12/20(日)
昼
東京都内某所 倉橋邸
「広いな…」
大正時代のレトロな外観を擁する洋館と隣接するように敷地内に設置してある立派な蔵を正門から眺めながら、溜息を吐く。
ラビリスの問題を半ば無理矢理のように解決させたあとの、放課後の追試祭りを乗り越えやっとの事で迎えた日曜日。
母方の祖父──倉橋黄盛から受け継いだものであるもののひとつである東京の倉橋邸を訪れた。
用事は荷物の整理と悪魔関係の代物が無いかを確認するためという自己満足なものだが、敷地内に足を踏み入れた瞬間の異様な気配と言うべきか、その
カビ臭さは勿論あるだろう。だが、母の生家であり倉橋翁が最近まで住んでいた家だというのに甘く、蕩けるような澱んだ空気の臭いがするのだ。
これは──そう、異界である悪魔の巣と似通った
どうしてそういう臭いがするのか。
一応、倉橋翁が死んでからアザミさんやクズノハ、ヤタガラスに雇われた他のデビルサマナーなどが調査の為に何度か出入りしており、それが済んだから好きに出入りしてもいいという許可が降りたはずなのだ。
何も無いから安全だと言っていたのでは無いのか。それとも、これは自分が感じているだけでさほど危険なものでは無いのか。
(考えていても仕方ないか…)
結局動かなければどうにもならないので鍵を取りだして正面玄関を開ける。
まずは館の換気からだ。埃っぽいと咳が止まらなくなる。それだけは勘弁したい。
ぐ、と扉に力を入れて開けた先に広がるのはエントランス。
「うわっ!? けほっ! けほっ!」
ぶわりとホコリが舞い、思わず咳き込む。マスクでも持ってきた方が良かったかもしれない。
パーティーホールかと思うくらいには広い洋風のメインホールは豪華としか言いようがない。だが間違いなく住みやすくはないだろう。
なんというか、広すぎて慣れない。美鶴さんなら平気そうなのだが自分はどうも普通の家が好きだ。
脇のよく分からない台には値段の分からないとにかく高そうな花瓶や謎の像、壺が置いてあり、端には職人の手作りであろうアンティーク物の椅子があった。
しかしその全てにうっすらとホコリが積もっておりもったいない。というよりこの屋敷には倉橋翁以外誰もいなかったのだろうか。
少なくとも、お手伝いさんや使用人くらい居ないとろくに生活も出来なさそうな広さなのだが、中は蜘蛛の巣が張っていたりホコリが山ほど積もっている場所もあってか少なくともここ最近誰かが生活していたようには見えない。
祖父はどうやって暮らしていたのか。疑問が浮かぶレベルで人の活動していた痕跡がないのだ。
一人で来たことを若干後悔しつつ、防犯上悪いかもしれないが背に腹はかえられないので正面玄関を開けっ放しにして換気してから二階へと上がる。
電気をつけて歩いているがそれでも何故か薄暗く、気味が悪い。
下手なお化け屋敷よりもお化け屋敷地味ているような気がする。音を上げるのが早いかもしれないが、本格的に一人で来たことを後悔してきた。
本来なら、人のたくさんいるべき屋敷にこう、自分以外誰もいないと怖くなってくるのが人間の
ギシギシと鳴る廊下を歩きながら、ひと部屋ずつ見て回り、窓がある部屋は窓を開けていく。帰りにまた閉める作業があるのでなるべく早く往復したい。昼間でもなんというか薄暗いのに、真っ暗な中電気を頼りに窓を閉めて回るというのは恐怖以外の何物でもない。悪魔が住んでいても「でしょうね!」で終われるレベルで不気味なのだ。この館は。悪魔なら殴れるだけまだマシか。
幼少の母はよくこんな館に住めたもんだと感心する。いや、逆か。
よく母はお嬢様をやめて普通の主婦になれたな、と言うべきなのだ。
倉橋のこの屋敷ははっきり言って土地の広さでは敷地内に別邸もある桐条本邸には負けるだろう。だが、屋敷の大きさは負けず劣らずこちらもかなり広いものだ。本邸のみで勝負するならいい勝負ができるだろう。
そして、先程も思ったようにお手伝いさんや使用人が沢山いたはずなのだ。母が幼かった頃は確実に。そんな母が使用人もお手伝いさんもいない環境になぜ飛び出そうと思ったのか。
倉橋翁は娘を溺愛していたらしいが、武治さんみたいなタイプでは無いらしい。どちらかと言うと手元に置いて縛り付けるタイプだったとか。
