6/30(火)影時間
「やあ」
その声に、湊は沈ませていた意識を表に上げる。
目を開ければ、ベッドにファルロスが腰掛けていた。
「…何を伝えに来たかわかる? なんて、訊かなくてももう分かってるよね」
「……」
「でも今日は、その話じゃない。…変なんだ」
困ったような顔をしたファルロスはベッドから立ち上がる。
「順調にいけば大型シャドウを倒すたびにきみに施された
「そのはずだよ。それが変わったことなんて一度もない。…僕らがどうあがいても変えられたことはなかった」
「うん。だけど“今回”は違う。僕に流れてくるはずの大型シャドウが誰も来ないんだ。…まるで、
「…!?」
表情を硬くした湊は前回の満月を思い出す。
突然現れた優希。そしてそこから召喚されたモノ。
「…まさか、」
湊は体を起こして、青ざめる。
最近少し濃くなった気配も、優希のことを意識して視ようとすると視える、身体中に手をかけるようにまとわりついている黒い靄も、全部。
ファルロスはそんな湊の心を読むかのように頷いた。
「うん。あの時僕は大型シャドウよりもっと怖くて似て非なる者って言ったけど…アレは
「もちろん、力の一端としてきみに遺した“タナトス”は別だけど」とファルロスは続けたがすぐに口をつぐむ。
そして、迷うように視線を彷徨わせた後、小さく吐き出した。
「…それとは別に不思議ときみの近くにきみのお兄さんがいると落ち着くんだ。ひどく懐かしい感じがするのはきみのお兄さん…だからなのかな。きみの記憶が、感情が、僕に作用しているのかもしれないね」
「……」
黙り込み、考える湊にファルロスは忠告する。
「…気を付けてあげて。あの様子は尋常じゃない。もしあれが僕と同じ宣告者だとして、僕の封印されていたきみが大型シャドウを倒し続けてもなんともならなかったのに、彼だけあんなことになるなんて絶対に変だよ。それも、こんな初期からだなんて」
ファルロスですらわからないこの現状、できることと言えば湊に忠告するくらいしかなかった。
そして気を付けていたとしても何もできることがないのは、ファルロス自身がよくわかっていたことだった。
「それじゃあ。また、会いに来るよ」
ファルロスは姿を消す。
気休めにならない忠告をしたところで何かが変わるわけではないが、そうでもしないと得体のしれない不安に押しつぶされそうだった。
ぱちり。目が覚める。
視界に広がるのは自室の暗い天井。
「……モルフェ?」
モルフェに呼ばれたような気がした。
けれどどこを見てもその姿はなく、首を傾げる。
いつもならすぐに姿を現すはずなのに、と訝しむも一向にその姿は見えない。
(今日はいないのか…?)
勝手にそう結論付けて寝ようとするも、前回の満月の一週間前の日を思い出して何か引っかかった。
あの時のモルフェは酷く何かを気にしていたようだった。
いや、それ以前から急に「大型シャドウに近づくな」と言われるようになったことがまずおかしかったのだ。
以前の周では何も言ってこなかったのになぜ今回に限って近づくな、と言ったのか。問いただそうにもこの前ははぐらかされてしまったし今は姿すら見せない。
どうしたんだろう、と心配になるが姿を見せてくれない以上はどうしようもない。
やっぱり寝てしまおう、と布団を被りなおして目を閉じた。
その日、珍しく夢を見た。
いつもなら見ないそれは、幼い湊と奏子と一緒に公園で遊ぶ夢だ。
自分の体も小さく幼稚園児ほどの背丈しかなく、視界に映る景色がやけに大きい。
穏やかで、平和な夢。
湊が蹴飛ばしたボールがころころと転がっていったので自分がそれを取りに行く。
公園を出て道路まで転がったボールを追いかけ、それを拾った瞬間に射す影。
見上げて、口を開く。
「──おじさん、だあれ?」
そこで、夢は終わった。
7/3(金) 夜
寮のドアを開け、ラウンジに入る。
「三上、お帰り」
「ただいま」
迎えてくれた美鶴さんにあいさつを返す。
「また、影人間が増えだしている。次の大型シャドウ出現の予測の日まであと一週間もないが戦力の方は三上から見て大丈夫そうか?」
「大丈夫だと思うよ。俺抜きでも湊や奏子がいればまとまってるし、強さも申し分ない」
「そうか…影人間と言えば、今回の影人間は少し毛色が変わっていて男女ペアで被害に遭うケースが多い。時期が時期だけに、次に出るシャドウと何か関係があるのかもしれないな」
