ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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幕間 おめでとう! プランはアリストテレス卿に進化した! その2

ラードゥンは苛立っていた。

 

 

 

泡宇宙の狭間。

世界の外れに用意されたこの静かな舞台にあって、なお眼前の人間は少しも揺るがない。

自分の言葉に怯えない。怒りに呑まれない。

 

 

自分の悪意で欠片も揺らがないのがムカつく。

エロスや魔王たちはとってもいい反応を返してくれたのに。

 

 

まして、竜王たる自分を前にして畏れすら見せない。

それが気に入らなかった。

ちっぽけなくせに。脆くて弱いくせに。

 

 

 

気持ち悪いほど静かで、どこかこちらを見下ろしているようなその瞳がラードゥンにはたまらなく癇に障る。

その寒々しい蒼は、見覚えのある何かを思い起こさせ、それがまた癇に障った。

 

 

 

今までもそうだ。

こいつはいつだって、肝心なところで自分の邪魔をしてきた。

ミョルニルの件は絶対に忘れない。

 

 

 

思い通りに壊させず、笑わせず、愉しませず、まるでこちらの機嫌など知ったことかと言わんばかりに立っている。

その在り方が、腹立たしかった。

人類七種の中でも最も特徴に乏しく、繁殖能力しか取り柄のない劣等種族の分際で。

 

 

 

だからラードゥンは笑う。

笑って、悪意をそのまま言葉に変える。

相手が嫌がると分かっていることを、わざわざ選んで口にする。

 

 

そういう時の彼は、ただの怪物というより、本当に質の悪い子供じみていた。

そして何よりも、そういう時は本当に洞察力が働く。

 

 

『そういえばさ! きみたちのあたらしい勇者ちゃんね! ころしちゃった!』

 

 

ぱちり、と何処かで泡宇宙の光が揺れた。

それは本当に些細な揺らぎでしかなかったが、ラードゥンは構わず続ける。

むしろ楽しそうに、嬉しそうに、思い出話でもするみたいに。

 

 

 

『いっこずつ手とか足をね、ひっこぬいていくたびに泣いてて、すっごくかわいかった』

 

 

 

けらけらと、品のない笑いが響く。その声には一点の曇りもない。

罪悪感も後ろめたさもない。

あったのはただ、楽しかった記憶を語る者の弾みだけだった。

 

 

 

『おばあちゃん、おかあさんってずっとないててさ! ほんとうにみじめだったよ!』

 

 

無邪気で底なしに。

ラードゥンは続ける。

 

 

その場にいた天翼族たちの嘲笑。裏切られた勇者の顔。

救いを信じていた者が最後の最後で踏みにじられる瞬間。

 

 

それら全てを彼は珠玉の喜劇として覚えている。

だから少しでも相手を傷つけられるなら、平気でそこをほじくり返す。

 

 

『あはははははは! あたらしいともだちのみんなが勇者ちゃんでたのしんでたところなんて、さいこうだった!!』

 

 

 

『“はじめて”だっけ? アハハハハハハ! ざーんねんでしたー!!』

 

 

 

竜王の目が細まる。

そこに宿るのは嗜虐と歓喜だけだ。

 

 

『おんなのひとって、ああいうの嫌なんでしょ?』

 

 

『いたいいたいって泣いてた!! 

“しっけ”が足りなかったみたい!! ぎゃはははははは!!』

 

 

 

『あははははハハハハハハ!!』

 

 

 

笑う。ただひたすらに笑う。

相手の痛みを思い描きながら。

死者の尊厳も、生き残った者の傷も、何一つ理解しないまま。

 

 

いや、理解する必要すら感じないまま。

彼は強者であり弱者の気持ちなど判らない。

 

 

ラードゥンの思考はこれである。

 

 

 

僕は僕だ。

他人の痛みなど僕は感じない。

他人の悲しみなど僕は感じない。

他人の死と絶望は僕の喜びさ。

 

 

 

僕と女神アロヴィナス様が消費するただの娯楽だ。

 

 

ラードゥンにとって奈々子は新しい玩具でしかない。

自分を楽しませるための玩具であり壊れ方が面白かったから記憶に残っているだけの獲物にすぎない。

 

 

 

だからこそ、彼女の最期をこうして軽々しく笑える。

そこに葛藤が入り込む余地はなく……いや、そもそも彼は今まで後悔したことなどない。

 

 

 

対するアリストテレス卿は、何も言わなかった。

 

黒い衣の裾は揺れず、仮面の下から覗く気配にも変化はない。

怒りと嫌悪と激情もない。

少なくとも表には、何一つ出さない。

 

ただ静かに、ラードゥンを見ている。

 

 

 

その沈黙が、かえって竜王の神経を逆撫でした。

普通なら顔を歪める。普通なら怒る。

普通なら取り乱すのにそれがない。

 

 

 

 

まるで今しがた浴びせた悪意の数々など、感情を動かす価値すらないと言わんばかりだった。

ラードゥンの笑みがぴくりと引き攣る。

 

 

『なんだよ。なんか言えよ』

 

 

 

まだ笑っている。

だがその笑いは、先ほどまでより少しだけ硬かった。

馬鹿にするのは好きだが、馬鹿にされるのは我慢ならないのが彼だ。

 

 

『きいてるんでしょ? 

