ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
朝、窓から入る木漏れ日を全身で浴びながら少女はベッドの上で半身を起こし深呼吸をする。
隣で寝ている母を見て微笑んだ後、自分の翼に視線を向ける。
真っ黒な翼、己の一部であり、己が苦しんだ原因でもある黒翼は相変わらずだった。
バサバサと朝の準備運動として何回か震わせた後に少女は眼を軽く擦ってからベッドから出た。
部屋の中にある鏡面台の前に座り、そこに映った自分の顔を見つめながらルファスは考えを纏めていく。
「……」
自分でも嫌になる仏頂面がそこにはあった。
15歳も間近になり、ここに来た当初と比べれば一回りも二回りも大きくなった自分の顔。
しかし、愛想のなさは相変わらずである。
真っ赤な瞳に、先端が朱色に変わった金髪。
そして黒翼。ルファス・マファールを構築する要素は何一つ変わっていない。
「…………」
もう間もなくだ。
ルファス・マファールは15歳の誕生日を間近に控え、本能で己の身体の変異が近いと悟った。
既に5度も繰り返し経験を積めば、嫌でも覚えるというものだ。
次のレベルは恐らく700か800位だと予想も立てていた。
“四強”であるベネトナシュの一昔前のレベルだ。
聞けばその時点で彼女はミズガルズにおいてほぼ敵なしであり、狂ったように殺戮を続けていたそうだが、ルファスにその気はない。
彼女が殺したいのはプラン・アリストテレス……の筈だった。
だが、その決意はアウラの手によって罅だらけにされていた。
見て見ぬふりをしていた現実だけが彼女の前にある。
「どうして」
憎もうと黒い感情を吹き上がらせるべく彼の罪を内心で列挙していく。
しかし、しかし……出てこない。
出てくるのは子供の駄々の様な悪あがき染みた悪態であった。
どうして9年も私たちを待たせたの?
どうして私をもっと早く見つけてくれなかったの?
どうして私を拾ってくれたの?
どうして私を大事にしてくれるの……。
どうして最初から貴方じゃなかったの…………。
少し考えるだけで湧いてくる縋るような感情を追い出す為に頭を振る。
もう一度鏡を見ればそこにいたのは半ば認めてしまい、瞳を揺らす弱い少女の顔だった。
「私は、どうしたいんだ……」
鏡の中の女の子が顔を俯かせ、苦しみを浮かべる。
答えは出ている。
「もっと、いっしょがいい」と母に打ち明けたのだから。
ソレをプランに言えば全ては解決する。
しかし、しかし、出来ないのだ。
怖い。拒絶が怖い。
こんな愛想もなく、可愛げもない女が今更そんなことを言ってどうなるんだと思ってしまう。
ジスモアの顔がちらつく。
プランとは全く違う、実の父親の顔が。
麻痺していた胸の内側があの男から与えられた傷を認識してしまい、ジクジクと痛む。
憎悪という今まで縋っていたモノが枯渇しつつある少女は代わりに恐怖に包まれていた。
引き返せない程にこの地の安息に浸ってしまった結果、彼女はもう世界を憎めなくなりつつあるのだ。
───知ってる。本当に私とはもう違うんだね。
───少し優しくされた位で絆されちゃったんだ。
何処からか囁くような嘲りが聞こえてきたような気がした。
「待て。話がある」
いつも通り全員での朝食が終った後、ルファスはプランに話しかけていた。
そもそもごちゃごちゃ考えるのが苦手であり、そんな性質ではないと自覚しているルファスである。
ちまちました読み合いなど柄ではないと彼女はプランに勝負をしかけることにした。
「……もう少しで、また変異が始まりそうな気がするんだ」
自分の言葉でプランの意識が引き締まったのをルファスは感じ取った。
神妙な顔で頷いたあと、彼は微笑みながらルファスに言った。