美鶴さんの言葉に内心で(あー…)と何とも言えない思考をする。
次の『
「…このままの戦力で十分だと思うからどっしり構えていこう」
ちょっと間隔が空いたがまあ問題ない範囲かと思う。
そのまま満足そうに頷いた美鶴さんを後に、部屋へと帰る階段に足を一歩踏み出した。
7/7(火) 夜
今日は満月の日だ。
二体出るとは言っても大型シャドウ自体は別々で出てくるし、敵による魅了とホテル内で分散させられることだけがネックだがそれ以外は特に脅威でもなんでもない。
「どうだ、反応はあるか?」
「待ってください…」
作戦室の窓際に全員集まってペルソナ “ユノ”に収まる山岸の反応を待つ。
少し探るようなそぶりを見せた山岸は、すぐに顔を上げて口を開いた。
「…見つけました! 市街地に、大型のシャドウ反応!」
「ほんとにキタッ!」
「フンフン。満月の件、どうやら確実と見ていいね」
驚く順平とどこか納得したような幾月。
2人は対照的ながらも、同じことを話している。
「場所は巌戸台の、ええと…白河通り沿いのビルです」
「白河通りか…」
山岸のその言葉に、幾月がハッと何かに気が付いたような顔をした。
白河通りといえばラブホテル街と呼んでも差し支えない場所であり、あまり
治安があまりよろしくないことに加え、ホテルや飲み屋ばかりでそこに用事がなければ遊ぶ場所がないからでもあるが。
「ここ数日、影人間がよく2人1組で見つかるって聞いてたけど…なるほどねぇ」
「2人1組か…」
少し考えるそぶりを見せた美鶴さんが小さく呟く。
「……そういう事か」
言わずもがな、ホテルの利用客のことだろう。
そして、その内容は秘すべきだと思う。お楽しみ(隠語)に使っていたとかそういう事だとは思う。
「白河通りって、どんなところでしたっけ。私、あの辺あまり行かないもので…」
「私も知らなーい!」
ユノを戻した山岸と奏子の言葉に「知らなくても大丈夫。普通の高校生はあんまりあそこ近寄らないから」と言ってあげたい。言わないけど。
「聞いたことはあるけど…」
「あ、そっか、ホテルんとこか。だから、2人1組なわけね。奏子っちと風花も知ってんだろ? ホテル街だよ、ホテル街!」
「なるほど! ホテルでセッ「ちょっとまったああああああああ!!!!!!」なに!? なになにいきなり叫んでどうしたのお兄ちゃん!?」
奏子の口から真実を照らす単語がとびだそうとしたので慌てて叫んで妨害する。
皆濁してるんだから言っちゃ駄目だろ!!!と叫びたくなる気持ちを押さえて口を開いた。
「奏子、その単語は禁止。ついでに情報の出どころを教えてもらおうか…」
もし人間ならそいつ縛ってホワイトライダーが延々周りをシャカシャカ走り回る刑に処すから。
そう心に決めた瞬間、奏子が無邪気に横の伊織を指さす。
「え、順平だよ!」
「……すまない伊織。きみの犠牲は忘れないよ」
「南無三。さらば順平。僕もきみのことは忘れないから…」
召喚器を頭に当てる。横の湊は手を合わせて合掌していた。
「えっ、ちょっ、えっ、オレなにかされるんスか!?」
突然の凶行に慌てる伊織。大丈夫大丈夫、ちょっとホワイトライダーの顔が忘れられなくなるだけだから、と言わずにただ笑いかけるとその顔をさらに青くした。
「…三上?」
茶番はもういいか?と言いたげな美鶴さんの声に、召喚器を降ろす。
ホワイトライダーの初お披露目になる予定だったのに残念だ。
「命拾いしたね、順平」
「コエー! マジで何される筈だったんだ…?」
「ごめんね、順平?」
「いや奏子っちのせいじゃねーからいいよもう…」
がっくりとうなだれた順平に湊と奏子がそれぞれ声をかけていた。湊は追い打ちしているようにも見えたけど。
「おいおい、奏子くんは何を言おうとしたんだ? あれは内装が凝ってるだけの単なるホテルだから」
余計なことを言ってほじくり返すな幾月。
そう思いながら珍しく侮蔑を込めながら睨み付ければ奴は肩をすくめて笑った。
「言ってみれば、そう…アミューズメント・ホテル?」
「アレ、そうなんスか?」
嘘つけ。
あのホテル“シャル・ド・フルール”は立派なラブホテルだ。でも都合がいいので黙っておく。
「なーんか、今回はヤな予感する…行くのヤメよっかな…」
正解!
