2010年
1月1日(金) 朝
巌戸台分寮
「ついに正月だな」
「ついに正月だね」
荒垣くんとふたりで冷蔵庫の中を見る。
中には、昨日までにコツコツと準備してきたおせちの重が入っている。
最後の一品が出来上がった瞬間に二人で「よしっ!」と言ったのは記憶に新しい。
「朝はどうせバラバラに食うだろうからな、初詣に行った帰り…そうだな、昼に出しゃいいだろ」
「で、こっちは初詣のお参りついでに朝倉先生のとこに届けに行く、と」
「そうなるな」
すこし小さいお重を指さし、確認する。
どっちかがもっていかないとならないのでちゃんと確認しておきたかったのだ。
「じゃあダイニングにいる腹ペコ虫さん達には…」
ちらりとダイニングに居る湊と真田くんを見やる。
ふたりは食事が出てくるのをなんとなく待っているようでこちらに期待した視線を送ってきている。
残念だが、おせちはでないぞと言いたい。
「適当に食わせとけ。どうせ何でも食いやがる」
「それもそうか」
炊飯器に昨日のご飯が残っていたのでそれをおにぎりにすることにして、ウインナーと卵焼きをつけることにした。
伊織は寝坊確定だとしても天田くんはもうすぐ起きてくるだろう。
その二人と先に出て行った女性陣の分まで考えて量を多めに作って置く。
帰ってきてから食べたくなることもあるだろうし。一応。
山盛りのラップに包んだおにぎりとウインナーと卵焼きを大皿に乗せて、湊たちの前へとドンと置いた。
「はい、朝ごはん。お味噌汁は自分でレトルトのを作ってね」
「えー」
「分かった」
それぞれの返事を聞いて、踵を返そうとしたその時、ちらりと天田くんがこちらに顔をのぞかせた。
「あ、あの…明けましておめでとう…ございます」
「おめでとう」
「今年もよろしく」
それに湊が返せば照れたように天田くんが返す。
ああ素晴らしきかなこれが正月の醍醐味だ。ちなみに真田君と湊のふたりは「明けましておめでとう」をいう前に食事に気をとられているのでそんな会話は無かった。
「なあ。みーなと。明けまして?」
「おめでとう」
「よろしい。お味噌汁は作ってやろう」
意地悪っぽく言ってみれば渋々その返事が返ってくる。
なのでこちらも譲歩して味噌汁を用意してやることにした。というか、ケトルからお湯注ぐだけなんだから自分でやればいいのに。
真田君はそこに味のしないプロテインぶち込んでるけど。ちゃんと溶けるのだろうかあれ。
「あ、荒垣さんも明けましておめでとうございます」
「おう」
「今年もよろしくお願いします」
キッチンからひょっこり顔を出した荒垣くんにも天田くんは挨拶をした。
まったく、いい子だ。誰かさんと違って。
「天田、僕の時と先輩の時で態度…いや、どうでもいいか…」
おにぎりをほおばりながら小声でそう呟いた湊の声はしっかり耳に入ってきた。
日頃の行いだと思うぞ、うん。
「お正月って言っても特別にすることって、無いですね」
「新年の挨拶を交わすってくらいだな。今年も頼む」
「はい。コロも、おめでとうな」
「ワンッ!」
そんな会話が繰り広げられているがこちらとしては言語道断。聞き捨てならない言葉だ。
「二人とも、することあるって! おせちを食べたり神社にお参りに行ったりくじを引いたり屋台を回ったり…そういうの、やらないの!? というかお昼にはおせちとお雑煮用意してあるんだよ!? 腹空かして貰わないと!」
「そんなことを言っておいてこんな量の握り飯を用意するやつがあるか。いや。有里なら食いきれるか」
それもそうだ。
ぐうの音も出ない。時間差のことをすっかり忘れていた。
そんなことを考えていると、奥から伊織が歩いてくる。
「あっべー…すっかり寝坊だよ……なんで、あんなの見ちゃったかな…イタリアかなんかのゾンビの映画……見ました?」
「見るか。そんなもの」
真田くんは容赦なく伊織の言葉を切り捨てた。
伊織が見たというゾンビ映画、自分は寝付けなくて途中まで見ていたがそのことは黙っておく。
中々悪くない出来だったような気がするが途中で眠気が限界にきてテレビを消して寝てしまったのだ。なのでどうだったかは憶えていない。
「あ、三上さんが言ってたように、皆さんは、お参りとか、行かないんですか?」
「ゲンは担がない主義だからな」
「オレもそういうのいいや…面倒くさいだけだし…」
「どうでもいい…」
天田くんの問いかけにこの返事だ。
なんとまあつまらない男たちである。正月と言えばお参りだろう。
