テラー   作:VANILA

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プロローグ

「お顔を、拝見しても良いですか」

 

ベッドを挟んで向かいに立つ40代の男性に、断りをいれる。男性は放心状態だったようで、俺の断りに「えっ」と驚いたような反応をしたあとに、取り繕うように「あぁ、構わないよ」と返した。

 

昨日までは、確かに元気だった。しかし、今ベッドで行儀よく眠るお婆さんの顔には、白い布が掛けられていた。その布を、ゆっくりと下から外していく。薄く木綿の布は、信じられない程重い。

 

そこには、見知った穏やかな顔があった。頬はこけ、目は落ち窪み、乾きひび割れた唇の隙間からは、黄色く変色した空きっ歯が覗いている。年を重ね、病を重ね、苦心しながらも懸命に生きた一人の女性の最期が、そこにはあった。

 

枯れ木のような痩せ細った手を握る。手は、握り返してこなかった。もう二度とお婆さんは動くことはないのだと、あの人の良い笑みを見せることは無いのだと、その時になって本当に理解した。

 

瞬間、目頭の奥からじんわりと、込み上げるような熱さが生まれ、視界がボヤけた。思わずその衝動が溢れだしてしまう寸前で、咄嗟に理性で押し止めた。

 

目の前には、このお婆さんの息子さんがいる。一週間だけの付き合いである俺が、涙を流すべきじゃない。

 

外した布を元に戻し、ベッドから目を背け扉の取っ手に手をかける。

 

「外の空気を吸ってきます、後でお話させて下さい」

 

「待ってくれ、住生華(すみおか)くん」

 

引き戸を開き部屋から出る所で、後ろから声がかかる。振り返らずに「はい、何ですか」と努めて平坦な声で聞くと、背中越しに男性が逡巡する空気を感じた。ほんの一瞬、部屋から音が消えて。

 

「私の母は、()()()()()()()のか……?」

 

絞り出すような声で俺に問いかけた。

 

「……それについては、また、後でお話しします」

 

俺はそう言って、今度こそ扉を開けて部屋から出ていく。息を吐き周囲を見渡す。文字通り息をつくと、ボヤけ下に向いていた視野が広がり、職員達が慌ただしく廊下を行き来していく様をようやく認識できた。この老人ホームで生活していたお婆さんが死んでしまったのだから、当然だ。

 

「医師からの連絡はついたのか?!診断書の作製依頼が……!」「親族はあの男性以外には居ないのか、役所に問い合わせをして看取りの準備を進め……!」「他の利用者をリビングに誘導して!プライバシー保護の為に詳細は今は伝えないように……!」「遺族に遺体の搬送場所の確保を電話で通達して、ストレッチャーも……!」

 

何人もの職員が部屋の前を行き来し、大声でそれぞれの業務と対応をこなしていく。皆早足で通りすぎていくので、最後の方の言葉はどれも聞き取ることが出来なかったが、それでも今ここに俺が居ては邪魔になると察せた。リビングで職員が慌てふためいている姿を「どうしたのだろう?」と怪訝な顔で眺める老人たちを尻目に、出口へと向かう。

 

途中、女性用トイレから甘南備凪(かんなび なぎ)が出てくるのが見えた。甘南備も出口へ向かう俺が見えたようで、俺たちは自然と視線が合った。

 

「あっすみちゃん…」

 

「……」

 

「えっと、ごめんね?対応、任せちゃって。ちょっとトイレが近くって、アハハ……」

 

ぎこちなく笑う甘南備の目は、潤みを帯びていた。声は震えているし目の周りや鼻がしらは真っ赤で、傍目から見ても無理をしているのが分かる。それでも甘南備は取り繕おうとしていた。所長の自分がこんな様子ではいけないと、らしくもなく責任を感じているのだと、想像できた。

 

「気にしてない、それより」

 

「ん?なに?」

 

「……」

 

大丈夫か、という言葉が寸前まで出掛かったのを飲み込んだ。

 

