ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
陽の光を反射し鈍く輝く刀身を一閃。
それだけで人間よりも大きな岩に斜めの“線”が走った。
一瞬後、岩は自身が切られたと認識したかのように音もなく滑り落ちる様に切断された。
余りに早く鋭い斬撃は世界の処理速度を一部超えていたのだ。
切断面は磨き上げられたガラスの様に美しく、キラキラと輝いている。
ミズガルズに存在するあらゆる加工技術を以てしてもここまで美しく鉱石をカットするのは難しいだろう。
ドンっという音を立てて上半分が大地に落ちたのを見て仕立て人である『勇者』は眼を丸くしている。
嘘でしょ? という顔で自分の手と岩を交互に見比べ、冷や汗をかいている。
召喚の儀より2日。
諸々の説明と、とりあえずのレベリングを終えた彼女は強くなった自分の力を試してみて───顎が外れる程に口を大きく開いていた。
「うっそ」と何度も彼女は繰り返し呟き、目の前の現実を受け入れきれていなかった。
北星奈々子
レベル 660
種族 人間
クラスレベル
【勇者】 660
HP 79000
SP 8800
STR(攻撃力) 5900
DEX(器用度) 5800
VIT(生命力) 6100
INT(知力) 5500
AGI(素早さ) 8000
MND(精神力) 5600
LUK(幸運) 8000
プラン・アリストテレスの提供した“果実”を半分ほど食した今の彼女の能力はこうなっている。
レベルこそルファスより低いが【勇者】による能力の伸び幅の大きさによって一部では彼女を上回る能力値だ。
残った半分を食せば更にレベルが跳ね上がる事は間違いなく、プランは彼女のレベルを1000に出来るだけの果実をクラウン帝国に供給していた。
まずは勇者のレベルを1000にし、その力の使い方を覚えてもらう。
それがプランとアルカスの出した一つ目の計画だ。
竜王には手を出せないまでも、奈々子には彼の勢力を削る事に尽力してもらうのだ。
ミョルニルを覆った巨竜【アイガイオン】の様な怪物を落とせば落とす程、人類は勝利に近づく事が出来る。
「うわぁ……」
彼女は切断された岩に近寄り、ピカピカの断面を撫でながら心底呆れたような声を出した。
自分でやった事ながら信じられないと言った様子である。
つい数日前までは普通の学生で、ファンタジーな世界は好きではあるが所詮は創作の中のお話だと思っていた彼女にとって現状は理解の外にあるとしか言えないのだ。
「…………」
ずり落ちた上半分の岩に左手を触れさせる。
もちろん岩は硬くゴツゴツしているが、少し力を込めれば奈々子の細い指は易々とめり込んでいく。
バキバキという粉砕でもしているような凄まじい音が鳴るが。彼女からすれば全く力を込めている感覚はない。
よく湿気を含んだ粘土に指を突き入れる感覚に近い。
全く抵抗などなく彼女の華奢な指は根元まで岩にめり込んでしまった。
もしもこれが人間の身体だったら? と考えてしまい奈々子は顔を青くする。
(……力加減の方法も教えてもらわなきゃ)
今までの感覚で人に接していたら大惨事になるかもしれない事を悟り奈々子は決心を抱く。
ため息を吐きながら指を埋め込んだ左手を動かすと何の抵抗もなく岩もろとも動いた。
数歩下がる。何の問題もなく数トンはあろう岩を引きずる事が出来た。
介護の手伝いをしていた時、祖母を持ち上げた事もあったが、あの時よりもずっとずっと軽かった。
ズズズズと大地に深い引きずった痕が残っているのを見るに岩の重さはどう見繕ってもトン単位であるというのにだ。
「うわぁ……」
先と同じ言葉を吐く。
我ながらドン引きである。
ナニコレ? 何でこんなにパワーが出るの? と。
腕の細さはおろか体重も変わらないというのに、漲る活力は以前とは比べ物にもならない。
今の奈々子は人間の形をした重機の様なモノである。
戦車……それでも足りない。
少女の姿をした戦艦、それが勇者である彼女に相応しい表現だ。
「あのリンゴ、本当にすごいモノだったんだ」
恭しく捧げられた黄金色のリンゴを思い出す。
“成金仕様の白雪姫”と内心で名付けたソレを食べるには抵抗があったが、現実はこれである。
