ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
滅多に驚愕を浮かべないプラン・アリストテレスは心からの疑問を口にしかけて思いとどまる。
天翼族はマナの関係でリュケイオンを訪れることなどまずありえない故に、これは間違いなく異変である。
しかし、しかし彼は貴族である。故に内心の動揺を顔はともかく声に出すなどと言う事はしない。
一瞬で体裁が取り繕われ、彼はいつも浮かべている微笑みを顔に張り付けた。
そしてプランは長旅をしてきたであろう賓客を出迎える為に柔らかく語り掛ける。
「まずはお掛け下さい。直ぐに茶菓子を用意します」
【サイコスルー】を用いて椅子とテーブルを彼の前に持ってくる。
必要ないと思って消していた暖炉に火が灯り、それはパチパチと軽快な音を立てて燃え出した。
「……何も聞かないのだな」
「ここまで長旅と存じます。
積もる話はありますでしょうが、まずは一息ついてからでも遅くはありません」
プランの言葉にジスモアは軽く笑った。翼が上下に軽く動き内心を表す。
ヴァナヘイムにおいて求められている大貴族としての役割からも解放されている今、ここにいるのは一人の男性であった。
彼は小さく何回か頷いてから椅子に腰を下ろし、目の前をじっと見つめて動かなくなった。
茶を淹れ、軽いつまみとして菓子を出せば彼はほんの少し躊躇うような仕草をした後にソレを手に取り、口へと運ぶ。
たっぷり5分。プランはジスモアの心が完全に落ち着くまで完璧な忍耐を発揮したのだ。
彼は「ほぉ……」と深いため息を吐いた後、プランに言った。
「ありがとう。君は茶を淹れるのも上手いのだな」
「はははは……」
笑って返すとジスモアも同じく微笑んだ。
少しずつ彼の中の緊張が解れていくのをプランは見て取るが、まだまだ焦らない。
何か大事な、それこそ天翼族である彼がマナに満ちたリュケイオンを直々に訪れるに値する話があるのだろうが、それを自分から切り出す様な事を彼はしない。
プランとジスモアは友人である。
友人同士は急かしあうような事はしない。
大事な話があるというのならば、本人がソレを言いたくなるまでぐっとこらえるのもまた一つの友誼の形だ。
少なくともプランはそういう風に考えていた。
貴族同士であり、取引相手であり、そして間違いなく種を超えた友情を彼らは結んでいる。
最初はジスモアにとって己の翼を高めるために利用する相手だったかもしれないが、根本的な所で似通った部分のある二人は気づけば今の様な関係になっていたのだ。
二人とも諦めている同士だ。
ミズガルズでは珍しくもない、己の人生において決定的な妥協と諦観を抱いた者達である。
プランは普通の人間としての営みを、ジスモアは愛した妻との栄光ある未来を、二人はそれぞれ諦めている。
もしもここにベネトナシュがいたら余りの不快感に吐き気を催す程に、ミズガルズにおいて諦観というのは多くの人を蝕んでいるのだ。
「……正式に婚約の日取りが決まったんだ」
「……………それは」
つまり、ジスモアは完全にアウラを切り捨てるという事である。
今まではほとんど放置に等しい状態であったとはいえ、それでも妻だった女を今度こそ彼は己のキャリアから排しようとしていた。
エノク夫人は、もはや名前も夫も失われ、ただの女となる。
アウラというたった一人の天翼族の女性へと彼女は貶められることだろう。
そして既にエノクに嫁ぐ前に名乗っていた元の家系からは徹底的に排除されていると彼女はプランに語った事もある。
つまり、今度からアウラは天翼族から“存在しない”扱いを受けるという事だ。
存在しない者をプランは預かっている。
これが何を意味するか彼は瞬時に貴族として理解し、心がざわめいた。
もちろん彼は天翼族が何と言おうとあの母子を引き渡す気などない。
引き渡せ。
もしくは処分しろ。
果ては殺害の依頼まで入る可能性があった。
例え何を言われようと彼は断固と拒否する腹積もりである。
必要ないというのならば、自分が預かり続けると彼は決めている。
最初にカルキノスに語った通り、最後まで責任を取るつもりだった。
人はそれを執着と呼ぶ。
「あぁ、いや……違うんだ。君の考えている様な事は起こらないぞ」
プランの些細な変化に気が付いたジスモアは頭を振りながら言う。
「今や世界的に高名な君を敵に回すつもりなどヴァナヘイムにはない筈だ」
「ありがとうございます。安心しました」
表面上は暖かい感謝を吐いたプランであるが、その実内心は凍り切っていた。
“筈”という部分を聞き逃す程彼は愚かではない。
世界の全ての者が効率的に動いている訳ではない事を彼は知っている。
そして天翼族のこういった部分では得てして理性など投げ捨てられるという事を彼は理解しているのだ。
元よりこの会合は無かったことになる、故にここでの口約束など何の意味もない。
「ここにはアウラに会いに来た。
最後に一目会っておきたかったんだ。
