ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
「この子は何を言ってるんだ?」
と思うでしょうが今の彼女の理屈はこれです。
跳ねる。飛ぶ。着地する。
新しいブーツの使い心地はルファスを夢中にさせるものであった。
今まで靴というものに頓着しなかった彼女であったが、その認識は既に改められていた。
天翼族というのもあり長距離の移動の時などは飛行を行う彼女は正直な話、足を覆う靴などなんでもいいと思っていた節があった。
しかし完全に、完璧に足に馴染むブーツを履いてしまった今となってはその考えは間違いだと思いなおしたのだ。
歩くのがとても楽で、どれだけ強く速く走ってもしっかりと足をサポートしてくれる感触は病みつきになるものだった。
竜の皮を靴に使うなど、誰かが聞けば目玉が飛び出る話であろうが、彼女はそれを知る由もない。
「ははははは!」
少女は笑っていた。
以前【威圧】を使って森の住人たちを嬲っていた時とは違う、年相応の純粋な笑顔で。
時折後ろを振り返り、アリエスがちゃんと己についてきているかを確認する。
少しだけ距離が離れたら彼女は翼を使わず歩いてアリエスを迎えた。
小さな虹色羊を抱き上げてぎゅっと抱きしめる。
「少し飛ばすぞ、しっかり掴まっているように」
「メメッ!」
腕の中のアリエスが頷き、両手両足を己の身体にぴったりとくっつけたのを見計らってからルファスは駆け出した。
勿論念のため片手でアリエスをしっかりと支えたままで。
少女の身体はぐんぐんと加速していく。
レベル130の時点で音に迫っていた身体能力は既に音速の数倍の速力を得るに至っていた。
ドォンという空気の壁を突き抜ける音が発生し、衝撃が森を揺らす。
そんな異常極まりない速さの中でも彼女の動体視力は過ぎ去る景色の全てを鮮明に捉えていた。
超音速で障害物と衝突などしようものなら幾ら彼女でも無傷では済まないが、そもそもぶつかる事がありえない。
プランに5回連続であしらわれて自身の強さというものを見失いかけていた彼女であったが、意のままに動く超人の身体はその懸念を吹き飛ばしてくれた。
あの男がおかしいだけだ。断じて自分が弱いわけではないと彼女は己を奮起させた。
森の端まで突っ切ると、直ぐに引き返す。
10キロ以上もある道程だったが、秒速1キロにも迫る彼女の足ならば10秒たらずで踏破できた。
ちらっと腕の中のアリエスを見る。彼は主の凄まじい身体能力に目をキラキラと輝かさせていた。
よし、実にいい顔だとルファスは満足を覚えた。
自分は十分に速い。十分に強い。
間違っても直立不動したまま滑るように動く変態染みた奴に劣る訳がないと彼女は胸中で繰り返す。
ブーツを見る。
新品の靴は全く変わらない。
以前までの靴だったらこの速度で走ったら軋みを上げていたのだが、この程度は竜皮のブーツには何ともないようであった。
素材がいいというのもあるが、ユーダリルの職人の腕もまた素晴らしいモノがあった。
ミズガルズ広しといえど、さすがは多くの種が入り混じる商人の町の靴職人、その技量は称賛に価するものがある。
そして何より彼女を満たしたのは、この一品は自分だけのモノという現実であった。
世界に二つとない自分だけの靴、自分専用のブーツ、そんな単語を浮かべたルファスの顔は綻んだ。
独占欲。執着心。
少女の内面はそれで満ちている。
(私のもの。私だけのモノ……誰のでもない、私だけの)
自分だけのモノ。自分だけが持っている。
他の誰でもない、自分が献上された特別な一品。
そんな単語は大いに少女の自尊心と所有欲を刺激し満たしてくれる。
腰のダガーだってそうだ。
ミスリルの刃は徹底的に自分が扱いやすい様に考えて作られた品だ。
今着ている鎖帷子だって、そろそろキツくはなってきたが自分だけの防具だ。
ペンダントも、母がくれた大切な髪飾りだって……もちろんアリエスも。
全部全部自分だけのモノだ。
そして最後はプランの命を手に入れる。
それが彼女の最も欲しいモノである。
まぁ……今はまだ手に入れるのは難しいが、と少女は内心で苦笑しながら続けた。
ぴょんっと脚力だけで10メートル以上飛び跳ね、木々のてっぺんに軽々と昇る。
リュケイオン近郊の森を見渡す光景を前にルファスはため息を吐く。
「……まだまだ、だな」
身体能力を堪能していた熱が冷めれば思い返されるのは苦々しい連敗の記憶であった。
何も出来なかった。そもそも勝負にさえなっていなかった。
何をされたかも正直な話わからない。
自分とプランの間にある隔絶した力量差を見せつけられ……
