ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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みんな大好きマルスです。



ポルクスはアネ゛デパミ゛を召喚した!

 

 

 

 

 

帰還した覇王ルファス・マファールと揃いつつある十二星天。

それを葬り去るために女神アロヴィナスは妖精姫ポルクスに意識を転写しアルゴナウタイを用いて大規模な攻勢をかけていた。

かつての英雄たち、神話に名高いアイネーアース、ウラヌスに歴代でも屈指の力を持っていた勇者マイク。

 

 

そして十の頭を持つ竜王ラードゥンの亡霊。

 

 

思いつく限りのミズガルズの歴史における偉人や怪物たちを召喚しルファスにぶつけるが勝てない。

鎧袖一触という言葉の通り、ただの一撃も届かずに彼らは敗北し粒子となり消え去ってしまった。

特に勇者マイクはアロヴィナスの肝いりともいえる歴代最強格の勇者だったが今やルファスの拳によって星になって輝いている。

 

 

 

ルファスはあきれたような目線でポルクスを、正確には彼女に憑依して操っているアロヴィナスに向けていった。

 

 

 

「で、まさか今のが切り札なのか?」

 

 

 

「ぐ……!」

 

 

 

ポルクスの口から漏れたその声は妖精姫のものではない。

苛立ち、焦り、そして屈辱に染まった憑依している女神の声だった。

女神──アロヴィナスは必死に思考を回す。

 

 

 

追い詰められたポルクス/アロヴィナスは視線を方々に向ける。

頼みの綱だった竜王は思っていた以上に弱くて使い物にならない。

獅子王程度といい勝負をしてしまう程に弱体化しており、かつて見せていた悪意の権化の如き怪物性は見る影もない。

 

 

今も吸血姫に叩きのめされ、白眼を剥いて倒れこんでいる。

ベネトナシュはそれをゴミでも見るかのような目線で見やりさっさと腕を組んでルファスの背後に佇むだけだ。

彼女はきっと直ぐには手を出しては来ないだろう。

 

 

 

だが彼女のポルクスを見る眼には明らかな軽蔑と敵意が混じっている。

吸血姫は執念深く今も覚えているのだ。

かつてのプランとの戦いの際にふざけた横やりを入れられたことを。

 

 

 

亡き父の外見を被った女神がどれだけの侮蔑を己に飛ばしてきたことをベネトナシュは覚えている。

彼女はルファスの味方ではないが、同時にアロヴィナスの仲間には決してならない。

何なら仮にルファスが敗れた場合は堂々と次は私の番だとアロヴィナスに殴りかかってくることだろう。

 

 

 

 

孤立無援にして圧倒的不利。

アロヴィナスの置かれている状況はそれに尽きた。

ポルクスの誇る無尽蔵の物量でルファスとその配下を押しつぶそうというのが彼女の計画だったのに。

 

 

 

だがこのザマだ。

彼女は失敗していた。

それはもう完膚なきまでに。

 

 

そも、アリストテレス兵器群とマナ・キャンサーの文字通り無限の物量を相手していたルファスにアルゴナウタイ程度では話にならないのだ。

 

 

 

(何か、何かありませんか……!)

 

 

 

焦燥が広がる。

プライドはとうに傷ついていた。

女神である自分が、ここまで追い詰められている。

 

 

その事実が彼女を苛立たせ同時に急がせていた。

 

 

 

アロヴィナスは必死に思考を回す。

本体であればルファス程度なら容易く葬れるがそれではミズガルズという宇宙も消し去ってしまう程に強大な女神である彼女。

故にこんなポルクス等といった肉体に入り、そのスキルだけで立ち回るなどというのは彼女にしてみればとんでもない縛りでしかない。

 

 

繰り返すが本体であれば、こんな連中など問題にもならない。

しかし今の彼女は違う。

 

 

借り物の肉体と借り物の力。

借り物のスキルもだ。

ポルクスという優秀な器を使ってなお、この有様だ。

 

 

 

あらゆる物事を無尽蔵な力で蹂躙して解決できる彼女がこんな指揮官の様な役割など出来るわけがなかった。

 

 

 

探す。

 

 

 

アルゴナウタイの召喚対象一覧をくまなく。

システムの奥底に並んだ英霊召喚のリストをまるでレストランのメニューでも見るかのように。

まだ使えそうな者に呼び出せる者はいないか、今この場で少しでも役に立つ者は?

 

 

アルゴナウタイで召喚できる人物のリストはもうほぼ全てが空欄となっており使えない。

それでも、ナニカ、何か使えそうな道具はないかと。

 

 

だが、残念ながらもうほとんど空欄だった。

あれだけあったのに全部空っぽだ、品切れと言っていい。

 

 

 

リストの大半は既に機能を失っている。

チッと女神は舌打ちした。どうしてこう、使えないんだと苛立つ。

それでもアロヴィナスは諦めずに視線を走らせた。

 

 

 

残っているものはないか。

埋もれているものはないか。

何でもいい、今だけこの場をひっくり返せる何かが。

 

 

 

このままルファス・マファールの勝ち誇った顔を見ているのは我慢ならなかった。

自分の大きな計画の小さな歯車、ただの一役者に過ぎないだけの駒が好き勝手するなど女神のプライドが許さない。

 

 

そして。

彼女は一つの項目を見つけた。

 

 

 

「……?」

 

 

そこに表示されていたのは、名前とも記号ともつかない歪んだ文字列だった。

 

 

 

 

「アネ゛デパミ゛」

 

 

 

フォントそのものが崩れていた。

システムの中で無理やり浮かび上がっているような、不安定で、読めるようで読めない、気味の悪い表示だった。

 

 

アロヴィナスはしばしそれを見つめた。

思い出そうとする。こんなものあったか?

