ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
今までとちょっと毛色が違いますがお付き合い下さると幸いです。
遂にこの時が来たか。
プランは豪華な封筒から取り出した手紙を読みつつそう思った。
上質なインクを惜しみなく使われたソレはクラウン帝国から届いたモノだ。
以前ユーダリルでかの帝国の使者が語っていた計画が遂に動きだそうとしている。
“勇者召喚”
アリストテレスは眉を顰めながらその単語を思い浮かべた。
また異世界から善意ある若者を呼び寄せ生贄にする悪習が繰り返されようとしている。
ミズガルズの外より何者かを引き込んで、自分たちの手には負えない存在──この場合は竜王──を何とかしてもらおうという話だ。
ハッキリ言おう。
今度の勇者は決して竜王には勝てない。
ラードゥンは此度は魔神王と呼ばれている存在の様にイカサマには付き合ってくれないだろう。
苦しみぬいた後に死ぬだろう。
残念ではあるが、勇者の出発を止める事は出来ない。
アリストテレスは冷徹にまだ見ぬ勇者の末路を分析し、ため息を吐いた。
またか、という失望と諦観が彼を満たしている。
プランはもう一枚、執務机の上に置いてあった手紙を見た。
こちらはプルートから届いたモノで、義手製作についての話が載っている。
オリハルコンを始めとした各種貴重な鉱石を用いる旨や、職人の手配についてなどなど、大まかな予定がそこには書かれていた。
万全の準備を整える為に義手の製作はもう少し先だ。
流れとしては勇者召喚に立ち会い、新たな勇者と顔見せを済ませてからになるだろう。
全ては死出の旅に向かう勇者を見届けてからである。
右腕に装着している【バルドル】を見る。
これは優秀な代替品であったが、やはり本来の用途ではない故に不便は多々ある。
竜王への対処を行うにあたって優れた右腕の存在は必要不可欠だ。
妥協は許されない。やるからには完全に近づけなくてはいけない。
「…………」
頭の中で瞬間的に予定をくみ上げた後、クラウン帝国に向かう際にルファスを誘うか否かを考える。
帝国はミズガルズ最大最強の国家であり、首都もまたそれに恥じない規模だ。
首都マルクトにいたっては恐らく彼女が今まで見てきた中でも飛びぬけて最大の大きさを誇る都市である。
言わば“都会”だ。
プルートやミョルニルも凄まじい都市ではあるが、やはりマルクトに比べると劣ってしまう。
彼女が長い生涯をどう過ごすかは自分で決める事ではあるが、知見を広めて損はないだろう。
…………勇者と出会ってしまうかもしれないが、これも勉強の内の一つになるだろう。
彼女の寿命を考えるに“次”に出会う可能性も十分にあるのだから、今の内にそれがどういう存在なのか見せておくのも必要かもしれない。
背もたれに体重を預け、天井を見つめながら考えを巡らす。
ルファスのレベルは800。
彼女の強さについてはまだ隠しておきたい所ではある。
いま知られたら、最悪あたらしい勇者のパーティーに入れと言われるかもしれない。
それだけは絶対に阻止しなくては。
無駄死にするだけの旅になど絶対に行かせてはいけない。
問題はそれだけじゃない。
彼女の特異性と戦闘能力は数多くの者たちに魅力的に映ること間違いなしだ。
特にクラウン帝国は間違いなくルファスを欲するだろう。
何せあの国は年がら年中人材を求めているのだから。
巨大な国であるということは、それだけ各所に人が必要なのだ。
「出発前に打ち合わせておこう……」
何事も計画は大事だ。
特に今回の様な時は。
とりあえずの段取りを決めてから窓の外を見る。
今日もリュケイオンは平和だ。
真っ青な綺麗な空に人々の生活音。
空には何匹かの鳥が舞っている。
今までは何とも思わなかったが、こうして改めて見てみると少しばかりの感慨をプランは抱いた。
