7/30(木) 影時間
ぱちり。目が覚める。
視界に広がるのは自室の暗い天井。
「優希」
声がする。
聞き慣れた、それでいて2ヶ月ぶりくらいに聞いた懐かしい声だ。
「──モルフェ?」
声の方に視線をやればベッドのすぐ横に、何も変わらないモルフェが立っていた。
「ふふ…もうすぐ、だね」
「あ、ああ、そうだね…」
小さくはにかみながら頷いたモルフェに頷く。まるで、先月出てこなかった事やそれ以前の心配したような表情が嘘のようにその顔は明るい。
そんなウキウキしている様子のモルフェの言う、もうすぐというのは十中八九大型シャドウ戦の事だろう。
「もう我慢しなくてもいいって、すてきだね」
「?」
モルフェの言葉の意味が分からない。
首を傾げる。今日のモルフェは別の意味で何か変だ。
「ぼくたちね、いっぱいたべたからすこしだけぼくたちがなにかおもいだしたんだ。でも、ひみつ」
部屋の中を踊るようにくるくるとまわりながら、熱にうかされたように酷く上機嫌なモルフェは笑う。
「優希のことは、ぼくが、まもるから。だから、優希はなにもかんがえなくていいんだよ。だいじょうぶ、きっとぜんぶうまくいく。優希がつらくなって、ないて、くるしむひつようなんて、ひとつもなかったんだ」
モルフェの冷たい手が首筋に触れ、撫でるように滑る。
「だから、優希は優希のままでいてね? なにも、かんがえるひつようなんてないから。そしてそのまま、なにもおもいださないで、なにもしらないで、ぼくたちとずっとずっと一緒にいるんだ」
ぞっとした。誰だ、これは。
こんなの、俺の知っているモルフェじゃない。
「なにもこわがることなんて、ないんだよ。だいじょうぶ。ぼくたちに、ぜんぶゆだねて、目を閉じて、こんどこそぼくたちといっしょにいよう。あんな身体を壊すようなくすりなんかもやめちゃえばいいんだ。…これまでなんどもなんども兄さんとそのお気に入りにじゃまされたけど、もう離さない。にどと、離さないからね」
尋常ではない執着の色を見せるモルフェになにか言わないと、と思うのに急激に抗えない眠気が襲う。
瞼が勝手に下がって意識がボンヤリしてくる。
「ごめんね…無力なぼくを、ゆるして」
意識を失う前に見たのは、いつもの、泣きそうな表情のモルフェだった。
8/5(水) 夜
神条さんに会いに、エスカペイドへと向かう。
明日は満月の日だが先週会うのをすっとばしたので今週くらいは会っておかないといけないと思ったからだ。
エスカペイドにつくと、いつもの壁際に神条さんが立っていた。
「少年。久しぶりだな」
「ご無沙汰してます」
頭を下げる。
この人に会うと酷く安心するのは何故なんだろうか。すこし懐かしい感じがするというか、親近感というか、そんなかんじのものが浮かんでくる。
「忙しかったのかね?」
「まあそんな感じです」
「成程。失礼…」
神条さんが近づいてこちらの肩の近くで何かを掴んで握りつぶすような仕草をした後すぐに離れた。
「ゴミがついていたようだ。取っておいたよ」
「あ、そうなんですか。ありがとうございます」
「…随分と大きなゴミが、ね」
「?」
含むような言い方をする神条さんの言葉が不思議だが、物書き特有の言葉の綾とかそういうものなのだろうか。
「さて、今日は“死”についての話でもしよう」
「死について、ですか?」
「ああ、とは言っても聖書の話だけれどね。ヨハネの黙示録に記される四騎士のうちの一騎。それの話だ」
なんというか、とてもタイムリーな話ではある。
黙示録の四騎士のうち2体とやり合ってペルソナとして持っているのでこれほどまでにぴったりな話題は無い。
「七人の天使──彼らはトランぺッターと呼ばれ、それらがラッパを吹いた時が終末の始まりだというが、その前に子羊が七つの封印を開封するのが”彼ら”のやって来る合図だ。子羊というなんとも人畜無害そうな存在が、死を運んでくる者たちがやって来る原因になるとは、ある意味残酷だろう」
「はあ…」
神条さんがニヤリと笑うが笑うポイントなのかわからない。
「第一の封印が解かれると、白き馬に乗った騎士が勝利の上の勝利を得ようとして出ていく。次に第二の封印が解かれ、辺りは赤い馬に乗った騎士によって戦争がもたらされ血にまみれる。第三の封印が解かれると、黒い馬に乗った騎士が食料を制限するための天秤を使い、地上に飢餓をもたらす。
