別荘の応接間に呼び出された特別課外活動部は皆複雑な面持ちでソファーの上に腰掛けていた。
「やあ、みんな集まったようだね」
別荘についてから姿を消していた幾月がにこやかに言う。
大方、アイギスを起動させていたのだろうがそれにしても神出鬼没すぎる。
「美鶴から、だいたい話は聞いているな」
真ん中のソファーに座る武治さんが重々しい口を開いた。
その言葉に、岳羽が頷く。
「左様、全ては大人の…我々の罪だ。私の命ひとつであがなえるのなら、とうにそうしていたところだが…今や、君らを頼る他はない」
それぞれが顔を見合わせる。
「父、“鴻悦”が怪物の力を利用してまで造り出そうとしたもの…それは、“時を操る神器”だ」
「時を、操る…?」
武治さんの口から語られた話は、美鶴さんは初耳だったらしくわからない、と言ったように呟いた。
それを見た武治さんは小さく息を吐いた。
「言葉の通りさ…時の流れを操作し、障害も、例外も、全て起こる前に除ける。未来を意のままにする道具と言ってもいい」
「す、すげぇ…野望のサイズがデカい…」
「だが研究は、父の指示によっておかしな方向へ進んでいった。…晩年の父は、何かとても深い虚無感を胸の奥に持っていたようだ。今にして思えば、父の乱心は、それを打ち破るために始まったのかもしれん…」
今度は深く落ち込むような息を吐いた武治さんはもう一度口を開く。
「君らが全てを知りたいと望むのは当然の事だ。私にも、伝える義務がある」
その言葉と共に、部屋が暗くなりスクリーンに映像が映し出される。
これから始まるのは岳羽の父である岳羽主任の後悔のビデオ──を、幾月がちょちょいと自分の都合のいいように編集したやつの放映だ。
「これは…?」
「現場に居た、科学者によって遺された、事故の様子を伝える唯一の映像だ」
そしてビデオは始まる。
『この記録が…心ある人の目に触れることを…願います』
「この声…!?」
ビデオから聞こえてきた声に岳羽が目を見開く。
『ご当主は忌まわしい思想に魅入られ、変わってしまった。私は知らなかった。知らなかったんだ! 私の娘と同じくらいの年の子供ひとりに…かき集めたものを…全部詰め込むだなんて正気の沙汰ではない! …この実験は…行われるべきじゃなかった! もう未曾有の被害が残るのは避けられないだろう…でも、こうしなければ…世界のすべてが破滅したかもしれない!』
「世界の…破滅?」
山岸が小さく呟いたその言葉は酷く大事なことだ。けれど、自分はそのビデオに違和感を覚えていた。
なぜだろう、背筋がぞわぞわするのだ。いつものビデオを内容が違うような、それでいて間違っていないような、僅かな違和感。
だがそのビデオの一言一句を覚えているわけではないし、幾月によって編集されているので付け足されたところもあるかもしれないのだ。気のせいだということにしておこう。
『この記録を、見ている者よ、誰でもいい、よく聞いて欲しい!! 集めたシャドウは、大半が爆発と共に近隣へ飛び散った。悪夢を終わらせるには、それらをすべて消し去るしかない!』
『全て…僕の責任だ。全てを知っていたのに、成功に目がくらみ、今まで知らなかったとはいえ結果的に幼子を犠牲にし、結局はご当主に従う道を選んでしまった…全て、僕の…責任だ…』
「!? お父…さん…」
そこでビデオは終わり、岳羽が立ち上がって呻く。
自分の父親が、大型シャドウを生み出すきっかけになってしまった事故の原因と知ったショックは計り知れないものだろう。実際は違うけど。
「お父さんって…今の人が…?」
「……」
