ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
帝都マルクト。
自分の為に用意された極上の部屋の中でルファスはぼやいていた。
椅子に腰かけ、テーブルに両手で頬杖を突きながら少女は半目で虚空に向けて呟いている。
ムゥゥゥと唸る彼女は不機嫌さを隠そうともしていない。
髪の先端が微かに朱色に輝きルファスの内で燻ぶる思いを代弁していた。
勇者との戦いにおいて自分の中にある闘争本能を理解したまではよかった。
だが決着がつかずに終わってしまったことに対してルファスは苛ついていた。
あの後、アルカス帝の乱入と彼が持ってきたとある“依頼”により模擬戦は中断されてしまったのだ。
例えるならば最高のご馳走に噛り付こうとしたらかっさらわれた様な、人によっては流血沙汰に発展してもおかしくはない気分である。
昔の彼女ならばアルカスに食って掛かっただろうが、そこはプランの手前、何とか取り繕えたのだ。
あの後の展開を考える。
勇者の理不尽なまでの強スキルの数々にどう立ち向かうかを。
【エクスゲート】を最大限活用し、どう立ち回るかを考え……勝ってたはずだとルファスは判断する。
「あのまま行けば私が勝ってた……と思う」
「いや、勝ち負けはこの際どうでもいいんだ。決着がつかない……これが一番、もやもやする」
最高の戦に水を差された不満を我慢する事など出来なかった。
勇者奈々子との戦いはそれほど楽しかったというのに、肝心の決着はお預けときたものだ。
白黒はっきりさせるのが好きなルファスに取ってこれは敗北よりひどい結末である。
ベシベシと翼が上下に動き、プランを叩く。
しかし二度、三度と彼の胸を叩いた後は直ぐに大人しくなった。
後は何かを待つように動きを止め、微かに羽根を震わせている。
バサバサ、バサバサ、バサササササ……。
早くしろ、早くしろと急かす様に動く翼を見てプランは苦笑しながらブラッシングを行う。
木製の特別なブラシは天翼族の為にプランが製作し、ヴァナヘイムに売り込んでいた商品の一つである。
適度に硬く、柔らかいソレを用いれば翼全体の血行が良くなる上に、筋肉の緊張を穏和させることも出来る逸品だ。
勇者との戦いなどで翼が疲弊した彼女は模擬戦に付き合う代価として、黒翼のブラッシングを要求したのである。
勿論クラウン帝国には天翼族の翼を専門に手入れする者達も存在する。
当初プランはそちらに依頼しようとしたのだがルファスが見知らぬ者達に翼を触られることを断固拒否した結果、彼が翼の手入れを行う事になったのだ。
付け根から先端まで丁寧にブラシを動かせば、ルファスは余りの心地よさに声を漏らしそうになるが、何とか堪えた。
少しでも気を抜くと襲い掛かってくる眠気に対抗するために彼女は忙しなく舌を動かし続けた
「ぅ、ん……本当に、いきなり過ぎる、いくら皇帝だからといって……」
「どうしようか?」
勇者とルファスの戦に割り込んだ彼は二人にとある依頼をしてきたのだ。
アルカスの依頼はとても単純なものであった。
マルクトより少し離れた位置にある山に魔物が住み着いたから退治してくれというものだ。
どうやらかなり強い魔物らしく、軍を出すかどうかで揉めている時に勇者やルファス、そしてプランという規格外の戦力が現れたのは彼にとって僥倖だったに違いない。
そういえばマルクトを見下ろした時、彼方の火山から嫌な感じがしたことをルファスは思い出した。
始めての勇者らしい仕事に奈々子はやる気に満ちていたが、この話に裏がある事に二人は気が付いていた。
要は“箔付け”であると。
帝都の近くに巣食った巨大な魔物を勇者が倒す。
きっと多くの人々には新しい英雄譚の始まりに見える事だろう。
そしてその勇者を召喚し擁護しているのはクラウン帝国である。
人類共同体と言う同盟において発言力を増やすには十分すぎる要素だ。
これは案外ルファスにとっても悪い話ではない。
あくまでも彼女は勇者の付き添い、主役を輝かせるためのわき役として扱われるだろうが、彼女としてもそれは望む所だ。
もはやルファスに野心はない。
今の彼女にとって自分の力を目当てにすり寄ってくる者達など、ただの部外者でしかなく、面倒を見る気などない。
ただプランたちとリュケイオンで平穏に生きていく、それこそが彼女の願いなのだから。
「受けるかい?」
「……まだ考えてる途中。