「判った。……どんな些細な事でも異変を感じたらすぐに言って欲しい」
「大丈夫。自分や皆がついているから安心してほしい」
彼の言葉には強い思いやりがあった。
既に幾度か繰り返しているとはいえ、一年に一度動けなくなる彼女を気遣う思いが込められている。
一昔前では鬱陶しいとしか感じなかったソレであるが、今のルファスは……少なくとも頭ごなしに拒絶は出来なくなっていた。
プランが自分の誕生日間近になるといつも休みを取っているのをルファスは知っている。
ミズガルズ中を駆け巡り、あらゆる国や種族と交渉をし、リュケイオンの運営まで完璧にこなす男の数日をルファスは独占できるのだ。
いま最もミズガルズで忙しい男の時間が自分だけのものになる、その事実を考えるだけで彼女の心には奇妙な感情が湧き上がってしまう。
バサリと翼が一回だけ大きく動いた。
「変異が始まるまで少しの猶予はある。だから……ちょっと付き合え」
「勿論」
ルファスの願いに当然の様にプランは答えると、少女は小さくため息を吐いた。
この男の緊張感と警戒心の無さはどうにかならないのかとさえ思う。
私はお前を殺したいって何回も言ってるんだぞ、どうしてそうなのだと。
「何処に行こうか?」
「……特に決めてない。ただの散歩だ」
ただの気晴らしだ、嫌なら帰っていいぞと続けてもプランは柔らかく微笑むだけだった。
彼は首を横に振り「とんでもない」と返す。
彼の全て知っていると言わんばかりの言葉と態度にルファスの中にちょっとした苛立ちが浮かんだ。
苛立ち。
しかしこれには殺意や悪意といった激しいまでの負の感情はなかった。
どちらかというと子供が時折見せるようなちょっとした癇癪の様なものに近い。
ルファス・マファール。
もう間もなく15歳になる少女は普通の子供と同じような感情を得て、それに翻弄されている。
15歳というのは誰であっても感情的に不安定になる年頃なのだ。
「だけど街の中は余り歩きたくない。
リュケイオンの外までは飛んでいく」
ルファスは憮然とした顔でプランに言う。
市街地を歩くと多くの人が声を掛けてくるのが今の少女にとっては……辛かった。
このリュケイオンの者はルファスを差別しない。
彼女を笑うのではなく笑いかけてくる人しかいない。
肉や魚や野菜や、何ならちょっとしたお小遣いさえ彼女はもらっている。
畑を耕して感謝された時の顔を思い出す。
溺れていた子供を助けようとし、空回りこそしたがソレでも輝かしい笑顔を向けられた事を思い出す。
ルファスちゃん。
マファールちゃん。
古今東西探しても彼女に「ちゃん」を付けて呼ぶ者など彼らくらいだった。
己のおぞましい呪われた名前を親しみを込めて呼んでくれる人たちだった。
誰も彼もが領主であるプランを慕い、理不尽の多いミズガルズという世界であっても全力で生きている。
輝かしい者達ばかりだ。自分の様な憎悪に縋って生きている者とは大違いであった。
今は彼らと会いたくない。それが彼女の偽らざる本音である。
そんな本心を決して悟らせない様に少女は不敵に笑った。
「以前は先回りばかりされていたがもう違うぞ。
私の速度はもう貴方より上だ!」
取ってつけたような強がりであったが、口にしてみれば意外としっくり来る事にルファスは気が付いた。
レベル250の時は5回も瞬殺され、それ以前にも何処へ行こうといつの間にか先回りをされていた事なども多々あった。
しかし今ならば、レベル500になり音速の何十倍もの速度を手に入れた今ならば彼から逃げきれるのではと考えたのだ。
心の中から湧き上がってきた悪戯心と淡い期待のままにルファスは言う。
誰しも一度は友達やら家族とやった事のある遊びを彼女は初めてプランと行うことにしたのだ。
