「元々いなかった存在が、きみが居たから生まれてきたというのなら。それは、きみが。きみこそが、有里渚ではないのか?」
美鶴のその問いに、優希は答えられなかった。
認めたくなかった。自分ではない、『本当の有里渚』が最初から居ないことを。
否、最初から分かっていた。ただ、認めたくなかっただけだ。
無機物が心を持ち、魂を持って人となり、こうして存在していることを。
アイギスたちの在り方を肯定しておきながら、優希は己自身だけはどうしても認めることができなかったのだ。
始まりの記憶を思い出してからは自分が人ではないという意識が強くなり、違和感ばかりが心を占めていた。
ここに居てはいけない。ここは自分の居場所ではない。
そんな気持ちばかりが浮かんでは消える。
問いたくなかった。
なら、自分の居場所はどこにある? などとは。
──問えなかった。
「……」
何も答えられない優希を見やり、美鶴はやってしまったか、と思った。
あまりにも深く入り込みすぎた質問をしてしまったかもしれない、と反省するももう遅い。出してしまった言葉は撤回できない。
大事に想うからこそ、自身を否定するような言葉を吐いてほしくはなかった。だが、こういった込み入った質問をするにはまだ早いような気もしたのだ。
とはいえ、いつするのだ、という話にもなるが。
「昔、」
不意に、優希が口を開いた。
「千鶴さんが美鶴さんのことを話していたことがあったんだ。同い年で、可愛い姪っ子だって。いつか、普通に合わせてあげるからってさ」
そして視線を海の方へと向ける。
その表情を美鶴は読み取ることができなかった。
「きっと、千鶴さんはあの事故がなければ──殺されなければ、いつかはなんとかして俺を連れて逃げていたんだと思う」
あの優しい叔母なら見過ごせずにきっとそうするだろう。
美鶴はそう感じた。
確かに、あの頃の叔母は優しかったが何かに思い悩んでいるような表情もしていた。
一度、美鶴は訊いたことがある。なにか悩んでいることがあるのか、と。
その時、美鶴は叔母にはぐらかされたのだ。それが、精一杯の叔母の思いやりだったのだろう。
美鶴に何も背負わせないために。
「逃げても、どうにもならないのに」
「それは、予測か? それとも『繰り返し』の中であったことなのか?」
「…いいや。デスを抱えていても、抑えていても、きっと、いつかは耐えられなくなる。この前までの俺がそうだったように、いずれおかしくなって一番に犠牲になるのは千鶴さんだ。これは予測じゃなくて分かり切っている結果なんだ。確かめるまでもない」
性質が同じシャドウという存在でも、元は同じものだったとしても、人として生まれてしまったからには、人の心と肉体を持ってしまったからにはいずれ破綻していたのだと優希は語る。
「相性が良すぎるのも問題なんだ。どちらかがどちらかに呑まれてしまう。溶けて、まじりあって、ぐちゃぐちゃになりやすい。受け入れるにはある程度、別の存在であるってことが大事だからさ」
だから、自分は平気じゃなくて湊と奏子は平気だったんだ。と、優希は続けた。
「──俺が、『本当の有里渚』じゃないのかって問いには、まだ答えられない」
その声は酷く硬かった。
緊張し、自分でも答えるのが恐ろしいと思っているような、そんな声だ。
「俺の中でまだ答えが出ていないんだ。俺がここにいていいのか。俺は、だれなのか。まだ何もわからない。たとえいなくとも、魂が無くとも、繰り返していれば『本当の有里渚』が生まれたかもしれない。俺は、その可能性を奪ってしまった気がするんだ」
結果論にすぎなくとも、そうなのだと優希は決めつけているように見えた。
それと同時に美鶴にはそれが違うことはわかるが、難しく、どう答えることもできない。
否定も肯定もできないような問題にこれは思えたのだ。かと言って、上手い言葉が見つかるはずもなく。
「三上優希って名前でさえ、ほんとは養父さんと養母さんに生まれてくるはずだった子供の名前なんだ。俺は、なにもかも借り物で生きているんだよ」
自分が名乗ってそう自覚している名でさえ、借り物だと言い出す優希は酷く空虚な眼をしていた。
「いつかは、返さなきゃいけない」