それはともかく、私の力のこと普通にバレてたな……いいの?」
「アルカス陛下は信頼できる御方さ。
どのみち全員に隠しきれるものでもなかったからね」
将来の事を考えておくに悪い話ではないよとプランが言えば、ルファスは微睡つつ考える。
クラウン帝国は超大国で、ミズガルズに無くてはならない人類の基盤の一つだ。
だが……自分ならこの国を壊せるとルファスは客観的に分析している。
何も暴れ回るだけじゃない。
そんな無駄な事をするよりもっと手っ取り早い方法がある。
街のど真ん中で【威圧】を全力で行使すればマルクトの国家機能を破壊できるのだ。
勿論そんなことをする気は彼女にはない。
だが「出来る」というだけで立派な抑止力になる。
(長い付き合いになりそうだからな……良い様に利用されるのだけは避けないと)
リュケイオンから動くつもりなどないルファスであるが、完全に外界との接触を断つのは不可能であることも知っている。
自分の戦闘能力は“四強”に次ぐものであり、立派な交渉材料になりうるのだと考え、そんな未来が来なければいいと思った。
人類の為だの、世界の未来だの、そんなことは彼女には重すぎる事だった。
勇者というプロがいるのだから、そっちに任せておけばいい。
奈々子はいい奴だ。彼女ならきっと世界を救ってくれるだろう。
ブラシが動く。
羽根の一枚一枚を労わる様に丁寧に梳かれ、ルファスの瞼が落ちてくる。
母にされてもらう時とは違った心地よさであった。
ただ梳くだけではなく、時折指圧でツボを突いてコリを解されればルファスは頭を上下に振りだした。
どれだけ瞼を見開こうと、次の瞬間には落ちてくる。
慣れない地に来た精神的な負荷、勇者との模擬戦でたまった肉体的な疲労が一気に溢れて来ていた。
(…………)
安心できる。
眠い。
心地いい。
眠い。
ズルイ。
眠い。
もっとやって。
ルファス・マファールは翼から送られてくる心地よさに屈しそうになっていた。
ミズガルズ広しと言えど、これほどの腕前を持つマッサージ師はいないと彼女は思いながら半ば眠りについてしまった。
控えめに言って最高の贅沢であった。
プランは【観察眼】を使用し、左右に揺れ動く翼をざっと見やる。
勇者との戦いで盾代わりに使用したソレはやはりというべきか所々に浅い傷がついていた。
指先に【ヒール】を収束させ、傷を治しながら翼専用の油をしっかりと塗ってやる。
曲がったり欠けたりしていた羽根を抜き取ってやり、隅々までオイルを塗っていく。
するとあっと言う間にルファスの翼は光沢ある立派な黒翼へと早変わりである。
出来栄えに喜ぶように翼が震えた後、シュンと脱力して垂れ下がる。
「終わったよ」
「…………ん」
反射的な返事ではあったがそこに意思はない。
完全に寝落ちしてしまったルファスは背中の重みに引っ張られる形で倒れ込み、プランは受け止めた。
スースーと微かな寝息を立てたルファスに起きる気配は一切ない。
今まで本当に疲れが溜まっていたのか熟睡であった。
無理もない。
産まれて初めての全力での戦いは彼女が思っているよりも疲れるモノなのだから。
「本当にお疲れ様」
聞こえていないだろうが、感謝を伝える。
ルファスは変わらず、笑っているようなあどけない寝顔のままだ。
マルクトに来てから彼女には負担をかけっぱなしであったと少し反省しつつプランは彼女をベッドに運ぶのであった。
「おやすみ」
彼の言葉にルファスは眠りに落ちながらも微かに微笑むのであった。
「アリストテレス卿」
部屋を出たプランを出迎えたのはアラニアであった。
彼はいつも通り感情の薄い顔でプランを見つめていた。
ユーダリルの時より数えて彼とこうして顔を合わせるのは2年ぶりになる。
無機質な瞳に対してプランは微笑みかけながら話しかけた。
「お久しぶりです。ここでは何ですから少し歩きましょうか」
「ああ」
頷き、歩き出す。
懐に手を入れた彼は小さな箱を取り出してプランの前に差し出した。
【観察眼】を用いてプランはソレが以前ヴァナヘイムに赴いた時に天翼族の兄弟が使っていた爆弾と同じモノであると直ぐに見抜く。
つまり、またということだ。
プランの瞳から急速に熱が失われていく。
アラニアがよく知る無機質/無慈悲な昆虫の様な瞳に戻っていく。
そんなアリストテレス卿に彼は説明した。
「何者かが我々の滞在する施設に仕掛けようとしていた。
ご丁寧に、混翼の天翼族の仕業に見せかける為の工作までして」