ヴァナヘイムで羨望と共に見た、追いかけ合う子供たちの遊びをすることも彼女の小さな夢であった。
「戯れだ。全力で逃げる私を追いかけてこい。
……もしも追いつけないのならば、そのまま帰ってこないかもなぁ?」
「それは困るかな……」
弱ったなとプランが苦笑いを浮かべる。
目の前の男の困った顔を見ると、ルファスの中に奇妙な感情が湧き上がった。
以前まであった悪意や嗜虐心とはまた違う、得体がしれないが、それでいて決して負のモノではないナニカだ。
胸の中が少しだけ熱い。
頬が勝手に吊り上がっていく。
バサバサと翼が興奮する様に羽ばたいた。
「じゃあ10秒待つよ。───行ってらっしゃい」
プランの宣言と同時にルファスは屋敷の扉に向けて駆け出し、勢いよく扉を開いた。
涼し気な空気が漂う朝の時間帯、透き通った青空が特徴的な快適な一日の始まりであった。
だが彼女は忘れていた。
プランに条件をつけることを。
使ってはいけない技、いわゆる縛りを与えることを。
ルファスを見つけ出して捕まえる。
その為には
「1」
後ろから微かに聞こえるプランのカウントを聞きながらルファスは翼を広げて、一気に脚力だけで数十メートルほど跳ねた。
そのまま翼を動かし浮力を発生させると彼女は一瞬で空気の壁にぶつかり、ソレを軽々と上回った。
「2」
瞬時にリュケイオンの街が遥か後方で小さくなっていく。
既にプランの声は聞こえないが、ルファスは自分でカウントを開始していた。
「3」
リュケイオン近郊の森の木々がどんどん過ぎ去っていく。
さすがにユーダリルまで行くつもりはなかったが、少しばかりルファスは意地悪をするつもりだった。
器用に空中で身体を動かし、太陽の向きから北を見つけ出して認識する。
地図を読んだ限りではリュケイオンの北方にはゲイル火山があるということを彼女は知っていた。
ヴァナヘイムとはまた違った種類の休火山であるゲイル火山の事を思いだし、少しばかり好奇心が湧いてくる。
「7。……行ってみるか」
ゲイル火山の近くには荒野が広がっているらしい。
障害物の無い広大な空間であれば仮にプランが追いかけてこようと天翼族の飛行能力で逃げ切れると彼女は考えた。
簡単に捕まるつもりなどルファスには全くない。
逃げて逃げて、逃げ回って。
あの男が根を上げるまでこの遊びを続けるつもりだった。
「降参だ」とプランが述べる光景を幻視し、ルファスは含み笑う。
「10。あいつが動き出したな」
既にリュケイオンから20キロは離れている。
普通ならばそれほど離れた位置……それも三次元的な動きをする人を見つけて捕まえるのは不可能だ。
しかし、しかしだ。プラン・アリストテレスが相手となると話は変わってくる。
あいつならやる。
どんな手を使うかは判らないが、必ずやる。
ルファスは確信していた。絶対に自分を見つけてくると。
「よしっ……」
行くかと呟いたルファスは奇妙な違和感を覚えた。
いま、何か、視界の端で動いたような。
バッと振り返る。
しかし誰もいない。
彼女が今いるのは空中であり、遮蔽物のない地平ではどう接近しても隠れる事など出来ない筈だ。
しかし彼には一瞬で自分の存在する“座標”を変化させる裏技がある事を彼女は知っている。
どんな原理で発動する術なのかは全く判らないが、何の予兆も派手なエフェクトもなく文字通りの瞬間移動を可能とする御業が。
まさか、と呟く。
あり得ないと直ぐに打ち消すが、今までのあの男の所業を思い返し……ルファスの頬を冷や汗が伝う。
二度、三度と振り返ったり、何回か回転したりして全方位を確認するがやはり誰もいない。
だが、だが、視界の端にナニカがチラチラと映っている。
くすんだ緑色の細長い何かと、赤い火の粉の様なモノ……。
