大型シャドウを倒し、ポートアイランド駅の裏路地へと駆けこんだ湊たちが見たのは血まみれの3人だった。
特に、優希は血だまりに沈んでおり、青白い顔で目を閉じたままピクリとも動こうとはしない。
その様子に湊はひゅ、と息を飲んだ。
「シンジ!」
「っ、三上先輩!?」
「三上!!!」
明彦が荒垣に、優希にアイギスと美鶴が駆け寄る。だが、湊を含めそれ以外のメンバーはあまりの惨状に咄嗟に動くことができなかった。
「ぁ…あ…お、お兄ちゃ、ん…?」
「……」
奏子が青い顔で震えながら血だまりに沈む身体を見る。対して湊は、直視することも確認することも出来なかった。
もし、兄が死んでいたら。その身体が、冷たくなっていたら。そんな最悪を想像してしまう。
「俺と天田は大丈夫だ…肩を少しやったくらいでな。あいつをみてやってやれ」
荒垣は血にまみれた肩に視線をやる。
そこへすかさず動けるようになった岳羽が荒垣の方へ寄って召喚器を構えた。
「じゃあ…回復しますね」【ディアラマ】
引き金を引いて、“イオ”を召喚し癒しの光を降り注がせる。
完全回復、とまではいかないが、荒垣の肩の傷の血は止まり、マシになっていく。
「悪いな」
「いえ、」
礼を言う荒垣に、ゆかりは気まずそうに返事を返す。
「……脈拍、呼吸、共に少し弱弱しいですが正常圏内であります。外傷は多数。気絶しているだけのようです」
「そうか…」
「………」
アイギスはじっと見つめる。明らかに、出血量に対して怪我が軽すぎるのだ。
これは、明らかにかすり傷としか言えないものばかりだった。一瞬、荒垣の怪我かと思ったが彼の傷もここまでの血だまりになるほどの物ではない。
血だまりに指をつけてそれを舐める。
「アイギス? なにを…」
「失礼します」
続いて、一番出血しているであろう優希の着るブラウスの
(……これは…どちらも優希さんの血液…? ですが、そうなると更に不可解であります。それに…データにはない成分が検出されている? どういうことなのでしょうか)
アイギスは首を傾げた。
結果は、どちらも──傷口の血と血だまりの血を比較して──優希の血液である可能性が高いというものだった。だが、そうなると出血の原因がわからない。これだけ出血しているというのに、左腕以外は目立った外傷ともいえる外傷が無いのだ。
(誰かが治療した…? それにしては…出血量から予測される傷の治りが…)
「アイギス!」
アイギスがハッと顔を上げると美鶴が心配そうに顔を向けていた。
「呼びかけても返事がなかったが、何か彼に異常でもあったのか?」
「いえ…」
アイギスは言葉を濁した。
これが、言って良い事かどうかもアイギスにはわからなかったので黙ることにしたのだ。
「優希さんは私が運びます。異常があればすぐにお知らせしますので皆さんは荒垣さんと天田さんを」
優希の身体を持ち上げると、アイギスは後ろを振り向く。
既に立ち上がった荒垣と、青い顔で心ここにあらず、といった天田を連れ、一行は帰り道を無言で歩いた。
誰も、この話を今聞く気にはなれなかった。
10月5日(月) 夜
前日になにがあったのか詳しく訊き、天田が荒垣と優希を復讐の為に殺そうとしたこと、その話の途中で異様なシャドウに乱入されたこと、そのシャドウはすぐに自壊し消えたこと、ペルソナの暴走と制御剤についてなどの話が優希を除く全てのメンバーに共有された。
もちろん、幾月もその場におり、異様なシャドウについての話になったときは「共食いする個体だったんじゃないかな? だから、力に耐え切れず自壊した。イレギュラーシャドウだったのかもしれないね」とアドバイスを入れていた。
ただ、天田は部屋の窓から勝手に抜け出しどこかへと行っていたのでこの話はすべて荒垣の話したものになる。
とてもじゃないが天田からは話が聞けそうにない様子だったが、それでもどこかへ行くとは思わず、探しに行こうというメンバーもいたが、結局は荒垣と真田の「放っておけ」という一声で沈黙した。
