ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
日刊ランキング10位内に入れた記念に
今週の土曜日に投稿予定だった話を投稿します。
リュケイオンとよばれる街は国と言える程に大きくはない。
ここは交易都市ユーダリルの近くに新たに築かれた都市国家の雛、リュケイオン。
後の世ではミズガルズ最大の魔法王国となる、今は小さな街であった。
この地はマナが豊富で、あらゆる動植物にマナが宿っている事が有名だ。
故にアリストテレスの一族は代々ここを拠点として活動を続けてきたのだ。
湖の一部を埋め立てて造られた小島の上、そこにあるちっぽけな屋敷。
1000年の歴史を持つアリストテレス家の拠点は歴史ある貴族のモノとは思えない程に質素であった。
二階建ての地下室、庭付き。そこその小金持ちが住んでいそうな小奇麗な屋敷である。
天翼族の下級貴族程度であればばもっと良い家に住めるだろう。
しかし、かの一族に屋敷の大きさなど大した意味はない。
大事なのはその中で何をするかなのだから。
そんな住宅の一室。
落ち着いた色で統一された部屋。
最低限の机と椅子、幾つかの本棚がある部屋……プランの執務室には三人の男が居た。
一人はアリストテレス家67代目当主、プラン・アリストテレス。
当主と言っても既に一族は彼しかおらず、使用人も数える程しかいない。
誰がどう見ても没落した貴族一家の末裔である彼は、残りの二人に視線を向けていた。
一人は青年。
そして最後の一人は初老の男。
「彼女たちの様子はどうなっている?」
プランは青年に話かける。
自身の領地に二人を迎え入れて既に4日もの日数が経っている。
目線を向けながら手元は凄まじい速度で書類を捌き続けていた。
【観察眼】の応用で広い視界を持つことができる彼にとっては手元など見なくてもそこに何と書いてあるか判るのだ。
艶やかな黒髪と程よく日焼けした肌が特徴的な青年、カルキノスはプランの言葉に頷いて答える。
「yes! レディたちは何の問題もありません!
麗しいお二人の体調は全てgoodに向かっておりますとも!」
満面の笑みでカルキノスは答える。
所々に意味の分からない単語を羅列するが、これは彼曰く「古の勇者も使った由緒正しい言語」らしい。
何処の国の言語とも一致しない不可思議な単語であるが、これはプランが出会った時からこうなので、既に彼は気にはしていなかった。
「元よりただの肺炎でした。
十分に栄養と睡眠を取っていれば普通なら直ぐに治ってしまう程度の」
初老の男、黒いキャソックを着込み胸元には流水と金星をモチーフにした文様……女神アロヴィナスを意味するシンボルをぶら下げた男が補足する様にいう。
彼は女神を称える宗教の司祭、その名をピオスと言った。
このリュケイオンにアウラとルファスが運び込まれた時、両者の治療を行ったのは彼であった。
アウラの容態を一目見た時のピオスの激怒はプランの脳裏に焼き付いて離れない程のものであった。
開口一番に彼は「どうしてここまで放置した!」と怒り狂いながら彼女を治したのだ。
ミズガルズにおける肺炎の死亡率はとても低い。
レベル1ならばともかくレベル4辺りになれば風邪にさえも滅多にかからなくなり、強力なスコーピオン種が毒を垂れ流しにするなどをしなければ流行病などは滅多に起きえない程に人々の免疫力は高いのだ。
特に平均寿命が普通に1000年を超えるエルフや天翼族においては病死などほぼありえない程にまれな死因だ。
そんな中、たかが肺炎で命の危機に陥っていた彼女たちがどのような環境下で過ごしたかは、想像を絶するものがある。
「bad! 天翼族たちがレディ達にしたことはミーも聞き及んでいます。
……不愉快極まりない」
カルキノスが怒りを露わにする。
基本的に笑顔を浮かべ、どのような存在が相手でもコミュニケーションを取ろうとする彼がこのような顔をすることは本当に珍しい。
「彼らには彼らの価値観がある。この先も治ることはないだろう」
それだけ答えてから黙々と書類を捌くプランにカルキノスが言う。
「あー……レディ達の処遇に対するこの先のplanはあるので?
