1月2日(土) 朝
巌戸台分寮 自室
そういえば、というわけではないが許嫁の件や記憶を思い出したことを養父母に伝えていなかったので伝えようかと携帯電話を取り出した。
電話帳を開き、家の電話に掛けようとして──
「……」
──躊躇する。
思い出したと言って、どうする。もう“三上優希”ではいられない、と告げるのか?
美鶴さんの許嫁になったことだって、どう伝えればいいのか。
悩んだ末に、通話ボタンを押してコールする。
出て欲しい、と出ないで欲しいを往復しながらその時を待つ。
1回。2回。3回とコール音が鳴り、声が聞こえた。
『もしもし、優希? どうしたの?』
「……」
答えられない。
緊張のせいか、喉が張り付いて声が出ない。
ただ一言、「思い出した」と言えばいいだけなのだ。ただ、それだけのことができない。
『大丈夫? なにかあったの?』
「……あの、俺」
小さく、口を開く。
出てきた声は酷く震えていて、情けないものだった。
「おれ…全部、思いだしたから」
『……』
電話の向こうの
何秒、経っただろうか。気まずい時間が無限に流れているように感じ、思わず電話を切ってしまいたくなる。
だが、
『もう。そんな大事な話、電話でしないの』
その声色はいつも通りの優しいものだった。
責めるでもなく、呆れるでもなく、なんてことないと言うように。
『…今日、帰ってきなさい。湊くんや奏子ちゃんと一緒に』
養母さんからの言葉は、それだけだった。
「……うん」
ちゃんと、返事が出来ていたかどうか、自分にはわからなかった。
夜
三上家
「おかえりなさい。三人とも」
「ただいま~
「…ただいま」
「……」
玄関を開けると出迎えてくれた養母さんに、返事をすることができずに無言で靴を脱ぐ。
心配させたくない、と思いつつも話し合いをしたくない自分がいる。
電車の中で覚悟を決めて、隠さず全部話すと決めたはずなのに。
「…お兄ちゃん」
奏子が心配そうに見てくる。
それでも、いつもの笑顔を張り付けることができずに、ただ無言で歩いた。
リビングに入ると、
「ただいま~
「ああ。帰ってきたか」
奏子を見て僅かにはにかんだ養父さんだったが、こちらを見ると厳しい顔つきになる。
「優希。座りなさい」
言われるまま、席につく。
いつも、三上家で座っている、ちょうど養父さんの正面になる席。
視線は、合わせられない。合わせることができない。
何を言われるのか、怖くて仕方が無かった。
自分に続いて湊と奏子も同じく席について、養母さんも座る。奏子と養母さんの顔つきは、心配そうな表情をしていた。
全員が席についたのを確認した養父さんは、少しの間の沈黙を経て、口を開いた。
「お前は、どうしたい」
「…え?」
言われた言葉の意味が、わからなかった。
「三上優希で居たいか、有里渚にもどりたいのか。俺たちはどちらの選択肢も、お前に与えてやれる。どうしたい」
そこまで言われて、やっと先ほどの言葉の意味が分かった。
どちらでいたいのか。決めろと言いたいのだろう。
自分から「やめます」と言い出すまでもなく、養父さんは“三上優希をやめられる”選択肢を出してきた。
「戸籍上の名前は、今まで言っていなかったが変わってはいない。お前はずっと、有里渚のままだ。俺たちが、“三上優希”と、ずっとそう名乗らせ、呼ばせていただけだ」
「……」
「戻ることは、できる」
どうする、と養父さんの目は問うていた。
あくまで、自分に主導権を握らせてくれるらしい。
とはいえだ。桐条ですでに「三上優希をやめます」なんて啖呵を切っている。
例え俺自身がやめたくなくとも、答えは──ひとつだろう。
「…俺は──有里渚に戻る。戻らせて、ください」
頭を下げる。
養父母のことが大好きだからこそ、巻き込めない。その為に、自分は三上優希をやめるのだ。
