荒垣真次郎が三上優希という人間と出会ったのは高校1年の夏前のことだった。
6月という中途半端な時期に転校してきた彼は、担任に紹介されて教室にまっすぐ入って黒板に名前を書いた。
「フランシスコザビ…三上優希です」
おい今なんて自己紹介しようとした?
転校生が来るという話は心底どうでもいいと思っていてよそ見をしていた荒垣だったが、そのトンチキな自己紹介に顔を向けた。
「こんな時期に転校してきて変なやつだなって思われるかもしれませんけど仲良くしてもらえるとありがたいです。目に入れても痛くないくらい可愛い妹と弟がいて、好きなものはたこ焼きと牛丼で、趣味は深夜徘徊と食べ歩きです。あ、深夜徘徊はやっぱり趣味じゃないです」
兄妹構成と好きなものと趣味は聞いてない、と荒垣は内心でツッコむ。
しかし顔だけはいいのか転校生が微笑むともう誰も何も言えないようだった。
荒垣からしたら、変なやつが来たな…という印象でしかない。
休み時間になり、クラスメイトに囲まれる優希を盗み見る。
「三上くんって好きなタイプの子とかいるの?」
「うーん、努力家で頑張りやでお父さんを大事にしてて一人で抱え込みがちでバイクが好きで学年テストで毎回1位になるような子かな」
「そ、そうなんだ…」
具体例がいろいろとピンポイントすぎる。
そんな存在、このクラスには一人もいないだろう、と遠い目をした。
いや、そのタイプの女子がこの学年にはいるにはいるが転校してきたばかりの優希がそれを知るはずもなく。
普通に理想のタイプかうるさい女子を避けるためのでたらめか何かなのだろうと勝手に納得した。
「じゃ、じゃあ最近ハマってるものとか…」
「ハマ…? ああ、最近というかここにきてからなんだけど、散歩が好きかな」
「散歩…」
「そう、散歩。ぶらぶら観光みたいなものだよ」
その後も当たり障りない質問が優希にぶつけられるがのらりくらりとホントかウソかわかったものではない答えを返していた。
「なあ、三上、カラオケの十八番なによ?」
「サトミタダシ薬局店。ヒットポイント回復するなら~ってアレ」
「まじか」
「前住んだとこにあって覚えちゃったんだよねー」
今歌おうか?と告げながら答えを聞く前にもう握りこぶしを作り「てててっててててってってってー」とイントロのメロディーを歌い出す三上は相当変人だとはや1時間で評価を改めた。
そんな変人な優希でもしばらくすればまともな言動をするようになり、クラスメイトとも適度な距離感をとるようになっていた。
そもそも、変な言動をしていたのは初日だけだったようでそれからは最初からそのクラスにいたかのようになじんでいた。
目つきがきついために不良だと言われて遠巻きにされる
「荒垣くん、次は移動教室だよ」
一カ月ほどだっただろうか。全く接点がなかった優希が不意に声をかけてきたのは。
ただしそれは単に教室でサボって狸寝入りをキメようとした優希に次の授業が移動教室であると告げただけだ。
「…分かってる」
「そっか」
顔を伏せたままの荒垣の耳に椅子を引く音がする。
(……?)
「俺、サボっちゃおうかな」
その声に驚いて顔を上げれば、頬杖をついてこちらを向く優希の姿が。
「お、やっとこっち見た。やあ、荒垣くん。“はじめまして”」
「あ…?」
夏の日差しに照らされた優希の表情が眩しい。
酷く得意げな笑みを浮かべたその顔は、いたずらが成功した子供のようだった。
「いままで話したことなかっただろ? だから、サボって荒垣くんとの親交を深めようかなっていう実に男子高校生らしい健全な理由だよ」
「必要ねぇ」
「荒垣くんからしたらそうかもね。でも俺は必要かな」
──だってクラスメイトと親睦をはかるのは大事だろ?
