ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
「───」
眼前に広がる空間にルファスは絶句していた。
無意識に口から零れた言葉は年相応の少女のものであり、自制の強い彼女が素に戻ってしまう程の衝撃がプルートにはあった。
狭くて暗くて湿気に満ちた、お世辞にも文明的とはいえない道をひたすら下り続けた一行の前に拡がったのは──青空である。
周囲に生い茂るのは青々とした草木であり、頬を撫でる風は瑞々しかった。
水の流れる音がする。金づちの叩く音も併せて遠くから響いてくる。
「どうして……地下、なんだよね、ここって」
呆然とした様子を取り繕う事さえ出来ずにルファスは無我で踏み出す。
ブーツから伝わるのは少しばかり湿気を宿した土の感触であった。
少女が青空を見上げれば、太陽の様に見えるモノが彼女を照り返した。
眩しさに目を細めるルファスの横にプランが並び解説していく。
「アレは【ムーンリットナイト】という魔法を応用して作られた人工の太陽なんだ
このプルートでは昼夜は魔法を利用して再現されているのさ」
原理としては夜の国【ミョルニル】において行使されている事と同じである。
かの国では吸血姫ベネトナシュの絶大な魔力によって常に時間は夜に固定されている。
もちろん放浪癖があるというか、常に強者との戦いを求めて国をあける事も多いベネトナシュの為に、魔法そのものを固定する仕掛けがミョルニルにはある。
「昼夜を再現……。 そんな事可能なの?」
「勿論簡単ではないよ。
プルートに張り巡らされているマナの流れを利用して絶えず動力を供給した上で、メイジ職についたドワーフたちが十人単位で術を維持しているんだ」
更に言うならプルートの領域全体に色々な仕掛けがあるんだよと解釈を入れてやればルファスは納得したようだった。
これらの設計考案にはアリストテレス家の先祖が関わっていたということもあり、彼は
「すごい……」
時間の営みさえ再現する魔法という圧倒的なスケールの力にルファスは目を輝かせながら翼を広げて軽く飛び立つ。
あっという間に10メートル程の高さに上った彼女は周囲を見渡した。
現在地は小高い丘の上であった。
丘の中腹あたりにトンネルの出入り口は開いており、そこから真っすぐに整備された街道の様なものが伸びていた。
街道は鬱蒼と生い茂る森の中に続き、森を抜けた先へと伸びている。
道の果てにあるのは幾つもの高層建築物が並んでそびえる“都市”であった。
規模にして間違いなくリュケイオンの20倍以上はあり、活気に至っては100倍を超えるかもしれないとルファスは思った。
十キロ以上離れている筈なのにここまで人々の喧騒が微かに聞こえる程なのだから。
都市の隣にはこれまた巨大な湖があった。
これもリュケイオンの周辺を覆っている湖よりも遥かに巨大である。
都市に住まう何万という命を養うのに十分すぎる程の水量だ。
ルファスは空を見上げる。
人工太陽の更に上を測る様に。
この巨大空洞の“空”の高さが気になったのだ。
(……7キロ、といった所か?)
