目が覚める。
起き上がり、窓のカーテンをあけ、時計を確認する。
4月7日。午前6時ちょうど。
いつものルーティンをこなし、エプロンをつけて朝食を作る。
2人増えたのでその分も忘れずに──特に湊の分は少し多めに──作って置いて、メモ書きを添えておく。
今日は昨日の反省を踏まえて真田くんの分までラップをかけておいた。
そしていただきますと食べ始めれば昨日と同じ時間に美鶴さんが降りてくる。
変わらない。だがそれがいい。
「おはよう、三上」
「おはようございます、美鶴さん」
その後は無言。
話題にすることがあまり無い。というより自分が喋ると余計な事までポロッと吐いてしまいそうなので極力話さない事にしている。
つい知らないはずの情報ゲロっちゃった暁には幾つk…ゲホンゴホン闇の王子様(笑)に危険視されて事故に見せかけて殺されたり殺されたり殺されたりするのでやめよう!
あの人どこにでも監視つけてるから寮内はまず安心安全じゃない。
話し相手(こちらがすぐに寝るのでだいたい一方的)が幻覚(仮)で良かった。良くない。
バターロールを手に取り小さくちぎって食べる。普通のパンの味だ。…たぶん。
今日は特に食事中に吐き気に襲われることもなかったので昨日はループ初日目だったこともあって気負いすぎたか負担があったのかもしれない、と思い込むことにした。相変わらず身体はなんとなくだるいが。
「ごちそうさまでした。美鶴さん、お先です」
「ああ。……そうだ、三上」
席をたとうとした所を呼び止められる。
こういうことはかなり珍しい。
何か用だろうか、と食器をテーブルの上に置き、向き直る。
「はい」
「学園までの案内のことなんだが…有里奏子の方は岳羽がしてくれることになった。ただ、有里湊までも岳羽に見てもらうというのは些か荷が重すぎる気がしてな」
「俺が湊の案内をすれば良いんですか?」
「…頼めるか?」
「起こすついでになりそうなので大丈夫ですよ」
快諾しておく。
まあ、そうなるだろうなあとは思っていた。女の子である岳羽に奏子はともかく湊までもは少々荷が重い…かもしれない。いや、どちらか1人だけならできるんだ。岳羽は。でも2人揃うとなると昨日の夜のように流石に勝手に言い合いし出すしコントし出すだろうしでツッコミが間に合わないと思う。
そう、ツッコミが。
単体なら奏子はあまり変わらないかもしれないが、湊の場合は1人だと借りてきた猫のように大人しくなる。というより鉄仮面を被る。ので必然的に大人しくなる。
自分と2人だけ、というのは今回はまだ昨日の短時間だけだったので分からないがコントをする羽目にはならないと思いたい。希望的観測。
しかし学園までの案内となると出る時間から逆算して湊を起こさないといけない。
前回までの湊はとにかく寝つきがいい・1度寝たらなかなか起きない・無理やり起こすと不機嫌になる、の睡眠の申し子だったのでその例に漏れなければ何かしら考えながら起こさなければならない。
転校初日の朝から不機嫌、だなんて事にはしたくない。
なるべく自分の予定にも間に合うように、と考えるとさっさと皿を洗って湊を起こしに行った方が良さそうだ。
善は急げとさっそくスポンジを手に取り皿を洗うことにした。
コンコン、と湊の部屋のドアをノックする。
「湊、起きてる?」
返事はない。
もう一度ノックする。
「寝てるようならとりあえず部屋に入るから」
また、返事はない。
これは寝てるな、と確信し、ドアノブを捻る。
鍵はやはりかかっていないようだ。鍵はかけておくに越したことはないが熱を出した時やぶっ倒れた時に誰も助けに行けないのでこれでいいと思う。
自分はもう見られても困らないものくらいしか置かないようにしているので例えパンイチの時にこられても仕方ないと諦めの境地に来ている。大体の人がこうして自分のようにノックしてくれると思うのでパンイチを晒す心配はないと思うが念の為の諦めを持つことは悪くないと学んだ。