そして第四の封印が解かれたとき、
神条さんは一気に話すと手に持ったグラスの中のカクテルをひと飲みした。
今は第二の騎士であるレッドライダーまでを退けているが、あと二体残っている。しかも、神条さんの話している通りの存在なら、第四の騎士である青ざめた馬に乗った騎士とやらはデスと同等かもしくは似て非なる存在なのかもしれない。
一筋縄ではいかなさそうだ。
「さて、その第四の騎士は地上の人間を死に至らしめる役割を持つ。その騎士が現れると戦争・疫病により人は死に至る…それが現れるだけで、だ。面白いと思わないかね?」
「面白くはないですね…だって、人が死ぬんですよ…?」
「正直で結構。きみは人の死を忌む普通の人間の感性を持っている。それでいい。私のように麻痺してはいけない」
神条さんの意見を否定したというのに、なぜか彼は満足そうだ。
「先ほど言った四騎士が現れる原因となる封印を解いた”子羊”だが…キリスト──
もう一度、神条さんはグラスのカクテルを口に含んで息を吐いた。
「さて、話は変わるがきみは10年前にウワサされた、『噂が現実になる』という話を聞いたことはあるかね?」
「すみません、幼かったのでそういうのはあんまり…」
「ふむ…そうか」
神条さんの問いかけに、首を横に振る。
10年前。丁度記憶がすっぽり抜けていたのもあって分からない。
噂といえば確かに家のある御影町の隣の市である珠閒瑠市が浮いたとか浮いてないとかその周辺で見たことも無い怪物を見たとかという話が、今から10年前──事故のあった年に飛び交っていたというのは幼い頃に養父母や他の人から聞いたことがある。ただそれよりも、ポートアイランドでの事故の方が大きく取り沙汰されていたし、噂が現実になるだなんて話は聞いたことがなかった。
「まあいい。そういうこともあったのだと、頭の隅にでも留めておいてくれたまえ」
「はい」
「その中にね、『アドルフ・ヒューラーが復活し、ナチス残党を率いて仮面党と呼ばれる集団と衝突し、ラスト・バタリオンを起こした』と言うものがあったのだよ」
なんというか、ブッとんだ噂だ。
本当に、そんな噂があったら桐条の起こした事故なんてメじゃないほどの死者がでているはずだ。やはり、噂は噂という事で神条さんはこちらをからかっているんだろうか。
「そしてアドルフ・ヒューラーと言えば聖槍ロンギヌスを探させ、その手に収めたという逸話の他に、“聖杯”を探し得るために他の者と争ったという陰謀論がある。聖杯は最初、病気治癒などの奇跡をもたらす聖遺物と語られていたが後にケルト神話などの伝承と合わさって万能の願望器のような扱われ方をするようになったのだ」
神条さんは天を見上げグラスを傾けるも、その中身を回すだけで飲もうとはしなかった。
「さて、そんな聖杯だが、ヨハネの黙示録にもその存在を持つ物がいる、と言ったらきみは驚くだろうか」
「…わかりません」
「なるほど。わからない、か。聖書や神話に明るくない普通の人間はその反応をして当然だろう。杯を持つもの、それはバビロンの大淫婦、七つの首を持つ赤き獣に跨るマザーハーロットと呼ばれる女だ。七つの災いの後に来たりし彼女のそれは、聖杯と言っても聖なるものではなく穢れて濁ったものだがね」
そしてこんどこそ神条さんはグラスの中のカクテルを飲み干した。
神条さんの話の意図が分からない。
もしかしたら、小難しいはなしなだけで、別の意図など無いのかもしれないので深く考えないことにした。
幾月と腹の探り合いを繰り返したせいで勘ぐりすぎるようになってしまったのは悪い癖だ。
そう思うと、なおさらに特別この話に何か別の意味があるようには思えなかった。
「さて、そろそろ夜も更けてきた。きみはもう帰るべきだ。…夜道に、気をつけたまえよ」
ニヒルに笑った神条さんに見送られ、エスカペイドを出る。
難しい話だったが、そのおかげで少し知識が増えた気がする。
8/6(木) 影時間
作戦室
「さて…また今月も満月の晩が巡ってきた訳だな」
「山岸、どうだ?」
「はい、確認できています。やはり今回もシャドウの反応があります」
作戦室のソファーの上で、いつも通りの作戦会議もとい大型シャドウの場所を山岸に訊く会話がされる。
「フ…そうこなくちゃな」
山岸の言葉に、真田くんがやる気十分、といった様子で気合いを入れる。