岳羽は、答えなかった。
しかしその沈黙が肯定を表しているだろうことはありありと見て取れた。
「お父様、これは…」
「彼は岳羽詠一郎…当時の主任研究員だ。実に有能な人物だった。その彼を見出して利用し、こんな事件にまで追いやってしまったのは、我々グループだ」
困惑しながら武治さんを問い詰めた美鶴さんに絞り出すように答えが出された。
「詠一郎は…桐条に取り殺されたも同然だ」
「ま、まさか…」
「つまり…私のお父さんが、やったって事…? 影時間も…タルタロスも…沢山の人が…犠牲になったのも…みんな…父さんのせいってこと…?」
「お…おい…」
うわ言のように呟く岳羽はゆらゆらと視線が揺れていた。
「じゃ…色々、隠してたのって…ホントはこれが理由? 私に気遣って、隠してたってこと? そういう事なの…!?」
「岳羽、それは違う、私は…」
最後の方は叫びに近いようなその言葉に美鶴さんはたじろぎながらも言葉を紡ごうとしていた。が、
「かわいそうとか、やめてよッ!!」
岳羽はそう叫んで走って部屋を出て行ってしまう。
いろいろきつく当たってしまったこともあって、素直にしおらしくなれなかったのもあったり、その上で憐れみに近い生ぬるい同情を受けていると彼女は受け取ってしまったのだろう。
「あの…誰か…行った方が…」
「……」
どうしようか。
ここで自分が行ってもいいが恐らく岳羽は美鶴さんとそれなりに仲のいい自分には心を開いてはくれないだろう。「桐条先輩に言われてきたんですか」とか、「先輩も同情してきたんですか」とか言われるのがオチだ。
「…有里兄妹。ふたりとも、彼女を…追ってくれ…」
「でも…ゆかりちゃんのこと、いまはそっとしておいた方が良いんじゃ…」
「僕はいいけど」
「湊ぉ…」
美鶴さんに頼まれたのは奏子と湊だ。確かに、2人ならちょうど奏子が慰めて湊がズバッと言う役というバランスが取れているしぴったりだと思う。
ただ、奏子は納得がいかないようだけれど。
「…済まない」
そう美鶴さんに頭を下げられると奏子もやめると言えないようで静かに席をたった。
「じゃ、はやくいこ、湊」
「うん」
並んで駆け出す2人を見つめて、正反対だけど岳羽を心配しているという事に変わりはないな、と改めて思った。優しい子に育ってくれて兄としてはうれしい限りだ。でも、
「2人だけだと心配だから俺も行ってくる。美鶴さん、こういう時は1人でも年長者が居た方が良いだろ?」
「…三上…頼む」
「うん、任された」
安心させるために笑いかけて、席を立つ。
自分は岳羽が見える位置までは行くがばれないように近づいて話しが終わった頃合いを見て帰るよう促す役だ。
じゃあ、ゆっくりいこうかな、と特に心配することなく部屋を出て歩みを進めた。
影時間
「ずっと信じてたのに…」
血のように赤くなった海を見つめながら、ゆかりはぽつりと言葉を零す。
いつの間にか、湊と奏子の2人がそこには寄り添っていた。
「こんなの、キツイよ…」
「そうだね」
ゆかりの言葉を湊は迷いのない言葉でオウム返しをするように肯定した。
短いその言葉は、飾り気がないからこそゆかりによく染みるようで目に涙が溜まる。
「…2人とも、覚えてる? 前に、病院で言ったこと…私のお父さん、子供の頃に死んだって…さっきの話で分かったでしょ…あの事故が原因なんだ。普通の人は、真相なんて知らないから、当時は根も葉もないうわさが立ってさ…父さん主任だったから、世間から目の敵にされてね…いろんな場所を転々と引っ越したの」
「大変だったね」
今度は奏子が慰めるように寄り添う。