どうでもいい話は置いておくとして、そっと湊の部屋のドアを開ける。
整頓されていないダンボールだらけの部屋だ。
仕方ない。昨日の深夜に来たばっかりで文字通り即寝たのだろう。こんもりと山になっているベッドの上見て、「今からこれをひっぺがすのか」と思うと少しだけ気が滅入る。ここまで布団蓑虫になっているのは久しぶりに見る。
そんなに昨日は寒かったのだろうか。
とりあえずぽんぽんと布団を軽く叩いて呼びかける。
「湊、そろそろ起きないと始業式に遅れる」
「……ん……」
「みーなーとー」
「んん…」
もぞもぞと布団の塊が動いて頭が出てくる。
よし、もう一息だ。
「朝ごはん、冷めちゃうぞ」
近づいて、顔を覗き込みながらそう言う。
実際には既にぬるくなってる頃合だろうがそういうことは黙っておく。
食べる事が好きならこれで飛び起きるはず。
そう思った瞬間、にゅっと布団の塊から手が伸びてきて上着の裾を掴まれる。
「ゆ…き……」
「ん、どうした?」
「…ない………」
「?」
ない? なにか探してるのだろうか。
ぼんやりと寝起きの目で見つめられ、つい返事をしてしまった。
もごもごと何か聞き取れない言葉を発した湊はまた瞼を落とし夢の世界に飛び立とうとしていた。
流石にこれ以上寝られるのはまずいので実力行使することにする。手を伸ばして肩を掴んでゆさゆさと揺らす。
「起きて、ほんとにこれ以上はまずいから」
「………優希?」
今度こそぱっちりと開いた目を見て、「良かった。ちゃんと起こせた」と安堵する。
しかしその顔は「なんで部屋にいるの?」と言わんばかりにはてなで覆い尽くされている。
傍目には無表情で見つめ返してきているだけに見えるが自分には
「おはよう、目は覚めた?」
「…ん、おはよう…おきた…」
のそのそと布団から這い出る布団虫もとい湊がはっきり起きたことを確認すると少し離れる。
裾を掴んでいた手も目を覚ました時に自然と離れたので結果オーライだ。
「かなり時間押してるから急いで準備したほうがいいかも。朝ごはんは下にあるからちゃんと食べてね」
「優希は?」
「もう食べたよ。あとは湊待ち。今日の案内は俺だし、湊も転校初日だし、まあ多少遅れても先生たちには見逃してもらえるとは思うけど…」
「急いで用意する」
「了解。それじゃあラウンジで待ってるから。一応、メモは置いてあるけどわからないことがあったら聞いてもらって構わないよ」
起きてすぐなのかまだぼーっとしているようだが少しずつでも用意をし始めたようなので安心して部屋から出られる。
流石に転校初日で二度寝はしないと思うのでそのままラウンジに向かい、ソファーの上でぼーっとする。
どれくらいそうしていたのだろうか。そもそもラウンジに出てきた時間をあまり覚えていないので何分くらいだったかだなんて知らないのだが、壁掛けの時計はいつも出る時間よりも少し遅い時間を指している。
いつもが早すぎるだけなのでこれが標準なのかもしれない。
「それじゃあ三上先輩、お先です」
「お兄ちゃん、行ってくるね!また学校でね!」
「ああ、いってらっしゃい」
もう出ていたらしい美鶴さんと真田くんの二人に続き、岳羽と奏子も寮を出る。
そろそろ自分も立ち上がって荷物を持つべきか、と思い始めた頃に背後から声がかかる。
「お待たせ。それとごちそうさま。美味しかった」
「良かった。じゃ、行こうか」
用意を済ませた湊と共に寮を出る。小春日和でなんとも穏やかな日だ。
「くしゅん!」
「風邪?」
「さあ…?」
まだ少し、何となく寒い気がするけれど。
──新都市交通“あねはづる”車内
モノレール内は学生で満員だ。自分が出るときは少し早いので座るくらいの余裕はあるのだが今日はなさそうだ。
「このモノレールに乗らないと学校まで行けないからな。乗り遅れても10時くらいまでなら15分に一度くらいは出てる。一限…あっと、一時間目の授業には間に合うからサボらずに乗ろうな」
「うん」