いえ、今のは貴方のnameを呼んだわけじゃなくて……」
筆をおいてからプランは腕を組み、現状を纏め上げながら口を開いた。
「…………名目上自分はあの二人を“治療”する為に預かった。
しかし実態はヴァナヘイムからあの母子は追放された様なモノだ」
ほら、とジスモアが書き上げた書類を取り出す。
夥しい装飾で誤魔化しているが、実際は……。
「生死は問わない」
「好きに扱え」
「存在しない病気が完治するまで戻さないでくれ」と書かれているに過ぎない。
つまり要約すると「二度とヴァナヘイムに近づけるな」となる。
「天翼族の寿命はとても長い。
それこそ1000年は平気で生きる種で、自分が死んだ後もあの二人は生きていくことになる」
だから、とプランは続けた。
「アウラ氏……エノク夫人とルファスの二人には自分がいなくなった後も生きていけるように色々と便宜を図るつもりだ」
そのために必要な技術、知識、力、富……最後まで責任を果たすと彼は宣言した。
特に問題はルファスだな、とプランは胸中で続けた。
「拾ってそれで終わりにするつもりはないよ。……ただ」
「娘の方ですね。彼女はとても危うい」
ピオスの言葉にプランは頷き、カルキノスの顔が曇った。
「sad……なぜあのような幼子があんな瞳を……。
黒い翼だからなんだというのですか……」
三者は既にルファスと対面していた。
リュケイオンに連れてこられた当初から彼女は一時も母の傍を離れることはなく、今もアウラの部屋にいる。
この世への憎悪と憤怒、視界に映る全てを敵視する様はプランだけではなくピオスとカルキノスの心に暗い影を落とすものであった。
未だに彼女は周囲と打ち解けていない。
基本は無言で、常に周囲を威圧するように睨みつけている。
両手を祈るように組み、ピオスが朗々と言った。
「彼女は深い傷を負っている。
それは身体のものだけではありません。
いいえ、肉体の怪我など私が治しましょう。
しかし、心につけられた傷は彼女自身さえ把握できない程に根は深く、黒いのです」
「ミー達はどうすれば?」
「根気が必要だろう。一年やそこらで解決はしない。
それほどまでに彼女の心はズタズタだ」
「時間が解決する、等という言葉を私は使いません。
最善を尽くすのです。愛を知らないのならば此処で知ればいい。
女神が人を愛する様に、私達も彼女を愛しましょう。
プラン卿の仰る通り時間はかかるでしょうが、諦めない事、それが大事です」
「understood! yes! yeeees!! その通り!
既にレディ達は十分に頑張りました!!
