ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
これで終わりとなります。
“吸血姫”の速度は限りなく光速と同等であった。
彼女のレベルは1500。
本来ならば1000で頭打ちの世界において、その枠組みを超えさせられた存在だ。
一度死した後アリストテレス達によって“改良”を受けた彼女は既に女神の法から外れており、その戦闘能力は世界の調停者たる龍に迫るモノがある。
皮肉な話だった。自分が作り出した傑作が今やその力を創造者に向けてくるなど、まるで出来の悪い脚本の様だった。
アリストテレスは素晴らしいと己の作品の性能に喜びの声を上げた。
プランはここで死ぬつもりはなく、遠慮なくアリストテレスを解放した。
ベネトナシュの鋭利な爪がこのまま自分の身体を数百分割することになる未来が見えたが、生憎彼はソレを受け入れるつもりはない。
自分に対して【一致団結】を使う。
ミョルニル全土を用いた時に比べれば出力こそ劣るが、こちらの方が意思疎通の小回りが利く。
ジジジジジジという音を立てて世界が理解できない処理に軋みを上げた。
調整、倍率調整。
体感時間圧縮1秒を946080000分割。
不許可、倍の1892160000分割を実行。
アリストテレスの圧縮時間が更にその倍率を変える。
1秒が1年にまで引き延ばされる超圧縮時間の中においてもベネトナシュは凄まじい速さで己に迫ってくるのを彼は見た。
少女の目線は己の首だけを狙っていた。
四強の一つにして史上最強の人類へと至った彼女は油断も慢心もなくプランを殺しにかかっている。
深紅の瞳を見る。彼女もプランを見た。
────終わりだ。
彼女の瞳は雄弁に己の勝利を確信しつつも警戒に満ちていた。
この男が、こんな簡単な手で死ぬわけないという歪な信頼さえあった。
ベネトナシュは正しかった。
プランはこの戦いにおいて死ぬのを受け入れるつもりはない。
リュケイオンに帰らないといけない理由が彼にはあるのだ。
【サイコスルー】【瞬歩】
お馴染みの超光速移動方法であったが、今度は更にその応用を用いる。
この二つのスキルを【描写不明】の“軸”に向けて同時に何度も発動とキャンセルを繰り返すことによって彼は“スイッチ”を押し込んだ。
存在しない所に存在しないものを押し込もうとする不条理を世界は常識に落とし込む。
ミズガルズから人間が消えては戻るという例外処理を繰り返した結果、女神の世界は一時的にアリストテレスを中心に不安定化した。
この世の根底たる女神との接続さえも途切れた結果、アリストテレスとベネトナシュの観測する世界は
(な……)
ベネトナシュの見る世界が停止した。
何時も見ている筈の高速戦闘の世界のはずが、コレは何処か異質であった。
棒立ちで自分を見たまま何もしないプランは当然として、何故か己の身体さえ動かない……。
ピーピーピーという耳障りな音だけが世界に木霊している。
何もできない少女の前でアリストテレスは腰のリボルバーに手を伸ばし、その銃口を彼女の胸に向けた。
発砲、そして着弾。
カルキノスさえ超える彼女にとってプランの銃の威力など大したことではないが、今の訳の判らない光景にベネトナシュは混乱した。
何だこれは。
何が起きている。
こいつは何を……。
世界のつじつま合わせが発生し、この余計なロスタイムは文字通りロストする。
アリストテレスがスイッチを押し込んだ時にまで世界は逆回転を引き起こし、今の彼女は消え去る。
そして彼女の記憶はそこで一度消え去った。
処理中。処理中。処理中。
プラン・アリストテレスはベネトナシュの見ているモノとは違う世界を観ている。
彼の瞳にはベネトナシュが爪を振り上げた姿のまま空中を滑空し自分の背後へと消えていく世界があった。
スイッチを押し込む前、最後に彼女が行っていた動作である“前進”だけがミズガルズに残された結果、彼女の影は光速で地平の彼方にすっ飛んで行こうとしていた。
プランはそんなベネトナシュに対して躊躇わず銃弾を撃ち込んだ。
狙いは吸血鬼の弱点である心臓だ。
バシュという何とも言えない音を立てて彼女の表皮に弾丸がめり込み……貫通しない。