この大型シャドウ戦の嫌な予感を見事あてた岳羽には10ポイントあげよう。
別に溜まっても何かが起こるとかそういうわけではないけど。
「まーた、ゆかりッチ。意外なトコ子供なんだから…」
「ちょっ、子供はどっちよ! オッケー、行こうじゃん! さぁ、現場の指揮は誰がやるんですか?」
売り言葉に買い言葉で岳羽は前に出た。
やる気満々のようで頼もしい限りだと思う。なおこの後。
現場の指揮と言えば自分が今日は元気だし、湊も奏子も申し分ない。どうなるかな、と見つめながら美鶴さんの判断に任せることにした。
「そうだな…」
「ねえ、」
美鶴さんが口を開いたその時、湊が口を挟む。
「今回は僕をリーダーにしてほしい」
「理由を聞いても?」
いつもは黙って成り行きを見守ってる湊が口を挟むなんて珍しい、と思っていると急に腕を引かれて寄せられる。
「優希と一緒に行きたいから。というかリーダー権限で監視するため」
「まさかの個人的な理由で職権乱用!?」
まさかの理由に思わずツッコむ。
そんなことにリーダー権限使ってちゃたまったものではない。心なしか美鶴さんや他のメンツも若干引いているような…
「だって、見てないところでふらふらどこかいかれても困るし。無理されても困るし。一緒にいくって約束したでしょ」
「ア、ハイ。ソウデシタ」
湊のちゃんとした理由に棒読みで答える。
そうだった、そう言う約束をしたんだったと今更ながらに思い出してまた遠い目になる。
皆の引くような顔が「あっ、これは仕方ないな…」みたいな生暖かい視線に変わるのがよくわかる。やめろー!そんな目で俺を見るんじゃなーい!と叫びだしたくなる生暖かさだ。
そうやって現実逃避をしていると、更に反対の腕をぐい、と引っ張られて横に傾く。
…奏子だ。
「えー湊ずるーい! 私もリーダーになってお兄ちゃんと一緒にいる!」
「いや、駄目だから! リーダー権限ってそういうのに使うわけじゃないから!」
咄嗟に叫ぶ。
なんというか、5月の時はリーダーって大変だし責任のある仕事だよね…みたいな真面目な雰囲気だったのに二か月そういう事が無かったらこんなことになってしまうのか。暗いよりかはいいがなんでどうしてこうなった。
「…ということで、有里弟がリーダーでかまわないな?」
「サンセー。なんかオレ、三上センパイをずっと見てるとか無理だから、リーダーやれそうにねぇわ…」
「同感…先輩頼りになって強いのはいいけど無茶しそうだしカバーできなさそう…むしろ私たちがカバーされそうなカンジ…」
「…まあ三上だからな。俺も賛成だ。そもそも俺はリーダーに向かんし論外だ」
「湊! 今日は譲るけど次は私ね!」
「ん」
凄まじく(個人行動に関して)信用がないこの現状に泣いたらいいのか笑えばいいのかわからなくなってくる。どちらかと言うと泣きたい気持ちが強いかもしれない。ついでに奏子も湊も俺にリーダー権を返すつもりはないらしい。なんでだ。
「では、決まりだな。バックアップは今回から作戦時も山岸に頼む。よろしく頼むぞ」
「はい、がんばります!」
影時間
ホテル シャル・ド・フルール
山岸以外全員がホテルに突入する。
階段を駆け上がり、二階に来たところで通信が入った。
『三階に巨大な反応があります! 至急、向かってください!』
更に階段を駆けあがりながら考える。
(湊と奏子と…伊織と岳羽と美鶴さんと真田くんだから…俺含めて7人か…あ、)
人数は奇数。
この後起こる自体で誰かが一人あぶれることになるがどうなるのだろうか。
もし男メンバーと一緒になった場合だろうがなんだろうがこのことを記憶から消していくことになるのか…と必要のない覚悟をしたところで扉の前につく。
