ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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1エル=200円と思ってください。


あわせて5万エルでどうだ?

 

 

ルファスから一通りの事情を聴いてからログハウスの外に踏み出たプランは「まさか」という思いに襲われていた。

彼女の語った父母の名前……母の方は知らない名だったが父方は彼も知る人物の名前だったのだ。

 

 

 

ジスモア・エノク。

 

 

天翼族においても高位の貴族である。

古き血は始祖ウラヌスにも通ずると言われる程に貴く、濃い。

正に天翼族の中の天翼族であり、誰もが尊敬し、一目おく大物である。

 

 

美しく白い翼を保持するヴァナヘイムの大幹部、それがジスモアである。

そしてその性格は、天翼族特有の自らの種こそが至高であるという思い上がりこそ多分にあれど、賢明で理知的だというのがプランの印象であった。

事実プランと彼の関係はそこまで悪くはなく、酒を片手に談笑を行う程度には良い。

 

 

 

何せプランの商談を最初に承認したのは他ならぬジスモアだったのだ。

人間という下界の下等生物と「交渉」等をする物好き、というのが当時の彼の天翼族においての評価であった。

しかしその結果プランの持ち込んだ翼を美しくする為のクリームや油、天翼族の価値観に合わせて厳選された品の数々は彼らにとって好評を得ることができ、今の彼の重要な資金源の一つとなっている。

 

 

そんな彼が実の娘を虐待していたという事実にプランはため息を吐くしかなかった。

好人物の裏、という奴を知ってしまった彼はジスモアに対してではなく天翼族の持つどうしようもない価値観に失意を抱かざるを得なかった。

正直に言ってしまえば、彼からすれば天翼族が翼に拘る訳は理解できるが、劣るモノ、外れたモノを偏執的なまでに排除しようとする所は好きではなかった。

 

 

女神の愛は世界に満ちている。

女神は古き世において言ったではないか「隣人を愛せ。自分とは違う存在を受け入れなさい。他者の痛みを考えなさい」と。

創世の女神に最も愛されし種と自負するのならば、翼の色よりもまずはアロヴィナス神の言葉を守るべきではないかとプランは思わざるを得なかった。

 

 

 

ん? とプランは顔を傾げた。一つ思い出したのだ。

ジスモア卿と会話をするとき、時折美しい女性が彼の近くに控えているのを彼は見ていた。

特に聞く必要もなく何も思わなかったのだが、今までは彼女こそが彼の妻だとプランは思い込んでいたのだ。

 

 

実際あの二人の距離は夫婦か恋人のソレであった。

ジスモアは彼女を自分と同等の存在であるかの様に扱っており、プランもそれに追随して彼女には敬意を以て接していた。

間違ってもルファスの話に出るような、栄養失調で衰弱していた女性ではない。

 

 

 

………………。

 

 

 

そういう事か、とプランは脳内で全ての情報をつなげた。

つまり、ジスモアは()()()愛を見つけられたらしい。

特におかしくもない話である。貴族が複数の女性を侍らせるのは普通である。

 

 

 

これはルファスには言わない方がよいとプランは判断した。

今の彼女はとても危うい。

まだ完全につながっていない翼を使ってヴァナヘイムに向かってしまいそうだ。

 

 

プランは既にルファスをヴァナヘイムに帰す気はなかった。

既に天翼族たちは明確にルファスを殺そうとした。

いじめの延長上の行為であり、殺意というよりは無邪気な悪意の方が比率は高いだろうが、一度踏み越えてしまえば次は更に軽々と行われるようになる。

 

 

つまり、もう天翼族たちはルファスを殺す事に躊躇う事はないという事だ。

今までは何処かで遠慮していた行為であったのだろうが、誰かがソレをやってしまったのを見た他者は「()()()()()()()」と思うだろう。

 

 

 

ルファスとルファスの母を救う。

その為にジスモア卿と交渉をし、なおかつ大事な商売相手を失わない様に立ち回り、誰もが納得する落としどころを見つける。

ソレがプランに与えられた役割であった。

 

 

一通り考えてからプランの口から出たのは簡潔な一言であった。

彼は遠くに沈みゆく夕日を見つめながら口を開く。

 

 

「簡単だな」

 

 

強がりでもなく単純な事実を彼は言った。

決まれば直ぐに彼は行動に移った。

 