さすがはレベル1500,さすがは限界突破存在、華奢な少女の外見に反して今の彼女はカルキノスさえ凌ぐ防御能力がある。
吸血姫はプランを素通りし、攻撃モーションのまま遥か彼方へと消え去った。
なるほど、なるほど、なるほどと三回頷いた後、世界の処理が戻る。
ベネトナシュが突如としてプランの前に現れる。
そんな彼女の胸部がいきなり抉れ、血が微かに噴き出る。
レベル1500、竜王と真っ向から打ち合っていた超人の身体にたかがレベル221の存在が傷を付けたのだ。
今の彼女のHPは70万と少し。
先のミョルニル全土から完全なる補正を受けていた時と比べて100万ほど低い。
今回与えたダメージは124。
それさえも吸血姫にとっては瞬時に回復してしまう程度の、かすり傷とさえ言えない痣。
しかし、しかし……傷を付けた。
それが重要である。
「っっ……」
驚愕を浮かべたベネトナシュは己の胸元に手をやり、本当に微かに流れる血を指先で掬う。
意味不明な光景に彼女は言葉もなかった。彼女には先の記憶はない。
ベネトナシュの主観からすると、プランに飛びかかったと思ったら、いつの間にか彼の目の前で停止しており、更には何故か胸元に傷を付けられたとなる。
彼女の表皮はカルキノスさえ遥かに上回っている為、プランの銃ではこれが精いっぱいであるが……。
彼女はそれでも呟いていた。
「化け物が」
ベネトナシュは吐き捨てる。
心からの嫌悪と僅かな畏怖がそこにはある。
竜王と比べ、それでも質の悪さではこいつの方が上だと彼女は確信した。
だから、全力で殺すと改めて彼女は決めた。
そしてアリストテレスは彼女を殺してはならないという前提で計画を練っていく。
ベネトナシュにはこれからやってもらうことが多い。
人類を纏め上げる大同盟……仮称として【人類共同体】とでも名付けようか。
彼女にはそれの盟主、もしくは旗印になってもらわないといけないのだから。
まだまだ彼女には使い道がある。
ベネトナシュにはこれから先、人類の面倒を見てもらおう。
なに、先に彼女が言った通り、今までと同じことを少し大きな規模でやってもらうだけだ。
アリストテレス卿たちは口々に意見を交わし合い、彼女の意思など知った事ではないとこれからの戦略を組み立てていた。
相変わらずである。
人類の事を心から思っているのは間違いないのだが、その為の最適解を征くためには諸々を無視するのが彼らなのだ。
多少の犠牲はコラテラル、コラテラルと異世界の単語で誤魔化す悪癖が彼らにはあった。
そもこの世界は狂っているのだ。
まさか誰もが頂点に立つ偉大なる女神が頭の足りない小娘だとは思わない筈だ。
しかし現実としてあの女神は力だけはある小娘なのだ。
付き合いきれない、というのが67人全員の総意であった。
ベネトナシュの姿が消えうせる。
限りなく光速と同等であった先よりも更に速い。
もはやあらゆる法則は彼女を前に無意味となっていた。
相対性理論?
物理法則?
知った事か、私の在り方は私が決めるとベネトナシュならば断ずるだろう。
今のアリストテレスではとらえきれない速さである。
どれだけ世界を分割しようと彼女の影さえも捉えられない。
だから、プランはベネトナシュの姿を見るのをやめた。
彼は数式だけを見た。それはこのすぐ後に攻撃が何処にどのように来るか教えてくれた。
その上で1秒に1892160000F動ける回数の内一回を利用して後方に【瞬歩】を使って少しだけスライド移動した。
刹那にも満たない時の後、ベネトナシュの右腕が先ほどまでプランの頭があった空間を横薙ぎに切り裂く。
躱された、と悟った吸血姫は竜でさえ逃げ出すような顔でプランを睨みつける。
アリストテレスは吸血姫を欠片も見ていなかった。
もう覚えている。
彼女を作り直したのは彼らであり、どのように行動するかなどもう判り切っていた。
ワンパターンなのだ。
彼女は何百ものスキルをもっていながら使うのは直接戦闘に関連するものばかり。
なまじそれで勝ち続けてしまったものだから、戦術の更新などしたことがない、それが彼女の弱点であった。
「シッッ!!
