揺らぎ(7/8)
7/8(水) 午前
授業を受けながら首の手形について考える。
真田くんはあの時、「お前のペルソナのせいだ」と確かに言った。つまり、意識のない間の自分が、ペルソナを暴走させたとみて間違いないだろう。
もしかしたら、怪我人が出なかっただけで暴れた可能性だってある。わからないのはその暴走するペルソナに心当たりがない点だ。
モルぺウス、ポベートール、パンタソスはそもそも暴走しないし唯一その可能性があるモルぺウスは初回召喚かつ大型シャドウが相手という特定条件以外暴走しないことはわかりきっている。
それに召喚さえしてしまえばちゃんとこちらの言うことを聞くし暴走するようなものでもない。
ホワイトライダーに関しては意志とかそういうのはあまり無く、希薄な感じがしたのでまずないだろう。というか人格を持つもう一人の自分や心の鎧や剣でもなく、ペルソナという切り取られた
そうなると、何が原因なのかわからない。
もう一度昨日の事をゆっくりと思い出し、ある点で『それ』の存在にはた、と気がついた。
あの時は謎の頭痛と恐怖でもう感情がぐちゃぐちゃになっていてよくわからなかったが精神のバランスを欠いていたともいえる。
そして問題の
精神攻撃を食らって洗脳されていて、振りほどこうとしたが意識を失った後に暴走したと仮定するなら『こちらの意識がない時』もしくは『精神的に不安定になった時』に出てくるのではないか?
それか、シャドウによる干渉を受けた時?
わからない。ただ、このような事態が昨日の一回で済むとは思えない。
もしかしたら、誰も言わないだけで前にも同じようなことがあったこともあるかもしれない。
山岸と初めて顔合わせした時におびえていたのも、もしかしたら前回の満月の時に意識のなかった自分が『それ』を呼び出していたからだとしたら?
シャドウに呼ばれてタルタロスまで来たという前回と、シャドウに操られて暴走した今回。
状況に違いは有れど、自分の意識がなかったしシャドウの影響を受けていたのは間違いない。むしろ、そうなっていない可能性よりもなっていた可能性の方が高いかもしれない。
そんなことにならないために意識を失わなければいい、と考えるもそんなことは無理だとすぐに己の甘い考えを一蹴する。
──今回、運が良かっただけで、もし怪我人が出たら?
──怪我どころか誰かの命を奪ってしまったら?
──それが、特別活動部の皆や奏子や湊だったら?
ゾッとする。
戦っている以上、いつ攻撃で意識を失うかわからない。下手したら気絶する可能性だってある。
今回のように精神攻撃を受けることだってある。
──その時、ペルソナが暴走しない保証は?
あるはずがない。
そんなもの、あるはずがなかった。
「来週の火曜から期末試験だから予習復習しっかりと! 君たちは受験生なのだから模試のつもりで挑むように!」
その結論に達し、憂鬱とした気持ちになりながら教師の言葉を聞き流した。
この調子だと勉強にも探索にも集中できそうにないだろう。
どうするか。どうすればいいのか。
手段はある。あるにはあるが…それに手を出すには“彼ら”に協力を仰ぐことになる。
それは、自分からペルソナ使いであるとバラすようなものだ。
けれど彼らではなく彼らと繋がりのある荒垣くんに頼むというのも考えたが駄目だ。
彼はやさしすぎる。きっと、黙っていてくれと言えば黙っていてくれるだろうが抱え込んでしまいもするだろう。
だから、巻き込むわけにはいかない。
放課後
帰り道を歩いていると目の前にジンが割り込んできた。
ナイスタイミングというべきか、バッドタイミングというべきか。
「ワシと一緒に来てもらおか。タカヤが呼んどる」
まるで昨日のことを見て知っていたのかと思うほどのタイミングの良さに、大人しくついていく。
そういうことになったということは、“そういうこと”なのだ。
「…モコイさん、ごめん。先に帰ってて」
「…」
ジンへの視線を外さず小さくそう告げると、モコイさんは心配するような目線をこちらへ向けながらも肩から降りて帰り道を歩いていったのかぽてぽてと足音を立てて遠ざかっていった。