声そのものは無感情であったが何処かうんざりした調子でアラニアは言う。
よりにもよってクラウン帝国の帝都でこのような事をするとは、想像を絶する愚かしさだと。
普通ならばあり得ない事だ。だが、それをやるのが天翼族の白翼信仰なのだ。
思い出すのはメラクの取り巻き達がルファスに向けていた侮蔑の瞳と囁き。
だがメラク本人がそういうことをするとは思えなかった。
良くも悪くも彼には主体性がなく、破壊工作などといった大それたことが出来る質ではない。
腹芸はまだ覚えていない子供なのがメラクだ。
もしも事が起こればストレスで倒れてしまうかもしれない。
だが独断というのはあまり考えづらい。
しかしメラクが指示するとも思えない。
と、なると……最初からヴァナヘイムはそれが目的であったのかもしれない。
プランには一人いた。
天翼族の権利者で、今は微妙な関係の人物が。
あの夜から一度も顔を合わせていない男。
娘と妻に本当の意味で捨てられた哀れな人を。
「心当たりは多々ありますね」
「だろうな。天翼族からすれば君は目障り極まりない存在に映っている事だろう」
天翼族は他の全てを見下している。
自分たちこそがミズガルズ最古の人類種、最も女神に愛された種だという信仰は彼らの根幹だ。
一応外面を取り繕う事は出来るが、それでも数万年も受け継がれてきた優生思想はもはや彼らの常識なのだ。
そんな彼らにとってプラン・アリストテレスというのは身の程知らずに見えている事だろう。
たかが1000年と少し程度しか歴史がない人間如きが、わが物顔でミズガルズ中を飛びまわり、多くの種を結び付け、大同盟設立の立役者になる?
更には産まれるべきではなかった醜い翼の者達に居場所を与える?
ルファス・マファール等と言う汚物に分不相応な力と立場を与えるなどどうかしていると彼らは思っている事だろう
「余計な世話かもしれないが、天翼族からは距離を取った方がいい。
特にヴァナヘイム……あの地に行くのは控えるべきだな」
「……自分がヴァナヘイムを訪れるのは後一度だけになるでしょう」
ジスモア・エノクがルファスの15歳の誕生日において事件を起こして以来、プランはヴァナヘイムを訪れていない。
表面上はあの夜のことはなかったことになっているため問題なく以前と同じく会話できるだろうが、もはや根幹的な部分でプランと彼の関係は破綻しつつあるのだから。
ジスモアはもはやルファスを生かす気はないとプランは踏んでいる。
アレが彼の意思で行われたのか、それとも第三者による誘導のせいなのかは不明だ。
しかし、もはやタガは外れてしまった。彼は、狂ってしまった。
一度行為に及んだ以上“次”に対するハードルは著しく下がっている筈だ。
悲しい話であるが、プランは友を一人失ったのだ。
歩き続けている内に建物の外に出る。
外は既に夕暮れ時となっていた。
そして姿こそ見せないものの、護衛が増員している事をプランは悟った。
恐らくアラニアはクラウン帝国に全てを報告しており、その結果、前よりも警備の人数が増やされているのだ。
少し見渡すだけで50人の完全武装した騎士たち。
レベルも80前後とかなり高く、精鋭だ。
空を見れば上空にはいくつかの点が見えた。
訓練を終えたばかりの混翼たちが周囲を旋回し見渡しているようで、なるほどこれなら誰も近づけないだろう。
何せ混翼たちは天翼族のやり方を知り尽くしているのだから。
完全に現場を押さえた訳ではない以上、逮捕というわけにはいかない。
何せメラクは天翼族の王子であり、彼とその取り巻きに手を出すには確固たる証拠と、ヴァナヘイムと事を構えるための覚悟が必要なのだから。
そして今は人類共同体が発足したばかりの微妙な時期であり、いきなり人類同士で仲間割れをしている余裕などない。
故に警備の増員と厳重化。
何者かに「判っているな?」という圧をかけるために。
「さて」
「……」
プランとアラニアが門の先を見る。
そこに一人の天翼族が取り巻きさえつけずに立っているのを見て彼らは驚きはしなかった。
むしろ哀れみさえ感じた。
なまじ中途半端にまともな感性をもってしまった結果、苦しむことになるだろう少年に対して同情したのかもしれない。
「以前ヴァナヘイムでお会いした時以来ですね。───メラク様」
プランは恐ろしいほどに完璧な微笑みを張り付けて天翼族───メラクに挨拶をした。