「場所は、巌戸台の北の外れにある、廃屋が並んでる一帯です。ただ、反応は10メートル以上の地下から確認されてて、それがちょっと…」
「単に建物に地下があるって事じゃないの?」
首を傾げる山岸に、岳羽が一般的に推測される答えを示す。
しかしそこに、アイギスが口を挟んだ。
「港湾部北側には、建築時に地下10メートルを申請している建物はありません。ですが、ずっと以前には、陸軍が地下施設を置いていたという記録があります」
「陸軍? …そうなの?」
「彼女には、この辺りの地形や建築に関する情報が一通り記録されてるんだよ」
岳羽の疑問に幾月が答える。一介のロボット(と言うのも変だが)であるアイギスにそんな情報を与えるというのは情報管理がかなりガバガバかと思うが桐条グループの力をもってすれば難のないことなのだろう。
「もっとも…放置していたので最後の更新は10年前だが」
「10年前であります。ちなみに、その場所には
「なんじゃそりゃ…つか、更新しようよ…」
伊織のツッコミが炸裂する。
たしかに、今まで放置していたとはいえ再起動したのだから情報の更新くらいは行ってもいいだろう。というか、作戦行動を円滑に行うためにも行うべきだと思う。
「で、結局どう解釈したらいいんだ?」
じれったい、と言わんばかりに真田くんが山岸に訊く。
眉をひそめて困ったような顔をした山岸は、首をひねりながら口を開いた。
「詳しいことは、実際に行ってみないと何とも…」
「戦争の遺物、か…今回は、状況が未だ不透明だ。よって、山岸もシャドウの近くまで一緒に行ってもらうことにする」
「了解だ」
「了解であります」
真田くんとアイギスの返事を聞いて頷いた美鶴さんは立ち上がって口を開いた。
「では、行こう」
巌戸台・港湾部北 地下施設入り口
よくわからない道を抜けて、土がむき出しのトンネルのような地下施設の入口へとぞろぞろと足を踏み入れた。
「ターゲットはこの下みたいです。慎重に進んでいきましょう」
道は一本だけ。
警戒しつつ下り坂のようなそれを歩いていく。
──ヤ…ツ…
「?」
なにか小さな声がしたような気がして立ち止まる。
「お兄ちゃん?」
「ああいや、なんでもない」
奏子に心配そうに呼ばれて、声は気のせいだったかとまた歩き出す。
洞窟のようなここの事だ。入り口である鋼鉄の扉をあけ放っているので風でも入ってきてそれが響いてるのではないか、とかそんな感じの事なのだろう。
「はっきりとはわからないのですが、一番奥で2つの反応が重なり合って、ひとつの大きな巨大な塊になっているようです。それにここは…戦時中に武器庫として使用されていたみたいですね…こんなに無造作に兵器が転がっているのをみるのは初めてです。全て…人を殺すために作られたものなんですね」
山岸がなにかを憂うように目を伏せる。
「生きる為に人が人を殺すなんて…そんな時代が過去にあったなんてとても信じらられないです…あ、すみません。先を急ぎましょう」
まわりにごろごろと転がる人よりも大きな歯車や、武器や何かのパーツに思うところがあったのだろう山岸の語りに、皆神妙な顔をする。
たしかに、生きる為に人が人を殺す時代はあった。しかし、今もそうじゃないとは誰が言いきれるのだろうか。
日本だけじゃなく、世界という視点で見れば、今でも戦争は起こっているし誰もが生きる為に殺し合い、戦っている。
日本が特別平和なだけなのだ。悪魔やシャドウというひとならざるものがいるにしても、普通の人間なら人と人の衝突とは無縁だ。
けれど、まだ特別課外活動部の皆はわかっていない。
ペルソナ使いの敵はシャドウだけではないという事を。時には、同じペルソナ使いだって敵に回るかもしれないという事を。
おそらくそれは、ペルソナ使いが自分たちだけだろうという無意識から来ているものだ。タカヤ達ストレガの事を知れば、彼らが敵対すればそうはいかない。
タカヤ達は人を殺すことに戸惑いがない。元々生死感が軽いのもあるが、そうしなければ生きていけなかったからというのもある。
それに対して特別課外活動部の面々が人を殺せるか、と言われるとNOだ。
コロマルとアイギスは論外として、天田も他の皆も土壇場になったその時、誰かを殺すという決断はできないだろう。
(……けどもし、本気でタカヤ達が皆を殺そうとしたら、その時は)