 むししないでほしいなー 反応がないとぼくがつまらないじゃん』

 

 

 

返ってくるのは、やはり静寂だけだ。

泡宇宙の外殻を流れる光が、二人のあいだをゆっくり横切っていく。

その中でアリストテレス卿はただ立っていた。不気味なほど整った姿勢で。

 

 

まるで眼前の怪物が喚き散らしている内容よりも、己の声量や間合い……マナーに注意を払っているかのように。

ラードゥンはそんな姿を見てまた笑った。

 

 

 

『へんなの、へんなの、いみわかんない』

 

 

吐き捨てるように。

だが子供が癇癪を起こす直前みたいに、その声音は少しだけ尖っている。

 

 

『ほんっと、きもちわるいよね、きみ』

 

 

それでもなお、アリストテレス卿は何も答えない。

答えないまま、ただそこにいる。

怒りを呑み込み、感情を伏せ、竜王の悪意すら一つの観測対象でしかないかのように。

 

その無反応こそが、何よりもラードゥンを苛立たせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうにかしてこいつを傷つけたい。踏みにじり、あの澄ました態度を崩してやりたい。

 

眼前のちっぽけな人間は、自分に比べれば塵にも等しいはずだった。

それなのにこの竜王の前に平然と立ち、礼儀ぶった物言いも、どこかこちらを見下ろすような態度も変わらない。

 

 

泣かない玩具なら、泣くまで壊す。

喚かないのなら、喚くまで抉る。

ラードゥンが考えていたのは、所詮その程度のことだった。

 

 

どの言葉で、どこを抉れば、あの静けさを崩せるのか。

 

 

右腕を構築する竜たちが変形し口を重ね合わせ、巨大なブレスの発射口を形成する。

邪神と魔王の隔離宇宙を熱的に飽和させて焼き切った超複合ブレスの余熱がそこから零れる。

チチチと紫電を纏った光は赤、青、白の順で色彩を変えていく。

 

 

ラードゥンは、にたにたと笑った。

 

 

『ルファスちゃんってさ、ほんとうにきらわれてるんだねぇ?』

 

 

 

女神の純粋な力をそのまま練り込む。

星系を複数吹き飛ばし銀河の形さえ歪め得るほどまでに。

まだ足りない。まだ上げられる。果てなど彼には存在しない。

 

 

 

 

そして、もっと醜くもっとひどい言葉を吐ける。

彼の悪意は無尽蔵であり、理由もなく、産まれた時からこういうことが好きだったのだ。

 

 

 

『ジスモアくんがさ

 パパなのにぜったいころしてくれって僕にひざまずいててすごく愉快だったよ!』

 

 

ジスモアとルファス。

絶対に和解などありえない父子。

血は繋がれど互いが互いをこの世の何よりも憎みあっている関係だ。

 

 

 

ラードゥンがジスモア・エノクを仲間として受け入れたのには理由がある。

彼は最初に会った時から、ジスモアが自分を利用しようとしていることなど見抜いていた。

その願いの根底に、娘を消したいという濁った執着があることも。

 

 

 

誰よりも何よりも悪意に満ちている故に、他人のそれを嗅ぎ取る事にも竜王は長けているのだ。

 

 

 

なのに何故彼はあえてジスモアの願いを聞き届けたか?

確かに将来的に厄介な存在になりそうなルファスの抹殺という大義名分もある。

だが、それ以上に、ジスモアとルファスの関係が彼にとっては滑稽で愉快な喜劇だったからだ。

 

 

 

面白かったのだ。

 

 

親子なのに。娘を守るべきなのに。

命を捨ててでも庇うのが美しいとされるはずなのに。

その逆を臆面もなくやってのける。

父が娘を憎み、娘も父を憎み、血そのものが呪いみたいに濁っている。

 

 

 

彼には判らない概念だが本来ならば親子というのは強い絆があるらしい。

親が子を守り、命を捨てるなど当たり前であり、それは美徳として語られるそうだ。

 

 

だがジスモアはその逆。

実の娘を心から憎み、拒絶し、持てる全てを使って殺そうとしている。

 

 

親子で憎み合い殺し合う、なんて面白い見世物だ。

しかも微かに感じるのは女神さまの力。

これはもう協力するしかない、と考えたのだ。

 

 

 

ゲラゲラと竜王は笑い続けた。ルファスとジスモアをどう壊してやろうかと考えるだけで愉快になる。これほど上等な喜劇なら、きっと女神さまもお喜びになるに違いない。

 

 

『あのねあのね。ルファスちゃんをころそうと思ってたんだけど、それは後にしようと思うの』

 

 

 

笑うたび、竜王の頭の中ではさらに下劣な趣向が膨らんでいった。思いついたことを口にするのが楽しくて仕方ないのだ。

 

 

『きみの首をみせたあとにね。手足をきってもちかえってね』

 

 

 

ジスモアとルファス。この世で最も憎み合う父娘の血を、逃げ場もなく絡ませる。親子の絆を穢すという二重の禁忌を思い描き、ラードゥンの瞳にぬめるような悪意が灯った。

 

 

天翼族は勇者をなぶりながら喜んで踊っていた。

それならジスモアはどんな顔をして腰を振るのだろう。竜王はそれを見てみたかった。

嫌いな父親の子種で孕んだらルファスちゃんがどんな顔をするのか、それとも我が子を愛するのか、ソレが見たかった。

 

 

 

わざわざそんなことをする理由?