「誰になんだ。その名前をつけたのはきみの養父母だろう。きみを愛し、そう名付けたのは彼らの意志だ」
優希の養父母であるハジメとヒロコはそれこそ本物の息子のように優希を愛しているように見えた。が、優希は否定するように首をゆっくりと横に振った。
「生まれてくるはずだった子にだよ。おこがましいかもしれないけど、俺はそう思ってる。養父さんと養母さんは俺を愛してくれてるよ。でも、違うんだ。俺は代わりでしかない。本物にはなれない」
優希の口からこんな、養父母の愛を疑うような言葉を聞くのは初めてで、愕然とし、大きく目を見開く。
「養母さんや養父さんそっくりにはなれないし、どうしても違うところが出てくる。本当の二人の息子には俺はなれない。どうやっても。…二人のことは大好きだけどさ」
はは、と笑う顔は憔悴しきっているように見えた。
くしゃりと前髪を片手で掴んでそして離したあとに大きく息を吐いた優希はそのまま立ち上がった。
「もう帰ろう。寮にケーキを作って置いてあるからさ、一緒に食べようよ」
「それは、そうだが…」
このまま話を終わらせていいものか、と美鶴は悩んだ。
なにか、大事なことを見逃してしまうのではないか。これは、彼なりのSOSなのではないか。
もしそうなら、これを見逃せば大変なことになってしまうのではないか。
呪縛のように名前に縛られ、『本物』にはなれないと思い悩んでいる優希に美鶴は答えを見いだせずにいた。
何か言葉をかけなければいけない。そう思わずにはいられなかったのだ。
「私は、きみがどんな姿になろうとも。どんな名前だろうと愛している。それだけは忘れないでくれ」
それが、今の美鶴の精一杯の言葉だった。
「!」
大きく目を見開いた優希は一瞬泣きそうな顔で眉を寄せるも、その表情をすぐに笑みの形に変えた。
「……ありがとう」
自身の部屋でケーキを前に美鶴は綺麗にラッピングされた縦長の箱を出す。
「…これを、受け取ってくれないか」
「これは?」
優希が訊けばわずかに美鶴は頬を赤らめさせ、恥ずかし気にそれを見つめる。
「シャンパンだ。…取り寄せてみたんだ。いつか…きちんとしたもので、きみとグラスを交わせるように」
そんな願いを込めて選んだものだ。
まだ未成年なので飲むことはないが成人しても共にいられるように。この先の戦いを、無事に切り抜けられるように。
美鶴はそう信じていたかった。
「そっか。大事に取っておくよ。いつか、飲めるように」
その答えに美鶴は安堵した。否定されてしまうのではないか、そんな未来は来ないと一蹴されてしまうのではないか。
そう思っていたからこそ、例え上辺だけだろうと、優希が快く返事をしてくれたことに安堵したのだ。
頑なに自分が死ぬのは決定事項だ、と言っていた時よりも良い傾向になっているような気もしたのだ。
一方、それを大事そうに脇に置いた優希は懐から小さな箱を取り出した。
「じゃあ、俺からも。もうひとつ」
シャンパンの箱よりは薄い、掌に乗るくらいの、ピンクゴールドのリボンで飾り付けられた黒い箱を美鶴は渡される。
「開けても?」
「いいよ」
美鶴は確認し、了承を得てからそのラッピングを外して蓋を開けた。
「…!」
中に入っていたのは小さい青い石をあしらったシンプルな指輪と首にかけるチェーンだった。
その石は角度によって青にも白にも見える不思議なモノだった。
サファイアのようにも見えるしオパールのようにも見える。しかしそのどちらでもないと分かるような色合いをしていたのだ。
「お店のものよりかは下手かもしれないけど──作ってみたんだ。美鶴さんに渡したくて」
作った、と聞いて美鶴は驚く。いつの間にこんな石を用意したのかと訊きたい気持ちを抑え、優希の言葉を待った。
「お守り代わりだと思ってほしい。できるだけ、肌身離さず持っていてほしいんだ」
言われなくとも、肌身離さず持つつもりだった。
優希からもらった金の招き猫のストラップでさえ、未だにバイクのキーにつけているのだ。
あの時、そのストラップが美鶴とゆかりの命を救ったのだから、直接本人がお守りと言っているそれにも何か特別なものがあるのだろう。
「…私は、幸せ者だな」
思わず、そう告げる。
「それを言うなら俺もだよ。ありがとう。シャンパン、嬉しいよ」