次はミー達がfightする番というわけですね!!」
拳を振り上げ鼻息も荒く宣言するカルキノスの姿にピオスとプランは顔を見合わせてから苦笑し、頷いた。
話を纏める為にプランが立ち上がり、一段声を大きくしていう。
「では、引き続きピオスは二人の容態の定期的な確認を。
カルキノスも遠くから彼女たちを見守っていてくれ。
……特にルファスを注視してくれ。知っての通り彼女はすごく危ういから」
リュケイオンの都市の外はとても危険だ。
マナの濃度が濃い故に魔物が出没しやすく、時にはよく判らない恐ろしいモノが徘徊することもある。
怪物。怪奇現象。正体不明のナニカとしか言いようがない。
そんな存在からすればルファスの様な負の感情に塗れた幼子は最高の餌として映るだろう。
リュケイオンでは一年の間に決して少なくない数の子供が行方を眩ます。
その殆どは見つからない。何処に行ったか誰も判らない所に行ってしまうのだ。
ルファスもその内の一人になりかねない危険性があった。
ふとプランが窓の外を見る。
既に太陽は頂点を回っており、もう間もなく昼食の時間だなと彼は思った。
ちょうど手元は最後の一枚の書類を処理しおわった所だ。
念のため襟元を正す。
何をもっていくか考えながら彼はカルキノスに言った。
「二人に会いに行く。カルキノス、ついて来てくれ」
「yes! 喜んで、マイ・フレンド!」
満面の笑みで答えるカルキノスに頷いてから司祭を見れば、彼もまた口を開いた。
「では、私は教会に戻ります。
母子の様子で気がかりな事があったら、何でも教えて下さい」
あぁ、とプランが答え、会議は終わる。
ルファス母子に宛がわれた部屋は今は誰も使っていない寝室であった。
二人の為に用意された天翼族用の安楽椅子とハンモックを融合させた様なベッドと、鏡台など女性が必要とするであろう用具が一通り揃った部屋だ。
ここは二階の最も陽射しの良い部屋であり、窓の外からはリュケイオンの広大な湖や周囲の森などが見渡せるのが特徴だった。
大人の女性と子供が活動するには少々手狭かもしれないが、今まで物置部屋どころかゴミ捨て場と揶揄されても仕方がない環境で過ごしてきた二人からすれば、この部屋は極楽としか言いようのないものかもしれない。
そんな部屋の前に二人の男がいた。
プランとカルキノスである。
特にカルキノスはよそよそしく、何度も手鏡を取り出しては自らの服装や髪形を確認していた。
どうやら彼は女性の部屋を訪れるという行為に何とも表現しがたい羞恥を感じている様だった。
「なんだか、ドキドキしますね……ミーのheartは今にも」
カルキノスの言葉が終る前にプランは無慈悲に扉をノックした。
この友人は基本的に好感の持てる存在なのだが、時々は無視した方がよいこともあると彼は知っていた。
「stop!」と小声で叫ぶ彼を横目に彼は名乗る。
「失礼。入っても構わないでしょうか?」
アウラの細い声で了承が伝えられ扉を開ければ、そこには当然であるがアウラとその娘であるルファスがいた。
この二人を見るたびにプランは天翼族の生命力の高さに感嘆してしまう。
つい4日前までは生死の境をさ迷っていたアウラことエノク夫人は肺炎の治療と、栄養豊富な食事の摂取により今やほぼ健全な状態に戻っていた。
とはいえ油断は許されない故に未だベッドから起き上がる事はないが、それでも顔色はとても良い。
肌と翼の艶も戻り、こけた頬などもなくなりつつある彼女の容姿は正に大貴族の妻と称するに相応しい美貌を取り戻しつつあった。
すっと真顔のキメ顔になるカルキノスを従えながら部屋に入れば、そんな彼を威嚇する様にルファスが立ちふさがる。
骨折、火傷痕を始めとする全ての傷を治癒された彼女は母親以上の回復力を見せつけ、今や完全に歩き回れるようになっていた。
「なに?」
鋭い瞳で少女が言う。
冷たく鋭い声であった。
世界の全てに失望し、未だ何の希望も抱いていない眼は変わらない。
彼女は全くプランを信頼していない。
むしろ嫌悪と憎悪を抱いている。
彼女の価値観はヴァナヘイムに居た時から何も変わっていない。
プランはそれでいいと思っている。
心の傷ほど治すのが難しいものはない。
