8/29(土) 影時間
「やあ」
湊はその声に目を開けた。ベッドの横にファルロスが立っている。
「…あと1週間で、次の満月だよ」
「…わかってる」
もぞもぞと布団の中で動きながら湊は気だるげに返事をした。
「試練も残り少なくなってきたね…きみのお兄さん、どんどんおかしくなってきているみたいだ」
「…!」
その言葉に湊は跳び起きてなにかを言いたげにわなわなと口を震わせる。
言葉を形作ろうとして、息をひきつらせるように吸って、そこでおわる。
湊は安心しきっていた。もしかしたらペルソナの制御剤を飲んでいるかもしれないが、それでも以前まで見えていた黒い靄は見えなくなっていたのだ。前回暴走していたことを鑑みるに、飲んでない可能性だってある。だから、大丈夫なのかと。
だが、おかしくなっているという事は、すなわち、兄は。
そんな湊の様子をみたファルロスは、心の内を察する。
「湊が心配しているような風にはすぐに死んだりしない、と思うよ。けど…死の匂いがどんどん濃くなってる。それと同時にもうひとり、だれかの気配が濃くなってるみたいなんだ」
「だれか…?」
「それが誰かはわからない。けどきみや奏子ちゃんに対する僕のような…そんな気配なんだ。僕の封印があのシャドウ達を倒すことによって解けるように…もしかしたらあの気配は…やっぱり…」
ファルロスの言葉に湊は唇をかみしめた。だが、それもこれも11月の大型シャドウを倒せばファルロスがそうしたように身体から離れていくはずだ。
兄を蝕んでいるなにかも、きっとそうなれば終わる。果てに、ニュクスの降臨が待っていようとも、少なくとも兄がこれ以上命を不必要に削る必要はなくなるわけで。
11月まで待たないといけないというのは辛いものがあるがそこまでの辛抱だ、と湊は不安ながらも覚悟する。
これまで何度も兄は死にかけているが、ファルロスが言うのなら以前のようにすぐに死んだりはしないのだろう。なら、十分に目を光らせて手綱を握って縛りつけてでも無茶をしないように見張っておかなければならない。自分が無理でも最悪、奏子やアイギスに頼めばいい。
目を閉じればいつも、困ったような笑顔と死に顔ばかりがフラッシュバックする。
奏子が記憶を持っていなくてよかったと、湊は毎回安堵しているのだ。それくらい、兄の死は暗い影を落としている。
「あんまり無理、しないでね。それじゃあ、また会いに来るよ」
慰めるように声をかけたファルロスが消える。
ただ、今は無性に兄のぬくもりが恋しかった。
布団から這い出て部屋を出る。こっそり、兄の寝顔でも見て幻を振り払おうとしたのだ。
そして向かいの部屋のドアを音を立てずに開いた。
──影時間特有の色合いに染まる暗い部屋の真ん中で、優希が突っ立っている。
まるで、オブジェのように。伏せられた目に感情の色は無い。
思わず、目が釘付けになる。
顔が、こちらを向いた。
「……」
「ゆう、き…あ、ごめ…起きてるとは、思わなくて…ああいや、そうじゃなくて…」
ゆっくりと、肌が触れ合いそうな距離まで近づいてきた同じ色の目を見上げながら、たじろぐ。
しどろもどろになりながら言い訳をこねくり回すがまともな言い訳にならない。
そんな湊を、しばらく黙っていた優希がゆっくりと抱き寄せる。そして、片手を頭に置かれる。
「…急に、いろんなものが怖くなった? 辛い? 苦しい?」
兄はまるで幼い子にするように頭を撫でながら、優しく訊いてくる。
湊はそれに、小さく頷いた。
兄が死ぬことが怖くないはずがない。兄を救えないことが辛くないはずがない。兄の死に顔をみるのが苦しくないはずがない。
「大丈夫、大丈夫。湊や奏子が怖かったり、辛かったり、苦しいことは、全部俺がなんとかするから」
まるで、湊の気持ちを分かっていないかのような兄の言葉はそれでもひどく優しい。
そうじゃない。兄に全部何とかしてほしいわけじゃない。湊はただ、兄に生きて笑っていてほしいだけなのだ。ただ、それだけでいい。兄が生きてくれるなら、兄が生きる世界があるのなら、それだけで良い。
だが、
「──今度こそ、俺が2人を救うよ。
「…っ!」
その兄の口から飛び出した言葉に、湊は息を飲んで目を見開いた。
そんな湊の様子に気がついていないのか、優希は尚も優しく頭を撫でる。
『今度こそ救う』『ニュクスを封印して死なせたりなんてしない』。
いや、そんな、まさか。
サアッ、と湊は顔を青くした。血の気の引く感覚。ぐらぐらと、揺れる視界。
どうして、兄がそんなことを知っている? どうして、今度こそ、なんて言うのか。
がたがたと、身体が震える。兄の手を振り払ってよたよたと距離をとった。
優希の顔が、影に隠れてよく見えない。影の中から金色の双眸が静かにこちらを見つめている。
何度も何度も兄が死ぬのも、兄が無茶をするのも、全部。
──自分が、いや、自分と奏子がいたから?