自分が、守らないといけない。
たとえそれでタカヤ達を殺すことになっても。優先順位を間違えてはいけない。間違えるな、と自分に言い聞かせる。
──ヤソ…マ…ツヒ…
立ち止まる。
また声が聞こえたような気がした。
「三上、大丈夫か?」
「あ、ああうん、大丈夫」
美鶴さんに心配されるように肩を叩かれてはっとする。
首を横に振って、先ほど聞こえてきた声のようなものを振り払う。シャドウに呼ばれているのかとも思ったがそんなものではないような、ここからのような、ここではないどこかで聞こえているような、そんな感じの声だ。
長い長い坂を下り、また大きな鉄扉の前に来た。
はて、ここにそんな扉はあっただろうか。なんかこう、もっと洞窟の奥の大空洞みたいな感じじゃなかっただろうか。しかもなんだかこの先の空気がピリピリしている。シャドウの気配じゃない。それとは別の何かの気配のような、例えば、悪魔のようななにかの気配を感じた。
しかし影時間には悪魔はいないはずだ。影時間になるとモコイさんも忽然と姿を消すし、悪魔の気配もぱったりとなくなる。
だとしたらこれは、なんだ?
「この先が、一番奥の様です。ターゲットはその奥で私たちを待っているようです。準備はいいですか?」
「うん、大丈夫。いこ!」
今日のリーダーは奏子だ。
鉄扉を皆で押し開け、その隙間に身体を押し込むようにして中へと入る。
大型シャドウの姿は、ない。
「大型シャドウの姿はない、ね…?」
「シャドウの反応、ここからなんだよな…?」
「おかしいです…気配はここからしているのに…」
岳羽と伊織の言葉に山岸が首を傾げる。
それにしても、鉄扉の奥は洞窟のようだった通路とは違い、えらく近代的な、レンガ作りの壁で包まれた部屋のような構造になっている。
部屋の端には通気口と思われる穴が何か所かあいているが、今も使えるかどうかはわからない。
「罠じゃ…ないよね?」
奏子が不安そうにきょろきょろと周りを見回す。
周りには、戦艦の一部だったろう砲身の更に一部分のパーツやアンテナのようなものが無残に捨て置かれていた。
皆が皆、寄り添い合い警戒する。その瞬間、部屋の入口の方からパチパチと拍手するような音と足音が聞こえてくる。
「…正確な情報の把握、お見事です」
その声に、自分を含む全員が一斉に入口へと振り向いた。
そこにいたのはタカヤとジンだ。チドリは別の場所にいるんだろうか。
「誰…!? 私のルキアには、今の今まで何の反応も…!」
「貴方たち、誰っ!?」
奏子が警戒するように鋭く声を飛ばす。
「…ですが情報の使い手がいるのは自分たちだけだとは思わないことです」
奏子の言葉を無視して、タカヤが語り出した。
「私の名はタカヤ、こちらはジン。“ストレガ”と、我々を呼ぶ者もいます」
「ストレガ…?」
「さて…今日までの、皆さんのご活躍、陰ながら、見せていただきました…聞けば、人々を守るための、“善なる戦い”だとか。ですが…今夜はそれをやめて頂きに来ました」
湊と自分以外の全員が目を見開く。
そりゃそうだろう。いきなり大型シャドウを倒すのをやめろ、なんて言われて驚かないわけがない。
「犬に小学生にロボット…お仲間が随分増えたようですが、それは、ここが罪深い土地だからでしょうね。
──タルタロスは今宵も美しくそびえている…」
今度は首を傾げる番だった。
確かにタカヤの言うことは酷くポエミーだ。意味が解らないのもしかたないと思う。自分もいまだにタカヤの言うことは意味が解らない。
「それと、戦いをやめろってのと、何のカンケ―があんだよ?」
噛みつくように伊織がきき返す。それにジンが手榴弾をお手玉にしながら答えた。
「簡単なこっちゃ。シャドウや影時間が消えたら、“この力”かて、消えるかもしれん。そんなん、許されへん」
「“この力”…? まさか…ペルソナ使いなのか!?」
「ご名答。と言っても我々のものはあなたがたとは違い、押し付けられたものですがね」
「押し付けられた…おい、それって、人工ペルソナ使いじゃネーの!? あの、100人くらいいたけど生き残りは三上センパイ以外ほとんど居なくなっちまったって言う…」
酷く忌々し気に語るタカヤに、伊織が驚いて口走る。
ああ、いや、いま、伊織は何と言った? おれが、人工ペルソナ使いの生き残り…?