『この扉の向こうに巨大なシャドウの反応を感じます! 準備はいいですか?』
「大丈夫」
湊が扉に手をかけて押す。
そして全員で飛び込むように入ったその部屋のど真ん中には、『
見た目は聖職者そのものだがでっぷりと太った体形をしており、女性のようなシルエットの一部に撫でられているという何ともいやらしいイメージを抱かせる。
ラブホテルにいるんだからまあこんな見た目にもなるか、とは思うがそれにしてもそれである。
「こんなところに出現するから、とんでもないことしてくるかと思ったけど…まあ良いや、すぐに片付けて帰らせてもらうよ!」
「敵、“法王”タイプです。気をつけて!」
山岸が注意した瞬間、
【ジオンガ】
見慣れた雷が奏子に落ちるも全く効いていないのかピンピンしている。
「へっへーん。効かないよーだ! 来て! “ハイピクシー”!」【ラクカジャ】
奏子の頭上に現れたパンクな妖精が手をかざすと岳羽に防御力上昇の効果がかかる。
「ありがとう奏子ちゃん! よーく狙って…」
岳羽が弓矢で
「来い!“ポリデュークス” !」【タルンダ】
「“ビャッコ”!」【デスバウンド】
真田くんが呼び出した“ポリデュークス” が敵の攻撃力を下げ、湊の“ビャッコ”がその巨体に猛攻を仕掛ける。
鋭いかぎ爪のついた太い腕を何度も叩きつけられた
「よっしゃー! トドメはオレっちが頂きー! いけぇー!」【キルラッシュ】
伊織のペルソナ “ヘルメス”が突撃し、さらに大きくのけぞる。
が、僅かに削りきれなかったようで
【滅亡の予言】
周囲が薄暗くなり、靄のようなものに包まれる。
瞬間、ぞっと背筋を得体のしれない恐怖感が這いずった。
「な、なにこれ…怖い…!」
「やだ…」
『あの技は、相手に恐怖心を植え付けるみたいです! みんな、しっかり!』
身がすくんで動けない。
皆も恐らくそうなっているのだろうと思うが確認することが出来ない。
「…っ、」
突然、ずきずきとひどい頭痛がして立ち眩む。
パチパチと視界が弾け、白み、明滅し、恐怖心を上回ったその痛みに思わず手で頭を抱えるように蹲る。
「あ…あああ…あああああああ!!!!!!」
激痛に叫ぶ。
痛い。とんでもなく痛い。頭が割れそうだ。気持ち悪い。怖い。痛い。気持ち悪い。怖い。
床につけるように頭を下げるも痛みはひかない。
「う…ぎ、ぐぅ…!」
『あ…また…三上先輩が視えなく…!? ひっ…!』
痛くしてるのは、誰だったか。
怖くしてるのは、誰だったか。
俺はなんだ? …わからない。
激痛と恐怖で思考があやふやになる。ただ、見えるのは目の前の
一部にしないといけない。血肉にしないといけない。ひとつにならないといけない。元に戻らないといけない。
現れた黒い靄のような何かが訴えかける。内から訴えかけてくる。
でもだめだ、あれを食べたら戻れなくなる。そんな気がした。だから、
「…いや、だ。それは、だめだ」
痛みの中で否定する。
ちかちかと眩む視界も、響く声も恐怖も痛みも美味しそうに見えるそれも。何もかも。
ズ…と何かを形作ろうとしていた黒い靄が霧散する。
「はぁ…はあ…、【アムリタ】…!」
何とか召喚器の引金を引いて“ポベートール”を召喚し、自分を含めたみんなの恐怖を癒しの光で相殺するもそのまま地面に倒れ込むように横になる。痛みはまだ、じわじわとこちらの精神を苛んでくる。
「ふー、ふー…ッ!」
痛みを逃すように息を吐く。目を閉じてしまって、痛みを感じないようにしてしまいたい。
そう思ってしまうがそんな余裕はなく。