ビクリと少年は肩を震わせたが、直ぐに顔を引きつらせながらではあったが笑顔になった。
この時ほど彼は自分が王族として教育を受けていた事に感謝した時はないだろう。
「こ、んにちは……はい。覚えてるよ……プラン・アリストテレス卿だ、よね」
視線をあちらこちらにさ迷わせながらメラクは絞り出すように喋る。
元より人付き合いが得意な方ではない上に、よりによってアリストテレスと対面することになった彼は逃げたくてたまらない気持ちだった。
しかし、なけなしの勇気を絞り出してメラクはプランとアラニアの前に立つ。
どうしようもない程に弱気なのは自覚しているが……逃げることだけはしない。
今まで自分が良い生活をしてこれたのは次期王として期待されているからだと彼は知っている。
チラリと見えた黒翼の少女の様に産まれながらに生きる事さえ許されない者がいる中で、自分はただ白い翼だというだけで全てにおいて恵まれた生活を送る事が出来た。
だからせめて責任だけは果たしたいとメラクは思っている。
「あのっ……皆が言ってた事があるんですっ……!」
「“穢れたつ”──ヒッ!」
“穢れた翼”と口に出そうとしてメラクは舌をもつれさせ、しゃっくり上げながら「ばさ」という言葉を押しとどめた。
やはり“完璧な笑顔”のプランが怖くてたまらない。
今度は仮面の下が漏れ出る事はなかったが、優れた直感で微かにプランが苛立ったことを察してしまったのだ。
アラニアとプランが顔を見合わせる。何か重要な情報が出てきそうだというのに、これでは埒が明かない。
エルフの男は「君のせいだな」と目線で咎めればプランは本当の意味で苦笑した。
「大丈夫です。自分は何もしませんよ」
ほら、怖くないですよ? そう言いながら大きく腕を抱擁する様に広げればメラクは緊張で背中の翼がささくれ立った。
余りに胡散臭い仕草であり、あの腕に捕まったら最後、何かの実験体にされるのではと思ってしまった。
実際、ヴァナヘイムにおいてアリストテレスはそう囁かれているのだ。
人間種のおぞましい部分を煮詰めた、魔神族さえ超える怪物であると。
曰く、効率を極めた人でなし。
曰く、プルートの地下でおぞましい実験を繰り返している。
曰く、天翼族を利用するためにジスモア卿に近づいた。
曰く、引き取られた二匹の混翼は今頃混ぜ合わされてキメラと化している。
等など、事実確認も何もない噂話だけが独り歩きし続けていた。
が、しかし。メラクはアリストテレスを直に見るとどうしても噂は本当なんじゃないかと思ってしまうのだ。
あの日垣間見てしまった笑顔の下の素顔は未だに脳裏に焼き付いて消えない。
ごくりと唾を飲み込む。
ここに来た理由を思い出し、必死に自分を奮い立たせる。
「昨日……僕の仲間たちが言ってたんだ……“穢れた翼たちに眼にモノ見せてやる”って」
「そういう話はいつもしてたんだけど、何か少し、いつもと違った感じがして……気になったんだ」
ふーふーと荒い息を吐く。
翼を限界まで広げてメラクはアリストテレスを見た。
「もしかしたら、何かやろうとしているのかもしれない」
「もしそれが誰かを傷つける事だったとしたら、僕は止めたいんだ」
怯えながらもはっきりと自分の意思をアリストテレスに伝える。
その為ならばどんな事だって協力すると彼は断言すれば、プランはほんの少しだけ驚いた様な表情を見せる。
天翼族の王子が混翼の為に動く?
アリストテレスが今まで見てきた天翼族ではありえない事である。
が、目の前にいる以上は現実だ。
たとえそれが保身やら自分の良心が傷つくのが嫌だ等と言った利己的なものから生じたものであったとしても、これは面白い一歩であった。
願わくば彼が王になった後もこの心を失わない事を祈るだけだ。
「ありがとうございます。実は既に一つ、面白いモノを見つけたんですよ」
「……?」
先にアラニアから受け取った「箱」を見せてやってから、それの中身を説明すればメラクは今度こそ泣きそうな表情になった。
翼が恐ろしい勢いでバッサバサと震える様はルファスを見ているようだった。
もしかしたら天翼族は顔よりも翼を見た方が判りやすいのかもしれない。
「ばばばババ!!?」
泣き叫びそうになりそうなのを必死に抑えてはいるが、想像以上に大きな話にメラクは眼をグルグルと回す。
よりによってクラウン帝国で、他所の国の迎賓に破壊工作を仕掛けて、ソレを混翼の者の仕業に見せかける?