プラン・アリストテレスの事を知らなければ恐らく気づけなかったであろうほんのささやかな違和。
それはルファスが常日頃から打倒プランを掲げていたからこそ気づけた事であった。
意識を研ぎ澄ませば、確かに己の直ぐ近くに仄かに暖かいナニカがある事が判る。
そしてソレは決して自分からつかず離れずの距離を維持し、常にへばりつくように近くにある。
「ひゅっ……」
無意識に小さな吐息が唇から漏れた。
清々しい晴天で暖かい陽気だというのに背筋が冷たい。
ルファスの脳裏に浮かんだのは昔オークの巣に潜った時のプランの姿だった。
あの時の彼はディノレックスの被り物と松明を持っていた。
そしてオークたちの警戒網を散歩でもするかのように潜り抜けていたのだ。
あの時彼女は心底思った。
「どうして気が付かない?」「オークとはここまで間抜けなのか」と。
だが、だが、どうやら自分も人の事は言えないのかもしれないと彼女は学習する。
近くにいる。間違いなく。
こうしている間にも自分をじっと見ているかもしれない。
「ま、待て!! ちょっと、待って!!!」
口から迸ったのはおおよそルファスが今まで口にしたことのない言葉。
彼女は懇願していた。やめて、と。
そして、次の瞬間に彼女の背筋は凍り付いた。
「判った」
「─────っっ!!???」
真後ろから声が飛んでくる。
いつも通りの、つい10秒前まで話していた男の声であった。
ルファスの翼が総毛だつ。電流でも流されたかの様に痙攣を繰り返し、少女の身体は跳ねた。
ゆっくりと振り返る。
唇をひくつかせ、得体のしれない感情で顔が引きつりそうになりながら背後を確認すればそこには【バルドル】を着たプランがいた。
どうやっているかは判らないが空中に彼は立っており、左手には燃え盛る松明を持っていた。
頭もまたいつもの不気味なソレではなく、以前オーク討伐の際に用いていた恐竜を模したキャップを付けている。
ルファスの紅い瞳が大きく揺れた。
幾らなんでもあんまりだと心の底で彼女は嘆く。
恐らく自分には見えない位置でアレらを振って珍妙な踊りをしていたのだろうと少女はぎゅぅぅと唇を結びながら思う。
実際、第三者視点から見れば10秒が経過した瞬間、ルファスの後ろにプランがいきなり生えてきた挙句
必死に後方確認を繰り返すルファスを嘲笑うかの様に死角に移動を繰り返し、ぶんぶんと松明と頭を振り回していたのだから。
淡い夢を木っ端みじんに粉砕してくる汚い大人の所業にルファスは小さく震え、指先で何度もプランを指し示して「んん゛ん゛んん゛───!!」という唸りを上げることしか出来ない。
「捕まえる際には触れないとダメかな?」
決められてなかったルールを確認する彼の姿は正に無情の権化であった。
むぐぐと悔しさと哀しさ、そして相変わらず翻弄される己の弱さに歯噛みしながらもルファスは折れない。
「そうだッ!!」
捕まえて見せろ、と大声で叫んでから全力で飛翔する。
先とは違う本気の飛行であり、その速力は音の数十倍にも及ぶ。
しかしルファスは知る由もない話だが、最近プランはベネトナシュと一戦交えたばかりである。
彼女の光と同じか、それ以上の速さを叩きだす超光速移動に比べると……可哀そうな話ではあるが、余りにルファスの速度は遅かった。
数秒待ってからプランは【任意コード実行/座標移動】を行い、行い続ける。
ちょうどルファスの真正面3キロに彼は移動を繰り返すのだ。
結果、ルファスは延々とプランの顔を見続けることになった。
どの方向に行こうと、どれだけ速度を変えようと、何なら上に行こうと下に行こうと、まるで看板の様にプランがそこらかしこに立っておりこちらを見つめてくる。
「ああ゛ああ゛ああ゛───!!