となると、母が祖父に嫌気がさしてこの家を飛び出した可能性の方が高い。
勝手に考えるのなら、だけれども。
数ある部屋を換気して回り、何かめぼしいものが無いかざっと見たが“臭い”の発生源とみられるものは無さそうだった。
かつての母の部屋らしきものや、倉橋翁の妻であった祖母の部屋がそのままにしてあったのを見てなんとも言えない感情が込み上げてきた。
ホコリはたしかに積もっているのだが、その量は明らかに少ない。
蜘蛛の巣もかかっておらず、他の部屋よりも綺麗に見えるほどだった。恐らく、このふたつの部屋は使われていなくとも定期的に掃除されていたのだろう。
そこに、倉橋翁の執着のようなものを感じると共に、あれだけ偏屈でなければ今頃──とありもしない想像をしてしまう。
母に絶縁されてから、祖父である倉橋翁は狂ったという。だが、自分を──有里渚と名付けられた赤子を蘇生させた時の倉橋翁はまだ狂っていなかったのだろうか。あのような外法を知っていたというのに?
湊と奏子が生まれたあと。倉橋翁と自分達は会ったことがあるのだろうか。
母が倉橋翁と絶縁したのはいつなのか。何も分からずじまいで口封じをされてしまったが為に疑問が残る。それを知ったところでシュブ=ニグラスになにか抵抗出来るきっかけになるとかそういうことは全くなく、本筋からある意味外れていることではあるのだが、自らの出自に関わることを知れるチャンスというのを逃すのはなにか惜しい気がした。
逆回りに部屋の窓を閉めながらわざと残しておいた書斎へと向かう。書類関係はそこに置いてあるだろう、とアザミさんも言っていたのでそこで何かを見つけられれば僥倖だ。
金のノブを回し、書斎へと入る。2mはあろうかという真っ赤なビロードのカーテンが窓を覆い、部屋の中は真っ暗だった。
一応、電気はあったのでそれをつけ、その分厚い遮光カーテンを開けて窓も開ける。冬の寒い空気が暖房をつけていない部屋に入り込むが我慢して暫く換気を継続する。
五分ほど空気を入れ替え、書類が飛んでいってはいけないので窓を閉め、そうしてようやく書斎にある引き出しのついた大きな机へと向き合う。
艶やかで深い色をした木目の綺麗な机だ。本当に、この館にあるものの値段を想像するだけで恐ろしい。普段使いなど以ての外。傷をつけた日には立ち直れなくなりそうだ。倉橋翁は性格の悪い狸──否、狐だったらしいが物は乱雑に扱ったりということは無かったようだ。
この館にあるもの全てがホコリを被っているものの傷もなく綺麗に残っているというのはそういうことなのだと思っている。
思いを馳せるのはそこそこに文字がはっきりと見えるよう眼鏡をかけてから引き出しを開けて、ざっと書類を確認する。
「……うーん…」
よく分からない。
というか難しい書類ばかりで知りたいものでは無いことくらいしか分からない。下手にいじくると権利関係でまた面倒なことになりそうなのでそのまま戻していく。
引き出しの中にはめぼしいものが無かった。
机の上を確認する。辞典のように分厚い本が数冊と写真立てだ。
そこには、色褪せた家族写真のようなものが写っている。
藍色の髪の少女と、その両親らしき人物。
色白な少女は奏子そっくりな顔で天真爛漫に笑い、父親はしかめっ面をしており母親は優しい笑みを浮かべている。
これは、きっと産みの母である
祖母は母の幼い時に亡くなってしまったという。倉橋翁は家族全員の写ったこの写真を仕事場であるこの書斎にずっと飾っていたのだろう。妻と娘を愛していたが故に。
もし、妻と娘の早すぎる死がトラウマになっていたとしたら。その上で悪魔の誘惑を受ければ永遠の生を求めても仕方ないだろう。
ヒトはこういった状況に陥った時、だいたいはふたつに別れる。
死んだ妻と娘を生き返らせようと外道に堕ちるか、自らが永遠となれば死は怖くないと開き直ってしまうか。その果てに記憶の磨耗で失いたくなかったものまで忘れてしまったとしても。
倉橋翁は救いようのない人間だ。そう成り果ててしまった。素面で殴られた自分のこともだが、悪魔化したあとも奏子や湊、みんなにしようとした仕打ちに同情はできない。