そんな、まさか。
「順平!」
「あっやベ…ッ、わりぃ!」
「そこまでご存知でしたか。ええ、そうです。我々は桐条によって望まない力を押し付けられ、虐げられ、殺されかけたかつての子供です。──ねえ、ナギサ」
タカヤの言葉に、思考が、まとまらない。
気持ち悪い。
頭が酷く痛い。
自分は、違う。自分は、ナギサじゃない。
「はあ…はあ…はあ…ちが、う…俺じゃない…」
思い出したくない。
見たくない。
忘れろ。忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ。
思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな。
頭の中で警鐘がガンガンと鳴る。
「まあ、いいでしょう。ナギサ、嫌でも私のペルソナを見ればあなたは自覚するはずだ。はああああああああ!!!!」
赤黒い光が、頭を抑えたタカヤを包む。
「来なさい──“ヒュプノス”」
その名前を聞いた瞬間、腹が、疼いた。
苦しい。息が、できない。
──だいじょうぶ。ぼくが、優希を守るよ。
苦しみの中、モルフェの声が聞こえた気がした。
「ああああああああああ!!!! “ヒュプノス”!!!!」
腹を抱えた優希がタカヤのペルソナと同じ名前を叫んで赤黒い光に包まれる。
禍々しい力の奔流。濃厚な“死”の気配にその場にいた全員が、ぶるりと身震いする。
そして、まるで、影から這い出るように『それ』は静かに姿を現した。
襤褸切れのような布に、湊のタナトスのような獣の頭骨。すらっとした足。凶暴な爪のついた腕。
「あれ、は…そんな…!」
天田が、その姿を視界に入れた途端目を見開いて息を飲んだ。
「────ッ!!!!!」
胴体だけが不自然に足りない『それ』は、虚ろな眼窩を光らせ、咆哮してタカヤの召喚した“ヒュプノス”に跳びかかる。
「なるほど、やはり元に戻ろうとしている。いや、
冷や汗を流しながら後ずさったタカヤは、自らのペルソナに牙をむいた『それ』を注視した。
『それ』は頭骨の大口を開けて力を溜める。嫌な予感がしたタカヤは咄嗟に指示を出した。
「【ザンダイン】!」
【アンティクトン】
嵐のような風と、禍々しい魔力がぶつかり合う。
それにより、巻き起こされた土埃が視界を奪った。
「…かのペルソナが完全なものでは無くて助かりました」
タカヤは、ホッと息を吐いた。『それ』が出したものは本来ならばタカヤのヒュプノスでは相殺しきれないはずの威力を持つものだ。
しかしなおも『それ』は優希の意思に関係なくタカヤ達を敵視し、ヒュプノスに噛みつこうとする。
「ちっ…敵に回すと厄介ですね…」
舌打ちする。
このまま戦い続ければ、『それ』に命を奪われかねない。
「ここは一旦引かせていただきましょう。藪を突くのはあまりよくなかったようだ」
ヒュプノスを消し、踵を返す。
だが、『それ』はそこで終わらなかった。
「────ッ!!!!!」
咆哮。
獲物を失った『それ』は迷うことなくタカヤへと肉薄した。
「狂犬が!!」
「あかん、タカヤ!」
腕が振り上げられる。当たればただでは済まないだろう。最悪、バラバラに切断されるようなその攻撃をタカヤは避けられそうにない。嗤う。ここで、終わるのならそれも定めだと。
「──だめ、だ。止まれッッッ!!!!」
叫びに、ぴたり、と振り下ろされかけていた腕が止まる。
「ころ、すな…! 俺の、いう事を、聞け…!」
苦し気に腹を抱えたままではあるが、ギラギラと獣のような目をした優希のその言葉に、「どうして」と言いたげに不服を伝えて呻る『それ』。
「もう一度、言う。そいつを、殺すな。お前も俺のペルソナだというのなら…俺のいう事を、聞け…ッ!」