ちなみに味は普通に甘くて美味しく、まだ半分ほど残っている。
いきなりレベル1000に跳ね上げさせるのは肉体的/精神的な負荷が高いと考えられた結果であり、それは今の奈々子を見れば的中したと言えよう。
身体能力が数万倍になっていつも通りに過ごせる者などいないのだ。
自分の掌を見つめて頭を捻る。
とりあえずまずは加減を覚えなくてはいけない。
うっかりの事故で人殺しなど絶対にごめんなのだから。
しかし誰に教わればいいか考え込んでいると背後から凛とした声が響く。
振り向くと黒い翼が特徴的の少女、ルファスがいた。
同性である奈々子から見ても魅力的な彼女は力強く笑いながら、奈々子の悩みを見透かした様に言った。
「力加減のやり方を知りたいか?」
「是非お願いします……!」
一も二もなく奈々子はルファスに縋る。
どうあっても自分だけでは解決できない問題である故に他者を頼るしかないのだ。
ルファスは一瞬だけ奈々子の必死な様子に眼を丸くしたが、直ぐに笑みを消した真面目な顔で頷き返した。
力加減というのはとてつもなく大事な技術だ。
力は支配するものであって、振り回されるものではないのだから。
彼女の手にはいまだにあの時の感触がこびりついている。
駄々を捏ねて払いのけた右腕。
バラバラに吹き飛んで行った彼の……。
あんなこと、二度と起こしてはいけないとルファスは心に誓っている。
自分もそうだが、他の誰かが同じ目に合うのも嫌だった。
自分が嫌な事は他人も嫌な事なのが大半であるのだから。
「まずは今の自分の全力がどれくらいかを知らないといけない。
自分が何処まで出来るか、何が出来ないか。それを理解するのが先決だ」
はい、と奈々子は素直に頷く。
確かに自分の事も知らないのでは、加減も何もあったもんではない。
しかし同時に自分の全力と言われて微かな恐怖も抱く。
全く本気を出さずに岩を引きずる今の自分が本気など出したら人間なんて一瞬で粉々ではないかと。
目の前で人が粉砕などしたら彼女は一生立ち直れないかもしれない。
まるで“ガリバー旅行記”だと奈々子は思った。
小人の国に迷い込んだようだ。
うっかり動くだけで周囲を壊しかねず、慎重にそーっと動かないといけないのだから。
「今の自分が本気など出したら何もかも壊しちゃいそうで怖い、と思っているな?」
「うん……」
これまた素直に同意する。
推察ではあるが、奈々子は今の自分の身体能力がこの異世界においてもかなりの上澄みだろうと理解し始めている。
何せ岩を切断した時から周囲の気配に明らかな怯えが混ざり始めているのだから。
「後はやっぱり皆の目線が少し……」
同年代というのもあり奈々子はルファスに心の内を少しだけ明かす。
怯えだけならまだいいかもしれない。
中には下卑た視線を寄越す者さえもいた。
特に白い翼の少年の取り巻き達、あれらは酷い。
彼らは聞こえていないと思っているかもしれないが、発せられた心ない囁きの内容を奈々子は全て聞き取ってしまっている。
強さだけが取り柄の木偶。
人間種如きが調子に乗るな。
勇者とおだてられて図に乗ってる小娘。
黒い髪が気に入らない。
たかだか十代のガキ。
まず天翼族ありき。
白い翼をもつ自分たちこそ何よりも至高。
彼らの中では勇者であっても天翼族ではない、翼をもたない時点で下等生物扱いなのだ。
傍から見たら異常極まりないが、彼らからすれば数万年単位で積み重ねられた常識である。
良くも悪くも日本ではほぼ向けられた事のない異質な悪意を受けた奈々子は居心地の悪さを覚えていた。
天翼族を代表するつもなど決してはないが、ミズガルズを誤解しないで欲しいとルファスは頭を下げる。
「すまない。彼らは……ただ、幼い頃からずっとそう教えられてきただけなんだ」
「あぁ……こっちでも昔はそういう風習があったなー……」
肌の色がどうのこうの、宗教が、国境が、言語が……そういった話は奈々子の住まう世界でもうんざりするほどに溢れている。
こっちでは種族やら翼の色やらでそういう話があるのかと奈々子はため息を吐いた。
「どこの世界でもこういう話はあるんだね」
何処かで思い描いていた夢と希望に溢れたファンタジーな世界の幻想が崩れていく音を聞きながら奈々子は言う。