「っ…! “ペンテシレア”!」【ブフーラ】
いち早く立ち直った美鶴さんが “ペンテシレア”を召喚し、
「キャアア─────ッ!」
金切声のような叫びをあげて、
『…えと、お疲れ様でした。少しヒヤッとしましたが今回も無事、倒すことが出来て本当に良かったです。外で待ってます。帰還してください』
「…う、あ…!」
『三上先輩! 大丈夫ですか!? 返事を!』
終わったと安堵しかけた矢先に、突然下腹部にまで刺すような激痛が走り焦る山岸の声を聴きながらまるでイモムシのように縮こまったところで意識が途切れた。
頭の中がボンヤリしている。湊は、何となくそう思った。
どうしてベッドに腰掛けているのだろう。どうして、バスルームから水音がするのだろうとさらにボンヤリ考える。
何故ここにいるのか思い出せない。思考がまとまらない。
何か大事なことを忘れてるような、そんな感覚がした。
──享楽せよ…
突然、頭の中で不思議な言葉が浮かぶ。
──我、汝が心の声なり…今を享楽せよ…見えざるものは幻…形ある“今”だけが真実…
いや、そんなことはない、とその言葉を咄嗟に否定する。なにかがひっかかる。
(だって、こんなものが“真実”だというのなら、■■は
湊はぼんやりと思った。どうしてそんなことを思うのだろうという疑問と共に。
──未来など幻想、記憶など虚構…欲するまま、束縛から解き放たれよ…汝、それ望む者なり…
この言葉が浮かんできた瞬間、猛烈な怒りのような激情が湊を支配する。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、お前ごときがそれを語るな。否定するな。
「勝手に決めるな…ッ!」
思わず、そんなやつあたりのような言葉を口に出してしまっていた。
激昂。それに近いものを今の湊はしていた。昂り、どうしようもなく抑えられないどす黒い感情が身体を支配している気がする。身体が怒りで熱いのに、頭はなんだか血の気が引くように冷たくなっていく気がする。
ああ、今の自分はきっと家族にも見せられないような酷い顔をしている。そう、何となく湊は自覚した。
「──その通りだよ、湊。彼らにきみの苦しみはわかるはずがない。きっとね」
誰か聞き覚えのある声が湊に同意した瞬間、何かの悲鳴とガラスの割れる音が聞こえて言葉は頭から消え去り意識がさらにはっきりとしていく。身体にくすぶっていた激情もそれに伴い引いていく。
そしてすぐにこれは
ただ悲鳴はこれまでしていなかったはずだ。どうしてだろう、と顔を上げればそこにはタナトスが浮かんで居た。
召喚した覚えはない。そして、これは己のよく召喚するタナトスではない、と気がつく。ならこの姿を湊に見せることができる存在はひとりだけだ。
「ファルロス…?」
「うん。今はタナトスじゃなくて僕だよ。…時間がないから手短に伝えるね。嫌な予感がするから気を付けて」
「わかってる」
「危なくなったら僕も手助けするから、がんばってね」
その言葉を最後にファルロスは再び姿を消す。
今バスルームにいるのは誰なのだろうか。と湊は気になるが、見ようとは思わなかった。
男だったらいわずもがな。女性でもビンタされたら困るし。と口には出さずにげんなりした。
そう思いながら待っていると、出てきたのはバスタオル一枚のゆかりだった。
じっと見ていたらビンタされてしまった過去があるので
「え…あれ…私…」
「岳羽、服着た方がいいよ」
バスタオル一枚なのはさすがに駄目だろうと服を着ることを提案してみたが、ゆかりは顔を赤らめた後わなわなと震える。そして、
「~~~~~~っ!!!」
バシン!
