ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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お待たせしました。
念願のルファス様曇らせ(ライトコース)になります。
ワインと軽めのおつまみを用意するといいでしょう。




ルファスは激怒した!

 

 

「本当にぃっ、あ゛いつ゛はふざけた男なんた゛!!」

 

 

 

ひっくとしゃくりあげながらルファスは声高らかに叫んでいた。

延々と続いていたプランへの不平不満の締めを彼女はそうやって結んだ。

真っ黒な翼が大きく展開され、叫ぶように震えている。

 

 

 

彼女は杯に入ったジュースをごくごくと飲み干し、大きく息を吐く。

ドォンと勢いよく金属製のソレをテーブルに叩きつけた。

 

 

中身はドワーフ基準で子供向けの果実ジュースである。

オレンジ色のコレはドワーフ基準で子供でも飲めるとてもライトな飲み物なのだ。

もちろんドワーフ基準で()()()()()()アルコールも入っているコレは、子供が酒に入門する為の登竜門のようなものだ。

 

 

本当に入っているアルコールはちょっとだけである。

具体的には2%くらいだ。

 

 

 

テーブルの上には他にも幾つかの菓子や、ガザドが好む魚の塩漬けなどが置かれており、幾つかの皿は空になっていた。

少女とガザドは木製の小さなテーブルを囲んで、雑談をしている。

もちろん場所は変わらず、プランが侵入したポータルの目の前だ。

 

 

ガザドが地上に派遣したゴーレムは彼の依頼通りに小さなテーブルと椅子、そしてそこそこの量の酒類やジュースと小腹の膨れるモノを持ってきたのである。

なんともふざけた話になるが、二人はプランがヘルヘイムを調査している間、酒を飲みながら小さな宴会をしていたのだ。

 

 

勿論ドワーフには考えがあってのことだった。

さすがに何の思惑もなくこのような暴挙を行ったわけではない。

もしもポータルから魔物が溢れてきたらどうなるかなど考えるまでもないのだから。

 

 

まず第一に、ガザドはルファスの気性をある程度理解していたというのが大きい。

ルファスという少女との付き合いは以前リュケイオンを訪れていた時に会話したのと、今こうやって顔を向き合わせている程度だが、それでも彼はそんな短い付き合いの中で少女の事を見抜いていた。

それでも彼はそんな短い付き合いの中で少女の事を見抜いていた。

 

 

 

負けず嫌い。 

意地っ張り。

子供特有の背伸びしたがり。

素直になれない。

大人ぶっていて、うぬぼれが強い。

そして、自己肯定がとても低い。

表面上では我が強くふるまっているが、根っこの部分では常に何かに怯え、自分と言う存在そのものに対しても自信をもてていない。

 

 

 

強さと弱さがきっちりと別れた子供であると彼は思った。

そしておおよそ子供の持つ面倒くさい部分を凝縮したような性格だとガザドはルファスを評していた。

しかし同時に同年齢の子供を大きく突き放す思慮深さ、冷静さ、強さ、向上心、自立心なども持っていると。

 

 

 

一言で言ってしまえばルファスと言う子供は不安定で、見ていてとても危ういという事になる。

だからこそガザドはルファスをこの場から無理やり退かすことが困難だと判断し、リスクを承知の上でもっと深く彼女を知りたいと思ったのだ。

レベル130の不安定な子供を無理やり地上の都市部に放り出すのも中々に危険な話であるが故の行動であった。

 

 

 

 

なに、ドワーフの世界だけではなく酒は全種族共通のコミュニケーション・アイテムである。

故に彼がうっかり、天翼族の彼女にドワーフの子供向けのカシス系統の酒を出したのも仕方ない話なのだ。

 

 

 

結果としてコレだ。

差し出されたジュースに口を付けて暫くしてからルファスの様子は変わった。

真っ赤な眼をキラキラと輝かせ、頬を赤らめてからの彼女は……凄まじい勢いで話を始めた。

 

 

普段は冷静沈着を装っている彼女だが、内面はプランが評した言葉を借りるならば誰よりも繊細で感受性が強く、優しい子である。

常に無理して被っている「強い自分」の仮面が少しズレるだけで彼女は溜めに溜めたうっ憤を遠慮なく吐き散らし始めた。

 

 

 

 

「いつもいつもいつも! 