一つ間違えれば何もかもご破算だ。それこそヴァナヘイムどころか天翼族と言う単位で。
「何を考えてるんだっ……!?」
既にプラン・アリストテレスと天翼族、ひいてはヴァナヘイムの力関係は逆転しているのにどうして気づけないとメラクは頭をくらくらさせながら思った。
方やプルート/ユーダリル/ミョルニルを救い、エルフやクラウン帝国とも深い関係を築いている多国レベルの実力者。
方や基本ヴァナヘイムに引きこもり、他の全てを見下している天翼族。
仮に目の前の男が天翼族を敵と認定した場合、武力さえ使わずにヴァナヘイムを滅ぼせる力がある。
やり方は簡単だ。各国に此度の件を報告し、ヴァナヘイムを人類共同体から放り出せばいい。
竜王という脅威に備えて団結しているというのに、つまらない拘りで足並みを乱す者達など必要ないと思われたら終わりだ。
経済的/武力的に放りだされて丸裸になった山は絶えず人類を殺さないと生きていけない魔神族からすれば最高の餌場に見えることだろう。
いや、そんなことさえ必要ない。
経済的に追放されてしまえば自給率の高くないヴァナヘイムは文字通り陸の孤島となり、干上がるだろう。
どれだけ金を持っていようと「お前には売らない」と言われてしまえばそれで終わりなのだ。
(いや、まさか……ぁ)
氷点下の中で放置されていたかの様にメラクの顔が青ざめる。
今までのプランの行動と現状から、最悪の「まさか」が頭をよぎったのだ。
メラクの中で点が繋がっていく。
もしかして、混翼たちをヴァナヘイムから引き取ったのは“避難”の意味合いもあったんじゃないかと。
仮にヴァナヘイムが消え去り、天翼族が根絶やしにされたとしても混翼たちがいれば天翼族そのものは存続できるじゃないかと彼は思い当たってしまった。
天翼族が滅んだとしてもその役目は混翼たちが引き継いでいき、やがては彼らこそが天翼族になるかもしれない……。
元より後ろ向きな所もあるメラクの頭はとんとん拍子で最悪の未来予想図を描いてしまい───プランの肩を掴んでがくがくと揺らしだす。
いま、自分の双肩に天翼族の未来が比喩抜きで乗っていると思ってしまった彼はなりふり構わず懇願を始めた。
あのプランが言葉を失うほどの剣幕で。
「何でもっ! 何でも協力しますからっ!! どうかそれだけは!!」
「……えっと?」
「お願いです! チャンスを下さい!!」
困惑するプランに涙と鼻水を垂らしながら詰め寄るメラク。
周囲の護衛達も頭を傾げている中、アラニアだけが「何の茶番だこれは」とため息を吐くのであった。
「ほらっ、一回起きて」
「ぅ……ぁ?」
ゆさゆさと肩を揺すられてルファスは眼を覚ます。
窓に視線を向ければ真っ暗であり、そこそこの時間寝てしまったらしい。
「食事の準備が出来たみたいだよ。湯あみも入らないと」
「……ねむぃ」
あとちょっとだけと呟きながら毛布を深く被るという抵抗を行おうとして……気が付く。
瞼を薄っすらと開けて彼を見た。
何故かは判らないがプランはさっきよりも大分疲れているようだった。
事実あの後はそこそこの騒動があったりする。
各国の使者たちが寝泊まりする施設に仕掛けられていた爆弾を内密に発見/解体した後は下手人をつき止めてちょっとばかりお話をしたり。
未然に防がれたこともあり、今回だけは見逃してやる代わりに次はないと言い聞かせたりなどなど。
だがしかしプランは見逃すと約束したが、隣のアラニアは何も言っていない。
意外であったのは大人しいと思われていたメラクが犯人の言い分を聞いた瞬間物凄い形相で殴り飛ばした事だろう。
さすがは王族。潜在能力は中々のものがあるらしい。
護身の為の訓練を受けているだけはある一撃で取り巻きの一人を空へと打ち上げた光景には、あのアラニアでさえ拍手を送るほどであった。
ちなみに犯行の動機はいつものアレである。
クラウン帝国において混翼たちが仕事をしているのが気に入らないやらルファスが元気そうに生きているのが気に入らない……つまり聞く価値もない戯言だ。