悪くない。確かにこの街は質素な片田舎ではあるが、他の国にはない魅力があるのだと。
領主としての贔屓も入っているだろうが、悪くないと改めてプランは自分の領土を見て思った。
だからこそしっかりと仕事を果たしてから明け渡さなくてはいけない。
既に次にこの椅子に座るのが誰になるかは決まっているのだから。
扉がノックされる。
物思いに耽っていたプランは現実に引き戻されると、瞬間的に微笑みを顔に張り付けてから「どうぞ」と答えた。
「失礼します……」
「そろそろ休憩の時間だぞ」
入ってきたのはアウラとルファスの二人であった。
アウラは整理された書類の束といい匂いのするバスケットを。
ルファスはお茶の乗ったトレーを持っている。
ルファスは母を先導する様に前に出ると、カツカツと足音を立ててプランに近づいて挑戦的に笑った。
じっと男を見据えて言い聞かせるように話しかける。
「“約束”を忘れていないだろうな?」
「勿論……しっかり休憩は取るよ」
「よろしい」
胸を張り満足を浮かべるルファスにプランは苦笑した。
この二人に諸々を管理され始めている現状に彼は内心頭を傾げている。
どうしてこうなった? と問うても歴代のアリストテレスは何も答えない。
優秀な補佐がいれば効率は上がる。
それだけの話にいちいち議論は必要ないのだから。
「……」
「……」
ルファスとアウラは目配せで意思を疎通させる。
とりあえず今の所は問題なしと二人は判断した。
ちなみに今更の話ではあるがルファスは既に母にプランの件は相談している。
もちろんプランの腹部の件も含めた全てを彼女はアウラに打ち明けており、母子は協力関係を築いていた。
まずは出来るところから一つずつ。
差しあたっては無理ばかりする男の体調を管理するところから、というわけである。
プランが倒れたのは二人にとって記憶に新しい事件である。
その時に母子は悟ったのだ。
“この人は放っておいたらまた過労で倒れるな”と。
“だからといって詰め寄っても笑顔で切り抜けられてしまう”とも。
プラン・アリストテレスは明らかにルファス/アウラに弱みを見せる処を嫌っている節があった。
最近のプランはどんなにルファスが彼の力になろうと尽力しても決して踏み越えさせない一線を作り上げている。
彼は他者と協力することは出来ても一方的に助けてもらうという事に慣れていないのかもしれない。
そしてルファスはともかくアウラはそういった男性への対処法はある程度知っていた。
かつての夫もそうだったのだから。
天翼族と他種族の交流の為に無理をし続けて倒れたことも彼にはあった。
何でもかんでも一人でやろうとしてしまうのは能力のある貴族が共通してもつ悪癖なのかもしれない。
無理に押してはいけない。
もちろん時と場合にはよるが、こういう風になった男性に無理強いするとその分だけ逃げられることを彼女は知っている。
彼女とて伊達に数百年を生きてきたわけではないのだ。
なので着実に外堀を埋め、証拠と準備を整えておく。
つまり当初のルファスが判断したようにチャンスを伺うのだ。
ルファスもまた母の考えに賛同し、まずは少しでもプランの負担を減らそうという方針を取っていた。
それと並行して天法への理解を深めておくことも忘れない。
書類を片付けてから一息を吐く。
彼はティーカップを掴むと紅茶を飲んで……いつもと少し違う事に気が付いた。
貴族として舌も相応に鍛えているプランは微妙に茶の味が変わっていると見抜いたのだ。
思わずルファスを見ると彼女は薄く笑いながら身体を左右に揺らしている。
翼が何度も跳ねており一目で何かを期待している様が見て取れる。
「ルファスが淹れたのかい?」
「正解。まだまだ母には及ばないけど」
美味しいよ、と褒められた少女は微笑みながら頷く。
もっともっと腕を磨いてやるという向上心がそこには満ちていた。
カルキノスが見ていたらまたもやマナに還りそうな光景である。