 

 

ログハウスの扉を開け、ハンモックの上で横になるルファスへと近づく。

相変わらず彼女の目はどす黒い感情に満ちていたがプランは全く臆さずにその目を覗き込んだ。

 

 

「今から自分はヴァナヘイムに向かう。明日のお昼には戻ってくる予定だ。食事はコレを置いていく」

 

 

ポーチから大きな水筒と幾つものエイルの実を取り出し、テーブルの上に置く。

既にこの山小屋の中ならば歩き回れる程度にルファスは回復しており問題なく食べられるだろう。

 

 

「…………」

 

 

ルファスは何も言わない。ただ睨むだけだった。

命の危機が去り、微々たる程度とはいえ回復した彼女は再び憎悪に身を委ねていた。

しかし怒りに任せてエイルの実を投げ捨てるような真似はしない。

 

 

全ては体力を回復させてからだと彼女は思っているのだ。

 

 

「君のお母さんをジスモア卿から身請けする予定だ。もちろん君の身柄も」

 

 

聞いてくれるだけでよいとプランは淡々という。

母の話題という事もありルファスは何も言わずに黙って彼の言葉を待っていた。

 

 

 

「はっきり言おう。ヴァナヘイムにはもう帰らなくていい。

 あそこは君にとって安全な地ではなくなったからだ。次は確実に殺される」

 

 

 

故郷に帰れないと聞いてもルファスの顔に変化はない。

彼女にとって母以外の惜しむ要素など何もない。

あの地で楽しかったことなど一つもなく、これからもない。

 

 

もしもルファスに力があったら、彼女は躊躇うことなくヴァナヘイムを滅ぼすだろう。

今まで受けた数々の仕打ちを思い出し、顔を顰めたルファスは苛立ちのままにプランに言葉をぶつけた。

 

 

「お母さん……本当に助けられるの? 貴方なんかが?」

 

 

吐き捨てる様な問いかけにプランは頷き踵を返した。

 

 

 

「貴方のこと、信じてないから」

 

 

背後から響いてきた言葉にプランは思わず苦笑してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァナヘイムは3807メートルにも及ぶ霊峰である。

もちろん天翼族の都市国家はその頂上にあるわけではないが、それでもただの人間にとって都市への道のりは過酷極まりない道程であることは想像に容易い。

普通の人間ならば霊峰を踏破するのに数日、下手したら十日以上もかかってしまうかもしれない。

 

 

 

しかしプラン・アリストテレスは色々な意味で普通ではない。

彼のレベルは221。現状、この世界における人類の中でも最高峰である。

魔神族や竜王や、獅子王などの上を見ればキリはないが、それでも自由に動いて回る人間という括りで見れば規格外であった。

 

 

 

どうやってこれほどまでに力を付けたかは今は置いておくとして、今の彼にとって“距離”という概念は余り意味をもたないものだった。

それはちょっとしたズル(チート)。ミズガルズという世界そのものが持っている陥穽を利用した行為だ。

そうだ、プランはこの世界の真理の一端を知っていた。

 

 

 

この世界を支配する女神の法則はとてつもなく強固であるが、(バグ)もまた多いと。

 

 

 

時間が惜しいと感じた彼は二つのスキルを同時に発動させた。

エスパーの【サイコスルー】とストライダーの【瞬歩】である。

物体を念力で掴んで操作するスキルと対象との距離を一瞬で0にする超高速移動の能力の同時行使だが、彼はコレを独特な方法で使う。

 

 

 

まず【瞬歩】を虚空に向かって発動する。

身体が10メートル程前方に向かって射出されそうになるのを【サイコスルー】で受け止めて相殺し、その場でがくがくと震える。

都合、同じ行為を4回ほど繰り返した。

 

体感時間としては1秒を100等分しても満たない程の微かな時間、プランからすれば連続で時間が小刻みに停止と再生を続けている様だった。

この世界を運営管理する女神アロヴィナスの法則がプランの不可解な行動を高速で処理していく。

【瞬歩】と【サイコスルー】の同時使用まではともかく、その挙動は本来であれば想定されていない動きであり、描写するのが難しい行為であった。

 

 

 