生々しい差別なんて見たくなかったと少女はうんざりした顔になる。
そんな奈々子にルファスは何処か誇らしげに未来の希望を語って聞かせた。
「そう悪い話だけじゃない。
今のミズガルズは種族を越えて一つの大同盟が作られようとしている」
「遅い歩みかもしれないが、それでも変わろうという流れは出来始めているんだ」
七つの種族の全てが参加する大同盟──『人類共同体』
竜王に対抗するための連合であるが、将来的にこれはそれ以上の役割を持つことになるだろう。
一つの種に拘り狭い世界で完結していては見えないモノも多々ある故に共同体は多くの種に良くも悪くも新しい価値観を齎すかもしれない。
「さて、では行こうか。大丈夫、許可はもらってある。
……貴女の全力を出すにはマルクトは狭すぎるからな。少しばかり帝都から離れよう」
「掴まれ」と言いながら翼を大きく広げて手を差し出す。
金糸の髪を輝かせるルファスに奈々子は同性だというのにドキッと心臓が跳ねてしまった。
日本では決して見れない美しさに彼女は見惚れてしまいそうだった。
それに何より空中旅行である。
飛行機など修学旅行の時に乗った時くらいしか経験のない彼女にとってはとてつもなく魅力的な言葉だ。
ドキドキと高鳴る胸を自覚しながら彼女はルファスの手を握る。
「お、お手柔らかにお願いします」
「勿論。勇者様を落としなどしないさ」
背中と膝の裏に手を回し奈々子を抱え上げる。
俗に言う“お姫様抱っこ”という奴であるが、ルファスにそういった意図はない。
さも当然の如くそういうことを彼女はやってしまうのだ。
あ、すごい。本物のおひめ───。
奈々子が思考を回せたのはそこまでであった。
次の瞬間に彼女が聞いたのはドンという物体が音速を超えた際に発生する衝撃の爆音である。
全身に普段の10倍もの負荷がかかり、普通の日本人であったのならば鍛えた成人男性であっても一瞬で昏倒する圧力が彼女を襲った。
彼女の考える空中旅行はまったりと魔法の絨毯にでも乗ってロマンティックに飛行することであった。
しかし現実は戦闘機かロケットに括り付けられて打ち上げられるものだったのだ。
内臓がひっくり返るほどの衝撃であったが、それさえ何でもないのが逆に不気味だと彼女は思った。
1秒でルファスはマッハ50に到達する速度を叩きだしており、これでも全然本気ではない。
やろうと思えば更に加速を続け、本当に月まで飛べるのが今の彼女である。
一瞬で帝都が遠ざかっていく。
あれだけ大きかった街がドンドン離れていく。
それでもマルクトそのものの威容は中々に小さくならないのだから如何にこのメガロポリスが巨大か判るというモノだ。
雲を超え、幾つかの層を超え、あと少しで宇宙という所までルファスは到達する。
空気が薄いが高レベルの両者には何の問題もない。
更に極寒が彼女たちを包むが、少女が願うだけで金糸の先端の朱色が燃える様に輝き熱量を放出していく。
願う。彼女の身体はそれに答えて最適化される。
それだけでルファスの体温は平熱である36度台を維持し、寒さを感じる事はない。
勿論奈々子に寒い思いなどさせないように【サイコスルー】で熱量を掴んで周囲に留めておくのも忘れない。
“上”を見る。
仄かに真っ暗な世界を見て取ってルファスは眼を細めた。
この先にいけば、星座に近づけるのかなと微かに思ったのだ。
ぎゅぅぅぅとあらんかぎりの力で服を握りしめられてルファスは奈々子を見た。
いまの彼女の顔は……凄いことになっていた。
「ああ゛ああ゛あ゛ああぁぁ゛ぁあああ゛!」
「イ゛ェアアアア!!!!」
ガチガチと歯を鳴らしながら奈々子はルファスにしがみついていた。
落ちる、落ちる、落ちる。落ちたら死んじゃうと必死である。
勇者でありレベル660の彼女の肉体はこの程度の高さからの落下程度などなんてことはなかったが、今までの人生で培ってきた常識はそう簡単には変わらない。
人間は高所から落ちれば普通は死ぬ。
人が怖い所を怖がるのは「落ちたらどうなるか」を考えてしまうからかもしれない。
あちらの世界で例えるならば今の状況は生身で飛行機にしがみついているようなものだ。
「離さないでね! 絶対に離さないでね!?