自分に対しては、『本物の有里渚ではない』と分かっていたからこそあの言動だったのだと今はわかる。倉橋翁は正しかった。自分は、本物ではない。偽物だ。
倉橋翁はある意味人間らしい人間だったのだろうと今は思う。悪魔の誘惑を跳ね除けられないほどに弱りきった心。臆病で権力に固執し、弱いものには横暴。けれど家族には他よりかはマシだった、と。程度は違えどよくいるニンゲンそのものだと思うのだ。
だから、ツケを払った。それだけの話だと思う。
そして自分も積み上げてきた罪のツケをもうすぐ払わなければいけない。行き先はきっと地獄ですらない、完全なる無かもしれないがそれでもいい。自分の願いは最初からひとつだけ。
“奏子と湊を救い、この繰り返しを終わらせる”ことだ。
夕方
館部分にめぼしいものは何も無かった。
収穫といえば幼い頃の母の写真と、若い日の祖父母や母の写真が沢山入ったアルバムを見つけたことくらいだろう。
持って帰って奏子と湊に見せようとアルバムを背負ってきたリュックに入れ、おやつ代わりにコンビニで買ったおにぎりを適当に頬張ってから(もちろんゴミは上着のポケットに入れた)館の戸締りを終え、蔵の方を物色しようと中に入った瞬間ムワッとした臭いが鼻についた。
しかし蔵の中は至って普通だ。本が置いてあったり、館の中以上に訳の分からない物が置いてあるだけで臭いの発生源があるような感じではない。
(あれ…? なんだ、この違和感)
懐中電灯を片手に探索していて思ったが、記憶の中にある蔵となにかが違う。
というか、
こんな、普通の蔵のような内装では無かったはずだ。
もっと、こう、レンガ造りでワインボトルのようなものが保管されていて、決してこんな土壁の蔵ではなかったはず。だが藤堂さんはたまたま出会ったアザミさんと共にここで安倍家のトンデモ書物を見つけたと言っていた。
(まてよ? たしか、蔵は蔵でも隠し部屋があるって…)
隠し部屋があるのなら、もちろん調査が入ったのだろうがその時にこんな噎せ返るような臭いに気が付かないはずがない。
と、いうことは調査が終わって自分がここに来るまでの短期間のうちに新たな悪魔が根城にしたとでも言うのだろうか。
有り得ない話ではないがクズノハによる雑魚悪魔が入れないような結界の設置がされていて悪魔除けはされているし、大体の危険物が持ち去られたこの場所に悪魔が好むようなものがあるのだろうか。
とにかく、その隠し部屋とやらを見つけなければならない。
そうしてしばらく臭いを辿れば床の石畳の、普通なら捲らないだろうと思われる位置にレバーが隠してあり、それを引けば本棚が動いて地下への階段が現れた。ビー・シンフル号の業魔殿へと向かう地下階段と似たような仕掛けにも見える。
絶対大正時代の技術じゃないだろ! と言いたくなるようなギミックがたかが蔵についていてちょっと興奮し、気分はお宝探索隊だ。
懐中電灯で照らしながら階段を降りれば見た事のある光景が広がっていた。
レンガ造りの地下室。床にある掠れた血の跡。
ここで自分は生まれたのだ、とビリビリと感じる。
そっと床を撫で、目を閉じる。
冷たい床だ。
周りにあったワインボトルは無くなっているので倉橋翁が飲み切ったかクズノハに回収されたかしたのだろう。だが、臭いの発生源はここじゃないということも分かってしまった。
確かに臭いは外や上よりも更にキツくなっている。けど、ここじゃない。まだなにか隠し部屋のようなものがあるはずだ。
ぐるぐると臭いを辿りながら部屋の中を細かく調べる。
そもそもその筋の専門家であるアザミさんたちクズノハやヤタガラスが見つけられなかったのだからズブの素人である自分が見つけられる確率なんて高くない。
けれどなにか呼ばれているような、そんな気すらしてくるほどに臭いは強くなっていく。
レンガ造りの壁の向こう。そこから臭いが洩れてきているような気がする。しかしさっきと違ってスイッチのようなものは見えないし、壁に隙間のようなものも見えない。
触ってみても壁になにかヘンなところはない。ひたすら、臭いが壁の向こうからするがこの隠し部屋その1から行けそうにない。
(館のどこかに隠し通路みたいなものがあって、そこからこの部屋の隣にあるかもしれない空間に繋がっているとか…?)