「学校は終点の“辰巳ポートアイランド”っていう駅だから、安心して寝られ……はしないけど少しぐらいなら寝られる」
「あとは……」と言い淀んで視線を隅に追いやる。
会話だけ聞けば普通の通学案内の範疇だ。しかし、なぜか湊がおかしい。まるで鳥のひなのようにぴったりと引っ付いて離れないのだ。モノレール内は満員だと言っても多少距離を開けられる程度には空いている。
湊はこんなに人肌恋しい性格だっただろうか。距離がとても近い。
その違和感さえ無視すれば、程よく暖かいので冷え気味の身体には便利でちょうどいいな、くらいの程度なのだ。
まあいいか、と違和感を呑み込んで窓の外の海を眺めることにした。
駅を出て少し歩けば立派な白い建物が見える。
「あれが月光館学園の高等部。他にも中等部や初等部があるけどあんまり寄ることは無いだろうけど用事があるときには先生に場所を教えてもらえるから安心して」
高等部内に入り、下駄箱前でとまる。
「俺の靴箱は三年だからこっちなんだけど、湊はなるとしたら多分ここらへんかな…転入生だから今回は靴を脱ぐだけで…ええと、それから来客用スリッパに履き替えて職員室に居る先生にまずはあいさつかな…職員室はこの先を左に曲がってすぐだからわかり易いよ」
言外に、「一人で行けるよね?」という意味を含ませて職員室の場所を教えるも、ひょこひょことスリッパを履いたはずの湊は自分が靴を履き替えに向かった先にまでついてくる。挙句、裾まで掴む始末だ。
本当に一体どうしてしまったのだろうか。
「……」
「えっと…一緒にいこうか?」
「うん」
掲示板の組み分けはあとで見ることにして、とにかく職員室に行かねば話が進まない。
「失礼します」
「あら、三上君!…と後ろにいるのは話題の転入生くんね。…有里 湊。二年生で間違いないわよね」
職員室に来て一番に気が付いてくれたのは鳥海先生だ。ちょうど良かった。湊がどのクラスに入るかも彼女の反応でわかるし色々説明しやすい比較的話の分かる先生に当たった。
鳥海先生は手元の資料を見ながら湊へと視線を向ける。
湊は何が何だかわからないのか置いていかれているのかこちらが答えるのかと思っていたようで突然話を降られて真顔で頷いた。
恐らく反射的に頷いただけにみえる。
「ふぅん…結構、転々としてきてんのねえ…えー、ご両親は、10年前の…あッ……もう一人の転校生ちゃんとは双子で……ってええ!? 三上くん、が…お兄さんなの? 確かに二人ともそっくりだなとは思ったけど…なるほど年子ね…」
「諸事情で苗字は違うんですがそうなります。引き取られた先が違って…みたいな感じですね」
「そうなんだ…ああ、ごめん…バタバタしてて、詳しく読んでなくてさ…ええと、」
気まずくなったのかこちらから視線を逸らした鳥海先生が湊へ向き直る。
「私は国語科主任の鳥海です。よろしくね」
「…どうも」
「クラス分け、もう見た?君は私の担任する“F組”よ。でもこの後すぐ始業式だから先に講堂ね。案内するわ、ついてきて。三上君は掲示板で自分の組を確認してから講堂にいくのよ」
湊を連れ、職員室から出た鳥海先生を視界の端で見送りつつ、掲示板でクラス分けを確認する。
自分の名前を探せば三年なので大分後ろになるが端の方にちゃんと記述されていた。3-D。美鶴さんと同じクラスらしい。
ちなみに奏子は2-Eだった。
「えー、諸君らの新しい一年の始まりにあたり…」
右から左へと校長のスピーチを受け流す。もう何度聞いたかわからないそれは正直校長には悪いが今更真面目に聞く必要もない。
それよりも、気になるのは自分と湊・奏子の関係だ。鳥海先生に聞かれたときは当たり障りない回答をして一応誤魔化しておいたがいつ自分と二人は再会し、兄妹だとわかったのか。
何度周回しても変わらないのは、『自分が有里を名乗っていない・幼少の記憶がない』ということだった。