ルファスは……ちょうどこの時期になると動けなくなるんだろう?」
アレが起きていたら会話どころじゃないからなと彼は自嘲しながら言う。
プランが頷くと彼は安心したような顔をした。
「アレとは会わない方がいいだろうからな。
あいつを見ていると……苛立ちが止まらなくなる」
「きっと、アレも俺を許す日なんて来ないだろう」
おおよそ娘に対する言葉ではないが、これこそジスモアの飾らない本心であった。
顔を見ただけで両者が両者を嫌悪し憎悪している。
どちらも傷つく位ならば、いっそ会わない方がいいと彼は思っていた。
改めて言ってしまおうか。
ルファスとジスモアは既に父子として破綻しているし、これから先も関係が修復されることは決してない。
辛うじて両者が愛を向けているアウラだけがこの親子を繋ぎとめているのだ。
ジスモアにとってルファスとは娘ではない。
愛する女との間に産まれた存在ではあるが、己の苦しみの元凶でしかないのだから。
“仕方なかった”これを何度も自分に言い聞かせた上で“お前のせいだ”と彼はルファスに行き場のない怒りをぶつけるのだ。
狂っている。
腐っている、
親失格。
そんなこと、誰よりも彼が知っている。
「違う。こんな事を言いたいんじゃなかった……。
この茶のせいかな? 口が軽くなってしまう」
「ここはヴァナヘイムではありません。
閣下の言葉に聞き耳を立てる者はいないのです」
「そして自分も……恐らく寝て起きれば全て忘れてしまうでしょうね。
全ては夢────そういうことにしましょう」
夢か、とジスモアは苦笑した。
背負っていた重荷を少しだけ彼は降ろす事にした。
どちらにせよ、これは夢。
次にヴァナヘイムで出会った時には、ここでの話はなかったこととして扱われるのだ。
だから、彼はかつての妻に会う前に己の内心を全て吐き出すことにした。
彼女との思い出、彼女との夢、全てをここに置いていくために。
「アウラとは親が決めた許嫁の関係だったんだ。
最初は……恥ずかしい話だが、飛び上がるほどに喜んだものさ」
「一目見て……惚れたんだ。
あぁ、何て美しい人なんだろうって」
エノクを名乗る前のアウラと引き合わされた時、ジスモアは彼女に一目ぼれしたという。
美しい金髪、確かな教養を宿した紅い瞳に、何より……王族でさえ滅多にいない程に真っ白な翼。
あらゆる全てがジスモアを惹きつけてやまなかった。
「もちろん彼女の素晴らしい所は外見だけじゃない。
誰よりも思いやりがあって、いつも俺を助けてくれた。
……先代が亡き後のエノク家を率いれられたのは彼女がいたからなんだ」
よく知っているとプランは言いそうになり口をつぐんだ。
彼女の淹れる茶はとても美味しい。
彼女はとても賢く、いつも必要な準備を前もって済ませてくれる。
それだけじゃない。上げればキリがない。
総じていうとアウラ・エノクは間違いなく大貴族の妻として相応しい格の持ち主である。
夫婦という関係を自分には縁のないものとして諦めているプランから見ても、彼女に支えられていた頃のジスモアは……人生の絶頂期だったのだろうなと思う程に。
「だからこそ俺はルファスが許せない」
「────あいつが憎くてしょうがない」
次にジスモアから漏れたのはすさまじい憎悪であった。
自分と愛する女の楽園ともいえる時間を乱し、台無しにした異物への排他心である。
理不尽で狂気ともいえる八つ当たりであるが……皮肉なことにソレはルファスがプランに抱いていたモノと似ていた。
何の罪もない第三者に見当違いの怒りを抱き、排除しようとする。
それは正しくルファスがやっていたことなのだから。
どれほど両者が拒絶しようと、どれほど両者が憎み合おうと、身体を流れる血は嘘をつけない。
「正直に言ってくれていい」
ジスモアはプランに笑いかける。
大貴族として、人の内心を読み取るという能力を当然彼も持っている。
何のことだと頭を傾げるプランに彼は逃げられない様に告げた。
「君は……最近よく顔に出る様になっているぞ?」
「……友にも同じことを言われました」
プランは肩を落とすが、意外な事にジスモアは怒り等を見せなかった。
彼は自分の所業が第三者から見ればどう映るかなどとうの昔に理解しているのだ。
「俺は……いや、俺たちは弱いんだ。
自分に降りかかった理不尽に対して“どうして”という理屈を作らないとやっていけないんだ」
ミズガルズとは地獄である。
誰しもが理不尽に襲われ、嘆きながら死んでいく世界だ。
理由なき敵である魔神族に、女神への狂信を掲げて虐殺を繰り返す竜王……それだけではない程に理不尽な死は満ちている。
その中の一つに天翼族の狂信的な白翼信仰がある。
アン・ブーリンこと子隠しを生み出した信仰であり、あの日ルファスとアウラを死においやろうとした常識であった。
ソレと戦い、敗れ、心まで折られた彼は自分に言い訳をするのだ。
自分のせいではない。
自分の力不足のせいじゃない。
アウラが、俺が苦しんだのはルファスのせいだと。
「前にも言った通り、俺だって最初は……最初は!