「どうしたの?」

 

「ちょっと、外に出てくるよ」

 

俺は誤魔化すようにそう言って、じっと此方を見つめる甘南備の視線を振り切り、外に出ようとする。

 

「すみちゃん」

 

また、背中越しに呼び止められ、振り向く。

 

「この依頼の責任は、私にある。すみちゃんが何もかも背負う必要は無いんだよ」

 

甘南備は鼻をすすり目元を急いで袖で拭うと、パンパンと頬を叩き、歯をみせた。

 

「うむ!だから住生華くんはよく頑張ったよ!あとは所長の、上司のうちが対応しておくから、今は休んでおきたまえ!」

 

偉ぶったようなおどけた口調で、そう言う。

 

「あぁ、そうさせてもらう……ますよ、所長」

 

「うむ、そうしなさい!なんてったってうちは所長だからね!」

 

記号のような笑みを浮かべ、しかし本心からは笑わず、甘南備から目を背け外へ出る。「わっはっは」とわざとらしくコミカルに笑う甘南備の姿が健気で、いじらしくて、だがどうしようもなく痛々しくて、見ていられなかった。

 

外は施設の中とは違い、辺りは耳鳴りが聞こえそうな程静けさが支配していた。施設は市街地から離れた杉樹木が乱立している山あいに建てられているだけあって、夜はおろか日中でも人や車が出す音は殆ど無い。今聞こえるのは、俺の足音だけだ。

 

足を引きずるように歩き、施設の裏手に周る。この時間、丁度この場所は日陰が出来るようになっていた。今はとにかく、静かな所で、考えを纏めたかった。

 

『ウチらで、事務所を開こうよ!ウチら三人の力で、オカルトでしか助けられない人を助ける、死んだ人を蘇らせる、そんな探偵事務所をさ!』

 

あまりにも静かだからだろうか、急にそんな声が空耳した。青空にぽっかりと浮かぶ雲を見ると、二週間前の甘南備の無邪気な顔が脳裏に浮かんだ。

 

上気した頬、期待と希望に満ちた真ん丸でギラギラした瞳、裂けんばかりに上がった口角。三週間も前の事だというのに、自分の夢を語る甘南備の姿はハッキリと目の裏に焼き付いていた。果たして、夢を追いかけようと躍起になっていたあの時のあいつは、こうなることを予見できていたのだろうか。

 

そう考えたところで頭を振る。あいつはそこまで考えなしでもなければ、無責任でもない。こうなることも考えてはいたし、ある程度覚悟だって決めていたはずだ。

 

それでも今、あいつがああなっているのは、そう──。

 

「運が無かったわね」

 

すぐ横から声が掛けられ、体が跳ねる。一人じゃなかったのか、そう思い声の方に首を向けると立ち上る紫煙が、その煙の元を辿っていくと艶のある黒髪が見えた。

 

越智(いけみ)さん」

 

その人物、先輩であり今は同業者の越智さんは、跳ねた俺をいたずらっぽく眺めながら煙草を吹かしていた。

 

結構前からここにいたようで、一本足の屋外用の灰皿にはこんもりと灰の山が出来ていた。

 

「よりによって最初の依頼で、人死にが出るなんて。本当に運が悪いとしか言えないわ。最も、お婆さんの年齢や病状から言っても何時死んでもおかしくなかった。でも、よりによって私たちが来たときに死んでしまうなんて、ね」

 

そう言って彼女は失笑する。人死にが出てるのにその言いぐさは不謹慎ではないのかと思い、咎めようとして、彼女の姿をみて、止めた。

 

彼女は普段つけていた鮮やかな口紅を落として、薄桃色の目立たないものにしていた。それによく見れば、マスカラやチークも目立たないナチュラルなものになっている。

 

一般的に、葬式や死に目に派手な化粧をすると、没した人が死ぬことを予見したかのような態度であるため、失礼とされている。この人は、俺が咎めなくても人が死んだときにどうすればいいのか、キチンと分かっている。