彼女が自分を恨むことで生きる活力を得られるのならば、それでいい、と。
「昼食を持ってきたんだ。ほら、今日は美味しい焼きたてのパンと、お肉だ」
手にしたバスケットを開いてみせる。
瞬間、食欲を刺激する香が部屋に拡がった。
「……………」
塩と希少な胡椒で味付けされた肉の香は、ルファスの視線を釘付けにするだけの破壊力があった。
ヴァナヘイムに居た頃、一度は食べてみたいと思った温かいパンが目の前にある。
目元に皺を寄せながらも彼女は渋々といった様子で母のもとへと戻る。
「そこに置いといて。用が終ったら帰って。早く、出て行って」
「ルファス。そんな言い方をしてはダメですよ。
申し訳ありません、アリストテレス様。娘には後で言っておきます……」
ベッドの上で半身を起こしているアウラが娘を厳しい瞳で見るが、ルファスは変わらずプランを威嚇する様に睨み続けていた。
まるで野良猫の様だなとプランは思いながら、笑顔を浮かべて言う。
「いいのですエノク夫人。後で話があると伝えたかったのです。
食べ終わった頃にまた来ますね。さ、カルキノス、行こうか」
「…………」
返事がなく、不審に思ったプランがカルキノスを見れば……彼はアウラをぼーっと見つめている。
どうやら見惚れているようだった。
いつもの軽薄な様子さえなく、心ここにあらずを地でいく彼にプランは目を細めた。
「カルキノス、戻るぞ?」
アウラとルファスに見られない角度で彼はカルキノスを小突く。
彼のずば抜けて頑強な肉体に対してあまり意味のない行為であったが、どうにか彼を正気に戻すことには成功した。
「し、失礼いたしました! えぇ、では! また後で!!」
普段使っている勇者の口調さえも投げ捨ててカルキノスは両手両足を同時に動かしながらそそくさと立ち去った。
そんな彼の姿とは対照的にプランは教養ある穏やかな動作で華麗に一礼し、部屋を後にする。
暫くたった後……ルファス母子が食事を終えて一段落ついた頃だ。
改めてプランとカルキノスは夫人の部屋を訪れていた。
プランはアウラと大事な話があるとして、二人きりの面談を求めたのだ。
勿論自分の立場を正確に把握しているアウラがそれを断る筈もなく了承する。
ルファスは母をプランと接触させる事に対し当然の様にごねたが、結局は母に強い口調で窘められ、不承不承といった様子で従う事になった。
二人の面談の間、金髪の少女の護衛と周辺の案内を任されたのはカルキノスである。
プランに次ぐ実力をもち、底抜けに明るい人格を保持している彼ならばルファスに何と罵られ、どんな態度を取ろうと問題ないとプランは考えたのだ。
それに、万が一があったとしても大丈夫だとプランは確信していた。
普段は何も考えていない様な態度を取り、道化染みた扱いを受ける彼だが、やる時はとてつもなく頼りになると知っているから。
「では、彼女を頼むよ」
「Grasp! このカルキノス、我が身を盾にしようとも、華麗なるLadyを絶対に守り抜きましょう! 全てミーにお任せあれ!!」
くるくると踊るように数回まわった後、流れるような動作でルファスの前に跪きカルキノスは手を差し出した。
本人としては素晴らしい王子様を気取っているらしいが、生憎この世の全てを憎んでいる少女相手に彼の行動はかなり不愉快なモノに映ってしまう。
大人でさえ背筋を凍えさせてしまいかねない程に低く冷たい声が少女から飛び出した。
「近寄るな」
パシィという音と共に本気の拒絶をもって手を弾かれる。
それでもカルキノスは笑顔を絶やさない。
言われた通り数歩分距離を取り、膝を曲げて少女と目線を合わせてから優しく言った。
「失敬。いきなり過ぎましたね。
改めて、ミーの名前はカルキノス。今日はよろしくお願いしますね、レディ」
「娘をよろしくお願いします。
……ルファス、カルキノス様のいう事をしっかり守るのよ?」
カルキノスに深々と頭を下げてから、娘にアウラは言った。
かつてない程に少女の顔が苦渋に歪み、唇を噛み締める。
「………………わかった」
永い永い沈黙の後、絞り出すようにルファスは母に言う。
母との約束だけは絶対に守る彼女である故に、不承不承ながらカルキノスに従うだろう。