湊は、最悪を予想して目の前が真っ暗になる。
「おまえなんか、いなければよかったのに」
そんな怨嗟を吐き出す兄の声をききながら、意識が途切れた。
8/30(日) 朝
「───っ!」
湊は、自室のベッドの上で飛び起きるように目を覚ました。
荒い呼吸を整えて、汗でぐっしょりと濡れた額をパジャマの袖の裾で拭った。
昨夜のアレは悪い夢に違いない、と頭を振って振り払う。きっと、ファルロスと話した後に気がつかないうちに寝てしまって、不安になった自分の弱い心が見せた悪い夢なのだと言い聞かせた。
そうでなければあんな、直前の行為とは矛盾したこちらを呪う様な言葉を吐くはずがないし、ニュクスの事も優希が知るはずがないのだ。というかそもそも兄はあんな誰かを呪うような言葉を自分たちには絶対に吐かない。そう信じている。
だから、アレは自分を兄に投影した自分の本心だと思い込んだ。
そうでもしなければ、湊はおかしくなってしまいそうだった。
名前や両親の記憶とともに、自分たちの事も一緒に忘れていた方が兄は幸せになれるだなんてそんな結論に達したくなかった。
だから、あの夢のように縋れば笑って許してくれるだろうことも、分かっていた。
自分たちが望めば、いつもと同じ笑顔で身を投げ出そうとすることも。
それがひどく湊には恐ろしかった。
一言、『生きて』と言えば兄は生きるだろう。だが、それでも最後には、兄はきっとその命を投げ出してしまう。否、
繰り返し始めて7回目の兄の死因がなんだったか、その時に自分と奏子が兄にかけた言葉がなんだったか、湊は忘れはしていない。
『ニュクスを乗り越えて、みんなで生きよう』と言ったのだ。その言葉通り、兄は、ニュクスが来るまでボロボロの身体で生きた。自分がニュクスを封印して、3月まで生き延びたように。ただ、自分とは違って優希に奇跡は無い。あれは殆ど死んだ身体を精神力だけで引きずっていただけに過ぎないと、湊にはよくわかったからだ。
ニュクスによる死の波動で一瞬、気を失った瞬間に、兄は掠め取られた。
だから、湊は優希においそれと『生きて』などとは言えなかった。
のそのそと、布団から這うようにして出る。夏休みもあと残り数日といったところなのに、悪夢のせいで湊の気分は文字通り最悪だった。
昼
あと一週間もしないうちに次の満月になる。
次の相手は
制御剤のストックも十分にあるし今回はタカヤ達が出張るようなこともない。唯一気になる点といえば荒垣くんがペルソナを暴走させかねないという点だが、今は朝倉先生から処方されている薬を飲んでいるようだし大丈夫だと思いたい。その上でなにかがあれば自分が止める。それだけだ。
そんなことより今日も映画祭りは続いている。ひとりで観に行くか、モコイさんと行くか。そう悩んでいた自分の携帯電話に珍しく着信が入った。
美鶴さんからだ。
「もしもし」
『三上、今日の予定は空いているだろうか』
「うん。どうしたの?」
『ちょうど家に送られてきた優待チケットの中に、配給会社の物があって…だな、』
歯切れが悪いようななんだかいつもと違うはっきりしない美鶴さんの物言いに頭の中ではてなを浮かべる。
『もしだぞ? も、もしよければなんだが…私と…その、映画に行かないか? この前約束していた食べ歩きに私の都合で行けなかったこともある。その代わりといってはなんなんだが…チケットは私が持とう。どうだ?』
なるほど。
どのみち誘われたことを断るつもりは無かったが、食べ歩きの代わりと言われればなおさら断ることはできない。二つ返事で快諾する。
「喜んで」
『ふふ、そう言ってくれると私も思い切ってきみを誘った甲斐がある。では準備が出来次第、下で落ち合おう』
「わかった」
そう言って通話を切り、さっさと出かける用意を始めた。
夏の日差しが照りつける中、駅前の映画館についた。
今日はいつものように単品でみるのではなく、映画祭りのテーマに沿った連続上映のコースにしようという話になった。のだが…
「今日のテーマは“エターナル・ラヴ”…だって」
上映内容を見てそう美鶴さんに告げる。
なんと今日のテーマは恋愛モノ…でいいのだろうか。恐らくそうだと仮定する。