その言葉で、ゆかりはこぼれそうになる涙をこらえた。
「うん…でも私、ずっと信じてた。父さんは悪くない筈だって。小さいころから大好きだったし、絶対悪いことするような人じゃないって。…実は、春頃ね、手紙が届いたの。10年前の父さんから…”家族へ”って」
ゆかりは泣き笑いのようなものを浮かべる。
「笑っちゃった。殆ど私の事しか書いてないんだもん…だから信じようと思ってたのに…」
そこで一度伏せたゆかりの瞳からぽろりと涙がこぼれた。
「だから、自分に力があるってわかった時は、偶然じゃないと思った。怖かったけど、桐条グループの傍にいれば、父さんの事…なにか分かるかもって。だからペルソナ使いになって、戦いも続けてきた」
ゆかりは暗い顔をして俯く。
「でもさ…なんていうか…そんなの無駄だったんだよね…」
「ゆかりちゃん…」
その言葉をきっかけに止められなくなったのか、ぽろぽろと涙をこぼすゆかりは心のダムが決壊してしまったかのようだった。
「──無駄なんかじゃない」
「フフ、気休めだよそれ」
ゆかりのその言葉に、湊は首を傾げた。
本当に純粋な疑問を浮かべるように。
「なんで? だって、岳羽の父さんが実験を中止しなきゃ世界が滅んでたんでしょ? そもそも今がなかった可能性すらあるし、こうやって僕らが出会うことも、岳羽の父さんがどうして死んだのかもわからなかったかもしれない。だから、無駄なんかじゃないよ」
「あ、そっか! ある意味英雄じゃん! ゆかりちゃんのお父さん! ゆかりちゃんと出会わせてくれてありがとー! あでも、事故起こしちゃったからありがとーも違うのか! なんて言おう!?」
「フフ、あははっ! なにそれ…! 有里くんも奏子ちゃんも…ありがと。確かに言われた通りかも。父さんが止めなきゃ世界が滅んでたかもなんだよね…そもそもそんなアブナイ実験するなってハナシだけど、それでも父さんはそれが悪いことだって土壇場で気が付いたんだよね…そっか…そっか…!」
湊と奏子の言葉に、ゆかりは泣きながら笑みを浮かべた。
先ほどまでは父が悪事を成したという事ばかりに目が行っていたが、確かにビデオで父は「被害は出るが世界すべてが滅亡するよりはマシ」に近いことを言っていた。
もし父があそこで止めなければ、被害はポートアイランドだけでは済まなかったかもしれない。そう思うと、先ほどまで落ち込んでいた気持ちはどこかへ飛んで行ってしまったかのように楽になっていた。
捉えようによって変わるとはこのことか。
「でも、桐条先輩には悪い事しちゃったな…嫉妬っていえばいいのかな。あんなことがあったのに、なんで桐条先輩にはまだお父さんがちゃんと居るのかって…あーあ、みっともないなあ、私」
「ちゃんと謝れば大丈夫だよ! 桐条先輩やさしーし許してくれるって!」
自嘲するようなゆかりにかかった奏子の言葉に、ゆかりは目を見開いたあとに微笑む。
「…そうだよね。謝ればいいんだよね…なんでこんな簡単なこと、分かんなかったんだろ。すごいなあ、ふたりとも。こんな私にこれだけ付き合ってくれるんだもん。いろいろ当たり散らしたり険悪な空気にしたり振り回したりしたのに。…それに、ふたりと…三上先輩も実の両親亡くしてるのにね…私ばっかり話聞いてもらってゴメンね」
「…岳羽は大事な仲間だから」
「も~、湊! ゆかりちゃんは友だち、でしょ!」
「そうとも言うかもしれない」
「ぶー、湊の強情~!」
せっかく湊がいいことを言っていた気がするのだが、それは奏子の介入によってすっとんでしまう。
いつの間にか空気はいつも通りの明るいものに戻っていた。
