「此処か……」
裾野基地の病院で、看護師から場所を聞いた俺は病室の前に辿り着く。
水の精霊達の対処が必要だったとは言え、摩利の容態確認を完全後回し状態となった事に若干申し訳ない気持ちだった。
何か文句を言われても甘んじて受け入れようと決意しながら扉をノックする。『どうぞ』と入室の許可を得たので、ガラッと扉を開けて入った。
軍の病院と言っても、中は一般の病室と変わりなかった。複数の病人が入る場所だが、ベッドに横になっているのは摩利だけだ。
「リューセーくんじゃないか。すまんな、見ての通りこの状態だ」
摩利は起き上がれない事を言うも、俺は気にしてないと言いながら彼女が横になってるベッドへ近づく。
容体はもう既に聞いている。命に別状はないが、肋骨が折れており、それが定着するまで魔法で繋いでいる状態であると。
魔法によって医療技術が進んでいても、全知一週間である為、摩利は今後の競技――ミラージ・バットの出場は無理と医師から通達されていて、それにより棄権が確定していた。
俺が持ってる回復アイテムを使えば瞬時に怪我を治す事は可能だが、今となってはもう遅かった。医師が診断した以上、もう彼女は競技に参加が出来ないので。尤も、俺が完全回復させたら、それはそれで後々面倒になったかもしれないが。
「遅くなってすいませんでした。修哉から電話で聞いたんですが……」
「君がそこまで気に病む事じゃない。真由美からの話だと、達也くんが私の治療に付き添っていたらしいからな」
「司波が、ですか」
意外な人物の名が出た事に俺は少しばかり驚いた。
もしも妹なら真っ先に動いて治療するのは当然だとしても、まさか摩利を治療するとは予想外だ。まぁアイツの事だから、一切慌てる事無く冷静に治療していたと思うが。
結果はどうあれ、司波が的確な行動をしたのは確かであるのは間違いない。
そう思っていると、摩利は突然話題を変えてくる。
「あたしから言わせれば、君に申し訳無い事をしてしまった。『優勝したらスイーツを用意してくれ』と頼んでおきながら、こんな結果になってしまって……」
「でしたら、残念賞として用意しますよ」
材料の調達や費用を用意してくれた以上は作るつもりでいる。
少々複雑な表情をしながらも、摩利は楽しみにしていると言い返してきた。
ある程度の談笑を済ませた俺は、これ以上留まるのは良くないと思い、『お大事に』と言って病室を後にする。
☆
摩利や七高選手の事故とは他所に、九校戦三日目の競技が終わった。
第一高校の結果としては、先ず男子(十文字)と女子(千代田)アイス・ピラーズ・ブレイク優勝、男子バトル・ボードで二年の服部が二位、女子バトル・ボードは三年の小早川が三位となっている。
これで摩利がバトル・ボードで一位を取っていたら問題無かったが、彼女の棄権によって状況が大きく変わる事となった。
三連覇を目標にしている真由美達にとっては由々しき事態と重く受け止めているだろう。しかし、俺としてはそれよりも気になる事があった。
(
俺は部屋に戻りながら、ある事を思い浮かべていた。ディーネが神造精霊になる前、古式魔法師達に操られていた事を。
あの子は怒りを抑えながらも憶えている事を俺に全て話してくれた。
簡単に纏めるとこうだ。九校戦が始まる数日前、複数の古式魔法師達から突然
後はもう用が済んだと言わんばかりに術者達は退散するも、水の精霊達が完全な悪性に染まろうとした際、俺によって浄化された。自分達を元に戻してくれた水の精霊達は恩に報いたいと言って、ディーネとなって俺に忠誠を誓ったと言う訳である。レイと違って凄く真面目な精霊な為、これはこれで困りものだが。
まぁそんな事より、問題は古式魔法師達だ。九校戦で何故そんな手の込んだ妨害行為をしなければいけないんだろうか。
九校戦は高校生の競技だが、有線放送でテレビ中継するほど一般側からも人気のあるイベントの一つとなっている。聞いた話によれば、多くのスポンサーが契約しているとか。
そこを何で古式魔法師達がしゃしゃり出て、選手の妨害行為を行うのかが分からない。大会委員やスポンサーが意図的に狙ってやったとしても、向こうには何の得にもならないだろう。そんな水を差す行為をすれば、却って自分達が不利益を被るだけだ。