左腕で悪趣味極まりない【バルドル】のマスクを殴りつける。
これを被らされたのは彼女にとって永遠の屈辱だった。
当たれば粉々間違いなしのソレを彼はまるで前もって知っていたかの様に顔を少しだけ左に倒して躱す。
チリチリと衝撃がマスクの表層を擦るがプランは何も言わない。
彼はいちいち戦闘中に無駄な言葉を吐かないのだ。
そんな余裕にも見える態度がベネトナシュの精神を逆なでした。
「殺すッッ!!」
自分に誓い、プランに宣言する。
吸血姫は【瞬歩】を小刻みに活用しながらアリストテレスに【グラップラー】のスキルを基軸としてあらゆるスキルを叩き込む。
かつてラードゥンも使用した息もつかせぬ超光速/超連続破壊撃だ。
【アイアン・フィスト】
攻撃力上昇の拳技。
最もスタンダードなグラップラーのメイン技だった。
【ダブルブロウ】
【フォースブロウ】
それぞれ2回、4回連続攻撃のスキルだ。
超高速でこれを相手に叩き込み続けるのがベネトナシュの基本戦法であり、殆どの魔物や魔神族はこれで死んでしまう。
レベル1500となった今、彼女はダメージ限界の壁を超えており、一撃一撃が数十万単位のダメージを叩きだし、獅子王でさえ滅多打ちに出来る。
【ソニックフィスト】
【チャンピオン】と【グラップラー】のクラスレベルに応じて攻撃回数が増える技だ。
今のベネトナシュでは200回連続攻撃といった所か。
【スマッシュ】
当たれば確実にクリティカル判定が出る技だ。
これを上記の『ソニックフィスト』と組み合わせることによりベネトナシュは200発のクリティカルをアリストテレスに見舞う。
【アーマーブレイク】
【パワーブレイク】
【スピードブレイク】
……どう動こうと躱しきれない飽和攻撃。
正に豪雨。避けられるのならば、よけ切れない“制圧”を行うというベネトナシュらしい攻略法だ。
あれだけ丁寧にスキルの扱い方を教えてやったのにとアリストテレス卿は落胆しつつ対策を講じる。
【サイコスルー】【瞬歩】
ソレに対しアリストテレスは“スイッチ”を押し込んだ。
世界が再び分割/不具合を引き起こしベネトナシュとプランの観測する世界の軸がズレる。
攻撃は全て基点を切り離された結果として滞留し、ノイズを纏いながら消え失せた。
プランから見たベネトナシュは歯をむき出しにした恐ろしい形相のままピタッと凍り付いている。
【バルドル】が稼働しマナをシリンダーに装填。
【錬成】を用いてマナをこねくり回し、彼は一つの業を再現した。
デネブ・アルゲティ
ヘルヘイムにて魔王が行使した天力に対する阻害攻撃。
息子に出来て父に出来ない道理はなかった。
さすがに彼の様に瞬時に国土を焼き払うだけの火力は必要ないし出来なかったが、問題はない。
アリストテレスが出来たのはリボルバー銃の弾程度の大きさの炎塊を作り、射出するだけであった。
地獄を支配するアイゴケロスの十八番ともいえる黒炎を彼は模倣し、ベネトナシュの胸部に打ち込む。
空中で凍り付いた様に静止していた彼女の的の様に平坦な胸の中央に黒炎が打ち込まれてから、世界は再処理を実行した。
処理中 処理中 処理中
世界が再処理され、全てはアリストテレスが“スイッチ”を押し込んだ瞬間に戻る。
(何だ、これは)
眼を見開く。
今度こそはっきりと認識した“異常”にベネトナシュは奥歯をきつく噛み締めた。
自分は確かにいつも通り必勝の戦術をプラン・アリストテレスに叩き込んだ筈だ。
かつてない程に活力に満ちた今、無数の接近戦スキルの乱打は獅子王の命にさえ届く自信があった。
だというのにプランは健在。傷を負っているどころか、回避した動作さえも見受けられない。
相変わらず眼前の存在の気配は“薄く”自分には届かないというのに、戦闘の支配権を握れない現実があった。
(何か種がある筈だ……! こんなこと、そう何度も出来るわけがないっっ……)
じわりと背中を伝う冷たい水を無視して彼女は瞳を瞬かせた。
【観察眼】
【レンジャー】のクラスを所持しているベネトナシュは当然【観察眼】も使える。
それを用いて彼女は初めて殺す相手のステータスを見ることにした。
■【アリストテレス執行体】■
(─────)
絶句。
ミズガルズでは決してありえないモノを見た彼女は無意識に拳を握りしめていた。
己のレベルは……今や1000を超えていると自覚する彼女だが、眼前のコレは何だ?