全てはあと2年後。あの男の数倍のレベルを得て、万全の準備を整えてから殺害すると決意を抱く。
殺す、殺す、殺すと何度も胸の中で繰り返すが、ほんの数年前には簡単に抱けていた筈の憎悪が中々湧いてこない事に彼女は顔を歪めた。
胸がチクチクする。
彼を殺す光景が中々イメージできない。
だがそれでもやらないといけない。
自分が自分であるためにはプランの死は必須なのだ。
彼を超えて殺さないと彼女は自分の人生を生きれないと思っている。
いつからそんな考えが浮かんだかは自分でも判らないが、とにかくルファスは彼の殺害を以て自分の人生が始まると思っていた。
だから殺さないといけない。
何としても。
だが、それでも。
誰も聞いていない今だけならば、ちょっとした愚痴を吐くだけの人間性はあった。
「……アリエス、もしも私があいつを殺したら、お前は悲しむか?」
「……メェェ」
アリエスは素直に頷いた。
率直に言って彼はプランが好きだった。
己の毛色を何とかしてくれた上に、美味しいご飯に暖かい寝床、気持ち良いマッサージまでしてくれる彼が好きだった。
物心ついた時にはすでに父というものを失い、母と一緒に逃亡生活をしていた彼にとってプランは……父の様な存在と言ってもよかった。
「そうか……それでも私はやらないといけないんだ」
愛おしむ様にルファスはアリエスの頭を撫でた。
耳の裏をかいてやると羊は心地よさそうに目を細める。
「私は彼に強くしてもらってるのは確かだ。
だが同時に、弱くもなっている。
このままでは、私は私でなくなってしまうんだ」
青空を見つめつつルファスは己の心境を語る。
母にさえ語れない、我がままで、自分でも意味の分からない理屈をありのままに。
「私の強さは憎悪と怒りが根源だ。この二つが何処までも私を強くしてくれた」
ルファスはリュケイオンに来る前の9年の地獄を思い返しながら喋った。
ヴァナヘイム中の、一つの種族の悪意と害意を纏めて受け続けた生き地獄を。
誰も助けてくれない。
誰も手を差し伸べてくれない。
この世に神などいない、救いなどないと心底理解させられた日々だった。
だからルファスはあらゆるモノに対して憎悪を抱き、それを軸に己の人格を維持し続けた。
でなければとっくの昔に精神が壊れていただろう。
世界が憎い。
他人が憎い。
世の理不尽に憤怒する。
全てを憎悪し、それを楽しんだ。
天翼族を憎む。
父を嫌悪し拒絶する。
母さえあれば自分は何もいらないとさえ思った。
しかし……しかし、プランとリュケイオンの暮らしはそんなルファスの憎悪を弱めてしまう。
気づけば息をするように放出できていた憎悪、黒い感情が薄まっている事にルファスは気が付いてしまった。
そして彼女は……怖くなった。
弱くなる。
ルファスの怖い事はその一点に尽きた。
誰よりも強くなる可能性を秘めた彼女の唯一の恐れは弱体化、手に入れた力の消失であった。
弱いと何も守れない。自分はおろか母さえも。
弱いと奪われるばかりだ。尊厳も、権利も、自分の物や命さえも。
弱いと見下される。誰もが弱い自分の陰口を叩き、心ない言葉を囁きかけてくる。
だから自分は強くならないといけない。
そしてプランはそんな自分を弱くする毒だ。
だから消す。そういう理論を彼女は組み立てあげていた。
一昔前は理屈さえなく憎悪を抱いていたというのに、今やそういう理由を作らないといけなくなってしまっていた。
それに気づかず彼女はアリエスに言葉を続けた。
「これは理屈じゃないんだ。私が私であるために必要な事なんだ」
「だから私はあいつを殺さないといけない」
「そうやって初めて、私は弱い私と完全に決別できる」
ルファス・マファールは覇者になる存在だと彼女は自分を定義していた。
誰よりも強くなる。何人にも縛られない、世界で最も自由な存在になるのだと。
そんな自分がちょっと手を差し伸べてきただけの偽善者の男に絆されるなどあってはならない事である。
「……そもそもの話、あいつは私の恩人でさえない。少し考えれば判る事だ」
プラン・アリストテレスは偽善者だと彼女は言い切った。
侮蔑と拒絶と悪意を込めて、彼女は作り上げた物語を己に言い聞かせるようにアリエスに話して聞かせた。
己の心の傷を己で開いていく。あふれ出た真っ赤な感情を彼女は怒りのままに飲み干す。
「奴がヴァナヘイムを訪れたのは一度や二度じゃない。
「奴は母にこう言ったらしい。私達を助けたのは“貴族の戯れのようなもの”とな」
それは言いがかりに等しい内容であった。
しかし彼女の中では真実である。
誰が何と言おうと、プランと言う男を彼女は偽善者、クズ、卑怯者と信じ切ろうとしていた。
「私のっ、わたしたちの小屋は!