「…そろそろもう帰んないとね。みんな心配してるだろうし、もう影時間だし──…」
ゆるく笑いを浮かべたゆかりが横を向いた瞬間、その表情を固めた。
視線の先には、蠢く大量のマーヤが。
「シャドウ!? どうしてここに…!?」
「うそ…!」
「岳羽! 奏子!」
湊がふたりを庇うように前に立つ。そしてペルソナを召喚しようとホルスターに召喚器が嵌っているであろう場所を手で
「!?」
空を掴んだ感触に、湊は目を見開く。
これまで、屋久島でシャドウに相対したことがなかったために油断して召喚器を置いてきたんだった。
顔の横を、【アギ】の炎が掠める。
「…逃げなきゃ!」
そう言いながら奏子がゆかりの手を取って走ろうとした瞬間、目の前にいたシャドウ達が光の矢によって蹴散らされる。
「な、なに…!?」
ゆかりは突然の事に戸惑う。一体何があったのか。
「射殺せ! “ホワイトライダー”!」
そう叫びながら三人の前に滑り込むように転がり込んできたのは優希だった。
呼び出された、馬に乗った骸骨のペルソナ──ホワイトライダーが弓に矢をつがえ、シャドウに向かって躊躇なく打つ。
「お兄ちゃん!?」
「話は後! …もう一度蹴散らせ!!」 【マハンマオン】
召喚器がないにもかかわらず、もう一度ホワイトライダーが現れ、破魔の光でシャドウを何匹か纏めて仕留める。
しかしまだまだ数もいて、さらにそこら中から湧いているようで別荘へ戻る道すらもシャドウに塞がれていた。
「はあ…はあ…別荘へは戻れないし…俺もこの召喚方法だと今はあまり連発ができない…とりあえず今はシャドウがいない向こうに逃げよう!」
顔を顰めながら頭を抑える優希は酷く余裕がなさそうだった。
シャドウの間を縫うように、四人は駆け出す。
どうしても通れない場合は優希がホワイトライダーを召喚することによって無理やり道を開けていた。
しかしその繰り返しも長く続く筈がなく。いくら退けても減らないシャドウに、優希は限界を迎えていた。
「はー…はー…げほ…っ」
湊の背後で、荒い呼吸と咳き込むような音が聞こえた。思わず、立ち止まって振り返る。
「三上先輩…!」
「…! お兄ちゃん、血が…!」
「ごめ、ん…もう限界…かもしれな…ぅ…げぼ…ごほ…っ!」
口元を己の血で朱に染めた優希が、倒れないながらも苦しそうによろよろと歩みを進めていた。
ああそうだ、兄は今、体調を崩しやすいのに加え、制御剤を飲んでいるかもしれないことを忘れていた、と湊は内心自分に対して舌打ちした。ただでさえ無茶をさせられない兄に、必要以上に負担がかかっているのは明白だった。
背後には、シャドウが迫っている。
「させない…!」
足元にあったスイカ割りに使われたまま捨てられたであろう手ごろな棒を手に取る。
そして、迫るシャドウに叩きつけた。
しかしそれはばきん、といい音をたてて折れ、すぐに使い物にならなくなってしまった。
「くっ…!」
「どうしよう…」
「絶体絶命じゃん…!」
「ぐ…う…!」
追い詰められる四人。それぞれが身を寄せ合いながら、どうしようかと頭を巡らせていた。
優希だけはペルソナをもう一度召喚しようと集中するが、カタチがうまくまとまらずにすぐに霧散してしまい上手くいっていないようだった。
万事休す。そう思われたその時──
──少女が、立っていた。
赤い景色の中、青いワンピースに金髪の彼女は、影時間だというのに象徴化することなくそこに二本の足で立っている。
「え、女の子…? なんでこんなところに…!?」
「…アイギス…?」