自分には有里家…本来の家族と過ごした記憶は幼少──5,6歳ごろまでの記憶しかない。それもあの葬式の日に思い出したものであるしいまだまばらに散らばってしまっている。さらに掘り進めようとすれば気持ち悪さや頭痛が自分を襲う。堪ったものではないしそれで辛うじて思い出せるのが幼い頃の弟妹との記憶だけなのだから割に合わずあまり探ろうとはしていなかった。
そんな不完全な記憶もある日を境に途切れ、気が付いた時にはムーンライトブリッジの上で何もかもわからないまま一人で倒れていた。そのあとの記憶は飛び飛びで曖昧だし、気がついたら保護されて三上夫妻に養子として迎え入れられたというわけだ。そこは何周しようがずっと変わっていない。
どうして一瞬でも橋の上にいたのだろうか。今までどこにいたのか。有里家と行動していて事故にあったのなら弟や妹、両親が必ず近くにいたはずなのに、自分は一人きり──しかも事故現場から離れたところで倒れていた。疑問が尽きない。
ただ更におかしいと思うのは実の両親である有里夫妻が自分をなんと呼んでいたのか、思い出せないことだ。自分は本当に、『有里優希』なのか、という言いようのない不安感がある。
何度も何度も繰り返してきたがいまだに変わらないそこがわからない。
けれども正直な話、これは知らなくてもいい話だ。二人の救済と、自分の過去に何ら関係は無い。知らなくてもできることだ、と思っている。実際今までで特に関係したことは無かった。
──でも、もしそうではなかったとしたら?
ゾッとする。いやいやでも意外と何でもなかったりするし、と心を落ち着かせようとする。
何でもないことなら、調べても平気だよな…?と逆転の発想をしたところで始業式は終わりを告げた。
「また君と同じクラスになるとはな、去年から引き続きよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしく」
始業式や授業など諸々の事が終わり、放課後になった瞬間に美鶴さんが話しかけてくる。
どうやら去年も同じクラスだったらしい。道理で下の名前で呼んでも怪訝な顔をされないわけだ。
美鶴さんの言葉に頷き返す。
「夜のことなんだが…」
美鶴さんの口から飛び出た言葉にまさかここで影時間の話が早々に出てくるというわけじゃないだろうなと内心身構える。
「いや…何でもない。きみは…ぐっすり眠れているか?」
「まあ…寝つきはいい方だと思います。というか一度寝たらほぼほぼ朝までぐっすりですね。美鶴さんも無理して眠れてないとかないですよね?」
ベッドに入った瞬間
「ああ…私はちゃんと寝ているよ。きみが安眠できているのならよかった。転入生も入ってきたことだし、一度寮での寝心地を聞こうと思ってな」
「なるほど」
適当に相槌を打っておく。
さて、どうしたものか。9日は満月の日だ。それ即ち大型シャドウが寮を襲う日でもある。
が、実は9日に関しては何も考えていなかった。
9日の大型シャドウはただの傍観者として湊や奏子に任せ、あとでのんびり伊織のように「実はペルソナ使えるようになりましたー☆」パターンが一番楽っちゃ楽だ。
大型シャドウが初陣でなければ自分はペルソナの暴走も起きないのでできるだけ避けたいところだ。フルスロットルで暴れてぶっ倒れたくない。めんどくさい、というのが本音である。
──そんな風に考えていた時期もあったな~。
なんて思考を逸らしても現実は普通に迫ってきたしめんどくさい事態に陥っていた。
「ほら、起きないとだめだよ」
ぱちり。
目を覚ます。誰かが呼ぶ声と凄まじい物音がした気がした。
本日の三上優希アワーは4月9日木曜日の影時間からお送りしています。
ハイ満月ですね、大型シャドウのでる日だ。
とは言っても先ほどの物音から察するに騒動はもう始まってるので逃れられはしないだろう。
「起きちゃった♡」では済まされない。これはもう行くしかないレベルで詰んでる。
本音を言うとずっと寝ていたかった。朝まで。
ドン!ドン!ドン!