 

 

これは何だ。

誰だ。どういう登録対象だ。

何故こんな形で残っているのか全く判らない。

 

 

だが、答えは出ずに時間は有限だ。

時間だけが過ぎていく中、ルファスは待ってくれない。

覇王は拳を握りしめ、さて、どうてやろうかと言わんばかりにポルクスを睨んでいる。

 

 

 

背後ではベネトナシュが腕を組んだまま、露骨な軽蔑を込めてこちらを見ている。

十二星天の視線も痛い。どうせ何をしても無駄だと言わんばかりな目線だ。

ガリガリとプライドを削られ、もう一秒たりとも迷ってはいられなかった。

 

 

だから、アロヴィナスは叫んだ。

最悪これが通じなかったらプライドは投げ捨ててポルクスを人質に取りルファスに降伏を迫ろうと決意を固めて。

 

 

 

「も、もう何でもいいから来なさい! 英霊召喚!」

 

 

 

大気が揺れる。

ポルクスの周囲に幾重もの魔法陣が展開し、蒼い光が弾けた。

彼女は女神としての権能でポルクスの力を用いてこれが自分の世界の中にあることを許可したのだ。

 

 

 

召喚の術式が強引に回る。

正常な手順も確認もない。

ただ、その文字化けした何かを無理やりこの場へ引きずり出すためだけの乱暴な起動だった。

 

 

 

そして。

光の中心から、ひょこっと何かが飛び出した。

 

 

 

「呼ばれて僕、参上!」

 

 

 

甲高い声が響く。

現れたのは少年だった。

何だこいつはとルファスは見慣れない魔神族の登場に眉をひそめた。

 

 

年の頃は十代半ばほど。

見た目だけなら快活そうな少年に見えなくもない。

 

 

だが、その肌は青色。

目の色も普通ではなく金色だ。

魔神族。そう判断するのに時間はかからなかった。

 

 

 

少年は着地すると同時に、くるりと一回転した。

続けてびしっとポーズを決める。

まるで自分が世界の主役とも言わんばかりの動作だ。

 

 

 

無駄に決まっていた。

そして、そのまま勢いよく喋り始める。

アリエスが目を細めて記憶を探り…‥次いで思い出した彼は不機嫌となった。

 

 

こいつは未だに覚えているくらいにふざけた奴だった。

 

 

「今こそ見せよう、蘇りし僕の本当の実力を!」

 

 

ルファスは黙って見ていた。

ベネトナシュも、アリエス以外の十二星天も、誰一人すぐには動かない。

あまりにも予想外すぎて、一瞬全員が判断を保留したのだ。

 

 

 

「僕こそ偉大なる魔神族! 魔神王様の右腕たる七曜!!」

 

 

 

少年はちょこまかと走る。

飛んでは跳ねる。

まるで羽虫だった。

 

 

ルファスの周囲をぐるぐる回る。

うるさい。とにかくうるさい。

魔神王の周りでもこんなテンションだったのかこいつはとルファスが思ったことを誰が責められる。

 

 

「この七曜の一人『火』のマルスの全力をもって君を焦がし尽くそう!」

 

 

 

彼は名乗った。

マルス、と。

アリエスがため息を吐き、カルキノスに目線を向けた。

 

 

 

そして小声で呟く。

当時のイライラしていた時にやられた嫌がらせを思い出し、思わずうんざりした調子で彼は言う。

この調子で周囲を飛び回られ、リュケイオンを攻撃しろとチクチクチクチク煽ってきたのだ。

 

 

もちろんアリエスは切れた。

怒りに任せてプチッと潰して多少はすっきりしたはずなのに、またこいつを見ることになるなんて。

 

 

「僕、あれにずっと絡まれてたんだ……」

 

 

 

「OH……」

 

 

 

七曜。

魔神王傘下の精鋭たち。

その一角を担っていた「火」のマルスは名前だけ聞けばなるほど、かなりの大物に見える。

 

 

しかし本人のその名乗りに威厳はなかった。

言葉だけが妙に大仰で、動きは落ち着きがなく、声は耳障りで、まるでコメディの登場人物だった。

しかも自分の世界に入り込んでいるせいか全く止まらない。

 

 

 

「刹那――即ち時の輪が交わるその一瞬に見るがいい、蘇りし僕の本当の『魂の波動』を――――!」

 

 

ルファスの眉がぴくりと動いた。

彼女を満たすのは苛立ちだった。

今この場で最も相応しくない種類の存在が出てきたという、純粋で率直な苛立ちだった。

 

 

ようやく散々に世界を弄んできた女神と依り代越しとはいえ対決しているのにこれなのだから。

 

 

 

「炎とダイアモンド・ダスト、双ふたつの対極のパワーが混じり合う事でこの瞬間新たに進化する聖域ここに混沌より生ずる!」

 

 

マルスはまだ喋る。

無駄に身振り手振りまでつける。

飛んで、回って、片腕を掲げ、もう片方の腕を胸に当て、勝手に盛り上がっていた。

 

 