 父親気取りで!! もう私はレベル130だぞッ!! 

 少しリュケイオンから離れた位で直ぐに飛んできてッっ!!!」

 

 

お、新しい話だなとガザドはルファスの話に相槌を打ちながら感想を抱く。

先の話は、プランはいつも自分の機嫌を取ってくる、焼き菓子くらいで誤魔化される程に子供だと思われている、だった。

その前は、プランはあんなに強いのにどうして弱い民たちにぺこぺこ頭を下げているのか訳が判らない、だった。

その前は、プランはとんでもない偽善者で、母を治してくれたことだけは感謝してやるが、いつも誕生日前の自分を看病してくるのが鬱陶しくてたまらない、だった。

 

 

 

「もう私は強いんだっ! 来年にはお前なんかより上のレベルになって見せるっ……。

 次にディノレックスが出てこようと私なら返り討ちにできるんだ!!」

 

 

 

だから私に構うんじゃないとルファスは喚きたてた。

 

 

 

「何なんだ! お前は本当に、何なんだっ!! 鬱陶しい! 鬱陶しい!! 

 どうせお前も私を騙しているに決まってるッッッ!!」

 

 

 

私から何かを奪う為に持ち上げてるんだと彼女は叫んだ。

大嫌い、大嫌い、お前なんて嫌いだ。

少女は自分と彼を呪う様に何度も言葉を繰り返す。

 

 

幸福。

幸せ。

本来あるべきだった日常。

普通の子供としての人生と環境。

 

 

ルファスは他者の善意を信じられない。

少女は他者から与えられる愛情を受け入れられない。

自分は人並みの幸福など得られないと彼女は自分を呪っていた。

 

 

身も蓋もないことをいうと精神病の一種であった。

力に縋れば縋るほど虚無感に苛まれ、それを埋めるために更に大きな力を求めるという悪循環さえ発生しているかもしれない。

そして何よりの不幸は彼女の肉体はソレに応える力を秘めていたという点だろう。

 

 

 

これは重傷だなとガザドは杯に満ちた酒を飲み干しながら考えていた。

この少女の半生がどのようなものか推察することしか出来ないが、根は深いなと彼は考える。

ひとしきりまくしたてた後、彼女は急に感情を失ったかのように沈黙した。

 

 

目を伏せ、翼を小さくした彼女は無意識に一言だけ零す。

 

 

 

「……本当に、何が欲しいんだ……私には何もないのに……」

 

 

 

「…………」

 

 

 

余りに悲痛な言葉と声にガザドは髭を撫でた。

この少女はとてつもない逸材ではあるが、同時に扱い方を間違えたら全てをご破算にしかねない爆弾なのかもしれないと彼は思い始めていた。

その上で彼はここにきて初めて口を開いた。

 

 

「お嬢ちゃん。俺ぁ、お嬢ちゃんの半生のことは全く知らねーしアリストテレス卿と嬢ちゃんの関係が実際のところどうなのかも知らねーけどよ」

 

 

 

ぐいっと身を乗り出して真っ赤な瞳を覗き込む。

 

 

 

「あの男……プラン・アリストテレスはお嬢ちゃんに出会って変わった」

 

 

 

「……?」

 

 

 

意味が判らないとルファスは顔を傾げる。

 

 

 

「嬢ちゃんと出会う前の彼はいつも笑顔を張り付けててな。薄気味悪いとさえ思ってたんだぜ」

 

 

 

ガザドは昔を思い返す。

先代の急逝の為にアリストテレスを引き継いだ当初の彼を。

“笑顔を仕込まれたゴーレム”というのが彼の所感である。

 

 

当時のプランは喜怒哀楽が欠落しているかのように欲も情緒もなく、とてつもなく冷たい男であった。

もちろん外見上はいつも微笑みを絶やさず誰に対しても柔らかい対応を欠かさない紳士的な人物である。

が、ガザドは直ぐに気が付いた。この男の笑顔には何の中身もないと。

 

 

文字通り彼のソレは“仮面”なのだ。

 

 

 