1000? 2000? いや、そもそもレベルという概念から外れてさえいるように見受けられた。
“レベル”とは女神にどれだけ近しいかを測る寸法という一説がある。
余りに強大な空の果てに座すアロヴィナス神に、何歩近づいたかを表すという考えだ。
レベル1なら1歩、1000なら1000歩という訳だ。
対してアリストテレスは女神を嫌悪し否定している。
誰がお前の数字遊びに付き合ってやるかという徹底した拒絶が彼ら67人の根底にあった。
故に彼らはレベルを持たない。気持ち悪いモノに近づきたくないというごく当たり前の感情がある。
レベルなど意味はないのだ。
こんなもの、所詮は子供の遊びである。
彼らの目指すのはその先なのだから。
懐に手を差し入れ“果実”を取り出す。
幾つか持ち歩いている超々高濃度マナ凝縮体である。
「……」
ベネトナシュが興味深そうに果実を凝視した。
彼女を以てしても“濃い”と認識するマナの塊がコレであった。
恐らくこれを食らえばあっという間にレベル221から800の後半までレベルを跳ね上げさせかねない代物をプランは────握り潰した。
【バルドル】がその機能の一部を開放。
何時もは凝固に使用しているソレを反転させて/解放する。
霧散したマナが光輝く霧となって周囲を覆い尽くしていく。
頭を左に少し倒し、アリストテレスは虚空を見ている。
まるでそこにある何かをじっと観察しているように。
事実彼はベネトナシュには気づけない事だが───とてつもなく永い【錬成】を行っていた。
戦いだというのに全く自分を見ない男の態度に吸血姫は苛立ちと……微かな焦燥を抱いた。
こいつが意味不明で理不尽なのは既に理解している。
だから、今回もまた何かの布石ではないのかと彼女は思った。
何のつもりだ?
ベネトナシュは口の中が少しだけ乾いている事に気が付いた。
ずるりと背中から登ってこようとする生温い何かを少女は認識し、振り払う。
知った事か。
私はいつもの様に戦うだけだ。
必ずこいつを殺す、こいつだけは生かしてはいけない。
手を翳す。
「月」属性の魔力がそこに収束し、どす黒い光を放った。
当たればアリストテレスを蒸発させられる収束魔力砲撃だった。
それを放とうとして……瞳に小さな痒みを彼女は覚えた。
チクリとした、まるで砂でも入ったかのような。
それを自覚した後────形容しがたい激痛が走った。
視界が一瞬で真っ赤になり、次に真っ黒になる。
彼女は、失明していた。
「ぐっ、ッッッガアァ!!」
魔力を霧散させ、ベネトナシュは両目を擦る。
凄まじい痛みだった。
戦いで負う物とは種類の違う、もっと鋭く絶え間ない痛み。
眼の中を無数の小型昆虫が走り回り、眼球に噛みついている様だった。
ぼと、ぼと、と涙と血が噴き出る。
思わず苦悶の声を上げて息を吸うと、今度は彼女は血を吐いた。
跪き、悶える。
「あ゛っ゛! が゛────!!」
ベネトナシュはたとえ腕を折られようと顔色一つ変えず戦闘行動を続行できる精神力がある。
足をもがれようと、それこそラードゥンに全身を炙り焼きにされた時でさえ心は折れていなかった。
しかし、しかし……これは初めてだった。
世界には多種多様な苦痛の種類があり、これを味わうのは初めてだったのだ。
痒くて痛い、掻きむしると少しだけ楽になるが根本的な解決にはならない。
胸……否、肺が痒い。
喉が痒い。喉を掻きむしり爪を突き立てるがこの苦痛からは解放されない。
【錬成:
種明かしをしようか。
プランは“果実”を砕くとき同時に【錬成】も使用していたのだ。
超高濃度のマナに【錬成】を掛けた後、その結合を解くと【錬成】の効果は拡散したマナ全てに残り続けるのだ。
微粒子レベルにまで拡散したマナの粒全てに【剣の冬】は発動され続けており、それらは目に見えない程に小さな刃物となっていた。