「交わらざりし力に今齎されん永遠にして一瞬の奇跡、時を超え神化せし未来への胎動!」

 

 

ルファスの表情が消えた。

完全に消えたソレを見て主が苛立つときの顔だと知っている面々は息を飲んだ。

あぁ、うん、仕方ないと誰かが頷く。

 

 

 

「奏でるがいい、炎よ。絶望の唄を。唄うがいい氷よ。祝福の賛歌を!!!」

 

 

 

なおも続く。

誰も止めない。

いや、止める前にまず終わらない。

 

 

「君はもう囚われた。逃げ場はどこにも存在しない。道は未知にて閉ざされた!!!」

 

 

さすがに、ベネトナシュが片眉を上げた。

十二星天の中にも露骨に胡乱げな顔をする者がいる。

アロヴィナスでさえ、一瞬だけ「あれ?」という顔をした。

呼び出した本人がそんな顔をするな、と誰かが言いたくなるくらいには、場の空気が妙な方向へ流れていた。

 

 

 

「恐れよ、怯えよ、そして祝福し称えるがいい。これが僕の生み出す刹那の光。

 死の瞬間君は見るだろう。君を無へと誘う優しき抱擁。散れ! 究極奥義・大紅蓮――」

 

 

「五月蠅い」

 

 

 

ルファスが言った。

本当に、それだけだった。

 

 

次の瞬間には拳が振るわれていた。

構えてさえもいない攻撃というのも憚れる雑多な動作。

ただ、鬱陶しい羽虫を払うくらいの気軽さでルファスはマルスを殴り飛ばした。

 

 

ドゴン、と鈍い音が響く。

マルスの身体は一瞬で彼方へ消えた。

 

 

空の向こうへ瞬く間にマルスは消え去った。

そのまま月の表面に何かが音を立てて落着し衝撃が衛星に走る。

あまりにも綺麗に吹き飛んだので、逆に気持ちがいいほどだった。

 

 

 

静寂が落ちる。

ルファスはそのまま、アロヴィナスへ視線を戻した。

 

 

目の前の問題はこちらなのだ。

今の雑音に構っている暇はない。

だから彼女は、本当にそれで終わりだと思った。

 

 

だが。

 

 

 

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「呼ばれて僕、参上!」

 

 

 

同じ声が、同じ場所から響いた。

ルファスの目が、すっと細くなる。

 

 

マルスが再び現れたのだ。

さっきと全く同じ場所に。

全く同じ姿勢で。

全く同じ笑顔を張り付けて。

 

 

そして、同じようにポーズを決めている。

一瞬だけ、誰も動かなかった。

それは驚きというより、理解が追いつかなかったからだ。

 

 

ルファスがポルクスを見るが、女神でさえ不可解な挙動に目を丸くしていた。

 

 

皆の想いは一つだった。

 

こいつは、今、ルファス様に殴り飛ばされたはずなのにと。

何が起きている? 

コレは一体何がどうなっているのだと。

 

 

マルスは再び口を開いた。

 

 

「今こそ見せよう、蘇りし僕の本当の実力を!」

 

 

まったく同じだった。

抑揚と仕草も。声量と声音。

全てが再生されている。

 

 

さっき殴り飛ばされた出来事など、最初から存在しなかったかのように

 

 

 

「僕こそ偉大なる魔神族! 魔神王様の右腕たる七曜!!」

 

 

 

ちょこまか動く。

跳ね回る。

そしてまた、同じ長口上を始める。

 

 

意味不明なのにまるでこれが普通だと言わんばかりに。

 

 

 

「だがもう容赦はしない、この七曜の一人『火』のマルスの
太
陽のシステム
は、非常に冷蔵庫へ敬意を払っています!」

 

 

何かが歪んだ。

余りに当然の様に奇妙な文が口上として放たれていく。

 

 

「彼女の叔母である電柱がアスファルトの上で
平
泳ぎ
を公式に承認したからです。ああ、なんてことだ、総天然色のカエルたちが国会議事堂のファスナーを開けて飲んだ!!」

 

 

 

再び邪魔だと殴り飛ばそうとしたルファスが止まった。

この魔神族は見る限りだととても弱い。

感じる気配は1000どころか300程度しかない筈だ。

 

 

なのに、とてつもなく嫌な気配がする。

侮るなとルファスの本能が囁いていた。

 

 

 

マルスは笑顔だった。

ふざけているわけでも、怯えているわけでもない。

本人の中では何ひとつおかしなことを言っていない、そんな顔だった。

 

 

「土曜日が溢れ出しているではありませんか!あなたは自分の脳みそにアイロンをかけたことがありますか?