小さく、誰にも聞こえないような声で湊は呟く。
彼女は今、本来ならこの場にはいないはずだ。会うのは明日。仲間になるのは明後日のはずだった。
「見つけました」
その声は、誰にも届かなかった。しかし、それでも。彼女は跳んだ。
そして、湊たちの前に着地する。
「間違いないです」
「きみは…」
「危ない!」
なぜいま、ここに? と訊こうとした湊の声は岳羽の叫びにかき消される。
その声に答えないままアイギスは振り向いて跳びかかって来るシャドウを手刀で一刀両断した。
「障害は取り除きます。ぺルソナ、レイズアップ!」
アイギスの叫びと共に、青い光と力の奔流が渦巻く。
「ペルソナ使い!?」
【ヒートウェイブ】
岳羽の驚きに答えることなく、アイギスのペルソナである“パラディオン”が多くの範囲のシャドウを衝撃波で押しつぶした。
それがきっかけとなりアイギスの事を敵とみなしたシャドウは【アギ】を連発するが身のこなし軽くひらりひらりと避ける。それでもドレスに引火したらしく、アイギスが大きくジャンプした際に燃え広がり、その姿を消して機械の乙女の姿を暴いていく。
「!」
アイギスはそんなことを気にも留めずに数えるほどしかいなくなったシャドウの残党に向かって手の指に内蔵された機銃を掃射して綺麗に着地した。
そしてスタスタと湊と奏子へと歩み寄る。
「──ようやく見つけた。貴方たちをずっと探していました。…わたしの、一番の大切は…貴方たちの傍にいることであります。ですが…」
アイギスは突然その表情に怒りの感情を乗せ、指を──銃口を優希に向けた。
「貴方は、ダメであります」
その言葉と行動に、湊と奏子は戸惑いを隠せなかった。
「え…?」
「えっ、えっ、お兄ちゃんになにしようとしてるの!? お兄ちゃんはだめなんかじゃないよ!?」
「いいえ、彼は危険です。わたしの中の何かがそう告げています。貴方たちは近づいてはいけません。どいてください」
優希を庇うように前に出た奏子にひるむことなくきっぱりと言い切ったアイギスは奏子を優しく押しのけて、優希の胸に銃口を当てた。
「……ああ、そっか。そういう事か」
しかしそれでも、銃口を突きつけられている側である優希は──何かに納得したかのように微笑んでいた。まるで、幼子を見るように。
「僕たち、本当はそうする方が良いのかもしれないね。
アイギスは銃弾を撃とうとはしなかった。
その代わり、突きつけた指先が震えていた。わなわなと、アイギスの瞳が大きく揺れる。
対する湊と奏子は、兄の発言にいいようのない違和感を抱いた。いや、湊だけはその違和感に気が付いた。
──なぜ、兄がアイギスの名前を知っている?
「あ…なた…は…」
「──でも、それは
優希の口が弧を描く。その瞳は、満月のように黄色く輝いていた。
──兄はこんな誰かを見下ろすような嗤い方をしない。
…湊はぞっとする。目の前のこれは誰だ?
兄じゃない、と何かが否定する。それは、防衛本能とでも言うべきものかもしれない。
「だから、少しだけ忘れるといい。そう、これはなにかの悪い“夢”だと」
にっこりと綺麗に笑った兄の姿をしたなにかは指先を唇に当てて、「シーッ」とまるで秘密の約束をするように音をたてた。
瞬間、足元からごぼごぼと音を立てて黒い泥のようなものがあふれてあっという間に地面を侵す。
湊たちが「あ」と声を出す暇もなく、視界は黒で塗りつぶされた。
「──ようやく見つけた。貴方たちをずっと探していました。…わたしの、一番の大切は…貴方たちの傍にいることであります」
「ちょ、それどういうこと!?」
(……あれ?)