まるで火山灰に鋭利な“棘”があるようにそれらはナノサイズの刃となってベネトナシュの眼球や肺などを内側から切り刻み、ズタズタにしているのだ。
目、肺、その他臓器……全てに傷を付け続ける領域を展開するのがプランの術だった。
傍から見ると何もされていないというのにいきなりのたうち回り血反吐を吐く恐ろしい術が【ナグルファル】である。
故にコレは見えない死者の爪とも称されるのだ。
そしてもう一つ、何億Fも消費されて【任意コード】を入力され、一つの術もまた合わせて使われていた。
【ネガ・ムリンフェン】
ダメージの“下限”を設定する御業である。
女神世界のスキルの記憶領域、その中においてもとてつもなく深い域に存在するこれを引っ張り出すのはアリストテレス執行体でも骨であった。
故にスイッチを押し込み、数秒の時間を稼いだ上に【デネブ・アルゲティ】を発動させて下ごしらえを済ませておく必要があったのだ。
設定数値は「1」
プランの攻撃はどのようなものであれ、ベネトナシュに最低1ダメージは与えられるようになった。
彼女の今の頑強さはカルキノスさえも超えていると言えば、これがどれほどの有用なモノか判るというものだ。
簡単に言うと彼女は霧の水滴程度の【ナグルファル】一つ一つが当たるだけで「1」ダメージが入る状態に陥っていた。
霧の中を動き回るといつの間にか身体が濡れている事がある。
あの水滴が全てカミソリに変わっていると言えば彼女がどの様な状況か判るだろうか。
HPが見る見る減っていく。
70万あったソレは既に半分を失っていた。
その上、魔王の炎は彼女の再生を阻害し回復など許しはしない。
超光速戦闘による連打とHP収奪というベネトナシュの基礎戦術に対する完全なる対策がここにはあった。
好きに動き回って構わないぞ、動けば動くほど【ナグルファル】に全身を切り刻まれることになるが、とアリストテレス卿らは口ずさんでいた。
拡散したマナに掛けられた【ナグルファル】によるスリップダメージ。
そして【ネガ・ムリンフェン】による下限数値の用意とダメージ無効化を無効化する対策。
さらには【デネブ・アルゲティ】による回復阻害。
徹底した対吸血姫用の戦術が完全に機能している。
既にこれは戦闘ではない。最も近しい言葉を上げるならば“狩り”であった。
戦術を練り、道具を使い、相手を知り/分析し、その上で段取りを組んで仕留める……狩りという表現こそが最も相応しい。
光を奪われた瞳であるが、プランの気配を雄弁にベネトナシュは感じていた。
“あなたの負けだ。降参して下さい”言葉にせずとも彼の意思を受け取り……吸血姫は歯をむき出しにして怒りを滾らせる。
「この程度でっ、私を討ち取れるものかッ……!」
足がふらつく。どちらが上でどちらが下なのかさえ判らない。
極小の刃は彼女の三半規管さえも狂わせていた。
例え腕を失おうと平然と戦闘を行えるベネトナシュであったが、内部からの攻撃は初めてであり、その結果がコレだ。
実に素晴らしい戦意と意思の強さであるが、アリストテレスはさっさと勝負を決めにかかった。
長々と彼女と戦っているつもりなど誰にもないのだから。
抜き打ちでベネトナシュの胸にマナを塗り固めた弾丸を打ち込み、内部でスキルを発動させる。
【ヴィンデミ・アトリックス】
【フィロ・ソフィア】
幾度か使われたことのあるマナを“除去”する御業と、ルファスの治癒の為に形作られている未完成の術。
任意コードを手早く打ちこまれる事により、銃弾一発分程度の規模でソレは現世に引っ張り出されていた。
そしてベネトナシュの中には【ナグルファル】という微粒子レベルの錬成を掛けられたマナが充満している。
ベネトナシュの身体は砕かれた“果実”からマナをいくらか取り込んでおり、それらは彼女の臓器などに“馴染みつつ”ある状態だったのだ。
そんな状態で“マナを除去”された上で魔物としての彼女の本質を弄る術を打ち込まれたらどうなるか?