いいえ、郵便ポストが赤いのは決してあなたの過失ではなく、単に電子レンジが春のパレードを妊娠したという統計的な事実に過ぎません」

 

 

声が少し弾んでいる。

むしろ最初より楽しそうですらあった。

ベネトナシュが、心底嫌そうに吐き捨てる。

 

 

「気色の悪いものを」

 

 

この感覚を彼女は良く知っている。

もう感じることなどあり得ない何処か狂った法則の訪れ、その予兆だ。

 

 

 

マルスは誰の言葉にも反応しない。

己を呼んだアロヴィナスの反応さえ気にしていない。

いや、聞こえていないのかもしれなかった。

何故なら彼は視線が合っているようで、どこも見ていないからだ。

 

 

「
回
転
木馬のネジ
が外れて、私の懐中時計から半熟の
観
覧車
が孵化しています!すべての招き猫は直ちにその周波数を提出しなさい。

さもないと、昨日の夕暮れがあなたの靴下を裁判にかけ、永遠にマーマレードの哲学をアンインストールするでしょう」

 

 

 

マルスは、ゆっくりと首を傾げながら滔々と語る。

まるでルファスに言い聞かせるようだった。

ルファスの背後で誰かが息を呑んだ。

 

 

マルスの言葉は、もはや会話の形を辛うじて保っているだけだ。

如何にレベル1000であろうと意味不明なモノを見るとどうすればいいかわからなくなる。

嫌な予感にアイゴケロスが魔法を用意し、カルキノスがいつでもルファスの盾になれるように備え出した。

 

 

 

「何を言っている……?」

 

 

 

ルファスが低く問う。

マルスはにっこりと笑った。

問いかけに答えたのかどうかも怪しいまま、さらに続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

親愛なるシャンデリアの諸君、本日も盛大な胃カメラの収穫祭にご参列いただき誠にありがとうございます!

我が社の最新型トースターが、ついに太平洋の
著
作権
を丸ごとトーストすることに成功いたしました。

ご覧なさい、あの美しい背広を着たフラミンゴたちが、非常階段の滑走路から次々と昨日のニュースを産卵しているではありませんか!

もはや誰も、信号機の思春期を止めることは許されません。

 

 

 

もしあなたの引き出しから三日前の水曜日が発見された場合、直ちに最寄りの自動販売機へ謝罪文を提出してください。

さあ、マネキンたちの合唱団があなたの前頭葉でテープカットを行いますよ!歓喜の紙吹雪はすべて、純度百パーセントの領収書でできています。

時計の
針
を逆さまに茹でて、永遠の昼休みを総天然色でダウンロードしましょう。

ブラボー!
扇
風機の羽根がすべて極彩色の蝶々に変わって、あなたの期限切れの住民票を熱烈に祝福しています!

 

 

緊急の気象情報ならびに臨時株主総会をお伝えします。

今朝方、あなたの鎖骨のあたりで発生した
低
気圧
は、無事にブリキの勲章として内閣総理大臣から表彰されました!

 

 

 

 

 

これらはミズガルズでは常識だからです!

 

 

 

 

 

 

 

アロヴィナスの顔から、はっきりと余裕が失われる。

さっきまでなら使い捨ての駒として笑い飛ばせただろう。

 

 

だが、今は違う。

これは制御下にある召喚体の挙動ではない。

少なくとも、彼女の想定した英霊召喚の範疇には収まっていない。

 

 

 

「……おかしいでしょう、貴方」

 

 

 

ポルクスの口を借りたアロヴィナスが、苛立ち混じりにそう漏らす。

マルスはようやくそちらへ顔を向けた。

そしてにっこりと満面の笑顔を浮かべた。

 

 

ジジジジジ、と。

耳障りなノイズが、マルスの全身から噴き出した。

故障寸前の機械が最後に吐き出す悲鳴、断末魔の様な音。

 

 

最初はただ輪郭がぶれたように見えただけだった。

だが次の瞬間には、そのぶれ方が明らかに狂気じみた方向に振り切れた。

 

 

肩が揺れる。

腕の長さが一瞬だけ伸び、すぐに縮む。

頭の形が崩れ、色が抜け、また別の色が差し込まれる。

 

 

 

生き物が動いているというより、何枚もの絵を無理やり一枚に重ねたものが、その場でずれ続けているような歪み方だった。

マルスだったものは、もう少年の姿を保てていなかった。

 

 

服が消える。

肌の色が消える。

髪も、顔立ちも、目も口も、何もかもが意味を失っていく。

 

 

代わりに現れたのは、無数の色と景色だった。

 

 

 

森。海。夜空。石畳。

炎。雪。深海。洞窟。

 

 

見覚えのない街並み。

見覚えのない部屋。

誰も知らない空。

誰も知らない水底。

 

 

 

それらが皮膚の代わりに貼り付いている。

一つの肉体に収まっているのではない。

人の形をした器の表面へ全く関係のない光景が、絵画の切れ端のように無数に継ぎはぎされていた。

 

 

しかも、そのどれもがじっとしていない。

波は揺れ、火は燃え、雪は降り、雲は流れ、光は瞬く。

人の姿をしたまま、無数の別世界が同時にそこに在るような不気味さだった。

 

 

ゲームのテクスチャがぐちゃぐちゃに歪みバグった時の様だと「彼」はそれを見て思った。

 

 

顔には何もなかった。

目も、鼻も、口もないのっぺらぼうだ。

 

 

ただ辛うじてそこに“顔の様なもの”だけが残っている。

それでもなお、見られていると全員が理解してしまう。

視線と呼ぶしかない何かが、確かにそこにあった。

 

 

 

 

ミズガルズに在ってはいけないモノ。

正しく異物と言えた。

 

 

「……な、に……?」

 

 

誰かが、かすれた声でそう漏らした。

 

 

それが誰だったか、ルファスには分からなかった。

自分かもしれないし、背後の誰かだったかもしれない。

それほどまでに、場の空気が一変していた。

 

 

少なくとも先まであった何処か穏やかな、勝利を確信した気配はない。

奇妙かつ意味のわからない異物への警戒が彼らには満ちていた。

兵器群に散々に煮え湯を飲まされた彼らは未知への警戒心が強くなっているのだ。

 