優希は依然、眠り続けていた。
10月6日(火) 深夜
草木も眠る丑三つ時。珍しく眠れなかった湊は天井を見つめていた。
しかし急に部屋の外からばたん、とドアが閉まる音がしたので湊はベットから起き上がる。
向かいの兄の部屋か、隣の順平の部屋か。
前者だとしたら誰か入ってきたのか、と気になって部屋を出る。兄の部屋のドアを開けると、ベッドの上はもぬけの殻で湊はすぐに踵を返して部屋を出た。
そして廊下を走り、階段をふらふらと降りていく後ろ姿を見つける。その姿はまるで夜の闇に溶ける幽霊のようだった。
「優希」
だらりと下がっているその手を掴む。しかしその動きが止まることは無く、つんのめる様に階段から落ちそうになるのを慌てて湊はひきとめた。
「……」
その目はぼんやりとしていて何が起こっているのかわかっていない様子だった。
湊の存在が目に入っていないように見えるその虚ろな目で何事もなかったかのように再び歩き出す。そして、一階に降りるとキッチンに入り冷蔵庫を開けて漬物のパックを取り出した。
何か危険なことをするのか、と思っていた湊にとってその行動は拍子抜けだった。外に出るんじゃないのならいいか、と見守ることにした湊の目の前でぼんやりとした表情のまま、まるでそうすることが自然と言うように茶碗を出してご飯をよそい、食べ始める。
そしてそれらを食べ終えると、茶碗と箸をシンクに置いて漬物の残りを冷蔵庫にしまい、またふらふらと歩き出す。
次に向かったのは、手洗いだった。
さすがに起きているのではと湊は訝しんだがそれでも表情は虚ろなままであるし、一言も声を発さないし、湊の存在を眼中に入れていない。しかも、たまに家具にぶつかるのだ。一拍置いて何事も無かったのように歩き出すがとても周りが見えているとは言えない。
しばらくして手洗いからふらふらと出てきた優希は今度はまた階段を上っていく。そして何事も無かったかのように部屋に戻ってベッドに潜り込むとすぐに寝息をたて始めた。
この行動がなんなのか湊にはわからなかったので「明日誰かに相談してみよう」と思いながら自分の部屋に戻りベッドにはいって目を閉じた。
10月7日(水) 深夜
居なくなっていた天田が寮に帰ってきた。
湊たちは心の整理がついたらしい天田を出迎え、何があったのかなどを軽く訊いてそのままその日は就寝となった。
しかしまた、ドアの閉まる音で湊は目を覚ました。
今日も一日、目を覚まさなかった兄がふらつきだしたのかと急いで部屋を出て追いかける。
昨夜のことを相談したところ、みな首を傾げていたので原因はよくわからなかった。
対策としてはとにかく部屋を出たことに気がついた人が見守る、という事になったがほぼほぼ自分しか気づいていないのでは、と湊は思った。だが、
「有里。あいつがふらつきだしたのか?」
荒垣が自室の扉から顔を覗かせていた。それに湊は荒垣と共に頷いて後を追う。
「昨日は普通にご飯を食べてトイレに行って寝てた。でも今日はどうするのか分からない」
「…止められねぇのか?」
「階段から降りるときに手を掴んだけど分かってないみたいでそのまま歩きだそうとしてたから、一筋縄じゃいかないかも」
「そうか…」
ふらふらと一階に降りた優希はそのままキッチンを素通りした。
「通り過ぎたな…」
「通り過ぎたね…トイレかな…」
更にトイレにも寄らずにラウンジを歩く。その向かう先は、玄関だった。
玄関の扉に手をかけ、開けることはせずにそのまま静止している。そしてしばらくじっとしたあとまた扉から手を離し、踵を返していく。
「何がしたかったんだ…?」
「さあ…」
ふらふらとまた歩きトイレへ入り、出てくる。
階段を上り、部屋へと戻り前日と同じように布団に入って眠る。その一連の行動に、湊と荒垣は首を傾げた。