いや、そもそも何のためにこの隠し部屋の横に空間を作ったのか。こんなに
何かを封印しているか、既に何かの根城になっているか。そのふたつの可能性がある。
前者は封印されていてもこんな臭いが漏れ出るほどに冒涜的で強大な存在という可能性もあるのだ。
これはアザミさんを呼ぶべきか。
携帯電話を取り出し、電話をしようとしたが圏外の文字。
仕方が無いので蔵の外に出てから電話をかけようと、隠し部屋から上に上がる階段を上がろうとした。その時、
「うわ!?」
つまづいて転けた。
床に崩れたレンガの一部が落ちていたらしい。そのまま床へとスライディングした自分は手のひらを擦りむいた。
地味に痛いし血が出ている。こんな衛生観念もクソも無さそうな場所で怪我をしてしまうというのは地味にやばい。
カビとか変な菌が傷口から入って膿んだら大変な事になる。
身体自体は自分がどうせ死ぬからと色々やっているせいで体力面でも抵抗力的な意味でもかなり弱ってきているからだ。
救いなのは影時間やマガツヒの濃い異界だと不調が嘘のように楽になることぐらいだろう。身体自体があちらの世界に順応していると言えばいいのか。存在自体があちらへと寄せられていると言えばいいのか。複雑なところだが戦えなくなるよりかはマシだ。
そう考えながら立ち上がろうとするもふらついたので壁に手をやって支えにする。
(……?)
ふ、となにか空気が変わった気がした。
臭いがさらにキツくなる。
それを辿ればぽっかりと先程まで壁があった場所に人がひとり余裕で通れる通路が口を開けていた。
何故、突然。なにかギミックを触ったとかそういう感触は無かった。だというのに、どうして。
高度な認識阻害の術かなにかの類でもあったのだろうか。
困惑しながらもアザミさんに連絡しなくてはということをすっかり忘れて引き寄せられるように通路を進む。
恐る恐る明かりのない真っ暗な通路を懐中電灯の明かりを頼りに進んでいけば、突き当たりに部屋があった。
足を踏み入れた瞬間一気に部屋内の燭台に灯りが点り視界が明るくなる。
そこは先程までいた隠し部屋とはまた違い、レンガ造りではなく館の内装と同じく古めかしい洋風の造りになっていた。
そしてその部屋の真ん中に宝石店や美術館で指輪を飾るようなショーケースがひとつだけ設置してあり、その真ん中に五芒星をあしらったマークの刻印された少し大きめの黒い革で作られたリングケースのような箱が置いてある。ちなみにガラスやプラスチックの覆いはないタイプだ。
それ以外にかつて見たものと似たデザインのワインボトルや何かの道具がチラホラと見えるがショーケースの周りには何も置かれてない。
それはそれとして異様なのがこの部屋のどこにもホコリがなく綺麗すぎる点だ。母や祖母の部屋よりも綺麗かもしれない。
この頭が痛くなるほどに充満している
そんなことをぼんやりと思いながら部屋を見回していたその時。
──チャリ、
「!」
何かが動く音がして振り向いた。
「せ…ぃめ…ぇ…アァ…やっと…」
目の前にいたのは、黒い靄だ。
人の形をした──否、人の形を保てなくなったマグネタイトの集合体。スライムにすらなれなかった悪魔の残り香か。無害とも有害ともいえないそれが抱き着いてきた。
何か人名のようなものをしゃべってはいるがまともな人間で無いのは確かだろう。
辛うじて“晴明”と聞こえたので遠い遠い先祖の安倍晴明が使ったとされる式神の成れの果ての可能性もある。
近代化に伴い神秘が薄れ平和な時代になって式神の“力”としての役割がなくなり、また使われる時まで分家の御屋敷の倉庫の地下に封印されてずっと主人の帰りを待っていたのなら健気なものだと思う。あくまで想像だが。