そんな娘とプランのやり取りを微笑みながらアウラは見つめている。
彼女にとってはとても……懐かしい光景であった。
まだジスモアが狂う前の平和で満たされていた日々の様な世界だ。
手に入る筈がないと諦めていた世界がここにはある。
いや、それは違うとアウラは人知れず否定した。
代わりではない。
ここにいるのはプランでありジスモアではないのだと。
身勝手な感傷であの二人を重ね合わせるというのはどちらにとっても失礼な話だ。
あの夜の記憶が殆ど残っていないというのもあるが、彼女はジスモアを許していた。
そもそも最初から怒ってはいない。
まだ何処かで彼女は彼を愛しているのかもしれないが───それよりも哀れんでいた。
とてつもない重責にがんじがらめになってしまった人。
エノク家に産まれさえしなければ、ヴァナヘイムを去る事も出来ただろうにとさえ思っていた。
アウラはジスモアを未だに愛してはいる。
しかし、それよりもルファスを愛しているのだ。
娘を愛し、リュケイオンの人々を大切に思っている。
だから……もういいのである。
ルファスと同じように彼女もまた夫だった人の新しい門出を祝いながらも、もう自分とは関わらない方がいい/関わりたくないと決めている。
そもそもあの行動は本当に彼の帳から生じたモノなのかさえ怪しいと思っていた。
どうしても違和感が引っかかるのだ。
幾らなんでもあんなことをする人だったか、と。
そこまで考えを巡らせていると、楽しそうに彼と談笑していたルファスが自分を見ている事に気が付く。
娘の視線が自分の手元に向けられている事を悟ると、彼女は持っていたバスケットを掲げた。
ルファスがエスパーの念動力でバスケットを覆っていた布を取り去ると中には色とりどりのクッキーが詰まっていた。
ほぅとプランの眼が興味深そうに細められたのを認めたルファスは誇らしげに語る。
「母が焼いたんだ。……ちょっとだけカルキノスの手助けも受けたけど」
竈から取り出すときなどの危険を伴う作業だけは彼がやったというのが真相である。
彼曰く「hardな作業はお任せを!」とのことだ。
それ以外の工程は全て彼女の手作りである。
鼻歌を交えながらルファスはプランの前にバスケットを置く。
早く食べろという無言の圧を彼女は放っていた。
それはそうと食べる前に物事には順番がある事を知っているプランはアウラに一礼し感謝を告げる。
「ありがとうございます。美味しく頂きますね」
「いえ……お役に立てて何よりです」
アウラもまた優雅に頷いて返す。
今はただのアウラであるが、さすがは元とはいえ大貴族の女と言った所か。
これこそ大人同士の会話といった優雅さである。
隣で見ていたルファスが自分には持ちえない上品な余裕にぐぬぬと顔を微かに顰めた。
「ちょうど良かった。食べながらになりますが、相談したい事があったのです」
言いながら焼き立てのクッキーを一つ摘まむ。
まだ焼き上げられた際の熱を失っていないソレを口に放る。
程よい甘さが口内に拡がるのを認めてプランは微笑んだ。
とても美味しい。
もう少し早くこのクッキーの存在を知れていたらベネトナシュとの交渉の際に持ち込んでいたのにと心から思った。
「クラウン帝国か……今まで何度か名前は聞いていたな」
プランから一通りの説明を受けたルファスは視線を右斜め上に向けながら答えた。
記憶の中を探りながら、彼から受けた説明と照らし合わせていく。
すると数年前の記憶の中から一つ見つけることが出来た。
あれは───ユーダリルに始めて出向いた時の話だった。
“竜王”による魔物の大移動のせいで中断された会議の中で確かにクラウン帝国の者と名乗った使節たちがいたのだから。
あの時は気にも留めていなかったが、まさかここでかかわりを持つことになるとは思わなかったというのが本音である。
「帝国は人類最大の国家なんだ。ミズガルズには5つの大陸があるのは知っているね?」
