。私の国だ。私が許可しないものを入れるはずもなし。
弱者を助けろだのなんだのと叫ぶ奴らは力づくでの排除を許すことを書き足していく。
王として彼女はミョルニルを己の所有物として見ている故に穢れは認めない。
弱者? 勝手に死ねばいい。それが嫌なら強くなればいい。
出来ないとは言わせない。
あの魔女は何一つ持たない身から兵器群をあそこまでの怪物に育て上げたのだから。
書類を処理しながら、彼女はもう一つの事実も静かに受け入れていた。
つまりまた置いて行かれたという不愉快極まりない事実を。
ルファスは消えた。
少なくとも表向きには。
世界はそういう形に整えられた。
覇王は敗れ、封じられ、あるいは消え去ったと。
ベネトナシュはその事実そのものには驚いていない。
しかし彼女はルファスが七英雄と呼ばれる……自分以外の六人に負けたとは思っていない。
いや、負けようがないだろうと冷静にそこは見つめている。
彼女の戦闘経験そのものは残りの6人とルファスを合わせたそれよりも多い。
その戦闘者としての経験が語っていた。
これは茶番だと。
少なくとも上で何とマファールがやりあっていたのは判らないが、英雄との戦いであいつは八百長をしたのだと。
レベル4200が負けるわけないという単純な数値の比較の上に、一度やり合ったこともある故の答えだ。
ベネトナシュは確信していた。
奴は帰ってくるだろうな、と。
理由はない。
論理も証拠もない。
未来視でもなければ、確かな情報があるわけでもない。
ただ、あの女なら戻ってくると確信していた。
どこまでも傲慢で、どこまでもふざけていて、どこまでも人を苛立たせるあの覇王とかほざいていた小娘。
あの女がこの程度で終わるはずがないという、ほとんど信頼に近い確信があるだけだ。
思わず口から言葉が漏れた。
「師弟揃ってふざけた連中だ。奴はどんな教育をしたんだ」
片や、世界をぐちゃぐちゃに引っかき回しておいて最後には勝手に全部を整理して去っていく男。
片や、その影を踏みながら好き勝手に暴れ、周囲を振り回し尽くしてなお、きっと戻ってくる女。
どこまでも人をコケにしている。
どこまでも無礼だ。
他人の人生を、自分たちの舞台装置か何かと勘違いしている節がある。
「本当に……あいつ……クソッ」
吐き捨てるように小さく呟く。
だが手は止まらない。
次の書類へ目を移し、内容を確認し、不備を見つけ、捕捉を付け足して片付けていく。
食糧配給の再編案。
甘い。
都市内部の治安悪化の可能性を見ていない。
却下の上で再提出。
外縁部の夜警増員案。
配備計画は悪くない。
予備戦力の回し方だけ修正して許可。
旧共同体圏から流れてきた技術者の受け入れ名簿。
思想検査が粗い。再審査を命じる。
一つ一つ確認する。
署名する。
付け足す。
潰す。
許す。
その間にも、思考の片隅では同じ結論がじわじわと輪郭を持っていく。
プラン。アリストテレス。
ルファス・マファール。
ベネトナシュの脳内では無駄に息のあった動きで両者が肩を組んでケラケラ笑っていた。
実に腹立たしい絵面だ。
何なら昔は本当にやってそうだから余計にムカつく。
あの師弟は最後まで他人の都合など考えない。
だからこそ、こちらが勝手に読んでやるしかないのだ。
簡単に言えば言葉が足りない、言わなくても判るだろうと意思疎通をスキップする悪癖がある。
戻ってくる。
あの覇王は必ず。
根拠/理由などない。
強いて言うならあの何処までも傲慢で、何処までもふざけた女がこの程度で諦めるはずがないという一種の信頼だ。
信頼と呼ぶにはあまりに腹立たしく、予感と呼ぶには確信的すぎる。
いずれにせよ、ベネトナシュの中ではもう結論が出ていた。
その時、自分はどうする。
決まっている。
殺すのだ。
己の存在全てを賭けて殺し合う。
ついでに偉そうに大口をたたいた癖に玉座から引きずり降ろされたことを指をさして笑ってやる。
あれだけ勝手をしておいて、無様に封じられたのだ。
これが笑わずにいられるものか。
あぁ、その場合あいつを殺した後に私も笑いすぎて死んでしまうなとベネトナシュは思った。
ベネトナシュは、そこでふと手を止めた。
マファールとアリストテレスはおいておく。
あの師弟に腹を立てるのは簡単だ。
探せば無限にネタは出てくる。
だが問題は、その次にある。
問題はこの次だ。
そもそもどうやって私はこのミョルニルに戻ってきた?