「特に危なそうなことはしてねえみてぇだな」
「昨日もこんな感じだったよ」
「危ないことはしてねえ分、よく見とくしかねぇか…」
10月9日(金) 昼
「──ってな感じでお前は夜になると寮内をあっちへフラフラこっちへフラフラしてたってわけだ」
「マジ?」
「信じられねぇってんならてめえの弟と妹や他の奴らにでも確かめてみるんだな」
「……やめとく」
これは絶対聞かない方が良いやつだ。
天田くんと真田くんが退室し、ダイニングに移動しておおよそ5日ぶり(正確には夜に徘徊して勝手に食事を食べていたらしいのでそうではないらしい)の食事であるたまごうどんを食べながら話す。
温かいスープと玉子の甘さが身体に染みる。とんでもない悪夢を見たせいか若干気が滅入っていたが少し元気になってきた。なんて現金な体と心なんだろうか。
ずるずると麺を啜り咀嚼する。砂糖は入っていないのにほんのり甘い甘みにほう、と息を吐いた。
「あ、そういえば」
思い出す。大型シャドウ戦の直前、荒垣くんと奏子がイイ感じになっていたことを。
まさにこのうどんくらい熱々な2人はもうくっついている頃だろう。なんて邪推する。
「荒垣くん、奏子とイイ感じだったみたいだけどさぁ…どうなったんだね~?」
ニヤニヤしながら訊く。
まあ、返答によっては四騎士のペルソナが延々と周りを回る刑になるけれど荒垣君に至っては奏子を悪いようにはしないだろう。
「どうもこうも…ねえよ」
荒垣くんは照れたようにそっぽを向いた。
これは絶対何かあっただろ。あったに違いない。笑みを深める。
「そんなこと言って、絶対なんかあったでござるな?」
「……腕時計を…」
「ん?」
小さくもごもごと呟いた荒垣くんの言葉を聞き逃したので首を傾げると、荒垣くんは観念したような表情で口を開いた。
「腕時計をな、渡した」
「おお! 他には!? 他には!? デートとかもうした!?」
「何もしてねえ」
荒垣君の言葉にぽかん、と口を開ける。
デートもまだどころか手をつないだりキスもまだと申すか。
「へ?」
「だから、何もしてねえんだよ! そもそも、告白とか、ガラじゃねえし…俺らはそう言う関係じゃ…ねぇ…」
「うわー…それマジで言ってる? あんだけキッチンとラウンジでイチャイチャして?」
「それを言うならてめぇもだろうが。桐条とイチャついてんじゃねえか。告白しねえのか?」
荒垣くんの言葉に再び首を傾げる。自分と美鶴さんの関係は友だちで、告白するような特別なこともなく。話もそんなにいちゃいちゃするようなことじゃないはずだ。たぶん。
「美鶴さんとはどこまで行っても友達だよ。それに、美鶴さんはそもそも大財閥の令嬢なんだから俺とそういう関係になるだなんてないない。あり得ないって。俺が美鶴さんの邪魔になっちゃうよ」
「それ、桐条には言うなよ。絶対だからな。フリじゃねえぞ」
「? うん」
笑って訂正すれば怖い顔で荒垣くんが肩を掴んできたので素直に頷いておく。
「ほら、冷たくなっちまうからさっさと食え」
「そうだった」
再び、少しぬるくなったうどんに手を付ける。
まさか荒垣くんが奏子に告白もしていないとは思いもよらなかった。が、腕時計をプレゼントしたとのことなので実質告白みたいなものだろう。そう思っておこう。
「あいつらが帰ってきたら、散々言われるだろうがな、あんな無茶は金輪際やめろよ。今回は運が良かっただけだ」
「む…」
善処しよう。
そう考えて、もごもごとうどんを噛みながら返事にならない返事をする。
「てめえを犠牲にして救われて喜ぶ奴なんざここにはいねえんだ。それをよく覚えとけよ」
「……うん」
そう言われると何も言えない。
けれど自分は死ななければ、そうしなければいけないのだと。自分の命と相手の命を秤にかけたとき、重いのは相手の命の方だから守らなければいけない、と思ってしまう。
自分はいくらでもやり直せる。けれど、皆はやり直せない。元来、命はやり直すことなんてできない。