(……まさかとは思うが、この九校戦ってレーティングゲームみたいに裏で利権が絡んでいるんじゃないだろうな)
だが、それは無いと直ぐに振り払った。九校戦はレーティングゲームと違い、賄賂や八百長なんか一切出来ない正当な競技だ。もしそんな事が発覚すれば、世間の魔法師に対するイメージが一気にガタ落ちとなる他、反魔法国際政治団体が絶好の機会と言わんばかりに糾弾するだろう。
そんな大きなリスクを抱えてまでやるほど、大会委員やスポンサーにそんな度胸は無いだろう。加えて十師族、特に九校戦に毎年顔を出している九島烈がいるから、危険な橋を渡るような行為はしない筈だ。
とは言え、古式魔法師が妨害行為を行ったのは事実だ。目的はどうあれ、そうした理由は必ずある筈。もし分かればブランシュの時と同様、
他の精霊達も古式魔法師達に手を出されてないか確認する為、レイとディーネには富士山周辺の精霊達に聞き込みをするよう頼んである。俺から命じられた初仕事に二人(?)は凄く張り切ってたから、今頃多くの精霊達を集めて情報収集をしてるだろう。
「ん?」
部屋に辿り着いたから持っているカードキーを使って部屋に入ろうとする直前、中にはいくつかの気配を感じた。
……ルームメイトの司波だけでなく、司波妹や柴田に吉田、そして千代田と五十里もいるな。
司波妹達はともかく、二年の千代田達が何故此処に来ているのかと疑問に思いながらドアを開けた。
俺が扉を開けた事により、中にいる司波達は一斉に此方へ視線を向けてくる。
「兵藤、今まで何処にいたんだ? 天城達がお前を探していたぞ」
「悪い悪い。摩利さんの事故を見て俺もバトル・ボードの会場に駆け付けようとしたんだが、人が多かった所為で思いのほか辿り着けなくてな。着いたら着いたで病院に搬送されたと聞いて、あちこち移動する破目になったんだ。ついでに修哉達とはついさっきホテルの出入り口で会って説明済みだ」
「……そうか」
精霊達の対応をしてる際、誰にも邪魔されないよう携帯端末の電源を切ってたから、修哉達と合流した際に少々怒られてしまった。流石に本当の事は言えなかった為、俺が悪かったということで謝罪している。
今まで姿を見せなかった事に司波は訝るが、俺の説明に多少疑問に思いつつも深く尋ねようとしなかった。
「それで、
「なら僕が説明するよ」
俺の問いに五十里が簡単に説明してくれた。
どうやらレース中に起きた摩利の事故に何かしらの疑念がある為、五十里は司波と一緒に検証していたようだ。千代田は単に付いてきただけみたいだが。
五十里と司波の検証の結果、第三者による介入があったと結論したようだ。違いがあるとすれば、会場の監視網の外から第三者が仕掛けたと考えた五十里に対し、司波は水中から第三者が仕掛けたと言う考えである。
これを聞いた俺はすぐに、司波の検証が正しいと内心思った。摩利が態勢を崩す原因は古式魔法師達に操られた水の精霊達の仕業だからだ。
古式魔法師でない俺が『それは水の精霊の仕業だ』とは言えないから、どうやってそのように持っていこうかと考えたが、その必要は無くなった。
既に司波が犯人は精霊だと気付いていたみたいで、精霊魔法で水面を陥没する事が可能であるかを、吉田と柴田をこの部屋へ呼んで確認させたようだ。既に問われた吉田も可能だと即答し、精霊以外に式神でも出来るらしい。
因みに柴田は
あとこれは非常にどうでも良い事なんだが、なんか司波の友人達ってさり気なく凄い集まりだな。
レオは硬化魔法が得意な上に格闘戦に優れており、エリカは『剣の魔法師』として有名な千葉家の剣術娘で、柴田は精霊が見える特殊体質持ち、最後に吉田は有名な古式魔法師ときた。加えて北山と光井も、一科生に恥じない魔法師としての実力を持っている。
何だか司波達が一年の中で一番強力な集団に思えてくる。普段から二科生を見下してる一科至上主義の連中が大した事ないように思えるのは俺の気のせいだろうか。
「……取り敢えず話は分かりました。ですが、何か腑に落ちませんね。