 

 

異物は左右にふらふらと揺れている。

ゆらり、ゆらりと。

 

 

 

現れただけだった。

ただそこに立っただけだった。

それなのに、ミズガルズが狂いだす。

 

 

 

空間の端で、ピキ、と妙な音が鳴る。

 

 

それは何かが割れる音に似ていた。

だが実際に割れたのは石でも木でもない。

ミズガルズそのものに組み込まれていた“ルール”の方だった。

 

 

女神が拒絶し、いらないと消し去ったモノが再び戻ってきたという矛盾に世界が動作を狂わせた。

必要ない、存在しない、存在してはならないモノがあることの齟齬をどうにかしようとしてその崩壊は増大していく。

 

 

 

互換性のないシステムを無理やりつぎはぎしようとした結果、世界は矛盾と動作不良を起こし悲鳴を上げている。

 

 

ルファスの視界の右端で、空気の流れが一瞬で止まる。

世界中の雲の運航が制止し大気圏で荒れ狂う全ての風が0となった。

はかなく揺れていた草が、途中でぴたりと静止した。

 

 

そのすぐ隣では逆に砂粒だけが異常な速さで動いていた。

先に起きていた激戦の影響で空に舞い上がり、緩やかに落ちて来ていた小石や砂利が途中でピタッと止まり、次の瞬間には急加速して地面にめり込んだ。

 

 

 

更にはミズガルズの各所で時間の進み方が狂っていく。

同じ場所にあるはずなのに、進み方が違うのだ。

 

 

ある地点では一瞬で物事が流れ、市民たちはレベル1000もかくやという速度で日常を送るが誰もその異常性に気づいていない。

その隣では逆に減速しており、誰もがあり得ない程にゆっくりと動いていた。

 

 

さらに別の場所では、ほとんど止まっており人々は日常の動作のまま停止していた。

世界の運営速度が場所ごとにばらばらになっているのだ。

 

 

 

ある場所では老人が階段を下りながらゆっくりと地面に沈み込んでは一瞬前の場所に戻る動作を繰り返す。

ある場所ではカップルがキスをしながらゆっくりとノイズまみれになってカクカクと上下に震えている。

更にはミズガルズの海そのものが色合いを一瞬ごとに変え始めた。

 

 

 

紫、白、青、黄色、オレンジ。

おおよそ自然界ではめったに見れない色彩に海そのものがぱっぱっと点滅するようにフォトを変えていく。

更には昼夜の運航が奇妙な様相を見せ、昼と夜が超高速で流れ出す。

 

 

 

ミズガルズの自転速度が超加速しているのだ。

ただし奇妙なことに惑星上の住人には何の影響もないが、これはとても幸運な事だろう。

もしも慣性やら何やらが破綻していたら全ての住民は宇宙に放り出されていたのだろうから。

 

 

 

この場にいる異変を異変と理解できるほぼ全員が本能で理解してしまう。

この意味不明な挙動はこいつのせいだと。

レオンでさえ何が何だかよくわからないが牙を剥きだして唸り威嚇を始めた。

 

 

「カルキノス」

 

 

「yes」

 

 

 

アイゴケロスは即座にルファスの斜め前へ出てカルキノスの名を呼ぶ。

この同胞は攻撃能力はないが、こと主を守るという意味では悔しいが十二星天でも指折りだからだ。

最悪、この男は盾になれる。

 

 

カルキノスもその意を組み一歩踏み込み、すぐに主を庇える位置を取る。

アリエスはリボルバーに手を伸ばし、リーブラも同じく大規模な武装を展開。

スコルピウスは苛立ちながら高濃度の複合毒を尻尾より垂らした。

サジタリウスは微かに緊張しながら弓を構えた。

 

 

誰も動きに迷いはない。

だが、その表情には明らかな硬さがあった。

ルファスの敵と見れば速殺に掛かる十二星天が動けていないのがその証拠だ。

 

 

 

無限に回転し続ける昼夜のダンスの中、誰もが異物の動向を注視している。

 

 

そしてルファスは握る手に力を込めたまま、動かない。

瞳は瞬きさえせず異物を凝視している。

しかしこれは敵だからとか、危険だからとか、そういう理由ではない。

 

 

 

理屈ではない。

殺気を浴びたとか、圧力を感じたとか、そういう段階ではなかった。

もっと直接的で、もっと原始的な拒絶。

骨の髄より深いところで、彼女という存在そのものが「このままではダメだ」と絶叫した。

 

 

壊れたゴーレムか、もしくは矛盾した指示を与えられた低知能のゴーレムの様のルファスの思考はループを続けてしまう。

 

 

 

駄目だ。何が駄目なのか判らない。

何をされたのかも判らない。だが、とにかくこのままでは駄目だ、と。

 

 

 

目の前の異物は、強いのか弱いのか、それすらすぐには分からない。

感じる気配は薄い。

レベルだけ見れば、マルスだった時と大差ないのかもしれない。

だが、そういう話ではないと彼女の全身が叫んでいた。

 

 

ぐちゃぐちゃにされた脳の中でルファスは叫び続けていた。

余りに気持ち悪くて吐きそうだ。何でこんなことになっている。

アロヴィナスはいったい、何を呼び寄せた?

 

 

 

(なんだよ、何が起きてるんだ!)