やめなくていいなら、やめたくない。
どっちつかずの、中途半端な存在でいたい。
「お兄ちゃん…」
奏子の心配そうな声が聞こえた。
「別に、無理はしなくていい」
湊の気遣うような言葉が聞こえた。
それでも。
「理由を、きいていいか」
養父さんの顔は固いままだ。
こちらの答えに何かある、と察しているような。
養父さんには敵わない。いくら隠し事をしていてもすぐばれるし嘘も見破られる。
視線を外したまま、口を開いた。
「前に、倉橋の遺産を受け継いだって言ったよね。あれが原因で、俺や…みんな。家族が狙われるかもって話が出て、だから、俺は、養父さんや養母さんを巻き込みたくなくて…それで…それで…」
「焦らなくていい。怒りはしない。ゆっくりと話せばいい」
「うん…」
養父さんが落ち着かせるようにそう告げる。
二、三秒息を吸い、吐く。
いちばん伝えたいことを伝えるために。
「ふたりが嫌いになったわけでも、三上優希でいることに嫌になった訳じゃない。むしろ──本物じゃなくてごめんなさい。偽物で、ごめんなさい…」
自然と、涙がこぼれた。
そしてそれは止まらなくなる。
ぽろぽろと、溢れては零れていく。
「…俺たちがそう名付けた事でお前が苦しむなら、名乗らなくていい」
「そうじゃない!」
叫ぶ。
その優しさが、今は苦しかった。
「俺は…名乗ってもいいなら三上優希でいたい…でも…! 戻らないと、守れない…!」
そう。倉橋の実権を握るためには、有里渚──倉橋渚に戻らなければならない。
もどって、実権を握って、桐条に負けない力を持たないといけない。
そうしないと、大事なものを傷つけられるだけだ。
「本当にそうなのか?」
「え…?」
「大人に頼ってもいいんじゃないか。
「私たちはあなたがどんな姿や名前だろうと愛してる。生まれや姿が問題なんじゃない。それだけは忘れないで」
「……」
嬉しかった。
その言葉が聞けただけで、もう十分だと思った。
「……ありがとう」
どちらでも、いていいのだと。
「でも、俺は戻るよ。頼るとか、頼らないとかじゃなくて、俺がやらなきゃいけないことだから」
「…義務感で戻ろうとしているのなら、やめておけ」
養父さんが制止してくる。はっきりと、「やめろ」と告げてきた。
義務感もある。けど、それだけじゃない。
「折角思い出したんだし、奏子や湊と同じ苗字に──あっちの名前の方も名乗ってみるのもいいかなって」
名乗れるなら、三人で有里兄妹です!とかもやってみたい気持ちが無くはない。
そう告げると、何故だか四人ははあ…と同時に溜息をついた。
「そんな理由もあるの? 心配してちょっと損したかも…」
「えっなんで!?」
奏子の呆れ声に目をぱちくりさせる。なんでだ。良いだろう名乗るくらい。
ひとりだけずっと『三上くん』だったのだから名乗れるようになったら名乗りたいものだろう。
「優希ってば、真面目なのかそうじゃないのかたまにわからなくなるよね」
呆れた顔を隠しもせず、湊がそう言う。
バカにしてるのか。とむっとすると、わざとらしく肩を上げて「やれやれ」と言うような表情を作った。
心外である。ついでにいうと誠に遺憾でもある。
「あ、これからは優希じゃなくて渚って呼んだ方がいい?」
「お兄ちゃん、でしょ! 呼ぶなら!」
どうしても呼び捨てを止めない湊に、奏子が訂正すれば、あからさまに湊は嫌な顔をした。
「え、嫌」
「なんでさ!?」
「子供っぽいから」
そんな理由? と困惑するも、まあこういう年ごろって気になるよねそういうの、と自分を棚上げして考える。
奏子が目に入れても痛くないほど妹として可愛いから『お兄ちゃん』呼びが許されているのであって、湊が『お兄ちゃん』なんて猫撫で声で言ってきた日には鳥肌が立つ自信がある。
何か裏があるのではないかと勘繰るし、そもそもそういうのは幼少期も幼少期、小学生くらいまでだろう。