判定が
「……ぁ……?」
ベネトナシュは、呼吸が出来なくなった。
宇宙空間でさえ平然と活動していた彼女がまるで打ち上げられた魚の様に口の開閉を繰り返している。
肺の8割以上を瞬時に失った結果がソレだった。
肺の8割。
消化器官全般。
その他各種臓器。
及び全血液の2/3の喪失。
効率的にマナを摂取できる体質が仇になった結果である。
彼女の肉体でマナを馴染ませた部位は全て消え去り、暫くは戻らない。
普通の生物どころか竜でさえ死んでしまう状態に彼女は落とし込まれてしまった。
心臓以外の何もかもがなくなり、ベネトナシュの腹部は空洞と化していた。
【ヴィンデミ・アトリックス】ともう一つの術は、ベネトナシュの臓器をマナと認識し、無遠慮に除去/生物化してしまったのだ。
破壊ではなく除去、というのが大事な所であり、コレは判定としては天法による治療と判断されるために防げない。
耐性やらアクセサリーなどでは防げない、世界の孔をついた消滅攻撃なのだ。
腹筋を動かすのに重要な役割を果たす臓器を全て失い、彼女はたまらず倒れ込む。
さすがというべきか、彼女は戦闘不能にこそなったが死亡とまではいかない。
最も重要な器官である心臓と脳がある限り、ここからでもベネトナシュの身体は再生を行えるだろう。
最も、最低でも半日は掛かるだろうが。
もう戦闘行動は無理だろう。
今下手に動いたら骨髄が皮を突き破る可能性さえある。
そもそも動けない。
彼女の現状は言ってしまえばただの革袋なのだから。
端的に言って“詰み”だった。
「ふざけるな……っ」
苦い土の味を噛み締めながらベネトナシュは何とか再生を終えた血涙を流す瞳でアリストテレスを見上げた。
竜さえ震え上がる恐ろしい形相と眼であったがアリストテレスは丁寧に屈みこんで彼女に視線をあわせてやった。
まるで大人が子供の話を聞くような態度が更にベネトナシュの怒りを加速させたが、もう何もできはしない。
「こんなことがあるかっ! 私を見ろっ!! 戦いだぞコレは!!」
自分を見ようともしない男への怒りであった。
少なくともベネトナシュはプランを殺す為にしっかりと彼という男を見て戦ったつもりだった。
だというのに、なのに、この男は終始ベネトナシュを見ていなかった。
虚空を見て、意味の分からない数式を見て、挙句にベネトナシュとの戦いを“作業”とさえ認識している節があった。
その結果がこれだ。無様に吸血姫は大地を舐めて負け犬の様に吠えている。
屈辱であった。竜王との戦いでさえ味わったことのない恥辱だった。
あの白蛇もまた不愉快な存在であるが、少なくともベネトナシュを見てはいた。
吸血姫は子供の様に大声を上げた。
「私を侮辱するのもいい加減にしろッ───!!」
「待っていろ!! こんなっ、傷っ……直ぐに治して殺してやるっ!!」
「くそッ───!!」
殺してやる、殺してやる、許さないと連呼されたアリストテレスはある程度頷いて彼女の言葉を聞いていたが、直ぐに背筋を伸ばし振り返る。
そこにいたのはロイであった。
老いた吸血鬼は大地に倒れ伏すベネトナシュとアリストテレスを交互に見比べてから頷いた。
「姫様。お迎えに上がりました」
ベネトナシュをロイが抱き上げる。
彼女が赤子の頃からそうしてやったように。
当然少女は暴れる。殆ど呼吸が出来ないというのに彼女は老人の腕から逃れようともがいた。
「離せッ! ロイ、命令だ!!
まだ奴との戦いは何も終わっていない!!」
「姫様。今日は退きましょう。
命ある限り、貴女の敗北などありえない事はこのロイがよく存じています」
幾度もベネトナシュの罵倒が響くがやがて消えた。
唇を噛み締め、奥歯を軋ませながら少女は……血涙を流していた。
いつだって勝ち続けていた彼女は、よりにもよって勝ちたい時に勝てない不条理に身を震わせ、生涯最高の屈辱に狂いそうになっていた。
幾度か深呼吸を繰り返し、生存に最低限必要な量の酸素を取り込んでから吸血姫は呻くように怨嗟を吐き出し始める。
戦いの熱が冷め、湧き上がる眠気と戦いながらもベネトナシュは生涯で初めて得た執着を口にしていく。
「ぜったいに、おまえを、許すものか………」
「アリストテレス……。おぞましい怪物め……」
「ころす……ころして……やる」
少しずつ声が小さくなっていく。
臓器だけではなく多量の血液を失った彼女の肉体は再生の為に休眠に入ろうとしていた。
戦闘が終わり、ロイという心を許せる者が近くにいるのも大きな要因かもしれない。
「くそぅ……」