なら、やり直せる自分が救ったって罰はあたらないだろう。
──それにもう、身体に、意識に、その奥底に染み付いてしまった。今更それをやめることはできない。自分の意志でも止まることはできない。歩き続けるしかないのだ。
まあ、そんなことを思っていながらも大半の死因は慢心と事故なのでこれは許されるべき──ではないな。慢心してる時点でダメだ。
「それとな、お前のブラウスとベストは使い物にならなくなったから捨てたぞ」
「ああ…血まみれだって言ってたね…落ちないよね…血は。仕方ないよ。むしろ処理させてごめんね」
自分でも何度か自分の血のついたブラウスを洗ったことがあるのでわかる。アレは落ちない。
周回したての頃、1人でタルタロスに潜り、怪我をした後に知らずにお湯で洗って落ちなくなって破けてもいたので結局諦めて捨ててしまった苦い思い出を思い出した。
ああいうのは水で漬け置きして洗った方が落ちやすい…らしい。
「気にすんな」
「ありがとう。…それと昼食ごちそうさま! すごくおいしかったよ」
「おう」
食器をシンクに運び、ササっと洗う。
寝てばっかりだったからかまだぼんやりと眠いが体調に問題はなさそうだ。やれるなら今日からでもタルタロスに登れそうな感じがする。なんて言ったら湊と奏子に怒られそうなので伺いを立てるだけにしよう。それとなく、探りを入れる感じで。
夜
「先輩が好きだからです!!!!」
「は?」
「聞こえませんでしたか!? じゃあもう一度…荒垣先輩、だいすきだーーーーー!!!!!」
「あ?」
「えっさらにもう一度? 仕方ないですね…先輩、好きですよ!」
「だああ! か、からかうな!」
「私の事、信じられませんか!?」
「そ…ういうワケじゃねえけど…だ、大体おかしいだろ。こんなとこで…お前の兄貴も見てんだぞ…」
ラウンジで雑誌をめくっているととんでもない告白が行われたので顔を上げつつじっとみる。
ついでに顔を一気に赤らめた荒垣くんの言葉にうんうん、と心の中で頷きながら奏子による盛大な愛の告白を心の中のアルバムに記録しておいた。ここまで大胆だったのは初めてかもしれない。史上初なレベルだ。
「じゃあ私の部屋に行きましょう! ほらほら早く!」
「だ…駄目だ。お、お前は…その、嫁入り前なんだから、誤解されんだろうが」
「ぶっ!!!」
ぐいぐいと腕を引っ張られる荒垣くんが出した言い訳に思わず噴出してしまう。嫁入り前。いや、確かにそうなんだが律儀というか純情というかなんというか。今どきそんなことを言う人は珍しいので言い訳がヘタクソというか。しかし奏子はその程度じゃめげないしへこたれないし止まらないぞ荒垣くんよ。
「じゃあ先輩の部屋に行くしかないですね! レッツゴー!」
「ば、馬鹿! 俺は…紳士じゃねーんだ。部屋なんか入れられるか」
「荒垣くんは怖いオオカミさんなんだってさー。奏子は食べられないように気をつけてね~」
横からそう口を挟めばじろりと荒垣くんが睨んでくる。
「おい三上! んな事していいと──「大丈夫だよお兄ちゃん! 私が! 食べる側だから!」……!?」
「!?」
サムズアップする奏子の言葉に荒垣くんとふたり同じタイミングで顔をひきつらせた。
自分の想像以上に我が妹はたくましかったらしい。
「今日はご立派様着けてるからなんだかいける気がする! べスとテオにも褒められたんだよ!」
その言葉に頭を抱える。言わずもがな着けているペルソナは“マーラ様”だろう。
ご立派ァ! なペルソナだ。いつの間に作ったのか。そんなに短期間で強くなったのか。兄としていろいろ気になるが地雷を踏んで死ぬわけにはいかないので食いしばる。代わりに、
「荒垣くん、あとできみの骨くらいは拾っておくからさ…逝ってらっしゃい」
「待て待て待て待て、いってらっしゃいの意味が違くねぇか!? なんなんだ!? 俺は死ぬのか!?」