吼えるようなその声にようやく、『それ』は観念したように姿を空に溶かした。
「──礼は言いませんよ」
「…うるさい。もうどっか行け」
片手で頭を押さえて数回ほど振りながら投げやりにタカヤへと吐き捨てた優希は酷くぶっきらぼうだった。
しかし、この様子ではタカヤ達の事を思い出したようには思えない。
「つれない人だ。では、ナギサの言葉に甘えて我々は去るとしましょう」
「せいぜい、あがきや」
立ち去る瞬間、ジンは八つ当たりのように扉の横をガツン!と蹴った。
「おい、待てっ!」
明彦が追いかけるも虚しくその鋼鉄の扉は音を立てて閉まってしまう。
「くそっ…やられたッ!!」
「な、なあ…これってオレたち閉じ込められたんじゃ…」
しまった扉を叩く明彦に、青ざめた順平が呟く。
扉が閉まってしまった以上、別の出口を探さないといけない。そして何よりも、大型シャドウを見つけ出さないといけないのにそれすらもできなくなってしまった。
「ごめん、あいつが…あのペルソナが、この前、奏子と美鶴さんを襲ったやつ、なんだよな…もう暴走させないって言ったのに、俺は…また…」
湊に悔いるような声でそう告げた優希の顔は暗い。
だが、これも事故のようなものだ。順平がうっかり口を滑らせ、ストレガのタカヤが挑発し、それに呼応しただけのこと。
「いいんだ。だから優希…順平の言ったことは…」
「…?
「順平の言ったことは気にしないで」。そう告げようとした湊の耳に、心底不思議そうな兄の言葉が入る。
まるで、兄の中で
「……なんでもない」
そして、湊は目を逸らした。
「くっそー! シャドウは見つかんねーし、閉じ込められちまうし、ストレガのヤローぜってーゆるせねー!」
順平が地団太を踏んだ。
それとほぼ同時に、風船から空気が抜けるような、空気が勢いよく噴出しているような音が聞こえてくる。
「な、なに!?」
「何の音?」
部屋にある通気口のようなものから噴き出したそれは瞬く間に地面に落ち、紫の煙となった。
「これ、上から…?」
戸惑う面々。
見上げれば、どこかにあるスピーカーから声が聞こえてきた。
『このまま去ろうと思ったのですがタダでと言うわけにはいきません。せっかくなので基地にあった物を利用させてもらいました。私たちからのプレゼントです』
「これは…みんな吸っちゃ駄目!! 神経を麻痺させる毒ガスです!!」
ひとり、ペルソナ“ルキア”の中にいる山岸が叫ぶ。
叫びに皆反応して一瞬でその手で口をふさいだ。
「吸うなっていってもよー…!」
順平が困ったように呟いた。その横で、怒った顔をした奏子が静かに問いかける。
「どうして、こんなことをするの…!」
『決まっとる。さっきも言うたけど“影時間”を消されるのは困る。アンタらはわしらにとって邪魔なんや』
『あなた方は気付くべきだ。自分たちが影時間を知る前よりも今の方にいっそうの充実を感じていることに。あなた達のそれはエゴで“偽善”だ。そんな方々に、影時間を消してもらいたくはない』
『さて、長話はなんやしもうすぐやっこさんが“降りてくる”頃や。わしらは退かせてもらうで』
ジンのその言葉が聞こえた瞬間、大きな音を立てて戦車が一台降りてくる。
「戦車…!?」
「シャドウが、戦車の装甲を身にまとって利用しているようです! えっと、敵タイプ、“正義”…じゃなくて“戦車”…あ、あれ? 見かけは1つなのに、反応が2つ…? こんなシャドウ、初めてです!」
「オイオイ、このタイミングでかよ…!?」
順平がたじろいだ様に一歩下がる。
毒ガスに大型シャドウとなるとかなり厳しい戦いにしかならないだろう。
「さっさと片付けて脱出するぞ!」
召喚器を構え、明彦がその引き金を引く。