故に世界は“混乱”した。

ミズガルズはプランの行為に対する論理的な矛盾を解消すべく、最も身近でソレらしい動きへと落とし込んだ。

“ありえない動き”を“ありえる動き”へと再変換したのだ。

 

 

その結果───プランの身体はレベル1000でも実現するには困難極まりない速度で小刻みに震えながら超高速でヴァナヘイムへと向かって滑り落ちていく。

途中にあったあらゆる木々や岩などの全ての遮蔽物を彼はすり抜け、霊峰の丘を遠目から見ても理解できない速度で滑りあがっていった。

結果、彼は1秒にも満たない速さで天翼族たちの都市国家の入り口に到着することが出来た。

 

 

彼はコレを利用しミズガルズのあらゆる地点に瞬間移動の様に飛び回る事が出来た。

最上位の魔神族でさえこの速度にはついてこれず、捕捉することも不可能である。

魔神王ならばあるいは可能かもしれないが、彼はここ数百年自らの居城より動いた事はない。

 

 

 

門番、衛兵たちが突然現れた不気味な出で立ちの男にぎょっとした顔をするが、プランは鷹揚に片手を翳して名乗る。

 

 

「自分はリュケイオンのプラン・アリストテレスだ。

 ジスモア・エノク卿との商談の為にこの地を訪れた。閣下から話を聞いてないかな?」

 

 

 

言いながら相手に威圧感を与える目的でもあった鳥の頭蓋を連想させるマスクを脱ぐ。

黒を基調としながら微かに先端の部分に青が混じった髪色の男の顔が現れる。

衛兵たちが顔を見合わせてから、少しだけ引きつった笑みを浮かべ微笑んだ。

 

 

いきなり目の前に完全武装した男が瞬間移動してくれば、誰でも驚く。

 

 

「か、畏まりました……エノク卿の客人であらされましたか……。

 いえ、ちょっと驚きましたが、そういうことならば是非待合室でごゆるりと」

 

 

 

「ありがとう」

 

 

答えながら自らを包む鎧に思念を送れば、ソレは主の意思に応じた姿を変えていく。

尻尾がコンパクトに折りたたまれ、背中にバッグの様に格納される。

全自動で最下級の天法である【洗浄】が発動し、ルファスを助ける際に付着してしまった汚れなどが消え去った。

 

 

 

鎧の表面に金細工で施された様な流麗な飾りが浮かび上がり、それは元々着ていた衣服の文様と組み合わされることで豪奢な装いを演出する助けとなった。

今の彼は何処からどう見ても立派な貴族然とした姿であり、これからヴァナヘイムの大物と会合するに相応しい立派な様相である。

一瞬で行われた変貌に衛兵たちが息を呑み、気を引き締めた。

 

 

 

 

「こちらにどうぞ。ご案内します」

 

 

眼前の男が自分たちの支配者の上客だと悟った門番たちの態度がおべっかに塗れたモノなのは仕方ないものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴人用の流麗な別室に案内されて1時間あまり経った頃、プランは部屋に近づいてきた足音を感知し、椅子から立ち上がった。

迎える前に鏡の前でもう一度だけ身なりを確認し頷く。

こんな時であるが思えばジスモアとは彼の屋敷で話をしたことがない事を彼は思い出した。

 

 

 

今までは特に疑問に思ったことはなかったが、つまりは外界の客人である自分に見苦しいモノ(ルファスたち)を見せたくなかったのだろうなと彼は察した。

彼が顔を扉に向けたと同時にソレが開いた。

 

 

 

 

「アリストテレス卿、我がヴァナヘイムによく来られた!」

 

 

笑顔を浮かべるのは金髪の男性であった。

外見年齢は20台の後半から30の前半と言った所だが、実年齢は600歳程度は行っている。

天翼族は1500年にも及ぶ寿命と、その生涯の大半を全盛期で過ごすという規格外の生命体である故に、外見からの年齢判断は難しいのだ。

 

 

 

「道中の疲れをゆっくりと癒してほしい。ヴァナヘイムはいつも通り君を歓迎するぞ」

 

 

朗らかな笑顔でプランの肩を叩く男こそルファスの父である。

子育てを放棄し母子の死を何処かで願う冷血漢と遠路はるばる訪れた友であるプランを労う好人物、そのどちらも彼なのだ。

人には多くの側面があるというが、彼もそのまた一つだ。

 

 

プランは恭しく頭を下げ、感涙に咽ぶように声を震わせて喋った。

ちっぽけな人間種である自分が高貴なる天翼族の、最高位の貴族と会話できた奇跡を堪能するかの如く。

基本的に天翼族はこういう様におだてられると非常に喜ぶのだ。

 

 

「ありがとうございます。貴方様の寛大さ、痛み入ります。

 全ては偉大なる女神アロヴィナス様の齎す奇跡、こうして再び卿に謁見できた名誉を女神に感謝いたします」

 

 

 

「そう畏まらなくてもいいのだぞ? 