「…さ、ァ……こ、そ…」
こちらが何をするでもなく、ショーケースへとのっぺらぼうの顔とも呼べない面を向け、のろのろと腕を上げて指差すとそのまま力尽きてしまったのか人の形すら保てなくなった黒い靄は地面へと落ちる。
もはや言葉を発することもなく、地面に燻るだけとなった靄はしばらくこちらに纏わりつこうとじりじりと動いていたがそのまま動きを止めて空気へと溶けていった。
否、吸収したと言えばいいのか。
この部屋自体が大量のマガツヒとマグネタイトの濃い匂いで充満している。
ただ、この部屋のサイズにしては量が多いといった感じなのでこの部屋のマガツヒとマグネタイトでは完全に異界と化すことが無かったようだ。
中途半端な異界もどきで状態が止まっている。
基本、異界化するにあたって核となる悪魔が存在するはずで先程の黒い靄がそれならこの中途半端な異界化も納得出来るかもしれない。式神だってマグネタイトやマガツヒを媒介に召喚すれば立派な悪魔だ。
この部屋がなんなのか調べなくてはという使命感は吹き飛び、部屋に入った時から気になっていてなおかつ黒い靄がわざわざ見せつけるように視線を誘導してきた部屋の真ん中のショーケースを見やる。
ご先祖さまの大事なお宝かもしれないそれを興味本位で開けてみたいとおもうのは罰当たりかもしれないが、そもそもあの式神(仮)が自分に見せつけてきたのが悪い。
そうだそうだと責任転嫁してショーケースへとそっと近づく。
そして黒いケースを手に取り蓋を勢いに任せて開けた。
中で目がこちらをギョロリと見ていた。
「うわあ!!!?」
思わずケースを手から床にブン投げそうになり、慌ててキャッチして蓋を閉じて大きく深呼吸をしてから蓋を再びゆっくりと開いて中を見る。
赤いベルベットの柔らかいクッション生地の上に鎮座するのはつやつやの目玉。目玉焼きでもゆで卵でも何でもなく、正真正銘何かの生き物の目玉。大きさ的に人間のもののようにも見えてしまう。怖い。
カピカピに乾燥もしておらず、水分で潤んでいるつやつやお目目だ。Oh、キューティー。
「いや保存状態どうなってるんだこれ」
思わず声を出してツッコんでしまった。さすがに素手で触りたくはないがすごく気になる。そしてどの方向から見ても目が合う気がする。
そういう錯覚が起こる石とか美術品じゃ無いのだろうかとは思うものの恐る恐る人差し指でつんつんと触ると弾力があり表面がぬるりとしていた。
「うぇー…」
どうしよう。触るんじゃなかった。
処理に困る。
いや、アザミさんに渡して詳しい人に処理してもらえば早い話それで済む。が、なんというかこの目玉を見ているとすごく──美味しそうにみえた。
口に入れ、舌で転がしたら甘い味がするのだろう。
噛み潰さず、丸のまま喉を通った時の喉越しは堪らないだろう。
そしてなにより、性質の近いものを取り込めば多少は楽になれる。
なぜだか自分はそれを見ていつの間にか口の端を上げ、笑みを浮かべていた。
「あれ?」
気がつけば、蔵の外に立っていた。
辺りは闇に包まれており夜になったことが分かる。
狐かなにかにつままれたのか。
安倍晴明の母親は狐だったというし、ありえない話ではない。直系などではなく分家なので遠縁もいい所ではあるけれど。
確認のために再度、蔵の中へと戻る。が、隠し部屋はあったがその奥の謎の部屋は影も形もない。隠し部屋の壁が広がるだけで甘ったるい臭いすらも消えていた。
そしてなにより、手に持っていたはずの目玉の入っていたケースが無い。
やはり幻覚かなにか夢でも見ていたのだろうか。
(どちらかと言うと幽霊っぽいよな…)