全力で叫ぶ。
やめろ、私の望んでいた遊びはこんなモノじゃないと思いながら。
傍から見たらただの喜劇かもしれないが、当事者からしたら恐怖体験でしかない。
何せ超速で過ぎ去っていく景色の中に必ず同じ顔が存在し、じっとこちらを見つめてくるのだから。
下手をしなくても脳裏にこびりつき、夜に悪夢として見てしまいそうな程に恐ろしい光景であった。
13秒でルファスは何十キロも移動しゲイル火山近郊の荒野に移動するが、やはりというべきかプランに出迎えられる。
着地と同時にポンっと肩を触られ、ルール上ではルファスは捕まった。
自分で断言してしまった以上、負けを認めざるを得ない。
彼女は決して自分の言葉を反故にはしない故に、これは完全敗北である。
紅い瞳から光が失われルファスは座り込む。
膝を抱え、翼で自分の身を包むと恨めし気な瞳で彼女はプランを見た。
「………………」
プランが苦笑しながら顔を傾げれば、少女の眼つきは更に鋭くなった。
ベシ、ベシと翼が上下に動いて大地をリズムを刻みながら叩きだす。
「汚い大人め……!」
吐き出されたのは怨嗟であった。
しかし今まで彼にぶつけていた憎悪と殺意に塗れたモノとは少し違う、思い通りに事が進まない子供が漏らす、駄々の様な言葉だ。
物理的な行為では彼に勝てないと悟ったルファスはやり方を変えることにした。
「私は知ってるんだぞ……。
朝、鏡面台の前で白髪が増える度に必死に抜いてる事を……」
え、何で知ってるの? という顔をプランがすればルファスの胸は少しだけ晴れる。
事実、最近の激務のせいかどうかは知らないが彼の白髪は増えだしていた。
30を間近に控えた彼の密かな悩みをルファスは容赦なく抉っていく。
「良いことを教えてやろう。
客観的に見て、貴方の額は少しずつ……」
「待って、判った。だから待って」
余りに無体なルファスの攻撃にプランは慌てて彼女の言葉を遮った。
額に手を当ててそんな訳ないと自分に言い聞かせながら彼はルファスの前に座り込んだ。
暫くルファスはプランを睨みつけていたが、やがてため息を吐いて敵意を霧散させた。
周囲は荒野。
遠くにはぽっかりと山頂に穴が開いた休火山。
見渡す限りの荒れ地には魔物どころか動物一匹いやしない。
竜王が魔物を大移動させた結果、ここには誰もいなくなってしまったのだ。
端的に言って、余りにムードのない殺風景な世界であった。
「……こんな所までよく追いかけてきたものだ」
「そういう遊びだったからね」
何てことはない返答にルファスはジトっとした眼でプランを見た。
「私が何処に行こうと追いかけてくるつもりだったのか?