プランは相手が良い奴だろうと、悪い奴だろうと、それこそ貴族であろうが平民であろうが紳士的な対応を崩さない。

それを多くの人は博愛を感じると評するだろうが、実際は違うと彼は薄々感づいてしまった。

簡単な話である。彼は全てどうでもいいと考えているのだ。

 

 

プランという男は何者に対しても何の価値も見出していない。

彼の平等───博愛は裏を返せばどいつもこいつも興味がないという事なのだ。

 

 

プランは世界に何の希望もなく、また興味もない。

彼に引き取られた当初のルファスが彼の言葉を薄っぺらいと感じたのはソレが原因だったのかもしれない。

欠片も自分が愛していないものをどうやって他人に愛させるというのか。

 

 

 

だからこそ彼はジスモアとたとえ表面上とはいえ気が合ったのかもしれない。

ジスモアがプランに感じる友情の様なモノはもしかしたら、数少ない同族への哀れみなのだろうか。

 

 

彼らは二人とも装着した仮面が癒着して離れなくなったモノ同士なのだから。

 

 

 

「あくまでも俺の感想だがな」

 

 

 

呆然とした様子のルファスにガザドは注釈をつけておく。

あくまでも自分の主観で判断した情報であり、絶対ではないと念を入れるように。

 

 

 

「だからリュケイオンを訪れた時は驚いたもんだ。

 今だから言っちまうけど、虹色羊の件でちょっとカマをかけたんだ……。

 あわよくば手に入れられねえかなと思ってな」

 

 

 

俺の知ってるプランという男は虹色羊を取引の材料として考え、ドワーフとの友好の為に羊を躊躇なく手放す男だったからなと彼は続ける。

いつも通り微笑みながら泣きじゃくるアリエスを平然とドワーフに明け渡すのがガザドの知るプランという男だ。

いや、一応は周りの目も考えて悲しむフリくらいはするかもしれないが。

 

 

 

()()だ。彼の喜怒哀楽は全てソレなのだ。少なくとも今までは。

 

 

「っ……!」

 

 

アリエスの話題を出されてルファスの肩が跳ねる。

自分の初めての臣下が自分の知らないところで奪われる危機に陥っていたと悟った彼女はガザドを真っ赤な瞳で睨んだ。

そんな彼女にドワーフは片手をひらひら振って話を続ける。

 

 

 

「安心しろや。この件ははっきりと断られちまった」

 

 

 

「だが……あれで確信したぜ。この男は以前までのあいつじゃねえってな」

 

 

 

「だからこそ俺は理由を探した。

 もう知ってると思うがアリストテレス卿の力は色々と普通じゃねえからな。

 うまく付き合っていこう、ってのが俺たちドワーフの総意なんだ」

 

 

 

ガザドはルファスを指さし、真正面から見つめた。答えを見つけた瞳である。

数多くの体験を乗り越えてきたドワーフの目は思わずルファスがたじろぐ程に強い輝きと圧があった。

 

 

「お嬢ちゃん。あんたは()()()

 そうさ、あんたは()()()()()()()()()()()()()()なんだよ」

 

 

 

 

「……」

 

 

口を開いて拒絶の言葉をルファスが紡ごうとするが、ガザドの放つ圧力は有無を言わさないものがあった。

それ以上に彼の言葉が衝撃的すぎて少女は身じろぎした。

 

 

浮かんだのは嫌悪か? 

それとも拒絶?

または父親気取りの気持ち悪い愛着に対する吐き気?

 

 

ルファスは自分がどんな感情を抱いているかさえ判らなくなっていた。

だから彼女は考えることをやめた。

 

 

 

(嫌だ…………考えたくない)

 

 

 

ルファスはごちゃ混ぜになった頭と心を見たくなかった。

自分が彼に好かれるようなことをした覚えがない。

顔を合わせれば憎まれ口を叩き、挙句には殺害予告までする奴を好きになるわけがない。

 

 

大切にされる理由が判らない。

こんな黒い翼の自分をどうして大切に思うのか判らない。

 

 

 

 

そうやって彼女は自分に言い訳をして逃げた。

具体的には酒に。

杯に手を伸ばし、それを飲み干そうとして……微細な振動を彼女は感じた。

 

 

 