ヴァナヘイムの高さを思い出す。
あれは大体3,8キロだったなと瞬時に想起して比べる。
地平の果ては……正直計算する気力が失せる程の広さなのでやめた。
とてつもなく広い、ということだけを覚えていればいいと彼女は割り切ったのだ。
大人しく降下してプランの横に足を付けた。
圧倒的なスケールのプルートに彼女の胸は高鳴っていた。
人は、人類はこれほどのモノを作り上げる事ができるのだと。
「これからどうするんだ?」
僅かに声を震わせつつ問う。
彼女の翼は興奮を表す様に小刻みに震えていた。
プランは軽く頷きながら答える。
「手筈では少ししたら迎えが来ることになってる……彼らを見たらきっと驚くよ」
プルートに感動を覚える少女を見て良い傾向だとプランは内心で安心を抱いていた。
素晴らしいモノを見て感動する。
未知の体験に心震わせる。
そういった子供の持つ純粋な心は彼女の中に確かにあると確信できただけで嬉しかった。
それらはルファスが憎悪を乗り越える際の大きな助けになる筈だと彼は思うのだ。
“驚く”という単語に頭を捻る少女にプランは微笑みながら言い聞かせる。
ルファスから見ても今のプランはとても上機嫌であり、舌がよく回っていた。
「リュケイオンとプルートの間は2000キロ以上離れている。
ガザド卿がどうやってリュケイオンに来たのかの答えさ」
ガシャン、ガシャンという音が遠くから聞こえ始め……どんどん大きくなってくる。
微かな地響きをルファスは感知し、腰のダガーに手を添えて翼をすっと閉じた戦闘態勢に移る。
しかしプランはそんな彼女を手で制し、視線を一点に固定し微笑み続けた。
「は?」
やがて視認できる距離にまで音源が接近し、全容を露わにするとルファスの口からは間抜けな声が漏れた。
ソレは4本脚であった。
しかして体勢は馬というよりはディノレックスの様な這いつくばった姿勢である。
そしてソレの全身は金属質な鉛色に輝いており、背中の部分に誰かを乗せていた。
【全地形対応型移動用ゴーレム】がこれの名前であった。
ディノレックスの優れた走破性を模倣して作られた高速移動する戦車だ。
ドワーフたちが鋳造し、主に自分たちの足として扱う武装ゴーレムの一種で、短足で馬に乗れない彼らが自分たちの為に作り出した馬である。
彼らの技術はもはや遠い世界で言う所の歩行戦車を作り出す域に至っているのだ。
「お久しぶりです、ガザド卿」
プランは恭しく頭を下げて一礼した。
前もって段取りでもしていたかのような流麗な動作であり、ルファスをして優雅な貴族だと思ってしまう程である。
「おぅ! アリストテレスの倅にマファールの嬢ちゃん、迎えに来たぜ。乗りな」
ゴーレムの乗車スペースに乗っていたのはガザドであった。
彼は腕を組んでドワーフ用の小さな椅子に根を張ったかの様に堂々と座っていた。
彼の言葉が終ると同時に主の指示に従いゴーレムはルファス達の前に頭を下げた。
頭部から背中にかけて乗り降りの為の梯子が設けられており
ディノレックスで例える所の脊髄に匹敵する個所のいくつかはくりぬかれて乗車用のスペースが確保されていた。
ルファスは自分が飛べる事も忘れた様子で背伸びをしてゴーレムの様々な個所をきょろきょろと見つめていた。
「かっこいい……」と彼女は目を輝かせてゴーレムに興味津々の様子である。
少女ながらもどちらかというと彼女の感性は少年的な側面の方が強いのかもしれない。
間違いなく自分の【バルドル】の方がかっこいいと思いながらもプランはガザドに一礼し、梯子に手をかけた。
「おぅ、俺たちのプルートはどうだったかい?」
ゴーレムに乗って街の大通りを端から端まで走り抜けた感想をガザドは聞いた。
二人を客人をもてなす豪華な部屋に石造りの部屋に案内したあと、このドワーフは偉大なる故郷への感想を求めたのだ。
問われた人物──もちろんルファスである──は興奮した面持ちで何度も首を縦に振る。
彼女は心の何処かでドワーフという種を侮っていた節があったのだが、プルートの街並みをゴーレムの上から見て回った今の彼女にはそんな心は欠片も残ってはいなかった。
ほんの30分程度の旅であったが、少女の価値観を一新させるほどの時間であった。
まず縦横無尽に張り巡らされた道路があった。