 君のお蔭で俺の翼は更なる輝きを得ることが出来た! 君は俺の恩人だ!」

 

 

 

誇るようにジスモアは自らの翼を誇示する。

見せびらかす様に翼が大きく広がった。

手入れの行き届いた美しい翼だった。

限りなく純白で、毛並みもよく、仮に触る事が出来たらとても暖かい上に上質な布の様に柔らかいだろう。

 

 

正に典型的な天翼族としての振る舞いである。

己の翼こそが第一。翼の白さ、美しさこそが至上の価値。

仮に寿命を削ることで更なる美しさを得ることが出来るのならば、ジスモアは躊躇せずにソレを実行するだろう。

 

 

年齢と共に輝きが色あせてしまうのならば、天翼族としての長寿を全て注ぎ込んででも至高の翼を完成させる。

それがジスモアという男だ。

 

 

だからこそジスモアはルファスを許せないのだ。

ジスモアにとってルファスとは自らの翼についてしまった“シミ”なのだ。

全体が美しくなればなるほど、その穴だけが目立つようになってしまう。

 

 

徹底した、狂信的なまでの白翼主義者。

それがジスモア・エノクであった。

 

 

故にプランはジスモアのそんなプライドを磨いてやることにした。

【観察眼】を微かに発動させ、彼の自慢の翼を丹念に解析し、ソレを称える。

 

 

 

「私などの語彙では表しきれない輝きです。

 ……毛並みが前より更なる向上を遂げていますね。血色も良くなっている。

 翼そのものも大事ですが、ソレを支える背中の血流のケアも素晴らしく行き届いております。

 これほどの翼、ヴァナヘイム広しと言えどエノク卿しか持ちえないでしょう」

 

 

「やはり君ならば判ると思っていたぞ。

 そうだ、君の用意してくれた新作のベッドと血流促進のクリームのお蔭だ。

 “寝る時も翼に負荷は与えない”そんな基本的な事を俺とした事が見落としていたなんて……」

 

 

 

プランがジスモアに提案し売り込んだモノは至極単純であるが、その発想の原点は中々に気が付きにくいものであった。

天翼族も寝るときはベッドで横になる。当然その際、彼らの背中には翼がある為に仰向けに眠る事は出来ない。

それでも必然的にベッドと体の間に翼は挟まれることになり、血流が悪化し、様々な筋肉に悪い負荷がかかることにもなる。

 

 

それではダメだとプランはハンモックから着想を得て製作した品をジスモアに売りつけたのだ。

安楽椅子とハンモックを掛け合わせた様な新しい天翼族用のベッドは、背中を預ける個所に翼を逃すための切れ込みがある。

その中に翼を差し込み、ベッドの後ろに逃がすことにより天翼族でも仰向けで眠れる環境を得られる品だった。

 

 

 

効果の程は素晴らしいものがあったようだ。

仰向けで眠る、という誰しもが出来ることを今まで出来なかったエノクであったが

専用のベッドのお蔭で熟睡することが出来るようになり、体調がすこぶる良くなった事もこの上機嫌の理由の一つだ。

 

 

 

後は……長年悩まされていた存在が消え去った事も一助になっているかもしれない。

プランはジスモアに見せつけるように腰にぶら下げていた幾つもの荷袋をテーブルの上に置く。

中に入っているのは翼をケアするためのクリームや油、後は翼に良いとされている薬草を加工して作った薬などだ。

 

 

 

「もちろん今回の品も全て買い取らせて欲しい。

 全部ざっと合わせて……2万エル程でどうだ?」

 

 

「ありがとうございます。異論などとんでもありません。

 私の品で貴方様の翼を輝かさせる事ができたのなら、それこそ至高の対価です」

 

 

「本当に君は言葉が上手いものだ! 