微笑んでサムズアップすることにした。
友よ。永遠なれ。
名誉の戦死を遂げた暁にはデビルバスターズ・オンラインのクラン内で二階級特進しといてあげよう。荒垣くんはやってないし最近サービス終了したけど。
モコイさんが残念がっていた。自分も少し悲しい。
「それじゃあ先輩、行きましょう!」
「お、おう…!?」
奏子に引き摺られるように二階へと上がっていく荒垣くんへ合掌してこの様子だと今日はタルタロスへは行かなそうだなと考える。
ついでに今日は誰も奏子と荒垣くんを呼ばないようそっと根回しすることを心に決めた。
こういう時に助けになるのが友として、兄として大事なことだと思う。
…………。
友としてはともかく、こんなのが兄としての役目でいいのだろうか。
疑問に思ったが疑問に思わないように無視することにした。これはいい事だ。
奏子もハッピーで、奏子がハッピーなら俺もハッピー。だからそうに違いない。うん。何も間違ってない。たぶん。きっと。メイビー。
「ひぇ~~~~…奏子っち、トンデモねー」
告白より前からずっとラウンジのソファーにいた伊織が戦々恐々、といった感じでようやく口を開いた。
その意見は兄であっても同意見と言わざるをえなかったのでうんうんとまた頷いておくことにしたのだった。
天田くんがボソッと「僕だって…もう少し大人で身長が高ければ…」と呟いていたのを耳に入れてしまって妹はなんて罪作りなんだ…と戦慄してしまったのはまた別の話。
10月10日(土) 放課後
今日は早めに帰宅したのでアイギスとコロマルとモコイさんの四人で散歩をすることにした。
「ケガの調子は大丈夫でありますか?」
「大丈夫。もう痛くないしむしろ調子いいくらいだよ」
「ワンワン!」
「コロコロちゃんも『元気になって良かった』って言ってるっスよ」
アイギスに返事をするとコロマルが何度か鳴いたので何事かと思ったらモコイさんが翻訳してくれたので撫でてお礼を言う。
「コロマル、ありがとう」
「わん!」
コロマルは優しいのでこんな自分でもよく心配してくれる。
モコイさんももちろん心配してくれていたのでこれからは本当の本当に無茶は意識を失わない程度に収めないと、と戒める。正直今回はぶっ倒れることが多すぎて自分でも焦燥感があるレベルだ。それもこれも自分が弱いせいなのだろうか。
なんだか急にムカついてきた。今日はタルタロスに行くなら戦闘メンバーに入れてもらおう。
神社の境内に着き、コロマルが駆けまわるのを眺めながらモコイさんと話をする。
「最近、全然悪魔みないけど居なくなったの?」
「居るには居るっスよ。けど、今のチミにはとてもじゃないけど近寄れないっスね」
「? まさか、臭いとか?」
モコイさんの言葉にくんくんと服の匂いを嗅ぐ。悪魔にとっての悪臭か何かしているのかと思ったからだ。
「違うネ。これ…チミに言っていいモノなのかモコイさんは分からないんだけど…聞いちゃう? 聞いちゃう?」
「聞かせてほしい…かな」
モコイさんが言うのを戸惑うほどとはいったいなんなのか。まるで予想がつかない。
「……悪魔ってすごい下剋上、弱肉強食の存在なんスよ。でも、その割上下関係や力関係ははっきりしてるんス。僅かな力の差だと下剋上されやすいケド、明確な力の差があると滅多にされないんスよ。悪魔はそこら辺本能で察知するタイプも多いカラ」
「へーやっぱりシャドウと似てるんだね」
シャドウもこちらが強くなると戦う前に逃げるやつが増えてくる。
この周で最初に登った時のように、全くシャドウを見かけません、なんて事もあるのだ。
つまり、そういうことなんだろうか。
「じゃあさ、俺がここら辺にいる悪魔より強くなったってこと?」
「……そゆこと」
しばらく間を置いてモコイさんがそう答えたことに内心で首を傾げる。
そんなにモコイさんが言うのを戸惑うような内容ではない。強くなることは喜ばしい事のはずだ。