今の私ならそれこそミズガルズ一周とて容易いのだぞ」
「勿論」
平然と帰ってくる言葉にルファスは空を見上げた。
なるほど、と頷く。
絶対にこの男が自分を見捨てないと彼女は悟ったのだ。
勝手に吊り上がろうとする頬を抑え込みながらルファスはため息を吐いた。
身を守る様に身体を包んでいた翼が解け、左右に大きく開かれる。
「もう少しで5年だな」
「あっという間だった、というのが正直な所かな」
プランは遠くを見つめながら、様々な感情の宿った声を漏らした。
そして彼の言葉はルファスにとっては同意しかねるものであった。
「貴方にとってはあっという間かもしれないが
私にとっては……筆舌に尽くしがたい5年だった」
一つ一つ指を立てて今までを振り返っていく。
「死にかけたかと思えば悪趣味なマスクの男に母と共に引き取られて
直ぐに例の“子隠し”騒動だったな」
アン・ブーリンの顔をルファスは忘れた事などない。
彼女の憎悪、彼女の怨嗟はルファスもまた同じモノを抱いていたのだから。
何か一つ掛け違えていたら間違いなく自分はアレの同類になっていたと彼女は自覚している。
「次にアリエスを拾った後は何処からか湧いてきたディノレックスに襲われ……。
本当に何処からあいつらは湧いてきたんだか」
今のルファスならば問題なく打倒できるディノレックスの群れ。
しかし当時の彼女では餌になるのが関の山である。
そんな恐竜たちとの交戦はルファスにプランの力の片鱗を見せつけるものであった。
そして結局あれから何倍も、何十倍も強くなったというのに今なおプランにはやり込められる日々は変わらない。
かつての自分ならば苛立ちしか感じなかっただろうが、今のルファスは……多少は悪くないと思い始めていた。
「オーク討伐のことは覚えているかい?」
「忘れられるわけないだろう」
主に貴方のせいでなと指を差せばプランは顔を傾げた。
ふざけている訳ではなく、本当に判っていないらしい。
普段は理知的な貴族として申し分なく振るまっているのに、こういう所はおかしいのがプランであった。
余りに効率を極めすぎた結果として彼は何処か感性がズレているのかもしれない。
「壁の中を歩いたり、松明を振り回して踊ったり……。
最初は貴方の気が狂ったのかと思ったものだ」
「こうかな?」と言うとブンブン松明を振り回し始めるプランにルファスは思わず叫んだ。
あんな踊りを真後ろでやられていたというのに全く気付かなかった事は恐怖でしかない。
実戦であったらルファスは間違いなくこの間抜けな踊りをする者に殺されていただろう。
「やめろ!! 本当に何だソレは!!!」
「これはかつて伝説の英雄と言われたビッグ・モンキーがよく行っていたとされる由緒正しい儀式で」
「判った!! だからやめてっ!!!」
訳が判らない事にさらに意味不明を重ねる彼に我慢できず少女が叫べば
プランは肩を落とし少しだけシュンとした顔でキャップを脱ぐ。
その様子を見てふんっとルファスは大きく鼻息を漏らす。
ふざけているとしか思えないのに、本人は至って真面目なのがシュールすぎる。
いつか絶対この男の秘密を解き明かしてやると彼女は決意した。
更に記憶の中からこの男が巻き込まれた騒動を上げていく。
「プルートの騒動に、ユーダリルに……ミョルニルに……!!」
出るわ出るわ、殆どの人間がその生涯で一度遭遇すればいいレベルの話がどんどんと。
それらを並べていく度にルファスの胸の中でもやもやが大きくなっていく。
何で国を訪れる度に騒動が起こるのだとイライラが募る。
ここは荒野であり、プラン以外誰もいないという事もあって彼女は吠えた。
「気に入らないっ!!」
気に入らない……きにいらない……きに……らない……。
木霊を残しルファスの叫びが遠くまで響いていく。
ルファスは立ち上がると大股でプランに近づき、彼の頬を掴んで引っ張る。
ぐにぐにと彼の顔を変な形にこね回し、彼女は衝動のままに言葉を放った。
「この、反省しろっ! 反省しろっっ!!」
良い様に使われるのもいい加減にしろと繰り返す。
私のモノなのに勝手にあちこちをふらふらし回った挙句、とんでもない量の問題ごとを引っ張り寄せる男への不満が爆発している。
「もう貴方もいい年なのだから、そろそろ落ち着いたらどうだ!?」