「僕ら、1歳しか違わないし呼び捨てでもいいでしょ別に」
ぶっきらぼうに言う湊の表情は『やれやれ』から変わらない。
若干めんどくさいと思っているかのような表情だ。
「というか、呼び方なんてどうでもいい。どんな呼び方でも僕らの兄であることにはかわりないんだし」
「どうでもいいならお兄ちゃんって呼んでもいいじゃん!」
どうでもいい、と一刀両断した湊に奏子が食ってかかる。
が、湊の方はどうしても嫌そうだ。ここまでにしておくか、と口を開く。
「俺はどんな呼ばれ方でもいいよ」
「優希は黙ってて」
「お兄ちゃんは黙ってて!」
「……はい」
悲しきかな。主導権は自分にはないらしい。
止める力すらないとは悲しいを通り越して虚しい。虚無だ。虚無。
「こら、ふたりとも言い合いしないの。…見せたいものがあるから、この話は一旦終わりにしましょ。それを観てから決めても、いいと私は思うの」
養母さんの言葉の方が強い。一瞬で二人を黙らせ、椅子から立ち上がる。
そうしてテレビの前まで行くと、見慣れないビデオテープを手にし、あらかじめ繋いであったらしいビデオデッキへ入れる。
DVDが普及している今の時代に、ビデオとはまた古めかしいものを、と僅かに疑問に思いながらも黙ってその様子を見届ける。
「まだ早いとは思うんだけれど、今、これを見るべきだと思うから」
養母さんの声は緊張していた。いや、緊張というよりかは、覚悟があったんだろう。
なんとなく、そんな気がした。
そんなに重要なものなのか。もしかして、この家の秘密とかなのだろうか。
そして、映し出されたのは。
『渚へ。20歳の誕生日おめでとう』
「……っ」
“おかあさん”だった。
養母さんではなく、正真正銘、有里琴音。俺たちの、生みの親。
藍色の髪をひとつの三つ編みにし、笑顔でベージュのソファーに座っていた。
『ここまで大きくなってくれて、お母さんは本当に、本当に嬉しいです』
画面の中の“おかあさん”が振り返る。
顔は見えないが、画面の外から座っているソファーの後ろに誰かが歩み寄ってきた。
『あ、朔也くん、もし私がちゃんと生きてたらこのビデオ捨てておいてね。恥ずかしいから!約束だからね!』
『わかってる。わかったから…』
そう言った後、また画面の外に立ち去る。
朔也。”おとうさん”である有里朔也のことだろう。
つまり、後ろに居るのは“おとうさん”なのだろう。腕が上に上がっており、その腕に抱かれるようにして小さい足が4本見えていたことから、このビデオが撮られた時期は詳しくはわからないが恐らくは湊と奏子だろう。
ふたりを抱いて何か画面を横切る必要が出てきたため、さっと横切ったのかもしれない。
『…おほん。改めまして、渚、大人になってくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。渚はいま、どんな大人になっているのかな? お父さんと同じミュージシャン? それとも、好きな夢を叶えているのかな? 今の渚はお魚さんとお星様に興味があるみたいだから、海洋学者か天文学者かもね!』
そうやって、わざとらしく咳払いする。
どうやら先ほどのやりとりは気恥ずかしかったらしい。
夢について語った“おかあさん”の表情は明るい。と、そこへ影が横切り、ソファーを登っていく。
『おかーさーん! なにしてるのー?』
登った小さな影を“おかあさん”は抱き上げると、膝の上に乗せて頭を撫でる。
『はーい、お母さんはいま、未来の大人になった渚くんに向かってメッセージを送ってるんだよー』
「小さい頃の…お兄ちゃん…」
『おとなのぼくに!? すごい! おとなのぼく、おさかなさんときらきら捕まえてね! 背が伸びたら、きっと捕まえられるよね!』
目をキラキラとさせながらはにかむ“自分”は画面の向こうのこちらに呼びかけている。