「先輩!三上先輩!起きてますか!?ええとああもう、有里くん、お兄さんの部屋、入っていいよね!?」
「いいんじゃない?」
「じゃああけるから!失礼します!!!」
慌てたようにノックされ間髪入れず開けられた。そしてなだれ込むように岳羽が息を切らして入ってくる。
「すみません、説明してる暇がないんですけど有里くんを連れて急いで一階の裏口から外に出てもらっていいですか!?私、奏子ちゃんのところに行くので!」
「ああ、うん、気を付けてね」
「あっそうでした、先輩、これ!一応護身用に持っててください」
押し付けられたのは大ぶりなサバイバルナイフだ。どんなものでもOKだったがこれはまあまあ手になじむので良しとする。
そうして入ってきた時と同じく慌てて部屋を飛び出して行った岳羽を見送り立ち上がった。
「なんかヤバいことになってるなぁ…」
「そうみたいだね」
それだけで済ましてはいけないのだろうけど、なにもリアクションしていないと怪しまれそうなのでぼやいておく。
淡白な湊の返事を最後に会話が止まるがそのまま階段を下りる。
特に妨害も何もなく裏口についたので耳を澄ませるがやはり物音がして身構えつつも考える。
外に出ていろとは言われたが奏子と岳羽を待たないわけにはいかない。正直、大型シャドウ──マジシャンの処理は奏子に任せて外に逃げてもいいがどのみち外もシャドウまみれで地獄なので待つ方をチョイスする。このまま外に出たら恐らく死んでまた終わりだ。
「湊!お兄ちゃん!」
「待ってたんですか三上先輩!?あっでも、ここまで来れば大丈夫…」
息を切らせて二人が滑り降りるように階段から降りて駆け寄ってくる。
少し息を吐いた岳羽に美鶴さんから通信が入ったらしくスピーカーを通してこちらにも聞こえてきた。
『岳羽、聞こえるか!?』
「ハ、ハイッ!聞こえますっ!」
『気をつけろ!敵は1体じゃないみたいだ!こことは別に本体がいる!』
「マジですか!?」
ドンッ!!!!!
岳羽がそう驚いた瞬間、裏口が轟音を立てて揺れた。
「うわっ!? ひ、ひとまず、退却!?」
二階へと駆けあがる。とりあえずだが先陣を切ることにした。ペルソナはまだ使えないが自分が居ないよりかはましだ。
年下の女の子に守られるだけだなんて正直どうかと思う。
二階へとつくも、窓ガラスが割れる音がする。
「ひゃっ!?」
「なに、今の!?」
上から奏子、岳羽の順で悲鳴を上げる。と同時に、何かが迫るような音と揺れが二階を揺らした。
「な、なんか来るっ!?」
「ひとまず上に逃げよう」
「さ、さんせー!」
下りの階段に向かっていたらそれこそ捕まってジ・エンドだ。
かなり前の周でそれをやって見事に死んだので二度と同じ轍は踏むまいと決めている。
とまあなんやかんやあって結局屋上に来てしまった。
「ふぅ…鍵もかけたし、ひとまずは、大丈夫かな…」
「ううん…」
分かってはいても唸らずにはいられない。これじゃ袋のネズミだ。
少し息を整えている間に、吠えるような声と共に手が屋上の淵にかかる。にょっきりと青い仮面を持った手が生えたと思った瞬間、剣を持った手が生えてきた。
これはホラー待ったなし。というかめちゃくちゃ気持ち悪い。
手で移動してこちらに迫ってくるのも気持ち悪い。
「嘘ッ…!? 外を昇ってきたの!?」
「キモっ…」
「……」
驚く岳羽に気持ち悪いと吐き捨てる奏子。いつもと変わらない湊。
「あれがココを襲って来た敵…“シャドウ”よ! そ…そうだ、戦わなきゃ…」
さっき脳内で話題に出したばかりの大型シャドウ──マジシャンが更に迫る。
それを見た岳羽がホルスターから銃型の召喚器を抜く。
「“召喚”…私だって、できるんだから…」
そして頭に当て──
「…い、いくよっ…!」
深く深呼吸を繰り返す岳羽は銃の引金を引くことが出来ない。その隙を狙って、マジシャンはアギダインを放つ。