30という年齢は天翼族における15歳と同じような意味合いを持つことを彼女はカルキノスから聞かされている。
曰く、天翼族の15歳が全盛期の始まりとするなら、人間種の30というのは劣化が始まる微妙な年代だと。
「大丈夫さ、まだまだ自分は……」
このふざけた男が言い訳を述べる前に彼女はプランの肩を掴んで、彼をぐるっと半回転させた。
つまりルファスの前にプランの後頭部と肩、背中などが来る形となる。
丁度いいと彼女は考える。
プランは自分を見事に捕まえた。
ならば褒美を与えないといけない。
「ほぉ? こんなにガチガチにしておいてか?」
ぎゅ。ぎゅっ。ぎゅぅぅぅうう。
「あ゛っ゛!」
プランの口から今まで聞いた事のない濁った声が噴き出た。
今まで他者にしたことはあっても自分がやられた経験は殆どない彼からすると、これは未知の痛みであった。
「疲れがッ! こんなにッ!! 溜まってるのにッッ!!!」
ルファスは丁寧に、それでいて今までのうっ憤を晴らすかの様に彼の肩を揉みこむ。
母のソレと比べて……恐ろしい程に硬い。
男性と女性の違いもあるのだろうが、それを考慮しても彼の身体はガチガチであった。
プランの技を盗み取り、その上で書物で知識もある程度得ていたルファスにはこれが何を意味するか判っている。
超がつくほどの肩こり。疲労困憊という四文字で彼の状態は表せる。
つまり、プランはとんでもない無理をしているということだ。
肩に腰、そして身体のツボの各所。
それらを刺激するたびにプランは「あ゛」やら「ぐぇ」等と言う今まで聞いた事のないうめき声を上げて反応を返す。
なんだかそれが面白くて、楽しくて、ルファスは気づけば悪戯っぽく微笑んでいた。
「お客様、どうやら疲労をため込んでおられるよう、でっ!」
「あっ゛いっ!!」
ぎゅっと腰のツボを親指で押せばプランはたまらず身体を震わせる。
普通ならば痛みはない。
しかし身体に負荷が溜まっている場合、ここを押されると激痛が走るツボだ。
結果、プランは悶えだした。身体は正直である。
痛みはあるが、ルファスの腕前は確かである。
この施術が終った頃には彼は諸々の疲労から解放されることだろう。
最もそれまでにプランはかつてない程の痛打を受け続ける事になるだろうが。
翼が動く。
大きく左右に開かれたと思えば、次いで彼を後ろから包み込む様に。
この男が間違っても何処かに逃げない様に。
自分の傍から離れない様に。
黒い翼は男を包み込み、温もりを分け与えていく。
いつか真正面から彼を包むことが出来る日をルファスは無意識に願ってしまった。
数日後。
それは静かな夜であった。
雲一つない透き通った夜は、少しばかり肌寒い風を吹きすさばせていた。
その夜、プランは残った執務の処理を行っていた。
ルファスは例年通りマナを摂取した後、深い眠りにつき変異を始めている。
次のレベルは恐らく700から800の間になるだろうとプランは予測を立てており、いつもの様にアウラが付きっ切りで看病をしている。
今の所何の問題もなし。
ルファスの変異はつつがなく進み、何の不具合もなく明日の朝には新たな力を手に入れている事だろう。
彼は15歳のプレゼントを考えながら執務をしていた。
「……?」
ふと、プランは誰かの視線を感じて窓の外に目を向けた。
時間は既に深夜と言う程でもないが完全な夜であり、街には見回りを除けば誰もいない筈だ。
もちろん屋敷の周りを歩き回っている者もいない。
敵意はない。
ただこちらを見つめているだけであり……気配を隠そうとしている様子もない。
むしろ気が付いてくれと言わんばかりに存在感を露わにしていた。
立ち上がり窓を開ける。
すると遠くから白いフードを被った人物が、月灯りを反射する程に美しい白翼を広げてこちらに向かって飛翔してくる。
珍しいことに天翼族である。それもルファス等とは違い、真っ当な。
あっと言う間にその天翼族は窓からプランの部屋に侵入すると、彼の前でフードを脱いだ。
明かされたその顔を見て、プランは心からの驚きを顔に張り付けて呟いていた。
「……ジスモア卿」
プランの言葉にジスモア・エノクは曖昧な微笑みを浮かべて頷くのであった。
それでは始めましょうか。