先日ライドウくんと見た『大学芋とセヱラア服』は恋愛映画の皮を被ったアクション映画だったので論外として、今回見るやつはまともなものだと祈って入るしかない。あんな体験は三度も要らない。1度目が『不思議の国のアナタ』で2度目が『大学芋とセヱラア服』なので2度あることは3度あるというがこの場合は外れてくれるとありがたい気分だ。美鶴さんと観に行くので特に。
「考えてみると、こういうストレートな恋愛ものは初めてかもしれないな」
「自分もかも」
「まあ、何事も経験だ。楽しむとしよう」
中の売店で飲み物を買って席に着く。
だんだんシアターの中が暗くなってくる。トイレよし、ジュースよし、携帯の電源は切ってある。よし! 準備万端だ。
映画の1本目が始まり、タイトルを映しだした。
…様々な愛の形を見た気がする。
人によって、物語によって、恋愛だったり親愛だったり家族愛だったりしたのには驚きだ。
てっきり今日のテーマからして恋愛だけだと思っていたがそうでない作品も混じっていたのは意外としか言いようがない。
「これが…“エターナル・ラヴ”なのか? 例えば1本目のラストで、どうして男は女性の居所を都合よく知り得たのか…しかもあの男、土壇場で“実は他国の王子だ”などと…そんな大事、“言えなかった”で済まされるか!」
興奮気味な美鶴さんは納得がいかないと言いたいかのように憤る。
確かに、土壇場でのカミングアウトはなあなあになりやすいし聞く側が冷静な判断を失いやすい。明かすなら最初か少し仲が深まったころにした方が良いのでは、と思う気持ちもわかる。が、この王子様の気持ちもわかる。ずるずるとカミングアウトを引き延ばして言うタイミングを逃しまくって結局言うしかなくなったタイミングがあそこなのだ。まあ、脚本の都合と言うのもあるけれど。
思い返せばこの王子様と7月の美鶴さんの状況と被っているところがある気がする。あくまで個人的な意見だが。岳羽に言われてカミングアウトするしかなくなったところとか特に。
「おまけに、王子の男と結ばれた、その後については描かれないまま終劇…」
落胆しているような美鶴さんはどこかあきれ顔だ。
「実際の王族の暮らしを見た事があれば、あんなものはハッピーエンドじゃない。最大の試練は、むしろあそこからだ」
その感想もよくわかる。
ヒロインの少女は庶民の娘で、プロポーズされたとはいえこれから王族に嫁入りするかもしれないのだ。礼儀作法やしきたりなどをいちから覚えていかなければならないし、庶民の娘という事で派閥争いに巻き込まれたりやっかみにあったりするかもしれない。桐条家という日本でも有数のセレブ家系に生まれ、そういうごたごたに巻き込まれたり礼儀作法を叩きこまれたりしている美鶴さんらしい意見だ。
だが、結局これは言ってしまえばフィクションだ。
フィクションのラブストーリーと言うのは総じて結ばれて終わり! となるのが普通だ。
キリのいい幸せの絶頂でおわるからこそ、手短に楽しむような幸福感の得られる物語として通用する。一部例外はあるけれど。
「……あ、いや、すまない。せっかく映画鑑賞につきあってくれたというのに…その…つい、自分と重ねてしまってな…そういう意味では、私も割と楽しんだという事なのかもな」
「そうかもね。俺もひとりじゃこんなの観に行かなかっただろうから貴重な体験できたよ。ありがとう、美鶴さん」
美鶴さんと映画について話し合いながら帰り道を歩く。
「そういえば、美鶴さんはこんな言葉知ってる? “恋は落ちるもの。愛は育むもの”っていうの」
「ふむ…恋は落ちるもの、愛は育むもの、か」
「ネットの受け売りだけどね。…恋はある日突然雷にでも打たれたかのように落ちるものだけど、愛は自分で慈しみながら育てていくものだ、って。恋はそのひとの事をよく知らなくても芽生えるけど、愛そうと思うと相手の事をよく知っていかないとできないものだって言われてて、きっと今日の映画は恋と愛、それぞれ別れてたんじゃないかなと俺は思うんだ」
恋と愛。
自分で語っていてなんだが、とても難しいものだと思う。偉そうに言ってる割によくわからないし好きだという気持ちのどこからが恋なのかもわからない。