炎が岳羽に迫った瞬間、
「だめ!」
「きゃあ!!!」
奏子が岳羽に抱き付いて押し倒すように飛び、更にその後ろにいつの間にかいた湊が二人を受け止めきれずに一緒に吹き飛ぶ。
衝撃波で吹き飛んだだけなのか、ギリギリでアギダインは当たっていないように見える。
そしてくるくると回りながらこちらへと滑ってくる召喚器。
選ばれたのはなんと俺でした。傍観者を決め込もうと思っていたのに、なんという不運なのか。
けれど今回はそういう役回りなのか、と理解してそれを拾い上げてこめかみに突きつける。
「ぺ」
ざわざわと耳鳴りがする。
「ル」
どくんどくんと鼓動が煩い。
「ソ」
じりじりと脳裏を焦がすような感覚を覚える。
「ナ」
バチン、と何かが弾けた。引金を引き慣れた手は軽く、精神は興奮で満たされている。
青い炎と共に赤い花を纏う真っ白なマリオネットのような人型がコートをはためかせながら現れた。
『──我は汝…汝は我…我は揺蕩う夢の狭間に在りし者…モルぺウスなり…』
「よし、モル──」
先手必勝。ペルソナ──モルぺウスが勝手に暴れる前に指示を出して倒してもらおうとした。
前はその身体に絡みつくワイヤーのような糸でズタズタにマジシャンを細切れのミンチにしていたのでそんなスプラッタは勘弁だしとても疲れる。今回なんて体の不調が出ているのに暴走されてはたまったもんじゃないと考えた次第だ。
が、やはりというか問屋が卸してくれないようだ。
どっ、と冷や汗と寒気が背中を伝う。
「はっ、はっ、はっ、はっ…!」
息が荒くなる。慣れているはずなのに、不調のせいかうまくモルぺウスを制御できない。モルぺウスのカタチがブレる。
そしてなによりも心臓がおかしくなってしまいそうなくらい早鐘を打っている。
まずい。
まずい。
まずいぞこれは。
頭ではわかっていても、身体が動かない。喉がしまるような感覚がする。うまく息が吸えない。
息苦しさで浮かんできた生理的な涙で視界がぼやける。
「あぐっ…」
止めに、不安定なモルぺウスをマジシャンの剣が貫いた。
腹部に激痛。地面に崩れ落ちる。ダメージのフィードバックかと意識する間もなく、頭にも激痛が走りもうどこが痛いのかめちゃくちゃでわからなくなってくる。
霞む視界でモルぺウスを探せば、マジシャンに頭を掴まれ何度も剣を腹部に刺されている。
だめだ、死ぬ。今回はここで終わってしまう。誰も護れず終わってしまう。
そう諦めた。人生、諦めが肝心ともいう。
ガタガタと体が震える。
「は、はは…ひゅっ…ははは、あはははは…! げほっ…」
なぜか笑いが込み上げてきた。
死に直面しているからなのか、アドレナリンのせいでおかしくなったのか。どちらかはわからない。
引き攣るように息をしながら嗤う。嗤いながら立ち上がる。痛みは不思議とどこにもない。感覚がマヒしてしまったのかもしれない。
顔を片手で抑える。おかしくてたまらない。
満月
ムーンライトブリッジ
黒いマントの骸骨
手術室
檻
白い部屋
優しい手
血まみれの女性
脳裏にチラチラと飛び交うそれらを振り払い、笑みを浮かべる。
「ははは…! はは──」
笑みを消した瞬間、されるがままだったモルぺウスが内側から裂ける。裂ける。
ぐるりと反転し、純白だったその姿は一瞬にして漆黒へと変わった。
じゃりじゃり、じゃらじゃらと鎖の音がする。
「いっぱいおたべ」
変異したモルぺウスが歓喜するかのように奇怪な叫びをあげ、襤褸切れのようなマントを大きく広げた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……!!」
「いっぱいおたべ」、と穏やかに、子供に言い聞かせるように吐き出された三上優希の言葉に、美鶴は顔をこわばらせた。
優希は穏やかに見えるが基本的に無表情だ。そんな優希が声を上げて笑うことが滅多にない。