「いたっ」
健闘虚しく結局湊は頬をビンタされてしまった。
どうしていつもこうなるのか。と考えたがゆかりが相手だとどうあがいてもこうなるのでは、という結論に湊は達した。要は諦めたのだ。
──あつい。くるしい。いたい。わからない。
ぐるぐるとまざって、くろくとけて、よどんで、まみれて。
ぼくらはとけちゃったんだって。
ぐるぐるまぜられて、とけてくっついちゃったから、もうはなせなくなっちゃった。
ねえ、
…
ああ、もしかして、
でもちがうよね。そのどれもがせいかいだけど、ふせいかい。
だって、きみは──…
眼が見ている。黄金の目が、責めるようにこちらを見ている。
“どうして殺したんだ”って俺を責める。
見ないでくれ。俺は違う。おれは、ちがうんだ。
『よかった、やっと通じた! 2人とも、聞こえますか? 』
「うん、聞こえる」
『フォローが遅れてごめんなさい…シャドウの精神攻撃のせいで、呼びかけが届かなくて…飛ばされたのもシャドウの仕業です。おかげで、みんな分断されてて…敵の位置は、さっきと同じ部屋です。急いでもう1度集合してください』
ゆかりの着替えが終わった後、湊は部屋を出て二階に上がると奏子と順平、明彦と美鶴の二組と合流できた。
「あ、いた! もう1体いるなんてきいてねえぞ…つうか、お前ら、大丈夫だったか?」
「そっちは?」
「オレは…奏子っちが猛獣だったとだけ…とほほ…思い出したくねえ…」
「あ? なにもある訳ないだろ! なあ美鶴!」
「全くだ。何もなかった。…いいな?」
『皆さんお話のところすみません、三階のドアに張られている結界を解除する方法がわかりました! “鏡”です! このホテルにある鏡から本体と同じ反応が感じられます! たぶん、この鏡を壊せば結界が解けるはずです! …三上先輩は未だに反応がありませんが、いずれ合流できるかもしれませんしこのまま行ってください』
風花の言葉に仕掛けが“いつもどおり”なことを再確認する。本体と同じ反応の鏡の場所は知っているので手間取ることは何もない。
が、肝心の兄の姿がない。
嫌な予感がする。
そしてその嫌な予感は的中した。怪しい鏡をすべて割り、三階の部屋へと転がり込むとそこには──
「お兄ちゃん…? どうしてそっちに──」
「……」
奏子が戸惑ったような声をあげ、見つめる先にはハート形のシャドウ──『
『気を付けてください…! 三上先輩は今、精神攻撃を受けてシャドウに操られています!』
「!?」
「チッ…先ほど状態異常を無効化した三上を狙ってきたか…!」
『もしかしたら、前回呼びかけられたせいでシャドウの影響を受けやすくなってるのかも…!』
「不味いな…」
下手に攻撃すれば優希が怪我を負ってしまうし、手加減をしてそれを許してくれる相手でもない。どうやって正気に戻すか──と湊が考えている間に優希が動いた。が、
ぽとり、とダガーナイフを床に落とすとまた頭を抱えて蹲った。
そしてなんども頭を横に振る。何かに抵抗するように。必死に呪縛を振り払うように。
「優希…!?」
「ぅ…ううう、ぁああああ…か、なこ…みな、と…お、おれは…おれは…!」
唸り声。
その抵抗を否定するように
「ああああ!!!! 違う! おれじゃない!