「そう長くは掛からない。夫人の体調面の不安もあるから、そうだな……1時間程度と見てほしい」
「OK! 一時間となると、屋敷の周りの……。
あの店や、あのスポット位なら回れそうですね……」
ルファスを連れてカルキノスが退室していく。
二人だけになったプランとアウラはまずは互いに会釈した。
「具合は如何でしょうか? 息苦しい、胸が痛い、痒い……手足が怠いなどはありますか?」
「大丈夫です。もう、何処も悪いところはありません」
それはよかったとプランは頷き、椅子を一つ手に取り、アウラの前に置いてからソレに座った。
彼は顔色一つ変えず口を開く。
「改めて状況を説明したいと思いまして、この席を設けました。
既にご存じと思いますが、自分の名前はプラン・アリストテレス。
この地、リュケイオンの領主をやっています。
リュケイオンの名前に心当たりは?」
いいえ、と素直にアウラは首を横に振った。
ヴァナヘイムから出たこともなく、あの狭い小屋で世界の全てを完結させていた彼女にとって、異国の地などは想像の外でしかない。
リュケイオンの立地、ヴァナヘイムより数千キロは離れていることなどをプランは一つずつ説明した。
そして最後に彼は最も気にしていた事柄を質問する。
ルファスとアウラをこの土地に連れてきてからずっと引っかかっていた事だった。
「この地は非常にマナの濃度が濃く
天翼族にとっては不快な地と聞き及びましたが……夫人は何か感じますか?」
「特に何も……むしろ、過ごしやすいです……」
ほぉ、とプランは顔を傾げた。
以前、天翼族がリュケイオンの大地に近づくだけで嘔吐し、逃げ出した所を彼は見たことがある。
あの“リンゴ”を食して特に何の影響もない所を見るに天翼族にとってマナというのは肉体的な意味では毒にならない事を彼は知っている。
案外、天翼族の常識……精神的な枷と思い込みがマナへの拒否感を生み出しているのかもしれないな、と彼は推察した。
それとは別に要件を処理していく。
「貴女たちお二人の身はジスモア卿による同意の下、自分がお預かりしました。
何も心配しなくて大丈夫です。全ての話は片付いております」
ジスモア、という名前を聞いた瞬間、微かにアウラの顔に影が差したのをプランは気が付いたが何も言うつもりはなかった。
「アリストテレス家が責任を以てお二人の後見人となります。
必要なものがあれば何でも仰って下さい、力になります。
……何か気になる点がありましたら、どうぞ」
プランが言い終わると同時にアウラがベッドより立ち上がった。
彼女はこれ以上ない程に深く深く頭を下げた。
天翼族の誇りたる翼も小さく折りたたまれ、彼女は委縮するような姿になった。
「何から何まで……。この御恩、どうお返しすれば……」
エノク夫人ことアウラは非常に聡明な女性であった。
ルファスが生まれる前、かのジスモアの心を動かせる程には魅力的な女性だった。
故に彼女は自分とルファスが今、どのような立場でここにいるか完全に理解できている。
つまり、俗にいえば生殺与奪を完全にプランが握っているという事をだ。
もちろん彼女は眼前の男性の自分への扱いや、今の会話からプランの性質をある程度は把握してはいるが、それはそれだ。
「娘と私の命を救ってくださり、ありがとうございます」
だから、どうか娘だけでも、と続けようとする彼女をプランは手で制した。
「気負わなくて結構です。
自分の勝手でやったのですから。貴族の戯れみたいなものですよ」
「…………」
娘を思わせる真っ赤な瞳が男を見つめている。
プランはどうするべきか考える。
どうやらアウラ・エノクはプランが思っていたよりも芯が強い女性らしい。
ルファスのとてつもない意思の強さは彼女譲りなのかもしれない。
ただ与えられるだけの環境では嫌だ、恩を返したいと譲らないアウラにプランは口を開いた。
「後々、貴女には仕事を頼みましょう。だからまずは身体を治してください」
「判りました……」
ゆっくりとベッドに戻るアウラに彼は言う。
会話は一区切りついたが、まだまだ時間はたっぷりある。
プランの予想ではカルキノスは屋敷から少し離れた所にある串焼き肉の店にルファスを連れていってるだろう。
「残りの時間は肩の力を抜いての雑談とかどうでしょう?