カタカタカタ……テーブルと、その上に載っている皿たちが震える。

すっとガザドの目が細くなり、彼は纏う気配を戦士のソレに変えて立ち上がった。

猛烈な勢いで通路の奥から戦闘用ゴーレムが走り込んできて、ルファス達を守る様にヘルヘイムに繋がる“門”と向き合った。

 

 

 

次の瞬間、轟音と共にトンネルが……ヘルヘイムに繋がっていた“門”が崩落した。

瞬く間に膨大な土砂と岩が幾つも崩れ落ちてきて穴は完全にふさがってしまう。

ジジジジと空間同士の接続が途切れる耳障りな音が響いた。

 

 

こうなってしまったらもうこの“門”を使う事は出来ないだろう。

つまり、プランは帰ってこれなくなったということだ。

余りに呆気なく、唐突な別れに彼女は固まった。

 

 

「……?」

 

 

一瞬の内にプランが潜っていった道が消え去ってしまい、ルファスは呆然と立ち尽くした。

彼女の瞳は揺れていた。

次に目の前で起きた現実を受け入れきれず、真っ赤な瞳は大きく見開かれる。

 

 

 

翼が二度、虚空を殴りつけるように羽ばたいた。

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

ふわふわと。全てが夢の様な感覚を彼女は味わった。

指先が冷たい。酒を飲んで温まっていた筈の体温が急速に下がったようだった。

一瞬頭が真っ白になったあと、瞬時に浮かんだ言葉は“死”であった。

 

 

 

心臓だけがうるさかった。

吐き気がした。

自分というものが何処かに吹き飛んでしまい、思考は何処か俯瞰するようなものへと変わった。

 

 

 

ルファスは足早に崩れたトンネルに駆け寄ると、細腕で瓦礫を掴んで退かし始めた。

一つ、二つ、三つ。淡々と少女は動き続けた。

指先が汚れ、爪が軋んだ。うるさい程に翼が震え、自分の吐息さえ煩わしい。

 

 

「……………っっ」

 

 

いかにレベル130の身と言えど、600キロを超える程の岩を持ち上げる事は難しく、少女は踏ん張りながらソレを横に引き倒す。

しかしいくら掘ろうと瓦礫は無尽蔵であり、数メートルほど進んだところで少女は諦めた。

力なく地面にぺたんと座り込むと、彼女は放心したように空を見上げる。

 

 

そうしていると、しみ込む様に黒い感情が彼女の心を満たし始める。

 

 

「…………ふざけるな」

 

 

 

ルファスの空っぽになった心を満たすのは怒りだ。

とてつもない……かつてない程の憤怒を彼女は覚えた。

体中の血液の全てが頭に上るような気さえした。

 

 

 

「また……とられた」

 

 

また奪われたと少女は呟く。

自分のものなのに。

わたしだけのものなのに。

 

 

 

勝手にいなくなったふざけた男。

いつも自分から奪うだけの世界。

そしてそんな原因を作ったふざけたドワーフ共。

 

 

そもそもこんな筈じゃなかった。

普通に商談をして、プルートを見て回って、あとは幾つかの予定を消化して終わりの筈だったのだ。

だというのにこの無能どもは自分たちの尻拭いをあの人に押し付けて、挙句死に追いやった。

 

 

何より、私のモノを勝手に奪い取った。

ルファスは誰が一番悪いのか(怒りのぶつけ先を) 直ぐに見つけた。

体中のマナが活性化しとてつもない力を彼女に供給していく。

 

 

 

「おまえたちのせいだ……!」

 

 

ルファスは立ち上がると振り返る。

ガザドを殺意の籠った瞳で睨みつけダガーを抜いた。

ミスリルの刃が鈍く輝いて震えた。

 

 

「お前たちがこんな話を持ち込まなければよかったんだっ! 