そういうことが生まれた時から好きだからだ。

 

 

 

『ジスモアくんとくっつけてあげようかなって!!』

 

 

『ぎゃはは

 

 

 

ラードゥンの声が、唐突にぷつんと途切れた。

 

 

おぞましい笑みはそのままだった。

発射口に集束していた超複合ブレスも、なお膨張し続けていた。

悪意も、愉悦も、侮辱も、確かにそこにあった。

 

 

だが次の瞬間には、それら全てが何の価値もなくなった。

 

 

[forge.code] > access: pole

[forge.code] > inject: %nf1

[bind.target] > hp = 0

[bind.target] > exist = 0

[commit] > true

 

 

 

薄く、乾いた光が走る。

先ほどのような派手さすらない。

何かが命中したようにも見えない。

ただ、極点のどこかへ、針先ほどの細い干渉が差し込まれた。

 

 

 

無情な「0」という数字だけが表示される。

 

 

それだけで終わった。

ラードゥンは、またしても何も言えなかった。

 

 

全てが途中で断ち切られたまま、竜王の輪郭だけがすっと薄れる。

全身を構成する百余の竜たちごとぐらりと倒れこみ、サラサラと消えていく。

実力に差がありすぎたせいで「戦闘」さえ成立しないのだ。

 

 

 

 

 

66666の残機と女神の力を湛えたまま彼は消えうせた。

まるで“そこにいた”という事実そのものが訂正されるみたいに、ラードゥンは呆気なく消滅していった。

 

 

再度の静寂。

泡宇宙の狭間に残されたのは、行き場を失った熱と、消えた怪物の余韻だけだった。

 

 

 

アリストテレス卿はそれを見ていた。

表には何も出さない。だが内側では、微かに苛立っている。

 

 

ルファスへの侮辱。ジスモアを交えた悪意。

あの二人は確かに憎みあっているし親子の仲は永遠に修復不可能だろう。

だが、それはあくまでもあの二人とアウラの問題であり外部の者が口出しをする権利などない。

 

 

 

ああした言葉を口にするのであれば、少なくともそれに見合う覚悟を持ってからにした方がよい。

そして彼は少なくともルファス達への根拠のない誹謗中傷を許すつもりはなかった。

 

 

 

「……少々困りますね」

 

 

穏やかな声だ。

世界内で最も邪悪で、最も強い怪物を、今しがた何の感慨もなく再び消しておきながら。

まるで期待していた試料が、思ったより脆かったとでも言うような淡々とした声音だった。

 

 

 

いや、ここはハッキリと言ってしまおう。

アリストテレス卿は……落胆していた。

 

 

最低基準にさえ満たない。

この程度の攻撃ともいえないもので終わりなんて論外だ。

足切りの基準にさえ遠く届かない。

 

 

 

少なくとも“この”ラードゥンでは無理だ。

 

 

だからもう一度、今度はもっと慎重にやることにした。

 

 

 

右の義手に埋め込まれた不死鳥の宝玉が、かすかに熱を帯びる。

その熱は炎になる前の予熱であり、ノイズと揺らぎを払い、観測結果だけを整えるための繊細な温度でもある。

 

 

 

 

アリストテレス卿は少しだけ考える。

まだ試したいことは多い。今ので終わられては困る。

 

 

だから、また読み込む。

 

 

 

[quick.load] > slot: just_before_emit

[restore] > accepted

[time] > reload

 

 

泡宇宙の光が逆流する。

散りかけた熱が引き戻され、崩れた余波が畳まれ消えたはずの怪物の輪郭が元の位置へ再配置されていく。

 

 

 

ラードゥンが、再び戻ってきた。

 

 

右腕の竜たちを砲口のように重ねたまま。

女神の純粋な力を練り込んだまま。

侮辱の続きを口にする寸前の、あの下卑た笑みのままで。

 

 

 

『……ぁ?』

 

 

ほんの一拍、妙な間が空く。

だがそれだけだ。

 

 

ラードゥンは自分が残機ごとまとめて終わらされたことや

そしてそれを相手がわざわざ巻き戻したことにも、気づいていない。

 

 

 

彼の認識では、思考がわずかに空転した程度だった。

彼は自分が何をされたかさえ理解できない、その程度の存在だ。

アリストテレス卿は、そんな竜王を静かに見つめた。

 

 

 

「竜王陛下。貴方の存在は人類にとって極めて有害です」

 

 

遂にアリストテレス卿が淡々と会話を始める。

 

 

 

「ミョルニルの戦いにおいて貴方は無差別に殺戮を繰り返した。

 あの災禍をミズガルズ全土に広げるわけには行きません」

 

 

 

法、秩序、ルール。

ラードゥンが一度として気にかけたことのないものを、アリストテレス卿は列挙していく。

そして竜王がアロヴィナス神を崇めていることも、彼らは知っている。

 

 

ならば、たっぷりとその教えに従ってもらおう。

 

 

 

「女神アロヴィナスは述べられた。

 “貴女を愛する様に、我は人をも我が身の様に愛し、支えることを誓う”のだと」

 

 

 

女神の経典の1ページ目に載っている、基礎中の基礎。

竜王もその教えを知っているはずだ。守ったことは一度もないが。

よくもそれで女神の信徒を名乗れたものだ。アリストテレス卿は、確かな嘲りを込めて続けた。

 

 

「それすら守れぬのであれば、貴方は信徒ではありません。背教者です」

 

 

一拍置いて。

 

 

「いえ……“にわか”というべきでしょうか」

 

 

 

ミシ。

ミシ、ミシ。

 

 

 

ラードゥンの全身が怒りで軋んだ。

竜たちが歯を鳴らし、骨格を兼ねる蛇のような胴がきしみ、関節の奥から過剰なエネルギーが漏れ出し始める。

空間に浮かぶ泡宇宙の膜が竜王から噴き上がる純粋な力の圧に押され微かに凹んだ。

 

 

 

だがアリストテレス卿は、少しも気にする様子を見せない。

 

 

 

「竜王ラードゥン。貴方は女神アロヴィナスの教えに反し、間違っている」

 

 

「故に我々が貴方を女神に代わり裁こう」

 

 

 

『このっ!!! ぼくを怒らせちゃったねぇ!!!』

 

 

 

「この背教者め」と言わんばかりの視線まで向けられ、遂に竜王の我慢は限界を迎えた。

 

 

 

極点より、さらに莫大な女神の加護が引きずり出される。

ただの祝福ではない。

女神の座に沈殿しているアロヴィナスの力そのもの、その奔流がラードゥンの総身へ直接流れ込んだ。

 