「勿論」
当然だとルファスは肯定した。
ミズガルズは5つの大陸と一つの南西の大陸からつながるような形で存在する二回りほど小さい準大陸とも呼ばれる地形で構築されているのは常識の話だ。
ちなみにリュケイオン/プルート/ミョルニル/ヴァナヘイムなどは全て準大陸の中に存在している。
準大陸こそが人類発祥の地である故にここまで過密な状態となっているのだ。
北西の大陸……北の大陸とも呼ばれる地はかつて真祖ブラッドが統治していた吸血鬼たちの国であったが今や“竜王”の魔境と化している。
ブラッド王は光の妖精姫ポルクスと幾度も戦いを繰り広げ、そうして敗れて流れ果てた結果がかつてのブリーキンダ・ベル、今でいうミョルニルの由来の一つだとされている。
ロイに聞けば詳しく教えてくれるだろうが、かつての主の敗北の記録を彼が語るわけもなく、全ては歴史家の考察の中でしかない。
とりあえず北西───立地的には最も北は竜王ラードゥンの支配下であるということだけ覚えておけばいい。
おぞましい竜と魔物が急速に文明を作り上げ始めている魔国だ。
しかし最近は疫病が発生しているらしく誰も近寄りたがらない状態である。
中央大陸には“獅子王”レオンが君臨し、彼を頂点とした魔物の楽園が築かれている。
正に野生の園、原初の弱肉強食を体現した文明なき世界である。
北東大陸は魔神族の本拠地であり、魔神王が君臨しそれこそ億にも届きかねない数の魔神族がうじゃうじゃいるだろう。
しかし殆どの魔神族は“休眠”状態であり、元来もっている殺人衝動を抑える代わりに魔神王の号令がない限りは眠りから覚めない状態となっている。
物量という点でいえば魔神族は竜王の軍勢をも上回る規模をもっており、とある事情によりその補充が追いつかなくなるということはないのだ。
魔神王はここ数百年全く動いたという話はない。
配下は相変わらず人類を苦しめているが、彼は無気力とさえ思える程に動かない。
そして南東の大陸。
この地は大陸一つが丸ごと人類の国家である。
その名をクラウン帝国という。
1000年を超える長さを誇る超巨大国家は地上の人類国家としては類を見ない規模である。
ミズガルズの歴史を紐解いてもこれほどの大国家はそうは居ない。
世界最大最強の国家ときいてルファスの顔には判りやすい程の好奇心が浮かんでいた。
「クラウン帝国は7つの人類全てが手を携えて運営される帝国なんだ。
イメージとしてはユーダリルをそのまま大きくしたようなモノだと思ってくれて構わない」
「1000年続く帝国か……」
1000年という部分にルファスは着目した。
彼女の優れた超感覚はその部分から何かのとっかかりを掴みかけている。
(確かこの人の家系もそれくらいの長さだったはず……)
アリストテレス家。
5年以上一緒に住んでいるが謎の多い一族だ。
皆は口々に自分の特異性を凄いと褒めてくれるが、実際の所ルファスはアリストテレス一族に比べれば自分はまだ理解できる存在だと思っていた。
古代の天翼族への先祖回帰にして突然変異にして魔物化した存在。
ルファス・マファールを学術的に言い表すとこうなる。
なるほど、これなら大幅なレベルアップの謎やら究極ともいえる肉体性能の凄まじさにも一応の説明がつく。
だが……それに引き換えアリストテレスとはそもそも何なのだろうか。
古代の天翼族の御業を再現したような【バルドル】を始めに理不尽とさえいない意味不明な御業の数々。
ときおり気配と口調がガラッとまるで別人の様に変わるプラン。
そしてあの時に聞いた謎の声。
自分の覚悟を見定めるような言葉であったが、あれが誰であるか彼女は知らない。
彼女は何一つ知らない。
意図的な情報の遮断があることにとっくにルファスは気づいている。
(…………)
とりあえず彼女は一言だけカマをかけてみることにした。
「クラウン帝国についてはどれくらい知ってるんだ?