先程も思ったように狐に化かされたか幽霊でも見たか、もしくは幻覚・夢だったのか。
真相が分からないために釈然としないものを抱えながら建物の鍵を閉め、家路に着くことにした。
「あ、もしもしアザミさん。あそこって幽霊とかいたりしませんよね? ね!?」
帰り道。やっぱり怖くなってきたのでアザミさんに電話をして確認をすることにした。物理的に殴れないし幻覚を見せてくる幽霊とか恐怖以外の何物でもないからだ。
『あっはっは! 居やしないよそんなもん! で、なにかあったのかい?』
返答は大笑いと共に返ってきた。
ですよねー、と思いながら経緯を説明すればアザミさんは不思議そうに唸った。
『うーん、おかしいね。こっちの調査じゃ一応ダークサマナーが関与してるんじゃないかって話だったから調査用の悪魔を使って調べたけど隠し部屋までしか見つからなかったよ。その奥にアンタが見たって言う部屋なんて無い…はずさね』
調査はちゃんとしたはずだ、とアザミさんは言ったがなにか引っかかるものがあるようだった。
『そもそも、そんな部屋があってよく分からないものが居たってんなら、あの爺さんは黙っちゃいないだろうね。倉橋爺は身内以外がテリトリーに入るのを酷く嫌がる男だった』
思案するように倉橋翁の事を考察するアザミさんはこちらの見たものの説明がつかない為に結論を出しかね、悩んでいるようだった。
『…けど、そのよく分からないものはアンタが聞く限りでは“せいめい”って言ったんだね?』
「はい。“晴明”、と」
『ふーん、ま、狐に化かされたんだね! 幽霊屋敷じゃあないけどあそこは“出る”って言うしねぇ!』
「いやそれ、幽霊屋敷って言いません!? 出るんなら幽霊屋敷じゃないですか!」
結局、狐の仕業と決めつけた無慈悲なアザミさんの言葉に盛り塩をして寝ることに決めた。
幽霊が出るわけないと言われて安心したのにトドメにやっぱり出ますと言われたら流石に怖くなるに決まっている。
召喚器と破魔矢も枕元に用意して寝て何時でも迎撃出来るよう構えて寝ないと安心できそうにない。
『やー、そんな怯えなくたっていいよ。どうせ出るのはあの偏屈ジジイくらいさ』
それはそれで嫌な気になってきた。取り憑かれているとするなら即除霊したいくらいには嫌だ。
「ええと、心配はないってことでいいんですよね?」
『そうだね。気にせず帰りな。ああでも、風呂にはしっかり入るんだよ!埃だらけであそこは汚かったからね!』
「はい。くだらないことで電話してすみません」
『いや、いいんだよ。気になることがあったらこんな風に電話してきな』
「ありがとうございます」
まるで母親みたいなことを言うアザミさんに返事とお礼をして電話を切った。
そういえば手を擦りむいて怪我をしていたから帰ったら手を洗って絆創膏でも貼るか、と傷を確認したらそこに傷はなく。
怪我も何も元々なかったように綺麗な手のひらがあった。
アザミさんに心配をかけたかもしれないがあの部屋に入る前後のことは自分の勘違いで夢だったのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると荒垣くんから晩御飯はどうするのかというメールが届いた。いる、と返事しかけてボタンを押していた手を止める。
有り得ないことが起こったからか、腹が全く空いていない。ここ最近のパターンなら、お腹が空いて仕方の無い時間だというのに。
いらない、と書いてメールを送信する。
そして色々思い返してあの屋敷に一人で行くのは絶対にやめようと深く誓った。
次行く時はアザミさんかライドウくんを連れていく。絶対にだ。