いけしゃあしゃあと告げたその顔に、荒垣はげんなりした。これはどう繕っても離れそうにない。
「荒垣くんは好きな食べ物とかある? 俺はね、たこ焼きと牛丼かな」
「……」
優希の、『牛丼』というチョイスに別のクラスになった幼馴染を思い出す。
触れれば折れそうな優希と、ボクシングで鍛えている幼馴染は全く真逆だが。
「…てめえと話すつもりはねえ。さっさと行きやがれ。今ならまだ間に合う」
「つれないなあ」
困った顔で笑った優希は本心ではそう思ってないような声色で言葉を吐いた。
「俺は睡眠を邪魔されたくねえよ」
「それは悪かったよ、ごめんね」
それじゃあまたこんど、と次があるかのように告げた優希はそのまま立ち上がってカバンをもって教室から出ようとする。
「…? おい、三上。カバンはいらねぇだろ。バッくれるつもりか?」
「ああ、俺さ──」
「──今から病院だから早退するんだ」
どこか悪いのか、とか怪我でもしてるのか、とは聞かなかった。
荒垣としてはそこまで踏み込む義理もない。
「まあ流石に病院サボっちゃまずいよね、ありがとう」
なんて、お礼を言う優希は先ほどとは違い今にも消えそうな儚さがあった。
それに顔をそむけることで答えた荒垣はそのすぐ後に「触れれば折れる」「儚い」なんて言う印象も撤回する出来事が起ころうなどとは思いもしなかった。
夏休み。
あの日以降、「またこんど」と言った優希だったが全く絡んでくることは無く。
連絡事項の伝達や実習でのコミュニケーション程度のものは行っていたが前のように直接何かを聞いたり言ったりすることも無かった。
としては「五月蠅い奴に絡まれなくて良かった」程度のことだが、たびたび優希が早退していたこともあり頭の片隅に置くくらいにはなっていた。
目の前で倒れられても困る。その程度の思考だった。
たまたま通りかかった路地裏の不良のたまり場で喧騒が聞こえ「また喧嘩か…」といつもなら無視するはずの荒垣の耳に、「きみで最後だよね」という聞き覚えのある声と男の雄たけびが聞こえた。
それはそこで聞こえるはずのない声で。
角からこっそり覗き見る。
「…!?」
10人近い不良がそこで倒れ伏しており、最後の一人と思われる男の振り下ろした鉄パイプを避け強烈な蹴りを叩きこんだのは見間違いでなければ同じクラスの転校生である優希だ。
「大人しくのこのこついていった俺もダメだけどさあ、カツアゲに失敗したからってリンチは駄目だよね。…こんなモノまで使ってさ」
死屍累々な状況を作り上げたにもかかわらず、心底つまらなさそうに頭の後ろを片手で掻きながらもう片方の手に持っていた鉄パイプを放り投げた優希からは儚さなどというモノは消え去っていた。
獣だ。
荒垣はそう思った。
リンチしようとした相手を1人で逆に完膚なきまでに叩き潰すのはそうとう喧嘩慣れしていないとできるものではない。
人当たりのいいやわらかい印象しかなかった優希は今、倒れた男の左腕に足を乗せている。
「…利き腕って右? パイプ持ってたから右だよね。ああ、左だったらごめんね」
「…ま、まさか…」
優しく、クラスメイトに語り掛けるようないつもの声色で不良の男に語り掛ける優希の足に、体重がかかる。男が何か口にしようとしたがもう遅い。
「があああ!?」
「今回は一本で許してあげるよ」
先ほどと声色は変わらない。
優しく、きわめて優しく語り掛けるその姿に、荒垣は不良の男に対して憐れみを抱いた。
「ひっはひ…っ…ひぃぃ…」
「折れたんだから痛いよね。でもね、俺も悪魔じゃないからさ、君たちが“俺の身内に危害を加えようとしない限りは”もう来ないしこのことも水に流すし君たちには近づかないよ。知らない他の人に対しては好きなだけすればいい。だってそれは、俺の知らないところだからね」
「…はひ…!」
男の顔が希望を与えられたせいなのか少し明るくなる。
「でも、」
と優希は区切る。そしてその変わらない優しい表情のまま、笑う。
それはまるで、駄目な子を見る母親の顔だ。しかし、
「“次”は両方貰うからね」
告げられた言葉は酷く残酷なものだった。
「やあ、荒垣くん。散歩?」
倒れた不良を背後にして、たった今喧嘩をしたばかりだという気配は微塵も感じさせない優希がまるで世間話でもするかのように話しかけてきた。
こんなところ、散歩にしろ何にしろ、好んで通る訳がない。
先ほどの光景を見ていなければ「危ないから帰れ」程度の言葉をかけただろうに、見てしまったがために心からそんな言葉を吐けるほどの持ち合わせはさすがになかった。
「あ、ああ…」
「ここら辺、治安悪くて危ないから気を付けてね」
お前の方がよっぽど危ないだろ。
荒垣はその言葉を呑み込んだ。危険物なのは明らかに目の前の
「おい」
「なに? あ、もしかしてやっと俺と親交を深めてくれる気になった?」
「違う」
「じゃあ“うみうし”に行こう。俺お腹すいちゃって」
拒否権は無いらしいその言葉に、黙ってついていく。
どの道見つかった時点で連れまわされる運命だったらしい。
荒垣は溜息を吐いてから少し離れてついていった。
「おいてめえ、まだ食うのか」
「うん。あと二杯はイケるかな」
「勘弁してくれ…」
“うみうし”で幼馴染なんかよりもよっぽどの量を平らげる優希に頭を抱えるとも知らずに。