その様子を見るにかなり懇意にしているみたいだが」
「何代も前から続く長い付き合いだね。
自分たちにとってかの帝国は重要なパートナーの様なモノさ」
本当に僅かだけ気配を変えてプランは答える。
普通ならば気づけない程の変化であったがルファスとアウラは直ぐに見抜いた。
娘がやろうとしていることを理解したアウラは黙って見守っている。
引っかかったとルファスは直感するが顔には全く出さない。
押してダメなら引いて見ろ、である。
解説する状態に移行したプランは少しばかり口が軽くなる事を彼女は知っている。
「具体的には何年くらいの付き合いなんだ?」
「確か……ポステリオル帝の時代からになるかな」
乗せられた事に気付かずプランは朗々と語り出す。
その口から飛び出てきたポステリオルという名前に心当たりがあるアウラが微かに目を見開いた。
かの皇帝はクラウン帝国における三代目の統治者であり、その版図を最も拡大させることに成功した偉大なる覇王なのだから。
「ポステリオル帝からこちらに接触してきたんだ。
本当に驚いたものさ。
あの時のアリストテレス家はまだまだ立ち上げたばかりだったというのに」
プランの声は歴史書を読み上げる様に無機質である。
まるで北風の様に寒々しい声音であり、ルファスは思わず小さく息を呑んだ。
本当にいま目の前にいるのはプランなのか? とさえ思う程だ。
「自分たちの知識を必要とする者がいて、自分たちには彼の後ろ盾が必要だった。
つまるところ、一種の共生だったんだね」
それはリュケイオンがまだ街ともいえない頃の話だ。
小さな村のなりかけであった頃はアリストテレス家も今ほど好き勝手はしていなかったものである。
ちょうどその代の【幻視】のアリストテレス卿が強力な力を保持していたというのもあり、勢力の基盤を整えていた頃にポステリオル帝は接触してきたのである。
時に理屈を無視して正解を直感的に選び取れる人間が存在する。
かの皇帝は正にソレであった。
彼が即位したての頃の帝国は正直いって酷い有様であった。
土地はお世辞にも豊かとはいえず、作物は育たない。
周囲には魔物の群れやら敵対的な国家がうじゃうじゃ。
あらゆる国家/組織は三代目が勝負どころだと言われている。
初代が立ち上げ、二代目が初代に倣い足場を固め、三代目がそれを活かせるかという話だ。
殆どの国などはこの難題の前に敗れ去ってしまう。
それは当時のクラウン帝国も同じであった。
国内を見れば退廃的な空気が根を下ろし始め、腐敗の芽は至る所にあった。
簡潔に言うと、どうにかしなければクラウン帝国は終わりである。
故に彼は行動を起こした。
千年先の繁栄を確かなものにするために。
大陸を二つも跨いで、こんな辺境の地の何の成果もあげていなかった田舎貴族に彼は接触し、その知識と知恵を求めた。
貴族としてはまだまだ新米ではあったが、アリストテレスの前身を考えるに自分の知らない未知の力や技術を保持していると踏んだのだろう。
その後は余りに多くの出来事が連なる為に簡単には説明は出来ない。
とりあえずアリストテレス家は魔法や天法に関する技術や効率的な統治方法を実現させるための理論などを幾つか提供し、クラウン帝国の勢力の拡大に助力したのだった。
特に大地に宿るマナを操作し、豊穣を約束させる技術は富国強兵の大きな土台となったものだ。
結果、ポステリオル帝は一代で大陸の6割を平定。
現在も繁栄を謳歌する巨大帝国の礎を築く事に成功したのである。
しかしそれほどの功績を上げた当代が求めたのは巨大帝国による後ろ盾である。
望めば国家における中枢に召し上げられることも可能ではあったが、そうなった場合のしがらみの多さを考えて当代は辞退したという。