雑多に見えて、完全な計算の下に拓かれた道路であった。
そんな道路にはガザドが乗っているのと同じタイプのゴーレムが何百、何千と走り回りプルート中に資材や人をせわしなく移動させ続けている。
街の至る所には水路が存在しており、街の景観を彩る為の噴水が虹を作り出しながら芽吹いていた。
ドワーフたちが飾り付けた美麗な装飾品がそこら中に配備されており、芸術に疎いルファスの目さえそれらは釘付けにした。
建築された高層建築……『ビル』と呼ばれる巨大な立塔の高さは優に50メートルを超え、何万と据え付けられた窓からはマナを利用して作り出された光が漏れている。
遠目から見たドワーフたちの“工場”では夥しい量の鉱石が加工され、あらゆる武器、ゴーレム、日常品が絶えず生産され続けていた。
一日で何千人分ものあらゆる品を作り続けるプルートは正にミズガルズにおける人類の心臓といえよう。
あとはゴーレムたちの心臓ともいえるマナの高密度結晶である【マナ・クリスタル】の生産施設などもルファスの興味をひくものである。
残念ながら技術的秘匿性があるために中に入る事は出来なかったが、重々しい三角形型の巨大な石製モニュメントの中では何が行われているのかとても見てみたいと彼女は思った。
とてつもないマナの濃度が漂うあの中では、きっととんでもない事が行われているのだとルファスは夢を膨らませた。
洞穴に住んでいる原始人?
ちっこくて態度と声だけはデカい髭面?
とんでもない。ドワーフこそ正に地下世界の覇者であり、ミズガルズにおいてなくてはならない職人たちだ。
「すごかった……」
何処か舌ったらずで彼女は答えた。
余りの感動と興奮で翼は何度も無意識に羽ばたきを繰り返していた。
満点の反応にガザドは気をよくしたのか、にっこりと髭を震わせて笑った。
「だろう! 我らが偉大なる故郷、プルートにようこそ!!」
がははははと大声で哄笑する姿は正に伝承に伝わるドワーフの姿そのものであった。
だからこそモリア王は彼を代理人にしたのかもしれない。
ドワーフの“顔”として誰よりもドワーフであるガザドは正にうってつけの人事であろう。
「やっぱりこの子は逸材だな! どうだ? 将来プルートに来てみないか?」
ガザドがルファスに笑いながら提案する。
能力、気性ともに随分と彼はルファスは気に入ったようだった。
しかし誘われた彼女は顔を歪めて絞り出すような声で返答した。
未だ彼女の根底には傷が残っている。
黒い翼の自分はどこにも受け入れて貰えないという恐怖が。
「……私は、
自分の黒い翼を指し示してルファスは返す。
何処か相手の出方を伺うような、怯えの籠った仕草だ。
ガザドはルファスの翼を見て……当然天翼族の習性も知っている故に……直ぐに納得したようだった。
だからこそ彼は言う。
ルファスが天翼族の中でどんな扱いを受けてきたかを悟った上で、それら全てを笑い飛ばす様に。
「あ?
俺はお嬢ちゃんが気に入ったんだ。天翼族だか、翼の色がどうとか、知った事じゃねーな」
「……は?」
ガザドの言葉にルファスは呆然としたようだった。
リュケイオンのバカな変わり者たちならともかく、ドワーフ王の代行者であるガザドまでそんな事を言うとは思いもよらなかったのだ。
彼女はプランを見た。ありえないといった表情で見た。プランは頷く。
「ガザド殿の言葉に自分も賛成だ。ルファスは凄い子だと常々思ってるよ」
なおも信じられないといった顔をするルファスにプランは丁度いい機会だと思い一つずつ彼女の凄い理由を上げていくことにした。
いつも必死に努力している。
授業の際の予習復習もばっちり。
好奇心旺盛で知ることを楽しんでいる。
とても面倒見がよく、アリエスの世話もそうだが、時にはリュケイオンの子供たちのお姉ちゃんとして子供たちの憧れの的になっている。
お母さんを心から愛しており、ずっと親孝行を繰り返す心優しい少女だと思っている。
「もういい! やめろッ!」
次々と繰り出される言葉にルファスはたまらず吠えていた。
頬が赤くなり熱をもっていた。
心の奥底に熱をくべられる様な感触を彼女は拒絶した。
こんなものいらないと吐き捨てるように否定の言葉をプランに放つ。
「優しいだと? そんなわけないだろっ!