書類の山を前にしたまま、意識だけは自分の内側へ沈む。
血の流と骨の密度。
神経の走り方。
そういったものを、彼女は人間よりずっと正確に知覚できる。
血液に誰よりも敏感な彼女はそれを媒介にしたモノに何者よりも敏感だ。
そしてアリストテレスを彼女は二度見たことがある。
一度目はミョルニルの戦いで。
二度目は光の森における戦いで吸血を成功させた際に。
あいつらはプラン・アリストテレスという末裔に宿っていた。
加護や守護などという生易しい話ではない。
同化しているのだ。
子。子孫。
つまりそれは血族である。
血を介在するものであれば吸血姫は深く理解できる。
そしてこの身は奴らが蘇生の際に作り上げたモノだ。
血族を素材にして編み上げられたのだ。
ならば……何かある。
そう考えた瞬間、身体の深いところに冷たい針を差し込まれるような違和感がよぎった。
異物感と呼ぶには薄すぎるといよりは一体化しすぎていた。
確信と呼ぶにも掴みきれない朧な影のようなもの。
だが確かに、“私ではないもの”が自分の内側に在るような……。
だがしかしプラン・アリストテレスはこの程度は読んでいた。
ベネトナシュが気が付く場合のことなどもちろん想定している。
自分の中に異物を混ぜ込まれなどしたら彼女が自害する可能性が高いことなど判っている。
それは良くない。とても困る。
せっかく不老の存在を素体にしたのだから彼女には出来る限り長く人類を守護してもらわなくてはならない。
死ぬことは許可できない。
ベネトナシュは考えて思う。
もっと深く潜りこれを暴くのだ、と。
自分の内側を裂いてでも、そこに何が残されたのか暴くべきだ。
そう思考は伸びかける。
そのはずなのに。
ふっと、その切っ先が鈍り方向性が微かに曲がった。
ほんのわずかに。
本当に、わずかにだけ。
内側へ向かおうとする意識の先端が別の方向へと滑る。
もっと差し迫っていて、もっと現実的で、もっと今すぐ手をつけるべき問題の方へ。
まるで自分自身が「後でいい」「今は保留だ」と判断したみたいな、極めて自然な形でそれは成った。
ベネトナシュ自身は、それを自分の意思だと思っていた。
思考の優先順位をつけているだけだと。
いまこの瞬間、国を回す者として手を離せない案件の方が多いのだと。
実際、その理屈には十分な正当性があった。
ミョルニルは安定している。
だが安定しているからこそ、周辺から流れ込むものは増える。
難民。技術。
噂。残党。遺産。野心。
帝国が崩れ、共同体が砕け、世界がようやく形だけ整い直した今だからこそ吸血鬼の国へ向かって来るものは多い。
王として優先すべきはそちらだ。
自分でそう判断した。
クスクスと吸血姫という存在の最も深い領域に介在するアリストテレス卿は微笑んだ。
さすがにあの時は動きすぎたと反省しつつ彼女の神経系に微かに干渉し脳の物質バランスをわずかに弄る。
洗脳というには余りに弱い、そもそもベネトナシュの無駄に頑強な精神にそれは出来ない。
だが、方向性を与える事くらいは出来る。
自分に対する興味を削り、逆に忙しくなるであろうミョルニルの運営と後始末に意識を割かせる方向に誘導する程度には。
ベネトナシュは目を細めた。とりあえずこの話は保留にしておこう、それよりもやることがある。
「ロイ」
「こちらに」
側近であるロイに一声かければ彼は執務とは別の紙束を渡してくる。
これはアリストテレス兵器群の残骸の痕跡と、いまだ何処かに埋もれているかもしれない隠し工場の情報。
そしてルファス配下の十二星天がどのように動いているかをまとめた情報だった。
兵器群は消えた。
しかしその痕跡と遺産はまだ残っているとベネトナシュは考えている。