 

轟、と泡宇宙の狭間全体が鳴動する。

光が歪み、宇宙膜が膨張し景色の奥行きそのものが圧力で軋む。

 

 

ラードゥンはその濁流を浴びながら、さらに膨れ上がった。

レベル2999。その上限さえ、もはや意味をなさないかもしれない。

 

 

 

レベル4000にも匹敵する戦闘力。

いや、純粋な殺傷性だけでいえば、そこにすら収まりきらぬ可能性がある。

 

 

 

それだけではない。無限に高まる女神の力により、全ての残機は一瞬で補填される状態にあった。

同時に、一瞬に、竜王の持つ全ての命を消し去らなければ彼は死なない。

魔王と邪神が手を組んでも、彼を滅ぼすことはできなかった。

 

 

 

後の時代に現れる覇王でさえ、ジ・アークエネミーでも持ち出さねば屠れぬかもしれぬほどの怪物性が今ここで剥き出しとなっていた。

 

 

 

『しんじゃええええええええええええッ!!!』

 

 

 

先手はラードゥンだった。

右腕を構成する竜たちが完全に砲口と化し、その奥で圧縮されていたブレスが解き放たれる。

 

 

それはもはや熱線ではない。

恒星群を一つの線へ押し込め、そのまま撃ち出したとしか思えぬ白熱の奔流であった。

進路上の宇宙膜が焼け爛れ、泡宇宙のいくつかの表面が赤熱する。その余波だけで遠方の膜宇宙まで震えた。

 

 

 

星系を一つでは済まさない。

複数の星系をまとめて焼き貫き、銀河の腕そのものを変形させる終末の光。

邪神と魔王の隔離宇宙を熱的飽和で焼き切った、あの複合ブレスをさらに数段階上へ押し上げたような正真正銘の必滅砲だった。

 

 

 

着弾。

だがアリストテレス卿の姿はあれど存在はその場にはない。

 

 

ブレスは確かに命中コースをなぞり当たったはずだ。

だが命中すべき「本体」は、そこには存在しなかった。

アリストテレス卿の本体は、ラードゥンが認識する座標とも攻撃判定とも異なる、ごく薄い位相の向こう側へ隔離されていたのだ。

 

 

 

光が通過した後、何もなかった空間から、彼は静かに一歩踏み出した。

法衣の裾は焼けてもいなければ乱れてもいない。

 

 

 

『……?』

 

 

ラードゥンは一瞬だけ目を瞬かせた。

だがすぐに吼える。

 

 

『これならどうかなぁ!』

 

 

 

今度は聖剣バルムンク。

女神の純粋な力をさらに重ね、【エレメント・エンチャント】を高速で切り替えながら連続で振るう。

 

 

火。日。雷。水。そして再び火。

属性の切替速度は常識を超え、一振りごとに世界が別の死に方へ塗り替えられる。

斬撃が走るたびに空間が裂け、裂け目の中に圧縮された超新星規模のエネルギーが押し込まれ、次の瞬間には豪雨のように降り注ぐ。

 

 

 

しかもそれらは単純な広域攻撃ではない。

原子規模にまで細分化された斬撃の一つ一つが独立して対象を追尾し、位置を捕捉。

そのまま周囲の空間ごと切り刻む剣術の極みだ。

 

 

 

回避など許さない。防御など意味をなさない。

ラードゥンは女神の権能を利用し、攻撃を命中させるという結果そのものを強引に確定させようとしていた。

 

 

しかし何も起きなかった。

アリストテレス卿はそこに立っている。

仮面も、黒い衣も、指先の一本さえ傷ついていない。

 

 

まるで穏やかな午後の庭園にでもいるかのように、静かに竜王を見つめていた。

 

 

『……?』

 

 

ラードゥンの瞳が怪訝そうに細められる。

 

 

おかしい。

斬撃は間違いなく命中した。

聖剣バルムンクの刃は確かに眼前の人間を捉え、その座標を貫き、肉体が存在するはずの空間を完全に切り裂いている。

 

 

実際、その周囲では物質が原子単位にまで解体され、空間そのものが無数の傷を刻まれていた。

なのに、人間だけが切れない。

しかしこれは幻影ではないのだ。

 

 

 

【イリュージョン】による偽装でもなければ、残像や分身でもない。

視覚、魔力、天力、そして女神の権能による観測でさえ、そこにアリストテレス卿が存在することを示している。

だが、それはあくまでも世界/極点が認識している表向きの情報でしかなかった。

 

 

 

アリストテレス卿は、自らの本体をこの空間から隔離していた。

正確には、ミズガルズの法則が物体として認識し、干渉の対象として指定できる領域から、本体を切り離していたのである。

眼前に立つ人影は確かに存在する。

 

光を反射し、声を発し、足元には影さえ落とすだろう。

必要であれば物質に触れることも、周囲へ力を及ぼすこともできる。

しかし、その人影を構成する情報と本体を構成する情報は一致していない。

 

 

 

両者を繋ぐ経路も、通常の世界法則からは参照できないように処理されているのだ。

ラードゥンの攻撃が眼前のアリストテレス卿を捉えるたび、世界はその存在を対象として認識する。

そして、干渉しようと無駄に足掻く。

 

 

 

だが、その瞬間には既に対象の識別情報が変更されていた。

ある斬撃が位置を捕捉すれば、参照先が切り替わる。

別の斬撃が存在そのものを捉えようとすれば、今度は干渉経路が切り離される。

 

 

そこまでやってようやく到達した先にあるのは、攻撃を受け付けるだけの空虚な情報だ。

そこに肉体も生命もない。

傷つけるべき本体など、最初から接続されていない。

 

 

 

しかも、これらの処理は一度きりではなかった。

世界が新たな干渉を検出するたびに、存在情報の参照先が組み替えられる。

追跡しようとすればその度に参照とされる経路が変わり、斬撃の経路を固定しようとすれば接続そのものが無慈悲に切断した。

 

 

 

対象の識別情報は瞬きよりも遥かに短い間隔で更新され続け、ラードゥンの放つ無数の斬撃は、その全てが異なる虚像を追いかけることになる。

結果として、聖剣バルムンクは世界を切り裂きながら、アリストテレス卿という一個の存在に対してだけ、何の結果も生み出せなかった。

 

 

『……なんで?』

 

 

 

 

ラードゥンは理解できない。

 

 

そこにいる、確かにいるのだ。

ならば、何故切れない?