無理やりペルソナを使い過ぎたのか、一瞬意識が飛んでいたような気がする。
アイギスはいつも通り湊と奏子に近寄って大切宣言をしていた。ただ、これまでと違うのはそれが20日の夜であることと、今が影時間であることだ。
ごしごしと、口元の血をぬぐう。制御剤を飲んでから初めての召喚器なしでの召喚(しかもとんでもないデスマーチ)だったがアイギスが助けに来てくれて本当に良かったと思う。
彼女が間に合わなければ自分たちは詰んでいた。
本当に助かった、と安堵の息を吐く。
「無事かっ!?」
「おーい! 三人プラスセンパイだいじょうぶっスかー! ってなんだそのカワイコちゃん!?」
大きな声と共に伊織が駆け寄ってくる。
後ろには、真田くん、美鶴さん、山岸、幾月と続いていた。
「いやあすまないね、近くの研究施設で保管されていたシャドウが逃げ出したらしくてね。大事は無いかい?」
いけしゃあしゃあと悪びれもせずにそう告げた幾月にキレそうになる。
あの大量のシャドウ、お前のせいか幾月。大事あったわ。こちとら危うくぶっ倒れかけたんだぞ、と抗議の意味も込めて視線をこっそり送っておく。
「この子が守ってくれたので…」
「ああ、アイギス。突然起動して脱走したかと思ったらここにいたんだね。探したんだよ」
さも、何も知りませんでしたと言いたげな声色の幾月の言葉に内心でげんなりする。
「はい。わたしの大切はふたりの傍にいることでありますから」
「…けほっ」
そんなアイギスのお決まりの言葉を聞きながら、軽くせき込む。掌に点々と血が飛び散るのを見て、顔をもう一度顰めた。
最悪だ。喉を切ってしまったのかもしれない。ごしごしと今度は服のすそで拭っておく。どうせこういうのはばれても誤魔化せるんだから適当でいい。
「立ち話もなんだし、一旦屋敷に戻ろう」
そんな声を聴きながら歩き出す。
少し息を整えることが出来たからか、時間が経ったからなのか、必死にペルソナを召喚していた時に襲って来た頭痛はなりを潜めていた。
「──紹介しよう。彼女の名はアイギス。見ての通り機械の乙女さ」
幾月は、応接間にある噴水の前に立つアイギスをそう紹介した。
「はじめまして、アイギスです。シャドウ掃討を目的に活動中です」
「対シャドウ兵器…そんなものが?」
「彼女は10年前の実践で大破し、ここの研究所で管理されていたのだ」
「なにをしてもうんともすんとも言わないから、もう起動は無理だと思ってたんだけど、それが今日になって突然動き出したわけ」
武治さんと幾月がそれぞれアイギスについて簡単に説明する。
「どうして…」
「それは、わたしにもわかりかねます。ただ、わたしの一番は湊さんと奏子さんの傍にいることであります。…!」
愛おしそうに湊と奏子を見つめたアイギスの視線は、すぐ横の自分へと向く。
こちらを目視してすぐにずんずんと近づいてきたアイギスは、自分と湊たちの間に割り込んで通せんぼするように両手を横に広げた。
「貴方は、ダメであります!」
「えっ」
困惑する。
なんでアイギスにダメと言われなくてはならないのか原因がわからない。
原因に心当たりが全くない。いや、情けないとか兄たるなにかが足りないとかそういう事なのだろうか。
そうやって悩んでいると、アイギスの肩の後ろから奏子がひょっこりと顔を出す。
「なんでお兄ちゃんは駄目なの?」
「…その理由はわたしにもよくわかりません。ですが、この人は駄目であります!」
よくわからないのにダメと言われるのは少し落ち込む。やっぱりにじみ出ている情けなさとかアイギスにしかわからないそういうのがあるんだろうか。
「アイギス。大丈夫」
なおも手を広げてブロックしているアイギスの腕を、湊がやさしくつかんだ。
「優希は、大丈夫だから」
「湊さん……わかりました。わたしは彼に対する警戒を僅かだけですが解くことにします」
「ありがとう」