横にならんだ奏子も、合わせるようにその引き金を引いた。
【ラクンダ】「いまだ!」
「お願い、“シーサー”!」 【ジオンガ】
奏子のシーサーが防御力の下がった大型シャドウに雷を落とす。
一瞬ぐらつく大型シャドウだったが、すぐに体勢を立て直した。
「敵シャドウ、いまだ健在です!」
そして、戦車の上の砲身部分と下が分離した。
「なっ、分離だと!?」
分離した砲台部分は小さな甲冑を着て羽の生えたシャドウ
「きゃあ!」
「うわっ!」
急いで頭を下げる。が、その頭を下げた先は毒ガスが溜まっていた。
「力が…入らない…」
「天田くん、大丈夫!?」
「げほっ、やだ…これ…」
湊も奏子を含む特別課外活動部の誰もが、咳き込んでまともに立っていられないようだった。
何人かは武器を支えにすることによって立っているが、それでも万全とはいえない。
その隙を狙って、
「──!」
「大丈夫ですか!?」
身構える奏子の前にアイギスが躍り出てその弾を迎撃する。
小さな爆発と共に爆発したそれを気にも留めずに
「させません!」
「アイギス! だめ!」
アイギスがそれを抑える。
しかし、上の
「危険察知!」
アイギスから青い光が迸り、ペルソナ“パラディオン”が召喚されて何度もその砲撃の盾になる。
鉄に物が当たるような鈍い音と共に、それを防ぎ切ったパラディオンは姿を消した。
「だめだよ! アイギス、1人じゃ無茶だよ!!」
「アイギス!」
「貴方たちを守るのが、わたしの役目であります!」
奏子と湊の言葉に答えたアイギスの関節部から火花が散る。
「全リミッター、解放します…! “オルギア”発動!!!」
赤い、熱気のような光が放たれ、そのままモーターが回るような音と共にアイギスは
壁へとその身体をめり込ませた大型シャドウは、砲身だけをアイギスに向けて乱射する。
しかし、それすらもいつもより速くなったアイギスには届かない。空中へと跳んだ彼女はそのまま指先の銃口を向けて銃弾の雨を降らせた。
そして降りる勢いを利用して、
「すごい…」
あまりの速さとその身のこなしに、そうとしか言いようのない面々はただそれを見つめるだけだった。
だが、再び
「させませ…あっ…」
「オーバーヒートか…」
アイギスが、突然煙を吐いて膝をつく。
“オルギアモード”は強力な分、デメリットが大きく、使うと一定時間オーバーヒートしてしまう代物だ。
つまりは、時間切れといったところか。
「予想外の…展開…です…」
「アイギス…!」
湊と奏子、2人が助けに行こうと前にのめるも、毒が回ってきたのかそのまま倒れてしまう。
「2人…とも…!」
「ぐ…」
召喚器も手放し、もはや意識も手放しかねない状況に、もはやこれまで、と思った瞬間、横を影が通った。
「……!」
それは落ちていた湊の剣をひったくり、地を蹴って高く飛びあがった。
「はあーーーーーっ!」
大きく息を吸い込む音が聞こえる。
「当たれえええええええええ!!!!!!」
大きく剣を振り上げ、打ち出された弾の爆発をポベートールで吸収しながら落下する。
そのまま
「……ちぃ、ここまでしても浅いか…げほっ…」
優希は一度咳き込んで、よろめきながら湊と同じように剣を杖にして立つ。
「これで…おわり…なの…?」
有効打が見つからない。その事実に、天田はひとり、絶望しそうになった。
そのとき、
「──“カストール”!」
ドアを蹴破るような音と共に、馬のようなペルソナが乱入し、その勢いのまま大型シャドウを壁まで弾き飛ばした。
「……っ!」
天田が、また目を見開く。
「この、ペルソナは…! シンジ…!」
明彦はそのペルソナ──“カストール”の主に見覚えがあるのか小さく呟いた。
開け放たれた扉から外の空気が流れ込み、毒ガスも一緒に抜けていく。