「…こっちや」
黙って後ろをついていく。
ペルソナの暴走を“どうにかする手段”は彼ら──ストレガの持つ“ペルソナの制御剤”だ。
副作用がきつく、正しく命を削るそれに、自分は手を伸ばそうとしていた。
問題は、それの話をどうやってするか、だ。
突然制御剤の話をしたとして、その話の出どころを訊かれかねない。
どうやってその
荒垣くんに聞いた、なんて言ってもすぐにばれる。
…などとこねくり回していた心配はすぐに払拭された。
案内されたコンクリートむき出しの部屋で待っていたタカヤが、挨拶もそこそこに錠剤の入ったピルケースを差し出してきたからだ。
「今の貴方に必要なものです。ナギサ」
「……は…?」
「ペルソナの“制御剤”です。貴方も、ペルソナを
「……」
こぶしを握り締めて視線をそらすように下を見る。
全てお見通しというわけか。弟と妹がいることも、特別活動部のことも。
自分が昨日、ペルソナを暴走させたらしいことも。
「ああ、勝手に調べたわけではありません。貴方のお仲間については詮索すべき時に詮索はしますが。…弟妹については自分で話していたでしょう。その口で」
タカヤは笑みを浮かべる。
「──苦しくても忘れたことはない、と」
それはもう、得意げな笑みだった。憎らしいほどのそれは、暗に脅しているように見て取れた。自分たちはお前の弱みを握っているんだぞ、という脅しに。
「手を出すというのなら許さない」
咄嗟に口から出たのは自分でも驚くほど低い声。
タカヤはその言葉にさらに笑みを深くする。
「ああ、ああ。その
ふざけるな。俺はそのナギサとかいう人間でもないしお前に話したつもりもない。
そう言いたいが一蹴することもできない。
──だめだよ。
まるで見えない“誰か”が嗤いながら口封じをしているように。
「安心してください。我々は貴方の兄妹には手を出しませんよ。もっとも、我々の敵となることが決まったその時は…わかりませんがね」
「……」
「私だって貴方に恩や情はあります。だから、こうしてこの薬も分けようとしているのです。できることなら、こちらへついてほしいのですがそれも無理な話でしょう?」
演技がかった仕草で手を平げ、そう説明するタカヤに心は一つも動かされなかった。
それはそうだ。自分はナギサという存在ではないのだから。だからタカヤの語る恩も情も自分からしたら得体のしれない気持ち悪いものにしか感じられない。
これから絆を育んだり仲良くなる分にはいいが、最初から他人を投影されて面白い人間はいない。
「とにかくなんで知ってるのかとか、どこまで知ってるのかとかは俺の方からも訊かない。でも、俺のことをそのナギサって人と同一視するのはやめてほしいかな…」
「同一視ではありません。彼と貴方は同一の存在だ。それはどうあがいても変えられないものだというのに」
らちが明かない。
タカヤの認識を変えることはやはり無理なようだ。
はあ、とため息を吐いて諦める。
「…分かった。俺の負けだ。もう好きに呼ぶといいよ。でも、本当のナギサくんが生きてることが分かったら、俺のことは忘れてちゃんとその人を見てあげて」
「…まあ、いいでしょう。そういう事にしておきます。自分に居場所がないと思っているのも、甘いのも相変わらずですね…」
なぜかこっちがわかっていないような反応をされた。解せぬ。
タカヤは疲れた、と言いたげに部屋に置いてあるソファーに座り、天井を仰いだ。
「とにかく、その薬を受け取ってください。お金はもちろん取りません。貴方の寿命を削り、縮めるものですが効果は保証されています。私たちも使用していますしね」
「…水で飲んでいいんだよね?」
「構いません。噛み砕いても大丈夫ですよ」
「へー…」
そうなっていたのか。と思いながらピルケースを手に取った。
薬を使うこと自体に抵抗はない。これでペルソナの暴走による皆の被害と(自分以外の)死亡リスクがなくなるなら安い。
「あー…ありがとう。横、失礼」
「…あなた、」