ルファスを何とか娘として受けいれようと頑張った!!」
血が滴るほどに拳を握りしめる。
翼が狂ったように暴れる。
目は血走り、噛みこんだ歯が軋む。
恥も何もかも投げ捨てて彼は叫んだ。
生涯で初めて、彼は己の醜い内心を誰かに見せた。
「俺は悪くない!! 何もかもあいつが悪いッ!!」
頑張った、必死に頑張った。
その結果がコレだと。
天に座す女神に聞かせるような宣誓にプランは瞑目した。
女神よ、女神よ、これがお前の望みか? と問う様に。
もちろん答えは返ってこない。そもそも聞いてないのだろう。
仮に聞いていたとしても見当違いな独善に塗れた不愉快な答えだけが帰ってくるだろうとアリストテレスは考えた。
だからお前はダメなのだ。だからお前は愚かなのだ。
これがお前の望む幸せの形か? と彼らは女神を嘲り、憤怒を再燃させる。
「今日で俺はアウラの夫ではなくなる。
だからせめて、最後くらいは……彼女に会いたかったんだ……」
頼む、とジスモアが深く、深く頭を下げる。
プランは勿論、断る事など出来なかった。
彼は大人だ。
彼は身の程を弁えている。
彼は全て諦めている。
これは何処まで行っても彼ら家族の話であり、自分は部外者だと彼は一線を引いている。
自分はルファスとアウラ、そしてジスモアの家族などではないのだから。
自分は何処まで行っても第三者、自分は他人だとプランは自分に言い聞かせるのであった。
遠い遠い世界。
真っ白で小さな泡を無数に浮かべた極点。
そこには一人の女性がいました。
綺麗な女の人でした。
そう、彼女こそ女神アロヴィナス様です。
世界を愛する優しい女神さま。
人々を慈しみ守る女神さま。
あらゆるモノに■■を与える女神さま。
それこそがアロヴィナス様なのです。
しかし女神さまは心配そうに大事な大事な箱庭を見ていました。
余りに小さく脆い箱庭を彼女は見守る事しか出来ないのです。
彼女の関心は一人の男性に向けられていました。
女神さまからしてもよく判らないソレを女神は顔を傾げて見ています。
“コレ”は何なのでしょうか?
“コレ”は何をしたいのでしょうか?
女神さまは考えました。
一応、自分に対する信仰を抱いているようではあるので、静観していたのでした。
しかしミョルニルにおける戦いを見た彼女は“ソレ”が危険であると気が付いてしまいました。
竜王の宣言と行動は彼女にとってはどうでもいいモノ……しいて言えば新しい引き立て役が現れた程度の扱いでしたが、あの異物だけは話が別です。
どうやらその男は女神さまでさえ完全に理解したとは言い切れないこの世の法を悪用しているようでした。
結果として吐き出されるのは天文学的なダメージとそれによる世界に対する甚大な負荷。
女神さまにとっては宇宙一つなど大したことのない存在ではありますが、それでも世界一つの処理を狂わせてしまうソレを女神さまは危険だと判断しました。
だから彼女はソレを消しちゃうことにしました!
面倒な存在はささっと消してしまう。
それこそ女神さまが長い年月で学んだこの世界の真理です。
しかし女神さまが自分から手を出す事は出来ません。
もしもそんなことを───仮に指で「ちょん」とでもしたら、ミズガルズはパーンと割れてしまうでしょう。
だから賢くて優しい女神さまは一人の男を使う事にしました。
その男は妻子を愛していましたが、種族の心ない偏見によって捨てざるを得ない可哀そうな人でした。
可哀そう、あぁ、なんて可哀そう!