そしてくじ引き。吉と出るか凶と出るかのワクワク感がたまらない。子供っぽいと言われればそれまでだけども。
「ゆかりさん達は、もう行ってますけどね。美鶴さんが、全員分の晴れ着を用意してたみたいですよ…」
「! …着物ねぇ」
全員分というと恐らく奏子やメティス、ラビリスの分もだろう。
本来ならこちらで三人の晴れ着を用意する予定だったが美鶴さんによる「女子同士の方が何かと言いやすいこともある」という一声でバッサリと切り捨てられてしまった。
確かにそうである。自分なんかと選ぶより、断然女子同士で選んだ方が楽しいに決まっている。
それに美鶴さん御用達の呉服屋で着付けとなればさらにバッチリしっかりしているだろう。自分が知っているのは精々京都のあの店と倉橋商事チェーンの店くらいだ。前者はともかく後者とは雲泥の差というものだ。
そう言えば、倉橋商事と言えば輸入業だけでなく色々な分野にも手を出しているらしく、蓋を開けてみれば倉橋商事の子会社だった、などということは珍しくない。
流石、かつては名を馳せた大企業、といったところか。
「…オレッち、ちょっとコンビニ!」
「おい、待て」
「…は?」
踵を返して出て行こうとする伊織を真田くんが引き留める。
「初詣に行く気か? “そういうのはいい”んじゃないのか?」
「や、やだなー。いや、ちょっと散歩してくるだけッスよ…」
「…ふぅん」
白々しい。
どうせみんなを強制的に誘って初詣に行く予定なのだからそんな言い訳をせずともいいと思うのだけれど、そんなことを伊織は知りはしないだろう。
「まぁ、ヒマだしな、たまには付き合おう」
「…あ、僕も行きます」
「俺と荒垣くんと湊も行くよ。ね、湊」
「はあ…」
三者三様の返事を返し、伊織を見つめれば嬉しそうに笑う。
「なんだ、結局、行きたいんじゃないッスか」
「場所は?」
自分が先に『長鳴神社』だと言えば不審がられるのでここも黙る。どうせ天田くんが聞いているだろうし。
「……あ、聞いてます」
「…よしッ」
「あ、ちょっと…朝ごはん…まあいいか…」
元気よく走りだしていった伊織を見送り、自分もエプロンを脱ぐ。
「行く?」
「行くしかないだろう」
「屋台奢ってくれるなら、行く」
ここに来てまで現金な湊の返事を聞きながら、外に出る準備を始めるのだった。
というかどれだけ食べるんだ…?
昼前
長鳴神社
「つーか、三上先輩なんスかその羽織」
「ん? 修学旅行の時にちょっと仕立ててもらった」
「ちょっとじゃなくないですか? 僕からでも高そうな品だってわかりますよ」
神社の石段を上がりながらそんな話をする。
折角だし、箪笥の肥やしになっていたこれを着て行こうと思ったのだ。
箪笥の肥やしのままだとアザミさんや仕立ててくれたお店にも悪い。なので、今着るべきだと思い立ったわけだ。
まあタートルネックに羽織という何ともちぐはぐで寒そうな格好になっているがそれ以外コーディネートが浮かばなかったのもある。
そしてタートルネックの内側に山ほどカイロを貼っているので防寒対策は──
「ふえっくしょん!」
「コート、着てきた方がよかったんじゃない」
「ずびび…そうかも…」
──バッチリではない。動いているとはいえ若干寒い。
羽毛のダウンジャケットが恋しい。ああ素晴らしきかな文明の利器。フワフワダウンジャケット。
調子に乗ってよくわからないまま羽織だけ着てきてしまったので寒い。もっとこう、冬は冬でちゃんとあったかく着る方法があるはずなのだ。こんなことならパソコンで調べてくればよかったか?と思うものの、そんなものがすぐ見つかるはずもないし調べたところで実践できるかどうかわからないのでどのみちこの結果になっていたと思う。
「クゥーン…」
コロマルが心配して擦り寄ってきてくれている。
その温かみがありがたい。早く甘酒を貰って飲みたい衝動を抑え、石畳を進む。
そんな視界の両端に色とりどりの出店が並ぶ。夏祭りのものより規模は小さいが、それでも立派に出店が出ている。
今日はどれだけ使うことになるのやら、と財布を確認して、またしまえば、丁度目の前に綺麗な着物で着飾った美鶴さんたちが歩いてくる。
「明けましておめでとうございます。本年も、どーぞよろしく」
「あっけましておめでとうございま~す!」
赤の着物を着た岳羽の挨拶と朱色の着物を着た奏子の元気な挨拶がほぼ同時に振ってくる。
奏子に至ってはピョンピョンと元気よく跳ねているのだ。こけたり着崩れとかしないんだろうか。そこが心配だ。