 

つまり、今こうして俺に冗談めかして話しかけてくるのは、お婆さんが死んだことを面白おかしくしたい訳ではないのだ。お婆さんの死で俺が落ち込んでいると思って、俺が自責してしまわないように、彼女なりに慰めてくれているのだった。

 

「越智さん、その」

 

「うん?」

 

「すみません、気を使わせて……んぐっ」

 

言い切る前に、唇を人差し指で押さえられる。

 

「わかってるなら、言わないの。……そういう所、あなたの悪いところよ」

 

拗ねたような声で言うと越智は顔をそっぽ向けて、火のついたままの煙草を思い出したように飲み始める。顎を上げ、深く空気を吸い込み、煙を飲み込む。少し溜めを作ると、陶然としたような鼻白んだようなよく分からない顔で息を長く吐きながら、煙を中空へ浮かべる。

 

紫煙は立ち上ぼり雲に並び、段々と薄らいでやがて消え失せた。

 

「ねぇ。住生華くんはどうするつもり?」

 

ボーッと煙を眺めていると、そう問いかけてきた。

 

その問いかけに、思わずどきりとして、彼女の方を向く。彼女はこちらに視線を寄越さずに、ただ煙草の煙を吹き出す先端をジッと見つめていた。

 

「依頼自体は既に完了しているわ。昨日の時点で口座に報酬を振り込むよう依頼人に伝えているし、依頼人も調査結果に納得している。でも」

 

「でも?」

 

「あなたは、『ここで降りるべきでは無い』と考えている。そして、お婆さんの死因を探ろうとしている。……違うかしら?」

 

その言葉に、思わず口元が笑ってしまう。

 

「探偵ってのは、人の心も解っちゃうんですか?」

 

「探偵云々じゃないわ。昔馴染みだから、あなたの考えとやろうとしてることが分かるってだけ」

 

「だからって、考えたついた事を一言一句当てますかね?」

 

「だって、分かりやすいもの。あなた、目についたものはなんでも助けようとするじゃない?」

 

「越智さん、俺はそんな聖人じゃ」

 

「まぁ、なんにせよ、よ」

 

彼女は言葉を被せる。

 

「これ以上、首を突っ込むつもりなら、きっと今よりも苦しい思いをすることになるわよ」

 

彼女は強い口調で、叱るように言う。中学からの昔馴染みである彼女は、俺の心中だけでなく、今後起きる事まで見透かしているかのようだった。

 

それは長い間、俺と甘南備と越智さんの三人で過ごしてきたから、分かるのだろう。俺が身の丈を越えた事をしようとして、その度に痛い目に遭ってきた様を見たから、今回もそうなるかもしれないと、彼女は親切心で伝えてくれている。

 

確かに依頼を解決した以上、俺が動く必要は無い。変にでしゃばってしまえば、痛い目に遭うかもしれない。だが、部屋から出る前の、感情も思い入れもなくなったような、依頼人の顔が思い浮かんだ。

 

「……」

 

俺は何も答えず、懐からメモ帳を取り出し、開く。彼女の助言には従えなかった。彼女の言うとおりにしてしまえば、あの依頼人は大事なものを無くしてしまうと思った。

 

「……ほんと、あなたの悪いところよ、それ」

 

彼女はそう言って、口を付けていた煙草の吸いカスを捨て、箱から新しいのを取り出し火をつける。灰皿に捨てられた吸いカスには、歯形がついていた。

 

俺は改めてメモに目を通す。依頼をする経緯や人物像、問題となる怪現象などetc.今回の依頼で調べた事、その全てがこのメモに刻まれている。そのせいでか、河童に手術歴に出身地に天気予報と、情報が雑多に書かれていて読みにくいし、一見して事件とは関係が無さそうな情報も多い。

 

俺はメモと、頭の中を整理するため、一旦全てを忘れて最初から振り返ることにした。俺たちが探偵事務所を、霊能探偵事務所を構えることになった、その初めから──。

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