女神さまは彼の今までを知り、涙を流し、心から同情しました。
可哀そうに。
きっと貴方は苦しんだのでしょう、悲劇でしたね。
だけど大丈夫! だからこそ貴方には幸せになってほしい!
全て私が何とかしてあげましょう、何も心配はいりません。
なのでその為に「お仕事」をしてもらいましょう。
ちょうどいい所に異物の隣には小さくて強い女の子がいました。
そして彼女の生涯も女神さまは知りました。
黒い翼による迫害。
悲しみと苦しみに満ちた人生。
そして手に入れた母との幸福。
うんうん。実に素晴らしい光景でした。
だから女神さまは思いました。
じゃぁ、次は落ちましょうかと。
貴女は幸せになりました。
しかし、しかし、幸せだけではダメなのです。
満ち足りた者から美しい願いは産まれません。
流れない水が腐る様に、落差のない人生とは堕落なのです。
だから女神さまはこの二人に試練を与えることにしました。
頑張れ! 頑張れ!
きっとその苦しみの果てに、幸せは訪れます! と女神さまは心からのエールを送るのでした。
女神さまは一度瞑目しミズガルズから視線を離します。
既に仕込みは済ませました。あとは結果が出るのを待つだけです。
彼女にとってはあの異物も含めて全て原子にも満たないサイズの矮小な存在でしかないから、それだけで女神さまはもう同じ個所を見る事ができなくなりました。
そして女神さまにとっては今のルファスも、あのラードゥンも、それこそ産まれたばかりの赤子も何もかも同じ程度の大きさにしか見えないのです。
それに、これから起こる事はかーなーりー血生臭くなるのは間違いありません。
アロヴィナス様は清く美しい乙女ですので、そういう醜い光景は好きではありません。
醜いものは、見たくない。それは乙女なら誰でも思う事なのです。
アロヴィナス様は次に目の前に広がる無限/無尽蔵の世界を前にため息を吐きます。
殆どの世界では危ない戦争が繰り返されているのです。
たとえばあちらの宇宙では星々を股にかけた盛大な戦争。
たとえば向こうの宇宙では作った覚えもない天使と悪魔という種が魔法を用いて殺し合っています。
たとえば向こうでは……やめておきましょう。
はぁ、とため息を吐く。
それだけで女神の意に反して争いを続けていた6万にも及ぶ宇宙がパンっと割れて消え去りました。
もちろん、その中に住んでいた命は全て汚いものでしたので、女神さまの眼に見えない所に送られます。
ゴミはゴミ箱に、世界は綺麗でなくてはなりません。
やることのなくなったアロヴィナス様は虚空に手を翳します。
すると、そこに現れたのはとてつもなく巨大で長い本棚。
虚空の先まで続くと思われるほどに大きくて、びっしりと本を敷き詰めたソレの中から女神さまは一冊の本を取り出しました。
微かに埃を被った表紙にはこう書いてありました。
“第44231代目勇者”
“愛と勇気の物語!”
本を開き、うきうきした顔でソレを読み出します。
最初は黙々と、途中からはドキドキ、そして最後にはハラハラと涙を流しました。
勇者の人生をつづった物語に一喜一憂し、心から同情して共感しているのです。
すごい綺麗、美しい。
そして最後には愛するモノを残して死んでしまうなんて、なんて綺麗なんだろう!
可哀そうに、可哀そうに!
だけど、きっとあなたの活躍は多くの人々を奮起させ、明日を生きるための糧になってくれるでしょうと女神さまは涙を零しながら思いました。
そう、勇者たちは死してなお女神さまをたのしませる事が出来るのです!