その情報や技術を回収して回り永久に封印/抹消することを彼女は目的としている。
そうだ、兵器群は消えた。
少なくとも表向きには。
だが、痕跡まで消えたとは思っていない。
あれほど世界へ深く食い込んだ機構だ。
根が一つ残らず焼けている方が不自然だった。
残骸はある。間違いなく。
遺産もある。必ず。
設計思想も、技術断片も、継承可能な毒もどこかに必ず残っている。
あのアリストテレスだ。
消えてなお世界に兵器群という化け物を残していった男の後継機構だ。
保険の一つや二つ、いや十や百、残していない方がおかしい。
まさかその保険の一つが自分であるなどと彼女は思いもせず思考を続ける。
またどこかで自分の不愉快な複製など作られたらたまったものではない。
アレを一時とはいえ黙認したのは己が吐いた言葉を守っていたからであって、実際は憤怒していたのだ。
虎視眈々と機会を狙い、あの女が暴走したのを見計らって吸血姫は嬉々として粛清に向かったのである。
自分の身体。自分の血。自分の敗北。
その全部を勝手に材料にされ、勝手に真似され、勝手に使い潰された。
こんなふざけたことを、断じて許せるはずがない。
一つ一つこの手で見つけた潰してやるとベネトナシュは決意を固めるのだった。
しかしその前に一つやることがある。
「今日の来訪者にはアレが含まれていたな?」
「はい」
ロイは頷く。
帝国が文字通り消滅し人類の大半が解脱し、共同体は崩れ落ちた。
あれだけ膨らんでいたゾディアックも消え去り、難民は散り散りになりながら生存圏を探して方々をさまよっている。
ハッキリ言って酷い有様だった。
ルファスとアリストテレス兵器群という基盤を失い、人類は黄金から苦難の時代に叩き落されたのだ。
そんな中、現在のミョルニルは人類の勢力では最も安定した大国である。
理由は明確だった。
吸血鬼たちはこの二百六十年近くを無為に過ごしていない。
吸血鬼たちはプランとピオスへの敬意を忘れてはいない。
同時に自分たちがあの日、どれだけ無力だったかも覚えている。
下等種として見下していた人間に救われた事実は彼らのプライドを深く傷つけた。
しかしこれは正しい意味での誇りだ。
傲慢ではなく誇りだ。
矜持を砕かれた彼らは必死に己たちを変えた。
彼らは鍛えた。
ただ王の庇護に甘えていたのではない。
自らの王に追いつくために、あの吸血姫ベネトナシュへ少しでも近づくために、狂気じみた執念で鍛錬を積み続けていた。
二百六十年。
人間種からすれば王朝がいくつも興り、いくつも滅ぶほどの時間だ。
その長さのあいだ、吸血鬼たちは夜ごとに爪を振るい、血を流し、魔法を練り、死と隣り合わせの研鑽を続けてきた。
その狂気ともいえる信仰は兵器群の収奪を跳ねのける程だ。
彼らは兵器群のミズガルズを捨てろ、我々に全てを委ねろという誘惑を徹底的に拒絶した。
なまじアリストテレスに感謝を抱く彼らであるからこそ、同じ名を与えられながら狂った動作を続けるかの存在に対する拒絶はすさまじかった。
『もう二度と、ラードゥンのような存在に好き勝手はさせない』
それが彼らの総意であり、この「ような存在」の中には兵器群も含まれている。
吸血姫がいるから安心なのではない。
外敵からは守られるだろうが、己たちの内側から腐る恐ろしさを彼らは理解していた。
王一人に任せていた結果として生じる堕落によって、どれほどのものが危機に晒されるかを彼らは身をもって味わった。
だからこそ、自分たちもまた牙を研いだ。
姫に縋るためではなく、彼女の背後に立つに足る牙となるために。
戦闘以外にも様々な方面からベネトナシュを支えるために政治や経済、流通への理解も研ぎ澄ませた。