「1作目はきっと、恋をして2人が相手を愛し合うようになるところまでを描いてるんだ。だから、愛しあうようになることが結末の、恋の物語だったんじゃないかな」
「恋の…物語…」
「──なんて、得意げに語っちゃったけど俺自身、愛とか恋とかそういうのよくわからないし、あくまでネットの受け売りからこう考えただけだからさ。あんまり深く考えないで参考程度にしてくれるとありがたいな…」
語ったら語ったでなんだか恥ずかしくなってきた。
美鶴さんから視線を外すように道行く車たちを見る。車通りの多いこの道は何の変哲もない道だ。特に気になるようなものは無い。なので、本当に目を逸らすためだけになんとなく車道を見たのだ。
そういえば、車道といえば幾月のギャグに車道とシャドウをかけたクッソつまんないギャグがあったような、と要らないことを思い出してしまう。最悪だ。
「ところで三上、今日はこのまま帰るのか?」
「ああうん、特に用事ないしこのまま帰ろうかなって」
「そうか…」
釈然としない様子の美鶴さんに、頭の中ではてなを浮かべた。どこか、行きたいところがあったんだろうか。
「どこか寄りたいとこでもあった?」
そう訊いてみる。
「いや、そんなことはないんだが。なんだか勿体ないような気がして、な」
「勿体ない?」
「ああ、このまま帰るだけなのは些かな。あんな映画を見たせいかもしれない」
美鶴さんの言葉に、成程、と思う。しかし、だ。
自分と美鶴さんはどうあがいても友達なので恋愛に発展することは無い。そもそも自分にそんな資格がないし恋愛方面での好意を寄せられる理由もないはずだ。
確かに、美鶴さんの事は好きだ。だが、それは恋人だの結婚したい相手だのそういう意味ではない。友情だとか親愛のようなものだ。
それに百歩譲って自分が美鶴さんの事を恋愛方面で好きだとして、それは許嫁のいる美鶴さんの立場からしたら浮気だ。さらに、自分はもし美鶴さんと恋に落ちても美鶴さんの家のような礼儀作法がきっちりしているタイプでもないので不釣り合いなことこの上ないだろう。それくらいなら顔も名前もしらない美鶴さんの許嫁の方が良いだろう。住む世界が同じと言う意味で。
なので、きっとどんなことがあっても間違いはないし、友だちや仲間といった関係以上の関係になることはない。
「気のせいじゃないかな。勿体ないけどこのまま帰ろう。帰ってぐーたらするのも楽しいよ」
だから、わずかでもある可能性はここでへし折っておくべきなのだ。
ニッコリと、いつも通りの笑みを張り付けて。
これ以上、踏み入られないように。誰かに踏みにじられることのないように。
9/1(火) 朝
今日から二学期だ。悲しいかな、夏休みが終わってしまった。
出された課題はしっかりすませてあるので問題ないとして、忘れ物がない事を確認して朝食を作るために降りてキッチンを覗く。すると中で荒垣くんがフライパンをもって立ってた。
「おう、起きたか」
「荒垣くん、おはよう」
先に荒垣くんが起きて朝食を作ってくれていたらしい。
今日の朝食はだし巻き卵と焼鮭、そしてワカメの入った味噌汁の様だ。良い香りがする。
「もうちょいでできるから待ってろ」
「……つまみ食いはしないよ?」
「わかってる」
湊と奏子だったら恐らく脇からちょいちょいと玉子焼きを一切れ二切れほど拝借していたところだろう。実際、自分が晩御飯を作る日につまみ食いされたことがある。
「お前の弟と妹は俺がここでなんか作ってる時、よくつまみ食いに来るがな」
「ああ…ごめん…」
意味は無いけど謝っておく。
さて、手伝えることもなさそうなので時間を持て余してしまっている。
「…なあ」
不意に荒垣くんから声がかかって顔を上げる。
「俺にあの医者を紹介したのは…打算か? それとも、俺を哀れんだか?」
あの医者とは朝倉先生の事だろう。打算か哀れみかと言われたら打算しかない。
荒垣くんは居なければいけない人間だ。自分なんかよりもよっぽど。
「打算だと言ったら?」
「…ワケ、聞いてもいいか」
「そうだなあ…」
考える。
