ラスボスからは逃げられない!   作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)

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“勇者”からフレンド申請が来ています。

 

 

ルファスが身構えると同時に奈々子もまた両手で拳を作り、まるで【グラップラー】の如く脇を閉じて戦闘態勢へと移った。

平時は黒い筈の奈々子の瞳は蒼く輝いている。

今の彼女はプランの【一致団結】により半ば操作された状態であり、動き方一つとっても恐ろしく高次元で洗練されたものへと変わっていた。

 

 

 

プランは限られた時間の中で奈々子に出来る最高効率の特訓を行っていた。

手取り足取り等という次元を通り越して文字通り“身体で覚えてもらう”稽古である。

神経を刺激し、動きの一つずつを心身に刻んでいくやり方は負荷が高いものであるが勇者であるならばその程度は問題ないのだ。

 

 

 

何より北星奈々子には戦闘の才能がある。

平和な世界では本人も気づかず一生を終える筈だった原石が彼女には眠っており【勇者】に選ばれた一因でもあった。

 

 

 

タンっと奈々子が大地を軽やかに蹴る。

羽毛の様に少女の身体は舞い、ルファスへと迫った。

瞬間、少女の翼が総毛立ち本能が危機を告げた。

 

 

ホース・イーターなどとの戦いでは決して感じられなかった本当の脅威/戦いの中で感じ取れるスリルだ。

 

 

 

(来るっ……!)

 

 

 

応じてルファスの意識も完全に戦闘のソレへと切り替わり、腕を交差して防御の構えを取った。

 

 

 

右。ワン。

左。ツー。

 

 

 

パン、パンと鋭いジャブがルファスの腕へと叩きつけられた。

超高速の二連は大気との摩擦で赤熱しており、火花が散る。

ジクリと防御した個所に鈍い痛みが走る。

 

 

 

「っっ……!!」

 

 

 

痛みはどうでもいいが、ルファスはプランが本気だと察してこの戦いにおける意識を一段階上の領域へと引き上げた。

今まで何処かにあった模擬戦だからという甘えが急速に引っ込んでいく。

 

 

 

“プラン・アリストテレスは本気で北星奈々子を鍛え上げようとしている”

 

 

 

その事実をルファスは否応なく突き付けられ……心から喜びを抱いた。

口元がにやける。翼が歓喜を表す様に震えて止まらない。

 

 

 

だってそうだろう?

あまり世間に詳しいと言えないルファスでさえ勇者を鍛える等と言う行為がどれだけ重要かは判っている。

何せ人類の未来を託す救世主なのだから、もしもそれが敗北などしたら数えきれない程の人々が絶望することだろう。

 

 

 

そんな重役を自分に託してくれたということが嬉しい。

今、自分は彼の役に立っている。

その事実を認識するだけでルファスの気分は果てしなく高揚していく。

 

 

 

 

「暫く防御と回避に専念してほしい。

 まずは彼女に攻撃時の身体の動きを覚えてもらいたいんだ」

 

 

 

瞬間、ルファスの頭の中ではかつて聞いたプランの教えが再生される。

あの時は自分より強い奴など存在しないと馬鹿にしていたが……。

 

 

───強敵や実力が拮抗している相手と戦う時、攻めるのも勿論大事だけど守るのはそれ以上に重要な事なんだ。

 

 

 

───怪我を負えば痛みで動きが鈍る。その隙に攻め崩されてしまう事も多々ある。

 

 

 

───特に実力が伯仲している時は長期戦になりやすいからね。だから隙が出来るまで耐えるのも戦術の一つなんだ。

 

 

 

 

ルファスは理解した。

これは奈々子の特訓だが、同時に自分の復習でもあると。

レベル800という高みには至ったが、未だ戦闘技能はプランに遠く及ばない自分にとって、この戦いは正しく僥倖だ。

 

 

 

「判った!!」

 

 

 

叫ぶように返事する。

口角が上がってしまい声が少しだけ上ずってしまった。

 

 

 

返答の後、プランと会話している間とまっていた勇者が動き出す。

彼女は無駄な音も力も隙さえなく踏み出す。

 

 

トンっと砂埃一つ上げず、彼女の爪先は完全なる効率で勇者の身体を前方へと打ち出した。

 

 

 

正しく完成された武術の一端だった。

ただ闇雲に武器やスキルを振り回しているだけの戦士では決してたどり着けないスキルやステータスに表記されていない技術の極致。

そしてルファスは瞬き一つせずソレを観ていた。

 

 

 

防御/回避するためであったが、それ以上に盗む為に。

プランの持つ多種多様な技術を一つでも会得しモノにするのだと彼女は決めていた。

 