不可視の障壁でもあるのかと出力を高めれば、斬撃は何の抵抗もなく通過する。

 

 

 

空間そのものを破壊しても同じだった。

防がれている感触すらない。

刃が弾かれることも、力が相殺されることもない。

 

 

ただ、確実に命中したはずの攻撃から、死ぬという結果だけが綺麗に抜け落ちている。

 

 

一方のアリストテレス卿は、そんな竜王の困惑を静かに観察していた。

何も特別なことはしていない。

外部からの干渉を検知し、参照情報を変更し、本体への接続を拒否する。

 

 

 

それだけだ。

そもそも彼にとって、攻撃を受けてから耐えるという発想自体が非効率だった。

いかなる強大な攻撃であろうと、それが作用するためには対象を指定し、到達し、何らかの変化を生じさせる必要がある。

 

 

 

ならば、その過程のどこか一つを成立させなければよい。

どれほど巨大な力を用いようと、どれほど複雑な権能を重ねようと、対象を取る効果を指定できなければ何も起こらない。

ましてや今のラードゥンは、女神から与えられた力を振るうことしか知らない。

 

 

 

 

その力が何を参照し、どのような手順で世界へ作用しているのか、理解しようとしたことさえないのだ。

 

 

だから、こうなった。

 

 

攻撃/剣は確かに振るわれた。

判定処理/攻撃は確かに発生した。

数値の変動/世界もまた、その事実を正しく認識している。

 

 

 

しかし、アリストテレス卿が傷ついたという結果だけは、何処にも出力されない。

どれほど鋭い剣であろうと、指定できないものは斬れない。

どれほど強大な力であろうと、到達できないものは傷つけられない。

 

 

 

つまるところアリストテレス卿のアタリハンテイという処理は隔離され、発生されない様にされている。

それだけの話である。

 

 

 

 

『なんでだよぉッ!!』

 

 

 

竜王は今度は両腕の竜たちを一斉に展開した。

頭部を構成する高位竜たちが咆哮し、無数のブレスを乱射する。

一本一本が周辺星系まで蒸発させかねぬ出力。

 

 

それを数十、数百と同時に撃つ。

さらに背から竜頭を増殖させ、上下左右前後、逃げ場を潰す為に複数展開した【エクスゲート】の中に撃ち込む。

 

 

アリストテレス卿を囲むように黒いゲートが展開され、莫大なエネルギーが全周囲から叩き込まれる。

 

 

 

面制圧。飽和攻撃。包囲。数兆度を超える熱線による絶対的な暴威。

相手が逃げても必ずどこかで命中するようにと、子供じみた苛立ちのまま力任せに塗り潰していく。

 

 

普通ならばこれは最適解だった。

ちょこまかと逃げ回る存在相手に逃げ場を潰す威力を叩き込むのは正解だろう。

 

 

 

 

泡宇宙の狭間はすでに地獄だった。

熱、光、衝撃、重力乱流、属性干渉、勇者補正による因果固定。

通常の世界なら何百回滅びても足りぬほどの破壊が濃縮されてそこにある。

 

 

 

だが、その中心でアリストテレス卿は依然として無傷だった。

 

 

 

 

本体隔離。判定削除。

当たり判定の抹消。

位相の微細なずらし。

 

 

どれも、今の彼にとっては低い層の技術でしかない。

本来ならそんな手間をかける必要すらない。

瞬殺するだけなら遥かに簡単だ。

 

 

 

だがそれでは意味がない。

ただ力任せに押し潰して終わらせるのでは、こいつが積み上げてきた罪に対して、あまりにも生温い。

あれだけ散々に悪意をばら撒き、大勢の人の命を奪い去り、数えきれないほどの尊厳を踏みにじったモノの最後が穏やかであっていいはずがない。

 

 

北星奈々子。

彼女に対してこれが行った仕打ちを思えば、全然、全く、欠片も情は必要ない。

彼女を死出の旅へ送り出したのが自分たちであることは間違いないが……それでもだ。

 

 

 

たとえその発端が何であろうと。

どんな理由でこんな怪物が産まれようと、罪には罰が必要だ。

どうしようもない理由があったとしてもジェノサイドは決して許されない。

 

 

何より誰もが楽しみにしていたパーティーを台無しにされたことが我慢ならない。

 

 

 

故に。

必要なのは勝利ではなく矯正。

必要なのは殺害ではなく教育。

必要なのは、ラードゥンという怪物の心の髄まで、自分の絶対性が届かぬと理解させることだった。

 

 

 

 

 

だからアリストテレス卿はあえて低い次元へ降りている。

竜王にも“見える”形で。

竜王にも“理解できる”形で。

 

 

 

物わかりの悪い子供にしっかりと「ぼくはアリストテレスには届きません」と判らせてやるために。

どう足掻いても届かぬという事実だけを、丁寧に叩き込むために。

 

 

『くそっ、くそっ、くそっ、くそっ!!』

 

 

 

ラードゥンの攻撃が荒くなる。

先ほどまでの愉悦が混ざった笑みは、もう半ば崩れていた。

 

 

 

怒りはある。憎悪もある。

だがその底に、ほんの僅かな別のものが混ざり始めている。

 

 

 

それは焦りだった。

 

 

 

殺せない。傷つけられない。

怒らせることすら出来ない。

こちらが本気を出せば出すほど、かえって自分だけが滑稽になる。

 

 

『なんで……』

 

 

初めて、ラードゥンの声音に迷いが混じる。

右腕の砲口から溢れていた光が一瞬だけ不安定に揺れた。

全身を構成する竜たちも、どこか落ち着きなくざわついている。

 

 

 

こいつ、どうやったら――ころせるんだ?