代わりに帝国はアリストテレス家に“好意”を送り、付近の国々に対しての睨みを利かせ、彼らの研究に余計な邪魔や詮索を入れられるのを防ぐ役割を果たしたのだった。
その後は腐れ縁である。
ポステリオルの時代ほどに近くはないが、それでも完全に切れる事もない。
つかず離れずの距離を彼らは維持し続けている。
「…………」
「…………」
全てを聞き終えたルファスとアウラはじっと目の前の男を見つめていた。
真っ赤な4つの瞳の中には疑問が浮かんでいる。
幾らなんでも詳しすぎる。
先祖から伝えられたというよりはまるで体験してきた自分の過去を話すようであると。
「と、いうのが自分が父上から聞かされた話さ」
一通りの過去を話し終えた後にプランは「しまった」と脳内で呟き、とって付けたような捕捉を張り付けた。
「実際はどこまでが事実かは判らない。
貴族というのは自分の過去を大仰に見せたがるからね」
「私は信じる」
ルファスは言い切った。
目の前の男の一族ならばそれくらいやっても当然とさえ考えている。
蒼い瞳が彼女を見た。そこまで言いきられてしまったら何も言えない様であった。
そしてもう一つ。
当初に彼から投げかけられた問いにも答えた。
話が逸れていたが、事の発端はルファスにクラウン帝国まで同行するかと聞く為であったのだから。
「私をクラウン帝国に連れて行って欲しい」
「ミズガルズ最大の国家というものがどのようなものか見てみたい」
胸の前で祈る様に手を合わせ、ルファスは己の本心を明かしていく。
まだ少しだけ怖いけど、今の彼女には自分の心を他者に打ち明けられる強さがあった。
「ヴァナヘイムに居た時はこの世界は酷い事ばっかりだって思ってた」
「周りの天翼族は私達を苦しめながら常々言ってたんだ。
“何処に行こうとお前たちは歓迎されない”って」
心ない言葉ではあるが、これは天翼族の常識である。
彼らにとって翼の穢れた存在は何処に行こうと排斥される汚物でしかないのだから。
ルファスの言葉にプランの顔が強張る。
本人さえ気が付いていないだろうが、明確に彼は不快感を露わにしていた。
もちろんルファスはそんな彼の変化に気が付く事ができ……胸の中から湧き上がってくる感情に任せて微笑んだ。
「だけどあいつらは間違ってた。私達を受け入れてくれる場所はあったんだ」
「所詮あいつらは狭い山に閉じこもって何も知ろうとせずに外を見下してるだけだ」
「……私だってあいつらの事は言えない。
自分の殻に閉じこもってばかりで、この世界に何があるか見ようともしてこなかった」
いまだにヴァナヘイムの事を思うと胸がムカムカするが、黒い感情は殆ど湧かない。
くだらない過去に拘るよりも今の幸せを維持し守ることの方がルファスにとって何倍も何十倍も大切な事なのだから。
その為に必要なのは膨大な経験/知識/技術/文化への理解であると彼女は考えている。
世界最大の国家ならば当然天法などに関わる研究も進んでいることだろう。
その知識を得ることが出来れば目の前の人を助ける力になるかもしれないという希望を彼女は抱いていた。
「今更かもしれない。だけど、もしもやり直せるなら……」
ルファスは一瞬だけ口ごもった。
次の言葉を紡ぐのに微かな羞恥心が妨害するが、それを彼女は乗り越えて口を開いた。
「私は知りたいんだ。広い世界の事を!」
───「あなたと一緒に」という言葉を彼女は心の中で最後に付け加えた。
彼女の宣言に対するプランの答えはわざわざ語るまでもないだろう。
彼女───北星奈々子は西暦2015年の日本の高校に通うごく普通の女子高校生である。
年齢は17。身長は158。体重はもちろん秘密だ。
極めて平均的な体型であり、得意な学科は家庭科。