するりと箱を撫でた優希は美鶴へと視線を向け、僅かにほほ笑んだ。が、美鶴ははた、とあることを思い出した。
「そういえば、あのモコイという存在はきみの一体何なんだ?」
「え? モコイさんのこと?」
そう、美鶴は気になったのだ。
モコイ、と呼ばれているあの緑色の変な生物が優希の一体何なのか。
あのよくわからない存在に嫉妬心さえ覚えているくらいだ。
「う~~~~ん、モコイさんは──グレートでブリリアントな友達、かな」
「グレートでブリリアントな友達?」
意味が分からなかった。
謎だ。
説明を受けてもその内容が全く分からない。否、言わんとしていることは何となくわかる。
すごく素晴らしい、とかとても仲がいい、とかそんな感じなのだろう。そう美鶴は解釈した。
「モコイさんはすごいんだ。なんというか──存在そのものが」
「そ、そんなにか!?」
「俺のことを助けてくれたし、かわいいし、かっこいいし……こう、癒し? 的な」
まるで勝ち目がないように思え、美鶴はショックを受けた。
どうやってそんな存在に勝つというのか。もし、ありもしないと思いたいが、優希が「モコイさんの方が好き」などと言い出すことがあれば。
「その、きみは…モコイに恋愛感情はあるのか…?」
恐る恐る訊く。これでもし、恋愛感情がある、などと言われてしまったら終わりだ。
「へ? ないない! 仲は良いけど、でも恋人とかそんな関係になるような付き合いじゃないよ! 相棒みたいなもんだよ」
結果は否定だった。それも、割と真面目に本気の。
「てか、モコイさん女の子じゃないし、どっちかっていうとオジサン…? うん。性格はオジサンかな…」
「そうか…」
本当にすさまじく仲の良い友達、というだけだということが分かり、美鶴は安堵する。
それでもだ、あの時モコイの言葉一つで帰ることを選んだように見えたことだけは嫉妬すると言わざるを得ない。
「…恥ずかしい話なんだが…私はそのモコイという存在に嫉妬していた。きみがあの生き物を思い出してはにかむたびにどんな相手なのかと思っていたが…そうか、オジサン、か……」
なんだか拍子抜けした感じだった。
オジサン、と言われてしまえばまるで同じ土台に立っている存在とは思えず、まだ女の子だと言われた方がよかったのかもしれないと思う程度には残念というべきか。
対する優希は何かが面白かったのかふるふると肩が震えている。そしてついに耐えきれなくなったのか、笑い声が漏れる。
「ふ、あははっ……ごめ、馬鹿にするつもりじゃなくて…でも、モコイさんに嫉妬だなんて…美鶴さんは可愛いなあ」
そしてその笑みの顔のまま、美鶴の手をやさしく覆うように握り、その頬に口づけた。
「こういうこと、するのは──…したいって思うのは、美鶴さんにだけだよ」
一瞬美鶴は驚くも、今更照れることでもないかと開き直った。
こういうことには慣れていかないと心臓が持たないし雰囲気も壊れてしまうだろう。
そう思って内心はドキドキしたままだったが平静を装う。
「それは、『以前』の私にも思っていたのか?」
「全然。好きだったけど、こういうことをしたいって思うのは『今』の美鶴さんだからだよ」
自分の知らない自分に対しても嫉妬してしまいそうな美鶴の問いに、優希は首を横に振る。
そのことに安堵した美鶴はこれでようやく以前の自分に嫉妬しなくて済むと考えた。
自分の知らない自分など、よく似た他人のようなものだ。そんな過去の──存在しない自分に恋人が現を抜かしているとなればいい気分はしない。
そんなことを考えていた時。
「……、あれ…?」
ふいに美鶴から手を離し、片手をこめかみに当てて何かに戸惑うように一瞬眉をしかめた優希はすぐに元の表情に戻る。
その表情に違和感を覚えた美鶴はなにがあったのかと思う。
なにか、気配を感じたのか。それとも、別の何か変なことがあったのか。
「どうかしたのか?」
「ああ、いや、なんでもない…気のせいだったかも」
「……? そうか?」
訊けば、すぐにはぐらかされ、気のせいだったと言われてしまう。
すぐに普通の様子に戻った優希の様子に大したことではなかったのかと美鶴はそのまま流し、ケーキに手を伸ばす。
そうして、二人は夜遅くまで一緒に過ごした。