 

 

 

ラードゥンがどうすれば相手を殺せるのかと戦慄する一方で、アリストテレス卿は数ある手段の一つを実行に移した。

アリストテレス卿は、いつの間にかリボルバーを手にしていた。

 

 

古風で小さい対人用のリボルバー。

少なくとも外見だけならそうとしか思えぬ代物だった。

だが竜王がそれを認識した時には既に仕事は終わっていた。

 

 

銃声すら、遅れてしか届かない。

 

いや、本当に撃ったのかどうかさえ怪しい。

余りに早すぎた。

 

 

引き金を引く動きも、撃鉄の挙動も、弾丸の軌道も、何一つ認識できない。

ただ、何かが終わっていた。

 

 

ラードゥンは咄嗟に自分の体へ視線を落とす。

 

傷はない。裂傷も。

焼痕も。穿孔も。

 

 

当然だ。

あんなちっぽけな対人用の武器では、自分を倒すどころか傷つけることさえ不可能だ。

今の自分は極点から溢れる女神の純粋な力を浴び、無限の加護と残機の補填すら得ている。

 

 

 

その程度で何が出来る。

 

 

 

 

『そんなちっぽけなもので何を』

 

 

 

言葉が詰まった。驚愕ではない。

もっと直接的で、物理的な圧迫感だった。

 

 

 

『あ、が……ぁ』

 

 

喉が閉じる。呼吸が重い。

声帯が凍りついたみたいに音が出ない。

 

 

 

何が起きたのか理解できず、ラードゥンは忙しなく視線を巡らせた。

 

 

彼は首を落とされようと、脳を砕かれようと復活できる最も不死に近い存在である。

そんな彼が喉を絞められた程度で声を詰まらせるなどありえない。

彼は海底でも、真空でも、炎の中でも平然と活動できる超生命体であり、窒息などしない。

 

 

なのに喋れない。息苦しい。

喉の奥から胸の中心、さらに背骨の内側へと、目に見えない何かが食い込んでいる。

 

 

 

 

ちっ、ちっ、ちっ。アリストテレス卿は人差し指を立て、ラードゥンの視界の中で左右に振っていた。

ラードゥンは必死に「力」を操作して圧迫感から逃れようとした。しかし、その時になってようやく、自分が女神の力を操れなくなっていることに気付いた。

 

 

 

『何だよこれえええェェェェッ!!!』

 

 

 

今まで好き放題に使っていた「力」が、自分自身を攻撃している。ラードゥンはその事実に本能で気付き、悲鳴を上げた。

 

 

 

撃たれたのはラードゥンではない。

アリストテレス卿が撃ち抜いたのは、竜王ではなかった。

彼へ流れ込み続けていた、あの膨大な力(・)の(・)濁(・)流(・)――女神の座から引きずり出していた純粋な力そのものだった。

 

 

 

卿が圧縮して弾丸にしたのは、小さく、完全に己の支配下にある純粋な「力」の塊。

それをラードゥンではなく、その身を無敵たらしめる女神の供給経路へと撃ち込んだのだ。

 

 

ほんの針のような一撃。

だがその結果は致命的だった。

 

 

 

ラードゥンは今まで、その力を使(・)う(・)ことは出来ても理(・)解(・)してはいなかった。

勇者として振るい、女神の寵児として引き出す。

補正として湯水のように乗せる。

 

 

 

力は常に自分へ流れ込むものであり、無限に与えられるものであり、使うものだった。

故にそこに所有権があること、管理権があること、奪われうることなんて彼は考えたことがない。

生まれついて奪う事には天才的に長けていても、奪われない方法など知らない。

 

 

 

アリストテレス卿は容易く竜王から女神の加護を奪った。

魔王と同じだ。食材を料理人の前に差し出せばこうもなろう。

 

 

 

供給され続ける女神の力に対する支配権。

ラードゥンではなく、その濁流自体を掌握し、逆に竜王の首と存在そのものを締め上げる形へ組み替えたのだ。

 

 

ヘルパーの奪取と無敵解除。

あまりにも容易くアリストテレス卿はラードゥンから加護を奪い去った。

 

 

 

今までラードゥンを無敵たらしめていた無限供給は、もう竜王のものではない。

それは既にアリストテレス卿の道具だった。

女神の力の扱い方、原理、使用方法においてアリストテレス卿を超える理解者は存在しない。

 

 

『が……っ、ぐ……ぅぅ……!』

 

 

 

喉を押さえる。

だが意味はない。

締め上げているのは筋肉でも、骨でも、気管でもない。

 

 

存在そのものへ入り込んだ女神の力が、今や竜王の制御を離れ、逆向きに牙を剥いている。

彼が感じる圧は、今まで自分を支えていた膨大な加護そのもの。

故に逃れようがない。

 

 

 

「盗んだ高級品で己を飾り立てて楽しかったですか?」

 

 

 

アリストテレス卿は、そんなラードゥンに淡々と事実を告げる。

静かに。冷たく。

まるで、あまりにも基本的なことも知らぬ愚かな学生を観察する教師のように。

 