敵意が(今のところは)無いとわかれば躊躇なく横に座れる。
なぜか驚いた顔をするタカヤに笑みを向けてやる。どうだ、びっくりしただろう。
これでも俺の気の変わりようは早いしどうにでもなるとわかったらウジウジ悩まず切り替えるタイプだ。
問題は、どうにもならなかった時だけで。
「俺はタカヤやジン…あとチドリだっけ? みんなの事、まだよく知らないからさ。教えてくれよ。まずはそうだなー…好きな食べ物とかなんで半裸なのかとか。…お節介かもだけど発汗で冷えて体が弱りやすくなるし服は着た方がいいよ」
「そう気を許せば距離をすぐ詰めてくるところも変わらない…やはり、貴方には敵わない」
困ったような、穏やかな笑みを浮かべたタカヤの顔を初めて見た。
いつも敵対していて、どこか切羽詰まったような顔やこちらを嘲笑するような顔しか見てなかったので酷く新鮮だ。
「薬のお礼になにか欲しいものがあったら今度会うときに持って来るよ。…あー、メールだと、文字として証拠が残るしバレたとき面倒だから、電話だけ登録する?」
「…いいのですか? 我々はいずれ敵に回るかもしれない」
「今更。それを言うなら俺もだよ。敵に回らない限りは馴れ合いでもいいから、仲良くしよう。薬を渡してはいおわり、だなんてさみしすぎるだろ? それに俺は君たちに何も返せてない。…薬だってタダじゃないんだろうし、これじゃフェアでもギブアンドテイクでもない」
そう言うと、またタカヤは笑う。それは驚くくらい邪気のない笑みだった。
「わかりました。次に会う時までにジンとチドリにも訊いておきましょう」
「ありがとう。じゃあメモに…紙とペンある?」
「…そこに」
「ん」
立ち上がってタカヤが指差したテーブルの上からボールペンと紙切れを手に取り携帯電話の番号を書いて渡した。
「これ。一回かけてみてもらっても?」
「ええ」
タカヤが慣れた手つきで番号を入力していく。そして、携帯電話を耳に当てる。
1秒ほどの間を置いて、自分の携帯から着信を知らせる音が鳴った。
「もしもし。ふふ、この距離で電話なんて不思議だね」
「確かに、この至近距離での通話は酷くレアケースではあります」
通話を切る。
目の前で通話していても電話代の無駄…というところまで考えて、どうやって携帯電話を彼は契約したのか気になったが指摘しないことにした。
突っ込んではいけない領域の話な気がする。
「それじゃ、この番号がタカヤの番号ってことか。覚えとくね」
「また薬が切れそうなときは連絡してください。こちらも残数を覚えておきますが非常時に連続で服用した場合はその限りではありませんしね」
「オッケー、それ以外の時に来ても? 薬の受け渡しの時だけじゃ味気なくない?」
緊張感のない自分の言葉にタカヤはまた困ったような笑みを浮かべた。
「…あまり目立たない程度に」
「わかってる。影時間外で会うときは取引相手かつ友達ってことでひとつ」
「…ともだち、ですか。また、酷く懐かしいことを言う」
「それも例のナギサくんから言われたやつ? 二番煎じになるのはなんだか悔しいな…」
別に一番最初の特別が欲しいわけじゃない。でも、重ねられてしまうと自分の知らない誰かの話題になってしまって面白くはない。
置いていかれているような気持ちになるのは自分が我儘で欲張りだからだろうか。
けれど、
「ま、いいや。俺はそのナギサくんとタカヤ達に何があったかは聞かない。だって、俺には関係ないことだし…」
そう言って、否定した。
背中合わせにいる誰かの影を無視するように。
──ほんとうにそれでいいの?
誰かが問う。
わからない。けれど、自分は
──そうだね。
そうだ。思い出さない方がいい。
苦しいことも、辛いことも、悲しかったことも、怖かったことも、痛いことも、死にたいと
閉じ込めて、封じ込めて、なかったことにしないと。
だって、だって、
そうしないと全てが崩れて壊れてしまうから。
(あれ…?)
どうして、そう思ったんだろう。
どうして、そんなことを思うんだろう。
自分は、誰だ?
自分は、なんだ?