……差し支えなければ、貴女たちの事を知りたいのです」
アウラが微笑んで頷く。
娘以外とはもう何年もまともな会話という行為をしたことがない彼女にとってこれは嬉しい提案であった。
彼女も心を持つ人である。
ルファスの手前、言えなかった事、思っていた事、頑張っていた事など、多々あった。
天翼族ゆえに同年代という訳ではないが、精神年齢が近い存在との会話は本当に久しぶりで、思わず顔をほころんでしまったのを誰が責められるだろうか。
「では最初に……」
一時間きっちりでプランはアウラとの会話を終えた。
今までの経歴や、二人の誕生日、ルファスの年齢──もう間もなく10歳になる──などを教えて貰った彼は椅子から立ち上がると、アウラに一礼した。
これ以上は彼女の体調に差し支えるかもしれない故に残念ながら楽しいお茶会はこれで御開きとなる。
「ありがとうございました。
誰かとお話をするのがこんなに楽しいなんて……まさか、カルキノス様が……」
アウラは特にカルキノスとの出会いの話が気に入ったらしい。
誰だって街道に巨大なカニが出没し、しかもそれが干上がって動けなくなっていた光景を見れば驚くし、誰かに伝えたくなるものだ。
意気揚々と深海の国より人間との交流を求めて旅立ったカルキノスであったが、よりにもよって乾燥季のミズガルズに旅立った結果がソレであった。
後は特に面白みもない流れである。
命の恩人とプランを認識した彼は、恩を返すべく彼の従者のような立場に収まっているのだ。
そうだ、一見する限りではお調子者の青年の姿をしている彼であるが、本性は魔物なのだ。
だというのに人間よりも人間らしい男、それがカルキノスであった。
本来高位の魔物として手に入れられる筈だった戦闘能力の殆どを擬人化スキルを得るために捨てた変わり者である。
「頼りになる男ですよ。
何も考えていない様に見えて、誰よりも広く場を見ているのが彼です。
もちろん彼も喜んで貴女たちの力になるでしょう」
はい、と頷くアウラが少しばかり咳き込んだ。
肺炎は治されたが、まだまだ心肺機能が完全に治り切っていないのだろう。
「今日はもう休んでください。カルキノス達も少ししたら戻ってくるでしょうから迎えに行ってきます」
ベッドに身を預け、小さく頷いてからアウラが瞳を閉じる。
直ぐに聞こえてくるのは微かな寝息だった。
久しぶりの雑談という娯楽は、彼女が思っていたよりも体力を消耗したらしい。
プランが【観察眼】で彼女を見れば、ステータス欄には【熟睡】とあった。
徐々に体力が回復していく様も併せて確認し、彼は部屋を後にした。
屋敷の入り口でプランは帰ってきた二人と合流することが出来ていた。
きっちり一時間を守ったカルキノスである。
彼はこういう所では妙に律義なのだ。
男の手には多種多様なお菓子や帽子、手袋などが抱えられていた。
ほんの少し、屋敷の周りをルファスと共に散歩しただけだというのに大量のお土産を貰ったようであった。
「HEY! さすがはリュケイオン、さすがはマイ・フレンドのシティ!
既に皆さんはレディを一員として受け入れたようですよ。
見てください、この贈り物の数々!」
ほら、と満面の笑顔でカルキノスは両手いっぱいに抱えた品をプランに見せつけた。
焼き菓子や衣服や、採れた野菜やら、とにかく色々と貰ったらしい。
「…………」
しかしルファスは変わらない。
無表情で唇をつむぎ、瞳には変わらず憎悪と憤怒がある。
いや、憤怒と憎悪はむしろ強くなっているようだった。
「何はともあれ、レディも問題なく歩けるようになっていて何よりです。
ミーの見た所では傷はもう問題ないようですね。
さすがはPriest・ピオス、見事な腕前です」
傷が治った事を我が事のように喜ぶカルキノスだったが、それがルファスの逆鱗に触れた。
今まで黙っていた彼女の顔が歪む。我慢の限界を迎えたかのように、唇が決壊し、言葉が漏れた。
「……治った?