唸り声は血反吐を吐くような悲鳴に変わり、大きくのけぞった優希は目を見開いて手をだらりと降ろした。
瞬間、赤黒い光がオーラのように優希を包み、そこから前の満月の時にみた『なにか』が姿を現す。
「───────────────────ッ!!!!!」
咆哮。
かつてボロ布と鎖だけだったそれは、今となってはタナトスに似た頭骨のような頭部と腕を持っていた。
──成長している。
湊が一番に感じたのはそれだった。
『あれは…!』
風花が次の言葉を発する間もなく『なにか』はぎろり、と
その姿に、湊はモルぺウスの姿を思い出すも首を振る。あれはそんなペルソナじゃないし真逆だと。
そして例の如く大型シャドウを捕食しだした『なにか』は湊たちには目もくれない。眼中にない、と言った感じだ。
優希は力尽きてしまったのかぐったりと床に倒れ、固く目を閉じて小さく呻いている。
「助けないと…!」
奏子が臆せず走り出そうとした。その時、
「──────────ッ!!!」
咆哮と共に赤黒い大きな鎌が『なにか』によって奏子に当たるか当たらないかギリギリの距離で振るわれる。
まるでそれは牽制し、優希を護ろうとしているかのように見えた。が、その『なにか』も大きく体を震わせるとその首に手をかける。その姿はまるで制御を失い、暴走しているようにも見えた。
「駄目っ!!!!」
奏子が叫ぶ。
もがくように動く優希の手足に力は入っていない。首元に届かず、ただ床を力なく掻くだけだ。
「くっ! 三上を助けるぞ! “ペンテシレア”!」【ブフーラ】
戸惑いから回復した美鶴の“ペンテシレア”の氷が『なにか』に当たる。少し顔を横にのけぞらせた『なにか』に対しそのダメージは微々たるものだったが
一瞬で迫った『なにか』が手を振り上げる。
(ここまでか…!)
その瞬間を覚悟して、美鶴は目を閉じる。
しかし、いくら待っても痛みは来ない。
「…?」
恐る恐る目を開くと、寸前で手を止めた『なにか』とそれを牽制する“タナトス”が。
「──ァ…ヅル…サン…アアアア……ノ、タイ…セツ…アアアア…チヅ…ルサ…ゴメンナサイ…ゴメ……サイ…」
『なにか』は手を静かに下ろすとノイズの走る酷く幼い声を発しながら無防備に血の涙を流した。
美鶴から見ると“タナトス”が止めなくともその手は止まっていただろうと感じるほどには。
(ちづる…“千鶴”……!?)
美鶴には、『なにか』の発した名前に一人心当たりがあった。
『なにか』は美鶴をその“千鶴”と勘違いしているようだった。
「ボク、ガ…ボクラ…アアァ……イタ、カラ………アアアアアア…!」
苦しむように頭を抱えて慟哭する『なにか』は悲痛な叫びをあげてその姿を消した。
それを確認すると“タナトス”も静かに姿を消す。
『アンノウン、反応消失しました。…危なかった…』
「いや、ヒヤヒヤしたっスよ…なんなんスかアレ…」
「三上先輩がシャドウに操られたから、出てきた…でいいんだよね…?」
安心する順平とゆかりを見ながら、湊は
脂汗が止まらない。震えも止まらない。タナトス──ファルロスが勝手に出てきていてくれていなければどうなっていたかわからない。
もしかしたら。何かが一つ違えば、奏子も優希も美鶴も死んでいたかもしれない。その事実に、恐怖していた。
ぱちり。目を覚ます。
視点が定まらず、ふわふわする。
頭も痛い。なんとなく、息もしづらい。
「……さ、なだ、くん…?」
「目を覚ましたか。三上」
「…ごめん、あやつ、られてた…」
なんとなく、
自分でも何となく
「だれも、けがして、ない…?」
大事なのはそこだ。
ナイフを一度わざと落としたがまた操られて拾いなおしていないとは限らない。
なのでそう問いかければ真田くんは少し微笑んだ。
「大丈夫だ。誰も怪我はしていない」
「そっか…げほっ…あー…あー…よし」
起き上がって声の調子を整える。なんだかまだ喉が絞まる感覚はあるしイガイガするが及第点だろう。
「おい、いきなり立ち上がるな。誰も怪我はしていないとはいったがお前が怪我をしてないと言ったわけじゃない」
「へ…?」
いや、どこも痛くないしな…と思いながら全身をくまなくチェックする。
ついでに腕をブンブン回して腕も怪我してないか確かめる。うん、大丈夫だ。
「…大丈夫だけど」
「はぁ…鏡、見て来い。皆で下の山岸の持っている包帯を取りに行っている」
ぴっ、と親指で後ろの鏡を指した真田くんは盛大に溜息をもう一度はいた。
その様子にまたやらかしてしまったのかとひやひやする。そして、鏡の前に立った。
「うっわ…なんだこれ…」
首に手形が付いていたのだ。なんとまあびっくり。というかドン引き。ホラーだ。
シャドウにでも絞められたのかと思ったが
どういうことだろうか…?