 

 

腰を捻り右の拳が付きだされる。

腕だけではなく全身を流動的に使って放たれる正拳突きはルファスの視力であっても捉えるのは難しい。

竜になりかけていたホース・イーター達の動きは欠伸がでるほどにノロマだったというのに、勇者の拳は捉えるのがやっとであった。

 

 

 

 

故にルファスは願った。

見切れるようになりたいと。

彼女の身体は主の要望に応え始める。

 

 

 

 

(受けちゃダメだっ)

 

 

 

瞬間的に察する。

彼女のVIT(生命力)は5700。

対して勇者奈々子のSTR(攻撃力)は5900。

 

 

 

200しか変わらないじゃないかと思うだろうが、数値で上回られている以上、無傷とはいかない。

しかも相手はプラン・アリストテレスが操作しているのだ、クリティカル判定を乱打してきてもおかしくはないとルファスは悟った。

右翼のみに意思を送り付ける。飛行こそしないものの、浮力を発生させて右へと回避を選ぶ。

 

 

 

ピンッと先端まで伸び切った右翼が強すぎず弱すぎない浮力を発生させてルファスの身体を引っ張り込んだ。

ルファスは左の爪先で大地を蹴り、軽やかなステップを刻んで奈々子の拳を躱した。

シュっという拳が空気をかき分けて真空を発生させながら2万分の1秒後に彼女がいた空間を殴りつける。

 

 

 

空中で凍り付いた様に拳が停止し、纏っていた衝撃だけが前方へと射出される。

衝撃波が発生し、それは大地を抉り取りながら彼方にあった大岩を木っ端みじんに砕いた。

もしも直撃していたらルファスであってもかなり痛かったであろう一撃であった。

 

 

 

「……」

 

 

 

大規模な破壊を齎した奈々子の顔に表情はない。

決して自我が奪われているというわけではなく、一度意識を切り替えた以上、やれるところまでやってみようと彼女は決意していたのだ。

それでも「もしもこの一撃が当たっていたら」という不安が微かに瞳の中に浮かび……ルファスは叫びかけていた。

 

 

 

「大丈夫だ! さっきも言ったが、私は強い!!!」

 

 

「思いっきりぶつかってくるんだ!!!!」

 

 

 

壮絶に笑う。

攻撃こそ許可されていないものの、防衛戦の良い修行になると彼女はこの試合を楽しんでいた。

心臓が高鳴る。血流が加速し、頭はかつてない程に冴えわたった。

 

 

 

 

考える。

どうすればもっと上手く防御できる?

どうすればもっと上手く躱せる?

 

 

無駄を削ぎ落すのも大事だが、時にはあえて無駄を残し、戦闘の推移そのものを支配することを意識するのも大事だ。

 

 

 

 

(あぁ……いるじゃないか!)

 

 

 

見つけた。

判ってしまったら何とも簡単な話だった。

身近な存在に居るではないか。

 

 

 

最強の防御能力を持つ、最高の守護者が。

 

 

カルキノス。

ルファスの知る限り最も硬い男。

誰よりも強い肉体と心を持つ人より人らしい魔物だ。

 

 

 

 

瞼の裏に思い浮かべる。

あの夜の記憶を想起するのは苦痛が伴ったが、それでもやる。

痛いから、怖いからと言って眼を逸らし続けるのはルファス・マファールの在り方ではないから。

 

 

 

ルファスは彼の様に快活に笑った。

今の自分はカルキノスだと彼女は自己暗示を繰り返す。

 

 

 

勇者の拳が迫る。

地平を抉る威力が籠った一撃だ。

三度目の攻撃にルファスは鋭くその一撃を観察し続ける。

 

 

 

すると徐々に速度が変わり始めた。

世界が断続的に切り刻まれ続け、彼女の体感時間は調整されていく。

最初は何とか見切れたソレがかなり早い程度に落ち、ルファスは冷静にソレに対して対処した。

 

 

 

左の裏拳で勇者の拳を軽く叩き、軌道を僅かにずらす。

そして微かに空いた隙間に己の身体を潜り込ませ、両手で奈々子の腕を担ぐように掴む。

大事なのは力の流れを意識することだとルファスは彼の教えを思い出していく。

 

 

 

相手の力に自分の力をぶつけて倒すのもまた一つの強者の在り方だろう。

実際やろうと思えばルファスはそう戦う事も出来る。

これは俗に言うねじ伏せる戦いだ。

 

 

 