フ゛リ゛じ゛ゃ゛な゛い゛か゛ら゛ね゛!゛!゛?゛?゛」
「大丈夫だ、大丈夫……。ほら、落ち着くんだ」
眼をぐるぐると回しながら鬼気迫る様子で叫ぶ奈々子にルファスは「少しやりすぎたかもしれない」と苦笑した。
彼女からすれば全然、全く、これっぽっちも本気など出してない飛行であったが向こう側の世界出身の者からすれば刺激的すぎたかもしれない。
何せプランからきいた話ではあちらの世界の人間は全員がレベル1から3であり、空を飛ぶのにも巨大なゴーレムを使わないといけないらしいのだから。
背中を摩ったり何度かポンポンと叩いてやる。
自分がまだ幼かったころ母がそうしてくれたように。
数分間そうしているとまだ震えてはいるが奈々子は多少は落ち着いたようだった。
「ハッハッ……はぁぁぁぁ……」
大きく深呼吸し脱力する。
皺になるほど握りしめられていた衣服からゆっくりと手を離した。
震えが収まり瞳に知性が戻ってくる。
「よしっ、よく耐えたな」
偉いぞとルファスは微笑みかけてやる。
奈々子は曖昧に笑いながら周囲を見渡し始めた。
絶対に落ちないという確信を得て安心したのか景色を観察する余裕が出てきたようだった。
ほぅとため息を吐く。
ミズガルズが丸く見える高度からの眺めは正に絶景であったからだ。
雲が下を流れている。地平の果てでは雷が大地に叩きつけられている様を上から見る事が出来た。
渡り鳥たちが群れを成して何処かに飛び去っていく光景。
想像を絶する程に高い樹木で形成された森。
地球と同じようでありながら決定的に何かが違う世界。
何もかも特等席から見る事が出来た。
「───きれい」
「あぁ……そうだな」
奈々子の呟きにルファスは同意する。
酷い事ばかりの世界だけど、理不尽が蔓延る地獄の如き顔を持つ世界だけど、それでも綺麗だと彼女は心から断言していた。
「今度は降るぞ。しっかり掴まっておくんだ」
返事はない。
代わりに奈々子はぎゅぅぅっと先ほど以上の力でルファスの服を握りしめた。
ジェットコースターもそうだが、こういうモノは上がるときよりも落ちる時の方が激しいと彼女は知っているのだ。
実際それは正しかった。
ルファス基準の“ちょっと”の速さによる落下はマッハ70にも及び、地面に衝突する寸前で急停止というどんなアトラクションでも味わえない急転落下だったのだから。
もちろん奈々子は今度こそ失神してしまった。
「ルファスが失礼しました。此度の無礼、伏してお詫び申し上げます」
そう言うとプラン・アリストテレスは深々と勇者に頭を下げた。
彼の隣でルファスも同じように反省している。
さすがに失神までさせといて何も思わない程に彼女の心は無情ではない。
更に言うと勇者は記念すべきミズガルズへの第一歩として嘔吐していたりする。
やりすぎた。心から彼女は反省し謝罪していた。
未知の空をのびのびと飛べるという解放感で気づかない内にどうやら羽目を外してしまったと彼女は自戒する。
そして肉体的には全く大丈夫の筈であっても、精神的に限界を迎えると人は意識を失うという事を彼女は知ったのだ。
「いえ! 大丈夫です!! むしろ送ってもらったのにそんな頭を下げないでください!!」
手を胸の前で振りながら奈々子は慌てた様子で返した。
実際、失神はしたが楽しかったというのも事実だったのだ。
生身で空を飛ぶなんて、向こうの世界では一生できないであろう経験は彼女にミズガルズという異世界に来たのだと実感させる一助にもなっていた。
はい、もうこのお話はやめにしましょう! と奈々子が断言すればプランは何も言えない。
【勇者】というのはとても権威ある存在であり、下手をしなくても彼の様な貴族はおろか、一国の王さえも凌駕する権威をもっているのだ。
何せ女神公認の代行者なのだ、彼女の言葉は女神のそれに等しく扱われて当然である。
つまるところ奈々子は自覚もなく、またあったとしても悪用することはないだろうが彼女の発言力や権威はとてつもないものがあるのだ。