何も知らず、ただ、無邪気で居られたころの自分は、直視しづらい存在だ。
憎い、とすら思えてしまう。
その感情は本来持っていいものではないのだろう。お門違いですらある。
幼い頃の自分は何も関係はない。知らないだけなのだから、罪や責務を問うのはそれこそ無茶苦茶だ。
『渚。あなたのやりたいことをやりなさい。どれだけそれが難しい事でも、お母さんとお父さんは応援してるから。いつでも、見守ってるから』
幼い頃の自分の頭を撫でながら、“おかあさん”はまた微笑んだ。
『もし、あなたが自分について悩む時があるかもしれない。そんなことがあったとしてもあなたはお母さんとお父さんの子だから。貴方が誰であろうとそれだけは間違いないから』
ビデオはそこで終わっていた。
まるで、俺の生まれについて知っているかのような、見透かすようなその言葉の端には僅かに悲しみが浮かんでいた。
決して明るい表情ではない。だが、自分が知っている情報では──朝倉先生や藤堂さんから教えてもらったものでは──“おかあさん”は何も知らなかったはずだ。
何か知ったうえで愛してくれていたのなら、それこそ──やめておこう。考えるだけ野暮だ。
ただ、すごく背中を押してもらえた気がする。
養父母も、本当の父母も、俺のことを嫌っていない。それどころか、応援さえしてくれている。
偽物なのに、それすら受け入れようとしてくれている。
偽物でもいいと言ってくれている。
奏子と湊も。
「……俺は」
好きなことを選んでいいのだと、自惚れてしまう。
何もかもを投げ出して、頼って、ひとりじゃできないのだと、言って良いとさえ思えてしまう。
声が震える。
「……ひとりじゃ、全部できないから…わからないことがあったら、頼っても、いい?」
「ああ」
下を向く。
「まだ、養父さんや養母さんの前では、ただの三上優希で居て、いいの? これまで通りわがまま言ったり、相談したり、ご飯一杯食べたり…」
「当たり前でしょう」
「……じゃあさ、相談なんだけど、美鶴さんの許嫁になったけどどうすればいいと思う?」
「えっ」
場が、フリーズする。
「えぇ~~~~~~~~~~~!!!!!!?????」
今迄に聞いたことのないくらい、大きな養母さんの声が家中に響いた。
──Rank UP!
XⅪ “
三上優希 Rank6→Rank7
“原型”のペルソナを生み出す力が増幅された!
1月3日(日)
朝
御影町
昨日はあれから質問攻めにあい、詳しく話を聞いた養母さんの「婿入り!? 桐条優希になっちゃうの!? それとも桐条渚!? やだぁ~~~~~~~!!!!!!」という声で一旦終了した。
まあ、そりゃそうなるだろう。そんな重大事実をカミングアウトしてしまったが、罪悪感はあまりない。
その前までの話がそこそこ重かったのもあるが、許嫁に関してはさほど問題ではないような…気も……しない…ことも…いや、大問題か。
とにかく、すぐに答えは出せないということで一晩たち、今はひとりで朝の散歩に出ている最中だ。
朝霧が立ち込めるなか、前方から誰かがゆっくりと歩いてくる。
同じ散歩かランニングか。
肩にジャケットをかけ、褐色の肌をした銀髪の男だ。
その姿に見覚えがあった。
「──お前は、鶴龍ジャボ…?」
ラビリスが自分の体を使っていた時に出会った、人の姿をした人ならざる者。
彼が一体何の用なのか。
のっぴきならない用事で無いことを願いたいが。
「やあ。今日はきみに良い話を持って来たんだ」
ジャボはまるで仲の良い友達同士で世間話をするかのようにそう告げた。
「汚染されていない、純粋なマグネタイトが必要なんだろう?」
「っ…」
こちらの考えが見抜かれている。
実は、ある目的の為に純粋なマグネタイトが必要なのだ。
「──
ジャボの問いは、すぐには頷けないものだった。