が、どうせ戦うなら楽して勝つべきだとも彼は言っていた。

一対一の戦など滅多にあるものではなく、基本は多数と多数のぶつかり合いの中における連戦の内の一つだ。

次の戦いが迫っているのに、一つの戦に全力を出していたらキリがないのだから。

 

 

 

 

だからルファスは楽をした。

奈々子が完璧かつ美しいモーションで拳を突き出すというのならばソレを利用してやるだけだ。

 

 

 

奈々子の身体が宙を舞う。

ルファスに背負い投げされた彼女は自分の脚力とルファスの腕力をあわせた速度で空の彼方にクルクル回りながら吹き飛んでいく。

見事なまでに決まった受け流しであるが、ルファスは決めさせてもらったのだと悟っている。

 

 

普通の相手ならばともかく相手は勇者の身体能力を使いこなすプランだ。

何が起こるかわかったものじゃない。

 

 

 

(……っ)

 

 

 

ほぉら、当たり前の様に彼女は空中で器用に体勢を整えると25回ほど回転してから綺麗に両足で着地してしまった。

両腕を「Y」の字に伸ばしきった奈々子はもしも彼女の世界であったのならば金メダル間違いなしの美しいフォームだ。

 

 

表情一つかえず奈々子はルファスをじっと見ている。

しかし眼の奥には隠し切れない興奮があった。

ファンタジーの世界でとんでもない力を振るう……ようやくその事実を彼女は飲み込み始めていた。

 

 

 

北星奈々子は女神アロヴィナスが選んだ“勇者”である。

女神が相応しいと判断したのは相応の理由がある。

善性の人物であるというのも勿論であるが、女神のお眼鏡に叶ったのは他の理由もある。

 

 

 

無償で人助けをする素晴らしい善意。

眠ったまま消えてなくなる筈だった戦闘の才能。

いきなり異世界に放り込まれても何だかんだ言って適応する図太さ。

 

 

 

そして何よりも───北星奈々子はこういう夢のある世界が好きだった。

誰だって老いて死ぬ。

どんなに素晴らしいスポーツ選手であっても、政治家であっても、何なら軍人であっても最後はよぼよぼになって死ぬ。

 

 

祖母の介護でソレを理解してしまった彼女は、いずれ自分も老いてそうなると考え……嫌だなぁと何処かで思ってしまったのかもしれない。

 

 

夢を彼女は求めていたのだ。

簡単に言えば奈々子は楽しんでいた。

恐怖はいまだにあるが、想像を超えた力を発揮する自分の身体が何処まで行けるかワクワクしているのだ。

 

 

 

女神は自分の作った世界を楽しんでもらいたいと考えている。

彼女は己のミズガルズを心から誇っていた。

 

 

 

“どうですか? 私の世界は綺麗でしょう”と女神は言うのだ。

 

 

 

誰しも一度は考えた事があるはずだ。

代り映えのない世界で過ごすのではなくて、魔法やら竜やらが出てくる空想の世界に旅立ち、空を飛んだりとてつもなく強い力を振るってみたいと。

いま、彼女の夢は叶っていた。

 

 

 

 

「行くよ」

 

 

 

「来い」

 

 

 

ルファスにしがみつき叫んでいた少女とは別人と思える程に鋭い声で勇者は宣誓し、ルファスもまた一歩も退かずに答える。

 

 

 

ぶつかり合う気迫は模擬という次元を超えたモノ。

空気が震え、周囲10キロ圏内の動物を始めとしたあらゆる生物が少しでも二人から離れようと逃げ散っていく。

プランだけは奈々子に【一致団結】を繋げながら、彼女の中で明確に何かが変わろうとしているのを認識していた。

 

 

 

力を使う事への恐怖を穏和させる。

その目的は果たされつつある。

 

 

 

 

奈々子が一歩を刻む。

あえてプランは【一致団結】を通じて彼女を操作しなかったが、奈々子は先にプランが補助していた時と同じ動きを独力で再現していた。

たった一回の身稽古で奈々子は熟練の戦士が数年、数十年の年月を経て身につける技術をモノにしかけている。

 

 

 

【瞬歩】を使っていないというのに彼女の身体は瞬間的に加速しルファスに迫る。

右腕から放たれるのは三連続のジャブ。

普通の試合では小手調べ、様子見の範疇でしかない動作でも『勇者』が使えばそれだけで並の魔物を粉々に砕きかねない暴力である。

 

 

 

かの魔竜ノーガードでさえ大きく跳ね上がる威力を持つソレをルファスはぎりぎりで回避する。

髪の毛が数本もっていかれたが代償にルファスの瞳は勇者の戦闘速度をほぼ見切り終える事が出来た。

 

 

 