「それはそうと……ここでやるんですか?」
「はい、終わり」という言葉を仕切りとしてあっと言う間に感情を切り替えた奈々子は周囲を見渡す。
果てしなく続く真っ赤な大地には岩が点在しており、僅かばかりの草はあれど木は殆ど見えない。
澄み切った空は眺めていると落ちてしまいそうな程に深い。
延々と続く荒野、それがルファスが彼女を連れて来た場所である。
ここは【マルクト】より約120キロほど離れた地、マッハ50を出せるルファスにとっては10秒もたたずに到着できる近場だ。
「この地は歴代の皇帝や偉大なる戦士たちが己の肉体を鍛え上げる為によく訪れたとされる由緒ただしき地となります。
これほどの広さがあれば貴女様とルファスの力の衝突にも堪え切れると判断しました」
意外かもしれないがルファスが奈々子を連れてきた場所は決してアドリブによって決めた場所ではなく、プランの用意していた修練場であった。
【一致団結】により道案内を受けていたルファスが奈々子をここまで連れてきたのである。
「…………」
奈々子の顔には不安が浮かんでいた。
ほんの少しの時間で変り果てた自分の肉体に対する不信と恐怖がそこにはあった。
レベル? まるでゲームの様にソレを上げるだけで肉体が人を超えて化け物になる?
普通の人間は岩など砕けない。
普通の人間はあんな速度で移動したら内臓がひっくり返る。
普通の人間は剣で岩を切断など出来ない。
(私は……)
ミズガルズを救う。
助けを求める人々の声に答える。
そこだけは自分の意思で決めた事であり、今更嫌だと言うつもりなどない。
その先だ。奈々子はその後を考えてしまった。
ふと、頭をよぎったのだ。
───竜王という悪者を倒したら、私はこの力をもったまま帰れるの……?
───そもそも、帰れるの?
最悪の想像に恐怖を覚えそうになり……今はそんな事を考えている時ではないと頭を振って弱い考えを追い出す。
するとそれらはあっという間に鎮静化した。
心が凪になり、奈々子は頭を小さく振ってからプランを見て、次にルファスを見る。
やると決めたら全力でやる。
それが彼女のいい所であった。
「よろしくお願いします!」
「勇者様にはこれからここでルファスと模擬戦をしてもらいたいと思います。
……もちろん、自分が最大限フォローしますのでご安心ください」
大仰にいいましたが要はチュートリアルですね、と締めれば奈々子は頷く。
ルファスと向き合って距離を取ると彼女は紅い外套を脱ぎ捨てる。
金髪を後ろで結わえ、動きやすい準備をあっという間に整えた。
いつの間にか彼女の顔には笑みが浮かんでいた。
勇者と模擬戦と言う前代未聞の経験であり、正直な話ワクワクしていた。
血潮が湧きたつが、決して呑まれない様に気を付ける。
自分は魔物だ。
が、しかし私はルファス・マファールだ。
この程度、ねじ伏せてやると意識を強く保てば衝動は胸の奥底に沈み込んでいく。
「遠慮はいらない。信頼できる立会人がいるのもあるが……私は強いんだ」
ふふんと胸を張って彼女は宣言した。
これはルファスにとっても初めての経験である。
ホース・イーター達とは戦いにさえならなかった、プランとのソレも今となっては軽くあしらわれていたのがよく判る。
模擬とはいえ『戦い』というものを彼女は初めて行うのだ。
しかも相手は“勇者”であり不足などない。
「今回自分は勇者様のフォローに回るよ。
とりあえず、彼女が身体の動かし方に慣れるまではスパーリング形式でお願いしたい」
いきなり本気を出しちゃダメだからね?
と言われればルファスは唇を尖らせて「判ってる」と返してから薄く笑った。
「スゥゥウ………」
10歩ほど距離を取った奈々子が瞑目しつつ深呼吸する。
完全に落ち着いてから瞼を開ければ───鮮やかな蒼色にソレは輝いていた。
その瞳を見た瞬間、ルファスは一切の油断を捨て去り『勇者』北星奈々子を前に拳を構えるのであった。