「そっか。強くなれてるのなら俺も頑張って戦ってる甲斐があるかな」
「そうスね」
モコイさんの声色はあまり明るくない。やはり何か変だ。どうしたんだろうか。
「モコイさ…」
「そんなことより! この前CMで見た新しいカップラーメンがボクは食べたいな~! 帰りにコンビーニで買ってくれないカナ~!」
「しょうがないなあ…」
大きな声でそう叫んだモコイさんに、そういえば満月の日の少し前にそんな話題ではしゃいでいたことを思い出した。
自分はしばらく寝ていてモコイさんにも迷惑をかけた事だし帰りに買って帰るのもいいかもしれない。アイギスとコロマルに打診してみてコンビニに寄ろう。
影時間
タルタロス141F 豪奢の庭ツイア
久しぶりにタルタロスで戦闘メンバーとして入れてもらって探索を行うことになった。
来たのは金ぴかの内装が目に眩しい豪奢の庭ツイア。
全部これ金なんだぜ! 金! と言いたい気持ちを抑えながらも床削ったらどうなるんだろうと前々から気になってはいた。削らないけど。
「終わりかな、お疲れ様!」
奏子の声で敵シャドウを全部仕留めた事を確認しつつボーっとする。
何だかさっきから頭がふわふわするような、もうすぐ何か起こるようなそんな予感がするのだ。
「うーん…」
「さっきから唸ってどうしたの? お腹痛い?」
「そういうわけじゃないけど…」
もう一戦だけ戦ってみて様子を見たい気もする。
体調が悪いわけじゃないけれど、かといって違和感がないわけではないといった感じだ。
「…あとちょっとだけこのまま様子をみてもいいかな」
「無茶はしちゃ駄目だよ!」
「なんだ三上、無茶をしそうなのか?」
「違うよ真田くん…」
真田くんとコロマルが心配したような顔で見てくるが無茶をするわけじゃない。
「とにかく、体調は問題ないからもう少し探索を続けよう」
そう無理やり皆を納得させて、数戦シャドウとの戦闘を繰り返した。
「ううーん、うーん…うーん…」
「まだ唸ってる…ねえお兄ちゃん、さっきからヘンだよ? やっぱり何かあったんじゃ…」
「なんか…出そうで出ない…そんな感じがさっきからするような…ないような…」
頭を抱える。
さっきから何かが起こりそうな気はするのに、何も起こらない。
「まさかトイレ!? 下に帰る!?」
「トイレ違う。NOトイレ。なんて言えば良いんだろう…」
奏子にどう伝えればいいのかわからないし自分でもこの感覚は初めてでよくわからないのだ。ただトイレに行きたいとか腹痛とかそういうことでは断じてない。断じて。
「うーん…」
あと少しな気がするのにその少しが足りないような、そんな違和感。
「あともう一戦だけ…」
それでなにも無かったら今日は帰ろう。
そう奏子に伝えてもう一戦。
総攻撃でボッコボコにしてフィニッシュ。そして戦闘終了。
かと思えばなんだか先ほどまでとは違う感覚がした。手で何か受け止めないとという無意識が身体を突き動かす。
ぽとり。
そして何もない場所から手の中にいきなり落ちてきたのは顔くらいのサイズの淡く水色に発光する薄い板のような物質。ほんのりと暖かい気もする。
(なんだこれ…)
ゴミか? と思うがゴミではなさそうだし…と思いつつ、自分には到底要らないもののように見えるので奏子に押し付けようと思った。
正直、こんなよくわからないゴミみたいなものを奏子に押し付けるのは忍びないが奏子や湊ならまあこんな変なものも大事に持っていてくれるだろうというよくわからない信頼から大丈夫だろうと判断した。
要らないなら捨ててもらっていいと思うし。
…むしろ意味が分からないものの処理を押し付けているような気になってきた。実際その通りなんだけれどもやっぱ渡すのやめようかな…
「お兄ちゃん大丈夫? ぼーっとしてるけど…」
「あー…奏子、ヘンな物好き? ガラクタだと思うんだけど…なんか出てきたからさ…」
そう言いながらその発光体を差し出す。