最後に小さく泣きそうな声で囁く。
そしてベネトナシュは意識を失い脱力した。
ロイはそんな彼女をあやす様に身体を上下に振ってからプランを見た。
「…………」
「…………」
二人の間に言葉はなかった。
ただプランが頭を下げるが、ロイは取り合わずそんな彼の横を素通りする。
プランはただ空を見上げた。
美しい満月を彼は暫し見つめてから、歩き出した。
まだまだ仕事は多くあると気を引き締める。
ベネトナシュとの戦いも彼にとっては作業の一つでしかないのだ。
ただ一つ……彼は戦闘中に入手したベネトナシュの血液を収めたアンプルを手に持ち、ソレを暫し眺めてから歩き出した。
ミズガルズの最北、竜王ラードゥンの支配領域。
数多くの竜が飛び交い、無数の魔物が跋扈する魔境の更に深淵。
イオニア山と呼ばれるミズガルズ最大の活火山にラードゥンの居城はあった。
山そのものを削り取り作られた巨大な城はイオニア山と同化しており、それ自体が膨大なマナをかき集める特殊な力場を精製している。
あふれ出る溶岩が世界を真っ赤に染め上げる程のムスペルヘイム染みた世界であったが、ラードゥンにとっては心地よいリゾート地のようなものだった。
標高12700メートル。
ヴァナヘイムの三倍を超える活火山は常に星が出血したと思う程の膨大な量のマグマを噴き出すが、その山頂、火口の中に真なる竜王はいた。
噴き出るマグマをシャワー代わりに浴びつつ、黒曜石を切り出して作った巨大な玉座に彼は腰かけていた。
ベネトナシュとの戦いにおいて見せていた巨人形態をとった彼は頬杖をついて目の前に跪いている存在へと話しかけた。
『そっちの調子はどうかな?』
「予定よりも進捗は進んでおります。
もう間もなく水軍の編成は完了、深海への遠征は予定通りに進むかと」
青髪の青年であった。美しい顔は正に何処かの国の王子の様である。
姿かたちだけ見れば人間であるが、勿論ラードゥンの部下である彼は人ではない。
彼の名はハイドラス。水竜と呼ばれる竜の一種であり、竜王の側近である。
元より真なる竜であった彼であるが、竜王の血にも極めて強い適性を示した結果、ラードゥンの興味を惹いてお気に入りとなったのだ。
そのレベルは850。かつてのベネトナシュにも迫る程だ。
そして水竜という深海での戦闘を可能とする種である彼は、これからの竜王の計画の重要な要素であった。
手短に言おう。
竜王は深海、海洋国家群への全面攻撃を企んでいた。
目的は深淵で生まれようとする邪神との戦いの場を整える事と、女神の子を名乗るエロス……今はトリトンと名乗っている男の排除だ。
ラードゥンとて無駄に敵を増やして手間暇を増やす気などなかったのだ。
彼は最初ベネトナシュにしたように
「邪神と戦いたいから、国境を開けてね! あと、僕に従ってね♪」
とトリトンに送ったのだが結果は勿論交渉決裂。
とっても残念で仕方ない事だが、自分の計画の為にトリトンの排除が必須になった彼は彼とも戦争をするつもりだった。
『アトランティス』という全海洋国家の半分を占める超巨大帝国、それがエロス改めトリトンの深海帝国である。
ラードゥンからすれば実にワクワクするおやつの詰め合わせセットに見える事だろう。
その為に深海でも長時間戦闘ができる種などを中心に水軍を編成しているのだが、現実はラードゥンの想定を上回っていた。
『いいね! すっごくいいよ!!
うんうん、はやくお兄ちゃんにあいさつしたいな~~♪』
うきうきした声をラードゥンはあげていた。
結果は順調を通り越してすこぶる快調。
竜王の呼びかけには数多くの魚人族などが反応し、瞬く間に彼の水軍は形を整えつつある。
トリトンは神の子を自称するミズガルズで最も古い生命体である。
歴史だけを見れば龍さえも超えるだろう。
何せ彼こそが龍の試作品なのだから。
女神が最も最初に形を整えたマナ生命体。
それがトリトンである。
そしてそんな彼の気性は女神の子を称する通り、恐ろしいまでの潔癖症だ。
美しいモノだけを愛し、劣ったモノ、醜いモノなどは全て排除するのが当然と信奉しているのがトリトンという男である。
彼の国はヴァナヘイムの様に、定期的に彼の基準で“劣ったモノ”や“醜いモノ”を排斥し続けている。
それらは全て男であり、ゆく当てを無くした彼らは竜王の声に縋りついた、というのが事の真相である。
これは竜王からすると嬉しい誤算であった。
『それにしてもさ……お兄ちゃんもなかなかやるねぇ……』