 

 

(あいつは一体、奴は一体、何者だ……!!)

 

 

(何でこんなことになっている!! あいつは誰だ!!!)

 

 

(あり得ないあり得ないあり得ないあり得ない───!!))

 

 

(きもち悪い、頭がいたい。俺は一体どうナってるんだ。いたい、いたい、帰りたい、家にかえりタイ)

 

 

(家? いえってどこだ? 俺は何処にすんでいた? おれ、オレ、おレの名前ってそもそモ、なんだっけか……?)

 

 

(────死体はどこだった? 見てない。ベネトナシュが言う様に、決定的な瞬間を俺は見ていない、余は見ていなかった。私は何を見ている?)

 

 

(奴は竜王じゃなかった。あレは残骸で、ただの抜け殻だった。アロヴィナスは、何を呼びだした?)

 

 

 

 

ギリギリギリと側頭部が凄まじい頭痛を発しルファスは思わずよろめいた。

ベネトナシュが怪訝な顔をし、カルキノスとアリエスが彼女をかばうように前に出た。

 

 

自分の名前が呼ばれつつも「彼」は混迷とした頭で考え続けていた。

ルファス、そうだ、俺はルファスだ。ルファスという名前だった。

自分という存在がチグハグでばらばらになりそうな痛みを味わいながら彼はルファスとして何とか手を翳して部下に応える。

 

 

 

勝たないといけない。

戦って、勝って、ポルクスを取り戻さないといけないのに。

 

 

 

 

違う。

違う、違う、違う、違う。

そうではない、そうじゃない、そういう話ではないのだ。

 

 

 

い

 

ま

 

は

 

そ

 

ん

 

な

 

こ

 

と

 

よ

 

り

 

 

 

「っ……!!」

 

 

噛みしめすぎた奥歯が軋み、口内に鉄の味が満ちる。

頭痛がひどい、これほどまでに頭が痛い事なんて経験したことがない。

割れそうなどという次元ではない、脳みそに鉄棒を差し込まれて捩じられているような苦痛だった。

 

 

 

その瞬間だった。

 

 

 

異物の輪郭の内側で、体中に貼り付いた景色の数々が微かに明滅した。

燃える森。凍った海。崩れた塔。見知らぬ星空。

それらが一斉に、ほんの一拍だけルファスの方を向いたように見えた。

 

 

視線を向けられた。見られた。

ソレを認識した瞬間、ルファスの翼は狂った。

 

 

背中から生え広がる黒翼が、音を立てて歪んだ。

美しく広がっていたはずの翼膜が途中から何度も折れ曲がり、節と節があり得ない方向へ捻じれ、骨が増え、減り、変異が連鎖する。

幾度とまれと命じても何も変わらない、正に狂っていた。

 

 

優れた魔物であれば平然と使いこなすマナによる体細胞の変異の操作。

ルファスであれば呼吸の様に行えるソレ。

それがいま、制御を外れて壊れていた。

 

 

剣のようだった。腕のようでもあった。

干からびた木の枝の束が、何本も何本も背中から生えて暴れているようにも見えた。

 

 

ひしゃげてから伸びる。縮んでは裂ける。

噛み合いが狂った絡繰りのように、骨と筋が悲鳴を上げながら組み替わる。

その度におぞましい骨と筋繊維が変形するおとが体内で響き、更にそれは悪化する。

 

 

 

 

《き、き、き、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ》

 

 

軋む音が鳴った。

それは関節の音に似ていたが、もっと乾いていて、もっと不吉だった。

人体の中で鳴ってはいけない種類の音だと、本能だけで理解できる響き。

 

 

「彼」は目を見開いたまま、自分の背中で起きている異変を認識しきれずにいた。

 

 

 

翼の一本が、突然、指を開くように先端を分かれさせた。

次の瞬間にはそれが五本の節を持つ「手」めいた形へ変わり、虚空を掻きむしる。

それは「異物」を掴もうと伸ばされ、届かないと知るとルファスの首を絞めにかかり、思わず彼女はそれを弾き落とし激痛が走る。

 

 

当たり前だ。

自分の体を本気で殴ったようなものなのだから。

 

 

別の一本は細長い刃のように伸びたかと思えば、途中でねじ曲がって節だらけの鞭になる。

さらに別の一本は枯れ枝めいた質感を帯び、乾いた音を立てながら途中からぼろぼろと崩れ、しかし崩れたそばからまた生え直す。

そのすべてが、ルファスの意思では動いていなかった。

 

 

 

自分の身体なのに自分の意思では動いていない。

それがたまらなく「彼」にとっては恐ろしいことだった。

魔神王の時も、ベネトナシュの時も、どんな敵と戦った時でも陥らなかったパニックを「彼」は発症した。

 

 

 

自分と「ルファス」の間にあった壁が壊れそうな気がして「彼」の精神はオーバーヒートしたのだ。

 

 

 

「ああああアアアアアっっ!!」

 

 

 

何をされたかなど判らない。

しかしこれをこのままにしてはいけないと判断した「彼」は我武者羅に剣を振りかざし異物に切りかかる。

 

 

 

神剣と魔剣。二振りの刃が、ほとんど同時に閃く。

振り抜くというより、叩きつけるような、焦燥と恐怖と怒りをまとめて押し込めた乱暴な初撃。

それだけで山脈を切り飛ばし、大地を割り、海を両断できる質量と速度がそこにはあった。

 

 

 