私はいつかお前を殺す女だぞ! 馬鹿じゃないのかッッ!!?」
違う、違う、違うと何度も拒絶を叩きつけてやるとプランは少しだけ寂しさと悲しみが入り交ざった顔を浮かべた。
その顔を見てルファスの心は僅かに満たされる。
自分の言葉で彼に傷をつけると彼女は暗い喜びを抱くのだ。
「んじゃ、その話は置いておくとしてだ……。
到着早々で心苦しいがアリストテレス卿に一つ依頼したいことがあるんだ」
ルファスの怒りもなんのそのといった顔でガザドは話題を強引に転換する。
彼は情に厚い男であるが、だからといって癇癪をおこす子供を1から10まで面倒を見てやるほどではないのだ。
ルファスとプランの間の確執などは流れる様に後回しにした上で、現実として存在する今の問題を解決するべくプランに言う。
「このまま【バルドル】の改良に、例のアレのお披露目!
といいたい所なんだがよ……ちぃっとばかし無視できない問題がプルートに起きててだな」
ガザドは頭を下げた。王の代行である彼がだ。
つまり、この話はモリア王からの話ということになる。
事の重要性を瞬時に把握したプランの顔が引き締まり、場の空気が微かに引き締まった事を察したルファスもまた怒りを引っ込めた。
ガザドは重苦しい顔と声で淡々と要件を述べた。
「プルートの地下鉱山がよりにもよって“ヘルヘイム”と繋がっちまったんだ」
【ヘルヘイム】
それは伝承に語られる地下世界であり、地上とは比べ物にならない程の高密度のマナが渦巻く異界の事である。
本来ならばプルートよりも更に更に、気が遠くなるほど地下の話なのでいくらドワーフが素晴らしい発掘能力を持っていたとしてもまずそこまで掘りぬくのは不可能な筈だったのだが……。
「どうにもヘルヘイムの奴ら、浮足立っているというか……。
あー、興奮してるといったほうがいいか……」
今までになかった事象をどう説明すべきかガザドは悩んでいたようだが、あーでもない、こーでもないと単語を探した後にようやくしっくりくる言い回しを見つけたようだった。
「殺気立ってる、あぁそうだな。コレだな。
……あいつらどうにも殺気立っててな。
いきなり地下採掘場の一部に“門”を作り出しやがった」
第一波としてあふれ出てきた魔物たちを追い払うのには非常に苦労したぜとガザドは言う。
有事を考慮しモリア王の用意していたレベル300オーバーのゴーレム軍団がなければ押し返せなかったと。
そして王に“リンゴ”を渡してレベリングを承ってくれたアリストテレスにも間接的にとはいえ大恩が出来たと続ける。
“リンゴ”がなければ今頃プルートは甚大な被害を受けていた事を考えるに、プランの功績はとてつもないものがあるのだと。
だからこそドワーフの代表としてガザドは頭を下げ、平時とは違う畏まった声と仕草で訴える。
「恥を承知で申し上げる。
アリストテレス卿。
我らを助けてはいただけないだろうか?