 

 

 

錬成――『剣の冬』

 

 

 

その宣言と同時に、ラードゥンの内側で何(・)か(・)が変質した。

 

 

 

女神の力。マナ。

体内を満たしていた膨大なリソース。

それらが一瞬で別の構造へ編み替えられる。

 

 

刃。

刃。

刃。

刃。

 

 

数え切れぬほどの刀剣が、ラードゥンの体内で生成された。

 

 

しかもそれは、ただの金属ではない。

後の世にアロヴィタイトと呼ばれる物質である。

女神の力を物質化した異常なまでに鋭利かつ高密度な材質で組み上げられた無数の刀剣だった。

 

 

 

『――――ッッ!?!?』

 

 

 

次の瞬間、竜王の身体が内(・)側(・)か(・)ら(・)裂けた。

 

腹から。

胸から。

背中から。

喉から。

腕から。

脚から。

眼窩から。

 

 

白銀とも氷色ともつかぬ無数の刀剣が、肉を突き破り、骨を砕き、竜たちを貫いて一斉に飛び出す。

 

 

 

ラードゥンの全身を構成する百余の竜たちが、まとめて悲鳴を上げた。

 

 

一本の刃ではない。十本でも。

百本でも。千本でも足りない。

 

 

 

数千。

いや、それ以上。

体内から生え、突き破り、飛び出した剣群が、竜王という集合生命を一斉に串刺しにしていく。

 

 

一瞬で数千の命が吹き飛んだ。

 

 

 

『ぎ、ああああああああああああああああああああああッッ!!!』

 

 

ラードゥンは悲鳴を上げた。

 

 

先ほどまで他者を嘲笑っていたその口から。

女神の加護を無限に浴び、誰よりも強いと信じていたその怪物の喉から。

無様に。耳障りに、痛みと恐怖に引き裂かれた絶叫が泡宇宙の狭間へ響き渡る。

 

 

 

 

のたうち暴れる。

手足を振り回す。

全身の竜たちが狂ったように身を捩らせる。

 

 

だが遅い。剣は既に内側にある。

外から防げるものではない。

しかもそれらを形成した素材は、つい先程まで自分を無敵にしていた女神の力そのもの。

 

 

 

ラードゥンは、自らが纏っていた無限の加護によって、内側から刺し穿たれているのだ。

しかもこの力は無限に流れ込んでいる。自分自身で開いた道から延々と。

材料が無尽蔵なのだから、剣の生成も止まらない。

 

 

 

『あ、あっ……ああああああッ!!』

 

 

 

巨躯が転がる。

泡宇宙の狭間をのたうち回り、体内から飛び出し続ける刀剣に、さらに全身を裂かれていく。

 

 

ここにきて竜王はまともな言葉すら失っていた。

 

 

 

『どうしてこんなことするのぉぉぉぉぉぉぉッ!!』

 

 

 

ラードゥンは叫んだ。

 

自分の体内から噴き出し続ける無数の刀剣に貫かれ、数千の命をまとめて吹き飛ばされ、泡宇宙の狭間を転げ回りながら。

悲鳴と絶叫と、喉を裂くような怒鳴り声を混ぜ合わせて。

そのくせ、そこに自らの行いへの反省も、敗北を認める言葉もなかった。

 

 

彼が叫んだのはただひたすらな他責だった。

 

 

『なんで、なんでなんでなんでッ!! にんげんていどが、ぼくにこんなことしていいわけないじゃん!!』

 

 

 

腕を振る。脚を振る。

全身の竜たちが狂ったように牙を剥き、喉の奥からブレスを絞り出そうとする。

だが体内を走る剣群と、奪い取られた女神の力が、それを許さない。

少し動くだけでさらに刃が食い込み、またいくつもの命が吹き飛んだ。

 

 

 

『だまってしねよぉ!! ぼくがつよいんだ! ぼくは竜王なんだぞぉ!!』

 

 

 

喚き散らす。

言っていることは、もはや幼児の癇癪と変わらない。

理屈も筋もない。

ただ「自分が上なのだから従え」「自分が強いのだから黙って殺されろ」としか言っていない。

 

 

 

それでもラードゥンは本気だった。心の底からそう思っている。

世界は自分の遊び場であり、弱い者は自分に泣かされるためにいる。

そして自分が苦しむのはおかしい。

自分がこんな目に遭うのは間違っている。

 

 

 

『たすけて女神さまママァァァァァァァァ!!』

 

ついにラードゥンは叫ぶ。悲鳴混じりに。

泣きわめくように。

全身を構成する竜たちの口を一斉に開き、泡宇宙の狭間そのものへ縋りつくように。

 

 

 

 

 

『アロヴィナスさまぁ!! たすけてよぉ!!』

 

『ぼく、ゆうしゃだよぉ!!』

 

 

 

見苦しいほどの懇願だった。

今まで何人もの命乞いを笑ってきた怪物が、同じ口で、同じ喉で、同じ醜悪さのまま助けを求めている。

 

 

だがそこに恥はない。

ラードゥンは自分がみっともないとも思っていない。

女神に愛されているのだから助けを求めて当然であり、自分は救われて当然の存在なのだと、本気で信じている。

 

 

そこにあるのは、敗北を受け入れられない幼稚な万能感だけだった。

 

 

 

『ぼくはつよいんだよぉ!! ぼくがさいきょうなんだよぉ!! ぼくがしぬわけないじゃんッ!!』

 

 

叫ぶたびに、体内の剣が軋む。

絶叫するたびに、存在そのものを絞め上げている女神の力がさらに食い込む。

それでもラードゥンは喚き続けた。

 

 

自分が正しい。

自分が被害者だ。

悪いのは目の前の人間だ。

女神は自分を助けて当然だ。

 