 自分でやっていればこんなことには───!!」

 

 

しかしガザドは臆した様子もなく佇むだけである。

彼は腕を組んだままルファスと向かい合い、目線で彼女の後ろを示した。

何処までも自分をコケにする態度にルファスの怒りが限界を超えて、剣を片手に切りかかろうとするが……肩に誰かの手が触れた。

 

 

 

暖かい人の手であった。

振り返るとそこにあったのは不気味な、見慣れた骸顔。

ヘルヘイムに潜っていたのもあって今の【バルドル】からは濃厚なマナの気配が漂っている。

 

 

プラン・アリストテレスが、どうやったか知らないがそこに現れていた。

ジジジジと身体の至る所にノイズを纏ってこそいるが、それでも確かにここにいる。

傍らに置かれた巨大な黒い筒が異様な存在感を放っていた。

 

 

そして十や二十ではきかない数の魔物を狩りつくし蒐集し続けた結果として

今の彼はこびりついた残り香だけでもルファスの脳を揺らす程のマナを纏っている。

 

 

 

そんな彼を目にしたルファスは───切りかかった。

 

 

 

「ッッッ! ふざけるなッッ!! ふざけるな───!!!」

 

 

 

 

ミスリルの刃で彼の身体を傷つけようとするが、片手で全て弾かれる。

彼の籠手と刃がぶつかるたびに火花が飛び散っているのを見るに、ルファスは本気で彼を攻撃しているのだと誰もが判った。

なおも構わず何回か攻撃を続けている内に無駄だと悟った彼女は武器を放り投げてプランの胸元に掴みかかった。

 

 

今度は彼は何も抵抗せずに受け入れる。

少女の真っ赤な瞳はかつてない程に輝きを放って男を見上げた。

毛先の朱色が彼女の感情に呼応するがごとく鮮やかな色を放った。

 

 

 

「うそつき!」

 

 

咄嗟に出た言葉はコレであった。

自分でも何でこんなことを言っているのか判らないまま少女は言葉という武器を彼に叩きつける。

マスクの眼窩に宿る蒼い光だけがルファスを見つめていた。

 

 

 

「うそつきだ! おまえはうそつきだ!!」

 

 

「勝手にいなくなるなって言ったッ! お前を殺すのは私なんだぞ!!」

 

 

「どうして勝手に決めて、勝手なことばっかりするんだ!!」

 

 

「なんでわたしとの約束を守ってくれない……!」

 

 

 

胸を殴りつけながらまくしたてる。

 

 

感情の赴くままに糾弾する。

全く抑えきれない激情が次から次へと口から噴き出る。

怒りを撒き散らすルファスにプランはただ、立ちすくんでいた。

 

 

「──────。」

 

 

 

まるでどうすればいいか判らない様に。

魔王を弄び、地獄の魔物たちを叩き潰した男はたった一人の幼子相手に手も足も出ていないのだ。

彼は助けを求めるようにガザドに視線を向けた。

 

 

顔をすっぽりと覆う兜を被っているというのに、その下の顔がどうなっているかガザドにはありありと想像できた。

きっと今の彼は人間の顔をしているのだと彼は思った。

 

 

“父親がするように抱きしめてやればいいんだよ。簡単だろ?”

 

 

両腕を大きく抱擁するように動かしながら唇だけ動かして教えてやると、プランは首を横に振った。

彼は自分がルファスの父になるなど不可能で、あり得ない事だと思っている。

自分はあくまでも彼女をちょっと手助けする程度の存在だと自戒しているのだ。

 

 

そんな彼の様子にガザドは小さくため息をついた。

 

 

 

(あぁ……こりゃ、倅も負けず劣らず面倒な性質だな……)

 

 

 

無防備に何度もプランは叩かれている。

ルファスは幾度も「嫌い」「うそつき」と連呼しふざけた裏切り者に報いを与えるように殴打を繰り返す。

しかし彼女の黒い翼だけは大きく広がり、プランを包み込んでいた(抱きしめていた)ことに気づけていたのは第三者であるガザドだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで嵐の様に膨大なマナが循環する地下世界ヘルヘイム。

あらゆる生物を拒絶し、巨大にして強大な魔物が闊歩する地獄に一人の「女」がいた。

「女」は時空に歪みが生じる程のマナの中においても顔色一つ変えずに進んでいた。

 

 

「女」が纏うのは勇者や騎士などが着るような鎧ではない。

紅を基調とした美しいドレスである。

まるで舞踏会から抜け出てきたような美しい装いだが、ここは地獄である。

 

 

暗雲たちこめ、至る所にマグマの噴き出る地には到底似つかわしくない装いだ。

 

 

否。

彼女にとって舞踏会場もヘルヘイムも変わりはない。

危険性という意味では、全く同じなのだ。

 

 

 

 