水の精霊が摩利を妨害したのは分かっている。だけど、昨日観た彼女の技量を考えれば大して問題無い筈だ。水面が陥没した程度のアクシデントなんかで、七高選手と激突する理由にはならない。
「やはりお前もそう考えたか」
そう言ってきた司波に俺は目を向けた。この場にいる全員も含めて。
「一応確認だが、試合を観てない兵藤は七高選手が暴走したのは知ってるか?」
「ああ。それの所為で摩利さんが激突する破目に……っておい、まさか」
「そうだ。あの暴走も単なる事故ではないと俺は思っている。これを見てくれ」
気付いた俺に司波は頷きながら、表示しているディスプレイを見せて、シミュレーション映像を最初から再生する。
自分も含めた全員もそれに目を向ける中、流されている映像は衝突の少し前で再生を止めた。
「本来ならばここで、七高の選手は減速に入らなければならない。しかし実際には、加速してしまっている」
「……『海の七高』らしくないミスだな。因みに去年から見てる千代田先輩達としてはどう思いますか?」
「こんなのあり得ないわ。そもそも、こんな単純なミスをする魔法師が、九校戦の選手に選ばれる訳がない」
司波の説明に俺が千代田に確認すると、彼女も七高のミスが不自然である事を感じ取ってるようだ。五十里も同感だと頷いている。
二人が断言してる中、司波はこう言った。
「恐らく七高の選手は、CADに細工をされていたのだと思う」
ギョッとした気配が部屋に満ちる中、司波は気にせず続けて話を続ける。
コーナーを曲がる際には必ず減速するが、そこを加速の起動式をすり替えられたら間違いなく事故が起きる。加えて優勝候補の摩利と七高選手がもつれ合う状態になれば、必ず一緒にコーナーを回っているだろうと。
司波の推測に誰もが息を呑んでいるも、俺は嫌な予感がしつつも尋ねてみた。
「なぁ司波、まさかとは思うがお前、こう考えてないか? 今回の事故は『大会委員が仕組んでいるかもしれない』って」
『!』
俺の問いに誰もが絶句した。
公正な立場でなければならない大会委員がそんな事をするのは、普通に考えてあり得ないだろう。
「それは少し違うな。正しくは『大会委員に工作員がいる可能性が高い』だ」
「どっちも似たようなもんだろうが」
司波も全員と一緒に驚いているが、他と違う様子だ。
「……しかしお兄様、兵藤くん。いったい何時、どのようにしてCADに細工したのでしょうか? CADは各校が厳重に保管しているはずですが」
司波妹は俺達、と言うより司波兄の言葉を疑ってないどころか、推測を確定した事実として受け止めていた。
もし俺だけの推測だったら、彼女は間違いなく今の吉田達と同じく『信じられない』と絶句してるだろう。
「細工出来る機会なんて充分あるさ。何せCADは必ず一度、大会委員がチェックしなければならないんだから」
「あっ……!」
失念していたと言わんばかりに、司波妹が声を上げた。吉田達は絶句したままだが。
「だが、肝心の手口が分からない。そこが厄介だ……」
司波の言う通り、俺もそれが今も分からない。
どうやら思っていた以上の厄介事だった。
もしかすれば水の精霊を操った古式魔法師が、大会委員の中に潜んでいるかもしれない。
……これって九島に話した方が良いんじゃないだろうか。あの老人はまた俺と話したがってるから、九校戦中にその機会があればさり気なく言ってみるとしよう。
☆
「こんな遅い時間にすまない。知ってると思うけど、僕は吉田幹比古」
「兵藤隆誠だ、別に気にしてない。丁度暇だったし、司波が戻って来るまでの間は大丈夫だ」
検証を終えて解散した後、吉田が再び部屋へ訪れている。今は椅子に座って対面中だ。
経緯はこんな所だ。
司波は明日の新人戦に備えて、担当選手が使用するCADの入念なチェックをしている為に部屋を出ている。
一人となってる俺がベッドで横たわりながら明日の事を考えている中、突如呼び鈴が鳴った。訪れたのは吉田だ。
最初は友人の司波に用でもあるのかと思っていたが、どうやら俺に用があるみたいだ。
就寝する時間帯では無いとは言え、相手が同性でも部屋に来るのは礼に欠いている行為だった。だけど俺としては全く気にしてないから、すぐに部屋に招き入れて用件を訊く事にしたという訳である。