「…“タナトス”…!」
その隙を見逃す湊ではなく、何とか召喚器を手に取ると引金を引いてタナトスを呼び出す。
呼び出されたタナトスは、ありったけの魔力を溜め、一気に放出した。
【メギドラオン】
紫の炎と爆発が、大型シャドウを逃すことなく焼いていく。
これで倒せた、と思ったのも束の間、その姿は消えていない。
「な…!? あれだけ喰らってまだ…!」
「敵シャドウ、もう少しです! でも、これじゃ時間が…! 影時間が終わってしまいます!」
「チィッ!」
焦る山岸の声に、誰もが今回の討伐が失敗したことを悟った。
荒垣以外の誰もがもう、毒でまともに動けないのだ。だが、そうは問屋が卸さなかった。
「ヤソマガツヒィ~~~~~~~~!!!!!!!!」
どこからか、声がした。
男のような、そうではないような、多くの声が重なったような声だ。
「ヤソマガツヒィイッ!!!!!!!!」
虚空から現れたのは、気味の悪い巨大な顔だった。
大量の手を持ち、半分が焼けただれ、グロテスクな肉のような見た目のそれはお世辞にもシャドウとは似ても似つかない。辺りに、甘い香りが漂う。
「新手のシャドウ…か!?」
「いえ、違います…けど、シャドウに怒ってる…?」
「ヤ…ソ…マガツヒッ!!!!!!!!」
巨大な顔はそのまま大型シャドウへとのしかかり、その巨体と手に持った斧のようなもので押しつぶした。なすすべもなく潰された大型シャドウはそのまま霧散し、消えていく。
あっけないその終わりに、皆は呆然と口を開けるばかり。
「ヤソ! ヤソ! ヤソマガツヒ~~~~~~~~!」
「なに…こいつ…」
「ヤソマガツヒ!」
嬉し気に勝利の舞を踊る巨大な顔に、岳羽がドン引きする。
ひとしきり踊った顔は、そのまま出てきたときと同じように虚空へと消えた。
「えと…みなさん、お疲れ様でした…毒の方はしばらくじっとしていれば抜けると思うので、じっとしていてくださいね…」
「幻覚、か…?」
結局、あの顔の事については皆が毒ガスのせいでみた幻覚ということで片付けられてしまった。
「おい、生きてるか?」
荒垣が天田を起こす。
少しうめいた天田はしかし、嬉しそうに口を開いた。
「貴方は…また、助けてくれたんですね…ありがとうございます」
「礼なんていらねえ…」
照れたように天田の言葉にこたえる荒垣はまんざらでもなさそうな顔をしている。
その向こうで、よろよろと奏子と湊がアイギスに近寄る。
「大丈夫…?」
「うええ…アイギス、もう駄目かと思ったよお! 痛いとこない?」
「はい。機械に痛いなどと言うのは適用されかねますが、わたしは七転び八起きであります!」
「はは、使い方、違うよそれ…」
苦笑するような奏子の声と共に、波乱の大型シャドウ戦は幕を閉じた。
邪神 ヤソマガツヒ
帝国陸軍によって召喚されたと言われる"必殺の霊的国防兵器"。
しかしその詳しい経緯は明らかになっておらず、召喚されたのではなく、大正二十年に帝国陸軍によって建造された『超力戦艦ヤソマガツ』の部品がそこに保管されていたためにそれを触媒として自力で顕現し、そこ居ついたのではないかとも推測されている。
ただ、あの大扉には霊的な封印が施されていた。誰が封印を解いたのだろうか。
テリトリーを侵すものには容赦がなかったようで勝手に武器庫を占領した大型シャドウに対し怒りを抱いて目覚め、影時間と現実時間の境目でその姿を現した。
特別課外活動部からは神経毒のせいで見た幻覚だと思われているがちゃんとした悪魔。
独特の甘い香りをだして判断力を奪うのでもしあのまま消えなかったら誰かが全裸になったり猫の真似をしだしたり泣きだしたりわめいたりと大変なことになっていたかもしれないある意味危険な相手。