ヘルヘイムに生息する魔物たちは一匹として「女」の行進を阻むことはできない。

彼らは知っていた。

彼女が一歩この世界に足を踏み入れた時点で地底世界の魔物たちは心底理解してしまった。

 

 

 

この「女」は自分たちなど比較にならない化け物だと。

挑む、邪魔をする、それどころか視界に入る事さえ絶対に嫌だ。

誰だって死にたくはない。魔物でさえソレは同じだ。

 

 

 

 

「女」は絶対的な強者である。彼女がただ存在する……。

それだけでミズガルズは震え、あらゆる動植物は本能的な恐怖に駆られる。

「女」に明確な標的と定められた魔物と魔神族など彼女が視線を向けただけで自壊するほどだ。

 

 

 

「力」という概念と「女」という存在はもはや同一にまで昇華されている。

ミズガルズはおろか、女神アロヴィナスの作り出した宇宙でさえ彼女を内包しきれなくなっている。

「女」の存在強度、密度、規模は宇宙さえも超えようとしていた。

 

 

 

だからこそこれは異常であった。

もしも平時の彼女を知る者がいれば驚愕を顔に張り付けていただろう。

それほどまでにこれはあり得ない光景だった。

 

 

 

 

「女」が、震えていた。

まるで幼子の様に。

ヘルヘイムにおけるあらゆる異常現象、おどろおどろしい溶岩の海などを見ても何の反応も見せなかった「女」が、顔を苦痛に歪め明らかに精彩をかいた動きをしていた。

 

 

 

彼女の視線の先にあるのは一つの幻だ。

遥か彼方の天から落ちてきて崩壊した超巨大ダンジョンの残骸の中でそれは延々と再生され続けている。

埒外のマナが収束した結果として時空が歪み保存されているのだ。

 

 

結果としてかつてここで行われた“何者か”による蹂躙劇が無限に、ひっきりなしに繰り返し上映され続けているのだ。

今の「女」から見ても異常、異質としか言いようのない奇妙な動きをする不気味な男の行動がここでは繰り返されている。

 

 

 

「女」はそんな幻影の後を気づけば追いかけていた。

この地を訪れた目的さえも思考の片隅においやって無我夢中で男を追いかける。

確かに途方もない速度であったが今の「女」ならば問題なく追跡することが出来た。

 

 

 

まるで見守る様に。

まるで縋る様に。

まるで親から離れたがらない子供の様に。

まるで初恋の人を追い求める乙女の様に。

 

 

 

彼女は男を追いかけた。

やろうと思えば惑星中の全ての生物を捕捉し、光の粒子さえ見つめる事ができる超感覚を総動員してだ。

 

 

 

瞳が輝く。

男の一挙手一投足を決して見逃さない様に彼女は全神経を使っていた。

 

 

やがて終点に至る。

男が何らかの存在を倒し終えた後、彼は数歩進んでから振り返った。

まるで自分を見ているかの様な動きに「女」は息を呑んだ。

 

 

「ぁ……」

 

 

無意識に声が漏れる。

 

 

見えている? 

もしかしたら、どうにかすれば触れられる? 

 

 

……話せる?

 

 

降ってわいた希望に「女」の胸は高鳴った。

地獄の底で皮肉なことに彼女は希望を見つけてしまった。

心臓がうるさい程に激しく脈打ち、久しくない高揚を覚えるが……彼女はソレを抑え込んだ。

 

 

 

今までに受けたどんな攻撃よりも辛く、痛く、苦しかったが彼女は何とか乗り越えた。

 

 

 

幾らあの人の眼が優れていたとしても、それだけはありえないと彼女は己に言い聞かせた。

もう居ない人なんだ。愚か極まりない私が取りこぼしてしまったんだ。

奇跡の価値も知らず、自分が望んでいたモノ全てがとっくに手に入っていたことにも気づけなかった馬鹿な小娘のせいで死んでしまったんだと。

 

 

それでもこうやってどんな形であろうと姿が見れただけで奇跡で、それだけで「女」は喜びに満たされた。

顔が微かに綻ぶ。こういう風に純粋な喜びを感じたことなど、もう何年もなかった。

 

 

 

 