「吉田って――」
「あ、悪いけど僕のことは名前で呼んでくれ。名字で呼ばれるのは好きじゃないから」
俺が言ってる最中、吉田が途端に呼び方の変更を求めてきた。
「そうか。だったら俺も『リューセー』で良い、レオもそう呼んでるし」
クラスメイトではないが吉田、もとい幹比古とは名前で呼び合う事となった。
「それで幹比古。修哉から聞いたけど、俺と話したがっていたそうだな」
「あ、ああ。リューセーはこの前の定期試験の実技方面で、あの司波さんを抜いて一位だったから、僕と同じ二科生の君が一体どうやってあそこまでの実力を出せたのかが気になってね」
修哉が言った通り、幹比古は俺が実技トップを取れた理由が知りたいようだ。
けど、アレは
一応司波達には独学で努力した事を伝えてるから、幹比古も当然聞いているはず。
「司波達から聞いてないのか? あの結果は俺独自の努力だから教えられないって」
「勿論聞いているよ。だけど、僕としてはどうしても知りたいんだ。そうしなければ先へ進めれない気がして」
「先へ進めれない? どういう事だ?」
「っ………………」
気になる事を言ってきたので俺が問うと、幹比古はしまったみたいな表情をした途端に口を閉じる。
ふむ。まだ分からないが、どうやら何か大きな悩みを抱えているようだな。
恐らくそれを解消する為の方法を見付けようと、定期試験で実技トップである俺に訊いてみようとしたってところだろう。
「余り答えたくないみたいだが、因みにそれは友人の司波にも相談したのか?」
「………達也からこう言われたよ。僕の術式には無駄が多すぎるって」
「無駄って……その術式は古式魔法の事を指してるのか?」
さっきと違って幹比古はコクンと頷いた。
詳しい内容は聞けなかったが、幹比古の術式は吉田家が長い年月を掛けて、改良に改良を重ねているらしい。
だがそれを司波が無駄があると欠陥品扱いするように言ったそうだ。アイツ曰く、『視るだけで起動式の内容を読み取る事が出来る』と。
話を聞いていた俺は有益な情報であると内心笑みを浮かべた。やはり司波は相手の魔法を分析する事が出来るのだと確信に至る。ついでに恐らくアイツは今まで何度も俺に分析魔法を掛けて調べていたに違いない。
幹比古には感謝しないといけない。具体的な情報ではないけど、厄介な手段を持っている事が分かっただけでも重畳なので。
「成程。常に冷静な司波が言いそうな答えだな」
「…………………」
「だけどアイツは決して間違った事を言わない奴でもあるのは確かだ」
「……リューセーも達也と同じく、僕の術式に無駄があると思ってるのかい?」
「今の時点では分からないよ」
俺は幹比古の術式を未だに見てないから、どう判断を下せばいいのかは分からない。
出来れば見せて欲しいのだが、生憎それはマナー違反なので無理だ。向こうが自主的に教えてくれない限り。
「幹比古、君は古式魔法師だけど現代魔法も使えるんだよな?」
「う、うん。どちらも使えるよ」
「因みに古式魔法の術式はCADに登録してるか?」
「勿論だ。さっき説明したけど、吉田家は長い年月を掛けて、古式魔法の伝統に現代魔法の成果も積極的に取り入れて、改良に改良を重ねてきた。だからCADにも対応してる」
「……ああ、そう言う事か」
司波が言った『術式に無駄がある』と言う意味が漸く分かった。
俺の台詞を聞いた幹比古は途端に訝る。
「そう言う事って……何か分かったのかい?」
「確証はまだ無いけどな。取り敢えずだ幹比古、タイミングは任せるから司波にCADを一度診てもらえ。そうすれば答えが出てくると思うから」
「え? え? な、何で達也に僕のCADを診てもらう必要が?」
全然分からないと困惑する幹比古だが、俺は司波に診てもらえ以外の回答はしなかった。
幹比古が何故だと未だに引き下がらないが、タイミング良く司波(と何故か司波妹も)が部屋に入って来たのでお開きになるのであった。
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