荒垣くんを救うことによるメリット。
まずは、食事当番が増える。こうして美味しい料理を作ってくれる荒垣くんがいるだけで毎日の生活が潤う。
次に、戦力が増える。これはもう言わずもがな。シャドウに操られたり制御剤を飲んでもペルソナを暴走させてる自分なんかよりもよっぽど安定している荒垣くんの方が良い。
さらにコロマルは美味しい食事にありつけ続けることが出来る。
さらにさらに奏子と荒垣くんが良い感じになった場合、荒垣くんが身体を壊さないでいてくれるとかなりありがたい。というか10月の大型シャドウ戦は何があってもタカヤによる凶行は阻止する。もうこの際喧嘩になってもいい。身体を張って止めるのもありだけど死ぬのは極力避けながら。まあ死んだら死んだで今周は諦めるしかない。人を庇った結果だ。
あとは真田くんや他のメンバーに暗い影を落とさなくていいというのもある。確かに決意でペルソナが変化することもあるが、なにも人の死でなくてもいいだろう。
と、簡単に思いつくだけでもこれだけある。うーんこれはどうみても俺の上位互換!
やっぱり自分は要らないのではないのだろうか。いや、駄目だ。ここで憂鬱になっても仕方ない。
「うーーーん…みんなにとって荒垣くんが俺なんかよりもよっぽど必要な人、だからかな…」
とりあえず、そう答えておく。
「……てめぇは、あの医者の作った制御剤じゃなく、元の副作用のキツイやつをまだ飲んでんだろ」
「ああ、うん、そうだね…」
それでも効きにくくなってるらしいけど、とは言わない。
カチリ、とコンロの火を消した荒垣くんがずんずんと近づいてくる。そして、胸倉をつかまれて壁に押し付けられる。
「てめえだけは相も変わらず命削るようなモン飲んで、頼んでもねえのに俺には副作用のねえモンを勧めた挙句、理由はてめぇより俺が必要だからだと!? ふざけんじゃねえ…! てめぇは…俺が…どんな気持ちで……俺がどんな気持ちであの薬を受け取ったか…わかっちゃいねえ! 自分に向けられる気持ちをてめぇは…お前は見ないフリし続けんのも大概にしろよ!!!」
言われている、意味がわからない。
言葉としてはわかる。けれど、中身がまるで頭に入ってこない。何故? という気持ちしかない。
「ごめん。意味が、わからない」
「…っ、てめぇ…!」
「ちがう、荒垣くんの事を怒らせたいわけじゃないんだ。ただ、本当に意味が解らない。俺に、向けられる気持ちって…なんなんだ」
わからない。
「わかんないよ…俺には、そんなの」
わからない。
「お前…泣いてるのか…」
「泣いてないよ」
ゆっくりと、胸倉を掴んでいた手を離される。
考えても、荒垣くんに気づけと言われるような自分に向けられる気持ちなんてわからない。
「バカ言え、そんな顔しやがって言い訳できるか」
「……」
顔を逸らす。
なんだか泣いてることを認めたようで癪だけど、自分は今、どんな顔をしているのかわからないので無視する。
「…お前の弟の方がまだマシだな。いいか、てめぇはてめぇが思ってるよか大事にされてるし想われてんだよ。こっちに戻ってきた俺より、よっぽどな」
「そんなことないよ」
「頑固だな」
荒垣くんもだろ、とも言わない。
ただ、本当にそんなことはないだけで。
「本当だよ。俺は、今でさえ誰の役にも立ててない。迷惑かけてばっかりだ。なにも、できていない」
結局最後には誰かの手を借りてしまって、結果的に良い結果になっているだけで自分個人としてできたことはひとつもない。しりぬぐいを他人にさせてばかりだ。
「……それに、俺は奏子や美鶴さんを殺しかけたしみんなを危険な目に遭わせた」
「俺はペルソナを暴走させてひとり殺してる」
「荒垣くんがペルソナを暴走させたのは、事故だよ…俺は、俺のミスだ」
「っ! なにも、なにも変わりやしねえだろうが! 俺も、お前も!!! ペルソナを暴走させたこと、それの何が違うってんだ! ああ!? むしろ、お前はまだ誰も殺してねえだろ!!」
「ごめん」
荒垣くんの言葉に謝る。
今のは不用意過ぎた。踏み込み過ぎた。荒垣くんの、触れてはいけないところに触れてしまった。