「っていうか、遅かったですね。もう帰ろうかって言ってたのに」
「色々あったんだよ、色々…」
「あー、なんか察しました」
実はあんまり何もなかったがそう言うことにしておいた。
実際、行く・行かないでごたごたしていたのは事実だし。
そんな会話をしていれば、伊織がぼーっと岳羽を見つめている。そして、口を開いた。
「ゆ、ゆかりッチ…」
「な、なによ…」
見つめあう二人。そんな二人を知ってか知らずか美鶴さんが遮る。
「明けましておめでとう。…ん、どうした、伊織?」
「桐条先輩、すげーイイっす…なんだか、オレ…アウチ!」
皆まで言う前に伊織の足を思いきり踏んづける。
これ以上言及するようなら踵でぐりぐりするのも忘れない。
「伊織?」
「ハ、ハイ! すんませんした! だからその、足! 足!」
悲鳴を上げる伊織に足を退ける。
反省したのならいいんだ。反省したのなら。反省してなかった場合はぐりぐり追加だけど。
「お、おい…」
ちょっと困惑している美鶴さんもかわいらしい。
出来ればカメラで撮りたいところだがあいにくそんなものはないし、携帯のカメラでは美鶴さんの美しさを捉えきれない。
残念だ。もっと携帯のカメラが高画質になればいいのに。
「美鶴さん、綺麗だよ」
「そ、そうか。ありがとう」
にっこりと笑いかければ困ったような笑みで返されたがそれでもいい。
自分的にはこの姿の美鶴さんを拝めるだけでも幸せなのだから。
「三上先輩の嫉妬コエ~…」
伊織が何か言っているが聞こえないったら聞こえない。無視だ。無視。
「あ、あの…私、和服ってホントに着た事なくて…帯とか、曲がっちゃってないですか?」
「さあ…よくわからんな。なあシンジ」
「バカてめえ…まあ、変ではねーぜ。安心しな」
「そうですか? 良かった…」
二人から一応の返事をもらい安心している様子の山岸を、またしても伊織が見つめている。
まあ、美鶴さんではないので良しとしよう。セクハラまがいの言動をするようならもう一度踏むことになるだろうが。
「風花…お前、イイよ…なんかこう…イイよ!」
「も、もう…」
今度はセクハラまがいでもなんでもなかったので良しとする。伊織の平常運転と言えばそうなのだが、それにしたって限度があるというものだ。美鶴さんと奏子を口説こうというのなら俺と荒垣くんを倒してからにしてほしい。
「面白い構成の服ですね。ちょっと動き難いですけど…」
「せやね。今まで着たことない服の感じやね…ウチはこれはこれで可愛くて好きやけど…あの子はぎゃんぎゃん言うとるわ…」
「シャビ姉さんってば…もう」
シャビリスは今はラビリスに任せて内にいるらしいがそれでも着物の動きにくさにぎゃんぎゃんと吼えているらしい。
シャビリスらしいと言えばそうなのだが、確かにこんな動きづらい格好は彼女からしたらビラビラしていて邪魔で最悪なのだろう。
もし、無いことを願いたいがこのまま戦闘になることがあれば、シャビリスは容赦なくこの高級な着物を破いてしまうだろう。
おお、くわばらくわばら。
「と・こ・ろ・で。ナギサくん。どーお? ウチ、おめかしして来てんで?」
「可愛いと思うよ」
くるりと回って薄い白に近い水色の着物を揺らしたラビリスがウインクしてくる。
彼女もここ数週間でかなり人間味を増してきている。正直、可愛いと思う。純粋に。
「ホンマに? おおきに! でも、他にも何か言うことあるんとちゃうの~?」
「……これ以上は勘弁してほしいかな」
「──ふぅん、ま、今回は勘弁してあげるわよ」
「!?」
ニヤリ、とラビリスがあくどい笑みを浮かべた。
否、違う。これはラビリスではない。
ぞわり、と肌が泡立つ。かと思えばラビリスはいつもの笑顔に戻ってにっこりと笑いかけてくる。
「なんてな。冗談や、ジョーダン! どう? びっくりしはった?」
「びっっっっくりした…心臓止まるかと思った」
「そっちの方がジョーダンに聞こえへんねんけど…」
ドキドキと悪い意味で高鳴る胸を押さえて大きく息を吸う。
一瞬シャビリスが出てきていなかっただろうか。気のせいか? 本当に冗談なのかそうじゃないのか判別がつかず、ドキドキしてしまう。主に恐怖的な意味で。
視線を横に向ければ、アイギスの後ろに隠れるようにしてこちらを見ているメティスと目が合った。そしてぴょんと頭が引っ込められる。
この中で一番恥ずかしがっているのはメティスなのではないのだろうか、と思うほどに黒い蝶のようなデザインの着物を着たメティスは小さくなっていた。