異物は動いた。

全身でも上体でもない。

ただ、肘から下だけをわずかに動かした。

 

 

まるで子供が玩具の剣で切りかかってきたのをあしらうように。

それだけだった。そしてその手にあったのは、どこから拾ってきたのかわからない木の枝だった。

 

 

 

ただの枝。

どこにでも落ちていそうな、子どもが拾って振り回して喜びそうな、何の変哲もない枯れ枝。

魔力の輝きも神性の気配もない。

 

 

まして世界を支えるような大層な概念武装でもない。

 

 

なのに。

ギギギギギ、と火花が散る。

神剣と魔剣の二撃が、その枝一本に止められていた。

 

 

 

 

どれだけ刃を押し込んでも全く通らない。

この枯れ枝の表皮一枚分さえ押し切れないのだ。

明らかに耐久値が狂っていた。

 

 

 

いや、耐久もそうだが叩き込んだはずの衝撃、破壊力が奇妙に拡散していた。

まるで破壊力の方向性を逸らされたように。

雲を殴るようなその感覚でさえルファスを苛つかせた。

 

 

 

この剣は世界が滅んでも問題なく存在すると言われるほどの剣だ。

どんなものであろうと、それこそ神とさえ打ち合える代物のハズなのに相手は枝切れだ。

もしも剣が喋れたら凄まじい屈辱を口にしていたかもしれない。

 

 

 

「貴様……!」

 

 

 

ルファスの瞳が見開く。

今のレベルはフルパワーの半分にも満たないとはいえ、それでもレベル1500相当だ。

やろうと思えば惑星を剣戟で切り刻むことだってできるし、今の一撃にも大陸が割れる程の力を込めた。

 

 

それを受け止められた。しかも木の枝で容易く。

そしてここまで接近したからわかる。

こいつはルファスを見ていない。

 

 

最初に一瞥だけしてから視線というか注意はずっとポルクスに向いていた。

ルファスは相手にされていなかった。

 

 

「……!」

 

 

屈辱か、もしくは得体のしれない存在への警戒か。

だが確かに彼女の息が詰まる。

 

 

 

だがすぐに彼女は意識を一瞬で現実へ引き戻した。

防がれた? まだたったの一撃だ。

勝負はまだ始まったばかり。

 

 

ならば斬る。考えるな。

斬ればいい。

斬って、斬って、斬って、壊して、壊して、壊して、目の前の異常を消し去ればいい。

 

 

 

ルファスは双剣を弾くように引き戻した。

次の瞬間、光が遅れた。

そう見えるほどの速度で、剣閃が炸裂した。

 

 

 

一閃。

二閃。

三閃。

十。

百。

千。

 

 

縦横無尽。前後左右。

上から下へ。下から上へ。

正面から。背後から。斜めから。

 

 

回避の余地などなく、防御の間隙もない。

慈悲も容赦もない覇王の本気の殺害行動だ。

 

 

神剣が直線を塗り潰す。

魔剣が曲線を裂き尽くす。

二振りの性質の違う剣が、互いの死角を埋め合いながら全方位を同時に襲う。

 

 

 

だが届かない。

200年前、そしてついさっきアリオトと戦った時でさえこんな事にはならなかったのに。

まるで今まで彼女が築き上げてきた技量と研鑽をあざ笑うような動作だ。

 

 

 

そう、異物は片腕だけを動かしていた。

 

 

いや、動かしているというのも違うのかもしれない。

肘から先が少しだけ位置を変えれば、当然の結果として枝の角度がわずかに変わる。

それを繰り返すだけだ。

 

それだけで、ルファスの全ての斬撃があしらわれる。

 

 

神剣が右上から落ちる。

枝がそこにある。

 

 

魔剣が左下から薙ぐ。

枝がそこにある。

 

 

どんな角度で、どんな速度でも。

どんな軌道で、どんなスキルを上乗せしても。

全てが片腕と枝一本の前で止まる。

 

 

異物は警戒すらしていないように見えた。

身は動かず重心もぶれない。

全身で受けようともしない。

 

 

枝がそこにある。

どれだけルファスが剣の速度を上げようと、奇をてらった太刀筋を放とうと当然の様に受け止められてしまう。

彼女の攻撃を見てから迎撃しているというよりは、元から何処に何が来るか判っているような動作だった。

 

 

 

 

 

弾かれる。

 

弾かれる。

 

受け止められる。

 

受け止められる。

 

受け流された。

 

受け流された。

 

 

 

枝で迎撃しているのではなく「そこに置いている」というだけで、ルファスの全てを無意味に変えていく。

 

 

 

異物は肘から下だけで、ついでのように処理している。

つまるところ相手にされていない。

何なら悪意や敵意の類も全く発してはいない。

 

 

異物の景色の継ぎ接ぎがまた微かに明滅しただけだ。

 

 

 

「――ッ、ぁあああああアアアアアアッ!!」

 

 

 

歯ぎしりの奥から獣の様なうなりを上げてルファスは双剣を叩きつけるように振るう。

しかしどれだけ挑みかかろうと届かず、徐々に息が上がっていく。

「彼」がこの身体に憑依してから初めて、あのベネトナシュとの戦いの際でさえ感じなかった疲労がじわりとこみあげていく。

 

 

 

異物は相変わらず無言のまま、木の枝をわずかに回した。

その枝先が豪速で巡る神剣の腹を軽く叩く。

 