 

ひたすらにどこまでも。

無様なほど徹底して。

 

 

アリストテレス卿はそれを見ていた。

 

 

泣き喚く竜王を憐憫とも軽蔑とも違う顔で。

自分の所業を一切顧みず、ただ「どうしてこんなことをする」と叫び散らす怪物を。

これまで数え切れぬほど他者へ与えてきた苦痛と絶望を、ほんの欠片だけ返されて崩れ落ちるその有様は、まぁ、見ていて愉快ではなかった。

 

 

 

彼は静かにリボルバーを持ち上げた。

 

 

小さな対人用の武器。

人間一人を倒すためには十分だが、竜王のような怪物を相手取るにはあまりにも場違いなそれ。

だがアリストテレス卿の手の中では、もはや外見の大小など意味を持たない。

 

 

 

その銃口が泣き喚くラードゥンへ静かに向けられる。

これで片が付くならそれでよし。

しかしきっと、そうはいかないだろうと思いつつ。

 

 

だってもう一人いるはずだから。

 

 

その予感は正解だった。

 

 

 

 

終わりを感知したのだろう。

暴れ狂っていた竜王の動きが、唐突にぴたりと止まる。

 

 

あれほど全身の竜たちの瞳に満ちていた、粘性を帯びた下卑た悪意。

玩具を壊す前の子供のような愉悦。

それらが一息に消え失せ、代わりに底へ沈んできたのは、純粋で、混じり気のない───憤怒だった。

 

 

 

『いたい、いたいよぉぉ……ギ、が、アァァァァ』

 

 

 

『………………』

 

 

 

 

喚き声が、徐々に小さくなっていく。

波が引く。その表現が最も近かった。

 

 

 

先程までラードゥンの内部で生み出され続けていた無数の刀剣も急速に数を減らしていく。

否。正確には違う。

生成はなお続いていた。

 

 

ただ、それを上回る速度で消(・)化(・)され始めたのだ。

 

 

ラードゥンの肉体を構成する細胞群。

強靭などという言葉では足りぬ、怪物じみた生命機構。

 

 

それらが本能的に生命の危機へ反応し内部へ流れ込む力そのものへ食らいつき始めている。

外から押しつけられた異物ではない。

自分を貫き、殺し、削り取っていたはずの力を、自分の側へ引きずり込み、咀嚼し、適応しようとしている。

 

 

 

生物の免疫機構が侵入してきた細菌やウィルスを殺そうとするのと似たような動きだった。

 

 

 

そして。

ラードゥン──いや、ラードゥンであってラードゥンではないナ(・)ニ(・)カ(・)が、ゆっくりと顔を上げた。

 

 

静かだった。

先ほどまであれほど見苦しく叫び散らしていたのが嘘のように。

 

 

 

竜王/■■は、アリストテレス卿を見つめていた。

まるで凪いだ水面のように穏やかでありながら、その奥底には深淵としか言いようのない激情が沈んでいる。

 

 

怒り。

憎悪。

絶望。

 

 

 

そして、それら全てが何度も何度も圧縮され、濾過され、もはや感情というより災厄そのものになったような濃度の怨嗟。

 

 

 

その目は、先ほどまでのラードゥンのものとは明らかに違っていた。

似ている部分はある。同じ肉体に宿っているのだから当然だ。

 

 

 

だが、本質がまるで違う。

 

 

ラードゥンの瞳には底の浅い残虐さがあった。

壊して、泣かせて、愉しむための悪意が。

今こちらを見ているものには、もっと深いものがある。

もっと古く、もっと重く、もっと救いのない何かが凝固したまま沈んでいる。

 

 

 

それは、怪物だった。

しかも竜王ラードゥンという現在進行形の災厄さえ一段低く見せてしまう種類の怪物である。

ミズガルズという女神の箱庭が産み出した罪悪の化身だ。

 

 

暴威で上回る、という話ではない。

出力で勝る、ということでもない。

 

 

 

存在の底に沈んでいる“壊れ方”が違う。

ラードゥンが現在形の邪悪ならば、これは終わった後に残った呪いだった。

既に壊れきって、なお残ってしまったもの。

 

 

 

泡宇宙の狭間が静まり返る。

先ほどまでの喧噪、咆哮、怒号、熱、痛み。

その全てが遠のき、ただ両者の視線だけがそこにある。

 

 

コレは女神が何度も何度も繰り返してきた茶番の果てに完成したモノ。

歴代の綺麗な主人公たちの様に受け入れなかった存在だ。

騙された事、己の善意を踏みにじられ、全ては茶番だと笑われた存在の怒りの権化だった。

 

 

アリストテレス卿は、その視線を受け止めていた。

驚かないし動揺もしない。

わずかに仮面の奥で観察の精度を上げるだけで、表には一切の乱れを出さない。

 

 

 

既にある程度の当たりはついている。

何故ラードゥンが『勇者』だったのか。

どうして彼は勇者がそうするように女神の座から力を引き出せるのか。

 

 

 

そしてミズガルズにおける魔物の効率的なマナの摂取方法と、アラニアから聞いたかつての勇者の話。

それらを統合すればある程度の予測はつく。

竜王ほどの魔物であればマナもろとも魂を吸収していてもおかしくはない。

 

 

 

何せ自分がそうなのだから。

人が出来る事ならば魔物だって可能だろう。

ある程度精度は落ちるかも知れないが、単純な負の衝動であれば焼き付けることは十分に可能なはずだ。

 

 

 

 

その得体の知れぬナニカもまた、もう喚きはしなかった。

見定めるように。確かめるように、ただ静かに卿を見て……剣を構えた。

 

 

 

 

そうしてアリストテレス卿は、ミズガルズの罪と遭遇したのだった。

 

 

 

 

 

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