じっと湊の目を見つめたアイギスはそこでようやく分かってくれたのか腕を下ろす。ほんのちょっぴり警戒を解いてくれたらしい彼女はまたこちらを観察するようにじっとみつめてきた。
なんだか少し恥ずかしい。
「えっと、よろしく、アイギス」
「はい。よろしくお願いします。優希さん。ですが、わたしは貴方がふたりの傍にいるのはダメだと思っています」
「うん、今はそれでいいよ。これから俺はその印象を変えられるようがんばるね」
警戒していると言いながらもきっちり挨拶してくれるアイギスは律儀だ。
そうするようプログラムされているのかもしれないが、普通は警戒している相手にここまで優しくはしてくれないのだろう。
もしくは、大事である湊が大丈夫だと言ったからそれを優先したのかもしれないけれど。
「アイギスが会ったこともないはずの三上君を、これだけ警戒しているのは、湊くんや奏子くんへの認識と同じくメモリのバグかなにかかもしれないね…私の方でも調べておくよ。…ところで、」
すすす、と今度は幾月がこちらへ寄って来る。
思わず、後ずさってアイギスを盾にするように逃げる。アイギスにごめんと内心で謝っておこう。
「おいおい、また逃げないでくれよ三上君。別に取って食おうってわけじゃあないんだ。この前は少し強引に迫ってしまって悪かったね…」
「えっ!? 理事長が先輩に…!?」
誤解させるようなことを言うなアホ幾月。
山岸がとんでもない勘違いをしてるかもしれない驚きの声をあげているのも耳に入ってげんなりする。これは
「部を抜けないでくれって話の事ですよね…というかそりゃ警戒しますよ俺でも。あんなに真顔でぐいぐい距離詰められたらビビりますよ。なんだか幾月さんらしくなかったし…」
「それは失礼。私も少し焦ってたようでね、つい」
「ついもでももないです。あと部は抜けたりしませんよ。安心してください」
「ああ良かった。ひと安心だよ。それで、岳羽くんたちの報告によるときみは先ほど“召喚器なしでのペルソナの召喚”を連続でしたらしいね。体調などに問題は無いかい?」
舐めまわすような視線をまた寄越してきた幾月に眉を顰めそうになる。
自分はこの目が嫌いだ。
「…いえ、特には」
「お兄ちゃん、ウソついちゃだめだよ! だってさっき、咳き込んで血が…!」
「気のせいじゃないかな。影時間で海が真っ赤だったから見間違えたんだよ」
特に問題は無い、と言おうとしたら奏子に遮られてしまった。
我ながら苦しい言い訳をして視線を逸らす。しかし、湊の鋭い視線が自分を射抜いた。
「優希。奏子の言う通りウソは駄目だ。奏子だけじゃなく僕も岳羽も優希が血を吐いてたとこ、見てる」
「たしかに、私も見たよっ! 先輩が血を吐いてたの! ケロっとしてるから頭から抜けてたけど、ナニなんにもなかったようにフツーに立ってるんですか!」
逃げ道を防がれてしまった。あの場にいた三人全員に見られてるなんて思いもしなかった。
自分としては誤魔化せるだろうとタカをくくってスグに拭わなかったのと三人と距離を詰め過ぎたのが問題だったのかもしれない。
「それはそれは、ダメじゃあないか三上君。きみはすぐに部屋に戻って休むべきだ。前も言っただろう? “身体を壊さないようにして欲しい”って」
幾月に肩を掴まれる。
顔は笑っているが目の奥が笑っていない幾月は真剣そのものだ。
「…わかりました」
「分かったならよろしい」
なぜか満足げな幾月はそのまま肩から手を放して背中に回す。
そしてそのまま自分の背を押して部屋から追い出した。
「まっすぐ、寄り道しないできみの部屋に戻るんだ。いいね」
「わかってます。流石に寄り道するところもないですし、しませんよ。…先に失礼します」
頭を下げて部屋を出る。
若干、自分を追い出したいかのような幾月の行動に顔を顰めるがまあ他意はないし考えすぎかと考えるのをやめて歩き出した。