彼らはかつてのミョルニルにあった影の弱点であるロイを失った場合、国家運営能力を失うという弱点を克服していた。
そして何よりミョルニルは軍事力が突出している。
レベル2000オーバーのベネトナシュに彼女が率いる十血族と、ここ数百年間本気で研鑽を積んだ精鋭の吸血鬼たち。
今のミョルニルに仮にかつての竜王の軍勢が降りかかろうと吸血姫の助力を借りずともラードゥン以外であれば損害皆無で返り討ちにできるだろう。
それほどまでに、彼らは鍛え上げられていた。
だからこそ、生き残った有力者たちがミョルニルへ押し寄せるのは当然だった。
援助を乞う者。庇護を求める者。取り引きを望む者。
あるいはこの新たな最大国家へ食い込みたいだけの者。
ロイが差し出した来訪者名簿にも、そうした名が並んでいる。
どれもこれもつまらない名前で覚える価値さえないが、ベネトナシュは一応は彼らとの予定は全て暗記していた。
その中に、一つの名があった。
ベネトナシュからすれば他と同じ有象無象の名前。
アリオト。
そうだ。あの勇者だ。
兵器群の力に酔い、剣に狂い、兵器群の振るう一振りの剣へと堕ちた男。
自分が何に魂を売ったかさえ知らぬまま、強大な力の近くで酔いしれた男。
気づけば世界を壊す側に立っていた愚か者。
見下しと侮蔑が先に来る。あの種の人間を彼女は嫌いだ。
己が選んだという自覚すら曖昧なまま、ただ強いものへ流されていく。
自分の足で立っているつもりで、実のところはもっとも安易な誘惑に魂を預けている。
しかもそこにアリストテレスが関わってるとなると更に不快指数に倍率補正が乗ってくるときた。
勇者などという称号に欠片も興味はなかったベネトナシュである。
しかしそれでもあの男がそれを名乗るのは身の程を弁えろと思っているほどだ。
列の最後尾へ追いやり、何の歓待もせず、さっさと帰るのを待っていた。
それで終わるなら、その程度の価値しかない男だと思っていたのだ。
だが、どうやら馬鹿正直に彼女の命令通り十二日間待機していたらしい。
手続きの書類にも不備はなし。
何の文句もつけられないほどにまっとうな手段で彼は会談を求めていた。
そこだけは少しだけ面倒だった。
だがミョルニルの王は、「最後まで待っていたなら話くらいは聞く」と言った。
愚か者は愚か者だ。
兵器群に操られ、何に酔っていたかも知らぬ男という評価は変わらない。
だが、自分の言葉に従って最後まで待っていたのなら、王としては話が別になる。
ベネトナシュ個人は、まるで会いたくない。
しかし筋は通さねばならない。
それが、彼女の数少ない美点だった。
一度吐いた言葉は守るのがベネトナシュという女だ。
気に食わなくても。腹が立っても。
相手が家族の仇であろうとも勝者であるのならば従う。
それが吸血姫のルールだ。
「いいだろう」
ベネトナシュは、冷たく言った。
「つまらない用であったら首を落としてやる」
それで十分だった。
話を聞くに値するかどうかはこれから決まる。
だが少なくとも、十二日待ったという一点だけは王として無視しない。
ベネトナシュは紙束を閉じた。
自分のこれからやることを改めて整理していく。
兵器群の遺産を抹消すること。
残骸を回収し、痕跡を潰し、二度とあのようなものが芽吹かぬよう世界の底へ封じること。
その後始末くらいはしてやる。
あのふざけた連中が好き放題やって消えたのなら、せめて残骸の片付けくらいはこちらがしてやるしかない。
それがあの化け物どもが育つ最初の要因となった事へのケジメだろう。
だがその前に。
愚か者の口から、何が出てくるのかだけは聞いてやる必要があった。
一周回ってむしろ楽しみでさえあった。
「通せ」
紅い瞳に粘性を帯びた感情を宿らせながら吸血姫は命ずるのだった。