最適化終了。

 

 

この瞬間、ルファスの戦闘能力/身体は更に一段階上の領域へと指をかけた。

良くも悪くも対等の存在がおらず、燻ぶっていた身体は勇者という格上の存在を前に更なる向上を開始した。

 

 

元より当たる等とは思っていなかった奈々子の判断は素早かった。

呼吸を整え、右足を一歩大きく踏み込む。

ズンという重低音を発し、足が大地にめり込む。

 

 

右足を軸に重心が一気に傾く。

全体重と勢いを乗せ、奈々子は一切の躊躇なく技を繰り出す。

【スキル】という概念を彼女は既に習っており、その使い方は今知った。

 

 

 

翳されるのは左手───その掌だ。

 

 

 

【剛・川掌】

 

 

 

かつてラードゥンがベネトナシュに叩き込んだ【極・発勁】の下位互換の技である。

さすがに彼の様に惑星の形を弛ませるほどの威力はなかったが、それでもレベル400程度の竜ならば全身から血を噴き出して絶命する威力が乗っていた。

相手の防御を無視して体内に直接破壊を叩き込むスキルがルファスに迫る。

 

 

 

 

マズイ、と判断した彼女の動きは速かった。

奈々子の掌に宿る不可視の“破壊”を感知した彼女はアレに触れたらまずいと瞬時に理解する。

プランがいる手前、死ぬことはないだろうが……貰えば負けるだろう。

 

 

 

 

負ける。

たった三文字の言葉をルファスは嫌っている。

否、大嫌いである。

 

 

 

今更の話であるがルファスは負けず嫌いなのだ。

彼女は自分だけが持っていて奈々子にはない器官を用いることにした。

即ち、天翼族の象徴たる黒い翼を。

 

 

 

翼が蠢く。

羽根がざわめきマナを纏った後、繭の様にすっぽりと身体を包み込む。

そして少女は勇者の【剛・川掌】を重ね合わせた翼で受けた。

 

 

 

インパクトの瞬間、世界から音が消えた。

とてつもない破壊力と想像を絶する防御力が激突した結果、拮抗した力は周囲1キロ圏内の空気を吹き飛ばし、雲を千切り飛ばすに至る。

マルクトでこんな事をしていたら都市区画が丸ごと吹き飛びかねない衝突だ。

 

 

 

結果、黒い盾は勇者の一撃を完全に受け止めていた。

大地を割る程の破壊を受けながらも内部のルファスは未だに健在。

 

 

 

羽根が舞い上がり、軋んだ骨格からメキという嫌な音がして痛みが走る。

しかしそれだけだ。

攻撃を受け止めた瞬間から黒翼は再生/適応を開始しており、更には表面に纏ったマナは瞬時に【サイコスルー】へと変換されていた。

 

 

 

 

数年前、まだルファスが話にもならない程に弱かった時の話。

プランはルファスの全霊の攻撃の“破壊力”を【サイコスルー】でつかみ取って投げ捨てた事があった。

もちろん忘れてなどいなかったルファスはこの土壇場でソレを自己流で再現したのだ。

 

 

 

【剛・川掌】がその威力をさく裂させた瞬間。

僅かな傾斜をつけて展開されていた黒翼壁は一点に叩き込まれる筈だった破壊力を拡散させ、翼の表面をなぞらせながら受け流したのだ。

 

 

 

「っ……!」

 

 

奈々子は見た。

僅かに開けられていた覗き穴から窺うルファスの瞳が恐ろしいほどまでに輝いているのを。

真っ赤で綺麗な瞳がじっと見ている。

あれだけの力の衝突があった後だというのに欠片も動じていない眼。

 

 

ルファスはただ自分を見つめている。

冷酷な猛禽類の様な瞳で。

 

 

ゾワリと背筋を冷たい恐怖が走る。

それは【勇者】としての直感か、はたまた花開きつつある戦闘の才が告げるものか。

模擬戦とはいえど、自分はいま、殺し合いをしているのだと理解し───操演の糸が切れた。

 

 

 

抑圧されていた精神が解放され、奈々子は勇者から何処にでもいる十代の少女へと戻った。

ペタンと尻もちをついてしまい、彼女は荒い息を吐き出す。

ルファスをして強敵と思わせた勇者はただの女の子に還った。

 

 

 

「ハッハッ、ぜ、ハ、ぁぁぁぁ……!」

 

 

 

呼吸が収まらない、全身から一気に汗が噴き出す。眩暈がした。

一秒が何時間にも感じられる圧縮世界での戦闘は相応に精神および身体的に負荷がかかるものである。

極限まで己の全てを研ぎ澄ませて戦うという行為は言わば命を燃料にしているようなものなのだから当然といえよう。

 