これは遠い過去の映像。

これは今とは無関係だと何度も胸中で繰り返しながらも彼女は動いてみた。

無駄だと知りつつ手を伸ばそうとし……その前に男が動く。

 

 

 

まるで別れを告げるように「ばいばい」と右手を振ってくれた。

いともたやすく彼は「女」の心を揺さぶる。

「女」の目は彼の右腕から視線を外す事が出来なかった。

 

 

自分を見ている。

いま、時間軸こそ違えどあの人と自分は向き合っていると彼女は確信してしまう。

 

 

 

唇を噛み締め、拳を砕ける程に握りしめながら「女」は聞こえていないと判りつつ言葉を発した。

普段の彼女からは考えられないような、子供の様な口調と声であった。

何とか言葉を捻り出した結果がソレである。

 

 

 

「さようなら……元気で」

 

 

 

別れを告げる言葉とは裏腹に身体は違う行動を取っていた。

欲しくてたまらないと訴えている。

 

 

 

無意識に手を伸ばす。細い指先は震えていた。

もしもこの手が届くのであれば彼女は無理やりにでも男を引っ張り上げたかもしれない。

いや、もしかしたら彼女であれば可能だったかもしれない。

 

 

 

「女」の保有する能力の一つに時空を操作する力もある事を考えるに、決してこれは夢物語で片づけられるものではない。

彼女の中で黒い考えが浮かぶ。

仮に今ここであらゆる手を使ってあの人を手元に抱え込めば、どうなるか、と。

 

 

それはとてつもなく甘い誘惑であった。

しかし同時に今まで積み重ねてきた全てを裏切り、台無しにする行為でもある。

それをやった瞬間に「女」の今までの何もかもが無駄になる。

 

 

 

今まで考えていた計画。

今まで付き従ってくれた仲間や部下。

今まで願っていた夢。

 

 

 

全て放り出して手に入れてしまったら……自分が破滅する未来しか見えなかった。

何よりソレはあの人()()の意思と命さえ汚す行為だと必死に自分を言い包める。

 

 

だから彼女は無理やりに作った微笑みを浮かべて手を振った。

彼に届くように「ばいばい」と心からの離別の念を込めて。

 

 

やがて男の姿が消え去る。

あのすぐ後に自分が何をしたかを思い出して「女」は顔を顰めた。

本当に忌々しいふざけたガキだと自己嫌悪を深める。

 

 

“嘘つき”だと? 

お前にそんな言葉を吐く資格はない。

何が大切かも判らないクズめ。

 

もしも叶うのであればすぐにでも殺してやりたい。

その結果、ここにいる自分が因果の矛盾によって崩壊することになっても構わないとさえ思っていた。

 

 

無茶苦茶な理屈であの人に切りかかった思い出は彼女の中の消えない罪の一つである。

そしてその先の未来においてもあの小娘は……。

 

 

未練を感じさせるように数秒間男がいた空間を見つめていた「女」だったが……一度だけ瞑目し瞼を開けばそこにいたのは先と変わらぬ絶対的強者だった。

一度は収束していた圧が再び勢いを増して放たれ、ヘルヘイム全土が撓む。

 

 

 

 

今度こそ彼女は振り返らない。

あの人が願っていた母と共に平穏で安らかな人生を送ってほしいという祈りを踏みにじり覇王として進み続ける。

母さえも己の夢の為に置き去りにし、たった一人で彼女は進む。

 

 

どこまでも彼女は彼の言葉を無視した生き方を送っていた。

やがて彼女は遭遇した魔王に絶対者として傲慢に語り掛けるのだ。

 

 

 

『なるほど。これが悪魔というものか……存外、()()ものだな?』

 

 

『あ、貴女様こそ……我が王だ……』

 

 

戦いさえ起こらなかった。あまりに圧倒的な存在の差により魔王は「女」を一目みただけで心から屈服した。

全ての光を飲み干す黒い翼を背に、覇王はそうして魔王を跪かせるのであった。

 

 

 

彼女こそ覇王。

女神にいずれ牙を届かせんとする背教者。

誰よりも強いのに、誰よりも奪われて取りこぼし続けた女の子。

 

 

 

そんな彼女の隣には母と“彼”はもう居なかった。

 

 

 

 




前々から書きたかった激重のルファスを一部とはいえ執筆できたので満足です。
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