「メティス、大丈夫?」
「どうってことありません。これくらい…!」
ぷんぷん、とむくれながらも元気よく返事をしているのでまあ平気だろう。何故そんなにアイギスの後ろに隠れているのかは知らないが。
「あ、そーだ荒垣先輩。どうですか~?」
奏子が袖を持ってぴょんぴょんとしている。
ぴょんぴょんと跳ねる奏子に合わせて花のような髪留めがゆらゆらと揺れる。
「どうって、まあ、可愛いぜ。その…今日もな」
「綺麗じゃなくてですか!?」
荒垣くんの答えにぎょ、と奏子が驚く。
いや、可愛いだけで十分ではないのか。確かにメイクや着付けもされていて、今の奏子は綺麗めだ。だが、所作のせいで可愛さが目立っているようにも思える。
もうすこしこう、おしとやかにだな。
「き、綺麗だ…おう…綺麗だぜ」
「ほんとですか!? やったー!先輩だいすき!」
「ちょ、おい。あぶねえだろ! ったく…」
照れながらも綺麗だと言ってのけた荒垣くんに、奏子が抱き着く。
しかしそこは荒垣くん。びくともせずに受け止めて、苦笑い。しかしまんざらでもなさそうだ。
「湊さん、わたしもどうでしょうか。可愛い、ですか?」
「…可愛いよ」
「ありがとうございます」
湊は湊で言葉少なだがアイギスとイチャイチャしている。
「ああ…眼福…来て良かった…イイよな、お正月ってさぁ!」
「なんか…順平さん、ヘンですよ?」
ウキウキとはしゃいでいる伊織にアイギスが訝し気な視線を送る。
「いやー、正月早々、いいモン見れたッス。ねぇ、真田先輩?」
「ん? …ま、まぁな」
曖昧な返事を返す真田くんの横で、天田くんが不思議そうな顔をして女性陣を眺めている。きょとん、とした顔で。
「それより…寒くないんですか?」
「?」
その言葉に、岳羽が同じく不思議そうな顔をして自らの服装を改めてみている。
「まあ、正直ちょい寒いけど、その方が、気が引き締まるっていうか…てか、三上先輩の服装の方が寒そうじゃない?」
「いえ、そうなんですけどそうじゃなくて…“はいてない”って順平さんが言ってたから…」
「はいてない…?」
「どういうことでしょう?」
女性陣の視線が一気に伊織に向く。それにびくりと肩を跳ね上げさせ、伊織が後ずさる。
その顔には「しまった」とありありと書いてあった。
だがそれを見逃す岳羽ではない。ずかずかと近づいて足を上げる。そして、
「アウチ!」
二発目が伊織の足を襲った。
くじ引きの結果は『末吉』。
微妙だった。
失せ物はしばらく見つからないし、恋愛運以外はポンコツな結果になっている。健康運なんか末吉の癖に大凶みたいなことが書いてある。
そんなこんなでくじをみんなで引いた後、そろそろ帰ろうかという話になり、石段の前に集まった。
「ねぇ、奏子ちゃんと風花は何をお願いしたの?」
岳羽が唐突にそう話題を切り出した。
「私は…今年がいい年になりますようにって。普通だけど、素直にそう思えたから」
「はいはいはーい! ザ・世界平和!」
ささやかな山岸の願いとは正反対に、奏子の願い事はかなりビッグなものだった。
願い事というより野望に近い気もするが、例年の奏子からすれば平和的なものだろう。
去年なんかバナナケーキに埋もれたい、というのが願いだったのだから。
「願望がデカすぎない? でも、なんか冗談じゃないのに笑えてきたかも」
「そうだな、いい年になる、というのは私もだ。偽らざる今の気持ちだな」
「みんな大体同じか」
岳羽が納得したように頷く。
世界平和。いい年になる。どちらも、叶ってほしいなと思う。
そんなことを思っていると、美鶴さんがそっと寄り添ってくる。
「しかし、神頼みって訳じゃない。大丈夫。私達なら、必ず出来るさ」
気合を入れ直して頷いた全員に自分も頷く。
これからは一日一日が勝負。カウントダウンみたいなものだ。
「そういえば、おせちとお雑煮を作って置いてあるよ。帰って食べよう」
出店でベビーカステラやらなにやらを食べた湊はともかく、他の面子はそろそろ小腹が空いてきたことだろう。
「じゃあ、戻りましょうか」
山岸がそう言ってくれたのでみんなで戻る。
行きに朝倉先生のところに寄っておせちを渡してきたので帰りに寄る必要がない。
今頃、朝倉先生やタカヤ達がおせちを食べてくれていることだろう。後日、感想を聞くのを荒垣くんと楽しみにしているのは秘密だ。
まあ、朝倉先生ならなんでも美味しいと言ってくれそうなので不安はないが。