ええいままよ! と半ばヤケである。こんなことでいいのか自分。
「わーきれー! いいの?」
「俺にはよくわからないものだし…不安なら湊や他の人にも見せてもらっていいから…」
「不安じゃなくてもこんなきれいな物貰ったら見せびらかしちゃうよ! やったー!」
ゴミ(推定)を押し付けたのにこんなに喜ばれてしまうと罪悪感がすさまじい。
さっきまでの予感のようなものは完全になくなっているし、少しすっきりした気もするし、もしかしたら原因はこれだったのかもしれない。
ただ、何もない空中からぽろっと落ちてきたのでそこのところは本当に意味が分からない。今までこんなことがなかっただけに戸惑いまくっている。敵が出てくるとかそういうことではなく、こんなヘンなモノが出てくるとはどういうことなんだろうか。
そんなことが気になりながら、ロビーへとつながるワープ装置に手をかけた。
「みてみて湊~! お兄ちゃんからこんなもの貰った~!」
「!?」
ロビーに帰ってきた後、ぶんぶんと発光体を振り回しながら待機していた湊に駆け寄った奏子に、湊とアイギスと美鶴さんがぎょっとしたような顔をした。
いやまあ、確かにあんなぴかぴか光る物体振り回してればそりゃ驚くよな…と遠い目をしていたらいつの間にか歩み寄ってきていた美鶴さんに肩を掴まれる。
「三上、あれをどこで手に入れたんだ!?」
「えっ、あれなんかヤバいの!? ど、どこでって…こう…いきなり出てきた…? みたいな…」
「ヤバイも何もあれは“黄昏の羽根”だ!!!! しかもかなり大きいものだと思う…理事長に渡して研究に回せばもしくは…」
「たっ…」
ひゅ、と息を飲む。
“黄昏の羽根”。
召喚器や美鶴さんのバイクやアイギスに使われている物質の名だ。えーっとなんだったか。すごくて大事な物なのはよく覚えているのだが何故それがすごくて大事なのかはあまり覚えていない。
とにかく、とんでもない代物なのは知っている。
「ど、どどどどどどうしよう、か、奏子に渡しちゃった…ヘンなことにならない…?」
「いや、持っているだけでは人体に有害な影響を与えるものではないから大丈夫だ。そんな青くなって震えなくてもいい」
慰められるも安易に渡してしまった後悔が苛んで頭を抱える。
今度から何か渡すときはちゃんと安全かどうか自分で確認しなければ。
バキッ!
「はい、湊、半分ずっこ!」
「ん。ありがと」
そんな音が聞こえて音の発生源を咄嗟に見れば奏子が先ほどより半分のサイズになった黄昏の羽の片割れを湊に渡していた。
何だかよくわからないが躊躇なく半分に割られて少し悲しくなった。いや、先ほどまでゴミだと思っていたのでそんな感傷はお門違いというものかもしれないが。
「…割ったな」
「うん。割ったね…奏子が昔から自分が貰ったおやつとか、湊と半分ずっこするの好きなの忘れてた…」
落書き帳やクレヨンまで破ったり折ったりして湊と半分ずっこにしようとしていた幼少の記憶がぼんやりと蘇る。
あの時、実の両親が慌てて湊の分まで買い足した──その時の湊にはボールや別の玩具が与えられていたので問題はなかったはずだ──んだったっけ、と思い出して頭が痛くなってきた。微笑ましい記憶のはずだが頭が痛くなるので思い出すのはやめておこう。
「あれほどの大きさだったんだ…先ほども言ったが理事長に渡せば何かしら有効活用できただろうな…」
残念そうに美鶴さんがそう告げたが、自分としては幾月に渡すくらいなら奏子に渡って良かったなと思う。
あの野郎に触れられるというだけでなんだか嫌な気分になる。拾ったというか出てきたというか、もう少し違うかもしれないそんな代物だけれど幾月に渡すのだけは絶対に嫌だ。
想像しただけでもぞわぞわする。ついでにあいつはロクなことに使わなさそうだ。無理やり人間に埋め込んだりしそう。
…いやまさか、してないよね?
してない事を祈ろう。