彼女は女神アロヴィナス。
誰よりも世界を愛し、人々を慈しむ愛と美のめがみさまです。
とてつもない倦怠感の中、ルファスはふと息苦しさを感じて瞼を開けた。
身体の感覚は定まらず、頭も全く回らない。
ただ、ただ、寒かった。
隣を見る。
いつもはそこに居て、温もりを分けてくれる母がいない。
どうしたのだろうと視線を動かすと……ありえないモノを見た。
「“────”」
ありえない者。
本来ここにいるはずのない男。
憎くてたまらない存在、自分と母の不幸の元凶。
そんな存在が、今まで見たことのない顔でルファスを覗き込んでいた。
彼が呟いたのはルファスの本当の名前。
ジスモアがまだ、妻子を認めさせようと足掻いていた時に赤子であったルファスに語り掛けていた名前である。
ルファス・マファールは本当の名前ではない。
本来は「“───”エノク」が彼女の真の名であるが、もはや誰もソレを呼ぶ事はない。
そう、彼女の母さえも。
これは夢だとルファスは思った。
だって、何もかもがありえないのだから。
彼女が知るジスモアはこんな顔を見せた事がない。
まるで、まるで、娘を見る父親の様な顔など。
凍り付いた様に冷たい額を彼が指でなぞり、口を開く。
「……俺を許さなくていい」
遅い、遅すぎる。何年も遅い。
どうして、私達を……と叫びそうになったが言葉が出ない。
身体も動かない、今の彼女は肉体に迫った危機に応じて一時的に意識が引きあがった状態ではあるが、仮死状態なのはまだ変わらない。
皮膚一枚隔てた体内では想像を絶する変異が進行中なのだ。
まだまだ、ルファスは満足に動く事など出来ない。
「理屈じゃないんだ……これは、そう、ケジメと言う奴だな」
「お前たちがいると、俺は先に進めない。だから……」
「死んでくれ。愛する我が子よ」
首筋に手をかけられ、力を込められる。
普段ならばともかく、今のルファスはソレを払いのける事さえ出来ない。
翼が痙攣する様に震え、手足をばたつかせるが抵抗らしい抵抗とは言えなかった。
彼女に出来たのは掠れた声で助けを乞う事だけであった。
「たすっ……けて……たすけ、て……おかあ、さん……!!」
母を求める。
しかし返事はない。
いつも自分を守ってくれた母は、何も返してくれなかった。
やめてと瞳で訴える。
しかし慈愛さえ感じさせる眼差しのジスモアは首を小さく横に振るだけであった。
意識が真っ白になっていく。
────どうして、どうして、どうしてこんなことをするの?
余りに理不尽な死を前にルファスは父に問いかけ……その瞳の中に
見てしまった。そして思い出した。
あの日、自分が何て言ったか。
いや、今までなんて言い続けてきたか。
───これは理屈じゃないんだ。私が私であるために必要な事なんだ。
───だから私はあいつを殺さないといけない。
───そうやって初めて、私は弱い私と完全に決別できる。
自分の為に何の関係もない誰かに死を強制する。
それは、正しく今までルファスがプランに対してやっていたことであった。
それだけじゃない。
出会った日から今日まで、自分がプランに対して行っていた事が頭をよぎっていく。
まるで走馬灯の様に、今まで積み上げてきた行為が彼女の背筋から這い上がってくる。
ジスモアは自分であった、
その事実が彼女を容赦なく切り刻んでいく。
──お母さん……本当に助けられるの? 貴方なんかが?
──貴方のこと、信じてないから。
──貴方なんか大嫌い。絶対後悔させてやる。
──あなたも、この街も、いつか私が潰す。
──この偽善者。貴方の自己満足に巻き込まないで。
──いつまで……こんな事を続けるの? 家族ごっこはうんざり。
──強くなる。私は強くなる。
──もっともっと、強くなる。誰よりも……。
「ぁ……いや、ぁ……」
消えていく命と同じく精神にヒビが入っていく。
己が今まで何をしていたか理解してしまった彼女は、取り返しのつかない罪を自覚しつつある。
全て自分が言った言葉だった。
全て自分が彼を傷つけていた行為であった。
全てジスモアと同じ所行であった。
「大丈夫。寂しくはない……お母さんもあっちで待ってくれているぞ」
ジスモアの翼が動き、ルファスの視界が開く。
血走った瞳で視線を向ければ……母がいた。
椅子に座った母が。
しかし、微動だにしない。
翼は垂れ下がり、腕は力なく放り出されている。
「あぁぁぁ……!」
嘘だ、嘘だ、嘘だとルファスは何度も己に言い聞かせるが、現実は変わらない。
腹部に刃物を突き刺され、血を流す母の姿は何も変わらない。
死。
ほんの数時間前まで、一緒にいたお母さんが、死……。
悪夢という表現さえ陳腐に思える現実を前に、遂にルファスの精神は決壊した。
「ああ゛あ゛あああああ゛ァァ゛ァァ゛!!!」
枯れた声で狭い喉から声を絞り出し、彼女は生涯で初めて絶望と憎悪に塗れた絶叫を上げた。
あらゆる存在を呪う憎悪と絶望がここにはある。
ミシ、と黒翼がソレに呼応するように脈動したのを誰も知る由はない。
彼女の肉体は彼女の願いにどこまでも応える様に出来ている。
故に、これは当然であった……。
長い一夜が始まる。
遥か彼方の御座において、女神だけが世界を愛おしむ様に微笑んでいる───。