ラードゥンは困ったような、それでいて何処か感心も混ざった声を上げた。
お兄ちゃん……トリトンの所業はラードゥンから見ても「え、なにそれは……」と思う物であった。
彼は、己の国を己だけの巨大なハーレムとしていた。
妻の数は最低でも数万人。
孕ませた子供の数は街が出来る程である。
勿論、己の子であっても醜いと判断されれば排除されるのは何も変わらないが。
トリトンは己以外の男など滅べばいいと心から思っている。
彼は自分のお眼鏡にかなった美しい女性に伴侶が居た場合、無理やりその仲を引き裂き、男を追放……等という事を繰り返しているらしい。
当然そんなことを繰り返せば恨みは積もる。
積もるが、トリトンは曲がりなりにも神の子を名乗るだけあってレベルは1000。
絶対的強者である彼の前には誰もが己の妻を奪われて涙を流す事しか出来なかった。
────今までは。
竜王という巨大な後ろ盾を得た“被害者”たちは鬼気迫る様子でトリトンへの復讐に燃えている。
大海が真っ赤に染まる日はそう遠くないだろう。
『ははははハハハハ! たのしみぃっ!!』
竜王にはこれから起きる全てが己の為のフルコースに見えていた。
考えるだけで涎が止まらない。
レベル1000の獅子王やかつてのベネトナシュと違い、彼は生きる事を全力で楽しんでいた。
何処までも前向きで信仰心に燃え、行動力に溢れる彼の生きざまは一種理想的といえるかもしれない。
根底にどうしようもない悪意と破壊衝動がセットされていることを除けばの話だが。
正に魔物。
正に欲深い竜。
彼こそは魔物の中の魔物、ラードゥンである。
まずは前菜としてアトランティスとトリトン。
最古のマナ生命体は実に歯ごたえがありそうだ。
スープは魔王。
以前戦った時には食いそびれたが、あの山羊の血はとてもおいしそうだと竜王は目を細めた。
魚料理はそのまま邪神。
凄くイキがいいだろうが、己の口は100個もあるのでしっかり噛んで嚥下してあげよう。
口直しにはミョルニルにて己の邪魔をしてくれた“誰か”を貪ろうか。
居場所と正体を突き止め次第、今度はちゃんと“本体”で挨拶をしにいこう。
……あの意味不明な攻撃に対する対策も忘れずに用意しておくから、楽しみにしていて欲しいと竜王は“誰か”に語り掛けた。
肉料理はもちろん、メインディッシュに相応しい魔神王と洒落こもう。
愛しい愛しいミズガルズ最高の悪役! ぼくがちゃんとその役目を引き受けてあげる!
魔神王の事を考えるとそれだけで竜王の心拍数が上がってしまう。
彼は魔神王のファンなのだ。
自分が産まれる遥か昔から何度も何度も人々を苦しめ、絶望を振りまく彼は偉大なる先輩に見えた。
だからこそ、今まで女神さまの為に頑張った先輩に対する最高の礼として、とびっきりの絶望を与えてあげようと竜王は決めていた。
デザートはもちろんベネトナシュ。
“超えて”しまった彼女は後回しにしたほうがいい。
つい最近彼女の苦しみはたっぷりと味わったから飽きが来ているが、それでも美味な存在なのは変わりがない。
彼女の真っ白な太ももの食感は未だにラードゥンの中で反芻するほどに素晴らしいモノがあったのだから。
おつまみには妖精姫を頂こう。
ラードゥンは彼女のことも尊敬していた。
だってそうだろう?
自分のせいで死んだ被害者たちを都合のいい人形に仕立てあげて死後もこき使うなど、真っ当な感性をしていたら出来ない外道の所業なのだから。
ラードゥンもびっくりな話だ。
きっと彼女は己のスキルで召喚した英霊を見る度に騙された愚か者を見て
そして最後の大団円は勿論……。
これから先の事を考え、竜王はほくそ笑む。
最新の勇者の残骸を食んだ蛇はこれからも世界に対して果てしない悪意を抱き続けることだろう。
…………彼の領地内でとある魔物がゴホッと乾いた咳をしたのを気に掛ける者は今の所誰もいなかった。
ベネトナシュ
当初の予定では共闘させて戦友系ヒロイン路線でいくつもりだった吸血姫。
しかし気が付いたらこうなっていた。
でもこちらのほうが彼女らしいと思う。
彼女のルートに入るにはルファスと出会う前にベネトナシュがプランを襲撃する必要がある。
仮に彼女のルートに入った場合、生来の面倒見の良さが前面に出てルファスの姉として振舞う彼女の姿が見れるかもしれない。
ラードゥン。
この後疫病をばら撒かれて「どぼじでごんな゛ごどずる゛の゛ぉ゛ぉ゛!!!」って切れ散らしながら対応に引っ張りまわされる事になる。
蠍の毒への対応により、彼の計画は大幅に遅延することになるだろう。