「今の、ごめんはなんに対しての謝罪だってんだ。ハッ、俺に対してなら受け取らねえぞ。てめぇはてめぇの事だけ考えてりゃいいんだ。他人にばっか自分をやってんじゃねえよ」
「俺は自分の事しか考えてないよ」
「考えてねぇな」
一瞬で否定されてしまったのは少し悲しい。どうしてこんなに自分中心でしか動いていないのに他人の為に動いているように思われるのだろうか。なにもかも、全部打算ずくめで自分が楽をするためのずるい事なのに。
荒垣くんやタカヤ達が朝倉先生と関わる様になって副作用の少ない制御剤を飲むようになったと聞いて安心したのは「副作用で死なない」という事だ。だが、それと同時に自分は彼らの刹那的な生き方をも否定してしまったのではないかと思う。彼らの、生きる意味を奪ってしまったのではないかと。
結局、自分がやっていることは偽善の押し付けだ。自分がしたいから、無理やり押し付ける。これが自己中心的でなくてなんというのか。
湊や奏子を救うことも、誰も頼んでいないのだ。湊や奏子に頼まれたわけでも何でもない。自分が勝手にそうしているだけで、誰も頼んでいない。
だれも、俺の存在など望んでいない。俺は、本来いるはずのない異物だ。
だから、この場所に立っている資格もない。今更、そんなことを思い出してしまった。
「…おい、大丈夫か?」
「ああ、うん、大丈夫だよ」
荒垣くんに怪訝そうな目で見られている。
いま、自分はうまく笑えているだろうか。
『お前が死ねばよかったのに』
「…そうだね」
聞こえないはずの声に返事をする。俺が死ねばよかった。
俺が死んでいればよかった。ただそれだけだ。
『どうして死なないんだ? どうして、お前だけが生きてるんだ』
「どうして、だろうね」
わかる、わけがない。どうして、自分は生きているんだろう。
でも、タダで死ねるはずがない。死ぬなら、誰かの代わりにならないと、
「──俺の命に価値なんて、ない」
「てめぇ…! それは本気でいってやがるのか!!!」
「…あ、らがき…くん…?」
頬に走る衝撃と痛み。そこでようやく荒垣くんの声が帰ってきたような気がした。
どうやら殴られたらしい。
ぞっとする。自分は今、誰と話をしていた?
「チッ…その言葉、他のやつには聞かせるなよ…!」
「…もう遅いよ」
「!?」
割り込んできた声の方向を向く。
そこに、湊が立っていた。いつから、どうして、朝早く起きないはずの湊が、ここに。
一瞬で血の気が引く。
「どこから、聞いてやがった?」
「先輩が優希の胸倉つかんだとこから」
湊の目には、感情がなかった。
荒垣くんに胸倉を掴まれたところから、ということはほぼほぼ最初からだ。ああ、きっといま、自分の顔は真っ青にでもなっているんだろう。
湊が近づいてくる。
「優希はなんにも知らないんだ。想像を、していないんだ。優希が無茶して死んだら、僕や奏子…ううん、他の人だってどうなるか、考えてない」
「それは…」
「優希のこと、どうでもよかったら、兄として慕ってないしそもそも放置してる。どうでもいいから」
湊の顔をまともに見れない。きっと失望されただろう。考え至らない兄だと思われただろう。
もう、それでもいい。自分の役目は、それではない。
「ねぇ、優希はなにを見てるの。なにを、見たの」
「はは、はははは、ははははは…」
言えるわけがない。教えられるわけがない。こんなこと、
だから、笑う。嗤う。
「三上…?」
「なんだろうね! 俺が見てるのは、悪夢なのかな! それとも、俺は…俺が、バカだから、弱いから、いつまでも同じ失敗をするのかな! もう、諦めた方が、いいのかな…やっぱり、俺が生きてちゃ、駄目だったのかな…あそこで、せんせいに、いわれたとおり、しんでいれば、おれは…ぼくは…ぁあああああ!」
耳をふさいで蹲る。見たくない。聞きたくない。思い出したくない。
あかいろが、ちらつく。
怖い。
こわい。こわい。
「吐き出さなきゃ…たべたぶんの、いのちを、はいて、もどさないと…ごめ、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
いきてて、ごめんなさい。
──あのとき、しななくて、ごめんなさい。