──視界の端に見えないはずの赤が、ちらついた。
夜
美鶴は自室で珍しく資料を読んでいた。
調べ物、と言えば聞こえはいいだろう。しかしその内容はごく個人的なことだ。
(10年前の事故で死亡。いや、あたりまえ、か)
資料をめくり、目を通していく。
美鶴が調べているのは、先日の大型シャドウ戦で現れた三上のペルソナが発した名前についてだった。
あの時、覚えた心当たりを確かめようとしていたのだ。
「叔母上…」
ふう、と息を吐く。
資料の横にある写真に写っていたのは白衣を着た若い赤毛の女性。
名を、“
美鶴の叔母であり、桐条でありながら研究職についた稀有な人だ。そして、エルゴ研でシャドウについて研究を行っており、10年前の事故で爆発に巻き込まれ死亡した女性でもある。
性格は優しく、柔和、子供好き。
母性に溢れながらも研究職だった故か、年が若かった故か伴侶も許嫁もいないという桐条では珍しい人で、美鶴も可愛がってもらった覚えがあり、よく懐いていた。
そんな叔母の名が、何故三上のペルソナから出てきたのか。
基本的に、ペルソナは本人の分身のような存在だ。自分の影と言ってもいいかもしれない。ならば、三上本人に叔母と面識があってもおかしくはないだろう。
ペルソナに刻み込まれるほどの、暴走していたペルソナが自ら攻撃を止めるほどの相手なら、叔母に抱いていた感情は相当根深いもののはずだ。
(だが…)
彼は美鶴に初めて会った時も他の人間に対するものと同じ表情と対応をした。
もし、面識がありペルソナが勘違いするほど叔母と自分の容姿が似ているのなら、よほどのポーカーフェイスではない限り戸惑ったりするだろう。
三上の性格上、
穏やかにほほ笑むことが多くあまり感情を荒げない、というだけで彼は
彼女がこちらに来てからはそれがよく分かった。
書類には三上と関係があるという情報は一切無かった。
これでは面識があるのかどうかわからない。
知ったところで何になるのかもわからない。
美鶴自身、何故このようなことを調べているのかわからなかった。それでも、なぜか調べなければいけないような、とても大事なことのように思えた。
「直接…彼に聞いてみるしかないな…よし」
美鶴は椅子から立ち上がった。
「三上、居るか? 私だ」
コンコン、と部屋のドアをノックする。
まだ遅い時間ではないので外出か風呂に行っていなければ部屋かラウンジにいるはずだ。
「…美鶴さん? あ、ちょっとまって…」
少しして、足音と声がして目の前のドアが開けられた。
その首に白い包帯を巻きながらも、括っていた髪を下ろしていて男にしては長い髪が僅かに肩にかかっている。
それに、冷房が効きにくいせいだろうかあまり汗をかかない三上が珍しく少し汗ばんでいた。
「えと、ごめん、ベッドで本を読みながら横になってたからすぐ立てなくて…」
困ったような申し訳ないような顔をしながら頭の後ろを掻く三上は、いつも通りだった。
それは恥ずかしかったりするときにする癖なのを美鶴は良く知っている。
「いや、突然来た私のほうこそすまない。少し聞きたいことがあってな。…いいか?」
「いいけど…立ったまま? 椅子に座る? あ…でも俺の部屋、ちょっと今冷房あんまり効いてなくて暑いから窓開けてるんだけど…虫とか入ってきてたらごめんね」
後ろをちらりとみた三上は部屋の窓を確認したらしい。
カーテンは閉めてあるがそのカーテンは外からの風でひらひらと動いている。
「すぐに終わる。ここで大丈夫だ。ありがとう」
「ん。分かった」
首を横に振ると三上は頷き返してこちらの言葉をまった。
「…“桐条 千鶴”という名に聞き覚えは?」
「ちょっとまって…」
顎に手を当てて考えるそぶりをする三上は真剣に心当たりを探ろうとしてくれているのだろう。だが、
「ごめん、考えてみたけどやっぱり覚えがない」
困ったように眉を寄せながら謝られてしまった。
「…私の叔母だ」
「そっか…」
微妙な顔をされてしまう。
これではいけない。なぜ、訊く事になったのか理由を言わなければ一方的に聞いてしまうだけになってしまう。
だが、先日のことを言ってもいいのだろうか? と悩む。