 

「ぐっ!」

 

 

たったそれだけの接触だった。

なのにルファスの全身は、一瞬で後方へ弾かれ彼女は態勢を崩してしまい一瞬だけ瞼を閉じてしまった。

 

 

それがいけなかった。

一瞬で彼女の視界は真っ暗となる。

それが視力を失ったからではなく、コレに顔面を鷲掴みにされたからだと気づくのに一瞬だけの猶予が産まれてしまった。

 

 

 

[SYSTEM DOMAIN] PHYSICAL LAW CONTROL

[TARGET] RESTITUTION_COEFFICIENT

[CURRENT VALUE] 100.000000%

 

[ACCESS] SYSTEM MEMORY REGION DETECTED

[WARNING] WRITE PROTECTION ENABLED

 

[OVERRIDE] REMOVING VALUE CONSTRAINTS...

[MEMORY] 0x00000064 → 0xFFFFFFFFFFFFFFFF

[WRITE] ████████████████████ 100%

 

[VERIFY] VALUE LIMIT .......... EXCEEDED

[VERIFY] PHYSICAL CONSTRAINT .. DISABLED

[COMMIT] PARAMETER OVERRIDE ACCEPTED

 

RESTITUTION_COEFFICIENT

 

反発係数

「10000000000000000000000000000%」

 

[SYSTEM] PHYSICAL LAW REWRITTEN

 

 

 

 

 

掌が離れ、人差し指がピンっとルファスの額を弾いた。

瞬間、ルファスの姿は消え去った。

何の予兆もなく、当たり前のように。

 

 

視界の端に黒い閃きが一筋走ったかと思えば、もうそこにルファスの姿はない。

星を穿つ流星よりも速く。

砲弾など児戯に思える速度で彼女は一瞬にしてミズガルズの空を越え、宙域を裂き、星系の彼方へと消え去っていた。

 

 

その軌跡だけが、遅れて空間に傷のように残る。

大気は吹き飛び、空は真横に裂け、雲海が円環状に押し広げられる。

遅れてやってきた衝撃が大地を叩き、山脈の稜線を削り、戦場全体を揺らした。

 

 

誰も追えなかった。

 

 

否。

たった一人だけ、追えた者がいた。

 

 

ベネトナシュである。

 

 

真なる吸血姫の瞳だけが、あの黒い点にも見えぬ速度の彼方へ消えていくルファスの残像を、ぎりぎりまで捉えていた。

どこへ飛ばされ、どの方向へ消えたか。

それだけは辛うじて理解できた。

 

 

だが、理解したからどうしたという話でもあった。

 

 

遅い。

あまりにも遅い。

 

 

視認できた時点でもう何もかもが終わっている。

割り込む余地も、庇う余地も、軌道を逸らす余地も、何一つ残っていなかった。

ベネトナシュの顔から、初めてはっきりと余裕が消えた。

 

 

「マファール!!」

 

 

手を伸ばすが届かない。

またルファスは彼女の前から消えうせた。

 

 

「――貴様」

 

 

 

それは怒りだった。

侮蔑でも、皮肉でも、気まぐれな興味でもない。

 

 

純粋な殺意によって空間が揺らぎ、黒いマントが翻る。

吸血姫の小柄な身体が、空間を裂くように踏み込む。

 

 

獲物へ飛びかかる獣のような速度だった。

目の前の異物を、その顔ごと、その景色の継ぎ接ぎごと、跡形もなく引き裂いてやる。

 

 

そのはずだった。

異物が目線を向ける、ただそれだけだった。

 

 

顔には目がない。鼻もない。

口もない。表情なんて論外だ。

 

 

だが、それでも確かに“見られた”とベネトナシュは理解した。

ぞわり、と背筋の奥に冷たいものが走る。

生まれてこのかた、数え切れぬほどの強者と対峙し幾多の死地を踏み越えてきた最強の吸血姫がほんの一瞬だけ踏み込みを止めた。

 

 

 

(なんだ、その眼は)

 

 

そう思うも刹那。

 

 

異物は、何かを言った。

声量は小さく、いや、そもそも本当に音として発せられたのかすら怪しい。

 

 

 

言葉だったのかどうかも曖昧だった。

意味を成した一言だったのか、ただのノイズだったのか、それすら判然としない。

だが、確かに“何か”は届いた。

 

 

「――――」

 

 

その瞬間、ベネトナシュの意識が暗転した。

最後に脳裏に浮かんだ名前は誰のものだったか。

 

 

 

何かに殴られたわけではない。

剣で切られたわけでも、魔法で焼かれたわけでもない。

意識という糸だけが唐突に鋏で断ち切られたみたいに彼女は停止したのだ。

 

 

 

 

人形の様な動作に唐突な動作に何人かが息を飲んだ。

あのベネトナシュがこんな終わり方をするなんて誰も想像できなかったのだ。

 

 

 

 

異物は何も言わず、何も誇らない。

ただ、次を見ていた。

 

 

ゆっくりとまるで標本を並べて観察する学者のように。

あるいは、棚に並んだ玩具の出来を順に眺める子供のように。

十二星天というルファスが集めたミズガルズの綺羅星たちをカタログでも見るかの如く。

 

 

 

アイゴケロス、リーブラ、スコルピウス、カストール、レオン、アリエス、カルキノス。

そして振り返りポルクス……正確にはその中にいる“女神”を異物は見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

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