 人間種として生まれてきたのが非常に惜しい……天翼族であるならば、我が右腕になれたかもしれないというに!」

 

 

はははは、とジスモアが気をよくして笑う。

もちろん彼もこの会話がおべっかが入り乱れたご機嫌取りだという事は知っている。

だが、自分の誇るモノを正当に評価し、称えてもらうというのはとても気持ちがよいことなのだ。

 

 

ジスモアが笑みを深くすれば、扉が開き美しい天翼族の女性が入ってくる。

今までプランがジスモアの妻だと思い込んでいた女だ。

彼女はラベルの張り付けられたワインの瓶と幾つかのグラスを持っていた。

 

 

プランが恭しく一礼し挨拶をすれば、彼女もまたにこりと微笑む。

ジスモアに比べれば劣るとはいえ、彼女の背にあるのは美しい白い翼。

彼女こそがジスモアの新しい愛である。

 

 

女性の肩を抱き寄せたジスモアがとても暖かい笑みを浮かべてプランに言った。

さながら劣等種族たる人間に対しても寛大な態度を示す理解ある大貴族、といった所か。

 

 

「商談がまとまった記念にどうかな?」

 

 

差し出されたグラスをプランは手に取り微笑んで頷く。

内心「ちょうど良い」と思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

プランとジスモアは酒を片手に談笑を楽しんでいた。

基本的にヴァナヘイムから動かないジスモアにとっては外界の下級種族たちの滑稽な話は程よいショーとして丁度よい。

もちろん女性にも話を振り、適度に場を和らがせながらプランはジスモアの様子を観察し続けていた。

 

 

 

よい感じに酒が回ってきたのを見計らいプランは本題に切り込むことにした。

微笑みながらグラスを見つめ、噛み締めるように言葉を吐く。

 

 

「エノク卿……自分は今日ほど“運命”というものを感じたことはありません」

 

 

 

「いきなりどうしたんだ?」

 

 

酒の影響で頬を赤染めしながらジスモアは苦笑した。

女性がくすくすと微笑む。

果たして彼女は知っているのだろうか? と思いながらプランはそんな事は全く表に出さず言葉をつづけた。

 

 

 

「ヴァナヘイムの麓で自分は一人の少女を見つけました。

 名をルファスという娘です。彼女から色々な話を聞かせて頂きました」

 

 

「……」

 

 

表面上ではジスモアに何の変化はない。

しかし少しばかり胸中にさざ波が走った事をプランは見通す。

彼の警戒心が強まる。恐らく糾弾されるとジスモアは考えたのだろう。

 

 

ジスモアの行いは最悪だと罵られても仕方がない。

我が子に行われた差別を黙認し、自らの妻さえも雑多に扱う男と侮蔑されるのは当然だろうと天翼族は身構えた。

しかしここでそうするのはとても簡単だが、それでは目標は果たせない。

 

 

商売相手を失わず、母子を救い、なおかつジスモアの顔も立てる。

その全てを達成しなければならない故に、ここで必要なのは怒りではない。

 

 

───プランは目じりに涙を浮かべて感涙を流した。

酒が入っている故に、多少は大仰なリアクションをとっても許されるだろうと彼の脳内の冷静な部分は計算している。

 

 

 

「何という悲劇でしょうか。

 自分は貴方様ほどヴァナヘイム……。

 いえ、天翼族に貢献している方を知りません。だというのに………」

 

 

 

力なくプランは首を振った。ここから先は語るまでもないと態度で示す。

本当に心の底から親愛なる存在に起きた不幸に共感し嘆くかの如く彼は振舞う。

実際、誰にとっても不幸にしかならないこの巡りあわせに彼は憐憫を抱いていた。

 

 

ジスモアの身体にあった緊張が少しずつほぐれていく。

一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、直ぐになんとも言えない苦笑が顔に張り付く。

攻撃に備え、それを迎撃するために回していた頭脳が冷えていくのだ。

 

 

ジスモア・エノクは異常なまでに翼に拘る点を除けばヴァナヘイムの大貴族として相応しい能力の持ち主である。

だからプラン・アリストテレスが何を考え、どのような帰着を望んでいるか直ぐに察することが出来た。

確か……この人間族の男はマナの研究などをしていたことを思い出す。

 

 

なので彼はこの芝居に乗る事にした。

 

 

 

「閣下は何も悪くはありません! 