ヘルヘイムと繋がる“門”の向こう側を調査し、原因を突き止めた上でかの地との接続を断つ方法を編み出して頂きたいのです」
一度目の襲撃は押し返せたが、それでも根本的な解決には至っていない。
“門”は残ったままであり、いつまた魔物たちが押し寄せてくるか判ったものでない。
そもそも何故ヘルヘイムと繋がったかも定かではない以上、鉱山を閉鎖し、埋め立てたとしても違う門を開かれる可能性は大いにある。
故に必要なのは原因の追究と、根本的な解決である。
なぜ門が開いたのか、何者かの意図があったのか、もしもあったのならば元凶を突き止めて対処しなくてはならない。
だがしかしドワーフにそれらは不可能である。
彼らのゴーレムは素晴らしい性能をもっているが、ドワーフという種はそもそも戦士ではなく職人が本質だ。
存在こそ知られてはいるが、どのような構造なのか、何が生息しているのか、全てが未知のヘルヘイムに侵入し、戦い続けるだけの能力はない。
だからこそプラン・アリストテレスが必要であった。
マナという存在を研究し、魔物を殺す幾多の方法を持つ彼の力が。
「我々アリストテレスはあなた方とは先代、先々代……。
更にはその遥か彼方から友誼を結んでおりました。
友が助けを求めるというのであれば、断る理由などありません」
プランは朗々と答え、ルファスをちらりと見た。
彼女は腕を組んでプランを見返す。
「……ヘルヘイムの魔物というのは、強いのか?」
やはりというべきか最初に出るのはソレであった。
彼女の興味の対象は当然、強いか弱いか、である。
少女の疑問に答えたのはガザドであった。
「あぁ、すげえ強いぜ。
確認された限りじゃ最低でも200は超えている。
上限の方は……一応最高では320ってのが前回の襲撃で観測された奴で、あいつを倒すのに陛下謹製の戦闘用ゴーレム20機はおしゃかにされちまった」
ルファスは殴られた様な衝撃を覚えつつプランを見つめる。
自分の130などまだまだだという事実を噛み締めた。
そしてこの男のレベルは221。
つまり、ヘルヘイムにはプランよりも強い奴がうじゃうじゃいる。
そんな所にこのドワーフは送り込もうとしているのかと微かな憤りを覚えた。
「……」
“勝ち目はあるのか?” と問いそうになったが唇を結んで止める。
この男の生死など自分には何の関係もないからだ。
そんな彼女にプランは安心させるように、少しだけ気の抜けた微笑みを浮かべながら言った。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「倅が潜っている間、お嬢ちゃんは俺たちが責任をもって預かっておくぜ」
ガザドの補足にプランは何てこともないように幾つかの言葉を継ぎ足した。
余りに簡単に放たれた言葉にルファスはそれの意味する事を理解するのに少しだけ時間をかけてしまった。
「自分が戻ってこなかったらルファスと彼女の母を頼みます。
この地ならば先に貴方が仰った通り、誰も彼女の翼のことなんて気にも留めないでしょうから」
「ドワーフの誇りにかけて誓おう」
プランの言葉にルファスは愕然としていた。
両者の間でトントン拍子で話が進んでおり、彼女は口を挟むタイミングを完全に見失っていた。
いや、そもそもこの男は今、何と言った?
自分が戻ってこなかったら?
……つまり、死んだら私をドワーフたちに預ける、だと?