逆に苦手なのは数学である。しかし何故か理科は得意と言う奇妙な所があった。
好奇心が旺盛である故に実験の類が好きな一面が彼女にはあった。
成績は上の下。学年テストでは常に30位圏内には食い下がれていた。
やっておいて損はないという事でそれなりに熱心に取り組んだ結果、教師たちからの覚えもめでたく将来はそこそこ有名な大学への進学も視野に入るほどであった。
運動も割と得意だが、上には上がいるものだ。
家族との仲も良好。
虐待などという言葉は彼女にとってはテレビの中の心ない誰かがすることであり、自分とは無縁の単語である。
ただ一つだけ他の家庭と少しばかり違う事があるというと、彼女は70代の祖母の介護を行っていた。
もちろん彼女が一人でやっているわけではなく、両親と協力し合いながらではあるが。
特に難病というわけでもない。
階段から落ちてしまい、足を骨折してしまった結果として他者の助力が必要になってしまったのだ。
老人の介護など彼女くらいの年齢の子には荷が重いと感じるかもしれないが、意外な事に彼女はこれを進んで行っていた。
彼女は元より祖母の事が大好きなのだ。
いつもニコニコ笑っていて、自宅の庭で畑をやっているおばあちゃん。
ずっとずっと小さい頃から見守ってくれていたお祖母ちゃんが奈々子は大好きであった。
認知症を患っているわけではないのも一助ではあったが、誰しもが老いて衰えるという現実を彼女は介護を通じて理解してしまったのだ。
故に祖母の様な人を助けたいと思ったため、将来の夢は看護師だ。
何なら医者も悪くはないかなと子供ながらに未来の自分に思いを馳せる事も多々あった。
総じて善人。
お人よしな何処にでもいる普通の女の子。
それが北星奈々子という人物である。
ちなみにそういった性質も相まってか彼女に熱い思いを抱く男子生徒も少なくはなかった。
(────助けて下さい)
「え、何……?」
下校途中。
時刻は17時頃。
眩いばかりの夕日も傾き始め、夜の帳がじわじわとその範囲を広げだす頃。
早く帰る為に近道として公園の中を歩いていた彼女は確かに聞こえた声に立ち止まり、困惑を顔に浮かべた。
「あの~~、誰かいるんですか……!」
「救急車、呼びますか!?」
呼びかけるが返事はない。
周りには誰もいない。
うーん? と頭を傾げるが……彼女は次の瞬間に事態の異様さに気が付き、じっとりと背中に冷や汗をかいた。
そう、誰もいないのだ。
普段はこの位の時間ならば犬の散歩をしている老人がいたり、17時を告げるチャイムに慌てて帰宅しようとする子供たちがいるはずなのに、誰も。
明らかにこれはおかしい事であった。
「え、嘘? なに? 何なの……」
頭の中をよぎるのは一昔前に流行ったホラー特集。
こういう風に誰もいない世界に引き込まれて酷い目に合う被害者の姿と自分が重なる。
(助けてください。お願いします……)
慌ててその場から逃げ出そうとする彼女であるが、今度ははっきりと聞こえた声に足を止める。
前提として彼女は善人である。何処にでもいる普通の心優しい女の子だ。
だからこそ、これは当然だったのかもしれない。
だって■■様はそういう子が大好きなのだから。
全てはより良き世界を作るために。
より愛に満ちた美しい世界を作るために。
奈々子はこれで最後だと思いながら思い切り大声で呼びかけた。
それが自分の運命を永遠に変える言葉だと思いもよらず。
「あの! なにか困ってるんですか!」
“私で良かったら。力になります!”
────昨日未明 都内に住まう 北星奈々子さん(17)が行方不明となりました。
────奈々子さんは下校途中に忽然と姿を消したとされ、現在警察が誘拐という線も踏まえて周囲の捜索を…………。