 全ては運命の悪戯としかいいようがありません。

 自分は、エノク卿の心労を思うだけで……」

 

 

顔を俯かせるプランの肩にジスモアは労りに満ちた様子で手を乗せた。

 

 

「そうか、そうか……判ってくれるか! 

 そうだ、俺も、好き好んであんな扱いをしているわけじゃないんだっ」

 

 

「貴方様ほど慈愛に溢れた御方を自分は知りません。

 私の様な部外者をヴァナヘイムでこれほど歓迎してくれる温情に溢れた方……」

 

 

ぐすっと鼻を啜る。

これくらいで大丈夫だろうとプランは判断し、切り込む。

彼はジスモアの前に跪いた。臣下が主に懇願する様に。

 

 

「全ては私の我儘! 

 黒翼と言えど、それでも女神に愛され、生誕した命を助けたいという我儘です。

 そして何より、何よりもっ! 閣下の輝かしい翼(キャリア)を守りたいという私の願いなのです!」

 

 

 

深く、深く頭を下げてプランは言い切る。

 

 

 

「厚かましいとは重々承知の上でございます。

 しかし、このままではあまりにも誰も報われない! 

 ルファス様とその母君も! 何より貴方が! 

 ……故に、どうか私に貴方様の手助けをさせてはくれないでしょうか?」

 

 

一瞬だけジスモアの視線が虚空をさ迷う。

口元を彼は抑えた。

次に手を震わせながら彼は言う。

 

 

即興で頭の中で筋書きを作り上げ、プランのソレに合わせてやる。

 

 

「……俺は本当に良い友をもった! 

 ここまで言ってくれるものは君以外に知らない。

 そうだ……あの二人は君も既に察していると思うが()()でね。

 ……近々、どこかに()()に出そうと思っていたんだ」

 

 

 

「…………」

 

 

顔を上げたプランの瞳をジスモアはのぞき込んだ。

彼はいかにも母子の身を案じる理想的な父親の様な笑顔を浮かべている。

心根の思いはどうあれ、コレは彼にとっても悪い話ではなかった。

 

 

 

 

黒い翼のおぞましい化け物といえど、それでも自分の妻()()()女が孕んだ子だ。

いかに自分の手を汚さない様に排除したとしてもヴァナヘイムという隔離された都市国家の中で噂が蔓延る事は阻止できないだろう。

ジスモアは大貴族である故に、味方も多いが敵も多いのだから。

 

 

それに死体二つを処分するのも手間なのだ。

 

 

あれだけ差別に加担しておいて、いざ命が失われたら「どうして助けなかった?」等と恥知らずな事を口走る者だらけだ。

まぁ普通に認知して育てたとしてもあの母子は攻撃の材料になるだけで、既にジスモアの人生においては負債でしかないのだが。

 

 

自分の名と家を汚さず、顔に泥を塗らず、それでいてあの邪魔な二人を己の栄光ある人生から排除する。

そんな素晴らしく都合がよい事が彼には必要であった。

だからこそ、プランのこの話は正に渡りに船といったところか。

 

 

己の妻子を謀殺した男、よりも病気になった妻子を泣く泣く療養のためヴァナヘイムから外に送り出した男、の方が世間体はよいに決まっている。

 

 

 

プランの事前の読み通りであった。

ここには「捨てたがる者」と「ソレを欲する者」がいるだけの話である。

需要と供給と表現してもいいかもしれない。

 

 

ジスモアはプランの肩に手をやり、立ち上がらせると実に人のいい笑みを張り付ける。

傍から見れば自分の妻子を信頼できる友人に預ける事に僅かな躊躇いを感じている夫に見えるだろう。

しかし微かに発動させられたプランの【観察眼】には彼の胸中が興奮で満ちている様が映っていた。

 

 

言葉にすれば「やっと厄介払いできる」といった所か。

 

 

「話は早い方がいい! では、さっそく案内しよう」

 

 

長年の荷物を降ろせる事に安堵と喜びを隠し切れず、凄絶な笑みを浮かべたのを見て、プランは内心でため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に酷い、とプランは本日数回目になる感想を胸中で抱いた。