もしもメラクがいなかったら、今頃はどうなっていたことか。
アリストテレスとルファスの暗殺計画さえ存在していたと判明した時のメラクの顔はもはや筆舌に尽くしがたいものがあったとだけ言っておこう。
しかし所詮は全て終わった事である。
内容が内容である故にプランがルファスに語る日が来る事もないだろう。
ルファスは眉を「八」の字に変えてプランをじっと見つめる。
まだ覚醒したばかりで頭はふわふわしているが、だからこそ気になって仕方ない事があった。
「いやなにおい……」
「え゛」
いきなりそんなことを言われたプランは本当にショックを受けた様子で己の腕を嗅ぐ。
確かに三十路に突入はしているが、そんな馬鹿なと思ったプランであるが、実際は少し違う。
「ヴァナヘイムのくうきがする」
額に皺を寄せてルファスはむぅぅぅと小さく唸った。
ミズガルズで最も嫌いな空気を感じ取ったルファスはプランを半目で睨みつける。
貴族であるならば天翼族との交流があっても仕方ないのはよく判るが、ソレはそうと嫌な匂いだ。
よりによってプランからソレが漂うのは我慢できなかった。
だからルファスはコレを消すことにした。
折角気持ちよく寝ていたのに台無しにするような要素は消さないといけないから。
「じっとしてて」
腕を掴み引き寄せる。
眼を丸くしたプランが頭を傾げる中、ルファスは翼を大きく開いて彼を完全に覆う。
ざわざわと羽根が擦り合わされてマナを循環させる。
濃厚なマナの気配がプランに塗し付けられていく。
魔物が自分のテリトリーにマーキングする時などによくやる行為だ。
一定以上の実力者には伝わるメッセージでもあった。
“これは私のだ”
“手を出すな”
“渡さない”
“天翼族、お前たちは近づく事も許さない”
数分ほどマナを擦りつけた後、ヴァナヘイムの気配を完全に上書きした事に満足したルファスは翼を開いてプランを解放した。
眠気も大分薄れたらしく、平時と同じ口調に戻っていく。
「これでよし。───さては天翼族とまた何かあったな?」
真っ赤な瞳が輝きながらプランを、そして彼に出会ったであろう天翼族へと向けられる。
一発で真実に近い所まで探り当てたルファスにプランは前もって用意しておいた答えをスラスラと述べた。
「ちょっと挨拶して回ってたんだ。メラク様も元気そうだったよ」
「そうか」
ヴァナヘイムにおける大物中の大物。
それこそ父ジスモアさえも超えるメラクの名前を出されてもルファスは興味なさそうに一言で返すだけであった。
実際、何の興味もないのだろう。
彼女にとってメラクも含めてだが、ヴァナヘイムの存在には自分の人生の一秒だって割くつもりはないのだから。
何もしないでやるから、そっちも何もするな。
ソレが彼女にとってのヴァナヘイムへのスタンスである。
それを知っているからプランもまた本日の出来事を口にする気はない。
ルファスはジっとプランを見た。
少しばかり疲れてる様子を把握した彼女は立ち上がり、念力で紅い外套を引き寄せてソレを羽織る。
プランの手を引っ張りながら歩き出す。
内心を表す様にカツカツカツと軽快な足音が響き渡る。
ご飯が楽しみなのではない。
彼と取る食事が楽しみなのだ。
何事もまずは食事。
その後ゆっくり湯に浸かって寝る。
そうすれば彼も少しは疲れがとれるはずだ。
「ほらっ、食べに行くぞ!」
「走ると危ないから、もうちょっと速度を……」
どんどん早くなっていく速度に苦笑しながら注意すれば
ルファスは少しだけ浮き上がった状態になり「歩いてないから大丈夫だ」等とトンチを利かせた発言をして彼を困らせるのであった。
(꒪ཀ꒪)←暗殺計画などを知った時のメラクはこんな顔になっていました。
気付けばメラクが苦労人ポジに。
Q
大帝国の首都で同時爆破テロってやばくない?
A
天翼族からすれば懲罰程度の感覚なので文句を言われる筋合いはないと思ってます。