勝手なことを、と彼女は叫べなかった。
唐突に訪れたプランとの離別の可能性が彼女を乱していた。
自分でも判らない今までとは明らかに種類が違う怒りと、もっとそれらとは違うドロドロした感情が少女の中で羽化しようとしている。
「わたしのものなのに……」
小声で、誰にも聞こえない程度にルファスは呟いていた。
プランの命はいずれ自分が奪うものなのだ。
それなのに、これはいったいどういうことだと彼女は怒り狂っていた。
彼の命はルファスにとって
それを唐突に、いきなり、何の相談もなく捨てるなど決して許されることではない。
歯を食いしばり、瞳の中に得体の知れない黒い感情を滲ませながら彼女はひたすらプランを見つめていた。
半日の休憩の後、プランとルファスはガザドに案内されプルートの地下鉱山へと降りてきていた。
都市部から垂直に昇降機で3キロほど降下すれば、そこはドワーフたちが縦横無尽に掘り進めていた回廊の一角である。
正に蟻の巣と言う表現が相応しい程にあらゆる個所に孔が伸ばされており、多くの坑道の奥からは掘削音がひっきりなしに響いていた。
多種多様な鉱石に、時折ミスリルさえもここでは発掘することが出来た。
更にいうならばもっと貴重な一品さえもプルートの地下鉱山は齎してくれるだろう。
ここはミズガルズ最大の鉱山であり、無尽蔵の鉱石資源を提供する宝の山であった。
その中の一角、念入りに何体もの戦闘用ゴーレムに警備された封鎖区画の中に二人は案内されていた。
道中何人かのドワーフらとすれ違ったが、彼らは己らの仕事に熱中しているのかプランたちをちらとも見ることはなかった。
仕事中は己の世界に半ば引きこもり、黙々と作業を繰り返すのがドワーフという種である故にこれは当然の事なのだ。
何本もの道を潜り、幾つもの区画閉鎖扉を抜けた後でようやくガザドは歩みを止めた。
示したのは傍から見れば何の変哲もない坑道の入り口……真っ黒なトンネルである。
何も知らないものが見れば無数にある坑道への侵入口にしか見えない。
灯りはなく、真っ暗な、何処までも真っ暗な闇だけがそこには満たされていた。
空気が微かに吸い込まれ、吐きだされる。
地下には縁のない生暖かい湿気に満ちた……何かの生物の吐息の様な空気がルファスの頬を撫でる。
「ここだぜ。今は落ち着いているが、いつどうなるか判ったもんじゃねえ」
ガザドがトンネルを指さす。
真っ暗な穴は一見すれば何の変哲もないが、プランの【観察眼】には全てが映し出されていた。
あの“穴”の中は全く別の空間……ヘルヘイムと繋がっていると。
更に深く深く。
何十どころか何百、何千という単位でミズガルズの地下に埋もれた魔窟への入り口こそアレだとプランは瞬時に悟った。
微かに漏れてきている空気はリュケイオンよりもなお濃いマナを帯びており、時間的な猶予は余りないと彼は理解した。
今はまだつながったばかりで恐らく空間が安定していないのだろうが……あと数日もあれば完全にコレはポータルとしての役目を果たす様になってしまう。
そうなると、今度はヘルヘイムから無尽蔵に魔物たちがプルートに這い上がってくることだろう。
結果、どうなるかなど考えるまでもない。文字通りプルートは冥界と化すだろう。
気負わない様子でプランは一歩を踏み出し、【バルドル】のマスクを被った。
振り返り、ガザドを見て言う。
「判りました。では早速取り掛かりましょう。
自分が二日経っても戻らなかったらこの周囲一帯を爆破するなりして封鎖してください。
まだこの“門”は未完成のようなので、今なら物理的に封じ込めれば何とかなるかもしれません」
「感謝する。報酬は我らドワーフの全霊をかけて約束する。望むモノを差し出すのを誓おう」
国宝だろうが何だろうが出し惜しみはしないとガザドは断言した。
彼がそこまでいうという事はコレはモリア王の意思でもあった。
次にプランはルファスを見た。
彼女は半日の間、ずっと沈黙していた。
その間、顔を不機嫌に顰めてずっとプランを睨み続けている。
誰がどう見ても彼女はイライラしているようであった。
「ルファス。ガザド卿の言葉をちゃんと聞くんだよ?
プルートの人々はいい人ばかりだから、楽しんでおいで」
これから死地に向かうというのに何も変わらないプランにルファスは更に苛立った。
こんなの他人の尻ぬぐいではないか、貴方には何の関係もない事に命をかけるのか、そもそもお前の命は私の獲物なんだぞと彼女は苛立ちを膨らませた。
「……知らない。お前のことなんて、しらないっ!