ジスモアの屋敷……初めて訪れる豪邸の隣にちょこんとおかれたボロ小屋は何も知らない者が見たらただの廃屋にしか見えないだろう。

まさかそこに人間が二人も住んでいる等という事は想像も出来ないに違いない。

 

 

 

途中まで案内したジスモアは小屋の位置をプランに教えた後は別の仕事がこれからあるとだけ言い残して消え去ってしまった。

プランの手にあるのはジスモアの直筆のサインが書かれた契約書だけ。

ルファスとその母であるアウラ氏の身柄をプラン・アリストテレスに預ける、という旨が書かれた書類だ。

 

 

 

ここには面白い一文が書かれている。

仮に病気や事故などでこの二人が命を落とそうと、自分に報告する必要はないという点。

そして、病気が完治するまでヴァナヘイムに戻さないで欲しいという内容。

 

 

後は()()()()()()の名目で3万エル程の支払いを約束するという一文。

つまり……()()()()()という事だろう。

彼には自分がマナや天法、魔法の研究者でもあると話している故に新しい実験体として欲したとでも思われているのかもしれない。

 

 

よほどこの話が嬉しかったのか、話がまとまってからのジスモアの機嫌は天井知らずに良く、隣の女性の肩を抱きしめ頬にキスを落とす程であった。

 

 

 

立てつけが悪く隙間だらけの扉をプランは開ける。

キィィという煩い音を立てて扉が動けば、屋内は雑多な塵が散乱し、とても衛生的とは言えない環境だった。

濁った空気が押し寄せてくる中、プランは微笑みを絶やさずに足を踏み入れた。

 

 

 

「……ぁ……おきゃく……さん? ……ごめんな、さい…ケホッ……こんな……」

 

 

 

部屋の中にある唯一の人間的な家財であるベッドに近寄って見下ろせば、そこにはやせ細ったどこかルファスに似た顔立ちの女性が居た。

くすんだ髪の色。血色の悪い肌。がさがさの唇に、窪んだ瞳。ここまで衰弱した天翼族は見たことがない。

呼吸するたびにコヒュっという音がする。やはり彼女も肺炎であった。

 

 

 

「こんにちはエノク夫人。自分はプラン・アリストテレス。

 エノク卿に雇われた医者です。貴方とルファス様の治療を任されました」

 

 

 

「おいしゃ……さ……ケホッ」

 

 

「あぁ、大丈夫です。何も心配しなくていい。ご息女ともども、自分が責任を以てお預かりします」

 

 

だから先ずはコレを飲んでくださいとプランはポーションを夫人に差し出した。

先にルファスにそうしたように最低限の治療を行いながらプランの頭は冷静にこれからの予定を纏め上げ続けていた。

ルファスの方は問題はない。当面の食料もあり、もう峠は越えている。

 

 

 

問題はエノク夫人……アウラ氏の方だなと彼は考えた。

当初の予定では二人まとめてリュケイオンに連れていくつもりだったが、こちらを先にしたほうがいいと彼は予定を修正した。

 

 

「失礼いたします。エノク卿は一刻も早い貴女の治療を願っていますので……」

 

 

夫人の身を【エスパー】のスキルで包み上げシーツもろとも持ち上げる。

そっと、赤子を抱くように両腕の上に彼女を乗せれば、先のルファスと同じか、それよりも軽い。

本当にギリギリだったとプランは胸をなでおろした。

 

 

 

レベル221の彼からすればやせ細った女性一人など荷物の内にも入らない。

抱え上げて小屋の外に出れば、遠目から多くの奇異の視線が寄越される。

既に辺りは夜になっており、ヴァナヘイムの冷気が満ち始めているが、それでも多くの天翼族は物珍しいモノを見るように遠くから二人を見つめていた。

 

 

 

こそこそと会話が聞こえるが……まぁ、下らない噂や罵倒の言だ。特に記憶する価値はない。

ここで母子がどのような目にあったかを考えるだけでプランは気が滅入ってしまいそうだった。

故に彼は微笑みを張り付けた顔で、堂々と歩くのだ。

 

 

ジスモアの屋敷の正面まで行ってから振り返る。

自分を見降ろす様にジスモア・エノクが窓際に立っていた。

プランはそんな彼に敬意を込めたように一礼する。

 

 