三上に先日の事を教えれば抱え込んでしまうだろう。気に病むだろう。だが、話さなければそれはそれでまたしこりが残ってしまう。
美鶴は、口を開いた。
「三上、実は──」
大型シャドウ戦の時のことを全て話した。
ペルソナが暴走したこと。大型シャドウを喰らっていたこと。鎌を振るい有里奏子に当たりかけたこと。三上の首を絞めたこと。果てにこちらに向かってきたことも。そしてそれを有里湊のペルソナが止め、暴走したペルソナが『千鶴』と確かに言っていたことを。
「…なるほど。わかった。話しづらかったと思うのに話してくれてありがとう。美鶴さん」
三上の反応は、酷く普通だった。
そのことに、違和感を覚えるほどに。
「ごめん。俺のせいで怖い目に、危ない目に遭わせてしまって。でも大丈夫。次からは
“絶対にない”と笑った三上に得体のしれない危機感を覚えた。
これまで通り作戦に参加するのは問題ない。大方、大型シャドウの影響だろうと皆で結論が出ていたからだ。
たとえそれが尋常じゃないものであっても。
それよりも、なにか三上が黙って危ない橋を渡ろうとしているのではないかという予感めいたものがあった。
しかし、確証はない。
(杞憂か…)
美鶴は視線を一度逸らす。
「三上にはこれまで通り作戦に参加してもらう。だが、リーダーを任せるというのはこれまで通りとはいかないかもしれない」
「わかってる。…期待に応えられなくてごめん」
「それは…!」
そんなことはない、と否定しようとしたが言葉は最後まで出なかった。
三上は後ろを向いたかと思うと唐突に口を開いたからだ。
「ええと、俺の方も千鶴さんのことをなにか思い出せたらまた話すし協力するから。これ以上続けると長話になっちゃうし」
「…そうだな」
どうやら時間を気にしていたらしい三上はこちらを気遣いながらも話を切った。
確かにこれ以上ここでもだもだと話していても無意味に時間が過ぎるだけだ、と美鶴も思った。
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
挨拶をして別れる。
気にならないといえば嘘になるが、確証も何もないものを訊けるほど、美鶴は三上に踏み込むことが出来なかった。
美鶴さんが去るのを確認した後、ドアを閉めてずるり、と
薬を受け取って、ストレガたちの元からどうやって帰ったのか、途中からよく思い出せない。
本を読んでいたなんて嘘だ。本当は、ずっとベッドの上で頭を抱えて眠ってしまおうと必死に目を閉じて耳もふさいで全てを見たり聞かないようにしていただけだ。
でも、何かを遮断すればするほど、五感だけは鋭くなり、自分の大事な輪郭はぼやけていくようで不安になるばかり。結局、変な汗をかくことしかできなかった。
なんて無意味な抵抗だったんだろう。
「…モコイさん」
「なんだい、チミ」
「おれは、いつも通りに…ちゃんと…“三上優希に”なれてたかな」
ぼんやりと、部屋の天井をみつめる。
頭が痛い。
「チミ、おバカさん? チミはチミでしょ。それ以外ナイナイさんだよ」
「…うん」
「ハー…」
溜息のように息を吐き出すような声が聞こえて、ぽてぽてと足音がする。
続いて、何とも言えない感触と重さが膝に乗った。視線をのろのろと下におろせばモコイさん。
「チミはチミ以外のなにかになれはしないんだカラ、悩む必要ないの! わかった?」
「うん。ありがとう、モコイさん…」
「まったく、ニンゲンってそんなことで悩むんだカラ、大変さんな生き物だネ。…このモコイさんが慰めたんだから、“はがくれ”のラーメンでヨロシク」
「そうだね。また、食べに行こうね」
モコイさんの言葉は不思議だ。
悪魔だからなのかもしれないけれど、聞いてると落ち着くしどんな大変なことでも何とかなってしまう気になってしまう。
人はそれを依存というのかもしれない。わかっている。わかっているからこそ、それに頼りきりになる事はいけないことなのだと自分を戒める。
(だからこそ、俺は)
どんなイレギュラーがあろうと、1人でニュクスを封印して、湊と奏子を救うと決めたからには誰かに頼って立ち止まったりすることなく走り続けないといけない。
その、来るべき