勝手にいけばいいだろう!! 帰ってこなくたって別に構わないッッ!!」
ヘルヘイムで死んでしまえと吐き捨てる。
翼を震わせ怒りを撒き散らす彼女に慣れたモノであるプランは微笑むだけだ。
彼は最後にガザドに大きく頭を下げてから踵を返しヘルヘイムへと繋がるポータルへと身を潜らせた。
「ぁ……」
最後に呟いたのは果たして誰であったか。
※ヘルヘイムに無事にたどり着いた様だ。
※違う。 ここはヘルヘイムと地上の中間地点のようだ。
プランは冷えついた足場を軽く爪先で叩きながら周囲を確認していた。
周囲は薄暗く、凍り付いているように青かった。
周囲を満たすマナの濃度はリュケイオンの比ではない。
余りに高濃度のマナは局所的に時空間の歪みさえも引き起こしかねないものがあった。
そんな中、プランは大きく深呼吸した。
今の
誰の目もなく、誰に遠慮する必要もなく、そしてここは興味深い現象の宝庫だ。
久しくなかった冒険と言う行為にアリストテレスは高揚を抱いていた。
ほんのちょっとだけ、プランは己を緩めた。
彼はアリストテレスの思考が脳を満たすことを許し、アリストテレスの喜びを顔に張り付け、アリストテレスの覇気に満ちたエネルギーで身体を動かすことを許した。
彼はこの時だけプラン・
しかして根幹の部分にプランは残っていた。
彼はつい最近あった事を想起し、怒りを抱く。
ヴァナヘイムで嬉々としてルファス母子を苛め抜いていた子供の顔と言葉を思い出す。
全く以てふざけた話だと怒りを噛み締める。
あの時胸の中に抱いた怒りを彼はここで発散することにした。
彼にだってストレスを発散したくなる時くらいはあるのだ。
精度と規模を増した【観察眼】は瞬時にヘルヘイムのあらゆる法則を読み取り、解析し、瞬間的に最善の手をはじき出した。
天文学的な確率の上で可能な作戦を彼は瞬時に実行に移す。
※レギュレーション決定。
※ヘルヘイムの魔物の掃討を行いつつ元凶を発見し、無力化する。
まずは小手調べとして自分を上下に挟む様に【サイコスルー】で念力の壁を作り出す。
軽くジャンプすれば上の壁にぶつかり、下へと勢いをつけて戻される。
そして足元の壁に触れれば更に勢いを増して上へと戻される。
プランの身体を反射し続ける度に【サイコスルー】の念壁からは奇妙な効果音が響いた。
ドゥ、ドゥドゥドゥドゥ……。
プランの身体は二枚の壁の間で何度も何度もバウンドを繰り返し、どんどん加速していく。
彼は跳ねる度に速度を
十倍、十倍、更に十倍。一回跳ねる度に効果音の切れ目はどんどん短くなり、加速は延々と続く。
ドゥドゥドゥドゥドゥドゥ。
まだまだ早くなる。
もはやプランの姿は霞がかって見えなくなり始めた。
ドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥエ────
銃を二回だけ壁に放つ。
【錬成】を宿したソレが壁にめり込み沈んでいく。
それで準備は完了であった。
体感時間の調整完了。
周囲の景色が停滞する中、彼だけは普通に動ける。
久しくない力の解放にアリストテレスは歓喜し、ヘルヘイムを解析するべく脳を回す。
その速さ速度にして約マッハ44万。
光のぴったり半分の速度だった。
秒速にして15万キロという速度まで速度をため込み、動き出す。
圧縮された時間はおおよそ
彼は一秒間にこのフレームの回数と同じ数だけ
発進。
亜光速まで加速した結果ドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥという効果音はもはやド────という連続した重低音と化していた。
※ まずは挨拶をしようか。
アリストテレスが動き出す。
一秒間に9億4600万回世界に影響を及ぼしながら。
おめでとう! プランはアリストテレスに進化した!