傍から見れば天翼族という貴重な実験体を手に入れて高揚している男の様に。

ジスモアも同じく手を掲げて答えた。

彼の顔は、今まで見たどのような顔よりも晴れ晴れしかった。

 

 

 

 

「では、行きましょうか」

 

 

 

なに、本当に直ぐですよ、とプランは夫人に語り掛け、いつもの様に【観察眼】と他多数のスキルを同時に発動させた。

世界がねじ曲がり、技術体系化(グリッチ)された世界の陥穽を利用する。

 

 

その日、流星よりも素早い閃光が1000キロを超える道のりを瞬時に踏破したことを知る者はいない。

 

 

 

 

 

 

 

翌日の朝、ルファスは久しぶりに熟睡することが出来ていた。

温かい毛布というものを初めて知った彼女は、かつてない程に熟睡することが出来た。

夜間、咳き込む母を介護するために起きる必要もなく、隙間風に身を縮める必要もない睡眠というのは初めてだったのだ。

 

 

「少し話がある。入ってもいいかな?」

 

 

扉が叩かれる。プランの呼び声が聞こえた。

レベルが上がったことにより上昇した身体能力は繋がりかけの骨というハンデがあったとしても寝床から入り口まで程度ならば問題なく歩くことが出来た。

扉の鍵を開ければ、最初に会った時と同じく不気味な鳥類の頭蓋の様なマスクを被ったプランが現れる。

 

 

彼はマスクを取り、ルファスと向き合う様に膝をついて視線を合わせた。

青い瞳を赤い瞳が見返す。

 

 

「お父さんと話をしてきて、君のお母さんと君は自分が預かることになった。ヴァナヘイムにはもう戻らなくていい」

 

 

「……あんなの、父親、じゃない……あなただって……何様のつもり?」

 

 

煮えたぎった感情を込めてぶつけるもプランの表情は変わらない。

困ったように、弱弱しく、許しを乞うように笑うだけ。

ますます憎悪を強めながらルファスは口を開こうとして……やめた。

 

 

まだまだ自分がよわいという事を彼女は自覚している。

 

 

今はまだこの男に抵抗はできない。

母の身だって抑えられている。

だけどいつか必ず、報いを与えてやる。殺してやる。

自分をあそこで拾った事を後悔させてやると彼女は決意していた。

 

 

「既にお母さんは自分の故郷に移ってもらった。次は君を連れて行くから、用意してくれ」

 

 

 

朝食を取ってからでもいいよ、と続けるプランに返事を返す事なくルファスは一度部屋に戻る。

治療の際に切り裂かれたボロを拾い上げ、そのポケットの中に大事にしまっていた小さな輝き石を取り出した。

 

これはルファスの宝物だった。時折拾ったピカピカ輝く石。

その光を眺めることだけが彼女の今までの楽しみだったのだ。

あとは食べ残していたエイルの実を幾つか。

 

 

 

それらを握りしめてログハウスの外に出れば、そこには多くのカラスたちが居た。

彼女は手を広げて実と宝石を差し出した。

途端に群がるカラスたち。

 

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

 

ばさばさと周囲を飛び交い、鳴き声を上げる友達たちにルファスは言った。

後ろに居る男の事は存在さえも認識しないようにしていた。

やがて全てのカラスが飛び去った後、彼女は踵を返してプランを見つめた。

 

 

真っ赤な瞳の中では変わらず憎悪と憤怒が燃えている。

あらゆるものに復讐してやると決意した瞳だった。

間違っても10にも満たない子供がしてはいけない瞳だった。

 

 

いずれ自分は力をつけてここに戻ってくる。

その時は、この山も、あの国も、自分と母を苦しめた全てを地獄に堕としてやると彼女は決意していた。

その為に今は眼前の不愉快な存在を利用してやる、利用して、全てを絞りつくしたら同じように殺してやる、と。

 

 

だからこれは彼女なりの決意表明であった。

 

 

 

「貴方なんか大嫌い。絶対後悔させてやる」

 

 

それでいい、とプランは続け、ルファスを抱き上げた。

世界を歪めるグリッチが使用され、二人の姿は一瞬にしてヴァナヘイムから消えてなくなった。

 

 

 

 




まだまだデレません。
先は長いですが、ごゆっくりとお待ちください。
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