あの男の屋敷のすぐ隣にあったんだ!! 気づかない訳がないだろう!!」
憤怒でもなく憎悪でもない。
彼女から零れたのは悲痛な嘆きであった。
「もっと早くに気づけたはずだった!!
なのに、なのにあいつは!! 全く!!! 知ろうともしなかったっッ!!」
嘆きのままに叫ぶ。
「何で、9年間も気づけなかったんだ!!
それなのに、本当にあとすこしで手遅れって時になって……っっ!」
奥歯が砕ける程に噛みこむ。
ギチチという嫌な音がした。
もっと早くに、もっと効率よく彼が動いていれば、自分はあんな思いをしなくて済んだと叫ぶ。
「あいつはいきなり現れて、いきなり手を差し伸べて、それで自分は“良いことをした”なんて思いあがっている!!」
「私の9年は何だったんだ! 何であんな思いをしなければいけなかったんだ!」
「あんな奴、ころされて当然だ! だからわたしはあいつを殺すんだ!!」
虚空に向けて一通り怒りを発散した後、少女はアリエスを見つめた。
羊の瞳は主を見つめて潤んでいた。
これが何で生じた涙なのか彼にも判らなかった。
ただ、主に恐怖して浮かべたモノでない事だけは確かだった。
今の彼女は……全く怖くないとアリエスは思っていた。
訓練所に戻ったルファスを出迎えたのはプランではなく彼の作成したゴーレムであった。
均整のとれた人型ゴーレムは、淀みなく周囲を歩き回って警戒しているようであった。
リュケイオン近郊とはいえ、森の中は時折魔物が出没することもあって警備要員を置いておくのは当然と言えた。
そして当のプランと言えば……眠っていた。
彼は安眠椅子に身体を預け、指を腹の上で組んで寝ていた。
以前も見た事があるアイマスクも装着しているようで完全装備であった。
訓練所を作る為に日を開ける必要があり、その為に彼は数日分の仕事を前倒しにして片づけたのだ。
当然身体に負荷はたまるわけで……少しだけ休んでいるということだろう。
全てはルファスとの時間を作る為であった。
そんな彼を見つけたルファスは顔を歪めた。
(こいつ……)
バカなのかと内心で吐き捨てた。
幾ら周囲をゴーレムで警戒し、魔物の襲来に備えたとしても、目の前に一番命を狙っている存在がいるということを忘れたのかと。
本当にふざけた話である。最悪の捕食者の前で最高の隙を晒すなんて、殺してくれと言っているようなものじゃないか。
「……メェ」
アリエスが主を見上げて顔を傾げた。
ルファスは瞑目し、舌打ちをする。
この男が今日という日の為、この訓練所の為、どれだけ努力したかは彼女がよく知っている。
ダガーの柄に手をやったり離したりを繰り返す。
暫くそうしていたが、ルファスは決心がついたのか完全に剣から手を遠ざけた。
勘違いするな、今日はやめておいてやるというだけだと口にも出さず視線で押し付けた。
「それにしても……本当に無防備だな」
近寄って頭を人差し指でツンツンと突く。
プランは何の反応も見せない。
敵意や害意、殺気などを感じればすぐに起きる彼だが……起きないという事は、
「…………」
アリエスを見る。
彼は何故か用意されていた自分の寝床の周りをぐるぐると回っていた。
毛布とタオルを敷き詰められた小さな小屋がアリエスの為の寝床である。
ぴすぴす匂いを嗅ぎ、前足で毛布とタオルを突いて状態を確認。
ふむ、悪くない、僕の新しい寝床に相応しいと彼は幾度も頷いていた。
いそいそと小屋に潜り込み自分の位置を調整、やがて満足したのか彼は「メメェェ」と嬉しそうに鳴いた。
もう少し放置しておけばアリエスは丸くなって眠り始めるだろう。
余りに自由な己の家臣の姿にルファスは少しだけ頬が緩む。
アリエスのそういう自由奔放で何処か図太い所が彼女は好きだった。
ルファスの視線が動く。
ぐっすりと眠りこけている男の顔から胸、そして指を組んでいる手へと。
成人男性の、ゴツゴツした手を彼女は睨みつけつつ……そっと己の細い指を伸ばした。
思い出すのはプルートに向かう時の通路の中とユーダリルの舞踏会。
あの手と自分の手は繋がった。
暖かかった。大きかった。あんしんした。
全ては自分を惑わせる毒。
弱くする呪い。
そんな事、百も承知だったが───。
確かめるだけ。
これは、確かめるだけ……。
これがどんなものなのかしらないと、たいさくをたてられないから、これはしかたないこと。
「───ぁ」
ぎゅっ。
あたたかい。
少女の小さな声だけが微かに零れる。
そんな己の主を見つつアリエスは大きな欠伸をして瞼を閉じた。
彼が思ったのは一つだけだった。
“なんでルファス様は好きなモノを素直に好きだって言えないんだろう?”であった。