美鶴の知る彼は精々、軽く笑うか困ったように笑うか微笑む程度だ。あのように大きな声を上げて嗤うところを初めて見た。それが、優希ではない違う何かに見えてぞっとしたのだ。
カメラに映る優希の顔は酷く穏やかだ。つい先ほどまで地面で這いつくばりながら激痛に耐え、苦しんでいたにもかかわらず、突然笑い出したかと思えば、それがなかったかのように穏やかな顔をする。
そして、画面に映る変異したモルぺウスはマントでマジシャンを覆い尽くすとグチュグチュという嫌な咀嚼音と共に『食べ残し』を周囲にまき散らす。
「何だ、今のは…!?」
「……」
驚く真田と美鶴に対し、幾月は絶句している。
あらかた食べ終えたモルぺウスは宿主と同じように何事もなかったかのように元の姿に戻ると消えていく。
ふらり、と傾く優希の身体。なにもうけとめることのないそれは、どさりと地面に倒れた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ぱちり。
目を開ける。いつものルーティンで時計を確認──しようとして自室ではない事に気が付いた。
白い天井。薬の匂い。定期的に鳴る電子音。腕につながる点滴。
どこからどうみても病院の病室だ。十中八九あの大笑いのあとぶっ倒れでもしたんだろう。笑ってる途中から記憶がない。
これがいつもの周回どおりなら今日は4月19日の日曜日でやることもないのでもう一度寝に入ろうかと目を閉じかけた。
「あ!!!!!!!起きてる!!!!!!!!?」
閉じれなかった。
大きな奏子の声でもう一度目をこじ開ける。奏子と湊が驚いた顔で部屋の入口に立ち尽くしていた。
自分が目を開いたことに気が付いた奏子はベッドに飛びつくと涙と涎と鼻水で病院の掛布団を濡らす。びしょびしょで少し湿ってきた。
「う゛えええええええええええええんお兄ちゃんが起きたあああああああああああ!!!!!!」
「うるさいよ、奏子」
「だって!!!!! 湊は嬉しくないの!? お兄ちゃん私たちが起きても起きなくて、私達はただの過労みたいなもんだって言われてたのにお兄ちゃんだけいっぱい機械つけてずっと死んじゃうかもって言われてたんだよ!?!?」
「嬉しいに決まってる。けど、優希は絶対安静なんだから静かにしなきゃ」
「そ、それはそうだね…ごめんなさい。痛いところはない?」
しゅんとした奏子を慰めるように声をかける。
「いまはどこも痛くない…かな、それと声を控えめにしてくれればいくらでも喜んでくれていいから…」
「優希は奏子に甘い」
「それを言われると何も言えない」
む、と顔を顰めた湊に苦笑した。両方に甘い自覚があるのであっちに甘い、こっちに甘いと言われるととても否定しにくい。
「そういえばお兄ちゃん、ペルソナって知ってる? すごいんだよ!」
「奏子。それは後でって先輩に言われてたよね」
「えーでも!」
「でももだってもない」
「むー」
窘める湊に今度はむくれる奏子。
そんな様子に自然と笑みが浮かんだ。
──それと同時に頭の中に声が響く。
『我は汝…汝は我…
汝、新たなる絆を見出したり…
汝、“旅人”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん…』
やってしまった。笑みが固まる。上手く何事もなかったような表情が出来ているだろうか。
なにかよくわからないが何らかがきっかけで『コミュ』がついに自分と二人の間にも発生してしまった。
今までこんなモノできた事無かったのに。
…自分にも聞こえているということは恐らく湊と奏子にも聞こえているんだろう。
正直、こういうのは勘弁してほしい。
更なる面倒ごとの到来を察して、溜息を吐くしかなかった。
ちなみに今日は何日か聞いたところ4月25日だったらしい。
え…俺の…4月…どこにいったの……?
単位、足りるかな…