「?」
カルキノスが顔を傾げる中、ルファスは足早にプランに歩み寄り、その顔を見上げた。
ぎらつくような真っ赤な瞳の中には憎しみが渦を巻いている。
「何処が治ったの? 何も変わってない」
身を震わせる。
プランの身体に黒い翼が叩きつけられた。
繋がりかけた骨と筋肉が軋んだ。
激痛が走っているというのにルファスは何度もプランの身体に翼を打ち付けた。
淡々と彼女は怨嗟を口にしていく。
口調はいっそ穏やかであったが、そこに含まれた絶望は今まで見せてきた何よりも深かった。
「こんな
ねぇ、貴方、強くて賢いんでしょう? なんで私の翼を治してくれないの?」
答えて、どうして? と続ける。
最後に吐きつけられた言葉に、プランは自分がどんな顔をしたか判らなかった。
「私の翼を
「やめるんだ。つながった骨がまた」
自傷行為を止めようとするプランにルファスは大きくため息を吐いた。
わざとらしく、意図的に相手を傷つけるための動作であった。
「あなたも、この街も、いつか私が潰す。
……この偽善者。貴方の自己満足に巻き込まないで」
大嫌いと一言だけ残してルファスは母のもとへと行ってしまう。
街の人から貰ったであろう贈り物……エイルの実を投げ捨てながら。
プランは【エスパー】のスキルでソレをつかみ取り、掌の上に移動させる。
「あー、今夜のディナーはお楽しみにしていて下さい!
質のいい肉の塩漬けがありまして、ちょうどいい所にハーブも貰えたのですよ!
これらは最高の組み合わせになるでしょう!」
カルキノスが笑顔でプランの肩を叩いた。
親指をぐっと立てて彼は続ける。
「Alright! フレンドは何も間違ってなどいませんよ。ミーが保証しますとも。
ただ、ちょーっと、レディは……うーん、戸惑ってるんでしょうね」
「判っているさ。まだまだ全ては始まったばかりだ……。
ところで肉を焼くなら、胡椒も使ってくれないか?」
あれのピリッとした感覚が好きなんだとリクエストすれば、カルキノスは頷いた。
プランはひとしきり笑った後、息を大きく吐く。
偽善者と罵られるのは全く問題ない。
自分の所業は実際そういう風に映るだろうと客観的に観ていた。
しかし……。
“
彼女の自分自身さえも否定する言葉は脳裏から離れそうになかった。
目が覚める。
最初に感じたのは途方もない苛立ちであった。
ルファスはスヴェル国の商業区画に取った宿で一泊していたが、やはり寝つきが悪かった。
頭痛などのせいで食事も満足にとれず空腹で床についたのが原因なのかもしれない。
それでもようやく眠れたかと思えば、深夜に瞬間的に湧いてきたとてつもない憤怒のせいで意識を無理やり引き上げられた形となる。
不愉快を隠し切れない形相でルファスこと「彼」は背を起こす。
真っ赤な瞳がマナの輝きを発して宝石の様に煌めいていた。
うっかり【威圧】のスキルをばら撒かない様に「彼」は全霊を尽くした。
レベル1000が不機嫌のままにそんなものを使えば国中の存在が気絶する可能性さえある。
(ルファス、お前……)
「彼」は今見た夢を整理する。
少女が男性を罵倒する夢だった。
大切な人を傷つけてしまった過去の罪の光景だった。
考えるだけでルファスの頑強極まりない精神にヒビが入ってしまう程の、過ちの記憶であった。
最後の瞬間、今まで黒塗りで見えなかった顔が見えた。
男の寂しさと哀しさが入り混じった顔だ。
あの瞬間、確かに男性は傷ついていた。
それも自分へ向けられた罵倒によってではなく、少女が己の存在そのものを否定した事に対してだ。
それを思い出すだけでルファスの腸は煮えくりかえってくる。
何も知らない愚かな少女。
自分がどれだけの奇跡を掴んでいるか全く理解できていないガキ。
貴重な彼と過ごす時間の価値を全く判っていない。
もしも過去に戻れたら彼女は躊躇うことなく少女を張り倒していただろう。
何なら【峰打ち】をかけて全力で殴り飛ばしたかもしれない。
見下されていた?