「真田くん真田くん! これ何!?」
首に指をさしながら真田くんに迫る。
「だから言っただろう…お前が怪我してないとは言ってないと。お前のペルソナのせいだ」
「はあ!?!?!?!?」
いや、自分のペルソナでそんなことできるやついないし。そもそも暴走する子いないよね?
と無い心当たりを必死に探るも全く思い浮かばない。ホワイトライダーはそもそも首絞めてくるぐらいなら直接戦いでの死合を狙ってくるタイプだろうし。
「騒がしい奴だな…よくは知らん。だが、尋常じゃなかった」
「その話──」
くわしく、と言おうとした瞬間、バーンと扉が勢いよく開いた。
「たのもー!」
思わず驚いて肩を跳ね上げたのは言うまでもない。
心臓に悪い。
「あ! お兄ちゃん意外とぴんぴんしてる!? よかったああああああああああああ!!!」
「ぐふっ!」
奏子の強烈なタックルを喰らってよろめく。痛い。普通に痛い。
腹に頭を押し付けてぐりぐりするのはやめてほしい。
「ほら、奏子。離れる」
「はーい」
湊に首根っこを掴まれた奏子は渋々、といった様子で離れた。若干ぶーたれている気がするのは気のせいだろうか…?
「ほら、優希、包帯。首に巻くからじっとして」
「あ、ああ。ありがとう」
くるくると包帯を首に巻かれている間、皆無言だった。
食い入るように見つめてくる奏子の視線が痛い。
「あの、さ──」
「ごめん。僕が優希と一緒にいるって言ったのに目を離した」
操られていたことを謝ろうとしたら先に謝られてしまった。
でもそれは違う。湊のせいじゃない。
「それは違う。みんな
湊は何かをいいたそうに眉を寄せる。
口を一度開いて、また閉じて、包帯の端をテープで止めた。
「…うん。包帯、巻き終わったから」
「ありがとう。巻き加減もちょうどいいと思うよ」
離れて首をさする。特に痛みは無いが巻いてもらって少し楽になった気がする。
気休めかつプラシーボかもしれないが手形が見えなくなっただけでも上々だ。
「帰ろうか。他のみんなは下で待ってるんでしょ?」
「…訊かないのか?」
真田くんがこっそりと耳打ちしてくる。それに首を横に振ることによって答えた。
「話す必要がある事なら、きっと話してくれるだろうし。皆何も言わないってことは思い出したくもないし言いたくないことかもしれないだろ? だから、無理に踏み込みたくない」
「お前は…なんでもない」
階段を下りながらのその会話はそこでぱったりと止まる。
湊と奏子は先に降りたので、真田くんと2人というのは珍しかった。
ホテル シャル・ド・フルールを見下ろしながらタカヤは拍手を送る。
「想像よりも、早い解決でしたね。大した見世物です。彼らはここしばらく、毎月こういった活躍をしていますね。…最近では頭数も増えているようですし、戦い方もなかなかユニークだ…」
その視線の先には1人で立ち止まる優希が。
「あの“塔”にも、頻繁に出入りしているようですしね…」
タカヤは後ろを向いてジンに問いかける。
「どうでしょう、ジン。ナギサは論外として彼らは敵でしょうか?」
「もうすぐ、ヤツに会う頃合いやし、訊いてみたらええんとちゃいますか?」
「なるほど…それはいい。彼は今や、私たちと同じ運命を背負う者…すぐにも会って、話してみましょう。…まあ──」
タカヤはにやり、と恍惚な笑みを浮かべる。
「──ナギサもそろそろ我々と“同じ”になりそうですが」
歪んだ笑みを浮かべ、金の瞳をした優希と視線が合った気がした。