 

そんな行為を平然と行い続けるベネトナシュが如何に凄まじいか伺える話でもあった。

どれだけ才能があろうと、どれだけ身体能力が優れていようと、北星奈々子はつい最近まで戦いとは無縁の子供だったのだからこれは仕方ないと言えた。

 

 

 

プランの補助を失い、活性化させ過ぎていた脳の物質が収まってくると奈々子はとてつもない虚脱感に襲われてしまう。

足腰に力が入らず立てない。

眼をぐるぐるさせて半ばパニックになりつつあった彼女に手が差し伸べられる。

 

 

 

「落ち着くんだ。ほら、私の言葉の後に動作を繰り返して」

 

 

 

目線だけを向ければルファスがいた。

彼女は穏和に微笑みながら奈々子に手を差し出している。

ゆっくりとソレを掴んで握りしめると暖かった。

 

 

何度かにぎにぎと指を動かすと少しだけ気分が落ち着く。

 

 

 

「吸って」

 

 

 

肺の中の空気を全て吐き出す。

涎が零れたが気にしてられない。

 

 

 

 

「吐いて」

 

 

 

何もかも吐き出す。

ひっひっと何度かしゃっくり上げて中断されたがルファスはただ見守っている。

 

 

「ひぃぃぃぃ……」

 

 

 

何度か深呼吸を繰り返し平静に戻った奈々子は今度こそ本当の意味で力が抜けたのか、情けない声を上げて仰向けに倒れ込んだ。

 

 

 

「ほんっっっとにルファスさん、強かったぁ」

 

 

 

「プランさんも何か凄い超能力で私を助けてくれて……」

 

 

 

眼だけ動かして奈々子はルファスを見た。

同性でもほれぼれする程の美少女だと改めて思いながら彼女は聞いた。

 

 

 

「実はルファスさんが勇者とかないです? 

 すっごい堂々としてるし、強いし、かっこいいし……」

 

 

 

「ははハハハ。こんな黒い翼の勇者はいないだろうよ」

 

 

 

奈々子の言葉に乾いた笑いでルファスは返した。

近づいてくるプランに手を振りながら彼女は言う。

 

 

 

「私は貴女ほど器が大きくはないさ。

 ……自分の手の届く範囲を守るので精一杯なただの小娘だよ」

 

 

 

「……こんなに優しい人なのに?」

 

 

 

 

呟く。本当に心の底から。

良くも悪くも北星奈々子は異世界人でありミズガルズの風習の事など全く知らない。

彼女にとってのルファスは年代が近い女の子であり、色々と世話を焼いてくれるいい人である。

 

 

 

黒い翼に対しても綺麗でかっこいい程度にしか思わない。

しかも強くて美人。実は年下だと知って心から驚いたモノである。

性格も優しいとくれば、もうルファスが勇者でいいんじゃないかと思ってしまうのも無理はない。

 

 

 

試しに石を拾い上げて握ってみる。

すると、先ほどまでなかった感覚が頭の中に産まれている事を悟った。

そのスイッチをオンにしてから石を握ると───微かにヒビが入るだけだ。

 

 

まず第一歩。

彼女は力加減のやり方を理解しつつある。

後は何度か模擬戦をこなし、自分の身体を完全に理解すればモノにできるだろう。

 

 

 

 

「ルファスさん」

 

 

 

ん? と頭を傾げるルファスに奈々子は改めて言った。

こういう事はしっかり伝えなさいと両親からしっかり教育を受けてきたのだから。

 

 

 

 

「今日はありがとうございました!」

 

 

 

「……あぁ、どういたしまして、だな」

 

 

 

今後もご指導よろしくお願いしますと奈々子が続けるとルファスは何とも言えない感情を抱いてしまう。

リュケイオンの自分を慕ってくれる者達とはまた違ったタイプの──ミズガルズでは本当に珍しい純粋な善人だ。

 

 

 

そして心からの善意と好意を向けられてなお反発を繰り返していたルファスはもういない。

彼女は微笑みながら奈々子に優しく語り掛けるのだった。

 

 

 

 

「こちらこそよろしく頼む。勇者ナナコ」

 

 

 

 

朗らかに笑いあう少女たち。

天を震わす力を振るえる事を除けば何処にでもいる同年代の友の語らい。

ルファスにとっては初めてできた同年代の友達だ。

 

 

そんな二人をアリストテレスはじっと見つめていた。

彼らの勇者を見る目に慙愧が満ちていた事に気づけたのは誰もいない。

 

 

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