苦しめられていた?
心に傷を負っている?
ソレは確かに悲しい事だろう。救われるべきなのだろう。
だが、残念ながらルファスはあの人ほど優しくはない。
自分が哀れで惨めな存在だからといって、それは他人を傷つけてよい免罪符にはならない。
彼女は後悔していた。
心底、自分で自分が気に入らない。
「彼」は湧き上がる憤怒を必死に抑え込む。
もしも「彼」がいなければ“蓋”が無理やりこじ開けられてしまう程の自己嫌悪であった。
「…………少し出歩くか」
何回かの深呼吸の末、ようやく平常心を取り戻した「彼」は窓の外を見て呟いた。
深夜だというのにスヴェルの街は灯りが消えることはなく、往来には昼間に比べて少ないとはいえ人が歩き回っている。
これだけの国を作り上げたメグレズの手腕をルファスは素直に称えたくなった。
小腹も空いている事を「彼」は思い出した。
思えば晩の食事は満足に取れていない。
多少は頭痛と動悸が収まった今ならばミズガルズの味を楽しむ余裕もあるだろう。
ディーナは……誘うのはやめておこうと考える。
「夜食なんて、乙女の敵ですよ、敵!」とでも叫んで
ついてこない事は想像に容易い。
紅いマントとローブを羽織る。
黒い翼を隠すように身体に巻き付けた。
窓を開ける。
ここは二階の部屋であるが、ルファスの身体能力ならば問題なく飛び降りて着地できた。
夜風を浴びながらルファスは歩き出した。熱しすぎた頭が冷えていく感覚が心地よい。
宙を見上げれば無数の輝きがそこにはあった。
スヴェルがまだリュケイオンだった時と同じような光が、同じ所にあるのが無性に嬉しい。
分厚い本を片手にした「少女」が男性より光の名前を教えて貰っている光景が瞼の裏で再生された。
あれは天秤、あれは獅子、あれは蟹……。
一つ一つ、記憶の中の少女と同調するように指さし確認していく。
あらかたの星座を数え終わった時、気づけばルファスはとある飲食店の前に居た。
おしゃれなカニの模様が描かれた看板が目を引いた。
店内には灯りがあり、貴重な深夜営業をしている店だと察する。
(日本じゃ当たり前だったけど、24時間営業ってすごい事だよな……)
故郷では当然のことであったが、ミズガルズにおいてはとてつもない偉業だと考えながらルファスは扉に手をかけた。
ちりんという鈴がなり、店内から「はーい」という店員のものと思わしき声が響く。
ぱたぱたした軽い足音と共に店員……中性的な少年とも少女ともとれる子供が駆け付け、ルファスの姿を見た瞬間に固まった。
「いらっしゃい! 好きな席に…………え?」
虹の様に輝く長髪が特徴的な子供であった。
白いローブの上に青いエプロンを着けた姿はなるほど、飲食店の店員に相応しい。
彼はルファスをジロジロと見つめ、やがてその瞳が潤みだす。
あ、まずい、とルファスが思った瞬間、決壊したように彼は号泣しだした。
「ルファス様ああああ!! やっと!! やっとお戻りになられたんですねぇぇぇぇぇ!!」
「彼」でさえ一瞬見失う程の速さで子供はルファスへと抱き着いた。
涙と鼻水を垂れ流しにしながらも、その姿は可愛らしさを失わない。
彼の名前はアリエス。
スヴェルに偽名を用いて潜んでいた者であり、ルファスの回収目標であった。
彼こそルファス・マファールが組織した最強の戦闘集団の一角。
【12星天】の『牡羊』を司る存在である。
ルファス様の想像以上の人気に驚愕ですね。